利害調整不全6→(地域エゴ野放し1)

民主主義社会・・自由な言論が際限ない対立を前提にするのではなく冷静な議論を経て結論が決まると挙国一致(企業で言えば企業)の方針が決まり、反対した方(一つの政策決定が自己利害に反する集団も決まればそれに従う)も実行に協力する社会を前提にしています。
経済活動場面・自由主義経済の場合→(見えざる神の手)市場による淘汰が行われ選ばれた企業が成長し、勝ち残った製品サービスが社会に行き渡る仕組みです。
商品の場合には市場規模が大きい場合順位1番から50〜100番までの多様な商品サービス並存可能ですし、多様なサービスが並存している方が消費者には便利です。
だから都会に人が集まるのです。
国家社会のルールや政策決定の場合、社会秩序そのものの決定ですので、商品のように並存可能というわけにはいかない・・・道路交通法でいえば、AB両地点のいずれに信号機設置すべきかどうかの議論でA地点だけと決まった場合、B地点派がA地点の信号設置に反対したんだからと信号無視して良いとなれば社会が混乱します。
制限速度や一方通行、駐車違反場所でも同じで、反対派だった人も決まった以上はそのルールを守るべきですので、集団別ルールが並存するのは不可能です。
民主主義とは統治の原理・統治ルール決定手続きに関するルールであり、自由な言論活動は一定期間内に一つの結論に収斂するための言論の自由です。
一定手続きで決まったこと(法)には反対派も従うことを予定していることになります。一旦決まったことを実行してみる不都合があるなどの修正変更の必要があるので、多数意見が決まったのちにも、少数意見者も「やはりこの方法の方が良い」と言い続ける言論の自由は残りますが、多数で決まったルールに従わない自由はありません。
すなわち民主主義とは意見・利害調整による意見一致を前提にした決定手続きをいうのであって、利害調整・意見一致できないで意見対立のまま終わることを予定していません。
民主主義であろうと、絶対主義であろうと自由主義であろうと一党独裁であろうとすべて社会は生命体同様の統一秩序を求めています。
一つの体で左足は横へ動く右足は前に動くというバラバラ行動は許されません。
幼児や小中学生レベルの場合、完全な自治運営が困難なように、言いたい意見を話し合いの結果合理的に収斂させる能力があってこそ自由な意見交換が成立します。
意見を言うなら議論の結果によっては相手の主張に従う度量が必要です。
年齢基準は年齢に応じてその比率が上がるだけであって、(小学3年生で5年生の能力ある子も2年生の能力しかない子もいます)大人になっても対話能力が育っていない人が一定率いるのですが、(私もそうかな?)そういう人は、自分の能力限界をわきまえて集会参加しても黙って聞いている・論争を聞いて最後にどちらが良いかの挙手をするだけで済ませば世の中が決まって行きます。
旧社会党の場合、議論にならない反対のための反対論(法案に関係ないキャンダル追求先行要求など)を繰り広げ、質疑打ち切りすると委員長不信任案や議長不信任案等を繰り出して最後は牛歩戦術や根拠ない不信任決議案提出で数時間でも採決を遅らせることで議決自体の妨害を図っていたので国民支持が離れました。
このような政治活動は技術革新の早い現在社会で、日本の国際適応を一国でも遅れさせる目的にしかならない・反日国家の意を受けた行動でないか?の疑念を抱かせるようになりました。
こういう疑念が一般化して来て・・革新的系政党支持率が低下一方になったのちは、地方自治体レベルでの抵抗戦術を始めたようです。
国政の場合2〜5%の支持率では何もできないのですが、地域特化し地域固有の問題が起きればその問題が続く限り、その地域限定で抵抗政党が圧倒的支持を得られるようになります。
数%支持でも特定問題・・例えば、放射性物質の特定市町村内廃棄貯蔵地問題が起きれば、その問題に限って過半の支持を得ることが可能です。
福島原発事故の結果、千葉県内で風向きの関係か?柏市中心に放射性物質の降下が多かった・・これの県内処理として原因企業である東電の広大な敷地がある千葉市内の臨海工業地帯・・広大な埋立地立地なので旧市街とかなり距離が開いている・近くに一般住宅街もない・・千葉市に白羽の矢がたったらしいのです。
これまで書いてきましたが、そもそも微量の放射能があった場合、どういう被害があるかの科学的意見を見たことがないのですが、宗教心のようにメデイアが恐怖心を煽り続けてきた結果だと思っていますが・・。
普段与党支持者でもこの問題に限っては、まず反対するしかないという宗教信念みたいな動きが起きます・・自治会等での議論を聴いていると風評被害がおきたらどうするんだ!式の反対で地元結束するようです。
原発問題もそうですが、「不可知な論争に持ち込んだ方が勝ち」というか、反対論者は対話にならないこの方式に頼ることが多いのです。
「〇〇があったらどうする」式の議論では、神ならぬ身、誰も「そんなことはあり得ない」と断言仕切れ無いので黙るしかない・・合理的対話が成り立ちません。
県内どこかで引き受けねばならないとなれば、被害の一番少なそうな場所に決めるしかないのですが、東京電力敷地が広大でしかも周辺と車で移動するほどの距離がある・・それ以上の適地がない・・しかし地元エゴに付き合わないと仕方ないので責任政党の与党系は「知事にかけあって努力する」というだけで腰が引けているので迫力がない・・不利です。
集会での議論を聞いていると「柏市のゴミを千葉市がなぜ引き受けねばならないか?」という一見尤もらしい議論で落ち着いて参加者が自己満足していたようです。
ちょっと考えれば無理筋の論理ですが、誰でも良識というか、良心があるので自分を誤魔化す目先の浅い論理が必要なのでしょう。

民主国家と人民論の矛盾3

一知半解というか青い主張に対する社会の支持が広がらない結果、唯我独占傾向が進むといよいよ社会の理解を得られなくなって孤立化する一方→唯我独尊的特殊集団になり、暴発集団化します。
共産党は視野狭窄.偏執狂に陥らないように自己抑制している様子ですが、そうすると弾き飛ばされる跳ねっ返りが行き場をなくします。
左翼からも阻害された超原理主義者の集団化は、精神病者の集団化現象に似ているともいえるでしょうか?
日本では連合赤軍・・浅間山荘事件やオーム真理教事件などがそれに当たる・・国際的に見ればいわゆるテロ組織でしょうか?
以上の次第で人民という用語が廃れるわけですし、現在民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で秩序破壊するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
民主主義社会においての人民論は、民意による政治に従わない→民主主義社会を否定する主張となります。
抵抗権行使によって実力闘争に勝ち抜けば支配者になり政府権力に抵抗すべき人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
政府は人民の代表だから、人民は政府に従うべきという意味でしょうか?
国内武力闘争に勝ち抜いた以外に、人民の代表という根拠が不明です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。
実際には、人民は権力闘争に庶民が利用されて捨て駒に使われるだけですので、政権獲得後、邪魔者扱いで反乱軍として弾圧される側に回ります。
いわゆる草莽崛起の末路です。
人民用語が一般化されていない江戸時代には草莽と呼ばれていたのですが、草莽に関するウイキペデイアの説明です。

幕藩体制が動揺をきたした18世紀後半以後、在野もしくはそれに準じた豪農・知識人層(江戸幕府に対して直接意見を進言できるルートのない人々)の中に、自らを「草莽」になぞらえ政治的主張をする者が出現した。それが19世紀に入ると尊王論や攘夷論と結びつき活発化する。
黒船来航など西洋からの圧力が大きくなった1850年代に入ると、吉田松陰らによって「草莽崛起」論が唱えられた。吉田らは武士以外の人々、すなわち豪農・豪商・郷士などの階層、そして武士としての社会的身分を捨てた脱藩浪士を「草莽」と称し、彼らが身分を越えて、国家を論じて変革に寄与して行くべきであると主張した。
これを受けて、1860年代にはこうした草莽が尊王攘夷運動や討幕運動に参加していくことになる(奇兵隊・天誅組・生野組・真忠組・花山院隊・赤報隊など)。しかし、攘夷という方便に利用されただけであったことに気づかなかった大多数の人々は、討幕がなると、討幕とは逆の「開国和親」というスローガンをかかげた政府によって手のひらを返され、反乱を起こすもののトカゲの尻尾切りよろしく大量に打ち捨て殺された(士族の反乱、奇兵隊の末路など)。結果的に、明治政府へ組み込まれた者は頭がよく使えるごく一部であり、大半は政治的敗者として姿を消すことになった

人民・・当時の用語でいう草莽に関するウイキペデイアの解説は、〇〇チルドレンや付和雷同型の本質がよく出ている印象です。
小池都知事の都民ファーストに共鳴して参集した多くのチルドレンが、当選してみると話が違うと不満を持つのと同じです。
すぐに運営方法に対する不満で都民ファーストを脱退したか?批判意見を展開していた都議がいた記憶です。
反NHKで昨年総選挙時に参加して東京都区議に当選したばかりのユーチューバーが、運営に不満で?離党したようですが、末端ほど純粋ですので実際に運営が始まると齟齬が生じます。
庶民は権力闘争に利用されるだけで権力闘争が終われば、ご用済みになってきたのが中国歴代王朝交代時に大動乱の結果でした。
「王候相なんぞ種アランや!」というスローガンを掲げていた育ちの悪さが売り物であった?漢の高祖であれ、朱元璋であれ、天下を取るまで付和雷同して付き従った多くの武将を粛清していきます。
武将の場合范蠡の有名な言葉・・・「飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる。」で表現される実態で誰もが知っている現実ですが、雑兵等に関しては、誰も気にしませんが、平和が来ると真っ先に無用になります。
秀吉の天下統一以来、武功を挙げた功臣・武将の出番がなくなった不満から家康についた豊臣恩顧の大名らは、徳川政権確立後次々と粛清・戦国大名の取りつぶしが行われたのも同じです。
徳川家だって政権を握ってみれば、無駄な兵力がいらない点は同じです。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、ただ日頃の不満のはけ口として?煽りに乗る時局便乗・付和雷同型の人材は政府転覆に成功すれば、今度は邪魔者になる運命です。
新政府構築・・真っ先に必要な政治は治安回復です・・小難しい細かな法の縛りを破って奔放に暴れ回る人材は真っ先に標的になります・・に向けて役に立つ能力がない大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
漢の高祖は庶民出身で最もバカにしていた儒教の礼式を彼が天下を取って真っ先に採用したと言われています。
権力を握ればルールに従わせる必要が生じるので、ルールになじまない彼らが真っ先に邪魔になる運命です。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、煽りに乗る時局便乗・付和雷同して政府転覆に成功しても、新政府で役に立つ人以外の大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
人民が人民(思慮不足)のまま権力を握れることはありえないのが現実でしょう。

民主国家と人民論の矛盾2

人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
日本で生活しながらこういう考えに凝り固まっている人たちは、現実社会のあり方を見ずに旧ソ連や北朝鮮、中共政府支配下の社会を前提に、悲惨な人民状態を日本現実社会と同視して政府の抑圧から人民開放をする必要があるという主張をしている矛盾がありそうです。
人道主義を標榜するならば一党独裁という現代的専制支配に苦しむ人民解放するために中国や北朝鮮人民のために運動するのが普通ですが、左翼系は文化大革命賛美に始まり中国政府等の厳しい言論弾圧や環境破壊を批判するのを寡聞にして聞いたことがありません。
これを日本政府否定に結びつけようとしているので(論理の倒錯が激しすぎて)訳が分かりにくくなるようです。
韓国の決まり文句「歴史を知らないものは・・」式の慰安婦・教科書その他批判は、自分の非(歴史無視の主張)を日本の非と置き換えているので、論理の無茶加減で国民が驚いて辟易します。
このような論理の倒錯は一瞬相手をたじろがす戦法・・「鬼面人を驚かす」論法と同じ戦法でしかなく、短時間しか効果を持ちません。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民意によって出来上がった法を民意による法改正でなく暴力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
思想表現の自由がある社会で自分の主張がほとんど支持されないのを相手が悪い、国民レベルが低いから、言論によるよりは暴力革命が正しい式の論法では民主主義社会が成り立ちません。
政治は無数とも言える不確定要素の複合で成り立っているので、戦車一台戦闘機1機の費用で〇〇が出来る式の単純論理・・学校で習った程度の勉強成果を主張する程度では、大方の国民が納得する筈がないので支持されないと自己の不足を反省するのではなく、国民レベルが低いのだと開き直る方向に行くと大変です。
彼らの暴力革命が仮に成功すると、(本当は自分らの思考が硬直的すぎて無数にある変化係数を理解できないだけですが)人民は蒙昧だから政府が指導する・・1党独裁が正当化され、この完徹のための情報統制に走る宿命です。
中国が今回のコロナ型肺炎蔓延初期に「普通の肺炎ではないのじゃないか?と言う医師間のネット情報交換さえ禁止して彼らを犯罪者扱いで拘禁したのがその好例です。
政権獲得成功しない多くの国では、生き方に柔軟性のない者の集団が出来上がり、仲間内での傷の舐め合い現象が起こり、自分らの主張を理解しない庶民大衆の頭が悪い→議論では無理だから革命あるいはテロしかない!的発想に落ち込み謙虚な姿勢がなくなります。
これが戦後共産党の武力革命論だったように理解していますが、独りよがりが支持されず急速に国民大衆の支持がなくなりました。
警察庁かな?の意見は以下の通りです。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
警備警察50年  現行警察法施行50周年記念特集号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党

暴力的破壊活動展開(昭和20年代)

1 占領下での勢力拡大

第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。
2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開

日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。
そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。

51年綱領廃止と現綱領
1 略
2 現綱領の採択
・・昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
・・・両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。

日本共産党の現状
1 略
2 規約、綱領の改定
・・16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。

政府による共産党の戦後史を見てきましたが、私の体験では暴力革命論挫折後「自分たちが前衛であり蒙昧な労働者に権利要求権の自覚を植え付ける使命がある」とする姿勢が顕著でした。
平成初めころのことですが、いわゆるブル弁希望の司法修習生に労働系事務所の実習を経験させた方が良いと思って私の同期の労働系法律事務所に2〜3日実習を勧めて会内留学に出したことがあります。
その後報告を聞いたところ、ある日夜労組の集会に出かけていわゆるオルグをする状態を見学できたという報告を聞機、良い経験ができたね!と答えました。
最近日弁連や単位会で推進している法教育活動がいつからどういう経緯で始まったかよく分かりませんが、教育内容を見る限り従来のオルグ活動が難しくなった変形版ではなく推進している担当者も(私の知る限りですが・・)思想的偏りがなさそうですのでお間違いのないように。

民主国家と人民論の矛盾1

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
民主国家においての公権力とは、国民の福利を守るために行使されるべく存在するものです。
警察権力は国内の国民間の利害対立を話し合いを経て最終的には裁判でケリをつけて、それでも守らない人に対して強制力を行使して実現するためにあります。
外国人の違法行為も個人実行場合には警察対応で間に合いますが、外国政府行為として集団で行われる場合には、警察には対応できないので軍の出動となります。
軍と警察の役割分担は、日常的個々人の違法行為・・原則凶器を保持していても小規模な場合を対象とし、警察が日常的に所持する拳銃程度では対応不能な大規模武装集団を相手にする時に国内でも軍隊の出動となるように大まかな分類ができます。
個人生活で言えば、軽トラや軽乗用車、普通車等に使い分け、引越しになると業者に頼むような感覚でしょうか。
歴史的に見れば、警察活動と軍事活動の未分化状態から、軍事と警察の分化が江戸時代に発達し、一種の軍事基地である大名屋敷自体が盗賊等の被害防止や検挙を町奉行所に頼り、付け届けする関係になっていたことをだいぶ前に紹介したことがあります。
いずれも国民福利を守るためにあるものですから、無政府主義とかその焼き直しの公権力と距離を置くという主張は現秩序維持による日常恩恵を享受しながら、その負担を否定する自分勝手な意見です。
公務員であろうと政府機関の中枢であろうと国内で法を破れば、一般国民同様に法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。

「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。

公務員は労働者か?2(任命1)

国家公務員法を見れば「公務員」に関する法(組織法の亜流?)であって、公務員の地位をどうやって取得し、公務員になればどのような職務義務があるかを法で定めている法律であり、その一環として給与等の勤務条件記載がある程度の印象です。
裁判所法では裁判所の種類や重要人員構成に関する裁判官になる方法・権限を書いたものであって裁判官の労働条件確保を決めるためのものでないのと同じです。
労働の対価である賃金と言わず職務に対する給与(給わり与えられるもの・・目上の者から下の者に物品を与えるもの)ですし、内容的には賃金の仕組みを踏襲して残業手当や休日出勤手当など同様にしているでしょうが、法の建て付け・精神の有りよう・・本質は労働対価という形式をとっていないと思われます。
個人的経験によりますが、司法修習生の頃にお世話になった地裁刑事部長(専門誌に論文を書いている著名な人でした)が交通事故被害にあったとかで長期休暇中でだいぶ経ってから出てこられたのですが、ある時の雑談で裁判官は労働者でなく身分官僚なので、事故で半年〜10ヶ月程だったか?長期休んでも俸給に何の影響もないんだよ!というお話を伺ったことがあります。
要は官職に応じた俸給があり、個々の労働の対価ではないということでした。
言われて見れば勤務時間や残業とか細かいルールもなく、公判のある日とか何か予定(合議予定、令状当番など)が決まっている日以外は出てこなくても良いのが当時の裁判官でした。
平成に入った頃からだいぶ世知辛くなって、裁判官もほぼ毎日出てくるような印象ですが・・。
(自宅書斎で調べ物をしているより裁判所で資料を見ながら思索する方が効率がよくなった面があります・この辺は最近の大学教授も同じでしょう)
我々弁護士も勤務時間の縛りがないものの、事務所で処理した方が合理的なので家に仕事を持ち帰る頻度が減っています。
研究も同様で鉛筆一本で思索する時代が終わり各種研究所が発達している・勤務時間の定めがなくとも資材の揃っている研究所にいる時間が増えているのはこのせいでしょう。
労働法のように契約交渉等で決まる仕組みを前提に弱い個々の労働者の地位を守るために団結権や団体交渉や争議権を認めるのではなく、あるいは契約に委ねると対等な力がないので労働者が不利になりすぎないように最低賃金、最大労働時間等の最低基準を決めて労働者を保護しようとするためではなく、別の目的で職務内容の他給与基準まで全て法律で決まっている前提です。
国民代表の意思による法で決まっているものを公務員が上司との交渉で変更できるとした場合、お手盛りになり兼ねないし、法治国家・国民主権に違反するということかな?
公務員の地位につくのは試験等の公的基準に従って任命されるだけであって、労働契約によって始まるのではありません。
私も法律家の端くれなのによく分からないまま生きてきたのですが、契約でないとすれば「任命」すなわち命令ですから命令された方は結果として従うかどうかしかないと言う建て付けでしょう。
事前根回しや同意・納得があった方がスムースと言う程度の位置づけです。
現在は受験制度ですので受験する段階で、任官(就職)したいと言う事実上の意向が示されているので、事前同意の概括的担保がある仕組みです。
ただし腕試しに一応受けて見たとか滑り止めなどいろんな要素があるので、各省採用に当たっては、もう一度一種の二次試験みたいな申し込みと面接試験などが必要になっています。
ここまで来た人は、任官意思が固いので採用通知を特別な事情なしに蹴飛ばす人は滅多にいないでしょう。
古代〜中世は別として近代社会においては、人に対して特定行動を命じ、それに応じない場合行為そのものの強制は許されないのが社会の合意です。
馬を水飲み場に連れて行けるが飲ませることはできないと言われる所以です。
結果的に徴兵あるいは、法令で決まった帳簿検査、提出命令などに応じなければ罰則で間接強制するしかないようになっていますが、保釈条件違反→保釈決定取り消しなどの不利益が用意されているのが普通です。
しかし、任命に応じない場合には罰則まで設けるのは行きすぎでしょう。
労働法ではこの点はっきり書いています。

労働基準法
(賠償予定の禁止)
第十六条 使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

戦闘集団が基本である武家社会では主君の命令は絶対であり、これに応じないことだけで首を刎ねられることが許されるような価値観のストーリーが多く見られます。
上洛後の信長からの越前朝倉家に対する義昭名での上洛命令に応じないところから信長と朝倉の対決が起きたものでした。
このように出仕=任官すること自体が時の事実上権力者に従属することを受け入れることを意味することから、信長や秀吉政権樹立を認めたくない勢力は当然応じません。
小牧長久手の戦いが長引き、秀吉が徳川とのヘゲモニー争いで勝敗がつきかねている時に、秀吉が関白太政大臣の官位による召集をかけて出仕すれば徳川はその下位につく意思表示になるという、政治駆け引きに徳川が応じたことで豊臣対徳川の抗争が収束しました。
秀吉が人質まで出して徳川との和平をした実態を見て小田原北条氏(後北条)は(徳川と誼を通じていれば・・秀吉政権が弱体と甘く見たのでしょう)出仕命令無視するばかりか総無事例も無視した上で、北条と真田間の沼田城支配をめぐる争いに関して豊臣政権(支配地分割)の裁定により沼田城を受け取りながら、真田側領地に残った真田の枝城(大くるみ城だったか?)を攻めたことが秀吉の怒りを買い、ついに小田原攻め→北条氏照や主な家臣らの切腹と領地全面没収になりました。

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