雇用喪失と移民増に対する米国の不満

NAFTA署名の92年当時といえば、1992年のEU発足と同時期ですから西欧が地域ブロック経済で米国に対抗するならば米国はこれに対する対抗心からもともと自分の裏庭と自負する北米地域で北米統一市場を企図した動きのように見えます。
もともとメキシコは米国にとっては、裏庭ともいうべきお膝元であり当時のメキシコ経済は近代工業製品輸出国ではなく工業製品を売りさばく市場そのものでしたから、米国はEUに対抗して米国の裏庭にあたる市場を囲い込み・支配独占を確かなものにする日本の高度成長期には意識に基づく政策だったと思われます。92年当時のメキシコの経済力を見るために当時から現在に至るGDPや貿易額推移を世界ネタ帳でGDPを見ておきます。
https://ecodb.net/country/MX/imf_gdp.html

メキシコの名目GDP(USドル)の推移

メキシコ輸出額の推移

上記両グラフによれば92年NAFTA署名〜94年発効以降を見ると、GDPや貿易量が急激に伸びています。
FTA・・貿易自由化の徹底は後発国(韓国や中国を含め)が先進国に追いつくには、後進国に有利な制度であったことがわかります。
19世紀型植民地支配は、被支配地域に工業生産を許さず先進国の輸出市場としか扱っていませんでしたが、戦後ほぼ独立してしまい植民地支配が出来なくなりました。
先進国間で戦後復興が終わり市場争奪戦が再開されると、(似たような生産ラインでの競争である以上)より安い賃金・安い地代等総合的低コスト地域に立地した方が同業者や競争国との価格競争に勝てるので、現地進出競争が始まりました。
日本の場合も中国が改革解放されると現地生産指導のコストをかけても、農産物等の価格が10〜20分の1の値段で仕入れできれば競争相手・同業者に勝てるので、中国現地に出向き日本人向き蔬菜づくりの現地指導に乗り出す競争が起きていました。
毒餃子事件で知られるように日本の食品メーカーは競って中国進出していましたし、食品は日常庶民の目につくので目立っていただけで、その他各種産業は中国から安く仕入れる競争時代が始まっていました。
米国とメキシコの関係もこれに似たようなものだったと推測できます。
米国としては市場囲い込みのつもり・EU理念に負けない市場一体化・もしかしたら北米全体をEU理念同様にアメリカ合衆国を拡大する意気込みもあったのでしょう?
その理念の事実上(EUのシェンゲン条約のように公文書ではっきりさせませんでしたが)人的移動の自由化も緩やかになる一方だった気分の実現として、米国企業が強者の論理で遠慮なく内国並みに自由自在に進出し、メキシコも中国のように進出企業に民族資本との合弁強制や知財移転要求などのイチャモンをつけずこれを受け入れていた状態を推測出来ます。

朝廷権力喪失2(徴収権喪失1)

武力のない中央の荘園領主の派遣者が現地に居着いたからといって、どうなるものではない・武士から見れば無駄飯食いが来た程度なのですぐにこの種の領主は消えてしまったようです。
幕府任命の守護は元々有力武士でしたが、足利氏の例で書いたように当時は飛び地領地といってもその領内は一円支配関係)経営でしたから、各領地で隣接領主との戦闘が常態化すると、飛び地領が多いと応援効率が悪くなり、「遠い親戚より近くの他人」の緊急応援が重要になります。
ただし、もともと荘園はあちこちの開墾地ごとの墾田永世私有許可制によって、開墾地ごとの私有が認められことから始まっている関係で、〇〇の郡・地域一帯ではなく中央貴族が飛び地で持っているに過ぎなかったものが、周辺開墾地を増やすなどして一定地域に広がってきた・地域支配に広がってきたものです。
もともと規模の小さなものが成長して今でいう市町村単位や郡単位規模になってもああちこちに点在しているのが原則でした。
現在農地法改正によって農地の法人所有が認められるようになっていますが、これが仮に世界規模の大企業が経営するように成長したとしても、全国合計すれば日本全国の2割を占有しているといっても一箇所に統合しているものではないので、各地の警察権やガス水道各種インフラ・・全部国家頼みで点は変わりません。
荘園領主の始まりは、現在の法人農地所有の先祖と言えばわかり良いでしょう。
人力会は地時代ですから、数〜十町歩開墾でも大事業だったでしょうから、その程度の飛び地から始まったことは間違いないでしょう。
解説では荘園領主が一円支配を目指して不輸不入の権が次第に拡大していくという欲得だけの解説が多いのですが、前提として個別の田んぼ私有から、一定規模の面支配に広がっていったことが先行していたはずです。
このように飛び地支配を原則としながら、飛び地ごとの範囲をじわジワと広げていく・・倦まず弛まずの成果が先にあったのでしょうが、応仁の乱までは山名、細川など中央の有力御家人の所領はまだ飛び地(の規模が次第に大きくなっていたものの)経営の系譜を引いていたのです。
飛び地規模を大きくしたいのが平安時代初期からの各地飛び地経営者・・現地を預かるものの願望ですから、領域拡大争いが熾烈になると現地武装勢力が重きをなし武士の発達になっていくのですから、武士の勢力が大きくなればなるほど在地勢力に関心の強い領域争いが大きくなるのは自然の流れです。
突発的小競り合いでは中央の応援など待ってられないので、地元荘園規模の大きい方が大きな勢力を持てるので、いよいよ自衛(力充実)に走るようになります。
現在喧しい集団自衛権問題同様に、遠い親戚より近くの領主と縁戚関係やお互い助け合い関係を密にしておく方が合理的、地元人間関係が重要になっていきます
中央派遣→地元密着力で守護代に劣る結果、地元武門トップ守護代に地位を追われていく時代の流れとなります。
戦国末期の長尾為景や織田信秀のころには、武門の棟梁や藤原氏の氏長者等の仲介を経ないどころか、守護や守護代すらを飛び越して一足飛びの朝廷への直接献金が常套化していたことに驚きます。
織豊政権成立の頃に生き残った戦国大名で、家柄だけで生き残った大名はいないと言っても過言ではないでしょう。
武田家や島津家などは守護大名から戦国大名に転換できた希少な例でしたが、もともと土着源氏であった者が、その地元で守護に任命されていたから地元武士団化に成功したように見えるのであって、中央任命の守護大名が家柄だけで生き残ったのではありません・・。
生死をかけた合戦の続く時代に、元々武力のない公卿が地元に居着いたくらいでは(日々の食費に困らなくなった程度しかなく)どうなるものでもなかったでしょう。
朝廷+征夷大将軍による正義・秩序の強制力や徴税能力喪失・・この段階で支配者と言えない状態になっていたでしょう。
まして周辺で何とか朝廷権威を守ってきた藩屏たる貴族や寺社の荘園取り分ゼロ(時折世代交代時に官職の斡旋をしたり、(今で言えば旧領から盆暮れのツケ届けが届く程度)で色紙(文化)を売る程度しか収入源がなくなってしまったようです。
これでは現在の作家や絵描き、音楽家・・各種芸人とどう違うか?となります。
荘園領主系で上からおしかけるのではなく文化力のあるものは、新興武士層の奥方系の需要に応じて(市場価値があるので)「ドサ周り」可能ですので地方に文化進出していきます。

スローガンの実効性3と信用喪失(土井党首と鳩山党首の轍)

アメリカの交渉術はオバマやヒラリー氏自身が弁護士であったこともあって,弁護士的思考方法と最近言われるようになりましたが,たまたまクリントン元大統領やオバマ大統領あるいはヒラリー氏が弁護士だったに過ぎず,社会の思考レベルが元々2項対立・単線思考の文化を背景に政治家が行動している社会を表しているに過ぎません。
単線切り分け社会を背景に生まれて来る政治家は弁護士でなくとも似たような思考しか出来ないのだと思われます。
アメリカは弁護士・訴訟社会と言われますが,何でも訴訟で白黒つける社会はその前提として,社会が単線・2項対立,白か黒か,敵か味方か中立か、程度の単純色分け社会しか理解出来ない・民度が生み出した交通整理方式かも知れません。
4〜5年前までのマスコミ論調・・アメリカや中国の戦略性に見習うべきだと言うのが普通でしたが,日本から見れば見え透いた戦略で馬鹿げたレベルに過ぎません。
欧米かぶれの文化人やマスコミは二項対立的戦略が格好いいと日本の戦略性のなさを嘆く声ばかりでしたが,あまりにも単純過ぎるのでマスコミ連動の野党は単細胞レベルからしか支持を受けられないジリ貧政党になっているのです。
ちなみに我々弁護業務は原告と被告,検察官と被告人と言う一対1の対立構造を前提に交渉するのが原則で例外的に多数関係者がいるだけです。
(集団訴訟も結局は一対一の構造に還元されて行きます)
すなわち弁護士・・法律家は一対一の交渉に関するプロですが,100〜数百の利害をつかねて行く交渉のプロではありません。
アメリカ社会はこの方法に優れている(・この程度の切り分けで社会が成り立っている程度のレベル?)だけあって、何でも二国間交渉に持ち込もうとしているのですが,国際政治は,AB間の決めごとがCGE〜Nにも影響を及ぼすので,単純ではありません。
中東の入り組んだ利害関係を見てもアメリカ式単純交渉術では国際政治を切り回すには限界にぶちあたっているのに,国際レベルについて行けないアメリカ人民とトランプ氏がこれに「逆切れ」を起こしているに過ぎません。
今回のトランプ現象は一面から見れば,複雑系処理に付いて行けない単線系アメリカ人がヒステリー・カンシャクを起こしたに過ぎないのですが,そのまま「どうせ俺たちは無茶しか出来なんだ」と突っ走るかどうかによって・・何しろ図体が大きいので誰も止めようがない・・世界の幸不幸が決まって行きます。
トランプ氏が第2次世界大戦前のロ−ズベルトのように無茶をやり過ぎないようにアメリカ人民・ピープルがコントロール出来るか否かに今後の世界政治はかかっています。
ヤクザが暴れても局地的でしかも,警察が来れば収まりますが,・・・アメリが無茶をやれば止められるクニがありません。。
この無茶を言いたい放題、やりたい放題した結果第3次世界大戦になると本当に世界がホロンでしまうリスクがあります。
アメリカが道理に基づく政治を出来れば,小手先のことを何をしようとも結局・・長期的には道徳律のしっかりしたクニ・・複雑系処理に優れた方に女神が微笑むでしょう。
中国、ロシア、トルコ等の地域大国が,その地域内で無茶をやりたがっている背景は,彼らを支持する民度レベルにかかっています。
我が国を含めて単純仕分け・・2項対立を煽る風潮批判をMay 5, 2016,「政府と国民5(2項対立3)まで書いて来ました。
日本では、この種単純煽り系のスローガンに面と向かって反対はしないが国民は滅多について行かない・・実態はそんな単純なものではない・・複雑と思っているので選挙になると,左翼系が大量動員した・・国民の声を無視するなと威張っている割に選挙結果は穏当です。
サイレントマジョリテイーの重要性については、October 31, 2015,「サイレントマジョリティ22(運動不参加者の心理2)」まで連載していて、その後Apr 24, 2016「サイレントマジョリティ23(保育所設置反対運動)」Apr 28, 2016「サイレントマジョリティー24(国民総意)」まで連載途中でしたが,その内再開します。
アメリカでは,肝腎のサイレンとマジョリテイーの方が単純なようですから,始末が悪い・・衆愚政治に堕することになります。
日本は民度が高いのに野党が単純思考過ぎて健全な野党が育たないで困っているし、アメリカの場合には、指導者とピープルの民度差が大き過ぎる問題です。
今回のトランプ旋風はピープルが成熟して国民に変身した結果なのか?
今でもガバメントの対象であって,政治の主役になれないままか?が今後の政治の動きで分ります。
地域大国の為政者の乱暴な言動は・個人の資質と言うよりもこれを求める自国民族レベルがまだまだ複雑系処理向きではない・地域大国らしく威張り散らしたいのにこれがが出来ないストレス・・民族願望を背景にしている点がほぼ共通です。
アメリカ「人民」の多くも実は民度は似たようなものですから、これに親近感を抱いているのをトランプ氏は煽って当選したと見える点がこの先政治を危険な方向へ導く可能性が高めます。
(ピープルの多くは、お金持ちになって高級料理店に行くようになると窮屈で困っているようなもので,大声しゃべりまくりたい本能・・内心あまり格好付けないでやりたい放題やりたいと言う本音が出て来たのです)
大人のちゃぶ台返しは、子供がダダをこねているのに似ていますが,廻りはその場の儀式等を滞りなく済ますために一応宥めますが,原始的本能をその都度爆発させていて中長期的にうまくやれるかは別問題です。
却って信用をなくすのが普通の結果です。
信用を得るには時間がかかるし,得ても失ってもすぐには効果が分りませんが,長期的に利いて来る・・逆から言えばすぐに回復不可能ですから,日本では誰もが信用を大事にしているし,礼儀作法を重視するのです。
ヤクザがスゴメばその場では何か恐喝・・利益が出ますが、長期的には敬遠されてしまい結果的に貧しい生活しか出来ていません。
ルーズベルトも関税等の報復合戦では収拾がつかなくなっていて、局面打開のために対日戦に訴えたがっていてあの手この手で日本を追い込むとともに国内世論工作して遂に日本をその餌食にするのに成功したと言うシナリオ理解が今では通説ではないでしょうか。
私の頃には,学校ではアメリカはルーズベルトのTVA計画を中心とするニューデイール政策成功によって不況脱出に成功したと習いましたが,実際には対日戦突入成功によって戦時景気・漸く不況から脱出出来たことが分って来ました。
社会党の土井党首が「ダメなものはダメ!」と言って一世を風靡したことがありますがこのような単純思考で物事・複雑な政治が片付く訳がない・・日本の成熟した民度から言ってふしぎです。 
実現不能な鳩山氏の「少なくとも県外へ」のスローガンと同じですが,こんな単純スローガンで政治が動くなど不思議ですが、もしかしたら、マスコミの応援で一世を風靡しただけだったかも知れません。
このスローガンは1998年の参議院選挙のときですが,僅か3年後の91年地方選挙では議席を激減させて土井氏は党首辞任になっています。
奇しくも2009年から2012年まで政権を担当した民主党政権と期間的にはほぼ同じです。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/28/doi-takako-passed-away_n_5894892.htmからの引用です。
「消費税導入への反発や、宇野宗佑首相の女性問題などを追い風に、「だめなものはだめ」「やるっきゃない」などの言葉で自民党への攻勢を強めた。女性候補を大量擁立して1989年7月の東京都議選で議席3倍増、同月の参院選では改選議席を倍増させて自民党を上回るなど大勝し「マドンナブーム」や「おたかさんフィーバー」と呼ばれた。
1990年2月の衆院総選挙でも「おたかさんブーム」は、社会党は改選を51議席上回る136議席を得たが、自民党も275議席を獲得して安定多数を維持した。しかし1991年4月の統一地方選では、道府県議の当選者数が過去最低となり、東京都知事選の推薦候補が4位と大敗。責任を取って、翌月に辞任した。」
上記を見ると90年選挙ではマスコミのフィーバーにも関わらず自民党よりも概ね他の野党の議席を食っただけだったことが分ります。
(この結果、不満を持った野党共闘が崩壊したことが都知事選等の大敗北→辞任に繋がります)
単純スローガンは複雑な説明よりは単純結論を求める低レベル庶民には分りよいのでマスコミがこれを煽ると票を得るには便利ですが、実際政治は複雑な要因で決まりますので,単純なスローガンとおりに政治をやれないのがほぼ100%です。
・・その結果庶民の失望感(騙されたと言う反感)から次の選挙では概ね大敗になるのが普通です。
単純スローガンは言わば麻薬のようなもので,一時的に馬鹿力を発揮しますが,長く政治をする政党が使ってはならない禁じ手です。
上記のとおり土井社会党はその後急速に支持を失い,党自体がなくなってしまいましたし,鳩山民主党政権もすっかり信用をなくして次の選挙で大敗し今では党名すら維持出来なくなって,今夏民進党に党名を変えました。

占領統治の難しさ(日本奴隷化作戦の変更)

何回も書いているように欧米は、日本を叩き潰した後には単純被植民地、被奴隷国の限度で生存させる・・一切の工業生産を許さない方針でした。
アメリカ政府のインデイアンに対する協定破り・相手が武装解除・降伏すれば、降伏時に約束した協定など全く守らない前提の国です。
降伏したインデアンに対する非人道的政策は良く知られていますが一例を挙げれば以下のとおりです。
どこの誰か?根拠があって書いているか知りませんが,私が何かで読んだ記憶に大方あっているので一応引用しておきます。
http://goodorbadamerica.blogspot.jp/2013/01/blog-post_17.html

「徹底した同化政策を進めるために、赤ちゃんは、強制的に白人家庭に養子に出されたり、5歳以上の子供たちは、全員親から引き離されて、寄宿学校に入れられちゃいます。
学校と言っても、牢獄に近かったらしいですよ。
無理やり、部族や親と隔離して、キリスト教に改宗させられて、英語を習わされて、白人の下働きをする、「良いインディアン」作りをするための学校だったんですね。
まさに、インディアンの文化そのものを根絶やしにするための同化政策ですね~。
たしか、インディアンの寄宿学校が廃止されたのは、1965年あたりだったはず。
と、いうことは、今でも、だいたい50才以上の人たちは、ほとんど、入れられた経験があることでしょうね。」

赤ちゃんのときからオヤから引き離し、インデアンが如何に劣った民族かの言う教育を徹底していたのですから、ジェノサイドの極致ではないでしょうか?
英語しか知らない状態で育ち、寄宿舎を追い出されるとその後インデアン部落に戻っても言葉も通じないし生活習慣もまるで違う・・生きて行けません。
白人社会に入っても何も出来ず、保護に頼って無為に過ごすしかない・・人間が腐って行くだけの生活が待っている・・民族消滅するように仕向けられたのが今のインデアンです。
何回かポツダム宣言を紹介していますが、もう一度紹介しますが、「奴隷化・・するものではない」と言う表現は、正にその予定にあったモノの日本が容易に降伏しないので仕方なしに表向きの方針を変えたに過ぎないことを言外に表明しています。
武器を取り上げて占領してしまえば、約束など守って守らなくとも勝者の勝手・・自由自在と言う思惑があったでしょう。
我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

実際に占領後の実際を見ると、日本民主化の名分と占領後の日本の工業生産禁止はどう言う関係があるのか、米軍による軍政、検閲は?民主主義化の建前と全て矛盾です。
アメリは占領さえすればこっちのモノ・・後はインデアンに対するのと同じでやりたい放題・・元々ポツダム宣言を守る気持ちが始めっからなかったのです。
ソ連が満州侵入後日本軍をシベリアに連行し文字どおり奴隷支配したのは、アメリカから事前に聞いていたとおりに実行した(アメリカが腰砕けになっただけ)と言う立場だからでしょう。
アメリカはソ連と対立関係にあったのにソ連の蛮行に対して何の非難もしていませんし、だんまりのままだったのは、「自由に連行して奴隷化しても良い」と言う密約があったことが推測されす。
日本人奴隷化の基本方針からすれば、占領後天皇制廃止・・天皇の縛り首実行が既定路線だったでしょうが、これらを実行出来なかったのは、そこまでやると日本人の怒りが半端でなくなると言う教育?が功を奏したからです。
この進言をマッカーサーが聞くしかなかったのは、硫黄島や沖縄での日本軍の最後の踏ん張り・・これ以上追いつめたら何をされるか分らないと言う恐怖心が占領軍を自制させ、日本人を奴隷化する戦略を変更するしかなかった・・モノを言ったからです。
子供の頃に竹槍訓練や玉砕戦法をバカな戦いだったと、アメリカに都合の良い教育を受けて育ちましたが、今になって考えるとニッポン民族が奴隷化されないで済んだ結果にはすごく有効な捨て石・・戦略だったことが分ります。
関ヶ原で西軍の負けが決まった後に最後の突進で戦場を突き抜けた島津軍団の精強ぶりが、戦後処理で島津家が寸土も失わなかった結果になったのと対比出来るでしょう。
負けは負けでも、負け方が重要なことが分ります。
我々弁護士業務でも同じで、勝つ事件は誰がやってもそれほど大きな差がありません。
負けている事件・・有罪事件あるいは債務があることは間違いがない・・債務整理でも離婚でも(浮気したことは間違いがないなど)負ける方ではそのやり方で大きな差が出ます。
軍事でも戦闘に勝った後の追撃よりは負けて撤退する方こそが難しいのです。
越前の朝倉攻め中の信長が浅井の離反により、北陸路からの撤退に際して秀吉がしんがりを務めて成功したのと、本能寺の変での中国路からの撤退作戦・・これらを見事にやってのけたことが天下人になれた大きな要素です。

アメリカ優位性喪失5(物量作戦の限界2)

第二次世界大戦終了後の東南アジアでの植民地独立戦争で英仏蘭が敗退していったこと(日本兵が現地に居残って指導していたことが知られています)やアメリカのベトナム戦争の失敗は、既に日本との戦いの経験で研究済みどおりの展開になっていたことが分ります。
アメリカ得意の物量作戦は広大な海戦や砂漠での戦いでは有効ですが、硫黄島戦終了時に大規模戦以外の戦闘形態・・ジャングルや都市ゲリラその他での限界が見えていたのに、ベトナム戦争や第二次イラク戦争・・占領行政までやったのは、これを学ばなかったことになります。
第一次イラク戦争(湾岸戦争)ではあっさり兵を引いたのは、占領後の統治困難をパパブッシュが知っていたからかも知れません。
2週間ほど前に、イギリス政府によるイラク戦争に関する調査報告書が出ましたが、これによると戦争開始に関する判断ミスの外に終結後・・占領後の展望についての戦略不足が現在のテロ社会化・・混迷の原因になっていることが書かれているようです。
ただし、ちょっと話題がそれますが、アラブ世界の大混乱を別の角度から見れば別の結果も見えてきます。
イラクに留まらずリビヤ〜エジプト〜シリアに連なる連続的政府転覆の結果は偶然ではありません。
敢えてアラブ民族内での無政府状態化・・内部対立激化・大混乱に陥らせて、アラブ民族のトータル弱体化を図ってイスラエルの安泰を図る裏の統一的目的があったとすれば、(裏の目的は政府調査報告書には出ません)がその作戦は大成功している見方も可能です。
アラブ諸国の無政府状態化の進行によってどこが得しているかの結果から見れば、イラク戦争以降長年中東の火薬庫であったイスラエルとアラブの対立問題が話題にもならなくなったことから明らかです。
イスラエルの陰謀(があったとすれば)に加担した西欧諸国(何故かリビアにはNATO軍が積極的に支援していましたし、シリア反政府軍応援にはフランスが積極的でした)は難民流入の報復を受けているのはその反作用として合理的です。
数日前にも南仏ニースで大規模テロが起きていますが、フランスでのテロが多いのは、アラブ混迷化にフランスがかなり貢献?している・・貢献度合いによるのではないでしょうか?
私は異民族と混在するのは良くないと書いていますが、移民がいればテロになるとは限りません。
フランスでのテロ頻発は、移民の多さだけではなくフランスのやり過ぎに対する反感が動機・モチベーションになっているのではないでしょうか? 
占領政治の難しさ・・原始的恐怖政治をしたのでは、支配地の経済力を活用出来ませんので巨額軍事費を使って占領しても却って損をするだけですからフランスもアルジェから、手を引いたのです。
民生を安定させながら占領統治をしようとすれば、占領後の統治の方が難しいのは当然です。
イラク戦争に際してイギリスの調査報告ではその研究不足のまま参戦してしまったと言うのですが、素直に報告している点が真新しいところでしょうか?
アメリカが日本占領後の統治をどうやって良いか分らずに苦慮したときに当然米英は協議していた筈なのに、(混乱させること自体が目的だったとする上記ユダヤの陰謀でない限り)この反省が充分にされていなかったことになります。
企業買収も金さえあれば買収までは可能ですが、その後成功するかの研究調査こそが重要です。
いみじくもブッシュだったかが「日本でうまく行ったから・・」と当時言い訳をしていたのは、日本占領前後の研究をしていたことが分りますが、この発言を聞いた当時ブッシュのバカさ加減に驚いた日本人が多かったと思います。
幼児に家事のお手伝いをさせて大方はオヤがしてやっても「良くやったね」とおだてるようなもので、超々高度な政治経験のない中東・アラブ民族には日本のようにうまくアメリカをおだてて泳がせてくれる能力などないことを知らない意見です。
日本の場合、硫黄島や沖縄での勇敢な戦いでアメリカ軍に対して衝撃を十分与えた後にビビっている占領軍をうまく手なずけて占領後日本人を奴隷化してしまう計画を変更さて、柔軟支配に持ち込んだ何千年単位で築いて来た高度な政治力によるものです。
(November 12, 2013「マッカーサーの功罪5(軍政の撤回3)」で直接統治の占領軍指令を結果的に発効させなかった経緯を書いたことがあります)
アメリカは最後の詰め・・終結の見通しに関する手詰まり打開のためにヤルタ会談(1945年2月4日~11日〜ポツダム宣言ポツダム宣言(1945年(昭和20年)7月26日)その他で頻りに降伏を迫っていましたが、日本が受入れる様子が見えないまま硫黄島作戦の大損害などがあって困ってしまいソ連を対日戦争に引き込み・原爆投下に踏み切るしかない状態に追い込まれていたことが分ります。
これがアメリカで主張されている原爆投下正当化論の背景根拠ですし、沖縄人が日本軍に無理矢理に死に追いやられたとするでっち上げ歴史教育を強制して来た原因です。
原爆投下正当論は言い換えれば、原爆投下しないと日本に大規模野外戦では勝てても、最終的に勝ち切るには大損害が予想されたという自白そのものです。

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