地方自治制度の悪用1(僻地・末端の重要性2)

昨日から地震災害で紹介したように、地方の決定・自然災害がサプライチェーンを通じて全国波及する時代です。
原発稼働の可否は立地する市町村・・僻地だけに利害のあることではなく、経済合理性や環境破壊の有無は言うに及ばず、国防政策や日本の将来の産業構造を規定する全国的関心のある事柄です。
学問的も、全国原発停止以降原子力関係学科の志望者が激減しています。
1地域住民の賛否や・・(ドサ廻りになっている)数人の末端裁判官の意見で国家の枢要事を決めて直ぐに国家意思として強制力が出る仕組みがあるのは制度的に無理があります。
この辺は沖縄の基地問題の議論も同様で、国防に関する決定を地元沖縄の意見で決めようとする運動自体おかしな議論です。
裁判官で言えば、地方小単位の社会に関係のある決定権者として、地方に赴任しているに過ぎないのにタマタマ全国的テーマが地方の管轄になると、俄然(上級審の結論が出るまで原則として効力が出ない本案訴訟手続があるのに、これをしないで即時効のある仮処分決定するのは)全国民に影響のある決定権を行使するのは権限乱用です。
内乱罪等国家的影響のある事件は高裁から始める特別規定がありますが、原発や軍事基地のあり方など1つの裁判結果が全国に影響を及ぼすことが明らかな事件は、高裁ではなくとも大規模庁に専属する仕組みにする・・あるいは原則として仮処分を許さないなどの配慮をすべきでしょう。
世界中どこの国で、国家的関心事である軍事基地の設置に関して地元自治体の同意を必要とする→地元裁判所で一次的な決着がついてしまう国があるでしょうか?
軍事基地や原発は、国全体のためにあるものですから、その基地や施設が国全体のためにある・・その地域だけのものではないのは当然です。
実際原発規制委は全国を管轄にして審査しています。
沖縄の基地移転については海面の埋め立てが必要なために県知事の許可や承認にかかっているので、国が県知事の承認がないと埋め立て出来ないと言う変な法制度がガンになっているようです。
ソモソモ民間が公有水面を埋め立てるには、(勝手に出来るでは困るので)許可がいるのは当然としても、地方で許可しても国家の大局からみて不都合なときには、国が取り消せる制度設計が本来です。
地方自治制度と国のあり方の基本問題ですが、国の決定の可否を自治体が最終判断出来る・・逆の制度設計は無理があります。
いわゆる「法の間違い・・不備」を衝いているのがこの種事件一般のあり方です。
民間または同格の公共団体(喩えば隣の県が隣の県内の海を埋め立てるのは埋め立て地の県の同意が要るなど)が行なうときだけの制度であるべきでした。
国が決める場合地方の意見を聞かねばならないと言うのは分りますが、地方が国策の最終決定権を持つのは統一国家の制度としては無理があります。
地方自治は、戦後憲法(アメリカの押し付け)で出来た制度で、その前には官選知事制度でしたから、知事の許可の権限=国にの命令次第だったので矛盾がなかったのです。
地元民の民選になる都知事が最終決定権を持ったままにしておくのは、国家意思の一体性からして無理があります。
アメリカは、将来日本が言うこと聞かなくなれば、政府と地元の対立さえ起こせばにっちもさっちも行かなくなるように、(武力不保持条項同様に)時限爆弾のようにアメリカが置き土産として残した仕掛けだったかも知れません。
何しろ尖閣諸島情勢緊迫により、自衛隊が遠くから駆けつけるのでは・・時間的に不利なので最寄りの島に駐留するにも地元民(大人だけで言えば千人前後?))の賛否をとっていましたから、(公明党の言うように外国人にも地方自治体への参政権を与えると・・実際以下に紹介するとおり基地賛否の住民投票には外国人にまで投票権を与えています。)イザとなれば中国系の勢力浸透は簡単です。
ウイキペディアによると以下のとおりです。
  与那国島
人口1,745人、年平均気温23.6℃、年間降水量2,363.5mm。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾宜蘭蘇澳港までは111km

以下は与那国島と防衛問題に関するウイキペデイアです

2014年3月31日、国と与那国町との間で町有地を貸す契約が正式に結ばれた[25]。2014年4月19日、小野寺五典防衛大臣出席のもと、沿岸監視部隊配備のための着工式典が開かれた[26]。2016年には、200名弱の自衛隊関係者が与那国町に駐屯すると見られる。
2014年9月7日投票の与那国町議会選挙で、町議会は誘致派が3人、反対派らが3人となった。誘致派が議長となったため、議長を除く議席構成では、反対派が多数となった。反対派らの賛成多数で、自衛隊誘致の賛否を島民に問う反対派が主導する住民投票条例が可決され[27][28]、2015年2月22日に陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施された。
この住民投票に法的拘束力は無いものの、与那国町の住民投票条例は町長と町議会に対して「投票結果を尊重」するよう求めている[29]。誘致反対派の要求により、この住民投票での投票権は中学生以上の未成年者や永住外国人にも与えられた[30]。この住民投票には、有権者1276人のうち1094人が投票し投票率は85.74%。開票結果は、賛成632票、反対445票で、賛成派が多数を占めた[31]。しかしながら反対派は納得せず、工事差し止めを求める裁判を起こすことを検討している[30]。
反対派住民30名は武力衝突による平和的生存権の侵害や電磁波による健康被害の恐れを根拠に駐屯地の工事差し止めの仮処分命令申し立てを行ったが、那覇地方裁判所は2015年12月24日付けで却下した。決定理由として、武力衝突に至る恐れがあることを認める資料がないことや、電磁波の強度が法律の基準値を下回ることを挙げた[32]。住民3名はこれを不服として即時抗告したが、福岡高等裁判所那覇支部は2016年2月19日付けで却下した

※上記決定によれば「武力衝突のおそれがないこと」を理由の1にしているのですから驚きです。
武力衝突のおそれがあれば自衛隊基地の存在が許されないと言うならば、まんがではないでしょうか?

共産圏的集団指導体制2と地方の衰退1

日本を除くアメリカ、ドイツ等どこの国でも、地方に大企業本社等があり、新規企業が生まれています。
戦後、日本だけ地方では滅多に新規企業が生まれない・・せっかく工場誘致してもその技術を利用して我がものにしてしまう土壌がない原因は、昨日書いたように中央への人材流出パターンに本質があるとしても、占領軍の置き土産・・農地の共産主義的細分化+指導強制による無気力化政策の成功も影響があった可能性があります。
中央の指導強化と地方の発展性に付いて考えて行きます。
自由な発想・思考錯誤に任せると失敗も多いし、すぐに良い結果が出る訳ではありません。
しかし、百〜千人の挑戦者の中から一人でも成功者が出れば全体として長期的に良い社会になると言うのが、産業革命以降世界の一致した考え方でしょう。
逆から言えば、どこかの成功例を探して来て伝授指導するばかりでは、自主開発に挑戦する精神が鍛えられず、長期的には発展の根が枯れてしまいます。
日本企業の衰退と逆転バネのある企業を比べると分りますが、目先が利いてある事業モデルで稼いだ会社は、世界の流れが変わると、応用力がなく衰退する一方となりますが、時間がかかるものの自発的研究開発で自力で伸びて来た会社新たな社会へ対応するべく次の事業へ転換して生き残り復活出来ています。
中国のような超低賃金国の生産競争参加で、日本はもう駄目だと言われながらも時間をかけて、地味に努力して来た結果、今漸く復活出来た背景は飽くまで根気のいる自前技術のある企業が頑張ったからです。
世界の潮流が変わると対応出来ない企業は、それまで時流に乗っていただけで、物まねして来て、自前技術を育てていなかった会社のメッキが剥げる場合が殆どです。
スーパーダイエーで言えば、アメリカ流スーパー販売方式導入で流通業界を席巻したのですが、それだけでは他所も導入すれば、横並び競争になり負けてしまいました。
中国の安い人件費目的に真っ先に進出した中規模家電メーカーは、1時一世を風靡しましたが、みんなが進出するようになると淘汰されてしまいました。
またその後進出した大手もサンヨー電気その他特定技術を持たない以上は、現地企業が育つと負けてしまいました。
松下→パナソニックも低賃金目当ての中国進出からの方針転換・撤退で、BTOBへ戦略転換して何とか踏みとどまり、黒字転換を果たしています。
時代が変わるごとに無数にあった同業種企業群から、転換成功して生き残って来た企業は(各業界ごとに日立、東レ・・零細事業では蒲田の個人事業者までその他枚挙にいとまがありませんが・・)自前技術を大事にして来た企業ばかりです。
中韓の企業は先進国技術の導入・指導を受けてやる分には失敗がなくて効率が良かったのですが、この効率の良さの故にこれに比例して自前技術があまり育っていないので、反日運動の結果日本からの技術導入が細るとどうなるか・・ドイツとの親密化期待・・に関心が移っています。
未熟な子供や部下にやらせるとマドロッコしいし失敗も多いですが、親や上司が何でも手を出していると子供や部下が育ちません。
長期的発展のためには完成モデル模倣の指導よりは、失敗しても良いから自発的工夫力を磨くことが必要です。
中ソは後進国だったので革命後先進国技術をエリートが研究し、模倣(スパイが盗んで)して中央が指導する形式・・政治的には独裁が妥当しました。
このモデルが共産圏への先進技術輸出禁止(ココム・チンコム等)の結果、厳しい警戒をかいくぐっての剽窃(スパイ活動)に頼るしかなくなった結果、導入範囲が特定軍事技術・ロケット等の分野に偏るしかなくて、幅広い民生技術まで及ばないことから、共産圏社会の停滞が際立ってきました。
これがソ連の崩壊や中国が共産主義政権のまま自由主義経済への参加・開放政策へ転換せざるを得なくなった基礎でした。
安倍政権の農業改革・岩盤崩しの要点は、この指導監督制度の強化よりは、廃止・縮小に的を絞り、一時的に停滞しても自発的努力をする業界、努力すれば報われる業界への転換を図るべきでしょう。
「地方創生」のかけ声自体が国主導で地方活性化しようとするもので、無駄な努力と言うよりも、マイナス効果が見込まれます。
農家や地方政治を指導に頼らせる基本政策を決めているのが、以下の条文です。

農協法
第七十三条の十五  農業協同組合中央会(以下「中央会」という。)は、組合の健全な発達を図ることを目的とする。
第七十三条の二十二  中央会は、その目的を達成するため、次に掲げる事業を行う。
一  組合の組織、事業及び経営の指導
二  組合の監査
三  組合に関する教育及び情報の提供
四  組合の連絡及び組合に関する紛争の調停
五  組合に関する調査及び研究
六  前各号の事業のほか、中央会の目的を達成するために必要な事業

上記のとおり共産圏で一般的な党中央の方針を下部組織に徹底して行くやり方そのままを法制化したもののようです。
共産党中央ならぬ、農協中央の指令に基づくやり方では(傘下の単位組合や個々の農民は指令を待つばかりで)農業の自主的発展は望めません。

TPPと主権6(地方自治体の条例1)

今年は北京を中心にした公害によるスモッグPM2・5が世界中で問題になっていますが、遂に春風に乗って来たらしく、3月10日午後2時半ころ千葉市内(22Fレストラン)で家族で食事中に窓外を見ると黄砂らしいもので視界が遮られるようになり数kメートル先にある稲毛駅付近の高層ビルがかすんで見えないほどになりました。
中国に遠慮しているマスコミはこれは黄砂によるものではないと言うようですが・・国民はマスコミ不信ですから簡単に信用しないでしょう。
群馬に行っていたある人の話では、車の上につもった粉末に手を載せると指紋がくっきり分るほどの細かい粒子だったと言います。
日本の土埃ではこんなことはあり得ませんから誰もが黄砂の飛来だと思っているでしょうが、どうして気象庁は煙霧と言い張るばかりでpm2,5濃度など発表をしないのか不思議です。
(こう言う現象を煙霧と言うのが正しいとしてもその中にどう言う物質が混じっているかを国民は知りたがっているのですが・・)
韓国では全く中国の公害報道はしていないようですから、韓国人は北京のひどい公害を全く知らないようですし、一般人の意見と言ってもマスコミの方向性次第ですが、幸いネット報道が発達したので、マスコミ以外に知る方法が出来てきました。
こうなって来ると「公害で苦しむのは自国民だけだから中国の勝手でしょう・・」という中国政府の独りよがりに対する憤りは反中国意識の低い国民にも激しくなってきます。
反日運動による被害ならば、中国への投資した者の自己責任(リスクをとるのは当然)とも言えますが、公害被害の方は逃げることも出来ない・・自己責任でもないので、許し難いこととなってきました。
酷い自然破壊をしていることに対する国際世論が盛り上がって来ると、さすがの唯我独尊的中国も公害対策に徐々に腰を上げざるを得なくなって来るでしょう。
あらゆる分野での世界標準化でいろんな分野での条約締結をせざるを得なくなって来ると法制度の画一化が進んで行きます。
2013/03/08「TPPと主権2(ハーグ条約3)」で子どもの連れ去りに関するハーグ条約を紹介しましたが、いろんな分野で国際標準化が進み条約締結をせざるを得なくなって来ると条約加盟国の国会ではその条約に合うように法律を改正するしかありません。
主権国家と言っても条約に反しない範囲内で法を制定出来るに過ぎなくなって来ると中央政府の制定法の範囲でしか条例を作れない自治体に似てきます。
現在国家が出来たときから条約と国内法の関係は同じですが、従来条約などはホンの限定した分野での約束事に過ぎなかったので、国民の日常生活には関係のないことでした。
現在は個人的な親子問題にまでハーグ条約のようにズカズカと踏み込んで来て庶民の日常生活まで条約で規制される時代です。
租税条約、国際会計基準・金融機関の自己資本率その他日々の商取引にも大きな影響を与えていていろんな分野で自国だけで自由に決め切れなくなっています。
結果的に自由に法律を制定出来る分野が縮小する・・TPP に加盟しなくとも、主権がどんどん縮小しつつあるのが現在社会です。
条約まで行かなくとも、事実上拘束される分野が多くなっています。
例えばイラン制裁をアメリカが決めると、イランと取引している日本企業はアメリカ国内法に違反することになるので、アメリカ国内で金融や車の販売その他の取引が出来なくなります。
そこでアメリカに輸出したりアメリカで操業している企業は、日本からのイランとの取引さえ出来なくなるのが現実社会です。
アメリカに進出しているソニー・オリンパスが、今になって、何年か前にブラジル人医師に対するオリンパスの医療用品に関する研修のための対日渡航費用等をオリンパスが実費負担していたことが、アメリカ法の賄賂にあたるか否かが大問題になっているようです。
ブラジルや日本で汚職にならない程度でも、アメリカで汚職になるとアメリカで操業や販売が出来ません。
このようにそれぞれの国の汚職の基準が違うと、条約を結ばなくとも大国の市場で閉め出されるのが怖いことから、実際には大国の基準が幅を利かせることになります。
世界標準化の進行・画一化の進行に比例して企業にとっての海外展開コスト縮小→地場産業がマトモに風圧を受けることになりますが、この保護のためには関税を高くして自国内企業保護を図る方法があり、従来はグローバル化と言っても関税率の引き下げ程度で満足して来ました。
逆から言えば、後進国は自国産業が離陸するまでの時間稼ぎ・・保護のために、関税自主権こそが必須・・独立・主権国家の証(あかし)でした。
幕末に結んだ不平等条約撤廃に明治政府が苦しんだことを誰でも知っているでしょうが、まさに関税自主権の回復こそが明治政府の悲願でした。
TPPやFTAは関税による障壁を撤廃・縮小するだけではなく、お互いの懐に手を突っ込んで国内規制まで共通化しようとするのですから、言わば丸裸でつき合うことになり・・参加国全体で一種の国内市場化します。
人口2億の国にとって人口300万の国の市場が増えても大した効果がないのですが、300万の市場しかない国の企業にとっては、イキナリ2億の市場が一体化するのは大きな利益があるかのように見えます。
ところが実態は逆で、小国の企業は余程良い物をもっていないと大国の大規模な企業に負けてなくなってしまうのが普通です。
東京と周辺都市との交通の便がよくなると、地元老舗商店が衰退して東京の有名店の支店が進出するのと基本構造が同じです。
(大方の地方で地元資本百貨店・・元は地元の老舗がほぼ消滅してしまったし、過疎化に関しては、便利になると余計進む・・ストロー現象が原則です)

ギリシャ危機とEUの制度矛盾3(地方交付税)

ギリシャ危機から先祖の預貯金や資源の権益収入で遊び暮らす社会〜格差問題にそれてしまいましたので、Euの制度論・元に戻します。
日本の各県は独立国として輸入制限したり関税を取ったりしないし、貨幣交換レートの切り下げをしたりしない代わりに、地方交付税名目で中央から補助金・補償金をもらっている関係が我が国の政治制度です。
ですから、地方選出国会議員が人口比で多すぎるから、大都会は不当に搾取されているばかりだと言う都会住民の不満は実はおかしいことになります。
沖縄だって独立国になれば、基地を置かせてやる代わりに年間何千億円を要求したり当然関税も要求するでしょうから、そうなれば、沖縄への年間補助金支出と同じことになるかも知れません。
ギリシャの場合、EU参加によって青森等のように、中央にあたるドイツ、フランス,オランダ等から、無関税で(輸入制限なしに)自由に製品が流入するようになったのですが、貿易赤字を調整するべき為替操作権(自国通貨切り下げ権)も国内金融調節権=金利の設定や紙幣供給の調整権能も失ってしまいました。
代わりに補償されるべき日本の地方交付金に似た制度もないので、半端な制度のためにやられっぱなしになっていたのが今回の危機の原因です。
1つの通貨制度にする以上は財政も1つ・・儲かっている地域から補填する制度(日本の地方交付税制度)が必要ですが、これがないままでは、ドイツなど強者にとっては良いことばかりで、弱者・南欧東欧諸国にとっては悪いところだらけの制度になっているのです。
それでも周辺弱小国がEUに入りたがるのは、先進国と同じ経済圏に入る名誉・・?あるいはステータスが欲しいからでしょうか?
ギリシャ国民・庶民にとっては自国が損しようがしまいが、自分が国境の検査なしに自由に先進国に出入り出来る・・どこでも働けるのですから、出身国が損しようしまいが自分には関係ないということでしょう。
先進国は先進国で容易に南欧,東欧の安い労働力を使えるメリットが有ります。
結局EU成立は、労働力の移動の自由・・国内に低賃金異民族・外国人労働力を抱え込む長年の西欧先進国の政策の帰結点でもあったことになります。
人の移動が自由化されれば、国境は不要ですし、ひいては国境ごとに別の政策をする理由もありません。
域内国の権限は、日本の地方自治程度の権限・独自性で足りることになります。
EUは将来的にはこの制度実現を目指しているのでしょうが、その過程での妥協・・と言うのは論理が一貫しないことと同義ですから矛盾が有るのは当然です。
この矛盾を顕在化させないためには、域内貿易黒字国は(日本の地方交付金のような)何らかの資金還流政策をすべきだったことになります。
今回の危機で欧州の黒字国が、何割かの債権放棄しなければならなくなったのは、前払いしておくべき還流資金を今になって払わせられた・帳尻を合わせられたに過ぎないと言えます。

都市集中と地方出身者

いわゆるグローバリゼーションが明確になって来た平成(中国の改革開放とソ連の崩壊)以降首都圏や大阪圏、福岡、名古屋圈等の大都会周辺を除いては、今では大都市への脱出が農村の子弟だけではなくなり、地方中核都市・・県庁所在地でさえ人口減が始まりつつあります。
この結果大都市住民親世代の資力・遺産と人口減に向かい始めた地方(都市を含めて)住民の資力・遺産とでは、期待価値観に大きな格差が生じています。
都市住民二世三世(とりわけ非正規雇用等の弱者)では、高度成長期に蓄財をした親世代が生きているうちの資産効果・親からの援助(同居継続も援助の一種です)と死亡後の遺産価値の重要性が増して来ていますので、september 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書いたように江戸時代までの3世代共同生活の必要性が高まり、ひいては家族共同体意識の復活・・親孝行意識が再来しそうな雰囲気となって来ました。
これに対して低成長期に入ったことによる現在の都市住民の意識変化(親からの援助と死亡後の遺産期待価値上昇)は東京大阪その他大都会経済圏特有のもので、地方では県庁所在地の都市を含めて職場の減少→人口減少が続いているので、地方在住の親の資産価値は今でも下がる一方ですから、大都会とその他に二極分化しつつある時代です。
職業の大半がサービスその他都会的職業になって行く以上は、首都圏や大阪等の大都会に人口が集中して行くしかありませんし、公的負担面でも効率的です。
バカの一つ覚えのように(これといった根拠なく)東京1極集中是正が言われますが、集中することは生活が便利になるばかりですから、都市集中がア・プリオリに弊害があるかのようなマスコミの論調は、長かった農業社会への(合理的根拠ない)郷愁を前提にしているとしか考えられません。
大都会もだだっ広く広がるのではなく60〜100階建を原則に集中立地し、その他は緑したたる田園地帯にして行くようになるべきでしょう。
工場等生産設備・大学等は田園の中に所々にシャトウのように綺麗に立地して、中心部から通う仕組み・・今のように郊外から中心部に通うのではなく中心部から郊外へ放射状に通う仕組みにするのが私の描く社会・・都市計画像です。
地方出身者と大都会2〜3世との経済格差と非正規雇用の問題については次回・新春以降に書いて行きます。
明日から年末年始コラムになりますので、今年のレギュラーコラムはこれでおしまいですが、都市計画の点は別の機会に譲り、年末年始特別コラムに続いて出身地域格差と都市住民内の格差に関して引き続き書いて行く予定です。

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