憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)3

占領軍・民政局は表向き学問の自由保護と称して共産主義と自由主義双方の学問を奨励していましたが、本音は共産主義の応援だったからか?日本では戦後の各種学会では概ねマルクス主義系の経済学者や思想家が主流を占めてきました。
英米的価値観とソ連型価値観(ユダヤ陰謀論で言えばユダヤ系思考・グローバル化目的では共通です)を言う自由はありましたが、日本を含めアラブその他価値観・各地民族教育の必要性を語ることは一切ゆるされず、西欧でさえもうっかり移民反対を言うと極右政党のレッテル貼りされるのが(日本に限らず)メデイア界の世界標準になっています。
日本の国益に関する主張は米国の利益に反しないことを最優先とし、その次にアメリカ軍政終了後の置き土産・監視役としての中韓の利益に反しないことでしたので、ちょっとでも中韓の利益に対立する民族主義的主張をすると中韓から「妄言」として激しく批判され、アメリカからは歴史修正主義者のレッテルを貼られると、その政治家がその失脚し政治生命を失う時代が続きました。
各種学会だけではなく、占領軍による日本メデイア支配の一端については、マンハッタン計画の研究書である以下の論文を読んでいると産軍複合体形成の一環としてメデイア関係の協力関係が偶然出て来ましたので、その一事例としてその部分だけ参考までに紹介しておきましょう。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/why_atomic_bomb_was_used_against_japan/08.htm
(2010.7.18)
トルーマン政権日本への原爆使用に関する一考察
8 対日原爆使用の政策意図  陸軍長官声明から読み取れること
体制に取り込まれる大手メデイア
つまりアメリカの大手メディアは、ほとんどすべて政権と陸軍に協力し、それぞれ応分の利益を得たのである。その代表例が、ニューヨーク・タイムスの科学記者、ウイリアム・L・ローレンスであろう。L・ローレンスはグローブスと親しく、ジャーナリストとして、原爆開発計画では特権的地位にいた。暫定委員会にも出席し、7月16日アラモゴード原爆実験後の政府声明の原稿の下書きもしたし、のちに触れるが「原爆投下直後の大統領声明」の下書きも書いた。
広島への原爆投下の後、ウィルフレッド・グラハム・バーチェットは、9月2日、ミズーリ号上の降伏調印式を抜け出し列車を乗り継いで、広島を訪れた。当時占領軍は厳重な報道管制を敷いて、特に南日本にはジャーナリストの立ち入りを禁止していたから、バーチェットの行動は正確に言えば潜入である。バーチェットはそこで、自分の見たままの広島の惨状を書き、また生存した被爆者が原因不明の病気にかかってバタバタ死んでいく様子を書いた。この原稿は「The Atomic Plague」(原子の伝染病)と題されて、45年9月5日付けのロンドン、デイリー・エクスプレス紙に掲載された。この記事が世界的に大反響を呼ぶ。原爆の悲惨が英語で世界にはじめて報道された瞬間である。バーチェットが検閲を免れたのは彼がモールス信号発信器を携行し、独自に打電できたからだと云われている。
( 以上「トルーマンは何故原爆投下を決断したか?V.投下を推進する勢力」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/009/009.htm>による。)
この記事が、アメリカ陸軍を慌てさせた。特にアメリカ国民には知られたくないことがバーチェットの記事に詳細に書かれていた。放射線の人体に対する影響である。グローブスは直ちに反撃に出た。アメリカの当時一流ジャーナリズムから30人選りすぐって、アラモゴードの原爆実験場に集め、「実験場には残留放射能はない。」とするデマ報道をさせた。この時の陸軍プレス・リリース(報道陣向けのニュース下書き記事)を書いたのもこのL・ローレンスである。ついでにいうとこの時、グローブズは、マンハッタン計画における自分の片腕、トーマス・ファレルを日本に派遣して、「広島には残留放射能はない。死ぬものは死に絶えた。」というデマ声明を発表させている。占領下とはいえ広島地元の中国新聞を始め日本のマスコミは、この時期ファレルの声明をほぼ無批判に報道した。戦前は軍部に協力し、戦後は占領軍に協力した。なんのことはない、何も変わっていなかったのである。変わったのは親分だけだ。
上記の通り、目の前で原爆症で苦しむ人がゴロゴロしているのを知っている現地広島新聞まで、そのまま報道していたと言うのですから、元祖フェイク報道とでも言うべきでしょうか?
ただし、事実は違うとは書けないので、占領軍の(こんなひどい)声明があったと言う無言の批判・抵抗とも言えますが・・.。
日本では「事実を言えない言論の自由な社会」であったことは確かです。
憲法学者の言う「思想の自由市場論」とは、マスメデイアの多数意見しか報道しない自由であり、メデイアに袋叩きに合うと有力政治家も失脚するし学者も芸人も発表の機会を奪われる・ネット発信が可能になるまでは食べていけない仕組みになっていました。
(アメリカの意向に便乗して批判画策する勢力を国内で育てるのに米国が成功し、各分野でその継承者が主流を占めているからですが・・・)
絵画表現で言えば、白と黒の二色しか使えないのに、自由に絵画表現できて嬉しいと喜んでいたようなものです。
戦後ニッポンの思想支配を(陰謀の有無は別として)結果から見ると以下の通りです。
まず頭脳組織トップの東大総長人事から見て行きましょう。
戦後すぐの12月には総長が変わります。
戦後初代総長の南原繁氏自身も次の矢内原総長も戦前アメリカで人気のあった新渡戸稲造の弟子でキリスト教徒である点では同様であり、米占領軍・民政局の眼鏡にかなったのでしょう。基本的にはキリスト教徒で選別されその上で、共産主義親和学者が優遇されていたことがわかります。
南原繁に関する2月13日現在のウイキペデイアの記述です。
1910年(明治43年)
6月 – 第一高等学校卒業。
7月 – 東京帝国大学法学部政治学科に入学する。入学後、内村鑑三の弟子となり、生涯を通じて無教会主義キリスト教の熱心な信者であった。一高に入学したときの校長は新渡戸稲造であり、影響を受けた。
1945年(昭和20年)
3月 – 東京帝国大学法学部長に就任。高木八尺、田中耕太郎、末延三次、我妻栄、岡義武、鈴木竹雄とともに終戦工作に携わるが失敗に終わり、敗戦を迎える。
12月 – 東京帝国大学総長に就任。
南原氏は、キリストの理論との政治の関係で独自の境地に達していた立派な人らしくその人物研究論もいっぱいあるようですが、ネットであんちょこに検索できる研究が見つかったのでこれの一部を紹介しておきます。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_05.pdf
研究ノート〉
宗教ナショナリズムと南原繁
西 田 彰 一
「基督教の神の国とプラトンの国家理念」ではカトリックやヘーゲルの「権力世界」は宗教と政治の一体化した支配的な神政政治の世界として斥けられる一方で、絶対的な神に媒介者なしで結合することで形成される非支配的な神の国は、 理想として高く評価されている42)。つまり、 目指されるべき理想として、原始キリスト教とその系譜に連なるプロテスタントが評価されている。」

上記によると国家を超越した正義のあり方についてキリスト教(特にプロテスタントを理想とする立場)的角度から理解しようと努めていた政治哲学者のようです。
この辺に「国家の存立よりも平和主義」とか、「国家権力を持ってしても侵すべからざる天賦基本的人権」論イメージが現在主流化している淵源がありそうです。
以下彼の哲学思想を見ていきます。

憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)2

戦後航空機製造技術者らが飛行機を作れなくなったので、新幹線技術に挑んで成功したことが知られていますが、これでも日本を「自由経済」主義社会の一員と言っていました。
日本で言われている自由とか人権尊重あるいは平和主義と言っても、アメリカの手の平の上にいる限りの自由であって、観音様の手のひらの端まで飛んで帰ってきた孫悟空みたいなものです。
アメリカの手の平から経済力ではみ出しそうになった日本は、プラザ合意以降アメリカの手先・中韓の攻撃に曝されるようになりいわゆる「失われた20年」を経て現在に至っています。
最近の日米関係好転の原因は、日本がアメリカによるジャパンパッシングに懲りて飽くまで「良き同盟国として)アメリカの手のひらから出ないことを明らかにし、他方中国がリーマンショック以降アメリカの主敵として躍り出た結果、攻撃相手が日本から中国に変わっただけのことです。
以下敗戦以降のアメリカによる日本の思想支配について素描します。
今になると常識化していますが、日本を対米戦に追い込んだアメリカのルーズベルト政権は容共主義者の塊・巣窟であったと言われていますが、これも反対の立場によればフェイクニュースに惑わされていることになるのかな?
ルーズベルト急死によりその政策をそのまま引き継いだ副大統領トルーマンは多分その体質をそのまま引き継いでいたと思われますが、本国では隠れ共産主義政権だったので堂々と共産主義浸透教政策をできなかったのですが、米ソ協調の戦後体制を作った直後は、日本占領統治も昨日紹介した連合軍・・主に米ソ共同統治の方向を公然実行できたことになります。
日本占領政策は共同関係である以上は、双方の思想教育を公平に行う体制になったのは結論的に見て当たり前です。
(この辺・以下は私の個人意見であり事実か否かの検証までしていませんが・・)
ただし連合軍の進駐とは言っても、米軍以外は連合軍の体裁を作るため代表を派遣していただけで米軍が実戦力の100%を占めていたので実際の占領政策は現場を握る米国(マッカーサー)の思惑通り進められたことは間違いないでしょう。
戦後すぐの東京裁判でも外形上インドその他連合国も加えましたがストーリーはアメリカ主導でした。
イラク多国籍軍でもアフガンでも主戦力の米国が決めるのを参加国が追認するだけになるのが普通です。
1月13日前後に日本国憲法制定過程で連合軍の形式を重んじて結成された極東委員会をコケにしてGHQ主導で決めてしまった動きを紹介しましたが、日本での赤化政策の遂行もソ連との共同統治に名をかりた当時の米政権の(容共体質)本音がそこにあったと見るべきです。
占領政策を担当する民政局長にホイットニー着任後G2・マッカーサーと対立関係に入っていくイメージが知られていますが、ホイットニーの率いる民政局は着々と日本の教育界やメデイア界→思想界を赤化して行きます。
民政局各個人の思想傾向については性質上公式記録には出てきませんので、周囲の評価に過ぎず客観性がないですが、民政局はいわゆるピンカー達が支配していたことが知られています。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110417/1303041243によると以下通りの人物評です。

GHQは民政局(GS)のほかウィロビー少将率いるG2と呼ばれる治安、諜報活動を受け持つ組織があり、この二つは激しく対立していました。
ホイットニーの部下のケーディス大佐はリベラリストであり、ユダヤ人です。ウィロビーはドイツ系米国人でした。こうした関係も二つを対立させる要因となっており、ウィロビーはホイットニーやケーディスらを「ピンカーズ」と呼んで毛嫌いしていました。
ピンカーズは共産主義者という意味です。
GHQ憲法は共産主義者の手によって作られたものです。

アメリカの機密文書公開を根拠に、対日政策がユダヤ系・共産主義者主導であったかのような意見が紹介されていますので以下に引用します。
私は自分でアメリカの公文書そのものを見に行く暇も能力もないし、以下に紹介するブログ発信者自体が何者か不明です。
アメリカの公文書紹介がフェイクかどうかチェックできる人は滅多にいないでしょうが、「フランクフルト学派」の説明その他も概ね普通に見えるものの、フェイクというものは真偽織り交ぜて本当らしく見せるのが普通ですので、「ちょっと見」ではその区別できる人は滅多にいないでしょう。
以下、各自御自分の能力に応じて信じるかどうか決めていただく前提で紹介しておきます。
https://ameblo.jp/gwh28/entry-12125624098.htm

2016-02-06 10:42:00
かまくら保存の会様のフェイスブックより
1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。
まだ全部は公開されていないようです。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっており、マルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムなどがいます。
このOSSはコミンテルンの方針に従っていたわけでもないこともわかっています。
日本計画は1941年12月の日米開戦直後から準備され、日本の敗北を見越し、日本をいかに軍事的に壊滅させ、以下に戦後の日本社会を攪乱させるかを目的化したものです。天皇を象徴とする方針もこのとき立てられ、伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力の膨張を抑える方向へと誘導するというものです。これらはマッカーサーにも伝えられています。
・・・OSSの計画は「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」という2段階革命論であり、一気に天皇打倒するのではなく、他の改革を待って廃絶させる段階を待つというものです。以前書きましたが、憲法の「国民主権」「天皇は国民の総意に基づく」というのはまず第一段階のことなのです。ソ連が強行に皇室の廃止を求めたのに対してGHQは計画通り遂行していたのです。皇室の数を制限して立ち枯れ作戦も第二段階を意識してのことでしょう。憲法九条も次の革命のときに軍隊がなければ革命を起こしやすいという目的で作成されました。

戦後日本の言論の自由・学問の自由といっても「アメリカの容認する範囲の自由」と言う枠があったのを我々戦後世代は子供の頃から教えられず、素朴に「自由な国だ」と信じ込んでいたキライがあります。
資本主義・自由主義とソ連型の共産主義・国家管理型社会を理想化する二方向教育がゆるされていたので、言論の自由がある社会に見えていただけです。

憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)1

民族主義者であろうとなかろうと、憲法や刑法その他の法制度は(憲法などよりずっと下位の身近な道路交通法や自治体の条例でも)その法や条例の効力が及ぶ地域内のために良かれと思って制定するものでしょう。
よその国や他民族のために制定するものではありません。
千葉市の条例や職員向け内規は千葉市民のために制定するものであって、隣接市町村のためにあるのではありません。
商家や大名家の家憲家訓も同じで、自分が創業した商売や政権を滅ぼすために家訓や家憲を制定する人はいません。
社内ルールも自社のために取締役会規則や就業規則あるいは操業マニュアルを作るものであって、他社のために作る会社はありません。
スポーツその他各種クラブにはルールがありますが、その組織やスポーツを維持発展させるためにルールを作るのです。
自社従業員のためにもいろんなルールがありますが、会社を潰してでも守るべきルールがあるとしたら背理です。
国家の場合も憲法で定める「思想信条の自由」は国家のより良き発展を目指すためのものであって、国家を潰す目的の自由があるとは思えません。
内乱の予備陰謀だけで処罰されるのはこの端的な例です。
組織内秩序維持に反した場合、その認定手続に従い拘禁され、有罪認定によって懲役刑にとどまらず生命(死刑)まで奪えるようになっていることがその思想の現れです。
思想信条の重要性といっても生命よりも重要なものがないはずですから、思想信条だけ国家運営から超越できると言う主張は無理があるでしょう。
この論を合理化するには先ず外堀を埋める必要があって、グローバリスとは死刑廃止論にこだわる政治的意味があるのかもしれません。
国家を潰し民族を他民族の支配下に置く「目的」までなくともそういう結果をもたらす思想宣伝の自由があるとは思えません。
日本の憲法学者や思想家の意見を見ると国家存続よりも基本的人権や平和主義の方が優先するかのようなイメージ主張が流布しているような印象です。
印象という意味はずばりの主張をみたことがないからです。
例えば非武装平和論に関する討論番組を見ていると
「中国が日本侵略を開始したらどうするのか?」という趣旨の質問に「そうならないように努力するのが政治の役割だ」と答え、「そういう努力をしても問答無用で領土割譲を要求して実力行使してきたらどうするのか?の質問には「そうならないように努力する」という繰り返しで討論が終わるのが普通です。
強盗や窃盗恐喝殺人等にどう対処するか警察力の強化の議論では、それなりの対処してもその地域での犯罪が増えてきた場合の議論であって、どのような教育をしても善政を敷いても犯罪ゼロにできない現実を前提にした議論です。
同様に戦争の起きない世界が理想としても、実際に強引な要求を通すために武力による威嚇や実力行使が行われる時にどうするかの議論をしているのに「そうならないように努力する」というのではまともな議論をする態度とは思えません。
こういう議論の繰り返しを見ていると次元の違う無責任回答・・「日本民族がどうなっても気にしない」基本姿勢を前提にする印象を受けますが、この理解は私の一方的誤解かもしれませんので「印象」とかいています。
「北朝鮮のように日本に自由に侵入して好き勝手に選んだ日本人を拉致していっても指をくわえて見ているのか?」という質問にも「そうならないように」というだけでは、北朝鮮を大事にすれば良いという程度の意見かな?という推測しかできません。
結局彼らのいう非武装平和論は、「旧中ソ圏に対する友好国になれば良い・・・そうでない限り日本が滅びるかどうかは知ったことではない」という(中ソの)主張を根底にしていることになるのでしょうか?
上記の通り「日本がどうなってもいい」とズバリの意見はないでしょうから、証拠を出せと言われれば出せませんので印象というしかないことになります。
一方でアメリカを中心とする自由主義国家寄りの意見では、思想表現の自由論を筆頭にいわゆる「天賦不可譲の人権」論で国家以前の権利であるかのような(これもそのように誘導しているだけで、はっきりそう言っていないように見えます)主張を展開しています。
日本の戦後思想界はアメリカ系と中ソ系に分かれて争って来たもので、日本の国益を求める意見が脇に追いやられているというよりも、もともと敗戦後そんなことを言える立場でなかったのが今に続いているように見えます。
アメリカ系の金科玉条は基本的人権の尊重・・分けても重視してきたのは思想の自由市場論でした。
これによると「言論の自由は国家発展に寄与する」とも言いますが・・。
以上の経過を受けて、我が国憲法学者・ジャーナリズムは、日本国家存立のためになるかの視点よりは、戦後米ソの意向をの代弁・紹介していれば、一流学者・その道の権威になれる社会だったように見えます。
2018年1月6日に「皇室典範は憲法か?1(天皇観根本変化の有無1)」芦部信喜その他戦後憲法学者を紹介したことがありますが、憲法学界ではアメリカ憲法学・判例紹介をしてきた人たちがわが国憲法学の主流どころかほぼ100%に近いでしょう。
憲法学者による基本的人権論は、メデイア界を実質支配してきたアメリカの論理に従っていました。
すなわち「基本的人権の中でも(政治動向に直結する)表現の自由は、特別・別格であって、「公共の福祉」で安易に規制すべきはなく(といっているかどうか知りませんがそのようなイメージ流布で)アメリカが実質支配する「思想の自由市場」アメリカが許容する範囲内競争の結果事後的に市場で選別されるべきと言う特殊な地位を与えられています。
憲法学者の言う表現の自由とは、アメリカの世界支配思想の範囲内での自由だったように思われます。
日本国憲法と明治憲法の違いは、明治憲法では臣民の義務、法に反しない限度の人権保障であったが、戦後憲法では、憲法の保障に格上げされた点が根本的相違であると習ってきました。
しかし本国米国では、ルーズベルトの容共政権に対する反動で反共・マッカーシズムが吹き荒れると日本でもレッドパージが行われたなどの実例を見ると、米国(という外国の都合)支配に反しない限度の人権保障に変わっただけだったことが証明されています。
どっちみち何かの限界内で人権が認められ制限されるならば、外国の都合の範囲内での人権よりは、自分の属する共同体を守るための範囲内で認められる人権保障の方が合目的ではないでしょか?
日本の各種(憲法に限らず経済学その他多種多様な)学会や報道界では、資本主義だけではなくマルクス経済学や左翼系ジャーナリストが並立していたので、一見学問の自由があるようでしたが、いずれも日本民族のための研究発表の自由ではなく、敗戦直後の政治情勢では、むしろ「日本民族再興を許さない」方向で米ソ両国が一致していたので連合軍は、当初ソ連を含めた共同占領統治体制が表向きの体制でした。
GHQを傘下におく極東委員会設置が1945(昭和20)年12月のモスクワ外相会談で決まったことを、「GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会1→天皇制存続?」January 13, 2018で紹介したことがあります。
この結果、資本主義、共産主義双方の学問が保護されたのは、一時的偶然にすぎません。
再軍備を許さない方針は容共のルーズベルト〜トルーマン政権下では方向性が一致していましたが、朝鮮戦争を契機に後方陣地として日本に協力させるために一定の再軍備が要になったので、完全な丸腰・・非武装平和論の支持勢力が中ソ系人脈に限定されるようになっただけのことです。

沖縄先住民権論4と言論の自由4

前置きが長くなりましたが、オナガ知事の国連演説を紹介しましょう。
平成29年9月10日の「先住民権運動の背景3(ロシアの領土欲1)」の続きでもあります。http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/21/takeshi-onaga-okinawa-un-human-rights-council_n_8173918.htmlによると以下の通りです。

NEWS
翁長雄志知事が国連で演説
「沖縄の人々は、人権をないがしろにされている」(日本語訳全文)
沖縄県の翁長雄志知事(64)は9月21日、スイスで開かれている国連人権理事会で約2分にわたって英語で演説し、アメリカ軍普天間基地の移設計画について、沖縄に米軍基地が集中する実態を紹介し「沖縄の人々は、自己決定権や人権をないがしろにされている」などと訴えた。
翁長知事の国連演説は、国連人権理事会の場で発言機会を持つNGO「市民外交センター」が、持ち時間を提供して実現。国連での演説の意義について、同NGOの上村英明代表は琉球新報に、「沖縄の基地問題は安全保障、平和の問題ではなく、人権問題だということを国際社会にアピールする機会となる」と説明した

報ステが方針転換?翁長知事国連演説の真意を報道


2015年10月1日
報ステが方針転換?翁長知事国連演説の真意を報道
「この場のスピーチには、どういう意味があったのか。国連人権委員会の元委員に話を聞いた。
「翁長知事が発言した内容の中に、『沖縄の人たちの自決権が無視されている』と。国連人権理事会でこの演説を聴いた人は、『先住民たる沖縄県民が住んでいる沖縄という島の中で、アメリカが軍事基地を新たに設置しようとしている』という図式を描くわけですね」
「安全保障の問題が、人権の問題に。もう一つは、国内問題であったものが、国際的な問題に変容している」(元国連人権理事会諮問委員会委員 坂元茂樹氏)、
「・・自決権というのは2つあって、沖縄の中の自治権という意味もあるけれども、もう一つは「独立」を含んだ、「独立の決定」という意味の自決権という意味もあるので、この国連の人権理事会の中ではそういうニュアンスを含んで、あの短い時間とはいえ、スピーチをしたととらえたほうがよかろう」と、そういう見方が出ております。」

ところでNGO「市民外交センター」とは何者か?
http://japan-plus.net/783/によれば以下の通りです。

(1)市民外交センター http://www005.upp.so-net.ne.jp/peacetax
先住民族の人権問題に取り組む団体。代表は上村英明氏。長年、琉球民族を先住民として認めさせる運動を国連に対して続けている。2014年、国連は日本政府に対し、琉球民族を先住民族として認めるよう勧告を出している。

NGOとは何でしょうか?
NGOとは、本来は政府権力から離れて人権を守る運動家の団体であるべきですから、人権を守るために政府と意見対立する必要のある場合もありますが、「逆は必ずしも真ならず」の法則通りであって、政府意見に対立.反対運動すれば全て人権擁護になるとは限りません。
NGOが国連等で行なっている日本社会批判が本当に人権を守るためにやっているか?のチェックが必要です。
結果的に日本に不都合な(慰安婦騒動のようにありもしない?)事実を(外国勢力の影響下で)NGO の名で国連に広めていく反日国家の別働組織と区別がつかない印象を受ける人が多いでしょう。
この疑念を払拭するは、日本のNGOの資金源を明らかにする必要があります。
大口の資金を出している人や組織が本当の支持者であり本籍ですし、その支持者のために動くのが普通です。
どこが資金を出しているのか?・いわゆるマネーロンダリングの解明次第ですが、これができないと実態が不明です。
マイナンバー法案に反対し、成立後には普及に徹底反対する組織はこの問題が絡んでいる印象を感じられます。
資金問題はヒューマンライトナウが16年末頃に誇らしげにネット報道した日本の少女売買春国連調査官報告?の騒動時に関心を抱いて書きかけていましたが、間に色々挟まって連載が先送りになっています。
事務所経営している弁護士として経営の視点から見ると資金源の重要性に関心がいきます。
当時ネットで活動実績などをみると、NGO活動にほとんどの時間を費やしていて、しかもたまにやっているように見える?本業の弁護士活動ではあまりペイしない自己犠牲的訴訟中心の仕事ぶりのアッピールが出てきました。(綺麗ごとを書いているだけで実はぼろ儲けしているのかもしれませんが・・)
国連まで出かけて活動するには(1回行くだけならば大したコストではないでしょうが、そこまで自分を売り込むには)相応の活動経費がかかると思われるし、国内NGO関連事業でもあちこちへ行くイベント経費を誰が出しているのか?
設営作業参加者から徴収するとしても簡単にペイしそうもないようですから、(参加協力者自身交通費その他の負担があり日当ゼロの無償参加自体がきついでしょうから・お弁当くらい配給して欲しいとか?参加費を払うどころではないでしょう)どうやって事務所経費や集会・イベント費を賄っているの?という疑問から書きかけのままになっています。
資金源の公開についてはどうあるべきかNGOの資金源のシリーズで別に書く予定です。
翁長知事は(中国の応援で)日本から独立の道もあるのだ→「中国の属国になってもいいんだ」とは言いませんが、先住民論を国連で事実上公式発言したので上記の通り一歩踏み出したと取られています。
韓国パク大統領が自国を有利にするために中国にすり寄ったのと同様に、なりふり構わない・・浅はかさでは同様ですが・・同じ日本人でそこまでするか!というのが大方の印象でしょう。
もしかして「元々俺は日本人ではない・・先住民だ」というのであれば・・「愛国心はどうなっているのだ」という意見は議論がかみ合いません。
古来から「何があっても同じ日本人である」という1点で価値観を共有できましたが、外国の応援を背景にしているかどうか不明ですが?こういう人が出てくると・・難しくなってきました。
中国はこれに呼応して(というより中国共産党の長期的浸透作戦が実を結び翁長氏を擁立したという?噂があります)尖閣諸島だけではなく、沖縄諸島全体が中国の領土だという主張を始めているようです。
この数日の引用に限らず、このブログでの各種引用は、元の記事自体が本当にあるか不明・確認する能力が私にはないので、このようなネット報道があるという程度の信用でお読みください。
http://blog.goo.ne.jp/yomogiinu/e/71d61b213f725292c89eb9cc91aea090

沖縄は中国領だと世界的に主張する中国
2016-11-16 | 中国
中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は16日、日本が「奄美・琉球」(鹿児島、沖縄)の世界自然遺産登録を目指していることに関連し「琉球諸島は日本固有の領土とは言えない」とする専門家の論文を掲載。中国ではここ数年、沖縄に関する日本の主権に疑問を投げ掛ける論調が出ており、自国領と主張する沖縄県・尖閣諸島に対する日本の領有権を崩すための世論工作とみられる。「奄美・琉球」の世界遺産登録に関しても、中国は尖閣まで対象地域が拡大しかねないと懸念している。」

各地で今後原発停止仮処分が通らなくなると、オナガ知事のような(「外国勢力になびいて良いのか?」と言わんばかりのそぶりをして?)主張をしたい誘惑が出てくる・「魚心あれば水心」で日本の混乱を狙う中国が暗躍を始めるのでしょうか?

地方自治と国家利益(民族一体性)1

オナガ知事15年訪米時の記事からです。
http://vpoint.jp/media/44476.html

翁長雄志沖縄県知事の訪米は大失敗
江崎 孝  2015/6/05(金)  メディア批評|沖縄 [沖縄時評]
恥晒した権限誤解翁長知事の思い込みをはるかにしのぐほど、米国の要人や政治家は民主主義が何であるかを心得ていた。つまり州知事と州政府の安全保障に関する法的権限を厳しく峻別(しゅんべつ)していたということである。その点、外交・安全保障にかかわる地域の首長の法的権限を誤解し、夜郎自大な発言で、世界に恥を晒(さら)した翁長沖縄県知事とは雲泥の差である。
・・最後に付け加えると、出発前の記者会見で外人記者が発した「それ(訪米)よりも知事はなぜ安倍首相を説得しないのか」という質問の意味が理解できなかった翁長知事の責任を問うべきである。」

地方自治体首長が政府の頭越しに外国で政治発言をするのは、越権行為だという基本教養がないのが問題です。
「元々自分らは先住民・異民族だから・・」というのでは、同じ土俵での議論になりません。
いわば 対等国家同士が合併したのが連邦制ですが、連邦制の自治と我が国の自治とは制度のなり立ち・本質が違っています。
与那国島の自衛隊基地設置可否の住民投票権についてOctober 24, 2016「自治体の意思決定3(エゴだけで良いか?2)」で少し書いたことがありますが、原稿がそのままになっていたので今日はその続きです。
ダムのために村が水没し、原発など子孫に関係する問題・・先祖伝来の家屋敷田畑を失い100年以上先まで影響することについて、ダム工事準備の現場労働のために数ヶ月や1年前から来ている人や転勤族が、(仮に永住する気があるとしても)口出しするのはおかしいと思うのが普通ではないでしょうか。
まして数年後には本社に戻ったりして出て行く予定の人たちに先祖代々住んでいる人と同じ発言権や投票権を与えるのは合理的ではありません。
ゴミ捨て方法や保育所の設置数など身近な問題だけ決める制度設計の自治体の場合には住民参加・(国籍を問わない)居住者中心・・2〜3年しか住まない転勤族でもどこに信号機があれば良いか、この路地は一方通行にしてほしいなどの意見を言う権利がある方が合理的でしょう。
しかし、国防や原発立地・首都圏の水源地やダム設置など全国的または広域的影響のある問題まで、山間〜過疎地の自治体住民のエゴ・損得だけで決めてしまう・・拒否権があるのは行き過ぎです。
身体で言えば生命体全体維持の必要があって検体検査のために一部切り取る・あるいは血液検査する必要なトキに身体の一部が犠牲になるのは痛いから嫌だと言えるのは馬鹿げています。
影響を受ける都や国にはまるで決定権がない我が国の制度と一緒にする意見自体が論理のすり替えにならないでしょうか?
トランプ氏の移民排斥(再入国禁止)基準をどこに置くかのテーマと同じで難しいですが、選挙権の場合には居住(転居してくることを)自体を禁止するのではなく、その自治体での政治に参加するための保留期間にすぎませんし、その間は元の居住地での選挙権を行使できるようにする余地もあります。
特定政治テーマ実現のための運動員潜入を阻止するためには、少なくとも5年以上継続居住条件くらいはつけるべきでしょう。
公職選挙法では居住要件が僅か3ケ月しかないので、選挙目的の転入が公然と行われる(という噂)が広がっている状態になっています。

公職選挙法
(昭和二十五年四月十五日法律第百号)
(選挙権)
第九条  日本国民で年齢満十八年以上の者は、衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有する。
2  日本国民たる年齢満十八年以上の者で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有する者は、その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する。」

引っ越して3ヶ月やそこらでその自治体の抱えるテーマについて利害や識見をもっている人は(元々の住民が転勤から帰ってきたような場合や選挙目的で住民票を動かした人は別として)稀有でしょうし、何のために短期間に投票権を与える必要があるか不明です。
例えば都議会選挙の選挙時期に関する公明党の本音が公然と語られていること・・(選挙向けに住民票移動が行われているからではないか?と昔から言われていましたが、真相不明です)最近沖縄基地周辺で専従的運動員がいるらしい・・・・本土から移住者や韓国語・中国系言語が飛び交っていると言う指摘が多い所以です。
http://www.sankei.com/politics/news/161004/plt1610040038-n1.htmlからの引用です。

「北部訓練場の暴行で逮捕 容疑者は社民・福島瑞穂議員らと接点」
「沖縄県の米軍北部訓練場(東村など)の過半の返還に向けたヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)の移設工事に対する妨害活動で、防衛省沖縄防衛局職員にけがを負わせたとして、沖縄県警は4日、傷害の疑いで、工事反対派で住所・職業不詳の添田充啓容疑者(43)を逮捕した。添田容疑者は8月ごろから北部訓練場の妨害活動に参加。社民党の福島瑞穂参院議員が現地を訪れた際には行動をともにしていたという。」

上記産経報道によると基地の過半を返還・縮小するための工事を妨害しているのですから、これでは何のための反対運動をしているのか意味不明(詳しい人にはそれなりの理屈があるのでしょうが・・)な印象です。
訓練基地の過半を返してもらうための工事妨害ですから、沖縄県民の基地負担縮小を名分とする反対運動していたのとは方向性が違っています。
どこかおかしいと言えば、辺野古基地移転騒動も基地周辺の負担が大きすぎる問題解決・負担を減らすために一部海上へ移転しようとしたらこの騒ぎになったものです。
http://critic20.exblog.jp/26053008/

「先週(10月4日)、沖縄の米軍北部演習場でしばき隊の男が逮捕された。ヘリパッド工事に反対する抗議行動の最中に、防衛局職員を突き飛ばして転倒させ、頭部打撲など2週間のけがを負わせた傷害の容疑である。男の名前は添田充啓(本名記載→私が抹消)。しばき隊の戦闘部門である男組の組長を名乗っている。前科三犯。過去3年間、男組の活動中に3度逮捕され、いずれも暴行・脅迫で有罪になっていて、今回で4度目の逮捕となる。」

彼は16年7月以来沖縄に張り付いて運動していたようですから、生活費を含めてその資金背景に関心が行きます。

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