海外進出と国内生産過剰2(人口過剰1)

日本は長年国内需要の何倍も作って輸出して外貨を稼いで蓄積して来たのですが、国際化の進展で現地生産に切り替わる時代が来た以上は、国内にこだわって現地生産に切り替えて行かないと将来的にはジリ貧になります。
現地進出競争が盛んですから、行く行くは世界中で普及品に関してはどこでも似たようなものを作れる時代が来ます。
高級特殊部材はどこでも作れないので輸出・・貿易対象に残って行くでしょうが、この種生産に携われる人口は僅かですし、数量価格的にも国の人口を支えるほどの輸出代金を稼げません。
輸出品が限定されて行くと、輸出代金では食糧や資源輸入代金全部を賄えなくなるので、過剰人口が解消されるまでは不足分は過去の蓄積食いつぶしと海外工場からの利益送金で賄うようにして行くしかありません。
国内雇用を守るためと言って進出を怠っていると、競合国に市場をさらわれてしまい、海外足場を失うリスクの方が大きいので、現地化競争に遅れを取る訳に行きません。
7月1日の日経新聞朝刊経済教室に出ていましたが、日本企業の自動車生産数は世界で2500万台にのぼっていますが、国内生産に限ると1990年から13年までの間に日本は1356万台から963万台へ30%減少し、同じ期間ドイツは国内生産15%、米国は14%、韓国は89%増となっているとのことです。
これらは円高に対する各通貨安によるもので、(グラフがついています)ドイツは単体ならばマルク高になるべきところEU全体の不景気によるユーロ通貨安によって交易条件が有利になっていることによるようです。
要するにユーロ経済システムは比較優位のドイツ一国に有利になる一方でその他は割を食う関係・・格差が広がるばかりです。
今や安倍政権による円安リベンジが始まっていますが、通貨安(の効能は頓服のような一時的効果しかなく)に頼っていると通貨安の恩恵がなくなったときにイキナリ海外進出しようとしても、先行進出企業にがっちり市場支配されているとそこヘ後から食い込むのは大変なことになります。
この意味では、日本が先駆けて世界へ打って出ていたのは(今は苦しいけれども)後で効果が利いて来ると思います。
ただし、この切り替え中のミスマッチで生産力過剰・雇用減に苦しんでいるのは、店舗建て替え中の収入減と同じです。
不景気の場合循環するので、受注が減ってもすぐに解雇しないで余剰人員を抱え込んで次の波を待てば良いのですが、海外進出による輸出用国内生産縮小の場合、循環性がないのでじっと待っていても国内生産回復は見込めません。
何しろ進出先の競争相手が自社の子会社ですから、同一製品で競争すること自体が許されないので挽回の余地がありません。
この間に部品供給等でお茶を濁していましたが、時間の経過で部品も現地調達率が上がる一方ですからこれもいつまでも続きません。
まだ海外進出していない高級分野での技術力を磨いて新たな製品を創出(企業自体変身)して輸出に活路を見出すしかなかったのがこの20年でした。
この大変身に成功して来たのが日立(インフラへ)や東芝(原発)でありトーレ(炭素繊維)やクラレであり、キャノンやオリンパス(内視鏡)等の精密分野でしょうし、同一製品の技術力アップで現地生産で作れないようなものを従来どおり輸出して稼ぐ・・国内雇用維持をして来たのがトヨタであったと言えるでしょうか。
ソニー・パナソニックその他家電業界は技術力アップして海外展開工場や現地企業と差異化しても、コモデテイー化が早過ぎてすぐに追いつかれるので、現地で成長した現地企業・・ニーズの先取りには現地企業が優れています・・に遅れをとってしまったのです。
(真偽不明ですが良く言われているように、サムスンのように技術者を引き抜いて真似をする後発の方が、巨額研究開発費を負担しない分有利でした・・しかも研究開発に注ぐエネルギーをニーズに応じた開発をする方に注力する意味でも有利でした)
世界中どこでも似たようなものを作れる時代に入ると、ニーズを逸早くつかんだ方が勝ちです。

海外進出と国内生産過剰1

グローバル化=企業の海外工場立地加速によって、工場進出=現地生産分輸出市場が縮小するので輸出で稼いでいた国では、国内生産能力が縮小して行くのが原則です。
中国その他後進国進出の場合、現地政府は輸出産業の進出を求めるのが普通ですので、進出先へそれまで輸出していた分の輸出がなくなる外に周辺国への輸出も失います。
東南アジアの雁行的発展時に日本からアメリカへの輸出代替基地(対米巨額黒字削減による対日批判鎮静化効果が期待されていた)になっていたことが知られています。
タイ王国を例にすれば、車など同国から周辺国への輸出基地になっています。
国内に残った工場の競争力を高めても進出先子会社の工場と顧客奪い合いをして、進出した工場をつぶすわけには行かない・・むしろ進出したばかりの工場を成功させないとならない立場ですから、部品供給をしたり未進出先の新規顧客開拓くらいしか出来ません。
進出先は概ね過去に輸出市場として大きい・・成功している顧客ニーズの確かな地域から始まるので、母国としては大口・優良輸出先を失うような結果になります。
この辺が出張所を営業所にして更に顧客が増えると格上げして、現地法人を設けて行くパターンの商社やサービス系・・成功すればもっと他店舗展開すれば良いコンビニ等との違いです。
トヨタの例で言えば、海外立地・進出を続けていますが、上記パターンで考えれば、(完成品輸出に比べて部品輸出では比率が下がりますので)国内生産を大幅に落とさねばならないのですが、国内空洞化を避けるために国内生産能力を落とさないと言う姿勢で頑張っています。
トヨタほどではないにしても、例えば海外に年産100の工場を立てると、国内生産能力をすぐに100全部縮小するような企業は皆無に近いでしょう。
国内雇用維持等のために海外生産増加=国内生産縮小の何割ずつ程度しか徐々に縮小して行けないとすれば、(1割ずつ人員削減の場合10年間)その差額分の何割かは海外工場に移管していない高級機種への転換・・アフリカ等まだ工場進出していない地域での新規販売拡大に振り向け、それでも補充しきれない分を企業が毎年社内失業者として負担し続け、雇用維持し続けて来たことになります。
この間に内需が縮小するどころか、逆に膨らんで来たとすれば社会全体で大変な負担があったことになります。
この負担分(公共工事に限らず新たな介護関連分野の需要掘り起こしや社内失業を抱え込む企業には雇用助成金が支給されていましたし失業保険や職業訓練など)が財政赤字として蓄積されて来たのです。
財政赤字を減らせと言う論は、言わば「政府や社会全体の負担を減らして経済原理どおり失業者は食うに困っていれば良い・・仕事がないなら仕方ないでしょう」と言う結果主張をしているのと同じです。
日本は長期間儲けた蓄積があるのですから、このような社会システムの変換期にこそイザというときのための蓄えを使うべきです。
システム変換と言えばその最たるものは少子高齢化社会への変換でしょう。
国際平準化によって現地生産化が進むと長期的には輸出産業は縮小して行くしかないのですから、自給自足で足りない分の輸入代金・・海外収益による送金で国民の食糧や燃料その他資源輸入をするには、養う国民が少ない方が良いに決まっています。
海外から送金額が100単位であって国民が100人ならば一人1単位しか使えませんが、国民が30人になれば一人3、3単位使えます。
将来海外からの送金に頼る時代が来れば養う人口が減っていた方が有利に決まっています。
この辺の仕組みは親の遺産が一定のときには、子供の数が少ない方が一人当たり相続額が大きいのと同じです。
この辺は財政赤字で負債を子孫に残すのか?と言うキャンペインに対して、国債発行残高よりも多い個人金融資産を子供が減って少人数で相続すると、却って得する関係になると書いたことがあります。
相続前には、親の介護をするには子供の数が多い方が良いのですが、この過渡期にあって苦しんでいるのが日本ですが、この過渡期にこそ過去の蓄積を使えば良いと言う意見を以前から書いています。
こう言うときに使うために貯蓄して来たのですから、一定期間の財政赤字は当然のことで(親が入退院を繰り返せばお金がかかりますがその内巨額相続が出来ます)これを大騒ぎしているのはおかしい(約30年間経過で多過ぎる老人が退出して人口構成が完成して安定した社会に落ち着くのを待つのが正しい)と言う意見を大分前から何回か書いたことがあります。
自宅や店舗の建て替えのときには、その日その日の稼ぎで足りないし売上減になるのは当然で、こう言うときにこそ長年の蓄積を使って凌いで行くべきです。

国内総生産の意義

前回みたようにフローの収入だけでなく、過去の蓄積を合わせて総合判断しなければ国民の実際の経済力を知ることが出来ませんし、適切な政策判断が出来ません。
世上高齢者=弱者とする既定観念が支配的ですが、フロー収入だけでみればそのとおりですが、日本のように長期にわたる成長期を経て来た国では、好調期の蓄積が高齢者に偏っている実態を直視しない考え方です。
フロー収入の少ない安定成長期では世襲財産の価値が大きくなりますが、江戸時代で言えばその代わり隠居制度があったので、次世代は家督を継ぎさえすれば安心でした。
家督を継げるまでは部屋住みで不安定だったのは今の若者と同じです。
ギリシャローマの昔から、このために男性は中高年(それまでは貴族の子弟は軍役・兵營生活・今でもイギリスの皇族男子は軍務についています・・ですから修道院に入ったのと結果は同じでした)になってやっと結婚出来たので、未亡人が若いツバメと恋をする物語が多いのです。
(欧米ではオナシス・ジャクリーヌ夫人の結婚やグリーンスパン元議長のように7〜80代で若い女性と結婚する例が今でも多いのはこの歴史があるからです。)
ただし江戸時代では、日本独特の知恵があって、親は隠居しなくとも子供をお城(よく知られている所では身分の高い武士ではお小姓として始まります)や役所に出仕させて仕事を手伝わせる仕組みがあったことを02/20/04「与力 2(ワークシェアリング)」のコラム以下で与力・同心の例で紹介しました。
農家・商家・職人や芸人でも息子が家督を継がなくとも農業や家業の手伝いをして充分な戦力でしたし、年齢が来れば結婚する仕組みでした。
隠居した高齢者には(隠居分を取りのけておけるほどの資産家以外では)収入源がなくなり家督を継いだ次世代の出方次第で食うや食わずになったことをSeptember 27, 2010「高齢者介護と外注1」以下で、隠居した老人の生活は悲惨・・(姥捨ての基礎)であったことを書きました。
また、September 13, 2010「能力社会の遺産価値」以下でフロー収入中心の高成長時代には遺産価値が減少して行くことを書き、逆に成長の停まった静的社会では遺産価値が高まって行くことをMay 10, 2012「労働収入の減少4(遺産の重要性1)」前後で連載しました。
いまでは家督相続・生前の隠居制度がないので、高齢者が自宅その他の資産を死ぬまで保持したままで、次世代は親が死ぬまで(生前贈与以外に)何も受け継げません。
戦後は高度成長の連続だったのでそれで何も問題が起きませんでしたが、低成長時代になると蓄積資産の活用が出来るかどうかで大きな差が出る時代です。
このために生前贈与を促進するための税制(直系卑属への自宅取得のために贈与の特例)が時限立法で出来たあと期限が来る都度延長されている状態です。
景気対策立法として始まったので時限立法になっていますが、何回も延長していることから分るように、低成長時代の世代間所得移転のための制度としてみれば半恒久的立法であるべきです。
(ただし、相続時精算課税制度は相続税法中に書かれているので恒久法になっています)
話がずれてしまいましたので元に戻します。
ところで、国内総生産の増加率や絶対量を国力を表すものと誤解している人が多いと思いますが、中国など住宅やインフラの未整備な国は、どろんこ道に砂利を敷いたり掘っ立て小屋を壊して普通の住居を造るだけでもこれが国内総生産にカウントされるので、必然的に年々上昇して行きます。
中国では新幹線事故に限らず、作ったばかりの橋が壊れてしまう、建てたばかりのビルが傾くなどの例が繰り返し報道されていますが、失敗して2回同じものを作れば国内生産が2倍になる仕組みです。
成熟国では、住居その他のインフラが充実しているので、こうした新設需要が少ないので、結果的に国内総生産の比較方式では成長が低調になるのは当然です。
立派な屋敷に住んでいて演劇を100回見た人よりも、最低生活をしながらでもその年に最低の安普請でも自宅を新築した方が国内生産額が増えます。
東北大震災で仮設住宅を一杯建てたり瓦礫処理しているだけでそれらがすべて国内総生産にカウントされるのですから、国内総生産額を基準に国力を比較している風潮は国力の一面しかみていないことが分るでしょう。
国債が増えれば次世代に借金を残すという議論は、国債保有者のプラス資産も次世代に残る側面を捨象しているのと同様で、復興需要で仙台の飲み屋が潤う裏側で家や家族を失い悲しんでいる人がその何倍もいるのです。
自宅の新築などは大分前に卒業して小さな盆栽を楽しみ、演劇や音楽を楽しんでいる人が多い社会では国内総生産が低くなりますが、まだ砂利道を造ったり新たに鉄道を敷設している状態の国とどちらが実際に豊かな生活かは明らかです。

構造変化と格差10(国内不況と円高)

円高になると企業が悲鳴を上げ、国民は物価が下がって大喜びの構図ですが、これは短期的な現象でしかありません。
企業は雇用責任を果たすために(余裕があるから)困っているだけであって、企業は本当に困れば(余裕がなくなれば)身軽に経費・人件費の安いところにドンドン移転して行けば良いので、本当に困るのは、簡単に移動出来ない国民の方です。
企業は新興国へ移動すれば低賃金で雇用出来ますが、人間の方は新興国へ移動して仕事があっても、日本の何分の1の人件費では困るので国内で従来通りで働けるならば・・と言うことで国内にしがみつくのが普通です。
労働者は円高になった当初、(いきなり賃下げはないので)物価安の恩恵を受けるだけですが、長期的には企業の海外進出が進むと、ジリジリと雇用が減り労働条件が悪化するのは当然の経済原理です。
円が1割上がれば、みんなそろって1割給与が自動的に下がる方式・・納品価格、失業保険、年金もすべて自動的に1割下がるスライド制にすれば公平ですし、企業も海外に逃げなくて済みます。
一律で強制しなくとも円高で輸入価格が下落していくので、時間の経過によって諸物価は下落して行きますが、時間の誤差だけなら我慢して企業も国内に留まれますが、人件費だけは賃下げが出来ない国民思想=宗教かな?があるので、この負担に耐えかねて徐々に企業は海外進出に活路を見出さざるを得ません。
一律強制的値下げの場合、たとえば電気料金だけ部分的円相場スライド制にした場合、却って不公平になり、複雑化しますので、すべての価格を一律機械的に上下させるのが簡単でしかも公平です。
(輸入原料費が1割減でも電力コストは燃料費が100%ではないので、すべてのコストを1割減にしてくれないと無理があります)
あるいは、現在年金制度では物価スライド制になっていますが、これでは、物価という間接的データによるので、効果が出るのに数年遅れになる外に何を統計に組み入れるかによって、その製品を多く使う階層と使わない階層によって、大きな違いが出過ぎて実際的ではありません。
年金で言えば超高齢者にとっては、スマートフォンなどの値下がりの恩恵は受けない代わり、医薬関係の相場変動は大きな影響があるなど階層によってマチマチです。
円相場に国内諸価格が連動しない状態においたままですと、国際競争に曝されている企業にとっては、販売価格は直ぐに・即日円相場上昇に連れて目減りするのに(1ドル100円の正札のままでも、円が次の日に98円に上がると企業の手取りは98円に減ってしまいます)、国内物価、人件費等が従来のままでは、コスト的にいわゆる股割き状態です。
政府の方は円高による国内不景気・・失業対策等バラまき傾向になって増税志向になりますので、ますます企業にとっては居心地が悪くなります。
円高傾向になれば、企業としては海外に逃げ出すのが、経済原理に合っているので(上記の例で言えばアメリカで全部造って売っていれば、1ドルが何円になっても関係がありません)ジョジョに海外比重を高める・・国内生産比率が下がる傾向になります。
海外展開資力のない企業は縮小・倒産し、労働者も失業して無収入になったり、新卒の就職が厳しくなります。
職場が縮小して行く中で失業を減らすには、ワークシェアリング・・非正規雇用の増加で薄めて行くしかないでしょう。
皮肉なことですが、一部の高度化適応成功と過去の黒字蓄積(利子配当の還流)が、国内雇用が大幅縮小して行くにも拘らず、円相場を引き上げ、平均的労働者の国際競争力を減退させ職を奪う効果を加速させていると言えます。
貿易赤字が続けば普通はその国の通貨価値が下がり、その結果再び貿易収支が均衡して行くものですが、我が国の場合、巨額海外投資資金・外貨準備があるので仮に貿易黒字基調になってもちょっと様子が違ってきます。
収入が減って苦しくなると支出を抑えれば貿易・家計収支赤字が収まるのですが、個人と違って政府の場合、従来支出を削るどころか不景気対策として、歳出増になるのが普通です。
貿易赤字国でのこの種のケインズ主義的支出は間違っているという意見をOctober 22, 2011「国際競争力低下と内需拡大5」で書いたことがあります。
我が国の場合、貿易収支が赤字基調になって経済が苦しくなれば、内需=バラマキを縮小して節約するのが筋ですが、衆愚政治化している現状では財政支出増を求める意見に流されて、資金穴埋めのために海外資金の引き上げに動く(海外のドルやユーロ資金を売って円を買う)でしょうから、貿易赤字になってもなお円相場が上がり続けるリスクがあります。
この連想作用で、復興資金として、海外からの資金引き上げが起きるとみた投機筋が円買いに動き震災直後に円が上がったのですから、私の個人的妄想・杞憂ではありません。

国内総生産の推移

ところで、本当に日本の成長は止まっているのかの疑問で、1月16日に製鉄や車の生産増を紹介しました(これに付随して関連産業の生産も増加しています)が、以下に国内総生産推移データも紹介しましょう。
以下は世界経済のネタ帳からの転載です。
これによると、我が国経済は言わば国内生産が高原状態どころかジリジリと増えていることが分ります。
1990年の国内総生産と現在を比べると約12%(ドル建てですと1、85倍)も増えているのに、就労人口が製造や建設だけでも700万人も減っている(と言う)のですから、これは技術革新によるものと考えるべきでしょう。
先ず円表示ですが、1990年の447兆円が2010年の推計値では(リーマンショック後の落ち込みにもかかわらず)539兆円になって約12%増になっています。
次のドル表示で見ますと1990年の2兆3260億ドルから、2010年推計値では4兆3080億ドル・・・1、82倍に増えています。
円ドル換算値が問題ですが、2010年の推計値539兆8420億円がドル表示で4兆3080億ドルに換算されているのを割り戻してみると1ドル125円11銭になります。
知ってのとおりリーマンショック後、円は80円台で推移していますので(1月15日の終値は82円94銭でした)539兆8420億円を実勢相場の82円94銭で割ると6、5兆ドルになりますので、ドル表示では90年の2兆3260億ドルの約2、82倍に国力が増加していることになります。
(ドルのその他通貨に対する下落があるので少し割り引くべきですが・・・)
1ドル80円台が常識の時代に何故リーマンショック前の125円で換算して政府が統計を出しているのかですが、海外から叩かれないように出来るだけ小さく見せたい智恵がそうさせているのでしょう。
外向きには、「儲かってますか」と聞かれれば「ま・ぼちぼちです・・」と答える習慣・・智恵の発露です。
ちょっと力がついたら尖閣諸島でもどこでもすぐ腕力むき出しにする中国とは智恵の深さが違うだけです。
中国の例で言えば、1月17日のヤフーニュースによれば、胡錦濤中国主席がアメリカ訪問に先立ってワシントンポストのインタビユー答えて「今やアメリカを基軸通貨とする体制は過去の遺物だ」と言い切ったそうです。
日本が今の中国の状況下にあるとしたら、ほぼ100%の日本人が、「まだまだアメリカには及びもつきませんよ・・・」と答えるところでしょう。
中国の威張った態度をそのまま信じ込んで、日本も奮起1番頑張れ!と言うメッセージなら良いですが、マスコミが、もう日本は駄目だ駄目だと宣伝し過ぎて子供までそう思い込んで(自信をなくして)いるようなアンケートが発表されると、マスコミは日本を本当に駄目にしたいのかと疑いたくなります。
以下の数字は実質GDP(デフレによる修正後)ですので、名目表示とは違う点を、御注意下さい。

[世] [画像] - 日本の実質GDPの推移(1980~2010年)

年度 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
GDP 284,375.00 296,252.90 306,256.20 315,629.90 329,719.30 350,601.60 360,527.40 375,335.80 402,159.90 423,756.50
年度 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
GDP 447,369.90 462,242.00 466,027.90 466,825.10 470,856.50 479,716.40 492,367.90 500,066.40 489,820.70 489,130.00
年度 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
GDP 503,119.80 504,047.50 505,369.40 512,513.00 526,577.70 536,762.20 547,709.30 560,650.80 553,913.60 525,014.60
年度 2010
GDP 539,842.56

単位10億円

以下は$表示(購買力平価ベース)です。

年度 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
GDP 978.27 1,114.64 1,222.57 1,309.81 1,419.68 1,555.29 1,634.68 1,751.22 1,940.83 2,122.27
年度 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
GDP 2,326.99 2,489.58 2,569.48 2,630.75 2,709.38 2,817.86 2,947.25 3,046.18 3,017.48 3,057.56
年度 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
GDP 3,213.09 3,291.75 3,353.82 3,474.45 3,666.32 3,872.84 4,080.55 4,299.91 4,341.07 4,152.30
年度 2010
GDP 4,308.63

単位:10億 USドル

※2010年は予測値(経済見通しの数値)

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC