国債破綻6

大震災直後は部品製造等が滞ったのでさすがに一時的に貿易赤字になりましたがその後持ち直しているようですし、(原油系の高騰で8月は貿易赤字)仮に貿易赤字になっても経常収支が黒字である限りトータルとして黒字ですから、論理的には何も問題がありません。
以上は論理計算の問題に過ぎず、実際に海外に出回っている円の数量は膨大ですし空売りも出来るので、投機筋の標的になるとある日当然大暴落が起こらないとは限りません。
国債の約95%を国内金融機関等が持っているとしても、国内の保有者は新規発行時の買い主になるとき以外はじっと持ってる人や機関が殆どであまり日々の売買・・相場形成に関与していません。
現在でも新発債の引き受けを除く、実際の取引比率を見れば、海外勢の方が、保有比率に比べて存在・取引率が大きい点が重要です。
この海外勢が日常的に持ち高の何倍もその日の相場を形成する能力を持っているといえるのですが、仕手戦っぽい乱調相場に入って来ると空売りその他で何十倍何百倍の威力を発揮し、95%持っている国内勢はただ傍観するのみですから良いように翻弄されてしまいます。
僅か5%しか保有しない海外勢のうち半分の保有者が売り急ぎ、あるいは空売りなどで稼ごうとするものが割り込んで来たときに、97%の保有者が売るほどでもないが買い支えたくまではない・・様子見の場合、売りが圧倒して大暴落に発展します。
今回の原発事故で東電株が2000円台から400円台に下がったときでも株式保有者みんなが参加した訳ではなく、少数のプロが売りを仕掛けて誰も買い支え・・(今回の場合下落は当然ですから)逆ばりをしなかったからでしょう。
このように市場相場は結果的(長期的には)に正しいところに落ち着くとは言え、発行済み株式や国債に比べて毎日の出来高が小さいので短期的には空売り等を仕掛ける仕手筋が何千倍の威力を持っていて、変な相場になる点を注意するべきです。
たとえば市場での日々の出来高が発行済み株式の0、1%しかない場合、0、1%の関係者だけで短期的な市場を形成していることになります。
ですから国債の安定性を議論するには、国債や株式の外国人保有割合よりは日々の取引参加者の国籍別シェアーを分析しないと意味がありません。
国債で言えば発行残高の0、1%しか日々取引されていなくて、その内の9割が海外投資家で占めている場合、わが国の国債相場は海外投資家の動向によって、1000兆円近い国債の相場が一日で100兆円値下がりしてしまうことも起きてきます。
国際相場の正常市場価格の急激な変化を阻止するには、日々の市場参加者を増やす・・市場の活性化しかないのです。
円相場高騰の場合、輸入価格の暴落と対の関係ですので必ずしもマイナスばかりとは言えませんが、それでも急激すぎると取引上支障を来すことは明らかです。
円や国債下落局面の場合はまだ実力があるのに仕手筋や金融ブローカーの金儲け競争による結果国債暴落突入の場合はデフォルトに直結しますので、プラス材料は何もないと思えます。
(私のコラムは従来円高肯定論で一貫しています・・この国債破綻シリーズも破綻=円暴落の方を恐れた立論です)
地球温暖化論争も、「1度や2度暖かくなって何が悪いの?気持ちいいだけじゃない!寒冷化の方がずっと怖い」と言う前提でいつも書いています。

国債破綻5

赤字国債の問題は、我が国では国内保有が殆どですから、一緒に生活している親が生活に困って同居している息子や娘に生活費の分担を求めたときに、息子や娘が一々借用証を親からとっているような関係です。
黙って(借用証などとらずに)分相応のお金を出すべきではないでしょうか?
民主党代表選(前哨戦)でも増税路線は不人気のようでしたが、これを見てこれでは破綻に確実に近づいてると見た格付け機関が8月24日頃に日本国債の格付けを「Aa3」に下げたのは当然です。
ただし増税を必要とする野田氏が代表戦で当選した(8月30日国会指名)ことは、ほんの少しでも期待が出来る結果になりました。
「今回は特別だから」と言っては、借金で賄う傾向が続けば、将来的には日本国債・借金は膨らみ過ぎて払えない事態が来ることは明らかですが、国民金融資産の合計と国債残高の数字が逆転するときまではさしあたり危機でも何でもないでしょう。
親子関係のない国債を差し引けば、=海外が保有している純粋な海外借金は約5%しかないことになります。
これがGDP比何%かこそを議論すべきです。
家計で言えば、お父さんが息子達に800万円借金しているが息子達の金融資産が(親に対する貸金を含めて)1400万円もある関係ですからお父さんの年収の何倍かを基準にしても始まりません。
お父さんが高齢化して年収がじりじり下がって息子からの借金残高が増えて行っても、息子の収入・貯蓄の範囲で息子から借りている限りその残高がお父さんの年収の10倍でも20倍でも関係がないことです。
息子の金融資産が目減りして行って1000万円に下がり、息子の親に対する貸付金が1000万円に近づくとネットの資産がほぼゼロになります。
これが逆転したときが危機感の第一段階ですが、この段階では貯蓄がなくなったというだけですから、まだ飽くまで「感」に留まります。
息子あるいは親世代合わせた一家の総収入が一家総支出よりも多い・・家計トータルでの収支が黒字である限り対外的には危機でも何でもありません。
とは言え、総収入の方が支出よりも多くて何故総貯蓄が減るのか?と考えれば、貯蓄減少が続き、収支ゼロになったときにはフローの家計収支も大分前からマイナス)になっているでしょう。
しかし、国際経済で見れば経常収支の黒字は家計部門の収支だけではなく企業活動による法人名義収支も含まれますので、個人金融資産が国債残高と均衡しても直ちにどうなる訳ではありません。
個人ではトントンでも企業や組織が海外に膨大な蓄積をしていることが多いのですが、(世界企業の海外投資残高)これをどう考えるべきでしょうか?
企業・法人資産は、煎じ詰めれば個人金融資産に収斂して行くべきであって、それ以上のことはありません。
トヨタやソニーその他大手企業がいくら海外に巨額資産を保有していても、その実質的権利者はその株主に帰属しますので、日本人がそれら会社の株式をどれだけ持っているかに帰することになります。
会社が海外に1000兆円の資産があってもその株主の殆どを外国人投資家が持っていて日本人はその1%しか持っていなければ、日本の海外資産はその1%しかない事になり、且つまさにこれは個人金融資産として既にカウントされていますから、結局は国の財産は、国の機関が海外に直接保有している資産(これも国民の預金・投資等をベースにしているとすれば、その分はゼロです)と個人金融資産の合計と同額でしかありません。
また法人の本社が日本にあっても法人は何時でも本社を海外に移転出来るので、何らの基準にもなりません。
金融資産残高で議論するならば、外貨準備と国債の海外(国内保有者外の国債残高)保有額の比較・・ひいては対外純資産がプラスかマイナスかの議論であるべきでしょう。
国際収支の黒字が続いている限り個人金融資産のプラス分がなくなっても大丈夫とも言えますが、国際収支の黒字も今後5〜6年持つかどうからしいとも言われています。
家計の収支と貯蓄の関係で書いたように、同期間のフロー収入よりも支出が多いから国全体の金融資産が減少して行くのですから、国内金融資産減少局面=国際収支の赤字が先に続くときですから、実際には、国内金融資産を国債が上回るようになると重大事態です。
国際収支の赤字化を防ぐには、収入以上の生活をしない・・家計同様に借金してまで消費しないことが肝要です。

国債破綻4(公徳心)

エイズ補償・薬害肝炎補償何兆円という約束数字ばかり出て来ると、その資金はどうするの?と言う疑問が出て来るのは当然です。
政治家はいい子になろうとして(気楽に?)何でも約束するし、他方で増税に反対する・・結局赤字国債の増発しかありません。
自分の腹を痛める段になると誰も進んでやらない・・この傾向が税金でさえも払わないで赤字国債で賄うという図式になって野方図に赤字が膨らんできました。
今回大震災のような特別事態でさえもその資金用の増税が出来ないようでは、「どんなときに何時増税出来るの?」とがっかりする人の方が多いでしょう。
事業仕分けの後には、無駄遣いを先に削ってからにしてくれという言い方が減りましたが、その代わり、ここで増税したら経済が沈滞し、国際競争が成り立たないという言い方がもっともらしく言われるようになりました。
増税するとしても既に国際水準よりも高すぎる分野・・法人税を国際水準に減税するのを別にやれば良いことでしょう。
個人金融資産が多すぎることから見れば、個人所得に対する課税を強化すべきです。
また、寄付であれ増税であれ国債であれ、国民の懐から紙幣を持ち出す点は同じですから、経済全体では増税と寄付・国債とは消費に対する影響は等し(以上)くなります。
集められたお金は別のところ・・と言っても国内で使われる点は(ODA等で海外で使わない限り)同じですから、国民経済的には消費が減退することもありません。
むしろ寄付金は預貯金の内余裕資金で寄付することが多いので、仮に寄付を10万円したからと言っても、今月の生活費をその分切り詰める必要のある家庭の方が少ないでしょう。
増税だって同じで利益・所得に対する増税ですから、増税分そっくり消費が減退することはあり得ず、他方で増税分は100%政府が使うので国内消費全体では多くなります。
たとえば、税引後1000万円の手取りの人が100万円臨時増税されて手取り900万円に減っても、消費が増税分100万ちょうど減る人は少ない筈ですが、政府の方は増税した分そっくり使うので、国内消費全体は大きくなります。
500万円の人が50万円臨時に徴収されてもその分そっくり食費や家賃を削ることはあり得ません。
このように増税と寄付は国内消費が減退するどころか逆に増える要因になります。
あるいは赤字国債でも同じで、元々預貯金するべきお金を国債に振り向けるだけですから、この資金を仮に国内から(95%)集めるとすれば、国内で流通する資金がその分減ってしまうものの、それが政府支出に回るだけであって、国内流通資金量そのものは変わりません。
(海外勢の投資した5%が増えることになりますから国内消費を増やすには海外向けに多く売った方が合理的です。)
国債の発達は、元々国内成長余力が減少して来たものの金融機関が海外成長産業への投資能力がないことから、資金を持て余していることが大本の原因で始まったものです。
金融機関が有効利用出来ない分を政府が「代わって無駄遣いしてやろう」という時代の産物ですから、国債発行による紙幣の回収分は100%政府が消費してしまう点は増税と同じです。
税金であれ、国債であれ、寄付であれ、出回る紙幣流通量=消費は同じ以上で国内経済効果は同じ以上ですから、消費が沈滞すると言って増税にだけ反対するのは不合理です。
増税は公徳心の薄い人(寄付どころか舌を出すのもいやという人もいることは確かです)からも強制的に分担金をとるところに無理があるのでしょう。
消費誘発効果が同じ以上とすれば、経済の沈滞かどうかではなくその優劣は別の角度から考えるべきです。
増税によると出す方が渋るので、その使い道に厳しい目が注がれるので無駄遣い率が減るでしょう。
寄付だと今のところ使い道に関するルールが整備されていないので、何にどう使うかの道筋がまるで見えません。
国債の場合、一応国家予算上の制約がありますが、自腹を切る増税と違って規模自体がルーズになりがちです。
また借金して次世代にマイナス遺産を残すこと・・将来デフォルトになりリスクを抱える不安が重要です。
このように増税に反対するいろんな理由が実は意味がない上に「どっちみち同じ額の支出が必要だとすれば」増税しないことのマイナス効果が明らかなのに、増税反対が多いのは、自分のお金はびた一文出したくないというケチな根性の人が多くなったのでしょうか。
復興資金は税でやらずに寄付だけでやると言ったら、どれだけ寄付が集まるか知りたいものですが・・意外に多いのではないでしょうか?
臨時特別な出費に関しては目的を決めた寄付だけでやるのが一般的になれば、その使い道もある程度ルール化されて行くべきでしょう。
直接民主主義と寄付のテーマで10/26/03「教育改革22・・・・・寄付と所得税法2(税制の直接民主主義6)前後で連載したことがありますが、目標を決めて寄付を募るのが一番民意を反映していていい筈です。
ちまたで「増税だけはいや」というようなインタビユーを見ていると税金らしい税をあまり納めていないように見える人に限ってそんなことを言うのには驚きです。
たとえば年収500万円以上に限って、インタビュウした方が良いのではないでしょうか?
税の問題は、殆ど納めていない人あるいは補助金等をもらう方が多い人ほど(貧すれば鈍すと言いますが根性がケチになりがちです)の意見ばかり求めていると国民の大多数がケチな人間ばかりかと海外から誤解されてしまいます。
「増税がどうしても駄目だから寄付だけでやる」と大々的に募れば、かなりの金額が集まる・・日本国民は捨てたものではないと信じています。
税の問題は、納めている人中心・・納税ランクごと意見を求めた方が合理的です。
09/08/07「納税と選挙権3(憲法217)普通選挙権」前後で税の使い道は納税ランクごとに加重的発言権制度にすべきだと連載したことがありますが、今回の意見もその一環です。

国債破綻シナリオ3

ところで何故赤字国債がはびこり易いかと言えば、個人の震災等による被害の場合、比喩的に言えば「貯蓄1億円の一部・・数千万円で間に合う被害」の場合、先ず貯蓄の一部を取り崩して家の改築・改修などするのが普通で、貯蓄をそのままにして借金を先にしようとする人は滅多にいないでしょう。
これが組織になると無責任体質(共産主義国家で何事も親方日の丸体質になってソ連が駄目になったのと本質が似ています)になり易いからです。
収支トントンで運営している組織で会員百人、会員平均一人当たり1億円の個人資産がある組織(無限責任・・民法の組合形式を想定して下さい)で、その組織が災害で10億円の出費を必要としたときに、会費として1000万円ずつの特別徴収をすれば間に合うのに、これをしないで借金で賄う図式です。
収支トントンの組織ですから、いつまでたっても借金を返せないばかりか金利負担分が累積して行くので、いつかは会員が自己負担して借金を減らすしかありません。
ところが、その内元金を減らしていくどころかまた別の特別出費が必要になって更に借金を追加して行き、ついには借金総額が各人の資産総額に迫って来た状態です。
目先の自己資金を拠出するのがいやなので先送りしたくなるのでしょうが、増税・自分の懐から出すのを渋り赤字国債で賄うここ20〜30年以上の我が国経済はこの大型版です。
日本の個人金融資産が1400兆円と言われてましたが、現在の国債総額が仮に7〜800兆円だとすれば、国民が出す気になれば出せるお金があるのに、税・会費として拠出するのを嫌がって国債増発に頼って来た結果と見ることが出来ます。
本当に拠出するお金がなくて借金しているなら仕方がないですが、我が国の場合衆愚政治と言うか国民の我がまま度合の合計が国債の残高と言えるでしょう。
あるいは建前社会が進み過ぎたと言うか、エイズ被害あるいは何とか被害があるたびに政治家はその救済を約束するし、運動家は成果を誇るのですが、運動家自体あるいは関係政治家自身、自腹を切って救済資金を作る気持ちがありません。
乞食に何も恵まないで通り過ぎる人を「可哀想じゃないか」冷酷だと非難しながら、自分は一銭も出さないような傾向です。
総論賛成各論反対とよく言われますが、高度成長期には、「道路陥没」、「手すりがないので崖から落っこちた」、「公園の遊具がさびていて怪我をした」等々何でも政府の責任にして自分ではないみんなの責任=税負担にして薄める習慣が身に付きました。
高度成長期には自然税収増があったので支出項目を足して行く方法でも間に合っていましたが、自然税収増が停まると、建前としての救済拡大は結構なことですが、これが広がり過ぎるとこれに対応する税収増・・増税しないと計算が合わなくなってきます。
民主党は政権公約で無駄を削減してこうした大判振る舞いの資金を捻出するとしていましたが、大々的な事業仕分けをしても結局大した結果になりませんでした。
少なくとも民主党政権では公約通り無駄の削減をして収支均衡予算を組めなかったのですから、本来赤字分は支出を削減するか増税しかなかったことになります。
ましてやその後に新たな補償約束をするときにはどの支出を削ってその資金を出すのかを詰めてから、(政権党である以上、野党時代のように政府の冗費非難だけでは済みません)約束すべき責任があります。
政治家は、薬害補償その他の約束をするときには、どの支出を減らして保障するのか、あるいはその分増税して保障するのかを明示して約束すべきです。
薬害その他国に責任ある分は国で責任を持つべきは当然ですから、私はこうした救済・傾向に反対しているのではありませんが、道徳論ではなく「支出するには対応する収入がなければならない・・増税出来ないならばその分をどこかの支出を減らす覚悟がいる」という当たり前のことをここ20年以上無視する傾向が続いていることに異議を唱えているのです。
どこかの支出を減らして、その分を補償に充ててこそ痛みをかち合うことになる筈です。
何時払うか分らない・借り換えで先送りばかりして行って将来は踏み倒すしかない国債で賄うのでは、痛みを分ち合うことにはなりません。

国債破綻シナリオ2

 増税に応じないということは寄付金以上の出費を政府が一切しなくて良いことになるがそれで良いのかと正面から、政府が国民に問うべきです。
そんな子供っぽいことをしなくとも国民の意思が分るのが政治というものだとすればそれまでです。
それでも増税反対が多数を占めると言うのが政治家の感触と言うならば、国民の多数が東北地方の復興に国費を使うべきでないという意思表示と見るべきでしょう。
増税しないで国債発行で賄えというのは、自分は寄付金以上一銭も負担しないし将来の国民も負担しない(これまで書いているように借換債発行の繰り返しですからどんどん膨らんで行って次世代またはその次の世代で最後は破綻のシナリオです、・・)狐の葉っぱをお金として配っているような効果です。
国債デフォルト状態の発生時には「狐の葉っぱ」だったと分る日が来るのですが、本当は貨幣ではないと分るのは先送りの結果何世代も先のことですから、さしあたり本当は狐の葉っぱでも何でも今のところ持って行けば、それでものを売ってくれるので使える間は使った方が得・・みんな有り難がっているだけです。
破綻を前提にすればいつかは発行済紙幣や預貯金は狐の葉っぱとしての本質が明らかになるのですが、将来は別としてともかく今のところ狐の葉っぱみたいな紙幣が通用しているのが厄介です。
将来は紙切れになるに決まっているとは言え、現在及び近い将来通用している以上は、これを利用しないわけには行きません。
日銀券が信用出来ないので余剰資金でドルを買おうかとなると、アメリカドルの方が日本よりももっと先に駄目になりそうですから厄介です。
それでユーロに人気が集まっていたのですが、ギリシャ危機の発生でユーロの方も黄信号がともってしまいました。
これから元気そうな新興国紙幣はどうかとなりますが、もう1つ安定性がなくて困っているので、日本紙幣が駄目になるのはアメリカの次の次・・大分先のことだろうということでその内に売り逃げれば良い・・国際収支が赤字基調になってからでも遅くないと言うことで当面日本円の相場が上がっているのです。
円高は当面の避難先でしかない・・世界中の紙幣の信用がぐらついているので究極の避難先としては金しかない・・と言うこと、で今は金の国際価格が急上昇しているのですが、何故か日本人は逆ばりが好きらしくこの時期日本は世界一の金輸出国になっているそうです。
日本円が狐の葉っぱになるのは大分先のことだからということで、貰った人は喜んでいるし貰ったお金を喜んで預貯金していますが、外国の信用が高いうちに円をどんどん使って金を買ったり外国資本や土地・鉱物権益など買収をして使ってしまった方が有利です。
将来円が下がったときに、これを売って国内に還流すれば、大きな資金準備になりますし、現在の急激な円高緩和にもなります。
日本人はまだまだ日本の円は大丈夫として、金を売って円を買う方にシフトしているのは愛国心が強いつもりなのでしょうが、円高助長原因を造っているのに気づかないのでしょうか。
こういうときには逆に金を買っておいて、将来の円急落局面でこそ金を売って円を買い支えるべきですが、80年代頃に高値の金をつかんでしまった階層にとっては、今やっと元値以上になったのでこの際利益確定売りしたい一心なのでしょう。
考えようによれば、現在世界の円買い行動は倒産直前の整理ポストに入っている株でさえもギリギリまでの売り買いでサヤを稼ごうとするのとスパーンの長さが違うだけで本質は同じです。

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