中国の国際協調能力1(虚偽教育による道徳低下1)

中韓の反日運動・反日教育に対して日本では一々相手にするのも大人げないと思ってこれと言った反撃をしないので来たので、中韓政府は良い気になってエスカレートし放題になっていたのですが、中韓の目に余る反日行動のエスカレートに今や日本も我慢の限界「・・いい加減にしろ!」となって来ました。
日本が韓国大統領による天皇に対する発言に突如怒り出したので、中韓政府はどうして良いか分らないほど困っているのが現状でしょう。
いずれも自分の失敗を隠すためにヒト(日本)に責任に転化し続けて来た両国の自業自得と言うべきではないでしょうか。
中韓政府がマトモな政治を出来ない・・自己の失政を隠蔽するために、長年偏狭な反日教育に精出して来た咎めがそろそろ出て来るころです。
自分の不都合を何でも日本の所為にする悪習慣・・歴史事実も歪めて国民教育し世界中に大量宣伝さえすれば勝ち・・嘘で塗り固めても繰り返せば勝ちみたいな教育を続けて来た結果、元々低かった国民同義レベルをもっと悪くしてしまった感じです。
ここ数年の中国の動きを見ると、こうした不正な教育の成果が現れて来て大した能力もないのに自信過剰に陥っていてしかも傲慢・礼儀知らずな行動が目立つようになってきました。
レアアース輸出規制は、仮に臨時に成功していたとしても世界の貿易ルールに真っ向から反するものでしたから、世界中から反発を受けただけで結果的に大損な強行策でした。
増して自信満々実行してみたところ日本が見事にレアアース代替品開発に次々と対応してしまったのでこれが見事に失敗してしまい、今や売上が25%に減ってしまいしかも禁輸して値段を吊り上げるつもりが逆に暴落気味になっています。
世界貿易ルールに反ししてひんしゅくを買った結果がこれでは、目も当てられないみっともない状態に陥っています。
政治・軍事的には反日暴動による信頼低下(チャイナリスクを世界に自ら喧伝した)・軍拡をバックにした周辺国威嚇・・少し強くなると何をするか分らない危険性・・全ての分野で中国が世界中の信頼を失い始める契機になっていますが、中国人民は情報統制の結果何もかもが失敗に終わっている状態をまるで知らされずに、自国の権威を世界に知らしめたと誤解して悦に入っているようです。
最低レベル品を漸く作れるようになったと謙虚に喜んで、更なるレベルアップを目指す努力をすればまだ見込みがあるのですが、その前に増長してしまう傾向から見れば、中国の将来の発展限度は先が知れてしまいました。
最低レベルの低賃金工場が一杯出来たことによって、急激に輸出大国になりましたが、輸出品と言っても大部分は自国製品ではなく日本から製品輸入して加工しているだけのことであって自前で殆ど何も作れません。
例えば日本から98の部品を輸入してこれを組み立てて・あるいは最後の箱詰めだけして100円にして輸出すれば、中国の輸出額は100であり、日本の輸出額は98ですから、中国の方が貿易大国のように見えますが、内実は2しか作っていないことになります。
この程度の数字のマジックで自己肥大して世界一になったつもりで世界中に威張り出しています。
この結果人件費が上昇すれば、何でレベルの低い・リスクの大きい中国で工場を維持する必要があるかと世界中が考え始めているのに全く気がつかないで威張っています。
今後続々と中国国内の汎用品工場が縮小に転じて東南アジア新興国に移転して行く動きが始まりつつありますが、水面下で動き始めているこのリスクすら気がつかないでレアアースの禁輸や反日暴動や尖閣諸島領有主張にうつつを抜かして・・自分で中国リスクを強調宣伝しているのですからおめでたい限りです。
人生経験で多いことですが、大成功と思っていたことが後で裏目に出ることが多いものですが、冷静に考えれば思慮が足りない結果こういうことになるのですが、凡人はこういうことになり勝ちです。
(いつも依頼者に説明することですが、大ピンチは別の視点で見れば大チャンスであることが多いのも同じ発想です)
高度成長期の規模拡大の成功体験がバブル崩壊誤裏目に出ていたことがあるように、何事も別の見方が必要ですし、国家の場合も勝ち誇って行動するとロクな結果ならない事例の1つと言えます。

国際合意の必要性1(プラザ合意)

市場原理による修正が利かないとなれば、プラザ合意のような国際合意による為替切り上げを求めるしかありません。
プラザ合意とは、言わば檀那衆の集まりで商店会ルールや世界規模の商業ルールを取り決めるようなものです。
国際社会ではひんしゅくを買う程度では、通貨のようにその国の経済・国益に直結する分野でおつきあい感覚で協調を期待するのは無理があります。
合意のテーブルにつかせるための下準備として自由貿易の例外措置として、スーパー301条のような強制装置(不公正貿易国の認定)を持ち出すなど一種の貿易制限をするしかなくなってきます。
日本は301条適用の脅しその他によって急激な円高を容認し、更には現地生産を強制されるようになった・・プラザ合意の結果アメリカ国内工場進出と東南アジア等での生産の広がり・・所謂雁行的発展の始まり・・国際グローバル化が始まったことを以前から書いてきました。
こうした合意形成努力が成功したのは、日本の場合アメリカと緊密な同盟国でもあったし、アメリカに逆らえない立場でもありましたから効き目がありましたが、中国にはこの事実上の強制が効きません。
アメリカも中国から露骨にサイバー戦争を仕掛けられている現在・・軍事的正面の敵になる可能性の高い中国企業・・国防の中枢に関係するIT産業関連等のアメリカ進出による解決を望んでいませんので、アメリカ国内工場進出による解決の方法が中国に関してはありません。
日本のように新興国を迂回して輸出する道もアメリカに取って国防上のリスクという点では同じですから、これもアメリカは許容出来ないでしょう。
為替水準に関して話し合い調整の方法がないときにはどうするか?
為替で調整する現在の貿易ルールを守らない国に対する本格的仕返しとしては、アメリカによる不公正貿易国認定・・課徴金を課すか貿易商人仲間・檀那衆の仲間に入れないような制裁措置しかないのかも知れません。
アメリカ一国が超大国の時代には、アメリカが制裁するとと決めればどこの国も参ってしまったのですが、中国が一定の経済力を持って来たので、この脅迫・仲間はずれ措置に反応するかどうかです。
中国は日本のGDPを追い越したという発表以来(実態は何割か水増しで、まだまだ日本を追い越していないのが真実でしょう・・政府幹部はある程度真実を知っているのですが、毎年水増し虚偽統計を発表して来た手前、今までの発表が嘘でしたとは言えないのと減速しているとは言えないので)嘘の上塗り・勢いで2年ほど前に日本を追い越してしまったと言うしかなかったのでしょう。
この(虚偽)発表に真実を知らずに自信を持ってしまった中国人民の行け行けムード圧力に政府は抗し切れなくなって、アメリカに対してサイバー攻撃してみたり、尖閣諸島だけではなく、周辺国への軍事威嚇を繰り返すようになったのですが、実態的経済力が日本に遠く及ばないのに馬鹿げたことです。
普段からマトモな政治をしていないことを隠蔽するために偏狭なナショナリズムを煽って子どものときから人民教育して来たので、政権はこの効果に縛られて自縄自縛に陥ってしまっているのが現状です。
韓国歴代政権も同じで、何か国内政治で不都合があるたびに反日運動を煽って来た結果、次の政権は前政権よりもその都度反日運動をランクアップするしかなくてトキの経過と共にエスカレートする一方で現在に至ってしまいました。

最低賃金4と外国人労働者1

我が国の人件費の決め方は、労働の対価性が低く生活給的要素が強かったのですが、グローバルな経済競争時代に突入した以上は、純粋な労働対価と民族国家としての助け合い・生活保障部分を峻別して行くべきです。
我が国で賃金を決める基準として労働対価より生活水準維持を強調するようになったのは、意外に歴史が浅いのです。
10月7日、日経朝刊第19面に紹介されている「日本労働関係史」(アンドル・ゴードン氏著)によれば、戦時中(私の想像では満州事変ころからではないでしょうか)に一般国民からの兵士徴用の結果、銃後の生活保障が重視されて生活給が強調されるようになったとあります。
(ちなみにゴードン氏の著作には関係ないですが、企業の厚生年金制度も戦時中に銃後の生活を安定させるために昭和17年に始まったものです)
戦後経済は廃墟からの始まりですから、国家全体が貧しかったのでその思想・習慣がそのまま定着していて、私の若いころの労働運動のキャッチフレーズの中心は「これでは結婚も出来ない」(子供産めない)などという生活保障の主張が中心でした。
本来労働能力に対する対価は(適正な労働分配率によって)対価としてきちんと支払い、それでも「生活出来ない・子供を生むと育てられない」という部分は本来国家が補償すべきものでしたが、戦争経済で国家財政が疲弊していたので民間・企業にその負担を求めるようになったのが始まりです。
その伝統の無批判踏襲で今日に至っているのですが、戦後70年近くも経過したのでこの辺で労働の対価と社会保障を峻別すべきです。
世界第2位の経済大国になっても貧困時代のママ社会保障部分を企業負担にして来たのですが、(障害者の一定率雇用や厚生年金の企業側半額負担もその1例です)世界中で似たような制度があるから(どこの国でも財政赤字は困るのでこのやり方を踏襲しています)と言って、正しいとは限りません。
人材の交流が盛んとなり、外国人底辺労働者が増えて来ると過去何十年にわたる蓄積の取り崩し・利用による社会保障・生活保障部分までを参入して来たばかりの外国人労働者にも保障するのは行き過ぎです。
今後は、正当な労働対価と社会保障部分を峻別して行かないと外国人排斥運動が激しくなりかねません。
外国人排斥運動が起きるようになったのは、インフラ整備や社会保障政策が行き渡って来るとただ乗りに対する不満が出て来るからです。
我が国では昔から稲作=ムラ社会・・灌漑設備等のインフラが充実していたので他所ものに対して冷たかったのは、インフラ瀬尾の進む近代社会の千年単位の先取りだったと言えます。
他所ものを・・簡単にムラの寄り合い仲間に入れなかったのは、社会資本・農道の整備・灌漑設備の新設や維持負担等々を千年単位で先祖代々営々と築いて来た蓄積があったからです。
社会保障政策は個々人の能力不足分を同胞としての一体感もあって民族国家成立後(我が国の場合その前から村落共同体)社会=国家全体で助け合う・その資金は結局は民族が蓄積して来た結果によるものですから、(高齢者の貯蓄取り崩し・年金生活を考えれば分りますが、)過去の蓄積に関与していない外来者が来たばかりで、ある国・領域・場所にいるだけで同じように恩恵を受けるのは狡いと思う人が出て来るのは仕方のないことです。
排外的右翼の主張に大して狭量だと批判していても始まらないので、そう言う批判が起きないように労働の対価と過去の蓄積を利用した同胞間の助け合いである社会保障部分を峻別して行くべきだという考えを書いています。
私は外国人をヤミクモに差別しろという主張ではなく、受けるべきでないメリットは与えるべきではない・・与え過ぎるとそれに対する反感が嵩じて本来受けるべき権利まで迫害する方向に行き過ぎてしまう懸念を書いています。
外国人のただ乗りを放置しているとナチスによるユダヤ人迫害だけではなく、昨年夏だったかノルウエーで青年による銃乱射事件がありましたが、どこでも起き得る危険・・命まで奪う・・根こそぎの反感に行き過ぎてしまう危険があります。
外国人居住者の問題は、労賃に関しては労働の対価部分と生活保障給部分を峻別して外国人には労働対価だけ支払えば良いとすれば解決します。
ただし、これでも生活保障的公共料金・医療費などは実費以下の供給を受けるなど生活保障的給付を外国人が知らず知らずのうちに享受するただ乗りの問題があります。
この分の差額徴収をどうするかも決めないと、税で整備した公衆便所・医療機関等を外国人が何らの負担もしないで使えるのはおかしいとなります。
千葉県弁護士会では会館建設資金・あるいは維持管理費?負担金について、数十年以上負担して来た会員には免除する規則が何年か前に成立しています。
過去の会員が長年積み立てた資金で漸く出来上がった会館を新入会員が無償で使い、維持管理費も長年積み立てて来た会員と平等分担が続いていたのですが、それでは長年積み立てて来て会館建設後数年〜5年程度で隠退する予定の会員と比較して却って不公平になるからです。
同じように外国人労働者には純粋な労働対価しか支払わないだけではなく、出来上がった膨大なインフラを無償で利用するばかりでは不公平です。
建設国債と言う概念をご存知の方が多いと思いますが、各種インフラ整備は借金で賄っていてそれを次世代が負担する仕組みです。
国民はその借金支払を分担しているのに外国人(旅行者等)はその分担をしないままインフラを無償利用しているのは不公平です。
外国人にはインフラ使用料あるいは維持費税を国民一般が負担する所得税や住民税にプラスして徴収したり、保険証のようにカード提示者だけが会員価格としてそれ以外は電車その他のすべての分野で正規料金を払う仕組みにすれば右翼の不満がかなり減るでしょう。
会員制システム・会員割引を国のいろんなシステムに導入するのは、電子機器の発達した現在、それほど困難ではありません。
いろんな弊害もあり得るので今のところ私は必ずしも推奨している訳ではありませんが、例えばの話・・国民総番号制にすれば・全部共通番号になるので、1枚のカードで足りて簡単です。

最低賃金3と国際人権1

海外・新興国の労働者と同じレベルの仕事しか出来ない人の賃金は、同じレベルの賃金しか貰えないのが人道的にも正義です。
企業が能力に応じた賃金しか払わないのは搾取でも何でもありません・・むしろ日本人というだけ・・生まれによる差別で新興国労働者と同じ仕事をしているのに現在中国人の約10倍も賃金を要求し、これを保障している方が不正義です。
自分の働きよりも多く賃金を貰う人にとっては、彼らが得するだけで人権侵害ではないようですが、政府高官の子息だけが何倍もの給与をもらう仕組みがあるとすれば分るように、生まれによる特別待遇を受ける事自体が許されない差別です。
新興国の労働者と同じ仕事しているのに日本人というだけで約10倍あるいは何倍もの高賃金を支払え・維持しろと主張して最低賃金の引き上げを主張している勢力に、国際的人権派がもしも重なっているとした場合矛盾した主張になります。
外国人の人権問題では、日本にいる限り日本人と同額の給与や待遇を受ける権利があるというのは至極尤もなことですが、論者は彼らが日本にいる限り・・目に触れる限度においての人権を論じていることになります。
不法滞在等で収容所に隔離されている彼らの状況・・あるいはひっそりと住む外国人の子供の置かれた状況は一般には知られていないのですから、海外の人権と本質的には同じです。
これを発掘して来て我々一般弁護士に映像等で紹介したのが先日紹介した「外国人の人権」をテーマにしたシンポジュームでした。
海外の人権問題もどこまで発掘して来て問題にするか、目をつぶるかの基準は、彼らのご都合によって気の向いた部分だけ取り上げて、例えば中国の人権は大変だと主張していることになります。
最低賃金の補償要求の根底には、海外との何倍もの格差は当然許されるという視点で議論していることからすれば、その主張者と国際的人権活動の支持者とがほぼ重なっているように見えるところにどこか違和感を覚えます。
・・実証的研究数字を見ていませんが、印象的には支持層がかなり重なる印象ですし、重なるからこそ国内一般弁護士がこうした主張に対する支持層予備軍として、頻りにこうした情報が提供されているのだと思います・・。
「外国人の人権」という熟語から見れば、そこでは確かに国内に所在する「外国人」だけが対象で海外の人権は問題にしないのは当然ですが、古代ギリシャの民主主義と言っても市民権のある選ばれた階層だけのことでしたし、ローマ市民権も同じでした。
現在の国内人権派の人たちは、古代ギリシャの民主主義と同じような格差是認論者なのでしょうか?
同じ国民である限り差別しないという点では、古代ギリシャやローマに比べて平等保障の範囲が広がっていますが、古代には、同一種族・民族意識の範囲が狭かっただけであって、その当時でも同一出身者は同士では対等の市民権があったと思われます。
ギリシャ・ローマ時代に市民権のなかった奴隷階級は被征服民・・今で言えば外国人労働者みたいな関係だったでしょう。
今はその範囲が(今では多民族混在ですが)民族国家というもっと広い概念に広がっただけのことではないでしょうか?
一定の場所的範囲に居住している限り、生まれや人種にかかわらず同じ人権を保障するように変わっただけです。
垣根の基準が現在の民族国家の領域に広げたのでギリシャ・ローマ時代よりもより広いことは確かですが、古代国家に比べて人種や生い立ちに変えて保障の基準を居住している場所的境界に変えたというだけで何らかの差別をしようとしている点では本質は変わらない気がします。
かと言って、他所の国の人たちがタマタマきている場合にまで、同じ基準で生活保障するのはまだ誰も承服しない時代ですから、その差別は昨日書いたように社会保障分野・これに関する参政権分野で残した上で、その他の純粋な人権基準としては世界人類共通にすべきだと思います。
商品交換場面で言えば、何人であろうと500円のものは500円で売るし、(香港や中国では日本人と見れば数倍の値段を吹っかけて来るようですが・・)500円のものは何人であろうと500円で買えるようにすべき・・労働能力も一種の商品としてみれば、一定の能力に応じて何人であろうとも同じ待遇を受けるべきです。
日本や先進国では、労働対価と社会保障分が混在しているから右翼から外国人排斥の不満が出るし、外国人労働者が自分の提供する労働以上の対価を受けるメリットがあって、ドンドン出稼ぎに来る圧力になります。
労働対価と社会保障分の峻別をして社会保障部分は国民だけしか受けられないとすれば、自国で働くのとと同じ賃金しか繰れないのでは、出稼ぎに来るメリットが縮小するし右翼の不満が起きません。

国際平準化後のランキング1

グローバル化進行による落ち着きどころに関してJune 24, 2012「貿易収支赤字転落(原発事故)1」で書き始めていましたが、国際収支改善努力の意欲能力が石油危機時とは違って来ていること・・個々人の努力にかかる時代に移行していることを書いている内に民主主義制度の行く末に話題がそれてしまいました。
話題を国際平準化による落ち着きどころに戻します。
国民がどの政党に頼るにしても、頼らないにしても国際競争下で生き残りを図るには、政党の責任・・企業の責任にして安住せずに、国民個々人が高賃金に見合う能力を一人一人が自分で磨いて行くしかありません。
国民個々人でみれば、構造転換・・高度化について行ける人と行けない人がいるのはどのような教育・職業訓練制度を用意しても(個体による能力差があるので)どの社会・民族でも同じです。
国がジリ貧になるかどうかは、国際収支黒字を維持して行くための構造転換について行ける人材がどのくらいの比率で存在するかに掛かるでしょう。
大量生産向け・・底辺労働者向け産業から順に新興国に追い上げを受けるので、その階層のレベルアップが政治的に要請されます。
実際には彼らのレベルアップは無理がある・・少しくらい職業訓練をし直しても・・比喩的に言えば30点までが能力の限界の生徒に対して「もう少し頑張れ」と尻を叩いても大したことにはなりません。
何とか訓練して35点レベルに引き上げた頃には新興国もそのレベルの分野で競争力を持って迫ってきますから、お金がかかるばかりで何にもなりません。
とは言え、この階層の人口がどこの国でも最大ですので政府としてはこの階層の多くを失業させたまま「あなたは駄目よと・・・」放置しておけないので「政治的に」職業訓練努力を要請されているに過ぎません。
私は自分が不器用なので分るのですが、「お前程度の仕事だと韓国や中国の職人に負ける・高い給与は払えない」と言われて失業した場合、職業訓練校に通い直しても殆ど結果は変わらない・・それ以上に器用にはならないことは自分で分っています。
知能・美的センス・運動能力その他どの分野でも生まれつきの素質が重要で、同じことが言えます。
以前に「努力さえすれば何とかなる」ような教育論・・人みな平等的意識による教育論は政治的アッピールとしては必要かも知れませんが教育論としては誤りであるという意見を何回か書いたことがあります。
(しかし政治の世界では本当のことを言えません・・嘘を言っても良いということ自体おかしな風潮です・・政治は建前だけ言ってれば良いと言う風潮ですが・・本当のことを前提に議論しないと本当に国を良くすることは出来ません。)
能力別人口構成はどの分野でもピラミッド型・・即ち下に行くほど多くの人口を抱えています。
身障者まで加えれば別ですが、健常人だけの階層で見れば、ビヤ樽型人口構成はあり得ないと言っても良い公理のようなものでしょう。
とすれば下位レベル層から順に新興国の挑戦を受けて失業して行くと、人口構成上では大変な比率になって行きます。
これが健康な若年層の生活保護受給者増の流れになっているのです。
現在行っている職業訓練によって少し能力が引き上がるときには、新興国の技術水準がそれ以上に上昇して追い越される・・いたちごっこでキリがないので、競争力維持のためには、彼らの賃金を新興国並みの能力しかないならば能力に会わせて下げてしまい、生活水準維持のためには補助金(生活費補填)を交付するしかありません。
現在はこの差額を企業負担にして、労働者の生産性以上の給与負担を企業に強制しているのが最低賃金の引き揚げや非正規雇用の正規雇用化(これはこれで技術の伝承などの意義がありますが、ここでは賃金の面だけで書いています)などであり、このための政治介入が盛んです。
政治介入が盛んであると言うことは、経済の原理=労働の対価に見合っていない給付を強制していることに外なりません。
経済原理に反する行為・・水が低いところに流れるのを阻止するような政治は、短期的には可能でも長期的にはその水が溜まって決壊すると大変なことになるのと同様に却って傷・・社会的損失を大きくします。

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