植村記者問題6(組織内行動の責任)

第三者委員会見解に引用されている植村記者の書いた記事(記事そのものコピーは資料に出ていません)内容は以下のとおりです。
※要約すると不正確となるので、昨日から煩をかえりみずに「見解」記載のまま引用しています。
以下にあるように見解指摘事実だけみても、「でっち上げ・ねつ造」と評価されるかどうか別としても一定方向へ向けた意図的な不正確記事を書いた印象を受けます。
即ち、単なるミスとしては、強制性を印象づける効果を狙った方向への不正確記載(強制を印象づける方向へは「連行」と書き過ぎていて、連行に矛盾するキーセン関係は書き漏れ?ている・その他問題になっている挺身隊記載など)ですから、意図的→ねつ造と言う主張も成り立つような気がします。
名誉毀損になるかどうかは表現次第ですから、書き過ぎになるかどうかは損害賠償請求された著者がどのような表現をしていたかにもよるでしょうが、「見解」の認定事実によると読者を欺く意図がかなり濃厚な印象をうけます。
記者がソウルから送信したものを本社で文字構成したとすれば、(彼の送信文章全文から編集部で取捨選択して記事にしているとすれば・・)裁判では記者自身がこの記事全部に関与していたか構成・完成まで関与していたかについても、問題になるでしょう。
最後まで関与していなくとも署名入記事にした以上は、彼の責任ではないかと言う別の議論もあり得ます。
以下は第三者委員会「見解」(植村記者関係)の一部引用です。

イ 吉田証言に関する記事以外の状況
a 名乗り出た慰安婦に関する1991年8月11日付記事
1991年8月11日、朝刊(大阪本社版)社会面(27面)に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」、「思い出すと今も涙」、「韓国の団体聞き取り」 の見出しのもとに、「従軍慰安婦だった女性の録音テープを聞く尹代表(右)ら= 10日、ソウル市で植村隆写す」と説明された写真の付された記事が掲載された。
同記事は、当時大阪社会部に所属していた植村のソウル市からの署名入り記事 で、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を 強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していること がわかり」、同女性の聞き取り作業を行った挺対協が録音したテープを朝日新聞記者に公開したとして、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」などその内容を紹介するものである。植村は、上記(1) イのとおり、韓国での取材経験から、朝鮮で女性が慰安婦とされた経緯について、 「強制連行」されたという話は聞いていなかった。

b 名乗り出た慰安婦に関する1991年12月25日付記事 金氏を含む元慰安婦、元軍人・軍属やその遺族らは、1991年12月6日、日本政府に対し、戦後補償を求める訴訟を東京地裁に提起した。 1991年12月25日、朝刊(5面)に「かえらぬ青春 恨の半生」、「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」、「ウソは許せない 私が生き証人」、 「関与の事実を認めて謝罪を」の見出しのもとに、「弁護士に対して、慰安所での 体験を語る金学順さん=11月25日、ソウル市内で」との説明のある金氏の写真が付された記事が掲載された。
植村は、金氏への面会取材は、写真が撮影された1991年11月25日の一 度だけであり、その際の弁護団による聞き取りの要旨にも金氏がキーセン学校に 通っていたことについては記載がなかったが、上記記事作成時点においては、訴状に記載があったことなどから了知していたという。しかし、植村は、キーセン 学校へ通ったからといって必ず慰安婦になるとは限らず、キーセン学校に通っていたことはさほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく聞き取りの内容をそのまま記載したと言う。」

「見解」要約文書では、以下のとおり記載されています。

「植村は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場 に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が ソウル市内に生存していることがわかり」と記載した。これは、事実は本人が女子挺身隊 の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイ メージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であ り、読者の誤解を招くものである。」
以下は見解全文からの引用です。

「なお、1991年8月15日付ハンギョレ新聞等は、金氏がキーセン学校の出身であり、 養父に中国まで連れて行かれたことを報道していた。1991年12月25日付記事が掲 載されたのは、既に元慰安婦などによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期 であり、その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから、 植村も上記記事作成時点までにこれを知っていた。キーセン学校に通っていたからといっ て、金氏が自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦にされても仕方がなかった とはいえないが、この記事が慰安婦となった経緯に触れていながらキーセン学校のことを 書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。」

上記によれば、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、・・・」とあるように「連行」と言う文言が使われているうえに、昨日紹介した一連の記事の日付と比較して頂ければ分るように、植村記事の掲載された1991年夏から年末にかけては朝日新聞がまだ吉田証言(軍による慰安婦狩り)が正しい前提で、政府による謝罪を繰り返し求めている最中だったことが分ります。
植村記事は、吉田証言が事実であるかのように大々的に朝日が報道していた最中に(これを補強する効果を狙った)現地報道記事だったことになります。
詐欺や恐喝グループで言えば、先行者が強迫や欺罔行為をした後でこの情を知っている紳士然とした人が次にやって来て先行者による強迫や欺罔によって畏怖や誤信させられた状態を利用して取引をしても全体として、恐喝や詐欺になるのが一般的法解釈です。
植村記者は朝日の社員ですから、一連の演出効果を期待する作為の一員に入っているとみるのが普通であって彼が「自分は関係ない」とは言えないでしょう。

植村記者問題5(記事掲載前後の状況)

弁護団が12月に国家賠償訴訟提起したキジも植村記者が書いていますから、8月報道は強制連行を前提にした記事であることが明らかです。
訴状をみていませんが、任意売春婦であれば(誰かに騙されたならば騙した人を訴えるのがスジです)国家賠償など請求出来る筈がないのですから・・。
政府は、政府関与を否定し続ける中で宮沢訪韓に向けて朝日による執拗な報道構攻勢が以下のように続いていました。
この一連の報道攻勢に屈した宮沢総理が訪韓中何回も謝罪を言い続けなければならなかった経緯が「見解」で認定されています。
この大きな流れのなかで決定的役割を果たしたのが、植村記者の慰安婦出現報道記事のようです。
委員会見解に認定されている19991年8月に始まる植村記事前後における強制連行関連に関する朝日新聞記事・主張?状況を見ておきましょう。

(1)1990年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
1990年6月19日、朝刊(大阪本社版)社会面(26面)に「名簿を私は焼 いた」、「知事の命令で証拠隠滅」、「元動員部長証言」との見出しのもとに、吉田氏 の顔写真が付された記事が掲載された。
同記事は、吉田氏について「戦前、山口県労務報国会下関支部動員部長として、『徴 用』名目で多数の朝鮮人を強制連行した」と紹介し、吉田氏が朝鮮人の徴用に関す る書類を焼却したことを報道するものであり、その前提としての強制連行について は、「地元警察署員らが集落を包囲した後、吉田さんらが家の中や畑で作業中の朝鮮 人男性を強引に引きずり出し、次々に護送車に乗せた。抵抗すれば木刀で殴り倒し た」、「『同じやり方で多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります』」と記載する。
同記事は、書類焼却の点など他の取り消された記事にない部分があり、吉田氏の 発言をカギ括弧で引用していること等から、吉田氏を直接取材して作成したものと 認められるが、執筆者は不明であり、取材の詳細も判明しない。
イ 吉田証言に関する記事以外の状況 韓国では、1990年1月に、尹氏による慰安婦に関する「挺身隊取材記」がハンギョレ新聞に4回にわたり掲載された。
2)1991年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1991年5月22日付記事 1991年5月22日、朝刊(5面)に「木剣ふるい無理やり動員」、「加害者側の証言記録必要と執筆」などの見出しのもとに、吉田氏の顔写真の付された記事が掲載された。
記事前段省略「・・・・朝鮮に おける行動の詳細が記載されている。例えば、「私たち実行者が十人か十五人、山 口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察 官五十人か百人を動員します。(略)殴る蹴(け)るの暴力によってトラックに詰 め込み、村中がパニックとなっている中を、一つの村から三人、五人あるいは十 人と連行していきます。(略)十万とも二十万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、 解放されてから郷里に一人もお帰りになってないのです」とする。
b 1991年10月10日付記事
1991年10月10日、朝刊(5面)に前記「女たちの太平洋戦争」の一つ として「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」、「乳飲み子から母引き裂いた『実 際、既婚者が多かった』」、「日本は今こそ謝罪を」の見出しのもとに、「『私はもう 年。遺言のつもりで記録しておいてほしい』と語る吉田清治さん=東京都内で」 との説明のある吉田氏の写真が付された記事が掲載された。
筆者は、記事中に3時間余り吉田氏を取材したとの記載があるが上記aの記事 の取材と同様にあまり記憶がない、記事左下の関連記事も自分が書いたとは思う と言う」

今回のテーマとは少しずれますが、1月9日に書いたように上記認定は委員会の故意的突っ込み不足顕著な印象です。
取材した場合、記事にしても基礎になるメモや録音を廃棄するのではなく、取材メモや録音・写真等を記録として残す筈ですから、その記録を何故見ないか、もし残っていないとしたら、何故なくなったかの検証こそが委員会に期待されているのではないでしょうか?

(3)1992年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1992年5月24日付記事及び同年8月13日付記事
1992年5月24日、朝刊第2社会面(30面)に「慰安婦問題 今こそ自 ら謝りたい」、「連行の証言者、7月訪韓」の見出しのもとに、吉田氏の顔写真が 付された記事が掲載された。
同記事は、「『私が慰安婦たちを朝鮮半島から強制連行した』と証言している千 葉県在住の吉田清治さん(七八)が七月、韓国に『謝罪の旅』に出る。」

以下省略
上記は朝日が取り消した記事の記載だけですが、その外に「窓」と言う欄で吉田氏証言を前提にした記事が・・「論説委員会室から」と言う名称で1992年1月23日と3月3日夕刊に掲載されていることが、資料として公開されている新聞コピーで明らかになっています。

植村記者問題4(ムード報道と義母の関係3)

植村記者の書いた記事自体については、委員会資料にはその記事の写しが出ていないので何が問題になっているのか正確に分りません。
私自身1月9日に記者会見を開いているのを見て初めて彼個人が「でっち上げ・・」と名指しされて批判の的になっていることを知ったくらいです。
植村記者のキジには強制連行と言う文字が仮になかったとしても、(記事に「騙された」と言う文言があると見解に紹介されている以上は、連行されたと言う記事と矛盾するので虚偽報道問題の可能性があるように見えます。)記事は前後の文脈で理解されるものです。
それまで散々朝日新聞が裏付け取材しないまま強制連行を煽って来た実態があって、その後実際の慰安婦がまるで存在しない・・探しても被害者がいないことが社会問題・・焦点になっている状態下で、(強制連行と明記しなくとも)慰安婦が初めて名乗り出たと言う衝撃的ニュースを出せば、多くの人は強制連行された慰安婦がやっぱり実際にいたのかと言う印象を受けるのが普通です。
(年末からの情報操作シリーズでは、マスコミがイメージで誘導する弊害を書いていますが、朝日はそれをうまく利用していたのです。)
植村記者の1月9日発表の訴状は多分「名乗り出た慰安婦はでっち上げではない」し、仮に慰安婦が偽物としてもその「創作」に加担していないし、「自分は強制連行されたと書いていない」と言う言い分が含まれているのかも知れません。
(訴状写し自体を記者会見で配布したか不明ですが・・)朝日の全体報道あるいは当時のマスコミ界全体の文脈で国民は単発記事をムードで受け止めるものです。
朝日が明白に吉田証言取り消しや謝罪をしないまま進んで来た中で、(これは委員会「見解」でも批判されています)慰安婦出現が大ニュースになったのは強制連行を実証出来るかの大論争の文脈があるからこそ、大ニュースになったものと思われます。
売春婦が名乗り出たと言うだけならば、そう書けば良いことで、(キーセン学校で教育を受けていたことを記事にしなかった不作為が非難されているのはこの意味で重要です)韓国は今でも世界に冠たる売春大国ですから、売春婦が何万人名乗り出てもエポックになるような大ニュースにはなりません。
植村記者は、勤務先の朝日が主張して已まない強制連行の被害者が実際にいるのか否かが大論争・問題になっているとき「勇気を出して名乗り出た」と言うムード強調のためにわざわざソウルから特報記事を送ったとしか考えられません。
ここでは積極的に「一般の売春婦が名乗り出た」とはっきり書かない限り、読んだ多くの国民は強制連行された慰安婦が遂に名乗り出たのか?と誤解してしまう効果を狙ったと理解する人の方が多いでしょうし、その記事に「連行」と言う文字を書いている以上はなおさらです。
一般国民よりも資料をじっくり読み込む筈の弁護団が、その年中に国家賠償訴訟を提起している以上、弁護団も強制連行されたと理解していたことが分ります。
昨年末「情報操作・羊頭狗肉」のコラム以来書いているように、マスコミ界の狡さを時間軸で応用演出したからこう言う事誤解が生まれるのです。
1つの記事や週刊誌内で表現する場合には、大見出しと内容の違う記事が(羊頭狗肉)同時になるのが普通ですが、慰安婦問題のように10年単位になると、強制連行記事を延々と繰り返し書いた後で、「遂に慰安婦が名乗り出た」と言う印象を発表する際に「強制連行」と表題を付けなくとも、強制連行された被害者が名乗り出たのか?と一般読者が印象づけられるのが普通です。
もしも植村記者が強制連行されたと書いていなかったとしても、普通の売春婦が名乗り出たと言うだけならわざわざソウルから特報記事として送信する必要がないのですから、強制連行を強調していない・・客観的記事を書いただけと彼が言ったとしても無理があります。
・・強制連行があったことを強調している朝日の流れに乗って利用する意図・・組織の意図に従って行動していた・・一種の共謀関係にあるとみるべきでしょう。
ヤクザの親分が殺人計画謀議の途中に出て来て自分は「やれ」と言っただけだとしてもそれは殺人命令をしたのと同じですし、大勢による連鎖的犯行実行の場合、連鎖作業の一部を担当したに過ぎないとしても、全体の流れを理解して担当していれば共犯です。

植村記者問題3(ムード報道と義母の関係2)

第三者委員会としては、義母と植村記者の姻戚関係=共謀があったか否かについては国民が感情的に推測している以上はどこまで調査しても、(無理な飛躍のある憶測なのだから)証拠がある訳がない・感情的になっている方がおかしいと言う論理に戻るのでしょうが、会社側にそう言う自信があるならば、でっち上げ追及をしていた論客を委員に委嘱しておくべきだったと言う問題に遡ります。
元々会社寄り人物を会社が人選して会社に都合の良い意見を求めていると言うネット批判が根強くあります。
この批判自体が偏った思い込み意見と言う逆批判が当然あり得ます。
元々朝日に対する追及を厳しくしていた論客を委員に委嘱しておけば微妙な問題(元々証拠など探せる訳がないと言う前提のある分野)についての信頼度が高まっていた筈です。
ただし、朝日に対する厳しい論客と言っても感情論を煽っているだけの有名人では意味がないでしょうが、ある程度合理的思考の出来る論客が入れば・・という意味です。
年末から、マスコミの情報操作・・「マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)」のコラム以来のシリーズで書いているように、元々マスコミ界は刺激的記事を見出しに書き、内容できちんと書けば虚偽にならないと言うような、噓っぽい報道で国民を日常的に非合理に誘導して来た咎めが、植村記者問題では逆に自分タチ報道陣に跳ね返って来た印象です。
マスコミによるムードで煽るやり方に反応するようになっている国民は・・植村記者の妻が、韓国人であり、(ネット情報だけなので、帰化しているかどうかまで分りません)韓国人?妻の母が日本政府相手の訴訟をする人を(費用をとって)捜し出す運動をしている団体の主宰者でありその商売のために、でっち上げたのか?と連想ゲーム的疑惑を信じ込み易くなっています。
こう言う国民を煽って利用して来たのが外ならぬマスコミ界です。
植村記者がマスコミ界が多用して来たムード的な罠にはまってしまった場合、非合理な?憶測を払拭し理解を求めるためには、「非合理な憶測に過ぎない」と一蹴するだけでは根本的解決になりません。
「李下に冠を正さず、瓜田にクツを入れず」と古来から言われているように、義母が費用をとって日本政府を訴える会員募集事業をしていた場合、グルじゃないかと言う疑いが生じること自体は荒唐無稽な疑惑とは言い切れませんから、懇切丁寧な説明こそが植村記者側に求められているのではないでしょうか。
スイカ畑でしゃがんでいたときに、スイカ泥棒と間違えられたら、何のためにスイカ畑に入りこんでしゃがんでいたかの説明をするのが普通です。
無罪の推定がある「そんな言い訳の必要がない、裁判するならしてみろ」と言うのでは、疑惑に答えたことにはならない・・こじれるだけでしょう。
元々司法手続はそう言う疑惑解決には向いていません。
訴訟は限定された訴訟手続内のルールで白黒を決めるだけであって、国民の疑惑がなかったことになる制度ではありません。
各種ペーパーテストは一定の能力を測るだけであって、究極的能力とイコールでないのと同様に裁判も司法手続の枠内で決める「司法的真実」でしかありません。
テスト秀才の多い朝日や弁護団には、この辺の機微が分り難いのでしょうか?
朝日新聞は吉田調書ねつ造疑惑指摘に対しても、調書が非公開のために、批判者が証拠に出せないことを前提に、法的手続をすると脅かしていたことが分りました。
(この辺は2015-1-6「報道と人権委員会」(朝日新聞吉田調書1)のコラムで書きました)
植村記者と義母の関係が慰安婦でっち上げになったか否かと言う点については、疑惑があると言うだけでは裁判で勝てません。
慰安婦が偽物であって、しかも偽物であると植村記者が知っていたことまで立証する必要があるので、被告側ではその立証は困難でしょう。
植村記者の報道した慰安婦が偽物だったかどうか知っていたか等については、植村記者の訴える事件では「ねつ造記事」だと書いた方に立証責任がありますが、疑わしい事実が山ほどあっても「疑わしい」だけでは立証したことになりません。
韓国に帰ってしまった原告慰安婦からの事情聴取は(私は偽物でしたと協力する人は滅多にいないでしょうし)不可能に近いでしょうから、独自調査能力が事実上ないことから独自立証は事実上不能と思われます。
名誉毀損で訴えられた方は、名乗り出た慰安婦による国賠事件で出た証拠の流用程度しか事実上立証出来ないでしょうから、同事件でどれだけ事実立証が進んでいたかによります・・。
この辺は昨日のコラムで書いたように「条約で解決済み」と言う判決の場合、本当の慰安婦だったか否かの(入り口程度の議論があっても)立証まで進んでいなかった可能性が高いと思われます。
植村記者弁護団が国賠事件弁護団と共通している場合、上記事件の提出資料を綿密にチェックした上での訴え提起になっていると思われます。
「ねつ造」と書いた人が疑惑すらないとして負ければ完敗ですが、「ねつ造」と書いたことが証拠に基づかない・・行き過ぎだったかどうかだけで負けると実質的にどちらが勝ったことになるかは必ずしも明らかとは言えません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件で言えば、朝鮮人学校の公園使用に問題がなかったと言う認定で勝ったのではなく、在特会の批判のやり方が行き過ぎだったと、判決で指摘されたに過ぎません。
以後逆に嫌韓・反韓ムードが急速に高まっている・・世論調査では嫌韓比率が急上昇していることが否定出来ないところですから、政治的には在特会の実質勝利だったと言う評価になっているように見えます。
以後、在特会の嫌韓行動は合法的スマートになりましたし、植村記者事件で名誉毀損判決が出れば言論界も今後注意して書くようになる・・今後朝日批判もスマートになって行くだけで批判が収まることはないのではないでしょうか?
原告団としてはねつ造の証拠がないと言う消極的勝ち方ではなく「疑惑もなかった」と言うところまで行かないと、(逆に右翼の憤激を買うだけで)訴訟が成功したと言えませんから、勝敗ラインをそこに置くとなれば意外にハードルが高くなります。
きっちりした証拠によらずに疑惑で感情的に理解する国民はレベルが低いと批判するのは簡単ですが、マスコミが日頃からムード的情報操作をやって庶民を誘導してきた以上は、マスコミが植村記者事件に関してだけ使い分けて非難しても解決出来ません。

植村記者問題2(ムード報道と義母の関係1)

植村記者の報道した慰安婦訴訟では、日韓条約で解決済みであるから、請求権がないと言うことで多分終わったでしょうから、名乗り出た慰安婦と称するもの達が本当に強制連行されたか、そもそも日本軍の慰安婦だったか米軍相手だったのをすり替えていたのかについては、判決で論じる余地がないとされて終わっている可能性があります。
悪く考えれば、裁判しても本当の慰安婦かどうか調べないで門前払いで終わるから(噓でも何でも)女性が名乗り出さえすれば、大ニュースになる・・本当にいたかどうかの「情報戦」としては、そこで「勝負あり」と言う戦略だったかも知れません。
強制連行された慰安婦が本当にいたのに、日本政府は不当に賠償を拒んでいると言う国際社会向けムード拡散には有効です。
これが基礎になって国連決議やアメリカ議会決議、あるいは韓国最高裁の違憲判決等に影響があった可能性があります。
ところで、仮に米軍相手の売春婦であって、でっち上げが含まれていたとしても、それ自体に植村記者には責任がないでしょう。
彼が上記のような謀略に加担したのではなく、1記者として彼女達の言い分を聞いてありのまま報道しただけならば・・。
そこで問題になっているのは、記者の韓国人妻の母親の存在らしいです。
植村記者の妻は韓国人で(帰化しているかどうかまでは知りません)その母親は韓国で日本政府相手に賠償請求する人を募集し訴訟を支援する団体を主宰している人物であるとネット報道されています。
その情報から、名乗り出た慰安婦が彼とその妻や義母中心になって、でっち上げた偽物であるかのような疑惑(憶測)が持ち上がっているようです。
(義母の団体と名乗り出た女性が関係があるとしても、義母がでっち上げまでしたと言えるかは関連性が遠いし、ちょっと憶測が過ぎるような印象ですが・・疑惑や憶測と言うものは元々飛躍のあるものです。)
委員会見解では、以下に原文を紹介するように、親族関係を利用して植村記者が情報を得たのではないと言うのですが、理由付けは観念的で説得力がないところが問題です。

「イ 名乗り出た従軍慰安婦記事(上記(2)イa及びb)について

1991年8月11日付記事(上記(2)イa)については、担当記者の植村が その取材経緯に関して個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にアクセスしたなどの疑義も指摘されるところであるが、そのような事実は認められない。取材経緯 に関して、植村は、当時のソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセ スしたと言う。そのソウル支局長も接触のあった挺対協の尹氏からの情報提供を受 け、自身は当時ソウル支局が南北関係の取材で多忙であったことから、前年にも慰安婦探しで韓国を取材していた大阪社会部の植村からちょうど連絡があったため、 取材させるのが適当と考え情報を提供したと言う。これらの供述は、ソウル支局と 大阪社会部(特に韓国留学経験者)とが連絡を取ることが常態であったことや植村 の韓国における取材経歴等を考えるとなんら不自然ではない。」

植村記者に対する疑念払拭のためにやるならば、もっと具体的に「見解」で踏み込んで調査して欲しかったところです。
訴訟の支援活動・・弁護士との打ち合わせや連絡等を誰がしていたかなど・・植村記者の義母の組織関連者との具体的関わりを調査した報告が欲しいところです。
とは言え、義母が関与していたことが分ってもそこから、でっち上げまで義母が関与していたと言う連想までは、普通に考えれば繋がりませんが、感情的な人はそう思いたがるものです。
こう言う背景下で調査した以上は「別組織の紹介であって関係ない」と言うだけでは、(1月10日のコラムで国際的影響について、引用証拠が少ないと言う見解に対する疑問を書いたように、義母の運動と関係があると言う証拠は関係者から聴取しただけでは出なかったでしょうが、(と言っても委員会が韓国まで出張して調べたとは思われません)・・・・「証拠がない」と言うだけで即、関係ないと宣言すれば(感情的になっている)国民が納得するかの問題です。
膨らんでしまった非合理な?憶測を払拭するには「証拠がないから、ない」と言う形式論ではなく、調査する以上はもっと踏み込んだ調査をした結果による必要があったように思われます。

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