虚偽報道とマスコミ倫理4

執拗な虚偽報道を30年も世界中に繰り返し広げて来た危険性・悪質性・・マイナス効果の大きさに鑑みると、マスコミ界においては言論機関の風上におけない企業としての自主的な断罪が行なわれてしかるべきですが、自主的な動きがなくむしろ擁護する(これも文化人と称する人達の意見ですが・・)論調が多いのは不思議です。
この程度の虚偽報道は業界で普通に行なわれていると言う業界基準によるからでしょうか?
個人利益侵害の場合、いくら虚偽報道しても許されるし、いつも業界でやっていることなのに、今回に限って退場が必要となれば、その違いは何でしょうか?
個人は泣き寝入りしているので顕在化しないだけですが・・その点を敢えて捨象して・・元々「虚偽報道は許されることだ」と言う価値基準を業界が勝手に作っているように見えます。
この基準から言えば、国家利益侵害のときだけ許さないことになる・・・「国家に楯突くと危険」と言うのでは、民主国家としての疑問が起きるので朝日批判は慎重にすべきだと言うことでしょうか?
報道の自由を守るためには、個人相手でも国家相手でも虚偽報道は許されないのが、報道倫理です。
マスコミ業界では、好き勝手な虚偽報道が日常化して来て、虚偽報道のどこが悪い?「国家利益のときだけ何故大騒ぎするのだ」と開き直ったうえで、「報道の自由」が重要・「消費税を課すな」と主張されてもピンと来ない人が多くなります。
マスコミ業界や文化人は「事実を国民が知るために報道の自由がある」と言う根本が分っていないように見えます。
欧米では国民レベルが低いので、マスコミや政治家は「指導するもの」と言う意識が強いことを繰り返し書いてきました。
こう言う価値基準を刷り込まれた欧米基準を何でも有り難がる前衛?思想家やマスコミ人は、日本人の気持ちが理解出来ないようです。
「虚偽であろうとなかろうと国民を情報操作するのが当然であり、情報戦に負けた方が文句言うのはおかしい・・」情報操作が何故悪い?」という(英米支配の)世界基準で考えているのかも知れません。
朝日新聞擁護のためか知れませんが、欧米では利口な人はマスコミを「信用していないのが普通である」マスコミを信用していた日本国民の方がレベルが低いと言わんばかりの論調がもっともらしく報道されるようになりました。
マスコミ・報道界全部が元々信頼すべきではなかった(信じて来た方がバカ・・)と言う論調ですから、業界全体の地位を引き下げてでも、朝日新聞を守ろうとしているのでしょうか。
我が国では、欧米とは違い、庶民が事実を知れば、自分で考えると言う基準ですが、これが世界では通用しないとすれば、何かにつけて我が国の文化水準が数千年単位で進み過ぎているので、世界で孤立するしかない運命のようです。
しかし、B級グルメC級グルメに始まって、庶民や子供向け漫画・アニメが世界に普及し始めています。
日本の庶民や幼児・子供など弱者中心社会のやさしい世界観が、間もなく世界の標準になるのは目に見えています。
我が国では、噓をつくのは御法度ですが、この誠実な価値観もその内世界標準になるのは明らかです。
古代から噓をつかない誠実な国民性が、日本の世界に冠たる信頼社会を作り上げ、発展を支えて来たのです。
日本では国民一人一人のレベルが昔から高いので、偉い人に指導してもらうものではなく、事実をきちんと知らせて欲しい、後は自分で考える国です。
(万葉の時代から庶民が歌を詠みましたし、庶民大衆相手の娯楽・文化が世界一発達していることを何回も書いてました。)
政治家や団体トップは、民意を吸収して行くご用聞き・・世話役であって指導者などと言う顔をしたら、それだけで政治生命が終わりの国です。
何十回も書いていますが、教養人・文化人とは日本の現実を理解する能力がなくて、日本に比べて何千年単位で遅れている欧米文化をお勉強しただけの人が多いのです。
特定秘密保護法のコラムで書いたことがありますが、国民が知りたいのは日本の法律が諸外国に比べてどの点に不備があって危険なのかの事実を知りたいのです。
これらの事実を日弁連が研究発表しないで、ただ「危険だからやめろ」とスローガンを叫ぶだけです。
国民は特定方向へ引きずる思想を知りたいのではなく、前提となる事実を知って自分で考えたいことが分っていないではないでしょうか?
テロ対策としての共謀罪も同じで、「近代法の精神違反する」と言う決まり文句だけ・・集団自衛権の可否について憲法違反だから議論しないと言うのと同じ論法・・ではなく、具体的な功罪が議論の対象になるべきでしょう。
今は既に近代ではなく現在ですから、現在必要な法律の議論に対して近代法の精神に反すると言うのでは議論になっていません。
そのためには、共謀罪を導入している先進諸外国で、どう言うメリットがあってどう言うデメリットが起きているかを調べて実証的報告することこそが法律専門家集団には望まれます。

虚偽報道とマスコミ倫理3

マスコミ業界は記者が自分で珊瑚礁を傷つけることに始まって自分で架空の事実をでっち上げて、マスコミの誘導したい方向への虚偽・やらせ報道を繰り返している内に真実を報道する使命をないがしろにする習慣・やって良いことと悪いことの区別がつかないほど倫理観が鈍麻してしまったのでしょうか。
沖縄の珊瑚礁事件では記者個人責任になったのかどうか知りませんが、でっち上げ報道するには、個人では無理です。
テレビ報道用に撮影するには、記者個人がふらっと言って出来ることではありません。
企画して上位者の決済を得てチームを組んで・船をチャーターするなどして大掛かりな予算を組んで組織で現場に赴き撮影するものですから、個人でちょっとしたデータ改ざんをした場合とは桁が違います。
「綺麗な珊瑚礁がある」と言うだけの報道企画ではなく、「落書きが大変だ」と言うテーマでの企画となれば、前もっての通報などの情報があって始めるのでしょうが、そのような通報があっても、事実確認のために現地組合などに確認の電話するくらいは大した手間ではありません。
電話確認を行なった上でそう言う事実がありそうだとなっても、自社での予備調査もしないでイキナリ大規模な本体派遣は無謀ですから普通はやっているでしょう。
この段階で何の書き込みもなかったことが判明している筈です。
簡単な確認行為すらしないで、始めっから落書きありきで計画して大挙して出張して行ったとなれば、記者個人の犯罪的行為ではなく、組織全体で虚偽でっち上げ報道する計画で行なっていた疑いが濃厚となります。
マスコミは第4の権力とおだてられ、マスコミが誘導したい方向へどんなことでも出来ると言う思い上がった態度がこれを助長してしまったのでしょうか。
この傾向は左翼系だけではなく、右翼も同様です。
土井たか子氏が真実は朝鮮人であると断定的報道をした人が裁判で負けていますが、何の調査もしないで、ネット書き込み記事を取材源にして元大手編集局長の肩書きのある人が虚偽報道していたらしいのです。
(かくいう私のこの紹介自体が、ネット報道による事実を前提にした意見です・・個人の意見はネットやマスコミ込報道以外に事実確認する能力や時間やコスト上無理・不可能ですから、ネット報道による意見も許されるでしょうが、プロのマスコミ人・・独立したジャーナリストがいかにも自分が調査したかのように断定的報道するのはルール違反です。)
こうした無責任報道の繰り返しの結果、左右双方で倫理基準がドンドンずれて来ていたように見えます。
朝日新聞の行動で驚いたのは、虚偽報道をするに留まらず自社の虚偽報道批判者を脅して大企業の力で抹殺しようとすることまで始めるようになって来たとすれば、(・・これも私自身ネット報道によることですので真偽は不明です)最早言論人としての最低の基礎倫理が失われています。
ところで、人権擁護上の必要性から、国家の監督を受けない弁護士会の場合、非違行為がひど過ぎて弁護士の基本倫理を失ったと認められる場合、懲戒処分で資格剥奪まで準備されています。
朝日新聞の一連の行動をみれば、業界に自律的倫理委員会が仮にあれば、本来マスコミとしての基本資格を失うべき非行ではないでしょうか?
もしも個人行為であれば記者資格喪失・懲戒解雇が許される事態ですが、企業が組織としてやったならば何をしても良い・企業としての懲戒処分を求めるべきではないと言う論調が多いのが不思議です。
沖縄珊瑚礁事件では、でっち上げ報道した記者は懲戒処分されているはずですが、企業の組織ぐるみの虚偽報道の場合、企業自体にはオトガメない・・、企業自体のマスコミ業界からの退場処分が、何故議論されないのでしょうか?
あたかもそこまで議論するのは、報道の自由の重みが・・・と言うためらいがある・・私自身もまだ肚が決まっていませんが、報道の自由=その重大性に鑑みると・・慰安婦報道は取り返しのつかない国益の損害をもたらしました・・。
このオトシ前をつける必要があるのは確かでしょう。

虚偽報道の日常化と反日宣伝4

諸外国へ出掛けて行って日本批判を展開する活動が盛んになったこととの関連があるかどうかよく分りませんが、今思い出すとそのころから弁護士の世界でもアジア諸国に対する日本企業による公害輸出や自然破壊をテーマにインドネシア等に調査に行っては、現地で日系企業に対する反対運動を指導?使嗾するなどいろんなことが始まったように思われます。
これらはまさか虚偽報告ではないでしょうが、個人マネーで弁護士が調査している結果の報告書か、日弁連が費用負担しているかどうかまで分りませんでしたが、何故こんなことまでする必要があるのかよく分らないなあ、・・これも人権活動なのか?と思って読んでいたことがあります。
人類皆兄妹と言いますので、日本国内の自然破壊を憂うるだけではなく、インドネシア等での樹木伐採→日本企業の大量輸入に対しても親身に考えて、前もって反対などしておく意味があるのかな?と納得させられていましたが・・。
(私は、自分の理解力が弱いと言う自覚があるので、よく分らない意見を読むと何でも出来るだけその意図を正しいものとして理解しようとする傾向があるようです)
中国残留孤児が帰って来ると、ソ連が条約違反で満州に侵攻したことに対する批判よりは、乳幼児を育ててくれた中国への恩義ばかりマスコミは報道し、日本の「棄民政策」(という変な造語が生まれて)がいけないと言う変な方向へ向けた国家賠償訴訟・・問題すり替え行為に発展しています。
そもそも、こう言う悲惨な結果が生じたのは、・・朝鮮半島や中国で武装解除した戦闘員でない一般人に対する虐殺行為・・これは親を殺されたことや、非道な行為からに逃げ惑っているうちに親子が離れはなれになってしまったために残留孤児が大量発生した原因です・・。
母親が子供を棄てて帰って来ることなど有り得ません・・孤児の親全員が殺されたとは言いませんが、子供の数に匹敵する大量の親が殺されたことを推測するのが普通です。
帰国した中国残留孤児に母親や兄妹がいる事例は殆どありませんでしたから、(まだ親世代が生きている時代でしたが、迎えた親類縁者はいとこやおじさん達が中心だったように記憶しています)棄てて帰った親はいないと言うこと・・両親は武装解除を良いことに殆ど殺されてしまったことになります。
乳飲み子を抱えた多くの母親が殺されたからこそ、赤ちゃんが残されたのではないでしょうか。
非戦闘員の母親や父親を何万人と殺した残虐性こそが重視されるべきなのに、ここをすり替えてしまって育ててくれた中国への感謝とか、(両親の殺人犯に感謝しろと言うようなものです)日本政府の責任と言うのですから不思議な論法です。
戦争で負けたのは確かに政府の責任ですが、敗戦を受入れて武装解除した丸腰に乗じて大量虐殺を敢行してこの世の地獄を作り出した中国人やソ連軍の人道責任を問うことこそが本来でしょう。
明白な国際法違反の非人道行為を不問にして、戦争中敵国の便衣兵を処刑したことをもって大虐殺と報道して日本批判材料にしているのは片手落ちもいいところです。
反日目的の虚偽報道は、(今後反日に限らず事実を正確に報道する姿勢に徹して)最後の最後になって欲しいものです。
吉田調書虚偽報道事件は誤報ではなく、特定政治意図を持った積極的虚偽報道であったことを多くの国民が推測したことでしょう。
政府が非公開としていた調書を公開する方針に変更した結果、公開予定日にイキナリ誤報謝罪の記者会見をしているのですから、本物を見る前に誤報の会見をすること自体・朝日の報道が本物の調書とは違っていることを朝日新聞自身が予め知っていた・・即ち積極的に虚偽報道していたと多くの人が推測したでしょう。
政府が非公開と決めていたことを良いことにして朝日新聞批判者に対して名誉毀損で告訴すると脅していたようですが、調書が公開されない限り批判者は虚偽性の立証不能→誹謗中傷となってしまいます。
これを見越して言論界から抹殺するかのように、以前から吉田氏に接触して取材していた人とから朝日報道がおかしいと通報していた人を脅していたようです。
朝日新聞による批判者に対する脅迫を繰り返していたことが明るみに出て来ると、表現の自由を生命線とする大手マスコミが、虚偽や誤報をしていたに留まらず、自ら、言論の自由を践みにじるほど腐っていたことには驚きを禁じ得ません。
噓でも繰り返し大手マスコミが報道すれば国民が信じてしまう筈・・苦情があっても、黙殺するか名誉毀損で訴えると脅せば黙ってしまう・・このやり方は、中韓が架空の慰安婦宣伝や南京虐殺を世界中でやっていることと同じ発想です。
日本が「事実無根だ」と少しでも言おうものなら中韓はいきり立って、内容の真偽よりは「ナチス同様」と非難して批判封じを行なうのと同じです。

虚偽報道とマスコミ倫理2

民主国家では誰でも、特定立場の報道・主張をしても良いことですが、ないことをあったかのように虚偽報道して、虚偽事実を前提に特定政治目的実現を目的にするようになって行くのは行き過ぎでしょう。
報道機関と名乗る以上は、先ずは客観的事実報道をすることが先決的職務であって、その上でその事実に即して社説や意見を書くのは良いですが、(意見相違は民主国家においては当然許されることです)事実報道を歪めてしまうと報道機関ではなくなってしまいます。
マスコミに限らず、事実報道を正確にしてくれれば多くの国民もその事実を前提にいろんな意見が形成されます。
健全な思想の発展・意見の育成が民族の発展に益することから、前提事実を国民に知らせるインフラとして報道の自由が重視されているのです。
前提事実をねじ曲げて虚偽報道するようになると民主国家に必須の自由な言論を歪めてしまうので、有用な存在ではなくむしろ悪い存在になってきます。
主治医が治療会議で検査結果を偽って報告して、自分の考える治療方法へ誘導しているようなものです。
医師の場合、開腹等手術してしてみれば、主治医の報告する検査結果と違っていることがすぐにバレますが、政治問題では虚偽性が発覚するまで長期間かかる結果、発覚したときには選挙が終わってしまうなど虚偽報道の損失については、取り返しのつかない損失に繋がります。
薬は毒にも薬もなると言う諺のとおりですから、故意に事実を歪めて毒を盛ったような場合、(医道審議会等の制度があって)医師資格を取り消すべきことが予定されています。
マスコミ業界にはこの種の倫理に関する審議会制度がないとすれば、ブレーキのない車のような制度設計・・しかも事故を起こしても処罰する法がない状態と言うべきでしょう。
(大手マスコミ/朝日新聞に限らず週刊誌系も含めて)これを良いことにやりたい報道の虚偽報道競争になっているのかも知れまぜん。
文句あるならば名誉毀損で訴えればいいだろうと言う制度では、政治的な虚偽・偏向報道を誰も名誉毀損で訴えようがないので、やりたい放題となってきました。
民族に対する誹謗に対しては、名誉毀損の裁判が出来ないことを9月1日の「朝日新聞の大誤報(名誉毀損1)」で紹介しました。
個人政治家の場合、裁判出来ますが、虚偽報道で評判を落とされると数年がかりの裁判で勝っても裁判しているうちに選挙が終わってしまい意味がなくなります。
裁判の結果、慰藉料を少しくらい取っても落選すれば、政治生命が終わりです。
民族に対する虚偽事実に基づく誹謗の場合、政治効果を狙っている点では、内容によっては取り返しがつかない点では数〜10人に対する殺人罪よりも結果が重いと言うべきです・・。
民族の名誉のために戦争が起きることが結構ありますが、その結果数百人の命を落としてもやる価値があると言う判断基準があることになります。
この重大「犯罪」(法に規定がないので法律上の犯罪ではありません)に対して、処罰方法もなければ、自主的倫理基準すらありません。
規制法や業会基準もがないことを良いことにした開き直りを放置すれば、義憤にかられた直接行動が避けられなくなるように思われます。
テロが世界中で起きるのは正義の観念に反している事態が起きているのに、これを救済する方法がない社会システム下(一般的に公平な法整備の進んでいない社会)で起きるものです。
今のところ国民が理性でこれを抑制していますが、この危機感から虚偽報道に関係した人物らしい人には警察の方で、常時警備を強化しているようです。
今のところまだ暴発がありませんが、これを防ぐには規制法がないことを良いことにして開き直りするのではなく、自主的贖罪が早く行なわれることが重要ではないでしょうか?
テロが起きるのはテロ行為をする人のレベルが低いばかりではなく、実質的な被害を受ける場合の救済の仕組みや処罰制度・自主規制整備が進んでいない社会との相乗効果です。
とは言え、テロ行為が起きると世界の批判が日本にまた集中するので、朝日新聞の思うつぼになりかねませんから、国益を守るためにも暴発にならないように右翼は抑制して欲しいし、虚偽報道するマスコミに対しては自主規制する業界基準のようなものを早く制定して欲しいものです。

虚偽報道の日常化と反日宣伝3

ソ連崩壊前後ころからのマスコミや文化人の活動焦点は、国内政権批判活動よりは現地調査しないのにしたかのような虚偽報告や・・珊瑚礁を記者自身が傷つけたヤラセテレビ報道事件・・NHKの台湾原住民取材のネジまげ報道などが普通に行なわれるようになってきました。
社会党隆盛時代のように政権・政策批判ならば、仮にマスコミが日本の発展阻害目的の悪意でやっていても、その反対運動の結果公害防止技術・省エネ技術が進むなど、結果的に改革の方へ行く良い効果があることを22日に書きました。
日本を貶める結果になる虚偽報道になって来ると、日本が何をどう反省して良いのか不明で日本の発展にとって何のメリットがあるのか理解不能です。
ところで、政治に関連しないので大事件化しない日常的な「やらせ」報道は、もっと前から一杯あったと思いますが・・。
珊瑚礁事件はやらせが大きなニュースになった最初でしたので、記憶している方が多いと思いますが記憶確認(正確に記憶していないので引用しておきますが、ウイキペデイアも正しいことを書いていると限りませんのでそのつもりお読み下さい)を兼ねてウイキペデイアから引用しておきます。
以下は、ウイキペデイアの記事からの引用です。

「朝日新聞珊瑚記事捏造事件(あさひしんぶんさんごきじねつぞうじけん)とは、1989年(平成元年)に沖縄県西表島において、朝日新聞社のカメラマンが自作自演で珊瑚に落書きによる傷をつけ、その写真をもとに新聞記事を捏造した虚報事件である。落書きの文言「K・Y」を取って、KY事件とも呼ばれる。」

「朝日新聞東京本社版の1989年(平成元年)4月20日付夕刊の連載企画「写’89『地球は何色?』」[1]に、高さ4m、周囲20mという世界最大級のアザミサンゴとしてギネスブックにも掲載されたことがある珊瑚が傷つけられた6段抜きの大きなカラー写真が掲載された。この記事では「沖縄県西表島のアザミサンゴに落書きがあることを発見した、として、以下のような日本人のモラル低下を嘆く新聞記事を掲載した。」
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
これは一体なんのつもりだろう。(中略)「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(中略)日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。精神の貧しさの、すさんだ心の……。 にしても「K・Y」ってだれだ。

しかし、地元の沖縄県竹富町ダイビング組合が「サンゴにこれまで傷は全くなかった、サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」との抗議を寄せた。」

例によって朝日新聞はやらせを否定しましたが、何十年も残る筈の落書きが数日くらいで消えてしまったので、取材直前に書いたものだと分って来るなど最後は朝日が謝って終ったとのことです。
珊瑚礁事件に朝日新聞が懲りてやらせ=虚偽報道体質が収まったのではなく、これが氷山の一角でしかなく・・以降「やらせ」と言う虚偽報道が一般化・普遍化してきたようです。
2・2・6事件で軍部が萎縮したのではなく逆にその後発言力が増して行ったのに似ています。
やらせ、虚偽報道で意見の違う相手をやっつけることが出来る・・「世論誘導してしまえば勝ち」と言う習慣が成立して行ったようです。
「慰安婦問題は報道合戦で勝負ついているのに、今更何故日本で騒いでいるの!」と言う意見が世界的には、結構あるようです。
特に抗議を受けない限り・・あるいは抗議を受けても相手が弱い者である限り大手マスコミの威力で、逆告訴すると言う脅しで黙らせてきたことが、原発吉田調書の虚偽性指摘批判者に対して告訴すると言う脅迫まがい行動の暴露で判明しました。
沖縄の珊瑚礁事件の場合、組合と言う組織対応でしたから頑張り切りましたが、個人の場合、虚偽性の裏付けまでは個人ではなかなか取れません。
言論人の場合、マスコミを敵に回して発言を続けると干されてしまい発言の場を失い、収入減で生きて行けなくなります。
「やらせ報道」虚偽報道の共通項は、いろんな分野で日本人のモラルに問題がある・と言う繰り返しで日本の評価を落とすこと・戦時中如何に日本は酷いことをして来たかを宣伝することによって、アジア諸国に反日感情を植え付けること・・日本孤立化目的と言う視点であったとみれば共通しています。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC