国家的事業と自治体の拒否権6(一坪地主運動)

自治体には自主性が重んじられるからと言って、国で決めた開発方針に逆らって、開発予定地の学校や道路付け替えなどに応じないのは「自治の本旨」に反していませんか?
国会で十分な審議をして折角決議しても全国〜広域規模の施設が必要な施策について、その計画地の1つの自治体が反対すると政策実行出来ない不思議な国家制度となっています。
たとえば、全国〜広域規模の新幹線や高速道路は、・・誘致競争しているので政党による反対がない=問題が起きていないだけ→もしも与野党で新幹線や高速道路敷設に関して意見対立あったた場合、その予定沿線の一部にでも野党系首長がいると前後数百kmの工事が貫通しなくなります。
こう言う運動をしている野党は、与野党一致の政策以外は何も出来なくて良いと言う考えによるのでしょうが、これでは自治体が独立国になっている・・友好国・連合の関係と同じで統一国家内の自治体とは言えません。
ソモソモ民主主義制度とは意見が対立する前提で違った意見・・議論を尽くした上で多数決で決める前提で成り立っています。
その議論の結果評決で負けた以上はその結果に従い次の選挙で雪辱するのが民主主義の原理です。
スポーツでも何でも一定のルールで試合して負けた以上はその結果に従うべきです。
昨日アメリカ大統領選最後の討論会の模様が報じられていましたが、(マスコミのでっち上げテーマかも知れませんが)最終討論会の大きなテーマは「選挙結果に従うかどうか」が大きなテーマであるとして掲げられていました。
ブッシュ氏に選挙で負けたゴア氏も相応の言い分があったでしょうが、「敗軍の将兵を語らず」で不満を言っていません。
スポーツで相手が卑劣っぽい勝ち方をしたときに負けた方にマイクを向けるとこれには答えず、「私が弱かっただけです」と答えるのが普通です。
負けてもグジグジ言うのは、アメリカでも嫌われているからこそ,このルールをトランプ氏が守りそうもない印象を強調するためにこう言うテーマを民主党系マスコミが大宣伝していると思います。
成田空港の例で言うと最大野党社会党が反対して1坪地主運動を推進したのですが,全国の国民が支持していない・・選挙で負けた結果をイレギュラーな方法で国策実施段階で妨害をするのは民主主義ルールに反しています。
「飛行機は騒音があるだけで何の国益もない金持ちの贅沢品に過ぎない」と言う政策のママ(私が弁護士若手の頃にこう言う理由で反対運動参加の勧誘を受けていたことをこのコラムの始め頃に紹介したことがあります)でいたら、日本経済はどうなっていたかと思う人の方が多いでしょう。
多分当時の社会党や共産党も飛行機の有用性を知っていたでしょうが、「日本人に飛行機にさわらせない・絶対に作らせない」と言うアメリカ占領軍の置き土産を代弁していたのだと思われます。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/editからの引用です。
「 一坪地主 」 とは土地登記簿上の名義人 ( 地権者 ) を増やして、土地収用手続きを煩雑化させる目的で作られたものですが、三里塚・芝山連合空港反対同盟が、空港内の地権者から土地を購入し昭和41年(1966 年)に始めました。一時は約1,260 人におよびましたが、成田空港が開港すると約 400 人に減少しました。
昭和 58 年(1983年)に反対同盟は、2期工事阻止をねらい再度「 一坪地主 」運動を始めた結果、平成7年(1985年)には約1,400人に増えました。
社会党 ( 現社民党 ) も空港反対闘争の一環として、組織的に 「 一坪地主 」運動を推進しましたが、当時の土井たか子委員長も 一坪地主になりました。空港建設に反対し妨害行為をしながら、彼女と社会党 ( 現社民党 )員たちは、訪朝、訪中の度に成田空港から出入国していました。
ある時成田空港へ帰国した土井党首に対して、 カメラの前で テレビ記者からその矛盾点を追求されると、記者を無言でにらみ付けただけで何も答えませんでした。( 正しくは 答えられなかった のでした )
公の立場にある政党の党首が 成田空港を常に利用しながら 反対派の 「 一坪地主 」 に名前を連ね、空港建設工事を自ら妨害するという矛盾や、その愚行を テレビの視聴者の前に露呈した結果になりました。」
土井党首が答えられなかった問題はマスコミで大きく報道されたので、記憶されている方も多いでしょう。
「飛行機製造絶対禁止政策」の結果飛行機技術者が新幹線製造研究に方向転換したことは良く知られているとおりです。
このような激しい反対運動の連続の結果、今頃、ホンダや三菱の国産旅客機が漸く離陸出来るかどうかと言うほど国産旅客機製造が遅れてしまいました。
統一地方選挙制度であればこう言う「ズル」を防げますが、地方選挙・・例えば今回の新潟知事選や東京都議会選挙は時期がずれているし、各種反対決議等は時間差があるのでいわゆる「プロ市民」が巡業的に何回でも参政権?を行使出来る制度設計になっています。
例えば国民の1%しか支持されていない勢力でも活動家率が高いと、これを組織してあちこちの選挙の都度移動して行くと・・仮に100カ所に移動すると全く移動しない人から支持を受けている政党に比べて100倍の得票が出来ます。
以上によれば自治体選挙結果は実は当てにならない・全国一斉の国政選挙での得票率こそが本来の国民意思の現れと言うべきでしょう。
活動家が押し掛けて来て投票しても、彼らがいなくなれば、もう一度選挙し直せば良いかと言うとそう簡単には行きません。
アメリカのグランデール市の慰安婦像設置と同じで、集中的運動期間を決めて一度勝てば良いのです・・その後中韓系移民がどこかへ行ってしまっても一旦設置されてしまった像は簡単に撤去されません。
ダムでもロケット基地でも公民館でも一旦建設されれば、再決議をして簡単に撤去出来ませんし、あるいは一旦撤去され、否決されててしまえば、再設置の機運は(空港でも工業団地、港湾整備でも反対運動が激しくて予定が立たなければ・・事業家は別のところに進出してしまうので)簡単に再度の機運が盛り上がりません。
自衛隊基地や原発立地・空港設置やダム工事の可否も同じで1回否決してしまえば、その後活動家がいなくなっても、計画そのものを一旦頓挫させたり、施行を長引かせて時機遅れにしてしまえれば或る国策反対論者としては、目的を達することが出来ます。
与那国島の基地問題で言えば、レーダー基地を設置するかどうかで小田原評定を続けているうちに中国に占領されてしまえば議論不要になります。
成田空港も何十年も計画完成を遅れさせ、その後拡張が必要になっても簡単でない(上記のとおり拡張工事が必要になると又一坪地主が増えました)結果、国際ハブ空港の地位が韓国に移ってしまいました。
先進的産業発展計画も「◯◯があったらどうするのだ」と言う反対ばかりして、実験用地買収に反対しているうちに国際的先端技術開発競争に負けてしまいます。
与那国島の例で言えば住民投票条例は6年前に出来ていると言うのですから、長い間掛けた争点だったこと・・あるいは成田空港の例で言えば、野党が反対している国策決定後実現までには何十年もかかる我が国の実態が分ります。

国家的事業と自治体の拒否権5(原発の可否は国政で!)

現在日本の法制度は何重にも地元自治体の協力を必要とするようにシステム化されていて、1つの事業についてある部分では地元の村や町の許認可・例えば国道を通すのに小さな公園や小学校の移転が必要な場合など重層的な地元自治体の協力がないとどんな国策も進まないようになっています。
3日ほど前に新潟県知事選挙で反原発派?知事が選挙に勝ったと報道されていてこれに迎合するように近くに学校があって、これではいくらなんでも危険だ、無理だと言う尤もらしい意見が流布しています。
そんな些末なテーマは、原発をどうするかの議論で決着がついている話のすり替えまたは蒸し返し論です。
成田空港の例を書いて来ましたが、日本に空港が必要でありどこに立地するかが国政の場で決まった以上、その空港予定地内の道路や公園を廃止するのは当然の原理です。
あるいは境界ギリギリに保育所などあれば、これを移転するのが本来です。
決まってから、計画地内あるいは直ぐ近くに道路、小学校や幼稚園があるからダメ、民家が空港内では困ると言う議論すること自体が馬鹿げていると言うか、論理すり替え・・新たな知見に基づいて考え直す必要があるならば、国政の場で議論すべきことです。
ダム工事や自衛隊基地その他国策的計画の場合、計画地周辺に民家も道路も何もない土地は普通に想定出来ません・・当然予定に入っているのが普通です。
工業団地計画でも、敷地内だけではなく周辺住民の危険を防ぐために国道等からの取り付け道路まで計画するのが普通です。
国政の場での決定段階で地元代議士が道路のつけ替えなどで住民にはこう言う不便が起きるとか、学校も移転する必要があるから困るとか逆に誘致する立場の人はその程度のマイナスは良いからそれでも地元産業振興のために誘致するかを決めて運動して来た結果でしょう。
今回のオリンピック会場経費問題もそうですが,誘致する方(会場までの道路整備など知られています)も審査する方も共に相応の周辺整備負担を考えて行動しているものです。
もしも原発近くに学校があって危険ならば地元自治体が移転すべきことであり、これを(補償交渉で「この範囲まで保障して欲しい」と言う議論までしたら誘致出来ないと思って黙っていたのか・)しないで今になって、「近くの学校が危険だから原発反対」と言うのは議論のすり替えです。
仮にどちらの責任でないとしても(津波のような大災害が想定されていなかったと言うならば、津波の危険があるならば原発がなくと移転すべき問題であり)保障の問題でしかありません。
危険でないと思っていたが大津波を想定すれば危険と言う判断に変わったとするならば、学校の移転などの対応を変えれば良いことであって(間違っていたとすれば、当時誘致運動していた人の責任であり、その分の保障をもらっていたのに移転しかなった場合もあり得ます?)そこからイキナリ原発をやめなければならないかの問題にはなりません。
ある場所で交通事故多発しても、すぐに通行止めにしないで、信号設置やカーブミラー設置などいろんな対応があるように、学校が近いのが危険と言う意見に変わったならば、学校移転を議論すれば良いことです。
柏崎原発のデータは以下のとおりです。
  着工 1978年12月 運転開始 1984年11月
着工後約40年経過と言うのですから、・・その前の計画や賛成反対運動の時間を考えると50年くらい前からの議論です・・原発後に学校が出来たのか前からあって5〜60年間誰も問題にしなかったのか?当時から危険性が問題になっていながら、誘致に決まったならばその直後に移転すべきだったでしょう。
学校は昔からある(筈・・原発設置後に作ったならば作った自治体の見通しミス)なのに、今になってイキナリ反対材料として言い出した印象があります
前からあった場合「何故学校そのままの前提で誘致したのだ」と言う内部責任追及の問題・・自治体の当時の責任者・・誘致活動した政治家などのミスを、何故交渉相手の政府や東電の所為にするのか不明です。
日本政府が外国と損な約束していたとしても、それは内部責任追及の問題であって次の担当者が引き継ぐしかありません。
オリンピック会場設営経費が高くなってしまった分を国際オリンピック委員会で補填してくれとは言えないのが普通です。
もしも現状の学校が危険ならば学校を移転すべきで、今まで問題がないとして移転しなかった地元自治体の責任を論じるべきです。
空港計画で言えば、計画区域内に道路や公園・小学校があるから空港作るなと言うのではなく、国政の議論で空港の必要性と設置場所が決まった以上は、国政決定に従う義務・・自治体は計画区域内に公的施設が邪魔にならないように移転すべきであって、(相応の保障は当然)公的施設や公園・保育所があり村道が走っているコトを理由に計画に反対出来る・公園や道路廃止手続などサボタージュが許されるのでは、国政は何も出来ない・・統一国家とは言えないでしょう。
この原理はダム工事(集落丸ごと水没する場合さえあります)でもゴルフ場開設(民営の場合公益性が低いので所有者同意が必要・・収用出来ません)でもみな同じです。
自治体が反対すれば国政が滞る前提でこれを悪用することを羞じない人材が増えて来ると、これを狙って国政上の議論で負けた政党が特定地方に人を集めて反対させる邪道がはびこります。
日本の人口1億数千万人として、僅かに0,001%でも意図的に集めれば過疎地では相当な影響力があります。
10月17昨日紹介した与那国島の住民投票の例で言えば、外国人の投票まで入れて賛否の票差が約200票ですから運動員が直前(3ヶ月前)に300人も移住届を出していれば反対結果になる仕組みです。
特定組織が3〜500人規模のキャラバン隊をいくつか組織して専従化させれば、問題のありそうで賛否拮抗している自治体を狙って、移住(住民登録だけ?)巡業?して行けば僅か数百人でもキャスチングヴォートを握れるので次々と決議を成立させることが可能です。
国政選挙では、補欠選挙を除いて全国一斉ですから、2重3重の投票権行使が出来ませんが、全国一斉でない自治体選挙や住民投票では、「ズル」が普通に行なわれている印象です。
国策(国会決議)で多数の支持を得られなかった政党支持層が、日本全体人口の0、01%以下でも、ある時期めがけて過疎地の特定の町やムラに数百人も集めれば大勢力になります。

国家的事業と自治体の拒否権4(外国人参政権2)

外国人参政権に戻しますと、中国人や韓国人(正確には外国人全部ではなく永住者に限定するなど規定の仕方によって資格を絞れますし拡大も可能です)が特定意図のために1年ほど前から与那国島や石垣島あるいは壱岐・対馬などに大挙して移住すれば、(既存基地廃止や移転反対決議)事実上決定権を握ってしまいます。
将来的にどこの国に帰属するかについて住民投票しましょうとなると、小さな島々に中国人が大挙し定住して行くとあっという間に中国領土になって行きます。
与那国島の場合には、自衛隊レーダー基地設置に対する住民の意思決定について外国人も投票権があったと書いていますが、高校すらない過疎が進む町.与那国島に外国人が入って来てどう言う就職先があったのでしょうか?
何のために外国人がいるのか不明ですし、何のためにこのような優れて国家的関心事である重要事項について外国人に投票権を認める決議(条例)が出来ていたのか不明です。
ウイキペデイアの与那国町のデータです。
与那国町(に相当する地域)の人口の推移
1970年=2913人 1975年=2155人  1980年=2119人
1985年=2054人 1990年=1833人  1995年=1801人
2000年=1852人 2005年=1796人  2010年=1657人 
総務省統計局 国勢調査より
1昨日紹介したウイキペデイアによると住民投票時の人口は1500人に減っていることになります。
外国人参政権を認めるべきかどうかの議論をするには、与那国島の投票例がちょうど良い事例を提供していると思われます。
折角の事例ですから、実態調査・・住民投票条例制定前後に(日本人を含めて)移住した人がいるか、いつ移住したのか?どう言う職業に就いているのか?住民投票後5年〜10年後も定住を続けているかなど外国人参政権賛否両者は調査報告する必要があるでしょう・・。
当然日本人活動家(活動家かどうかのデータは無理としても直前直後の社会的人口増減)の事前移住などのデータも集積して行く必要があります。
実証研究抜きの観念論だけで議論しているとすれば、政治家・政党として怠慢です。
以下、印象的・・根拠のない空想ですが、・・先ずは日常生活関連を決める自治体には国籍は関係がないと言う宣伝で外国人の投票権を認める運動を数十年単位で先行させておいて、これが浸透して来た時点で原発や自衛隊基地設置予定の過疎地で反対運動を始める・・平行して国策上重要な地域への外国勢力の浸透が始まっている可能性があります。
尖閣諸島の土地国有化を当時の石原都知事が求めたのは、個人のママだと成田空港反対派による一坪地主のように、中国人に買い占められ住み着かれると大変なことになると言う心配があったことによると思われます。
全国原発立地地域や自衛隊基地その他国策上重要施設のあるところに反対活動家が一斉にちらばる必要がない・・狙い定めた特定地域に(外人に限らず日本人でも一定の反対論者がいます)活動家を集中的に移住または周辺土地を買収して行き1回でも否定決議に持ち込めば次に狙った地域に移住巡業?して行けば良いのですから、人口的に言えば国民の0、00何%以下の少数者でも可能です。
例えばダム建設用地の周辺山林・・何町歩と言う広大な山林でも僅かな資金で買収可能ですが、これを成田空港用地のように活動家に一坪ずつ名義変更して行けば良いのです。
100人でも有効な反対運動が可能になります。
成田の場合で言えば、最後は土地収用法による強制買収が図られましたが、この収用委員会自体が自治体・千葉県の権限です。
土地収用法
斡旋・仲裁委員→知事の任命(15条
第五十一条  この法律に基く権限を行うため、都道府県知事の所轄の下に、収用委員会を設置する。
(訴訟)
第百三十三条  収用委員会の裁決に関する訴え(次項及び第三項に規定する損失の補償に関する訴えを除く。)は、裁決書の正本の送達を受けた日から三月の不変期間内に提起しなければならない。」

国政レベルで決まったことが、最後は司法権が最終決定権を有することになります。
この辺の問題点については司法の謙抑性のテーマで別に書いている途中です。
ここでは、折角国会で決まっても実施段階で何十年単位の膨大な時間軸が必要なシステム上の問題点・・これに事実上外国人が関係出来る問題点を書いています。
当時千葉県知事は国策協力方向でしたので、自治体と政府の対立関係がありませんでしたが、それでも収用委員会手続に入るコトまでに長期間を要し、空港開設計画実施・・着手が大幅に遅れました。
いわゆる過激派全学連の成田闘争とは、計画作成に必要な事前現地測量妨害事件だったと思われます。
具体的に委員会が始まると収用委員長に対する身体攻撃が発生し(文字どおりテロ行為です)後任の収用委員を引き受ける人がいなくなり、その後何年も委員会自体を開けない事態が生じていました。
収用委員会が麻痺したまま(この10〜20年くらいの動きを知りまんので再開しているかどうか不明)となったので、結果的に反対派農地を残して工事が進み開港にこぎ着けたので、今でも成田空港には滑走路を妨害するかのように農地・農家が点在しているし、滑走路の増設計画が難しいのはそのせいです。
この現実を見れば地元農民の内1%あるかないか・・国民全体から見れば何十万分の1にも満たない反対者を野党が唆すだけで、政府の国策推進がどうにもならない(占領軍の残した)我が国の制度設計とこれを濫用するものがいた歴史遺物と言えます。
(時流に反対ばかりして来た社会党は消滅してしまいました)
この残存農家・農地こそ、当時の野党が如何に民主主義制度を濫用して来たかの歴史を示す遺物として後世に記念館?として残す必要があると思います。
私は世界各地に建造した慰安婦像もこうした歴史価値があるこう言う捏造批判する国だと言う「韓国の恥の歴史」として残して行けば良い・・撤去運動する必要がないと思っています。

国家的事業と自治体の拒否権3(外国人参政権1)

与那国島の例を見ると、レーダー基地1つ作るのにも地元住民同意が要るのに驚く人がいるでしょう・・私は少なくとも驚きました。
October 11, 2016「米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)2」前後で占領軍による検閲を通じたマスコミ・教育界の支配の浸透について書き始めてその後マスコミや教育界の左翼文化人の成長を書いているところで、話題が横に逸れていますが、その到達点の1つと言うか外国人の住民投票を主張する勢力が増えて来たことが分ります。
中央政府が何を決めてもそれを国内のどこかで実施するためには、(1昨日の新潟県知事選挙の結果原発再稼働について、原発再稼働について知事同意を得るのが困難になったと言う報道です)地元自治体の同意が必要になって来たことと、これと平行して自治体参政権や自治体職員への外国人に対する門戸解放運動の進展は、占領軍の残したことではなく米軍の意向に率先反応・迎合して、大義無視→ドンドン個人主義思想・地域エゴ拡張に精出す人を増やして来た成果の到達点と言えるでしょう。
国防問題を決めるのに、地域にいくらお金が落ちるかが争点になっているというのですから嘆かわしい低レベル化が進んでいます。
共同体意識に基づいて国防問題を議論すべきとすれば、共同体構成員でない外国人がこの議決に何故参加すべきなのかよく分かりません。
外国人にも自治体選挙権を与えるべきと言うのが、共産党や公明党や民主党の主張だったと思いますが・・。
10月15日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wikiからの引用です。
外国人参政権
民主党・公明党・日本共産党など各党は、上記「傍論」を根拠の1つとして、外国人地方参政権付与法案を提出している。ただし、その対象者は、「傍論」が想定していた範囲(特別永住者のみ)を拡大し、一般永住者にまで参政権を付与することを想定している。民主党賛成派議連の2008年提言では、一般永住者にまで参政権付与対象を拡大する理由として「(両者)いずれも、我が国において地域社会の一員として、日本人と同様に生活を営んでおり、その点において本質的な差異はない」と住民権(市民権)を模範にした」
上記の民主党などの主張に呼応する自治体があって、自治体によっては外国人にいろんな関与権を認めるようになっていますが、昨日紹介したとおり与那国島では正に自衛隊基地設置の可否を決める国家的重要テーマの決定まで定住外国人の投票権を認めていることが分ります。
日常生活に密着した決定・どこに信号機をつけるかゴミステーションがどこに必要かなどの日常テーマでは外国人も日本人にも差をつける必要はないと言う主張には合理性があります。
ところが国防や列島全体の産業構造配置・・国レベルで決めるべき重要問題の実施段階で地元自治体が最終決定権..事実上の拒否権を持っている我が国では、こう言う権限のない諸外国の例を持って来て外国人でも居住している以上参政権を認めるべきと言う論理、説明は実態の虚偽説明、無理があります。
本当の日常的決定・例えば自治会役員やPTA役員のなり手がなくて困っている現状からみても、外国人参政権付与運動の本音は日常的決定参加にない・・国策その他重要事項決定への住民参加に関心があっての事と推測されます。
外国人参政権付与を主張しているグループや政党の実際の運動を見ても、国政レベルでは少数の支持しか得られない野党の主張を実現するために・・例えば自衛隊違憲論や成田空港反対論→現地反対運動の激化・・国政レベルでは全く支持されていない少数意見を自治体レベルの運動として実現しようとしているかのように見えます。
成田空港開設を例にすると空港設置段階で現地に入り込んで一坪地主と言う濫用的権利者を創設して反対運動を展開していましたが、こう言うことが許されると国政で決めるべき航空政策を地域限定の敗者復活戦が出来ることになります。
既存空港で見れば、各地で騒音被害による飛行差し止め訴訟が行なわれているのも、国政レベルで決めた(日本の発展のために空港が必要と言う政策決定・・空港など不要・・国際社会の航空機時代到来に遅れてしまえば良い?と言う意見が国政決定の場で負けた)ことを司法の場に移し替えて敗者復活戦をしている構図です。
こう言う争いばかりして国の政策実現妨害が続いたことによって、成田空港の拡張一つとってもものすごい時間がかかる結果、日本が国際ハブ空港競争に遅れをとった原因であり、もしかして彼らが日本戦後復興や発展妨害意図で運動しているとすれば、その成果が出ていることになります。
いわゆるネト右翼によれば「反日野党」と言う定義ですが、私にはそれが正しいかどうか真偽不明ですが、外国人の参政権が認められる地域がドンドン広がる・・参政権の認められる外国人の範囲も徐々に広がり、決定参加事項が広がって行くと中韓から意図的送り込みが行われるようになるリスクが高まります。
意図的に送り込まれている外国人の場合、日本発展のために決めるあらゆる政府施策に反対=野党支持層に回る読みがあるから外国人の参政権実現に熱心になっていると言う見方もま成り立ちます。
国家プロジェクトに対して住民参加権を与える議決があちこちの自治体で増えて行く・・結果的に国政の少数者が国政で認められない意見に基づいて現場施行段階で国政実行を阻止出来る仕組み構築を長期間掛けて構築して来たことになります。
国政段階では1票の格差違憲論を展開して、国政決定の権威失墜を狙いながら、足下では・・過疎地・・絶対的少数派が国政実施を阻止する権利を着々と植え付けてきたのが戦後政治です。
1票の格差があって、全国の得票率の少ない方が政権を取る逆転現象があれば・・その疑いがあるならば事前に問題視すべき違憲状態ですが、4〜5百人もいる代議士の内、2〜3の選挙区の人口が比較的少ないだけでは、(その選挙区人口が増えればその選挙区の当落が逆転する保障もないし、仮に数名入れ替わるとしても・・あるいはその選挙区代表が一人減っても)与野党の代議士数が僅差でない限りトータル政権正統性に何の関連性もありませんから、ソモソモ違憲状態を言う判決自体が野党系の主張に偏り過ぎているし、マスコミも大騒ぎし過ぎています。
この後で選挙前に住民移動する戦略が普通に行なわれていることを書いて行きますが、これを実行しているのが野党中心であるコトと、全国的選挙結果にそれほど影響がないためにマスコミは全くこの弊害を報じていません。
1票の格差問題は、結果に大きな影響がない・・もしかしたら結果に全く影響しないのに何故これだけをマスコミが選挙の都度毎回大げさに騒いでいるのか?
他方で国政段階で決めたことを実行段階で小さな自治体が覆せる・・あるいは成田の一坪地主運動のように何十年も遅滞させられる国家の基本に関する不都合を何故報道しないのかの疑問です。
1票の格差論の大宣伝は、国政選挙は正統性がないが、(外国人参政家付与を主張しながら)自治体選挙の方には正統性があるかのようなイメージ操作が疑われます。

国家的事業と自治体の拒否権(国家意思形成システム破壊)2

警察や災害対応制度ばかりではなく、原発や軍事基地設置・首都圏水源地など国家的大事業・関心のある事柄についてその是非を地元自治体が最終決定して行く・・占領軍が残して行った基本的制度設計・・地元の同意がないと何も出来ない仕組みの是非を議論して行く必要がありそうです。
近年の中国軍の激しい挑発・進出に備えた与那国島への自衛隊駐留の可否を15年に住民投票で決めていましたので、これを例題として考えて行きましょう。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/22/yonaguni-referendum_n_6729828.htmlからの引用です。
「国境の島」として知られる日本最西端の与那国島で、自衛隊配備の是非を問う住民投票が2月22日に実施され、即日開票の結果、賛成が過半数を占めた。47NEWSなどが報じた。
住民投票で問われたのは、陸上自衛隊の沿岸監視部隊約150人と沿岸監視レーダーの配備の是非。防衛省は南西諸島の防衛強化の一環として2015年度中の配備を目指していた。与那国島は中国・台湾が領有権を主張している尖閣諸島から約150キロ、台湾から約110キロの位置にあるため、監視部隊を通じて航空機や船舶の動きを把握する狙いがある。
■賛成派と反対派で島を二分する争いに
与那国島への自衛隊誘致は、2008年に町議会が決議をしてから約6年半が経過したが、島内は誘致賛成と反対で二分されてきた。町長選や町議選のたびに賛成、反対両派が激突した。
2013年に行われた前回町長選では、賛成派の外間守吉町長が3選を果たした。ただし、票差は47票に過ぎず、反対派の勢いは衰えなかった。
時事ドットコムによると、同島の全域を占める沖縄県与那国町の人口は約1500人で、有権者は永住外国人も含む中学生以上の1276人。投票率は85.74%だった。朝日新聞デジタルによると、開票結果は賛成632票、反対445票、無効17票だった。」
国家防衛の基地を設置することについて、最果て・国境付近の自治体が拒否権を持つことが合理的でしょうか?
泣いて馬謖を斬ると言い、医療で言えば、より重要な身体部位を活かすために身体の一部を切除したりきつい薬を飲んで胃腸が一時弱っても構わない・・全体のために一部に負荷をかける・・一部に犠牲を強いるのが生命体・組織維持の原則です。
その部位を全体の犠牲にするのが可哀相と言って放置していると全体が壊死したり、脳梗塞の場合で言えば出血していないところから切って脳の止血手術をするのはおかしいと行って拒否しているとドンドン出血してしまうし、その他の傷病でも一部に負荷をかけるのが嫌がって、出血止めのために包帯で縛ることさえ許さなければ、病原菌・毒素が全体に回ってしまったりして全体が死んでしまいます。
国防のための軍事基地は論理的に国境付近・・過疎地・・身体で言えば身体の端にあるのが古代から原則です。
険しい山地や絶海の孤島には当然人口が少ないのですが、僅かの人口が真っ先に攻撃されるからイヤだと言えるとすれば、もっと国境から下がった人口50万の地域も基地を置いて攻撃されるリスク・・1億のための犠牲はイヤだと言える理屈ですから、順次これを認めていると国防は成り立ちません。
基地設置に関して自治体が決める権利のある国は、およそ主権国家=自国の安全を自国で守る国においてはあり得ない選択と思われます。
自治体が自衛隊基地の設置や自衛隊の出動の可否、水源地のダム設置など国家維持に枢要なことを全部最終的に決める仕組みは、国家存続に必須のことを国家自体が自分で決められないことになります。
連合国や連合軍ならば要請がければ応援する必要がないのですが、1つの国である限り国境の町の要請がなくともそこで守らないと国全体が守れない場合や損害が拡大してしまう場合があります。
その街が防衛の要衝であるかどうかは中央政府の判断事項であって国境の町が自分で決めるものではありません。
どこで国を守るべきかの判断すら出来ない政府は・・政府としての機能を果たしていない・・国家統一出来ていないのと同じです。
ありとあらゆる組織や団体で自分の団体の行動を自己決定出来ない仕組みであるとしたら、「団体」とは言えないでしょう。
自治体が国防その他国家の重要事項に事実上拒否権があるのでは、独立国・主権国家のあり方としては本来不合理ですから、・・占領軍は、占領後武装解除の延長として非武装憲法を強制した外に日本国の統治気候そのものを機能出来ないようにしてしまう目的があったかのようです。
仮に将来今後軍備を持てるように日本が法改正しても、簡単に軍事基地を各地に設置し難いし、出動すら出来ない仕組みを作っておいたことが分ります。
警察制度や災害対策の外、占領軍の置き土産は統一国家としての運営を困難にするための制度設計でした。
中央政府が決めても実施するべき地域には必ず自治体があるので、実施するべき土地の自治体の同意がないと政策が何も実行出来ない・・連合国のような関係になっています。
例えば国立研究所・博物館・音楽ホール設立を決めても、地元での建設工事や開発行為には知事や市長の許認可がいります。
こう言う施設は歓迎するばかりで問題がありませんが、政治的意見の対立する分野では国政選挙で決まったことを小さな村や町の多数決でひっくり返せる仕組みです。
政府意思が貫徹出来ない制度設計(テロや敵国への空爆等は敵国の各種行為が予定どおり進まなくすることが目的ですから同じ効果を狙っています)が完成したのは、共同体利益を無視し、大義より、個人(地元)利益の飽くなき主張・小義を重視するように人格改造を目指していた効果が出て来た結果と思われます。
報道によると基地誘致によるメリットが当初想定より少ないと言うことで、賛否が拮抗して来たと言う報道がありました・・。
原発誘致も同じで地元に資金がいくら引っ張れるかその後の雇用がどうなるかが実質争点になって久しい・・何事も個人利益・地域エゴ思想が根付いてます。

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