マニュアル化4(功罪?)

高齢化社会の問題は、緊急事態下(出先で地震等の災害にあったときに)で備え置かれている器具の操作説明をとっさに理解し、操作するのは無理がある点です。
高齢化すると過去の知識・人名などとっさに出ないことが多くなりすが、そのときマニュアル表示みれば良いと言っても一定の応用力が必要です。
若い人でも初めて見て応用するのと、9割方身についていてちょっとだけ確認しながら操作するのとではスピードや正確性が大きく違います。
このために各種組織では緊急訓練を年に一定回数してある程度身につけて置くようにルール化しているのです。
高齢者は、出先に備えられている器具について訓練を受けたこともなく、触ったこともないので、手順通りにボタンを押していくのが苦手で(しかも文字が小さ過ぎます)エラーばかりで多分複雑操作開始に行き着けないでしょう。
話題が横にそれましたが、熟練者の手際の良さや法律専門家がいろんな場合を学会で論じて定説になっている場合、それを公開共有しようというのが、昭和末・・15年間ほどで急速に進んだ明文化やマニュアル化社会の方向性でした。
刑法なども、傷害罪や窃盗や業務上横領など懲役10年以下と書いてるだけで、事案によって傷害の場合罰金で済むこともあれば、懲役何年というのもあるし、殺人罪では、死刑から執行猶予まで幅広く、どの程度の殺人行為が死刑になり無期懲役や懲役7年〜5年になったり執行猶予になるかなど全く書いていません。

刑法
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
二百四条 人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
(傷害致死)
第二百五条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
第二百三十五条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
第二百四十六条 人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。

専門家だけが知っている「量刑相場」で決めるのが主流でしたが、裁判員裁判制度が始まると止む無く?「量刑相場」を裁判員に文データ開示するようになっています。
こうなってくると罪刑法定主義・あらかじめ「何をしたらどういう罪になる」かを国民に公開しておく制度趣旨から言って、どういう傷害や窃盗〜殺人の場合にどういう刑罰を受けるかの幅を公開しておくのが合理的です。
比喩的に言えば従来1条だけで終わっていた条文を場合ごとに切り分けた法律にして、裁判員になったときだけ知るのではなく、国民が知りたいと思えば誰でもいつでもアクセスできるように改正するのがあるべき姿でしょう。
マニュアル社会に戻しますと、法令やマニュアルを公開しても普段用のないときは知らなくとも良い・・いざという時に誰でもそのマニュルを見ればある程度分かるようにしていくのは法令に関しては民主的であり個人生活としても合理的です。
地図の知識も今は不要です。
知らないところへ行く時も最寄駅を知らなくとも、自宅を出る前に検索すればすぐに行けますし、最寄駅についてからスマホ等で目的のビルを検索すれば間に合う時代です。
東京駅から大手町にかけての地下街は、そこで働く人は別として私のように時々用があって東西線に乗り換えたたり、パレスホテル等へ行く程度の人にとっては、表示板の番号に従って歩いていれば着くので迷路のような通路を地図的に頭に入る余地がありません。
自宅から目的駅までの料金をあらかじめ知らなくとも、スイカ/パスモ等で乗り換え駅も通過していけるので前もって小銭等の準備もいりません。
日常生活で言えば、日常的に用がないのものを買い集めて自宅の蔵に保管しておくのではなく必要なときに買いに行けば良い時代がきたように、知識もパソコンに預けておけばいい時代です。
昭和の終わりから平成のはじめ頃にかけて、レックだったか司法試験受験予備校が隆盛を誇る時代に突入していたことから、修習生を預かる会員と意見交換会を設けると、「最近の修習生は予備校でマニュアル特訓で合格してくるので、何か課題を与えると『どの参考書に書いてあるのか?』と聞いてくる修習生が増えた・・「自分で考えようとしない」という不満をしょっちゅう聞いていた記憶です。
日弁連の司法修習委員会でも同様の意見が出ることが多く、「今の若者は・・」論の一種という感想で黙って聞いていることが多かったものです。

中世の紛争解決基準・元祖マニュアル化3

昨日紹介した刑事訴訟法のルールを見ると、開示を請求する以上は求める証拠別に特定して請求される側の検察が合理的対応できるようにすべきは当然の筋道ですから、事実上行われてきた暗黙のルールを明文化しただけのようです。
平成二十九年成立して20年6月施行される債権法大改正の多くも、判例通説等で運用されてきた運用実務を明文化するのが大方で、その他少しですが、学説判例等が分かれていて未解決部分であった部分をどちらかの学説で決めたり、こういう問題があるので・・・と意識されていても裁判等になっていない問題点・・例えば長期低金利下で、年5%の法定金利は時代にそぐわない(金利変動に対応できるようにする)など新規規定するした・この必要性は低金利が始まった時点で私のこのコラムでも書きましたが、基準金利が機動的変わる関係で、銀行の場合複雑な計算が可能ですが、個々人の貸し借りや損害賠償請求でこれを法で取り入れる場合、対応可能(例えば何年も返してくれないので5年くらいして訴訟するときにこの間に何回金利がかわったか・その都度変わった金利で計算するのか?)私のパソコン処理能力では想定自体不明でしたので問題提起していただけでした。
これが「識者の検討で合理化されて条文になっていますので、関心のある方はネット検索してみてください。
我々専門家でも、細かすぎる(技術的すぎる)のと高齢化のせいで読んで理解してもすぐに忘れるし、事件受任のときに見直せばばいいというスタンスになります。
法務省の解説です。
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_001070000.html

平成29年5月26日,民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)が成立しました(同年6月2日公布)。
民法のうち債権関係の規定(契約等)は,明治29年(1896年)に民法が制定された後,約120年間ほとんど改正がされていませんでした。今回の改正は,民法のうち債権関係の規定について,取引社会を支える最も基本的な法的基礎である契約に関する規定を中心に,社会・経済の変化への対応を図るための見直しを行うとともに,民法を国民一般に分かりやすいものとする観点から実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとしたものです。
今回の改正は,一部の規定を除き,平成32年(2020年)4月1日から施行されます(詳細は以下の「民法の一部を改正する法律の施行期日」の項目をご覧ください。)。

上記の通り、「実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとした」というので、比喩的に言えば、1条で済ましていたルールをいろんな場合に分けてプロの間で議論し、判例等で集積していたものを、明文化・具体化したことになります。
個別事情に合わせていろんな場合を明文化すれば条文数が膨大になりますが、民法中の一部改正なので全体条文を動かせないので、元の条文に枝番をつける形になっています。
生活の基本法となる民法と違って、現場変化の激しい会社法が商法中の一部であったときには、株式の問題や会計原則や企業統治関係の思想などがしょっちゅう変わるので枝番だらけでしたが、平成十六年頃に、商法から会社法を抜き出して独立の「会社法」にしたときに会社法だけで、約千箇条に及ぶ大規模法典になりました。
このように物ごとは常識に委ねないでどんどん細かくなる一方・・ルールも細くなる一方・日常的生活場面で鍛えられる程度の常識で間に合わない・・・専門化が進んでいます。
食品でも単に炭水化物やビタミン等の栄養素を羅列するのではなくアレルギー関連表示を普通にしているように、表示基準も微細化している・うちは品質に自信があるというだけではルール違反になる時代です。
道路利用なども、車利用になると交通法規が必要になったように、宗教論として善人かどうか、道徳教育だけでは解決できなくなっているのが現在社会です。
千差万別というように物事はその道に分入れば分け入るほど、いろんな事例に応じた応用があるものです。
これが従来専門家の領域として、あるいは担当者がよく考えて決めたことを部外者・素人は口出ししないという暗黙了解で社会が動いてきました。

暗黙知で動くのは各分野で複雑化した現在では無理がありますから、(いろんな施設に備え置かれている救急救命装置の使用法など)誰でもわかるようにマニュアル化しておく時代です。

中世の紛争解決基準・元祖マニュアル化2

司法試験でも昭和40年前には、民法はダットサンと言われたホンの基本だけ解説した小型の書籍3冊理解で合格すると言われていたよう(神話?)でしたが、昭和40年代に卒業した我々世代では民法だけで1冊数百ページに及ぶ本8冊(総則、物権、担保物権、債権総論の各一冊、債権各論2冊と不法行為法1冊、あと親族、相続各1冊)は最低読み込まないと全部勉強したことにならない上に当時既に分野別判例百選や関連演習問題集が発行されるようになって、これら理解が必須時代になっていました。
いわゆる概念の説明から事例当てはめ時代が始まっていたのです。
概念法学批判については、July 12, 2019「レッテル貼りと教条主義3(識字欲求の有無)」以降紹介しました。
昭和30年台中盤以降は、戦後復興から高度成長→(地方から大都市移住の大変動)核家族化に始まり社会構造変化→価値観の急激変化時代でしたので、各種判例法理が急速変化する突入時代でした。
現在の基本判例が、昭和37〜8年頃からの約10年間で大方出揃った時代です。
その後の司法試験受験生は、基本判例の具体的事例集積の勉強が必須になり我々世代より学習内容が膨大緻密になっています。
15〜20年ほど前に、昭和30年の司法試験合格後高級官僚になっていた人が、定年後天下りを繰り返して60歳半ば過ぎになってから、司法研修所に入って司法修習生になり、私の事務所に実務修習生としてきたことがありました。
昭和30年合格といえば、その4〜5年以上前に発行された文献で勉強したレベルですから、勉強内容は、戦後家督相続がなくなったことや今後刑事訴訟手続きがアメリカ式・・職権主義から当事者主義化されるなどの法の精神変化を学んだ程度のようで、具体的事例による具体的主張の必要性意識が低いというか、具体的主張をする弁護活動に驚いていました。
民法そのものは明治30年からそのままとはいえ、生活習慣がまるで違っている現実・・戦後の法令や判例変化をまるで知らない「合格生」でした。
私のように日々現場で実務変化を体験しながらでも、高齢化すると日進月歩の法令変化についていけない心配をしているのに、50年以上?前の簡略知識だけでこれから実務をやれるのか?と危惧していたら司法研修所から肩叩きされたとのことでした。
その後の法改正・・刑事訴訟法でいえば、裁判員裁判開始の影響で公判前整理手続が導入されたことにより、「証拠開示しろ、しない」という単純攻防から開示請求手続きルールが定められ、ルールに則った緻密な主張が必要になりました。

刑事訴訟法
第三章 公判
第一節 公判準備及び公判手続(第二百七十一条-第三百十六条)
第二節 争点及び証拠の整理手続
第一款 公判前整理手続
第一目 通則(第三百十六条の二-第三百十六条の十二)
第二目 争点及び証拠の整理(第三百十六条の十三-第三百十六条の二十四)
第三目 証拠開示に関する裁定(第三百十六条の二十五-第三百十六条の二十七)
第三百十六条の十五
検察官は、前条第一項の規定による開示をした証拠以外の証拠であつて、次の各号に掲げる証拠の類型のいずれかに該当し、かつ、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であると認められるものについて、被告人又は弁護人から開示の請求があつた場合において、その重要性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるときは、速やかに、同項第一号に定める方法による開示をしなければならない。この場合において、検察官は、必要と認めるときは、開示の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。
1〜9号略
3 被告人又は弁護人は、前二項の開示の請求をするときは、次の各号に掲げる開示の請求の区分に応じ、当該各号に定める事項を明らかにしなければならない。
一 第一項の開示の請求 次に掲げる事項
イ 第一項各号に掲げる証拠の類型及び開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
ロ 事案の内容、特定の検察官請求証拠に対応する証明予定事実、開示の請求に係る証拠と当該検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし、当該開示の請求に係る証拠が当該検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であることその他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由
二 前項の開示の請求 次に掲げる事項
イ 開示の請求に係る押収手続記録書面を識別するに足りる事項
ロ 第一項の規定による開示をすべき証拠物と特定の検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし、当該証拠物により当該検察官請求証拠の証明力を判断するために当該開示が必要である理由

中世の紛争解決基準・元祖マニュアル化1

宗教家の高尚な議論・「善きことをしましょう」「人のためになりましょう」という精神論より「何が善きことか悪しきことか」の具体的基準が必要な社会になったのです。
西洋中世に幅を利かした神学から、近代の法律学への重心の移動が日本でも必要な時代が始まっていたからです。
人はいかに生きるべきかを議論をしても、人がいかに道路を利用すべきかのルールは導けません。
「謙譲の美徳」といっても車社会で譲り合うのでは前に進めませんから、「青信号優先」「スピード規制」「一方通行」「追い越し禁止」「Uターン禁止」などを法令で決めていく必要が生じます。
金融取引ルールも同じですが、「被害者を出さないようにすべし」という弱者をいたわる精神の高い高僧や人格者ならこれら複雑なルールを自然に体得しているとは限りません。
これらルールを誰が決めるのか?
比叡山で修行を積んだ高僧がルールに詳しいのか?
分野ごとに精通したプロの出番です。
「貧者を労われ」「施しを!」という宗教論のお題目よりは、具体的な労働基準法の制定です。
車社会には車社会に応じた道路交通法が必要ですし、事故が起きれば聖人君子論が解決の基準にはならず、具体的な事故状況に応じた過失割合論の構築が必要です。
日弁連の青本、東京三会の赤本で図解入りの事故状況に応じた過失割合の基準が作成され、これによって日々の事故処理が行われ・最終的には裁判で決まって世の中が回っています。
人権尊重を誰も冷え値しないのですが、お題目を唱えれば解決できるのではなく、犯罪捜査でいえばGPS利用がどこまで許されるかが難しいので、具体的事件に合わせた判例(February 25, 2018,に最高裁判例が出たことを紹介しました)の集積で決まって行くのが現実社会です。
平和がよいに決まっているのですが、どうやって平和を守るかが現実のテーマであり、お題目の優劣?神学的価値観の優劣はとっく昔に決まっていることです。
「平和を守れ」という抽象論で終始し、その先どうすrかの提言のない政党は、その先・過去数百年の現実を見ていない・・「近代法の法理を守れ」と言うスローガンに酔いしれているのでしょうのでしょう。
社会活動が活発になると、大雑把な精神論的基準・・モーゼの十戒や仏教の不殺生、不偸盗、不邪婬等の誓いだけを千回唱えても具体的事件の是非をさばけません。
交通事故の過失相殺表のように、過去事例集積によって境界事例の判断基準を整備していく必要が出てきます。
離婚事件で言えば、私が弁護士になった頃には夫の浮気や暴力等の典型的離婚原因になる事件がほとんどでしたので、骨格事実の有無だけで勝敗が決まるし、弁護士会懲戒事件でも20年ほど前までは、使い込みその他、事実さえ決まれば判断できる事例ばかりでした。
離婚事件の場合、この2〜30年の間に一方の言い分を聞いているだけではどちらが悪いのか不明・ちょっとした前後の文脈次第で勝敗逆転するような複雑な間接事実次第の事件が増えてきました。
日本の離婚法制の変遷の過程の影響にもよるのですが、(・・日本の法制は昔から融通むげであることをJul 15, 2019 12:00 pm以来「融通むげ(道)1」以来紹介している(道理に基づくものですから、杓子定規の解決を嫌います)途中で、婚姻制度も融通性の高いものだったことを書きかけていたのですが、今横道に入っています)破綻主義に変わっていく中で、日常の細かな行き違いが離婚原因の大方を占める時代になってきたことによります。
13日書いたアメリカの日韓合意のコミットに関する反米的意見も、アメリカの押し付け論を前提にしていますが、もしかして日本が無理に立会いを頼んだのだのならば、結論が違ってきます。
弁護士会懲戒事件もここ5〜6年ではネット表現がどの程度まで許されるかや、交渉時の態度など前後の会話順によっては微妙な事案が増えてきました。
微妙事案が増えると裁決には事例集積が必要になります。

中世の紛争解決基準・非理法権天1

中世秩序が混乱したのは中央権力の威令が届かなくなったことによります。
威令がとどかなくなったのは武力がないからではなく、中世に入って道義基準が混乱したからでしょう。
南シナ海における中国の一方的埋め立て=軍事基地構築に対する国際司法裁判所で「どこの国の領土でもない、公海そのもの」という判決?裁定が出ても、中国は紙くずに過ぎないと公言したのは、国際司法裁判所があっても強制力がないことを前提にした開き直りです。
中国(この模倣社会である朝鮮族も)は古来から道義による支配をしたことがない・・武力強制力の有無・相手が自分より強いか弱いかだけを価値基準にしてきた歴史をここにさらけ出したのです。
韓国の場合も、日本との合意を無視してどんなに反日運動をしようと「民主主義国家なので国民の行動を規制できない」という変な民主主義論を主張していれば、日本は韓国国内政治には手も足も出ないという論理を露骨にした点では同じです。
道理も何もいらない・相手に打つ手がなければ何をしても良いという小津王基準の点では同じです。
日本では内容が道理に従っている・「公正な裁き」と思えば強制力がなくとも従う人が多いからわざわざ鎌倉まで訴え出る人が多かったのでしょう。
ここで、江戸時代に権力確立→司法網が広く行き渡った時代に提唱された「非理法権天の法理」論を利用して中世のルール状態を考えてみます。
非理法権天の法理については、これまでも何回か紹介していますが、これは江戸時代中期に中世と比較して提唱された法理です。
ウキペデイアによると中世はまだ道理優先社会だったとして(法がなかったというより、実施すべき能力(戸籍制度も登記制度も執行機関もなかったのです)以下の通り紹介しています。

非理法権天
江戸時代中期の故実家伊勢貞丈が遺した『貞丈家訓』には「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」と、非理法権天の意味が端的に述べられている。
非とは道理の通らぬことを指し、理とは人々がおよそ是認する道義的規範を指し、法とは明文化された法令を指し、権とは権力者の威光を指し、天とは全てに超越する「抽象的な天」の意思を指す。非理法権天の概念は、儒教の影響を強く受けたものであるとともに、権力者が法令を定め、その定めた法令は道理に優越するというリアリズムを反映したものであった。
非理法権天は、中世日本の法観念としばしば対比される。この時代において基本的に最重視されたのが「道理」であり、「法」は道理を体現したもの、すなわち道理=法と一体の者として認識されていた。
権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかったのである。こうした中世期の法観念が逆転し、権力者が優越する近世法観念の発生したことを「非理法権天」概念は如実に表している。

非理法権天の一般的意味づけは、まだ法の強制力がなく道理に頼るしかなかったという位置付けですが、私は日本は古代から道理を基準にする社会だというのが私の理解です。
中国のように権力者はどんな残虐なことでもできるのではなく「やっていいことと悪いこと」のけじめは法以前に厳然とあるのが日本社会です。
ソクラテスの「悪法も法なり」という言葉が有名ですが、現在法体系的に見れば、道理に反する悪法は「憲法違反で争える」ということでしょうか?
私の実務経験では、憲法違反まで言わなくとも相手方に形式上法令違反なくとも実質被害が生じている時には、日本の裁判所は何とかしてくれるものですが、逆からいえば不当な被害を受けていないのに、相手の非をあげつらうだけの場合では勝てないという説明をして、受任したことがありません。
日本社会では式目や御法度のない時代でも、腕力(政治力)に任せて道理に合わないことを要求するのは恥ずかしいという思いが強いし、周りもそれを容認しない社会でした。
それがお坊さんの説教で済まず、式目や判例集・今でいう法令の必要な社会に何故なって行ったかといえば、白と黒の区別ははっきりしているが、境界付近事例が多くなると生まれつきの常識の応用・・基本的な生き方の習得だけでは裁けなくなったことによります。

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