グローバル化→名誉・信用最大化(気配り社会化進展)

グローバル化あるいは都市化現象は、活動領域が線で広がっただけ・・村社会が大きくなっただけのことで、日本列島全体が一つの村社会・定住社会・市場になったとして見直せば、全国を足場にする有名人や、全国展開の業界では列島内のどこか一部でも、信用を落とす行動をすれば列島全体の営業成績に響きます。
このように見れば名誉を重んじる日本人の気風は、グローバル化していくと世界規模の標準道徳になると思われます。
グローバル展開している企業にとってはグローバルな市場相手なので、旅の恥はかき捨て並みにある地域で強引なことをしても、よその世界に行けば良いとは言えなくなってきた時代です。
ある県一円で展開する地元老舗は地元のどこでも手抜き・悪い評判が立つのは困りますし、関東1円を商圏にする場合は関東1円での評判、グローバル展開企業にとっては、グローバルな評価が重要です。
地域限定の零細企業や個々人にとっては、自分の活動エリアが狭いから気楽というよりは勤務先や取引先や友人と線(電話「線」やネット「回線」あるいは通勤電車の沿「線」)でつながるだけで
面的感覚がなくなっているので「名誉・信用などどうってことがない」と思うかも知れませんが、そのエリア(線でつながる特定企業やサークル内等々)においては、やはり「仕事」やサークルへの貢献度に対する評価や名誉・信用が大切な点は同じです。
住居地町内での関係は希薄化していてもその代わり、勤務先や取引先や友人と線(ネット回線や電話線や通勤電車の総武線や常磐線)が違うイメージで勤務先に着くと狭い室内・・かつての村社会よりもっと密集した狭い部屋でデスクを並べる濃密な関係です。
帰りで赤提灯で付き合いが必要な濃密な関係で江戸時代までの農村での人間関係より濃密でしょう。
勤務先や通学先友人等が優先交際先になった分、地域住民と関係を持つ時間が減っただけ・・これを人間関係希薄化と言っているに過ぎません。
人は一定のエリア(組織)内で生きている→頻繁に居住・職業エリアを変えられないから住んでいる世界・・線でしか繋がっていないとしてもその仲間内の評価は重要です。
長期間定住・一定の組織やグループ、エリアの住人になっていると何かと情報の厚みがあって便利ですし、(若い時は別として)しょっちゅうエリアを変えて、その都度新規蒔き直し・・新参者の繰り返しでは豊かな人生が送れません。
転勤族といっても執務場所が変わるだけで属する企業・組織社会が一定のまま移動している(団体旅行のような感覚)だけで、住んでいる共同社会は同じで年功を積んでいける社会です。
今後在宅勤務が、主流になると勤務先や学校友人関係も毎日顔を合わせない・・線=ネット関係中心になるのかな?
地域的関係・・面的感覚がなくなっているので面としての地域束縛・・駅から何分というだけの基準でマンション選択するように、駅までの通勤経路から一歩外れた道路に何があるのかの関心が低くなります。
セカンド拠点というべき勤務先周辺に対する関心も同様でよくいくお店以外には、隣近所のビル内の従業員がどういう人か全く知らないのも同じです。
こういう表面の変化を見て、「都市生活は気楽だ、名誉信用・わずらわしい人間関係がない」と一般に言われているようですが、それは一生のほとんどをその村から出ないで生活する自給自足型農村社会を基本型として、隣近所に気を使わなくて良くなったという一面だけをいうものです。
その人の属するエリア(線でつながる特定企業内やサークル内等々ネットを含めた線で頻繁につながる関係)においては、その狭い世界では、名誉信用・他人の自分に対する評価が大切な点は同じです。
高層マンション居住幼児の母親で言えば、隣近所に気を使わない代わり、保育所のママ友に除け者にされる苦痛は大変なものでしょう。
勤務先その他では農村社会以上に濃密な関係が生じているから、(農村社会では共同作業が滅多にないのに対し、組織内従業員の場合毎日毎分毎秒が共同作業のすり合わせですので、前近代の農村社会以上に気配りが求められます)都市住民の方がストレスが大きくなります。
そこでのストレスを子供のいる家庭に持ち込めないので、同僚と共通のストレスは同僚と赤提灯で(上司の陰口程度)晴らせるが、同僚と共有しない個人的鬱屈については、聞き役になってくれる勤務先近くのバーのママさんが必要になるのでしょう。
その狭い世界では、名誉信用・他人の自分に対する評価が大切な点は同じです。
最近女性プロレスラーだったかが、ネットでの批判記事殺到?を苦にして自殺したか?と報じられているのは、昔で言えば村社会で非難轟々になったのと本質が似ています。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/05/24/kiji/20200524s00041000022000c.html

テラハ出演レスラー・木村花さん、自殺か…ネットで誹謗中傷受け、SNSに「愛されたかった人生でした」
[ 2020年5月24日 05:30 ]

高齢者から見れば「ネットなど気にしなくて良いのに!」と思うのは、若者から見れば、地域社会の評判を気にする親世代の気持ちがわからないと言うことになるのでしょう。
共通項はそれぞれ自分の生活基盤として重きを置く社会から離れて生きられないと言うことではないでしょうか?
人は一定のエリア(組織)内で生きている→頻繁に居住.職業エリアを変えられないから住んでいる世界(ネット空間も含め)での評価は重要です。
長期間定住・一定の組織やグループ、エリアの住人になっていると何かと情報の厚みがあって便利ですし、(若い時は別として)しょっちゅうエリアを変えて、その都度新規蒔き直し・・新参者の繰り返しでは豊かな人生が送れません。
転勤族は地元に居着かないと言っても属する企業・組織社会が一定のまま執務先を移動している(団体旅行のような感覚)だけで、住んでいる共同社会は同じで年功を積んでいける社会です。

信義を守る世界8(名誉の重要性2)

我が国では、自分が「義」のために死んでも子孫はその余慶を得られる方が大事という意識(逆に汚名を着て死ぬのでは子孫が困ります・・平家物語では「積善の余慶家に尽き積悪の余殃身に及ぶ・」と言う宗盛の福原での演説が有名です)ですから、義のためには死をも恐れずに戦うのが日本の武士の価値観でした。
蒙古襲来時の竹崎季長の絵巻は有名ですが、こうした死を恐れない・・子孫への栄光を思う武士団の奮闘によって蒙古襲来を撃退出来たのです。
死を恐れぬ武士団の奮闘があったればこそ、蒙古(朝鮮)軍が陸地に橋頭堡を確保出来ず毎回夜は船上に戻るしかなかったので、台風にやられたのです。
「運を呼ぶのも実力の内」と言いますが、誰でも運が回って来ているのですが、それをつかみ取る能力が必要です。
20世紀の神風を期待した特攻機では米軍の襲撃を撃退出来ませんでしたが・・同時に運が来なかっただけで「だからと言って最後までの努力が無駄だ」とは言えません。
戦後アメリカの宣伝教育で育った我々世代では、竹槍の訓練や特攻機など如何に無謀な抵抗を試みて来たかを教えられてきましたが、今考え直してみると、「士」たる者最後まで(最後は潔いとしても)死力を尽くすべきであって、それでこそその武勇が子孫に影響を及ぼすのです。
島津軍の関ヶ原の奮戦・・負けっぷりがよかったので徳川家を最後まで恐れさせた原因ですし、米軍も占領はしたもののイザ抵抗されると大変なことになるという恐怖・・おそるおそるだった所以です。
今でも死んでしまった親兄弟あるいは遠い先祖のために「汚名を雪ぐ」ことに生涯をかける人が一杯いますが、これは名誉を重んじることの裏返しです。
名誉は生きている間だけ重要なことではなく、連綿と一族が続く社会では死亡後にこそ(子孫にとって)大きな意味を持って来た社会であるからでしょう。
個人情報保護制度が出来た当初は、死者情報は制度の対象外とする意見が主流でした。
私は弁護士として実務上必要なことが多いので納得出来ませんでしたが、それが当時の学会主流であったことと、平成7年ころに条文制定作業に参加したばかりの新米であったことから主流的意見の条例案になっていましたが、最近死者情報の重要性を無視出来なくなって来て、その改訂あるいは運用方法の修正が千葉でも審議会の議題に上っています。
(千葉市個人情報保護審議会の議事録をネットで参照して下さい)
「菊と刀」で有名なとおり日本は「恥の文化」と言いますが、恥・不名誉・汚名は子孫に大きな影響を及ぼすから、恥を知ることが重視されて来たことになります。
ちなみに我が国で名誉にこだわるのと朝鮮人らがメンツにこだわるのとは意味・本質が違います。
メンツにこだわるのは、自分が軽く見られることに対する防衛・(動物が毛を逆立てて、鳥が羽を広げるように)威嚇でしかありません。
辞を低くして(ほめられても、運がよかっただけで大したことはありませんよ・・と)謙虚にする我が国の習慣の対極にある行動形態で、我が国の文化では軽い人間に限ってメンツにこだわるという評価ですが、韓国や中国では大国・先進国仲間入りとしてのメンツ(空威張り)が大事です。
(メンツにこだわるしかないのでは、中国の指導者や韓国では大統領になっても日本の基準で言えば最下層の労務者レベル程度の人物ということになるのかなあ?)
漢人の兵は弱いのは古来から有名ですが、昔から漢人には現世利益・・目先の利ばかり追い求める価値観の社会であったから、死んでしまえば何にもならないので危険なら真っ先に逃げてしまう傾向があるからです。
(何回か書きましたが、律令制=国有地の分配方法や科挙制の徹底=世襲制の否定が死者に報いる制度が発達しなかった原因ですし、現世利益にこだわる国民性、ひいては目先の拝金主義に走っている原因です)
日本人は汚名を着ることは、子孫のためにも死んでもイヤな社会ですから自分から進んで悪いことまでしたい人は滅多にいません。
これが犯罪率が世界最低社会になっている基礎です。
現在日本での犯罪のかなりの部分は、在日外国人あるいは帰化して世代数があまり経っていない日本人による可能性が高いと言われています。
文化は3代と一般に言われますが、帰化の許可基準は日本に3世代以上居住して日本ン化を体得したいることにした方がよいかも知れません。
3代目未満で現在の帰化基準に該当する人には、その間永住権を与えて日本文化を受容してるかの様子を見れば良いでしょう。
アメリカの場合お金がいくらあるかという基準が、永住権付与の条件らしいですが、日本では文化価値基準の同質性が重要です。
価値観の一致していない人を政党に限らず、どんなグループでも仲間に入れるのは問題です。
日本は単一民族だと時々間違って発言する政治家がいて失言扱いされますが、真意は価値観の共通性がある民族だと言うことでしょう。
では同じ価値観でないと社会内存在が許されないのかという議論に発展しますが、そうではなくどうせ後からグループに入って来る以上は、一定の緩やかな範囲の道徳観を共有していないと仲間付き合い上困るという意味です。
どんな悪いことしてもバレなければ良い・・捕まらなければ良いし、捕まる前に外国に逃げてしまえば良いというような価値観の人がお金さえ持っていれば、日本人に帰化出来るのでは困ります。
人種差別意識の助長になるのが心配なのか、マスコミは在日系(まだ帰化していないのに)の犯罪の場合、本名を報道しない慣例になっている様子が今回の日本名角田という女性による尼崎での連続殺人事件で明らかになりました。
まして帰化した人が何国系かはまるで報道しません。
(何か事件があるとドイツ系アメリカ人、アイルランド系というような報道がアメリカでは多いように思いますが・・)
外国人の犯罪が多いから困ると言う人種差別を煽るのは問題ですが、積極的にこれを隠すのもまた問題です。
デマや流言飛語は情報の少なさによるものですから、隠し過ぎると却ってあらぬ推測が生まれ、偏見助長の元になります。
マスコミは事実をありのまま、特定の意見を述べることなく淡々と報道すべきではないでしょうか?
事実さえ分かれば、国民は自分で黙って考えます・・マスコミの意見は要らない・・マスコミによる特定方向へ誘導を期待している人は少ない筈です。

信義を守る世界7(名誉の重要性1)

11月17日以降書いていた核兵器保有熱・世界平和・・武力によらない本来の正義の実現に話題を戻します。
世界中が似たような規模の核兵器・運搬手段を持てば(公平にするには配給制が良いでしょう)どんな大国も理不尽(であろうと正義であろうとも)な武力攻撃や威嚇を出来ないし、秩序維持には市場原理しかないことになります。
世界政府が出来るまでは、特定の国の考えで正義を強制するよりは日本風のおつきあいの方法・・信義だけを基準にする方法で良いのです。
日常的な行動で言えば、近所のスーパーで買ったイチゴの下の方が傷んでいれば、一々文句を言いに行くか、こういうことが何回か続けばあそこでは買わないようにする・・あるいはあそこは信用出来ない・・リスクが大きいので安くなければ買わないなどの自衛策をとるかの違いです。
日本人の行動パターン・価値観としては、後者の方が多いのではないでしょうか?
こう言うパターンで自発的に商人道徳・・ひいては個々人があらゆる道徳を守るようになるのを期待する方式は、安定した長期関係を前提にする国内で妥当するものですから、これを対外的にも実践して行くのは困難ですが、我が国はこれを困難でもやり続けるという意思表示が憲法前文ではないでしょうか?
我が国民は米英の狡猾さ、欧米のでっち上げ日本批判を非難し、これに便乗する中韓の品性の卑しさを批判し、虚報合戦に参加する(右翼のやり方)のは恥ずかしいことです。
これからも我が国は、万年単位で守って来た信義を守って行く美風を黙って実践して、世界に広めて行くしかない・・これこそ憲法前文の精神です。
ここでもう一度憲法前文を紹介しておきます。

憲法前文抜粋
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

私はこのコラムで何回も書いていますが、世界中の民度は日本に何周回も遅れているので日本の到達している(腕力行使や大きな声で怒鳴りあわなくとも)「信義の守られる世界」になるには万年単位の時間がかかるかも知れません。
諸外国の道徳レベルの低さに呆れてばかりもいらませんが、日本も一緒になって怒鳴りあったり喧嘩しているのは恥ずかしいことです。
メゲズに誠実にガンバり続けるしかないでしょう。
勿論北朝鮮に対しても、誘拐行為は違法そのものですが、かと言って武力解決するのではなく経済制裁と言うと大げさですが、悪い人とは付き合わないという日本古来の流儀でやって行くしかないし、これからもこれで良いのでないでしょうか?
(12月7日に書いたように北朝鮮は日本の先端技術の導入が出来ずに、マトモに疲弊が進んでいます・・目先利益のために悪いことをしない方が長期的には良い結果とになることを少しは分ったでしょうか?)
最近ロシアが日本の技術力・資金力導入を求めたいが、北方領土の違法占拠がネックになって(今更そんな島要らないよと返す訳にも行かないし・・)困っているのも同様です。
ただし、この方式が妥当するには、こちらが上客(経済力・技術力の先端国)であり続けることが必要なので、この点に気を付ける必要があります。
韓国大統領の竹島騒動のときの言い訳に「最近の日本は力を落としているので・・・」と言うのが公式の言い訳になっています。
彼らは日本が経済力を持っている限り下手に出るし、大震災などでちょっとでも力が落ちてくれば、無視・無礼な行動をしても良いと言う発想です。
中国や北朝鮮も目先の利益を求めて違法行為をすれば、長い間には自分が損すると思うようになれば、悪いことをしなくなるでしょうが、それが何千年も分らないまま来た民族ですから始末が悪いことは確かです。
(相手が弱ればその機会に・・と言う発想は、相手が力を盛り返したらどうするの?という観点がありません・・竹島騒動以来数ヶ月経過してみると、どうもまずいらしいと分って来て韓国が下手になってきましたが、見え透いた行動ばかりされること自体に、日本人が怒ってることが分らないのです)
彼らの価値観では少しでもお金が出来たらもっと条件の良い外国移住を目指している人が国民の9割とかに及んでいるのが現状ですから、祖国愛・郷土愛など全くないといっても過言ではないでしょう。
外資が儲かる限度でその土地に投資・進出しているの同じ感覚で自国でも生きているのですから、悪いことをしてバレても大儲けさえすれば後は外国へ逃げれば良いという発想です。
政府高官や成功者から順に子供や家族の外国籍取得が盛んですから、日本では考えられない行動パターンです。
愛国心や郷土愛が殆どない分に比例して、愛国的論調が激しくなることを以前書きました。
(アメリカが一致団結のために星条旗や対外戦争にこだわるのと同じです・/この面でもアメリカと中国や韓国の民衆の意識は似ています)
このように定住を前提としない社会では、長期的信用などどうでも良いことになるので信用維持どころか積極的違法行為であっても、目先の現金獲得に執心する拝金主義行為が蔓延します。
日本で中国人の泥棒や強盗殺人が横行するのも、違法行為を気にしない拝金主義の行き着く所としてみれば紙一重という所で本質的差異がありません。
日本人にも物事の道理が分らない人が一定数いますが、(実はその中心はここ数十年で帰化した元朝鮮・中国人ではないかという意見もあります・・この種の実態調査がないので真偽不明です)その比率が中国や韓国では高いということでしょうか?
諸外国の人々も何事も控えめになって、もめ事を起こさずにわが国のように自己抑制するような静かな高度社会になるには、数千年単位の時間軸が必要というのが私の歴史観ですが・・・。 
日本では縄文時代以降だけでも万年単位で同じ民族(今の在日同様に古代から帰化人がパラパラと入っていますが、トータルで見ればの話です)ですから、違法行為をしても誰かに捕まらなければ良いというような人は少なく、親子代々の信用を重んじる・即ち違法行為(各種犯罪)が世界で最も少ない民族です。

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