集団自衛権に対する国民意識(設問によって回答が変わる)

集団自衛権に対する国民意識(設問によって回答が変わる)

ところで、17日に見た通り朝日新聞調査回答者中自衛隊合憲論者だけで見れば、集団自衛権は違憲という意見が19人中8人で過半数に足りないのですが、朝日新聞はもともとの違憲論(違憲運動している者の回答率が高くなるのは当然です)を合わせて7割が集団自衛権を違憲と言っていると発表していたことが17日の紹介記事でわかりました。
このカラクリを知られたくないから?朝日新聞は基礎になる自衛隊合憲違憲のデータを第三者に指摘されるまで公開しなかった疑いが持たれます。
アンケートの一般的方式/ルールで言えば、「前問で『自衛隊合憲』と答えた人のみ次の問い(こういう場合にも合憲ですか、違憲ですか?という問い)に答えてください」とするのが普通の方式です。
朝日の調査では、前問で「自衛隊違憲」と答えた人にも、次の問い(集団自衛権の合憲違憲)に答えさせていることになります。
前問で違憲回答した人に、次問で集団自衛権の合憲違憲を聞けば違憲の回答になるのが論理的帰結です。
虚偽報道ではないとしても国民を誤解させかねない調査報道の仕方ではないでしょうか?
正確には自衛隊合憲論者の半分近くが違憲と言っているという発表であるべきですし、自衛隊を合憲と考えている8割の国民は自衛隊合憲論者がどう考えているかを知りたがっているのです。
元々の自衛隊違憲論者が集団自衛権になおさら反対しているのは当然すぎますから、彼らが(違憲論者が)違憲と考えているか知りたい国民は滅多にいません。
学者相手ではない集団自衛権賛否の一般的調査では以下の通りです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39362によれば以下の通りです。

2014、5、26 髙橋 洋一
5月19日の産経新聞「7割が集団的自衛権を容認」、12日の読売新聞「集団的自衛権、行使容認71%」、19日の毎日新聞「集団的自衛権 憲法解釈変更…反対56%」、4月22日の朝日新聞「今国会で憲法解釈変更『不要』68%」
集団的自衛権行使に積極な二紙では賛成が多く、消極的な二紙では逆に反対が多いという、絵に描いたような世論調査結果だ。
もっとも、その理由は明快だ。
世論調査の際、集団的自衛権の定義の違いと答えに「最小必要限度」を入れるか、どうかである。
まず、集団的自衛権の定義では、産経・読売では「密接な関係」「反撃」となっているが、毎日・朝日では「同盟」「戦う」と表現が違っている。
ただし、「日本への攻撃とみなして」は共通だ。答えに「最小必要限度」を入れるかについては、産経・読売は、「最小必要限度」の限定的な行使を含めているが、毎日・朝日は含めず二者択一だ。
必要最小限度」を入れるか否かで結果は変わる
集団的自衛権については、そもそも論から考えたほうがいい。4月28日付(→こちら)と先週の本コラム(→こちら)において、国際法では、国家間の個別的・集団的自衛権は国内の個人間の正当防衛と同じで、英語では自衛も正当防衛もともに self defenseということを紹介した。
日本の刑法36条をみれば、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」(第1項)と、他人を守ることも含まれており、これは世界共通だ。この「他人」を「他国」と置き換えれば集団的自衛権である。もちろん、個別的・集団的を問わず自衛でも、正当防衛で過剰防衛になっていけなのと同じように、いろいろな制約がある。この意味で、集団的自衛権(もちろん個別的自衛権も)は、「必要最小限度」で限定的なものだ。
こうした国際法の観点から見ると、産経・読売のほうがまともにみえる。毎日・朝日の集団的自衛権は、戦争そのものととらえているのではないか。正当防衛を認めず、人に反撃を加えるだけで、傷害罪・殺人罪を適用するといっているのに等しい。」

上記によると、一般国民は、集団自衛権であっても質問方法によっては7割も必要としているというのです。
もしも自衛隊そのものの合憲・違憲の世論調査をすれば、合憲意見がその上を行くことは明らかです。
このように調査設問するには、具体的条件設定の重要性がわかります。
自衛隊違憲合憲の意識調査では、周辺状態の危険性は常識ですからメデイアが設問方法でごまかせないから、実態に合わせた常識的意見になっているのではないでしょうか?
朝日新聞や憲法学者は(無制限に戦争参加できるかのような質問形式)前提なしの違憲論を宣伝しているように見えます。
ところで、国民の8割が自衛隊合憲と一般化されていますが、ネット検索する限り(検索能力が低いから)メデイアの世論調査結果がなかなか出てきません。
内閣府による自衛隊に関する意識調査の変遷です。
https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-bouei/gairyaku.pdf

(2) 日本の安全を守るための方法
問13 では,あなたは日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思いますか。
この中から1つだけお答えください。
現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る
平成24 年1月     平成27 年1月
82.3%   →   84.6%
日米安全保障条約をやめて,自衛隊だけで日本の安全を守る
7.8 →      6.6%
日米安全保障条約をやめて,自衛隊も縮小または廃止する
2.2% →      2.6%

ようやく内閣府の調査が出てきましたが、(ちょっと古いですが)これによれば上記の通り国民の97%以上が自衛隊存在を前提に回答していることからも自衛隊違憲論は少数であることが推測されます。
一般的に国民の自衛隊支持率は8割以上と言われていますが、どこにデータがあるか世論調査がネットには簡単に出てきません。
政党では共産党しか違憲主張がないのに国民の2割も違憲論があると言う一般化自体おかしいように思っていましたが、上記調査では自衛隊縮小論が2、6%となっており、この中には自衛隊違憲論者多数と見るべきでしょうが、国民の2割もいません。
以下に紹介する共産等プラス社民党支持率とほぼ一致しています。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_politics-support-politicalparty

政党支持率、自民は28.1%=時事世論調査※記事などの内容は2018年1月19日掲載時のものです

憲法改正4(国民投票の非現実性)

ところで各種分野の改革で言えば、全部が全部どころかすべての分野で国民過半の賛成で行なっているものではありません。
いろんな分野で新たなことに挑戦する場合、
例えば石原都知事の都内だけの排ガス規制あるいは、京大の山中教授の再生細胞の研究など一々国民や都民過半の同意がいるとしたら何事も出来ない相談になります。
元々何事でも過半数の国民支持で政治を行うというのは、民主主義者のフィクションです。
正確には複数選択制(実行して良い政策を2〜30個あげて下さい」という程度)の相対多数ということでしょうか?
もっと正確に言えば、信頼できる人を選んでその人に将来像の決定を委ねる「代議制民主主義」であって、選ばれた人は自己責任でまず実行し、代議士 →政党や企業トップは結果責任を取る仕組みです。
民主主義とは「結果責任」を問う仕組みというべきでしょう。
直接決定権など言い出したら、ほとんど何事も決められません。
これから必要な方向性を敏感に察知したリーダーが真っ先に方向を決めて研究開発等の先行投資などを推進していくことで企業や政治が成り立っているのです。
ユニクロがフリーズで急拡大したのは、誰も気付かないことを企画したら大成功したのです。
社会の大方が認めるトレンドの後追いするだけの企業は失敗がなくて手難いようですが、2番煎じばかりでは出遅れるばかりで長期的にはジリ貧ですし、その程度のことをするだけならばトップ不要です。
学問もみんながこの研究が必要認めていない・トレンドでもないことに着眼して、それが何十年後に花開くのが研究の醍醐味でしょう。
政治もみんながこれが良いと定評の決まったことをするばかりでは国家が持ちません・・。
それは指示待ち人間のすることであり、国政を委ねられる代議士等の役割ではありません。
将来の目を持つ人が6割も7割もいるとしたら、(メデイアのいう通りの受け売りする人が大方ですが)それは将来の目ではなく過去の目でしょう。
多くの人(顧客自身が)がまだ気付かないうちに、市場の潜在的ニーズにいち早く気づいて商品を企画生産して供給すると飛ぶように売れる・・政治の場でも先読み能力のある人が社会のリーダー・代議士になれるのです。
政治リーダーであれ、日銀の金融政策、企業トップであれ、(みんなの意見を聞いてからでなく)まず率先して方向性を示すことであって、その結果責任を負う者のことです。
憲法は、衣服の流行や金融政策等と違い超長期に国家の方向性を決めるものであって、そんな長期スパーンで将来の方向性を見通せる人はなおさら少なくなります。
これを国民投票・多数意見・.多くはその時のメデイアの煽るトレンド・・で決めるのは、無理が出ます。
世界の憲法思考の基礎になっているイギリスの2度の革命やフランスの大革命で、国民意思をどうやって確認したでしょうか?
日本も明治憲法や日本国憲法の制定は、社会のあり方の大変革でしたが、(選挙こそしていませんが・・)国民代表たる多くの識者の意見を吸収して成案に至っているのです。
アメリカ連邦憲法は平時に制定されたにも関わらず、国民投票を実施していません。
そもそも国民投票によって憲法を制定した国があるのでしょうか?
明治憲法制定過程と自由民権運動を12月29日に紹介しましたが、自由民権運動は明治憲法成立と同時に消滅してしまいました。
もともと征韓論自体、国内の失業対策・新時代に適応できない不平士族対策を基礎にするものですが、本来は殖産興業・職業教育で対応すべきところ、維新功労者の中で旧弊な人材が、対症療法・対外冒険主義に活路を見出そうとする安易な政策にこだわったものでした。
これに対して、当時の国際情勢を土台に「安易な対外武力行使より内政充実が先である」として反対する洋行帰りの重鎮を中心とする勢力に負けて下野したものです。
「自由民権運動」という名称だけ立派ですが、内容は、士族の特権保護・既得権擁護救済団体でした。
戦後革新系諸団体文化人も自由民権運動の系譜を引くわけではないものの、名称は革新政党ですが、内容は真逆で社会の変化についていけない人・弱者救済・格差反対を主要テーマ・支持母体とするものです。
だから何か新しいことをするのに対して、まずは批判的スタンス・・結果的に何でも反対になるのです。
戦後教育では明治政府を貶すことがトレンドでしたから、西南の役その他を美化するメデイアの大宣伝や教育下で我々世代が育ちましたが、今になって内容を見ると国内政治的には近代化についていけない人のはけ口として、対外武力行使を安易に主張していた勢力をメデイアがしきりに応援宣伝してきたことになります。
不平士族をバックにした反政府運動(いわば時代に取り残され組みの反動勢力)が西南戦争の終了で完全に時代が変わったことを満天下に知らしめる結果になりました。
(士族中心の西郷軍に対して農民兵を中心とする官軍の勝利が象徴するように士族の依って立つ基礎能力を正面から叩き潰した戦争でした・・関ヶ原の合戦のようでした)
西南の役が源平合戦以来の武士を中心とする社会構造がガラッと変わっていることが、白日のもとに晒された事件でした。
不平士族を足場にする反政府の自由民権運動はこれによって事実上消滅状態でしたが、これによって明治維新体制が固まるにつれて政府内で憲法制定準備が始まると当然政府内で時期方法・条文等に関する意見相違が出てきます。
明治14年に早期制定論の大隈重信が 意見相違で下野したことに勢いを得て、自由民権運動が「早期制定運動」に活路を見出して息を吹き返しましたが、(昨日紹介したように独自意見らしきものがなく「早期制定」というだけの運動でした)憲法が成立すると目標を失って消滅してしまいました。
長期の国家方針を決めるには、諸外国の実情調査・・諸外国の歴史と日本の歴史の違いを比較し、幅広く国内識者意見の吸収などに一定の期間が必須であったことは歴史が証明しているところです。
「外国には憲法があるらしい」程度の情報で早期制定運動をする浅薄な議論を国民も受け入れなかったのでしょう。
ところで、憲法改正論で気になるは憲法とは何か?
当たり前のことですが「憲法」という名称があっても内容が国家の基本に関係ないものは憲法ではないし憲法という名称がなくとも内容的に国家の基本をなすルールは憲法であるというのが一般的考え方です。
いわゆる形式的意味の憲法と実質的意味の憲法の分類です。
例えば、https://ameblo.jp/tribunusplebis/entry-10977674757.htmlによると以下の通りです。
(1) 形式的意味の憲法
 これは、憲法という名称をもつ特定の成文法典(=憲法典)として定義される。実際には、その法典の表題が憲法であり、内容が国家の根本法であり、形式的効力が国法秩序におてい頂点にあるなどの点から、憲法と位置づけられる法典であることをも含意する。
日本国憲法、アメリカ合衆国憲法、かつての大日本帝国憲法などは形式的意味の憲法である。
* ドイツ連邦共和国基本法は、表題こそ憲法ではないが、形式的意味の憲法として扱われている。聖徳太子の十七条憲法はその内容は道徳的規範であり、形式的意味の憲法には含まれない。

憲法改正3(特別多数と国民投票が必要か?1)

明治憲法は在野の憲法制定運動が奏功したかのように、自由民権運動が大きく教育されてきましたが、政府が憲法の必要性に目覚めて率先して取り組むようになったので、それに触発されて便乗意見が起きた面も否定できないでしょう。
もともと自由民権運動は、征韓論に破れて下野した板垣らによって始まったものであって、西南戦争まで連続する不平氏族の反乱を煽っていた不平勢力に過ぎません。
西南戦争でケリがついて、不平を言っても仕方がない社会になって沈静化していたのですが、昨日書いた通りいろんな法制度ができてくると、法と法の関係や上位規範の必要が出てきたところで、政府がこれに取り組むようになって内部で色んな意見が出ると早速これに飛びついた印象を受けます。
(私個人の偏った印象ですが?)
政府が先に憲法秩序の必要性を検討していて、政府内の大隈重信は早期制定論でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95によると自由民権運動は以下の通りです。

1873年(明治6年)、板垣退助は征韓論を主張するが、欧米視察から帰国した岩倉具視らの国際関係を配慮した慎重論に敗れ、新政府は分裂し、板垣は西郷隆盛・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らとともに下野した。(明治六年政変)
経緯 自由民権運動は三つの段階に分けることができる。第一段階は、1874年(明治7年)の民選議員の建白書提出から1877年(明治10年)の西南戦争ごろまで。第二段階は、西南戦争以後、1884・1885年(明治17・8年)ごろまでが、この運動の最盛期である。 第三段階は、条約改正問題を契機として、この条約改正に対する反対運動として、民党が起こしたいわゆる大同団結運動を中心と明治20年前後の運動である
[1私擬憲法
国会期成同盟では国約憲法論を掲げ、その前提として自ら憲法を作ろうと翌1881年(明治14年)までに私案を持ち寄ることを決議した。憲法を考えるグループも生まれ、1881年(明治14年)に交詢社は『私擬憲法案』を編纂・発行し、植木枝盛は私擬憲法『東洋大日本国国憲按』を起草した。1968年(昭和43年)に東京五日市町(現・あきる野市)の農家の土蔵から発見されて有名になった『五日市憲法』は地方における民権運動の高まりと思想的な深化を示している。
「参議・大隈重信は、政府内で国会の早期開設を唱えていたが、1881年(明治14年)に起こった明治十四年の政変で、参議・伊藤博文らによって罷免された。一方、政府は国会開設の必要性を認めるとともに当面の政府批判をかわすため、10年後の国会開設を約した「国会開設の勅諭」を出した。
注2 ただし板垣らの民撰議院設立建白書は当時それほどの先進性はなく、自らを追放に追い込んだ大久保利通ら非征韓派への批判が主体であり、政府における立法機関としての位置づけも不明確であった。むしろ板垣や江藤・後藤らが政権の中枢にあった時期に彼らが却下した宮島誠一郎の『立国憲義』などの方が先進性や体系性において優れており、現在では民撰議院設立建白書の意義をそれほど高く認めない説が有力である。稲田 2009などを参照。

上記の通り不平士族を支持基盤にしている結果でしょうが、国民悲願の不平等条約改正に対する反対運動が活動の中心であったなど、変化に対して何でも反対・国益などどうでもいいような動き・・今の革新系文化人思想家の先祖のようです。
秩父困民党事件(1884年明治17年)10月31日から11月9日)は不正士族・自由民権団が加担したので、過激になったと言われています。
(条約改正反対とは不思議ですが、これを実現するためには外圧・欧米の要求する近代化・法制度の導入→時代不適合の旧士族が困るので反対したのでしょうか?)
この3〜4年革新系がしきりに強調する近代法の法理とか、近代立憲主義とは、絶対君主制打倒によって生まれたばかりの革命政権では、いつまたちょっとした力関係の変化で「王政復古」するかも知れない過渡期にあって革命家がハリネズミのように緊張していた時代の思想です。
革命直後の「近代憲法」と違い、明治憲法の時でさえ、対外関係上君主が自発的に憲法を制定するしかない国際状況下にあって、もはや絶対王政が復活する余地がなかったし、憲法ができる前から天皇親政などできる能力がなかったので、親政の復活など誰も心配しなかったでしょう。
まして日本国憲法では、「現代民主主義国家」になって憲法の改正発議権が政府から国民の意見を代表する議会に移っているのに、国民が自分で選んだ議会の発議→決議に国民が抵抗するために国民の同意を要件にする必要があるという考え方自体非論理的です。
民主主義国家においては、国民代表の議会が憲法も決めるのが普通で、EU加入・離脱や国自体の合併のような最重要事項について議会の都合で自信がないときに国民投票をするのが合理的です。
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/0584.pdf

諸外国における国民投票制度の概要 国立国会図書館 ISSUE BRIEF N
UMBER 584(2007. 4.26.)
スペインでは、憲法の全面改正ないし特定の条項の改正の場合にのみ国民投票が義務的要件とされ、そうでないときは一院の10分の1の議員の要求により国民投票が行われる(憲法第167、168条)。
スウェーデンでは、基本法2の改正には、国会(一院制)における、総選挙を挟む2回の議決を要するが、第1回の議決の後に3分の1の議員の要求があれば、その総選挙と同時に国民投票が行われる(統治法典第8章第15条)
フランスはこれらとは異なり、国会議員が提出した憲法改正案は国民投票を要するが、政府が提出した場合は、大統領がこれを両院合同会議に付託すれば、国民投票は行われない(憲法第89条)。これまでの事例では、国民投票より両院合同会議による憲法改正の方が多い。
主要国のうち、アメリカ、オランダ、カナダ、ドイツ、ベルギーでは、住民投票は別として、憲法改正の場合も含め国レベルでの国民投票の制度は、憲法上は規定されていない。
フィンランドでは、国民投票についての規定はあるが(憲法第53条)、憲法改正は国会選挙を挟む2回の国会(一院制)の議決で成立しうる(同第73条)。

上記の通り、日本国憲法を事実上主導した米国自体が、憲法改正は国民代表の議会で行なっている(周知の通り修正◯条という付加方式です)ので日本国憲法に限って事実上不可能なほど厳しい要件にしたのは、まさに憲法前文の「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」半永久的従属支配下におく思想の法的表現です。
国民投票をするならば、そもそも、3分の2の国会議決の必要がないでしょう。
国民投票をするのは、重要事項なので議会だけで決めてしまうのに自信がない時・たとえば49対51の僅差の時に「国民の声を聞いてみよう」という時に限るべきではないでしょうか?
そうとすれば、圧倒的多数の場合には不要な気がします。
国会議決を厳重にして即憲法改正にするか、スペインのように10分の1の提案で足りる代わりに国民投票するかどちらかにすべきでしょう。

希望の党の評価(東京10区の選挙結果)

民進党や共産党は相手を批判するのは慣れているが政策を練り上げる・利害調整能力不足・・そもそも調整の経験がないのが特徴です。
「草の根の意見を大切に!」とスローガンだけは立派ですが、自分らは頭が良いと思い込んでいる・・前衛思想が基本ですから、バカな庶民意見など問題にしない基本が染み込んでいます。
「正しいことは正しい・だからこれを理解しないのは無知蒙昧なだけ・そんなバカな奴の意見など聞いても仕方がない・・押しつぶせばいい」というだけの単純論理・レーニン〜スターリンに連なる政敵抹殺・粛清正当化体質です。
銃口から権力が生まれるというテーゼです。
日本にもそういう脳構造の硬い人が一定数いるのは当然で、(安全・綺麗な社会といっても一定の犯罪が存在するように民度というのは比率の問題です)これが唯我独尊的政党の岩盤的支持基盤です。
三派系全学連の内ゲバ〜浅間山荘・連合赤軍事件も、意見の違う相手を受け入れない基本体質が行き着いた結果お互い・・殺し合うしかない・スターリン粛清の小型版になったものです。
この種の脳構造の人たちにはもともと違った意見の存在を認められない脳構造ですから、利害調整する気がないので独裁体制=恐怖政治に親和性があることが分かります。
共産主義国家=共産主義という一つの思想で統治する主張ですから、共産主義以外の思想を許さない・・独裁制になりキリスト教その他の宗教禁止したのは論理必然だったことになります。
独裁政治を主張する政党が政権を取れば独裁政治するのは当たり前です。
エリートによる指導を前提とする独善思想に凝り固まっているグループ・政党の高学歴信奉‥・党幹部や代議士候補に高学歴思考・医師・弁護士等を優先する体質もその表れです。
安保法制や特定秘密保護法関連のシリーズでも書きましたが、「憲法学者多数が違憲と言っている」という宣伝を繰り広げて、「素人は黙ってろ」と言わんかのように一般人にまともな議論をさせない思考停止誘導の政治活動方法も同根です。
安倍総理が東大卒でないことをメデイアなどでしきりに揶揄していたのもその現れでしょうし、希望の党結党騒動もメデイア応援によるスローガン・パフォーマンスだけの選挙・真面目な議論抜きの姿勢が顕著でした。
「欧米の言論の自由や民主主義.人道思想は日本列島では古代から行ってきたことに西欧が数千年以上も遅れて気がついて自慢している滑稽なものである」という意見を繰り返し書いてきましたが、わが列島民族の多くは未熟さを自己証明しているような(ポピュリズム)甘言・スローガン程度には簡単に踊りませんので、欧米の真似をしたら進んでいるかのように振る舞うイメージ頼りの政党は短時間の経過でジリ貧になるしかありません。
合理的政策提示能力のないメデイア合作によるムード幻想ふりまきにの氾濫に国民がすぐに冷めてしまったものの、慌てて作った公約は「自分の党はどういう経済政策をする」「何をする」という具体性のない空疎さから、やむなく安倍政権打倒とかアベノミクスは失敗などの批判しかなくなっていました。
使い古した「森加計問題」を言うしかなくなった時点で選挙せんを「投げた」と見るべきでしょう。
希望の党にも公約があったのですが、あまりにも幼稚すぎてメデイアも報道できなかったし希望の党の立候補者自身恥ずかしくて支持者説明できない状態が続いていました。
せいぜい伝わってくるのは「リセット」するとスローガンだけでした。
この後で公約政策集の一部を紹介しますが、読んで見ると何か主張しても言いっ放しで実現するべきプロセスを説明できない・幼稚園児が将来「〇〇になりたい」というのと似ています・・この程度のことしか言えない集団が、政党を名乗るのは無理があります。
幼稚園児の夢と違い政治家の発言に重みがあるのは、それが具体的政治に直結できる準備が済んでいる前提があるからですが、政党の公約でありながら実現性のないことを言うのでは(割安メニューだけ書いてあって店内に入ると料理提供の準備のないレストランのようで)虚偽広告・不正商法と変わりません。
ムード戦略が失速していく中で追い詰められた最後の奇策が、政策を決めないママでの希望の党への合流でした。
小池氏はこの1年間都政を停滞させた印象しかなくて何をしたか不明のまま都政そっちのけ・・実績を示す時期が来たのでそこから食い散らかして逃げる印象をまず受けたのは選挙結果を見ると私だけではなかったようです。
11月9日に紹介した文春の意見も同旨ですし、支持率急低下にたまらず11月14日ついに代表辞任表明に至ったのですが、小池氏の合理的実現性のないメデイア受けだけ狙った行動・我欲が目立ってしまった旗揚げは、その弱点を狙った老練な?民進党政治家に利用されて民進党系議員の延命に寄与しただけの結果になりました。
メデイアがしきりに小池氏を老獪な政治家と宣伝しますが、これまでメデイアの意向に沿って振り付けによって踊っていただけ・・地元密着がなくとも選挙には強かったに過ぎなかったように見えます。
小池氏は・・ドロドロした地元利害調整に汗を書いたことがない・これが身近な政治家(自民党都連)の間で人望のないと言われてきた理由でしょうし、利害調整の必要な政治家としての能力は素人政治家の域を出てない・・大差がなかったのではないでしょうか?
だから自民党政治家に比べれば稚拙な民進党系議員にすら「赤子の手をひねるかのように」手もなく利用されてしまったのです。
何よりも都内の小選挙区で惨敗どころか、これまで小池氏が連続当選して来た本拠地の選挙区で小池氏が都知事選立候補以来協力して来た元自民党の代議士若狭氏を立候補させたのに、若狭氏を大敗・落選させてしまったのですから、都民は小池氏も若狭氏も自民党員であるから当選させて来たにすぎない・個人支持・信望がほとんどなかったことが分かります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AC%AC10%E5%8C%BA

解散日:2017年9月28日  投票日:2017年10月22日
当日有権者数:470,938人 最終投票率:52.95%(前回比:-0.61ポイント)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧 得票数 得票率 惜敗率 推薦・支持 重複
鈴木隼人 40 自由民主党 91,146票
37.4%
―― 公明党
鈴木庸介 41 立憲民主党 70,168票
28.8%
77.0%
若狭勝 60 希望の党 57,901票
23.7%
63.5%
岸良信 62 日本共産党 20,828票
8.5%
22.9%
小山徹 42 無所属 2,107票
0.9%
2.3% ×
吉井利光 35 幸福実現党 1,744票
0.7%
1.9%

当日有権者数:人 最終投票率:34.85%(前回比:-18.71ポイント)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧 得票数 得票率 推薦・支持
若狭勝 59 自由民主党 75,755票
60.3%
公明党
鈴木庸介 40 民進党 47,141票
37.5%
生活者ネット社会民主党
吉井利光 34 幸福実現党 2,824票
2.2%
    • 若狭は比例東京ブロック単独から鞍替え

上記2回の選挙を見れば分かるように、東京10区に出た自民立候補者は前回の選挙に出ていないので、小池氏と若狭氏の離党→希望の党結党により、今回の選挙で急遽他の地区から来た飛び込み・・現地に接点のない人と思われますが、それでも小池氏の盤石の地盤であったはずの10区で若狭氏を圧勝しています。
鈴木ハヤト氏に関するウィキペデアによると以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%9A%BC%E4%BA%BA_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

2014年、経済産業省を退職し、同年12月2日、第47回衆議院議員総選挙に比例東京ブロックから自由民主党名簿第25位で出馬して、初当選を果たす。
2017年の第48回衆議院議員総選挙で自民党公認候補として東京10区から出馬。都民ファーストの会を支援するため自民党を離脱し、希望の党の公認候補となった若狭勝に比例復活も許さず、小選挙区初当選を果たした。セガサミーホールディングスの里見治総帥の娘婿である[3]。

上記によれば、鈴木氏は文字通り1年生議員で、しかも小選挙区では出馬すらできていない・・比例単独立候補で前回の自民党大勝の余禄で当選できた程度の人に見えます。
この程度の知名度のない若手が、小池氏の生え抜き側近として脚光を浴びている若狭氏相手の選挙区に飛び込んで圧勝したことにな
ります。

政府と国民6(2項対立8)

現在最も日本にとって利害のあるトランプ政権・政策実効性に戻ります。
法的には日本のように法令の改正なく、大統領令1つでイキナリ法令同様の効力のある大統領令制度(ただし予算を伴う政策は議会通過しないと実施出来ないのが弱みです)・・単純な仕組みがアメリカの民度に合っていたとしても、入国禁止令のように結局は国内反発を受けて右往左往するのなら、根回しの必要な日本と本当はそんなに変わりません。
無茶をやって結局敗退するより周到な回しの結果成功した方が良い・・これが日本の智恵ですし、周回遅れのアメリカ式粗暴なやり方・・やるだけやって失敗すれば、やり直せば良いと言う粗放生産方式・・政治もそのような乱暴な仕組みになっている社会の未熟さの違いです。
正義とは何か→民族共同体の共有価値であるとFebruary 12, 2017「民族の正義→外国人の政治活動2」前後で書いて来ましたが、少なくとも1対1の力関係で決めて行く価値ではありません。
1対1の露骨な力関係で決めて行くと、分りよいものの力関係は移ろい安く安定性がないことが明らかですから、我が国では長い時間軸で多様な意見を融合した正義を作り上げて来ました。
何事も決定に時間がかかるのはマイナスだとマスコミ宣伝されていますが、拙速よりは結果的に良いことです。
今朝の日経朝刊1面にコンパクトシテイー構想が大々的に出ていますが、これによると1990年代から中心部に立地する場合の補助金や優遇策で中心部誘導を図って来たが、(この優遇策で青森では駅近くにいわゆる箱物が出来たが、今になるとガラガラで重荷になっているなど)約2〜30年掛けてもうまく行かなかったので強行策(この程度を日本では強権的と表現するようです)をやめてもっとソフトな中心部誘導策に切り替えていると出ています。
ソフトだろうが強制だろうが、住民が中心部に移り住んだ方がメリットがあるような社会にしないと無理・・駅から10k前後の民家でも折角建てた家屋敷を棄て駅近くに移るには膨大な資金損失が生じます・・先祖代々の家も築10年の家も、みんなが出て行く以上は誰もその部落の家を買わない・・政策担当者自身が、代わりに新たな人が住むのではコンパクトシテイーになりませんから出た後の家に新たに移って来る人を予定していなかった筈です。
そうすると言わば全財産を棄てて(過疎地〜地方になればなるほど、家屋敷周辺土地だけが頼りの比率が高まります)・中心部に移り住むような人が滅多にいるわけがないでしょう。
中心部の容積率などアップして優遇しても動機づくのは、不動産屋や商業施設だけであって肝腎の住民の移動は限られます。
青森に限らず地方都市駅周辺を見ると、(千葉県で言えば、茂原駅や木更津駅前にソゴウ百貨店が進出しましたがいずれも 約20〜15年ほど前から撤退して空きビル・・1階の一部を市の出張所に使っている)中心部に箱物やデパートが林立してもその後が続かない・・ガラガラの結果に終わったと言えます。
住民が先祖伝来の家屋敷や自分が折角ローンで購入した郊外の家を棄てて(上記のとおり皆が移動するのを期待する政策→買い手がつかない前提)でも、駅周辺に移動するような社会構造にしないと無理があります。
千葉市の場合で見ると私が千葉に引っ越して来たときは郊外に大規模な住宅団地造成が進み完成時頃でしたから、東京から大量に移住して来た時期・・いわゆる(千葉に住みながら都民意識)千葉都民が誕生したときでした。
電車の時間短縮などで都心通勤圏化がその後更に進み、いわゆる首都圏経済化すると千葉都民2世は(核家族基準の新興住宅地で親子二世代同居が難しいこともあってどうせ親の家を出るならば、)通勤に便利な千葉駅〜船橋駅周辺マンションに移り住むようになっています。
千葉駅から歩ける範囲では、マンションやアパートがドンドン建ち直ぐ満室になっているのに、千葉市の住民はそれほど増えていない・・郊外から中心部への移動が多いことを表しています。
千葉駅の改築工事が進むと部分開業に平行して駅から遠い順に駅から約1k弱のパルコ(昨年秋)や三越百貨店(駅から数百メートル)今年3月予定)が閉店して行きます。
市民の購買力が落ちたのではなく、(郊外店舗と市中心部商店街の競争どころか)エキナカ店舗の規模が大きくなる(駅ナカにスーパーまで出来ました)と、中心部立地全国ブランド店舗さえエキナカや駅ビル周辺に負け始めたからです。
このように、社会需要さえあればコンパクト化が自然にしかも急速に進みますが、他方我々世代の多くは退職の結果通勤時間から解放されたこともあって、郊外の家に住んでいます。
私が昔・・千葉に来たばかりの頃に住んでいた郊外団地では殆ど7〜80台世代になっています。
余裕のあるひとは損切りシテでも便利なところへ早く出たい人は脱出しているでしょうから、余裕のある人も郊外が良くて残っているとしても、損切り出来ない人の比率が上がっている筈です。
この状態で今後千葉市のコンパクト化がさらに進むと郊外の家を売りたくとも買う人が減る一方・地価が下がる一方でしょうから、余計しがみつくしかなくなります。
千葉市ほどドラスチックではないとしても、地方の県庁所在地では、千葉のように東京通勤用のマンションが市中心部にドンドンと建たない・・ひいては駅ビルや周辺商業施設だけ先行して作っても活気が出ない点の違いがありますが、原理は同じではないでしょうか?
政府の政策で人が動くのではありませんし、まして中国のように強制立ち退きなど出来るわけがありません。
話題が逸れてしまいましたが、日本では何事も時間がかかるのですが、これは頭の良い人の考える「上からの政策」はどこか無理があるから実施しながら見る必要があると言う長い歴史を経た民族の智恵です。
私自身いろんな会議に出て痛感するのですが、「そんな無理なことを出来るわけがない」と思っても、そのやり方では何となく無理そうと言う程度の思いつきでは、大きな会議でその場で有効な反論が出来ないまま終わってしまう傾向があります。
大学の先生は頭がいいのでドンドン鋭い意見を言いますのでどこか無理そうでも、「なるほど・・」と引き取って、外に御意見がありますか?とやって行くようになり勝ちです。
その場で反論出来る人は滅多にいません。
1対1の膝詰めの非公式の意見交換では、何となく疑問がある程度の・感想でも言い易くしかも相手がそれにヒントを得て、第三の道が何かひらめくようなことがしょっ中あります。
イキナリの公式会議では、この種何となくの直感を発言し難いので形式的・・決まりきった意見の交換協議になり勝ちです。
特に利害代表的公式協議では、予め出身母体の内部協議を経ているので既定路線の言いっぱなしになり易い・いわゆる3人よれば文殊の智恵になりません。
この弊害が100%出ているのが、国会の議論でお互いが相手の意見によってより良い案に止揚する気がないので、言わば主張を国民に見せるためのパフォーマンス・ショーにしかなっていません。

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