NAFTA→雇用喪失と移民増3

機械化による効率化・生産性向上が進むと人件費率が上がるより下がる方向へ作用します。
ロボットなどの製造工場に合理化・生産性向上分の多くが吸い上げられる構造です。
宅急便の荷物仕分け物流センターの機械化も同様で、100人の作業員が10人で済む・・あるいは恒常的残業時間がへる方向になり手取り収入が減ります。
企業は元々白人に対する高額賃金では国内に1工場も残せないから低賃金労働者を入れて平均コストを下げて何とかしているとした場合で考えます。
外国人労働がないと工場の維持ができない=白人の職場がゼロになる関係・・例えば千人の工場に200人働いているから白人の職が200奪われているのではなく、200人いないと800人の白人の職場がそっくりなくなる関係とすれば、逆恨みも良いところです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44975010Y9A510C1000000/

トヨタ「輸入車規制は逆効果」 トランプ氏に反論
2019/5/18 7:10
トヨタの米国法人がコメントを出した。同社が60年以上にわたって米国に根付き、工場や販売店で50万人近い雇用を生んでいると主張。「今日の声明から、トヨタの米国への投資や従業員の貢献が評価されていないというメッセージを受け取った」と不満を表明した。トヨタが米政権を批判するのは珍しい。
トランプ大統領は同日、日本車を含む輸入車への追加関税の判断を180日延長することを決めた。一方で自動車の輸入増を「国家安全保障上の脅威だ」と指摘し、期限内に合意できなければ「追加措置を取る」とした。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50272150W9A920C1MM8000/
2019/9/26 22:35  日本経済新聞 電子版

【ニューヨーク=飛田臨太郎、辻隆史】日米両政府による貿易交渉は25日(日本時間26日)、閣僚級協議の開始から実質半年という短期間で決着した。日本は最大の懸案だった米国への自動車輸出の高関税や数量規制を回避。中国と対立を深める米政権は2020年の大統領選を控え、牛肉や豚肉の関税削減を確保した。安倍晋三首相は「ウィンウィンの結論」と評したが、先送りした懸案も多い。

先送り感は否めないものの、政治というものはいつも先送りであり、いつ蒸し返されるかしれない本質を持つものです。
当面危機回避できたことは良いことです。
トランプ氏の移民抑制とNAFTA見直し宣言は、高度成長期に日本からの輸入増大による職場を失う不満が、ハンマーでの日系製品叩き壊しパフォーマンスになったのと同じ方向のエネルギーを汲み取った政策と見るべきでしょう。
トランプ氏がNAFTA再交渉宣言とメキシコとの国境の壁設置を同時主張している所以です。
ここでメキシコの発展経過を見ると、日本の中国に対する関係同様にNAFTAをキッカケに米国企業の現地進出の動きが始まったので、現地人が工場労働経験を積み(規則正しい勤務になれるなど)製造工程の機械化が進めば進むほど個々人の技能差に頼る率が少なくなり、米国内生産と品質面でそれほどの遜色なくなっていきます。
メキシコ人労働者が経験を積みサプライチェン関連のインフラも整ってきたのを見て、日系企業も進出してもモノになると踏んで?日系企業進出が始まると、現地人工場労働技術習得に加速度がついた印象です。
11日見た車生産台数のグラフでは、日系進出が始まった11年の翌12年以降急激に車生産が増えています。
18年には韓国の生産台数を追い越してしまったニュースを見ました。https://www.globalnote.jp/post-3184.htmlによると18年ランキングでは、メキシコはドイツの次・・世界6位で韓国7位でした。
こうなると、メキシコを米国の独占市場にするどころか、米国の方がメキシコの製品の販売市場になって輸入国に逆転してきたのがこの4〜5年ということでしょうか?
こうした傾向は米国の対中関係でも同様です。
米国は冷戦勝利の余波を駆って中国の門戸をこじ開ければ、中国市場席巻の予定だったでしょうが、(実際に大量の米企業が進出しある程度成功しています)逆に中国からの輸入の方が増える一方メキシコ同様に予定が外れ、トランプ氏の不満が炸裂しました。
11日冒頭にアップルの例を紹介した通り、最終完成品を中国から輸入する仕組みでは貿易収支で見れば、自国初の発注製品でさえ米国の方が赤字になるのは必然です。
要は最終製品輸出国は貿易黒字になりやすいのです。
米国にとって中国のように覇権争いをしませんが、経済的に見れば中国同様に目障りになった段階かもしれません。
グローバル化に成功してみたら自国が損をすることが分かって、ちゃぶ台返しを始めたのでしょう。
米国覇権を狙うのを許せないのは共和、民主共通ですのでトランプ氏に限らず対中政策強化は一致のようですが、メキシコは米国覇権を否定しようとしていないので、共和、民主の立ち位置による評価の違いが出ているのでしょうか?
メキシコやカナダは米国覇権に挑戦する気持ちがないので、あっさり米国の要求に応じてNAFTA見直しに応じ米墨の紛争(メキシコからの輸出環境不明のままだと日本などのメキシコへの進出計画が立たず・・投資停滞・経済活動停滞リスク)が長引くことによる貿易関係不確実性除去に早期成功しました。
トランプ氏の恫喝によるメキシコに対する影響は以下の通りです。
https://biz-journal.jp/2017/03/post_18439.html
2017.03.24

ドナルド・トランプ米大統領は、北米自由貿易協定(NAFTA)の見直しを打ち出し、メキシコで生産された自動車に高関税を課す考えを示した。今後の交渉次第では、メキシコからの輸出に影響が出かねない。

NAFTA→雇用喪失と移民増2

日本大手メデイア好みの移民問題に対する理解・人道主義的理解・オバマ礼賛オンリーでは日本は誤ります。
かと言って、トランプ氏の過激政策(壁を建設するなど)は選挙対策的には意味があるでしょうが、基本的に無理筋のイメージです。
企業が出て行けばその分野の雇用が減る(製造業が国内立地の場合不採算事業を国外に移せば、)その分野の雇用が減るのは理の当然ですし、企業が国外活動すれば自国民が出かけるだけでなく外国人も入ってくる関係になります。
これが気にくわないと当たり散らしてもどうなるものではありません。
人件費が割に合わないならば、一部国外進出どころか潔くその事業を全部やめればいいのですが、フォードやクライスラーが国内全面撤退すると政府が怒るので企業が付き合いで国内に止まるには赤字にならない程度の割安労働力が必要です。
ところが、低賃金あるいは3K部門のやり手がないのでそれを嫌がらず担当するメキシコ系の移民導入が進んだのではないでしょうか?
日本では不法就労外国人だからといって賃金単価を差別することは出来ないので米国も同じと思われるのですが、なぜ外国人に低賃金職場が奪われるかのような不満が起きるかといえば、労働者不足の場合経済原理からいえばその分野の人件費が上がるべきなのに上がらないのは低賃金参入があって下支えをするから上がらない・この不満を古典的表現で「低賃金職場が奪われる白人の不満」とメデイアが表現しているのではないでしょうか?
実際に米国では好景気でほぼ百%雇用状態と言うのですから、不法移民が白人の職を奪っているのではなく、不満があるとしたら好景気なのに給与が上がらない・格差が縮まらない不満というべきでしょう。
日本の介護士不足のコラムでだいぶ前に書いたことがありますが、本当に不足しているならば経済原理に委ねれば時給単価が上がり労働環境の改善が進むはずなのに上がらないのは、低賃金政策があるからではないか?
待遇改善したくない力学が働いているという意見を以前このコラムで書いたことがあります。(下書きに書いてそのままになっているかも?)
完全雇用下で市場原理に委ねると単価的に近い接続職場・・従来の3K職場や非正規雇用者との人員争奪になり膨大な裾野労働者の人件費引き上げに連動していきます。
今の人件費体系で辛うじて生き残っている(ギリギリの採算で)旧来型製造工場サービス業等が軒並み国際競争力を失う結果になるからでしょう。
これをやってしまったのが韓国最低賃金強制引き上げによる零細事業の廃業続出現象です。
医師、介護士や看護師給与は一見市場原理のようでいて、国民皆保険制度の結果、薬価同様に点数次第で基本枠組みが決まるのでその枠内での業界内の自由競争でしかなく、実事実上の国定賃金です。
本当に保育士や介護士を増やしたいならば、競合する居酒屋やコンビニバイトより単価を上げれば済む話です。
それが出来ないのは一波万波を呼び・・競合接続業界から順次人件費引き上げ連動が起きて、最後は国内製造業の工賃単価に及び、辛うじて生き残っている限界企業が国外移転するしかなくなる・・雇用縮小に見舞われるのが怖いからです。
100%雇用状態とは言い換えれば国際競争できる人件費水準であり、これを仮に2割あげるとたちまち競争力がなくなり職場がなくなり失業の嵐になるでしょう。
為替相場で円を2割高にする政策と同じです。
保育士や介護士がコンビニや回転すしチェーンや居酒屋より重要だというならば、現行の賃金体系の序列を変更して、保育士介護士などの賃金をあげるが日本全体の賃金底上げに連動しない・・(そんな法律は作れないので)国民合意しかないでしょう。
100%市場原理で雇用している宅急便やコンビニ居酒屋等の場合、人手不足→競合他社より人件費待遇改善すれば自社だけ人を増やして労働時間短縮できるはずです。
しかし、他社と生産性が同じであれば他社より高い賃金では採算が取れない→自社だけ単価を上げると客が逃げる・・業界横並びで賃金アップ→商品単価アップすれば他業界に客が逃げる(スーパー業界が談合で単価を1割上げればデパートやコンビニに負けるなどで他社や他業界との生産性比較の問題です。
人手不足とは人が足りないのではなく、その業界が他業界から人材を引き抜けない・・これ以上給与を上げられない→単価を上げれば競合類似業界に客を取られる・・生産性の低さの言い訳に帰することがわかります。
売り上げ減を補うための単価値下げ競争は(回転すしのように合理化による単価下げは意味がありますが、)消耗戦に過ぎないのは知られていますが、生産性アップを伴わない待遇改善競争→客単価の値上げしかない・これも値下げ競争同質の消耗戦です。
寿司業界が回転寿司業態を開発して生産性で大飛躍しましたが、人手足を嘆く業界は、生産性アップ努力で他業界に遅れていることを自白をしていることになります。
回転寿司のような画期的業態変化は滅多にできないので、国内で低賃金が不満なら安い人件費でも喜んで働いてくれる後進国へ逃げて国内生産にとどまる競合を圧倒する安直戦略が流行りました。
サービス業は海外に逃げられない(コンビニや建設業も海外展開していますが国内分野ゼロでは国民が困るので)ので、待った無しの生産性アップ努力が問われるようになったのです。
そこで介護ロボットの工夫・医療現場のIT化など進み、コンビニ・スーパーなどでのセルフレジ化)介護化看護師等の負担軽減努力が進んで来たのですが、その程度では足りない・・待遇改善だけではなく給与そのものアップが必要です。
企業とすれば、10人必要なレジ係が最新設備によって3人で足りるようになれば、7人分の人件費が浮くのですが、その代わり機器導入費負担がかかるのでストレートな人件費アップになりません。
このような構造変化が進む結果、労働分配率が下がり続けているのですが、メデイアが時々この種の批判論をキャンペインするのをこのコラムで批判してきました。
回転すしで言えば従来20年前後徒弟奉公したベテランしか握れなかった寿司を、短期間講習で握れるように単純工程化した結果、人件費単価が急激に下がりましたが、この場合企業の大きなコストは回転チェーンの設備投資と立地経費、仕入れ単価が多くを占めるのであって、労働分配率が下がるのは当たり前です。

あいちトリエンナーレ不自由展騒動の得失2(地域エゴ競争1)

米国大統領や中国国家主席の肖像写真を燃やして踏みつけるパフォーマンスに対して政府公共団体が禁止すべきか否かは憲法の問題ですが、補助金を出すか否かはその行為の芸術性の有無が基準ではなく、国際関係等考慮して行うべき政策決定というべきです。
地方自治体もその展示行動が友好都市や国際関係上とどういう結果になるか、地元交通妨害になる程度などの具体的判断すべきで、芸術活動か否かを持ち込む余地がないでしょう。
グランデール市その他の自治体が慰安婦像を公立公園に設置許可するかどうかは政治判断ですので、自治体の法的手続きに違法があるなら別ですが、適法に判断された以上自治権の範囲ですので、日本人グループが司法に訴えたのは手法の間違いです。
個人が自宅にどういう銅像を設置するのが自由なのと同じです。
ただ、銅像設置や自分の親の写真を踏みつけられる映像やパフォーマンスを芸術として補助する自治体や個人に対して不満を持つ人や相手方自治体や国がどういう報復をするかも被害感情を持つ個人や国等の政治判断です。
グランデール市は日本との関係悪化しても良いという政治判断で慰安婦像設置を決めた以上は、大阪市がグランデール市との姉妹都市関係を絶ったのは合理的行動でした。
日本大使館前の慰安婦像設置が相応の報復覚悟の政治行為ですので、日本も相応の報復すべきかも政治判断です。
そもそも芸術や政治活動であれば何をするのも自由なのではなく、名誉毀損すれば処罰を受けるし、通行妨害すればその規制を受けるのは政治活動や表現の自由・憲法論とは関係がありません。
市議会議員が、同一選挙区でしのぎを削る政敵のポスターを日頃挨拶を交わしている近所の家に掲示していれば、興ざめになるのが普通です。
また、政治主張の芸術活動をすれば反対勢力の不興を買うのを覚悟の行動であるべきでしょう。
「芸術を名乗りさえすれば何をしようと勝手だ!」と言わんかのような津田監督側の主張を国民多くが支持したのでしょうか?
不自由展からまだ約1年なので不自由展の騒動が今後の日本の芸術に対する政府公共団体関与にどのような影響が生じるか、旗振り役になった津田氏がどういう立場になるか不明ですが・・。
大村知事と河村市長の確執ではどちらに軍配があがるでしょうか?
政治家は選挙次第ですが、一方は市長選で他方は県知事選で政治次元と選挙時期の違いがあるので選挙テーマもズレる上に、共に自民党推薦?知事、市長ですので、任期満了選挙になると不自由展に対する民意がストレートに出ない選挙になりそうです。
不自由展をテーマにした大村知事に対するリコール運動があるので、リコールによる選挙であれば、テーマが絞られ愛知県民の不自由展挙行に対する賛否がはっきりする良いチャンスのようですが、その場合でも保守系支持層が対立候補の革新系候補に投票するわけに行かず自民党系知事を保守系が推すしかない選挙になって争点と選挙の結果が分かり難くなります。
自民系の知事が超革新的?主張を後押して巨額予算で応援した場合、自民党内保守系では許せないと強く思う人が、かえって、革新系知事候補に投票したくない人が多いでしょうから、選挙は複雑です。
大村氏に変わる保守系候補の準備に十分な時間がないことから、信任投票的リコール選挙はかえって大村氏に有利でしょう。
不自由展をテーマにするまでは大村知事の名前も知らなかったので、今日初めてウイキペデイアで経歴を見ると意外に複雑な行動をとる持ち主で、今回の「とんがった企画期待」発言はその延長上にあることがわかりました。
もともと農水官僚〜自民党橋本派に属した経歴程度しか知らないので保守系そのものかと思うと、橋本派ないに属しながら、対抗馬の小泉氏を応援したり、小泉政権では功労者として優遇されたようですが、小泉政権後の保守混乱時(民主党政権時?)には、愛知県連を敵に回して(当然革新系の応援を受けたのでしょう)突如立候補して県連からの訴えで自民党から除名処分を受けるなど保守系の枠を飛び出したトンガリ系行動力のある人のようです。
結果的に左右両翼の支持をて圧倒得手支持力を誇る独自勢力圏を築いているので、そのうち自民党との相乗り候補になって現在に至るようです。
(安倍総理辞任劇以前からメデイアの行う場外人気・・「総理になって欲しい人の国民人気度ではいつも石破氏ほぼ毎回がトップでしたが、肌感覚とこんなにずれた発表程メデイアの信用を落としている発表が少ないのではないでしょうか?
メデイアの基本主張・「永田町の感覚が国民感覚といかにずれているか!」という洗脳をしたいようですが、いろんな世論調査の偏り以上に、国民感覚と違った自民党内異端派を「よいしょ」する記事ばかりでは、国民感覚とずれていのは大手メデイアではないのか?と思う人の方が多いでしょう。
内閣や党支持率の場合、直後の総選挙結果とあまり違う結果が続いているので、メデイアの世論調査をどうせフェイクだろうと思う人が増えてきましたが、総裁選の場合、永田町の感覚が国民とずれていると言い張ってれば論証する方法がないのをいいことに電波独占している方が言い張っていつも終わりです。
中韓勢力得意の日本人は良いが、安倍政権だけが悪いという主張方法と同じです。
革新系は自民党との真っ向勝負では勝てないので、自民党内の異端的トンガリ系を囃しメデイアとの連携で国民人気を演出する傾向がありますので、大村氏はこれに便乗してウイングを左に広げるのに成功していて、県知事として圧倒的支持率を誇るようです。
不自由展実行はこの傾向をさらに強めたということでしょう。
トルコやイラン等々の地域大国も日本の自治体も同じですが、世界全体あるいは国全体のための政治など気にしないどころか、地域や自治体内の地位確立には全体に反する尖った主張をして地元の喝采を浴びる政治手法が成功する傾向があります。
愛知県(尾張徳川家)は徳川宗家後継争いで吉宗に負けた時から、反中央意識の強い気風が育ち現在に至っていることを総合すると(本当は尾張徳川家の個人的怨念でしかなく民族的被害を受けていないのですが、これを地元政治家は煽る材料しているのでしょうか?)大村知事の尖ったパフォーマンスを喝采する地域素地があるとも言えるでしょう。
愛知県知事としての支持層を広げるには、日本全体で総スカンを食うか否かではなく反中央姿勢をアップし(自民党本部から除名処分を受けるなど)地元支持を広げる戦略が成功しているように見えます。
彼は日本ー愛知の会代表のようです。

利害調整不全6→(地域エゴ野放し1)

民主主義社会・・自由な言論が際限ない対立を前提にするのではなく冷静な議論を経て結論が決まると挙国一致(企業で言えば企業)の方針が決まり、反対した方(一つの政策決定が自己利害に反する集団も決まればそれに従う)も実行に協力する社会を前提にしています。
経済活動場面・自由主義経済の場合→(見えざる神の手)市場による淘汰が行われ選ばれた企業が成長し、勝ち残った製品サービスが社会に行き渡る仕組みです。
商品の場合には市場規模が大きい場合順位1番から50〜100番までの多様な商品サービス並存可能ですし、多様なサービスが並存している方が消費者には便利です。
だから都会に人が集まるのです。
国家社会のルールや政策決定の場合、社会秩序そのものの決定ですので、商品のように並存可能というわけにはいかない・・・道路交通法でいえば、AB両地点のいずれに信号機設置すべきかどうかの議論でA地点だけと決まった場合、B地点派がA地点の信号設置に反対したんだからと信号無視して良いとなれば社会が混乱します。
制限速度や一方通行、駐車違反場所でも同じで、反対派だった人も決まった以上はそのルールを守るべきですので、集団別ルールが並存するのは不可能です。
民主主義とは統治の原理・統治ルール決定手続きに関するルールであり、自由な言論活動は一定期間内に一つの結論に収斂するための言論の自由です。
一定手続きで決まったこと(法)には反対派も従うことを予定していることになります。一旦決まったことを実行してみる不都合があるなどの修正変更の必要があるので、多数意見が決まったのちにも、少数意見者も「やはりこの方法の方が良い」と言い続ける言論の自由は残りますが、多数で決まったルールに従わない自由はありません。
すなわち民主主義とは意見・利害調整による意見一致を前提にした決定手続きをいうのであって、利害調整・意見一致できないで意見対立のまま終わることを予定していません。
民主主義であろうと、絶対主義であろうと自由主義であろうと一党独裁であろうとすべて社会は生命体同様の統一秩序を求めています。
一つの体で左足は横へ動く右足は前に動くというバラバラ行動は許されません。
幼児や小中学生レベルの場合、完全な自治運営が困難なように、言いたい意見を話し合いの結果合理的に収斂させる能力があってこそ自由な意見交換が成立します。
意見を言うなら議論の結果によっては相手の主張に従う度量が必要です。
年齢基準は年齢に応じてその比率が上がるだけであって、(小学3年生で5年生の能力ある子も2年生の能力しかない子もいます)大人になっても対話能力が育っていない人が一定率いるのですが、(私もそうかな?)そういう人は、自分の能力限界をわきまえて集会参加しても黙って聞いている・論争を聞いて最後にどちらが良いかの挙手をするだけで済ませば世の中が決まって行きます。
旧社会党の場合、議論にならない反対のための反対論(法案に関係ないキャンダル追求先行要求など)を繰り広げ、質疑打ち切りすると委員長不信任案や議長不信任案等を繰り出して最後は牛歩戦術や根拠ない不信任決議案提出で数時間でも採決を遅らせることで議決自体の妨害を図っていたので国民支持が離れました。
このような政治活動は技術革新の早い現在社会で、日本の国際適応を一国でも遅れさせる目的にしかならない・反日国家の意を受けた行動でないか?の疑念を抱かせるようになりました。
こういう疑念が一般化して来て・・革新的系政党支持率が低下一方になったのちは、地方自治体レベルでの抵抗戦術を始めたようです。
国政の場合2〜5%の支持率では何もできないのですが、地域特化し地域固有の問題が起きればその問題が続く限り、その地域限定で抵抗政党が圧倒的支持を得られるようになります。
数%支持でも特定問題・・例えば、放射性物質の特定市町村内廃棄貯蔵地問題が起きれば、その問題に限って過半の支持を得ることが可能です。
福島原発事故の結果、千葉県内で風向きの関係か?柏市中心に放射性物質の降下が多かった・・これの県内処理として原因企業である東電の広大な敷地がある千葉市内の臨海工業地帯・・広大な埋立地立地なので旧市街とかなり距離が開いている・近くに一般住宅街もない・・千葉市に白羽の矢がたったらしいのです。
これまで書いてきましたが、そもそも微量の放射能があった場合、どういう被害があるかの科学的意見を見たことがないのですが、宗教心のようにメデイアが恐怖心を煽り続けてきた結果だと思っていますが・・。
普段与党支持者でもこの問題に限っては、まず反対するしかないという宗教信念みたいな動きが起きます・・自治会等での議論を聴いていると風評被害がおきたらどうするんだ!式の反対で地元結束するようです。
原発問題もそうですが、「不可知な論争に持ち込んだ方が勝ち」というか、反対論者は対話にならないこの方式に頼ることが多いのです。
「〇〇があったらどうする」式の議論では、神ならぬ身、誰も「そんなことはあり得ない」と断言仕切れ無いので黙るしかない・・合理的対話が成り立ちません。
県内どこかで引き受けねばならないとなれば、被害の一番少なそうな場所に決めるしかないのですが、東京電力敷地が広大でしかも周辺と車で移動するほどの距離がある・・それ以上の適地がない・・しかし地元エゴに付き合わないと仕方ないので責任政党の与党系は「知事にかけあって努力する」というだけで腰が引けているので迫力がない・・不利です。
集会での議論を聞いていると「柏市のゴミを千葉市がなぜ引き受けねばならないか?」という一見尤もらしい議論で落ち着いて参加者が自己満足していたようです。
ちょっと考えれば無理筋の論理ですが、誰でも良識というか、良心があるので自分を誤魔化す目先の浅い論理が必要なのでしょう。

民主主義と利害調整力低下5

今も大手メデイアによる世論誘導が続いているというか一種の使命感を持っているように見えますが、メデイアが世論誘導というか、自説を世論に引き上げて社会を指導したがる傾向はほどほどにすべきと思うのですが・・。
社会の公器・・スマホ機器あるいは、フェイスブックのような役割で良いのであってこの機種を買うと一定方向のイデオロギーしか発信できない視聴できなくする必要がないでしょう。
ファーウエイの機種だと中国共産党の主張しか視聴できず、中国共産党の意向にあった意見しか発信できなくなる仕組みになればわかります。
テレビと言う機械は機械に過ぎない・電話機→携帯・スマホ同様の道具でしかないのに、割り当て電波が大手に寡占されているから自社の宣伝道具に使えると思い込んでいたのではないでしょうか?
少数派の権利向上は大手メデイアによって作られたブームや声高なデモ等の権利主張によるのではなく、シコシコと実績を積み、社会評価が自然に高まる着実な地位向上を待つことと市民の意識向上(例えば貧しい子供、あるいはアレルギーのある人に対する食物表示の配慮など)を待つことが堅実で健全だと思うのですが・・。
日本の在日韓国人を見ると、嫌韓運動に対して目立った反撃をせずにじっと我慢で実績を積む方向に徹しているように見えるのが偉いな!感心していますが・・。
しょっちゅう「自分は〇〇系人だから・LGBTだから差別されている」と言い募られると「〇〇系人だからって特に気にしていなかったがなあ」とか、「あなたがLGBTなんて知らんよ!」アレルギーだったなんて知らないよ!と言うと「気がつかないこと自体が無神経で許されない」「弱者は敏感だから言われる前に気遣いが必要」と再批判されると・・そんなややこしい人とは付き合いたくないねと不快感を抱いてしまう人が増え
そうです。
どこの出身でも、ベジタリアンでも、何教を信じていても勝手ですが、多数派でない時には、多数でないと遠慮して過ごす・・多数でないのに多数と同じ大きな顔をして振る舞えるようにしろと要求するのは行き過ぎです。
少数派(多くはよそ者ですが)は、遠慮するのは相応の理由がある・千年単位でその地域のインフラを築いてきた元からの住民と同じ権利がないのは当然だからです。
多数派は少数者の控えめな態度に安住するのではなく、遠慮しすぎていないかの配慮のキク住み良い社会にしていきたいものです。
そうは言っても権利として配慮を要求されるようになると、得心できない人が増えるでしょう。
欧米先進国ではメデイアの煽りで個人主張が大きくなりすぎて、しかも妥協しない傾向が強いのでメデイアに発言のチャンスを与えられない旧支配層というか民族主義的思考の保守層の反感を招くようになって社会の分断まで進み始め収拾がつかなくなってきたのではないでしょうか?
ネット時代到来により、大手メデイアが相手にしないいわゆるサイレントマジョリテイが大ネット利用による発言の場を得ました。
米国ミネソタでの黒人死亡事件に対して黒人に限定せずに白人も含めた各種各層の少数派が立ち上がったように見えますが、黒人のために立ち上がったというよりは、砂粒状の無限の少数者(それぞれ不満を抱いています)がこの機会に(便乗的に)集まって大規模デモになったように見えます。
ただ不満発散の場になったというだけでは、それで何かの政治目標を達成できるわけではない・・差別反対という程度の連帯でしかないので、格差による弱者連帯を表現する程度で、一定程度騒ぐだけ騒いで、鬱憤を晴らすところまですら行かない内に不完全燃焼で終わりです。
閉塞感・無力感が結果的に社会の分断・モヤモヤした不満感を誘い、何かきっかけがあればすぐ爆発するのを待っている社会になっている現状を明らかにしたのでしょうか?
災害があるとすぐに略奪に走る姿が米国では一般的で、人種差別反対目的である筈のこのデモでも略奪が見られましたが、要はストレスいっぱいの人がチャンスと見て集まり暴れたということでしょうか?
シアトルでは警察署周辺を占拠して、開放区みたいな宣言をしていたようですが、何のためのデモ→暴動に集まったのか意味不明になっていつの間にか沈静化しました。
これが格差(コロナ禍でも貧民階層に集中的に感染被害が出ているという風聞ですし)に苦しむ庶民の鬱憤ばらしに過ぎなかったのではないか?という私の短絡的感想を得た根拠です。
日本メデイア(多くは左翼系)は一見民主主義の名の下に政府批判するのですが、いつも「前もってこういう準備をしてこなかった責任」という論法ですので、結果的に「こなった場合心配」という反対論ばかりがはびこっているので、結果的に国家権力の事前チェック・介入場面を増やす一方です。
大手メデイアによる今回のクルーズ船対応批判も米国流儀の強制的権力機構の設置を求める運動を煽っていたもので現場力に期待する政府では頼りないと批判一方ですが、結果的に政府機構の巨大化を目ざす意見でではいつもの流れです。
米国の失敗に学ぶよりは、米国流の自己主張を民主主義のあるべき姿と賛美し、結果的に招来する分裂志向に対して割れ鍋を無理に綴じるための国家権力強大化を志向する傾向の主張が大手メデイアに多いのですが、彼らは基本的に戦後中ソの社会体制・・独裁政治を賛美してきたDNA・願望があるからこうなるのかな?と疑っています。
今回のコロナ騒動で世界の文化水準を見直してみる・・・米国が世界の警察官をやれなくなっただけでなく、総合的文化力で世界の理想社会でなくなっている現実を直視すべきトキが来たのではないでしょうか?
民主主義と利害調整は表裏一体ですので、これができない混沌よりは上からの断固たる命令・独裁権力への魅力度が高まります。
ポピュリズムの権化みたいなトランプ氏の言動が、ロシア、中国の独裁権力強化を後押していることになりそうです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC