大阪の地盤沈下3とスケープゴート探しの危険性1

こうした場合、国民のストレスに便乗して如何にも一部医師の不正あるいは詐欺受給が多いかのようなマスコミ報道とそれに便乗する摘発が繰り返されるのですが、生活保護受給者の増加や医療費の増加自体は医師の責任でも申請を応援する弁護士の責任でもありません。
昨年5月に住吉大社の参詣を終えて門前から天王寺まで路面電車に乗ったことがありますが、天王寺の裏口という点を割り引く必要があるとしても、その庶民的雰囲気・・東京で言えば新宿西口や池袋西口が開発される前の印象・・今から40〜50年近く前の粗雑な印象の社会が残っているのに驚いたものです。
(私は昭和41年3月まで池袋に住んでいましたので、池袋や新宿西口の怪しげな路地の雰囲気を今でも思い出します)
困窮者が福祉重視の政党に投票しても事態は良くならないので、大阪府民はイライラしていると思いますが、生活困窮者をなくすための職場確保・・産業を興す人を当選させない府民の選択が間違っているのです。
生活が困窮するとそのセーフティネットの充実を主張する民主党や社会党・公明党系の当選を最初は促しますが、彼らは職場を造るよりは分配論理・バラマキ論しか関心がないと言うか能力がないので、結果的に職場が減る一方で却って困窮者が増え続けることになります。
「角を矯めて牛を殺す」ようなもので、非正規雇用の禁止や賃上げ要求・福祉の充実ばかりでは却って海外進出を加速させてしまい職場が減る一方です。
アメリカの民主党も分配論の政党ですから、格差税など主眼を置きがちです。
こうしたストレス・民主党政治(福祉重視)に対する不満が高まって来ると、左翼の次には右翼が勢いを増して行きます。
第2次世界大戦前を振り返ると、ドイツが敗戦後の困窮状態でワイマール憲法という理想的な憲法をもちますが、分配論では国民が食べて行けませんので結局はその対極の超右翼のナチスが政権を取りますし、スペインも不況の困窮に対して分配福祉論の左翼が政権を取りますが、経済音痴ですからこれを不満とする対極の右翼が政権を取ります(スペイン内戦)し、イタリヤも同じで左翼の台頭に対極のファシスト・ムッソリーニが政権を取っています。
右翼も極論を主張して分りよくしているだけで、左翼同様に経済音痴ですから、そのやり方は、国民・府民のストレスを強調して、スケープゴートを作り出しては(何でもユダヤ人が悪いような主張をしたナチスを想起して下さい・・)責め立て喝采を浴びる方法が普通です。
前大阪府知事橋下氏の政治手法はこれに似ているのが怖いところです。
大阪府経済圏の低迷・・これに基づく府民のストレスは大阪経済圏における産業の構造的要因によるのですから、医療機関や市職員・教育関係者のつるし上げでどうなるものではありません。
まして行政の仕組みをいじってみてもどうなるものでもありません。
府と市が一体になれば、関西の産業構造がどうなるという展望が全くなく、(府と市の二重構造は戦前からでしたが、昭和50年代までは大阪は元気でした)さしあたりスケープゴート探しの材料にしている・・自分が府知事になっても何も出来ないことの言い訳にして結局何もしないまま中途退任してしまったのです。
そもそも彼は現行の制度を前提に立候補したのですから、現行制度の中で府知事になれば何をするかを主張していた筈ではないでしょか?
(大阪の選挙ですのでで当時の立候補での主張の具体的内容は知りませんが、普通はそうあるべきです)
政権を取って総理になってから「大統領制ではないので、あれが出来ないこれが出来ない」と言っても、世間の笑いものでしょう。
ところで、大阪に限らず全国どこでも府縣と政令市の二重構造ですから、二重構造を大阪が特に地盤沈下している理由に持ち出すのは非論理的です。
橋下氏はボロが出ないうちにこれと言った政治成果もないうちに任期途中で辞任して県から市長に移り、今度も労働組合などを批判しているだけで、前向き施策としては何の提案も見受けられません。
結局何もしない内にさらに国政に転出しようとしている様子が見えます。
教師に対する君が代斉唱(起立)の強制や市労組に対する締め付けをしたからと言って大阪府の地盤沈下の歯止めにはどう言う関係もないのは誰の目にも明らかでしょう。
次から次へとスケープゴートを作り出す手法は、経済停滞下にあってストレスの多い国民や府民には受けが良い・・喝采を浴び易いでしょうが、この方法では事態打開のための前向きな提案がまるでないまま、いじめられっ子探しをしているようなものです。

大阪の地盤沈下2

我が国の勤勉革命・手間ひまかけた精巧品にこだわる精神は、12/06/03「千葉の歴史4(千葉県人と海洋史観1)以下のコラムで連載しましたが、家光の鎖国ころから始まったものに過ぎません。
鎖国後200年あまりの間に物造りが精巧化して職人の技術が発達し(からくり時計でも何でも造りました)、この基礎があってこそ我が国の明治維新→近代産業化の成功に繋がったのです。
ところが、大阪は、元々浪速津の干潟であって人口集積地あるいは農業値でもありませんでした。
大阪の都市としての始まりは元々ほぼ無人の地に商都として人が集まって来て都市化が発展して来たもので、この地で連綿と伝わる人種的特性・・蓄積がありません。
江戸時代には上記のように鎖国に伴う勤勉革命が進行し他の大名領地では領国経営のために特産品製造等に精出していたのに対して、大阪は天領であったことから特産品を作り出すモチベーションもないまま、商都としての機能に寄りかかったまま幕末を迎えています。
このために、プラザ合意以降の円高→グローバル化進行によって、大量生産型産業が下火になってもこれに代わる高度部品・精密機械製品製造に向いた人材の蓄積が多くありません。
日本の生産力が車に比重を移した後も、大阪経済圏は車生産の恩恵をあまり受けなかった上に、ここ10〜20年間に進んだ部品高度化の波にも乗り遅れている感じです。
江戸時代には国内経済中心でしたし、信長のころまではまだ北陸と京を結ぶ物流は貴重なものでしたが、秀吉以降になると外洋航海向きの船が発達したので(江戸時代になると日本列島を回遊する廻船網の発達を想起して下さい)それまでの北陸あるいは日本海側諸国から京大阪への物流が琵琶湖を通じる必要性がなくなりました。
その上、徳川政権成立により日本最大の大都会として江戸が誕生しましたので、江戸への物資輸送に関しても北陸から京への物流はマイナーになって行き、船便で大阪へ一旦物資を集中して分散する方式が合理的になっていたのです。
しかし、開国してしまえば、瀬戸内海の水運は地域交通手段に過ぎなくなりますし、アメリカとの交易中心ならば東京が一番近いし、中国、韓国・東南アジアが相手となれば福岡が有利です。
国内物資の集散地としても、鉄道網が発達すると一旦大阪へ船で集めなくとも必要な場所へ直接産地から輸送すればたります。
明治維新以降大阪は物流の要衝でもなくなったし、平成になってからは大量生産型事業が縮小する一方となったのに、江戸時代を通じた物造り技術の蓄積もないとなれば、都市機能・規模を縮小して行くか生活保護ないし補助金を増やしていくしか現状維持出来ません。
炭坑町として山奥に出現した町が炭坑の出炭量の縮小に合わせて寂れて行くのと同じです。
これらの複合効果がジリジリと関西経済圏を蝕んで来たと言えるでしょうが、こうなると徐々に元気な人(外で通用する有能な人)や企業から順に他の経済圏に出て行きます。
出て行けない人や企業の多く・・弱者が大阪に残っているので、生活保護受給者の増加・医療費の上昇・・学力テストの最下位になっているので、これは結果です。
生活保護受給率が高い地域の場合、その予備軍層がもっと高い比率で存在している筈ですし、政治的には、こうした貧困層の比率の高まりが、公明党や社民党等の強固な政治地盤になっていた面があるでしょうが、彼ら政治家がいるから生活保護受給者が多いのではなく、彼らが政治家が当選したのは生活保護受給を必要とする貧困層が多い結果です。
生活困窮世帯の子供の学力水準が悪くなる傾向があるのは否定出来ず、先生だけの責任ではありません。
学力が低いことと日教組を結びつけるのは、間違いです。
大阪の医療費の増加も、医師にかかり過ぎ(府民の心がけが悪い)とか医師の腕が悪いと言う精神論で片付けるのは間違いです。
奈良の医師のように生活保護受給者を食い物にする医師が摘発されたりして、如何にも悪い医師が多いかのようですが、実はその基礎に生活困窮者・保護受給者・・底辺層が増えていることにあり、底辺層が増えれば疾病率が上がります。

生活水準向上とソフト化社会2(大阪の地盤沈下1)

このシリーズで何回も書いていますが、バブル崩壊後の生活水準の向上は目覚ましいところがありますが、例えばユニクロ以来各種衣料品・生活雑貨で言えば100円ショップで大方間に合うし、食品で言えば牛丼や回転寿し等々、生活コストはバブル期以降約半分以下になっています。
タマタマ日経朝刊1月23日の9面に出ていましたが、花王の洗剤アタックが25年前の870円台に対して店頭実勢価格が300円以下になっているなどの事例が出ていましたが、機能が良くなって半値以下というものが消費財にはゴロゴロしています。
(牛丼・パソコン・携帯電話その他いくらでも半値以下になったものがあるでしょう)
物価が半値以下であれば現状維持の収入でも生活水準が2倍以上になっていますが、繰り返し書くようにバブル崩壊以降国内総生産がジリジリと上がっていたのですから、生活水準向上は2倍どころではないことになります。
これをドル表示で見ても約2倍になっていて裏付けられることを、2012/01/19「為替相場1と輸出産業の変遷1」のコラムで書きました。
前回書いたように生活水準が上昇するとすべての分野で行動形態がソフトになるのが我が国の傾向で、(そこが諸外国とは違います)勢い粗野な争いがなくなって行きます。
高度成長期に生まれた膨大な中間層の2代目が、みんなお坊ちゃんお嬢さん育ちになってデーイプインパクトのようにソフトになってしまって「大阪のおばちゃん」と揶揄される横柄・厚かましい人種が姿を消してしまったのです。
この種の人は10〜15年くらい前までは東京でもどこでも一杯いてオジさんやオバはんが嫌われていたのですが、生活水準の向上に連れて厚かましい中年族はいつの間にか姿を消した(今では60〜70代になって世間に余り出なくなった)と言うか、少数派になってしまったのですが、大阪だけ今でも残っていることから目立つのでしょう。
大阪だけに何故今でも厚かましいオバはんが多く残っているのかですが、以下に書くように大阪経済圏では生活保護受給率が大阪では高い・・医療保険の利用率も高い、学テでは全国最低水準になっているなどの現象からみて、この20年あまりの我が国の生活水準向上の波に乗り遅れているからではないでしょうか?
どこかで言ったことがありますが、大阪の長期的地盤沈下は、府と市の二重行政に原因があるのではありません。
産業の主役が繊維系から電気に移るまでは元気だったのですが、その後車産業に主役が移ったときについて行けなくなったころから、関西経済圏の沈下が始まったと私は考えています。
江戸時代中期ころから関西以西では木綿栽培が発達していたと読んだことがありますが、これを基礎にして、近畿圏周辺〜岡山までには繊維産業が明治維新以降勃興し、これに連れて糸扁の商社も大きくなりこの傾向は戦後も続いていました。
戦後は家電系も松下電器産業(ここから派生して生まれたサンヨー・・今は合併しましたが・・・)に始まって新たに経済を支えましたが、精密な電子産業以降となるとちょっとついて行けない感じになって行きました。
造船その他重工業も大阪の経済規模に合わせて十分発達しましたが、車製造が経済の中心になる時代が始まると新たに広大な工場敷地を必要としました。
過密化していた大阪周辺では工場敷地の余裕がなかったこともあって、自動車産業と関連産業の新規開設立地がほぼ皆無だったことが、大阪の地盤沈下に甚大な影響を及ぼしたと思われます。

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