原発停止の国民世論

原発停止と代替燃料の関係を見てきましたが、原発事故後の国民世論を見ておきましょう。
大地震以降衆議院選挙だけでも3回も経ていますので、(その間に参議院選挙や都知事選挙3回を含む各地方選)国民の総合的意見が収斂されて来たと思われています。
そして現在即時停止論(と言っても判決のような即時停止ではなくできるだけ早くという程度であることを「脱原発と即時停止の違い」で20日頃に書きました)の野党は合計15%前後の議席しか得ていません。

18年5月2日現在のウイキペデイアによる会派数です。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/kaiha_m.htm

会派名及び会派別所属議員数
平成30年1月10日現在

      会派名             会派略称      所属議員数 (女性)
自由民主党            自民        283   (22)
立憲民主党・市民クラブ      立憲        54    (13)
希望の党・無所属クラブ      希望         51    (2)
公明党              公明        29    (4)
無所属の会            無会        14    (2)
日本共産党            共産         12    (3)
日本維新の会           維新        11    (1)
自由党              自由         2    (0)
社会民主党・市民連合       社民         2     (0)
無所属              無          7     (0)
欠員                     0
計                      465   (47)

特に原発廃止をテーマに都知事選に出馬した元首相らグループが1100万弱の有権者中95万票しか取れなかったのは象徴的です。
5月17日引用した元総理らが脱原発を掲げて挑んだ都知事選挙結果に対する各社の論評を再掲します。

手堅さを選んだ都民               朝日新聞
原発論戦今後に生かせ 首都の安全網に全力を  毎日新聞
・無責任な「原発ゼロ」信任されず – 読売新聞
・「脱原発」ムードの敗北だ 五輪や福祉への対応を急げ – 産経新聞

無責任な「原発ゼロ」信任されず」の論評がはっきりしていますが、きっちりした道筋を示さずに、(放射能が怖いと煽るだけ)ムードだけ煽って反対している方法が支持されなかったということでしょう。

貿易収支にそれましたが、原発停止は、(再開予定と違って判決で命じると永久的になくなるしかありません)雇用や納入業者や周辺旅館や飲食店に始まる地元経済に直結するばかりか、巨額貿易赤字になって国力の衰退に直結します。
森かけやハニトラも同じですが、思わせぶりなムードだけ煽る手法は、国民のレベルがメデイアよりもあがっているので、逆効果になっているのがまだわからないようです。
しかも現段階では、代替エネルギー開発が本当に可能かどうかの議論さえ煮詰まっていません。
野党が責任のある議論せずにムードを煽るだけで、きちっとした議論を避けているからまともな議論・代替エネルギーがどうなっているかの議論が進まなかった原因です。
日本は西欧のように強い偏西風がないのと、手付かずの広大な原野、荒野など滅多にないので用地取得が容易でないので風力の代替性が弱いことがわかってきたし、(日本列島は独仏と違い南北に長いので北海道や南西諸島で適地があっても東京大阪など大消費地に送電するコストに無理がある)太陽光発電も補助金漬けで→電力料金個人負担アップに耐えられるか?などが現実化して見通しも立っていない状態です。
原発停止時期に関する民意を知るための選挙結果を紹介してきましたが、これらによれば、民意は即時操業禁止を支持していない・・代替エネルギーの準備が進んでいるとは考えていないことがあきらかです。

国民への説明責任4(上野論文2)

以下昨日の引用を続けます。

https://ci.nii.ac.jp/els/contents110005050293.pdf?id=ART0008078537
・・・・
慰安婦制度と公娼制度との異同ということです。
いわゆる一般的な公娼制度、戦前日本の遊郭などとの違いと共通点ですね。これについて吉見さんは問題をこう整理 して提起されております。
戦前・戦中の日本に2種類の性奴隷制度があった。平時を中心とする公娼制、私娼黙認のシステム、これ は遊 郭またはその周 辺の買売 春。そ れ か らもう一つは戦時・軍法下の戦地占領地における軍性奴隷制いわゆる「慰安婦」制、どちらも性奴隷制度であることは間違いないということです。
戦前の遊 郭の女性たちも非常にこれは悲 惨な状 況に お か れていたこと、そういうことは決して見 落としてはな らない。しかし、こ の軍性 奴隷制度というのは、性 奴 隷制 度のなかでも非常に過 酷なもの であったということもまた否 定できないので はないだろうか。よ く言われる ことなんですが、慰安所では1人の女性が一に20人とか30人とかいう日本 軍 兵士の性 的な欲 望を満たす行 為に耐えな け ればならない。戦地の大砲や爆弾が落ちてくる非常に危険 な所へついて回るなどもそうです

いわゆる右派歴史改竄派の人々、あるいは日本政府の立場だろうと思います。つまり、「軍による」というのを軍の命令による暴力的拉致と狭く解釈する、軍が暴力的な連行に直接手を下したかどうかその一点に絞る。そして軍がそう命令した証拠文書(公 文 書)が無いでは ないか、だ か ら「慰安婦 」 制度というの は民
間業 者中心の いわゆる売春制度であり軍はそれを利用 したに過ぎないのだと。こ
うして、「慰 安婦」制度全体の犯 罪性、国会権力の犯罪というものを否定してし ま おうというわけです

こんな広大な地域にですね「慰安婦」という女性たち を連れていくためには、軍艦であるとか軍が徴用した船舶、そ ういうものに乗せて連 れて行く、しかも、戦 場である現 地に施設を作る、兵営や陣 地のすぐ近 くに作る、こういうことを軍の指揮・命令・管理なしに作れ る はずが絶対にありません。飛 行 機にしろ船にし ろ、特にこのアジア太平洋戦争中になりますと、完 全に軍の指 揮 管理下のもとに武器 弾薬・食 料はもち ろん、 兵 士 や 民 間 人一名であれ、勝手に乗ることは出来ないわけです。こ の地 図一枚だけでも明白に「慰 安婦」制 度の本質を言い表しているだろうと私は思います

以上を読んで見るとあちこちで我田引水というか飛躍がが多すぎるように見えます。
今問題になっているのは、世界中で戦場についていく売春婦が一般的に存在していた時代に、日本軍だけが何故国際批判を受け謝罪を続けねばならない特殊性がどこにあったかの問題です。
「売春などしたくないに決まっている」という前提で、「だから奴隷」だと言うようですが、金儲けのためには、法の禁止を破ってでも売春する女性がいっぱいいる現実をどう説明するのでしょうか?
こう言う実需?に抗しきれなくなって西欧諸国では、売春の合法化に踏み切っています。
また世界的に有名な韓国女性の売春輸出攻勢をどのように説明するのでしょうか?
広辞苑の定義・・「人間としての権利・自由を認め られず、他人の支配の下に諸々の労務に服し、」というと、戦前の長時間の住み込み奉公どころか現在の長時間残業などは形式的には皆奴隷になりますが、広辞苑の重要な要件は「人身売買の対象か否か」です。
上記論文は、最重要な売買対象だったかどうかの事実検証の裏付けなしで、いきなり「性奴隷という定義づけする異様さです。
その弱さ補強のためにか?最後の文章は軍の関与があった便宜を図っていたことがその証拠だと言いたいようですが、軍が関与すれば何故性奴隷になるのか?の関係が見えません。
森かけ問題も同じで、安倍総理に名前さえ出れば、総理の責任というムード作りでメデイアが煽りますが、そこには論理飛躍があります。
大手企業の下請け派遣の職人として海外プラント工事現場へついて行くには、渡航の手配や現地宿舎の準備など相応の特別便宜を受けます。
軍についていく売春婦の場合、移動の便宜をはかるのは当然ですし、兵士の健康管理上保健衛生の規制も必要です、一定の管理下に置く必要もあったでしょう。
危険な戦場まで誰もついて行きたくないに決まっているから、奴隷だと言うのでしょうが?ついて行ったのと奴隷との関係は飛躍がありすぎませんか?
危険の大きいところへ行けば、儲けも大きい、多くの相手すればその分儲けも多かったことをどのように説明するのでしょうか?
概ね経済困窮のために売春せざるを得ないのは奴隷行為だ、人権侵害だという意見が流布していましたが、そんな風に奴隷を拡大解釈すれば生きていくために働かざるを得ない人は、皆奴隷となります。
奴隷か否かの区別には、やはり直接的強制の有無は重要かつ必須でしょう。
世間常識としても性奴隷と表現すると誘拐犯が女性を閉じ込めて性行為を迫っているような理解になりかねません。
またこのような誤解を狙ってあえて性奴隷という表現を使うようになったのではないでしょうか。
性奴隷というイメージで世界が受け止める内容に見合った実態があったかいなかこそが重要です。
たとえば親の病気の見舞いに行かなかったのは「親殺しと同じだ」という自分勝手な解釈で「あいつは親殺しだ」だこれは国連で認定されていると宣伝して歩くと、事実を知らない人は「本当にあいつは親を殺したのか?と誤解してしまいます。
あるいは、仕入れ代金を期限に払わなかったので、払ってもらえなかった企業が連鎖倒産し、その社長が生活に困り、そのうち病死した場合、これは「あいつに殺されたのと同じ」だということで裁判官が殺人罪を適用して死刑判決できるでしょうか?
性奴隷派の主張では物を借りて期限に返せなかった場合、「泥棒とおなじだ」という論理で裁判で窃盗罪を認定して刑務所に入れても良いというのと同じです。
こういう無茶な主張をしていたのが、事実と言語を結びつけるのを商売にしている弁護士だったというのですから驚きです。
何月何日に100万円を払うと約束した男がその日に払わないので相手が「契約違反だ」と言うとその男が、「俺の言う何月何日というのはその1ヶ月後のことだ」と言い張る事が許されるでしょうか?
「約束を守る」とは一般に行われている言葉の定義を自分勝手に変えないで一般用語に従って守るということです。
広辞苑を引いて、いかにも一般用語に合っているかのように見せかけていますが、肝心の売買対象かの論証がありません。

国民への説明責任3(逆は真ならずとは?)

人道主義的文化人の論文がネットに出ていましたので、これが代表的かどうかわかりませんがこのような意見をあちこちで読んだ記憶があるので多分代表的意見の一つでしょう。
ネットから消えてしまわないうちに紹介しておきます。
ただし引用の順序は前後します。
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110005050293.pdf?id=ART0008078537
Kobe College

NII-Electronic Library Service
日本軍性奴隷制(「従軍慰安婦」)問題と最近の動向
上野輝将
・・・・・『広辞苑』でみましたところ、「人間としての権利・自由を認められず、他人の支配の下に諸々の労務に服し、かつ売買・譲渡の目的とされる人」となっています、これで何が言いたいのかといいますと、暴力的な拉致があったか無かったか、それは奴隷の要件ではないということです。

ここで、論者はどういう根拠か「かつ売買・譲渡の目的とされる人」という必須要件を無視した議論を展開します。
前段の「人間としての権利・自由を認められず、他人の支配の下に諸々の労務に服し」という要件は、時代や社会状況によって、労働基準や人権概念自体が変わっていく要件ですから、これだけを基準にすると恣意的になりすぎます。
(武士が主君の命令に従うのは、今風にいえば人間としての権利がなかった・・し、戦前の労働は、今の労働基準で見れば奴隷労働になるか?)
「お金欲しさに労働条件のきつい企業に就職したりヤクザの下働きをする人もいるでしょうが、(あとで振り返ってあの時は「奴隷みたい」だった比喩的な言い方があるとしても)彼ら全てを「奴隷」とは言いません。
まして売春婦の多くはお金欲しさに自ら職業を選ぶことが多いから西欧の多くでは今でも売春を合法化しているし、日本でも管理売春だけが刑事処罰になっているのです。
奴隷か否かを分ける最重要要件は、牛馬のごとく「売買の対象」売買に関与できない「対象・商品」になっている状態こそがその本質です。
そこで広辞苑は「「かつ売買・譲渡の目的とされる人」という要件を「かつ」という単語を付加しているのです。
上野氏は、上記本質要件該当性チェックをすっ飛ばすどころかなんらの説明もなくいきなり

「暴力的な拉致があったか無かったか、それは奴隷の要件ではないということです。」

と言い切っています。
暴力的拉致と売買は時間差がある・.原因と結果の関係なので必ずしも一致しません・・拉致しなくとも人身売買の対象になってしまう場合もあるので(日本の高名な蔵相高橋是清が若い頃に何かの紹介でアメリカに渡ったら、奴隷に売られていたという有名な事例があります。
拉致が売買対象になる場合の原因の全てではないという意味では正しいのですが、広辞苑の要件は原因は何であれ現実に売買対象になっているかどうか・その人間に自由があるかどうかということです。
ですから、拉致→軍の強制不要というのは一応あっていますが、要は従軍慰安婦が(売り主が親かヤクザか別として)売春行為時に商品として売買対象であったかどうか・.女衒に騙されたにしても、その後日本軍相手の売春行為時にも監視監禁されて逃げられない状態が続いていたか?こそが重要でしょう。
これらを論証してから、慰安婦が性奴隷であったかどうかがきまることです。
拉致の必要がないことから軍が拉致していなくとも性奴隷だというのですが、そもそもど奴隷状態にある場合にその原因を問わないのはわかりますが、慰安婦が奴隷状態にあったか否かの前提事実を書いていないので分かりにくくなっています。
ただ広辞苑は一般の奴隷の定義ですから、慰安婦特有の政治問題・・諸外国での戦場で同じように行われていた売春婦(彼女らも多くは元はと言えば一定率で女衒に騙された女性もいるでしょうが)と違って、日本政府国民だけが何十年(パク前大統領によれば千年)たっても謝罪を続けねばならないほどの人道問題かは別問題です。
日本固有の問題にするには、諸外国とこの点が違うという・・「日本軍が直接売買拉致監禁に関係しているような事情が必要でしょう」という議論とゴッチャになっているように見えます。
泥棒をした者が悪いのはあたり前ですが、それを買ったものが悪いか?仮に悪い場合があるとしても泥棒以上に非難されるべきかは別問題です。
客の方は元どこかで何かの事情で売られた女性か、女衒に騙されたか、お金が欲しくて任意に売春している人かの区別はつきません。
性奴隷かどうかを見るには、拉致されて売春を強制されている人か、親に売られたか?女衒に騙されて途中で暴力団に売り飛ばれた人か等々によって色々なランクの人がいるのでそれ分類も必要です。
売春婦の中には逃げるに逃げられずに売春している女性が全くいないとは言い切れないでしょうが、売春婦の全部ではないことも公知の事実です。
西欧で合法化されている国で客は相手の氏素性を知らないのが普通ですから、「性奴隷の売春婦を相手にすれば処罰する」という法律は世界中にないはずです。
軍人が顧客だったということははっきりしていますが、それは世界中の戦場では古来から売春婦が付きものである事実からして、軍人が売春婦を相手にすれば日本だけ批判される理由にするのは無理があります。
日本だけ非難するには、特別事情の主張が必要でしょう。
ここで広辞苑の「奴隷」の定義に戻ります。
軍の強制がなくとも人身売買対象の場合がありますから、軍の強制が必須要件でないのは確かですが、広辞苑の定義では、「売買対象」であることが必須です。
軍の強制がないとしても慰安婦が任意に(金儲けのために)売春していたこととは必ずしも結びつかない(暴力団に拉致された場合もある)のと同様に、軍の強制不要ということから自発的売春婦まで性奴隷とはなりません。
要は売買対象(当事者の意思が尊重されない)の商品であったか否かです。
現在社会では、アメリカで知られるような公然たる奴隷制度がない・・人身売買は許されず、刑事処罰される現実があるので、「売買で物品のように取り引きされた」というためには、逃亡できない監視・・結果的に非合法な拉致監禁の仕組み=拉致被害の場合以外にはほぼ存在しえない現実があります。
逆からいえば、一定の自己資金を持ち自由に宿舎から出入りできる環境・.時には旅行できるような場合、奴隷とは言わないでしょう。
「逆は必ずしも真ならず」とはいうものの、「必ずしも」という意味は、「例外がありうる」→「逆が真であることが多い」という原則を表しています。
犯罪捜査も多くの状況証拠から犯人らしい人物を絞り込み(犯行現場付近にいた多くの人物から別の同種犯行現場にもいた人物を絞り込むなどしていますし、科学や化学・薬学の実験もこのやり方です。
一定の状況証拠があれば、それを覆すに足りる逆の状況証拠を出してこそ主張の合理性が担保されるのです。
自由に辞めることができるのに強制されていたということがあるの普通にはあり得ない状況です。
拉致された場合には自由意志によらない→奴隷状態ということですが、ごく例外的に拉致された場合以外でも奴隷になることもあるでしょうが、「拉致による以外の奴隷もありうる」ということから直ちに慰安婦が性奴隷と決まる仕組みが不明です。
慰安婦が拉致されたわけでもないのに「奴隷」状態というのは極めて少ない例外事例ですから、奴隷であった=自由意志がなかったことを事実をあげて積極的に証明する必要があるでしょう。
上野氏は、単に広辞苑では拉致を直接の要件にしていないというだけで、そこからなぜ慰安婦が性奴隷となるのかの説明がありません。

国民への説明責任2(嘘つきとは?)

民主国家においては国民に重大な利害のあることについて国民がその決定理由に疑問を表明している時には、政治のトップ同士の談合や専門分野で決着がついているというだけで問答無用式に、国民に強制することは政治のあり方として許されません。
これが許されるのでは、選任するときだけ民意にあれば良いとなってしまい、本来の民意(・・我が国のような議院内閣制を本来とすれば)による政治とは言えなくなります。
この極端系・韓国やロシアの大統領制はまさにこれで一旦選任されると専制国家の皇帝のように権力集中するので、このような強力な権力の魅力にとりつかれてせっかく民主国家になりかけていたトルコのエルドアン氏のように「強力」大統領制に切り替える動きが流行になっている・習近平氏も大統領制を狙っているとささやかれています。
後進国では話し合いではまとまるほど社会が成熟していないので一定の権力集中が必須、そうはいっても古代的世襲制では民主主義社会を知ってしまった国民の承認を得られないのでその中間形態として大統領制になっているとだいぶ前に書きました。
大統領制は原則として選任される時だけ民意が必要ですが、選任後は専制的権力が保障される仕組みです。
これを牽制するために任期制を設けたり、議会で決めた個別決議・この発展系が永続性のある「法」「憲法」に拘束されるなどがありますが、法や憲法の規制を例外としてこれがない限り万能権力を前提・・議会や司法(これすらも恩赦で覆せますが、一方で任期中での乱用防止のために弾劾決議が用意されるようになっています)が牽制するものです。
ただし弾劾されるのは、権力が強過ぎて乱用があった場合のセーフガードというよりは、大統領の支持基盤が弱いときに政敵がトドメを刺すために実行されている・いわば病理現象というべきです。
プーチンや習近平やエルドアンの最盛期に野党政治家が仲間を募って弾劾運動すること自体(危険すぎて)想定できません。
むしろ強力独裁者が憲法の定める任期を超えて権力維持のために憲法改正(再任回数制限を外す)を画策すると誰も防げないのが一般的で、結局終身化していくのです。
アメリカの大統領制の場合、もうちょっと進んだ形態ですが、これは民度が高いからこうなったというよりは、独立戦争によって建国した経緯・利害対立する各州の連合形態→大統領は一時的な連合軍総司令官の権限から始まる関係で大統領は軍事権に関して強大な権限がありますが内政に関しては(各州の内政が原則・連邦政府に関心がないのは当たり前ですが)ほとんど権限がないのが原則です。
大統領制・・大統領府は対外交渉や軍事のための制度が始まりですから、日本のように古来から政治家と軍事は別物.政治(文官)が軍事に口出しない基本原則とは逆バージョンです。
こういう国にシビリアンコントロールを説教されて作った日本国憲法って漫画的です。
アメリカで司法権が絶大な権限を有し、訴訟社会になっている原因は、アメリカ各州の関係を連邦憲法で決めたことから、憲法が重要・連邦議会の作れる法の範囲を画することになった偶然の歴史によっています。
その後人権思想発達に応じて修正第何条という形で個別的条項が追加されていきますが、これが増えれば増えるほど司法権が最終的に決める範囲が広がっていきます。
この結果、移民受け入れ対象の決定権を事実上持つようになっていることは、トランプ政権による移民制限が執行停止処分を受けた騒ぎでも明らかです。
元はと言えば、戦争目的で団結し統一司令官として必要な限度で大統領の各州への指揮命令権限をみとめるが、どこまで連邦・大統領が各州の内政に踏み込めるかを条約的に決めたものであったとになります。
民主・人権尊重国家といっても、全面降伏したアメリカインディアンに対するゾッとするような酷い仕打ち、先の日米戦争では日系人だけ全財産没収の上荒野に収容した事実(この前に黄禍論による日系人排斥法があります)・戦後もなお長い間黒人には公民権がなかった事実(・・実は日本の朝鮮統治より内容が酷かった・戦争犯罪も日本より何倍も酷かったことが知られている通りです。)を見れば、アメリカのいう民主主義・人道主義とは古代ローマ同様に特定民族だけの人権にすぎなかったのです。
トランプ氏が北朝鮮に武力圧力かけたり、無茶な関税をかけたり・大統領の個性次第でアメリカの政治姿勢が大きく変わるのはこの仕組みによるものです。
この欺瞞性が暴かれて徐々に国内での人種平等化が進み・国際的にもわがまま勝手が通りにくくなってくるとこの進んだ政治運営(PC・・ポリテイカルコレクトネス)に国民がついて行けなくなって「卓袱台かえし」をしたのが、トランプ現象といえるでしょう。
中国の自分勝手な貿易戦略(国費を投じてのダンピング輸出で競争相手を蹴落とす戦略や中国進出企業に地元企業への知財提供しないと進出を認めないなど・.自分は世界の自由貿易の恩恵をフルに利用しながら自国では自由に商売させ_ない一方的やり方)を許容できないとして対中関税率アップを標榜している限りでは説得力がありましたが、最近では世界相手の鉄鋼製品への高関税課税実施をし、次には自動車にも高関税をかけるといい出しています。
ここまで無茶・.アメリカ自身が主導してきた貿易秩序を根こそぎひっくり返すようなことを始めると、ただのバカか?という見方が広がり、EUもカナダ、メキシコも即時報復関税準備に入りました。
昨日だったか灘で開かれたG7中央銀行蔵相会議では、西側色一致団結の場なのに、米国対6カ国の非難応酬の場になったと報道されています。
大統領権力の強大化の弊害防止・・牽制するために任期制を設けたり(任期中無茶をやると退任後訴追が怖いので自己抑制に働く)、議会で決めた個別決議・この発展系が永続性のある「法」「憲法」に拘束されるなどがありますが、法や憲法の規制を例外としてこれがない限り万能権力を前提・・議会や司法(これすらも恩赦で覆せますが、一方で任期中での弾劾決議が用意されるようになっています)が牽制するものです。
説明責任にもどりますと、国際運動では冷静な事実の裏付けのないキャンペインで決まることが多いので、事実と違うという信念を持つ人は、異議申立てするのを恥じることはありません。
多数派は(例えば「慰安婦=性奴隷」と国際社会で決まった経緯を昨日紹介しましたが、事実を丹念に検証した上で、「誘拐された先の監視下で性行為が強制されていた」ような事実関係が認定されたならば別ですが、何の新たな事実認定もなく、単なる煽り行為に同調したに過ぎないとすれば、ひどい話です。
従来、左翼系の論法は「軍の強制がなくとも、経済困窮による女性人権侵害である点では同じだ」と慰安婦騒動を擁護する意見が一般的でしたが、2日に見た戸塚弁護士に対するインタビュー記事では、ほぼそういう主張による質問にに対する応答になっています。
以下の通り再引用します。

岩上「自由もなく、意に反して、強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる。それらをトータルで見ると、望まぬことを強要される奴隷状態に置かれた人という定義になるのでしょう」
戸塚氏「奴隷は『所有物』。だから、『所有者』が『所有物』に対して人権を認めていないということ。そういう関係について、他の言い回しがちょっと考えられないので『性奴隷』という言葉を使いました」

上記では「自由もなく、意に反して、強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる」というだけで具体的事実調査の有無について質問がまったくない・思い込み中心の質問です。
こ調査に基づかない空想的質問を既成事実としてどんどん答えていき、この繰り返しで既成事実化していく今のメデイア体質同様です。
本当にこのような「意味不明」な主張で世界中が納得したのか、形勢不利になったのでこんな無茶を言ってケムに巻いているのか以前の主張をコピーしていないので不明です
性奴隷は人権問題に違いないとしても、その政治主張は、文字通り拉致被害などによる・人身売買等による性奴隷を禁圧しましょうというに過ぎず、(一般の売春婦を予定しないで「人身売買等を予定する」点で何ら問題のない運動ですが、慰安婦に限りいきなり、人身売買の有無を問わずに強制拉致されて売春を強制されているかのように、「性奴隷」と呼ぶことにしようと定義を変えてしまうのは、言葉のすり変え行為であり、ひいては虚偽主張に近いものです。

憲法学とは?1(国民意識との乖離)

昨日紹介したのは、平成26年の内閣府調査なので左翼系にとってが色眼鏡でみる余地があるとしても、自衛隊縮小論が国民の2、6%しかいない状態は実感にもあっているように見えます。
まして平成26年から約3年以上経過の間に北朝鮮による日本上空通過のミサイル実験や中国の挑発・つい先日も中国の攻撃型原子力潜水艦が尖閣諸島の接続水域を潜行のまま航行した事件がありました・・が厳しくなる一方ですから、迎撃ミサイルや、レーダー装置やスクランブル対応が増えるので人員増などの増強必要論がもっと増えているでしょう。
今でも憲法学者の7〜8割も自衛隊違憲論(縮小どころか廃止論でしょう)になっている・・国民・民族意識と全く逆方向の基本思想(実質的憲法観)を持っている憲法学者とは何者か?何を研究する学問か?となります。
数学や物理の場合には、100対1の少数意見でも正しい答えは正しいのですが、憲法・民族のあり方(年末から書いてきた「実質的意味の憲法」)がどうあるべきかのテーマについて、専門学者の7〜8割の意見が国民97%の意見と真逆の結果を示すとはどういうことでしょうか?
憲法学とは何を研究する学問でしょうか?
憲法条文の形式的意味の「国語?」研究者であって、あるべき民族精神・「実質的の憲法」の研究者ではないのでしょうか?
学問は「民意と関係がない・民意におもねないのが学問だ」この憲法が実態・民奥意識に合わないかどうかは民意で決めればいいことで、学者は現憲法の形式文言を理解し、その限界を言うだけだ」実態に合わないから「変更の必要があるかどうかは政治家の問題」という逃げの論理でしょうか?
法律や規則を最先端実態に合わせて作ってもすぐに時代遅れになる結果、現場で不都合だとしても、法がある限り「悪法も法なり」として公務員や産業界では仕方なしに従っていることがいっぱいあって、その不都合が実務官庁や関連業界が政治を動かし次の改革の原動力になります。
あるいはある規則などを制定運用して見て、数年後その結果を見て修正していくことを予定されている法令がいっぱいあります。
憲法学者も「国民には自分の生命や財産を守る権利があり、自衛権が必要と思っているが、今の憲法に書いている以上不都合としても学者としては正しいことを言うしかない・節を曲げるわけにいかないから違憲と言っている」だけという人もいるのでしょうか。
1月17日に書いたように解釈合憲という考え方がある・ABCDの解釈のなかで合憲になる説が一つでもあるならば、合憲になる説を取り、合憲になるような運用を求めていけば良い・他の説では違憲になるからと言って厳しく自説での運用を求めれば足りるのではないでしょうか?
法令でも担当者に裁量兼があるのが普通ですが、裁量範囲を逸脱すれば違法になるから、担当者は気を使って裁量権を謙抑的に行使しているのですが、違法な裁量権の行使自体を法は想定していません。
仮に裁量行為の違法(ミス)があれば、行政服審査請求→行政訴訟によって是正される仕組みです。
「違憲行為をできる恐れがある」という意見が正しければ、裁量権を逸脱した(違憲)行為の差し止め請求ができる理屈です。
物事は具体的状況によりますから「自衛のために必要か否か」その時の事案に応じて対処方法を判断する必要があるでしょう。
現在でも警官の発砲が妥当であったかが具体的事案に即して判断されるのと同じです。
上記の通り、裁量行為であっても行為によっては違法な裁量もありますが、そもそも法の解釈については、17日に見たとおり、ABCなどいろんな考え方・説があります。
合憲説根拠のあらましは、「国家存続のためにある憲法が国家存続の基礎である自衛行動できないとは考えられない」という一般論の外に、憲法自体に国民の生命維持・幸福追求権が明記されていることなどが挙げられていて、憲法全体を見た解釈として合理性があり、箸にも棒にもかからないような荒唐無稽な意見ではありません。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

戦後70年、警察予備隊〜自衛隊発足後で約60年間で見たら、自衛隊が違憲になるような危ない運用をしていませんし国民の97%もそれを認めています。
警官が職務質問できるとむやみに検束され、拳銃を持つと国民がむやみに殺される心配が日本の国では実際的でないのと同じです。
憲法学者にとっては「公務員は権限を乱用するもの」という思い込みがあるのでしょうか?
そういえば最近激しくなってきた立憲主義運動では、権力監視が近代立憲思想のキモであるという主張が目立つようになりました。
専制支配の中国などでは必要な議論でしょうが、肝心の中国で主張しないで(私が弁護士になった昭和40年代でからずっと、中ソの原爆実験やひどい公害発生には何も言わず、日本産業発展の阻害になることには熱心でした)これを日本に持ってきてありがたそうに高説を垂れても、古来からお上を信用してきてひどい目にあったことのない日本国民にはしっくり来ないでしょう。
酷い政治をしてきた中国や朝鮮とでは歴史が違います。
上記の通り、合憲解釈が可能で・その枠内の運用が実際に長期間行われてきた実績があるのに、いまだに自衛隊の存在だけで違憲になる説を採用して、国民の生命財産を守ることも出来ない説を取る憲法学者が7割以上もいること自体が不思議です。
憲法学者の大方は、自衛隊の存在意義を97〜98%もの国民が認めている国民意識に反する価値観を持っているのでしょうか?
意識は国民と同じだが「不都合かどうかは、憲法改正するかどうかの政治問題だ」とするならば、不都合な実態に精通しているはずの専門家として、上記関連業界同様に不都合な憲法に対する改正運動に精出すはずですが、逆に憲法学者と護憲運動が大きく結びついているイメージがメデイアで流布しています。
ただし自衛隊違憲論者の中で改憲論必要と改憲反対がどういう比率になっているかの統計をみたことがない(弁護士会のチラシ等では改憲反対傾向の講演会ばかりなので、改憲賛成派学者がどのくらいいるのかすら分かりません)ので、実はメデイアのイメージ報道がフェイクの可能性があり、実態を知りません。
憲法学者多数か少数意見か不明ですが、一方で「憲法には人類普遍の原理」(・・多分「平和主義」を言いたいのでしょう)があるので、この原理は変えてはいけない」という主張も合わせています。
自衛隊合憲論が多数そうなので今度は、「平和憲法の思想」だけはは守ろうとする二段構えの主張のようです。
最近活発化してきた「近代立憲主義」の啓蒙活動?は、学問的主張のように見えて(高尚な理論の理解能力の低い私の場合)憲法改正反対意識をじわじわと浸透させる運動のような印象を受けます。
しかしか彼らが守ろうとする「平和の思想」自体がはっきりしない・彼ら独特の非武装思想のように見えます。
中国等日本隣国の重武装・核実験に反対運動どころか戦後ずっとノーコメントで、日本だけの非武装平和論ですから、公平な思想とは言えないでしょう。
思想ならば日本だけに適用があるのではなく、世界中に普遍的であるべきです。

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