民主主義のルール3と違法収集証拠排除論2

昨日紹介したGPS捜査違法判例は令状なし捜査を違法としたものですが、内容を見ると具体的に「侵害された私的領域」とは何か不明です。
昨日最後の行で引用したように最判は麗々しく憲法の住居不可侵を引用していますが、刑法の住居侵入罪は正当な理由があるときを除いているように憲法に住居不可侵が書いてあるからといって一切の例外を許さないようなトーンに疑問があります。
刑法

(住居侵入等)
第一三〇条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

住居侵入でも玄関先に押し売りが入って帰らないのと寝室にまでズカズカ入ったのとでは大違いですし、個人的庭先でも私的な行為をしている・例えば他人の目につかない前提で下着姿で庭にで出ている女性が目撃されたのとネットフェンス程度の仕切りしかない道路から丸見えの貸し駐車場に無断で入ったのとでは重みが違います。
GPS事件では、ラブホテル?だったかの敷地内駐車があって、そこへ行ったことの特定可能性の理由で私的領域・プライバシー侵害になったように記憶しています。
人間が直接入れば入ったところが庭先であってもそこから居室内の無防備にくつろいだ様子が見られる可能性がありますが、同じ場所にGPS装着車がが入っても、その場に入ったことがわかるのみであって、そこから見える居室内のプライバシーが侵害される可能性すらありません。
しかも「判決文では「個人のプライバシーを侵害し得るものであり」という可能性を認定しているにすぎません。
しかも「私的領域」という観念的被害とは(追跡事例として昨日書いた例でいえば居室等に勝手に入ったのでなく、無人の庭を横切った程度)すぎません。
判例は「同意を得ていない=強制」という単純論理ではないでしょうが、生身の人間が尾行していて犯人がホテルに入って駐車するのを見ただけなら違法性がないが、GPSなら違法ということとの違いは、強制処分になるか否かによっているような印象を受けます。
強制処分→令状を得ていない→違法と言うのは形式的で具体的妥当性の結論から見て如何にも無理なこじづけのように思えますが・・・.この辺は自分の事件でなくいい加減に読んでいるのでもっと緻密な理論があっての結論と思いますが・・部外者の気楽な意見としてお読みください。
最判では、GPSの特定は数十メートルの誤差があるものの、道路移動だけなく私的空間に停車したときもGPSで想定できるのがプライバシー侵害リスクがあるということだったように記憶していますが、上記例で言えば家に入らず宅地でもダメということになるイメージです。
ところで広域高速移動という犯罪集団の出現自体がここ数十年で多発するようになった現象である上に、GPSで位置確認する技術は親が子供の見守りや老人徘徊対策に使えるなど、これまた最近の新技術です。
車社会になって、信号制度が行き渡ると追跡パトカーの例外が認められるようになるなど例外はいつもあとからで出来るものです。
GPSの有用性は一般に知られているのですが、その使い方についてのルールがまだ決まっていない状態でこの判例が出ました。
GPS捜査は、その捜査が違法とされていたものをあえておこなったものではなく、合法捜査か否かの境界事例であってこの判決で初めて「許されない」と決まった事件ですから、その点でも違法性自体が極めて弱いものです。
また最判自体で書いているように、令状が必要と言いながら一方でをGPS捜査をあらかじめ許容する令状の応用には無理があるとまで書いているのですから、最判自体が不可能なことを捜査機関に要求していることになります。
犯罪調査対象絞り込みなどにGPS利用捜査の必要性があるのに、現在の令状方式では事前発布する方法は無理がある・・憲法で要請している令状なし捜査だから、違法というのでは、結果的にGPS利用禁止と同じです。
最判には国家の治安維持と人権擁護の折り合いをどうすべきかの国家運営について責任ある価値判断が抜けている(一介の市井弁護士がいうのもおこがましいですが)ような印象です。
電子化や移動方法の高度化対応に必要な捜査手法に現行法・憲法の令状主義が対応できていないのであれば、どのように折り合いをつけて行くべきかを考えるのが実務判断の最高機関としての勤めではないでしょうか?
司法機関は学問研究の場ではなく、実務解決の最終機関としての責任があるでしょう。
憲法の「令状主義の原則」は近代以降当時の科学技術に応じて「これが良い」となったに過ぎません。
今どき怪しそうな人間相手にずっと長期尾行をつづけるなどやってられない・(自分の愛する子供でさえつきっきりにできないので、GPS利用する時代です)データ上の追跡で一定時間まとまって停止した場所周辺にアジトがあるかなど的を絞って調査したりその周辺で見張っていてどの辺の路地から出てくるかを見張っている方が合理的ですから今は浮気調査など興信所に頼むと皆この方法でやっています。
単に効率性の問題だけでなく犯人が短時間に広域高速移動するようになると、事件後その周辺で不審者の聞き込みをするのでは、有益な情報収拾が不可能になっています。
民間素人・個人利益実現のためでさえ自由にやっている・処罰する法令もない状態ですが・・逆に公益上必要のある政府の方はプライバシー侵害の「リスク」があるから、やってはいけない・・というのが不思議です。
何かあると民間が情報収集するのと政府の収集は違う・公益のために収拾するのは権力行使になるから厳しくする必要があるという意見が圧倒的です。
ところで、個人がより大きな公益確保のために臨時に細かなルールを破っても、その方が正しいとして賞賛されるのが普通です。
警察だと臨機応変の処置が許されない・・警察や公務員が「自己裁量でいろんなことをしてはいけない」という正解(PC)はその通りですが、それも職権乱用にならない限りのことでないのかの疑問です。
一般意識では警察や公務員は公益のためにやっているのだからという意識で、管理事務所あるいは個人でも何か問い合わせがあると積極的に協力する・令状がなくとも防犯カメラの映像を見せてくれと頼まれると見せたりするのが普通です。
私人にいきなり聞かれても、怪しんで答えないことが多いですが・・・。
日本の国民意識では「お上」に対する信頼がものすごく厚い社会ですが、進歩的文化人にとっては、逆です。
民間なら何を見せても良いとは言わないまでも、自治会名簿などを聞き込みにきた警察に見せたりすると大騒ぎします。
政府や公的機関は「人民の敵」だから「どんな情報も開示したくないとか些細なミスも許さない」という意識が強いグループのようです。
中国は長年「日本政府は悪いが「日本人は敵ではない」という言い方が普通でしたが、このような分類・2項対立意識社会と日本古来からの君民一体重視社会の違いをだいぶ前からこのコラムで書いています。
アメリカも同様で、国家神道や超国家主義者を背景にする軍人だけを悪者に仕立てて極東軍事裁判や神道指令で民族一体感破壊を図るとともに、他方で共産主義思想の浸透を奨励して労使対立→国民分断をはかったのですが、欧米や中国の考える「支配と被支配者の対立社会」と違い、日本国民はもともと上から下まで助け合いの社会でしたから、よほどの外れ者以外にはその扇動に乗りませんでした。
(助け合いどころか大震災の混乱に乗じて盗みに入る不心得者が一定率います・いつも書きますが、日本人/日本社会というときには大方の心を書いています)

民主主義のルール・手続き重視論2と違法収集証拠排除論1

例えば警官がスピード違反して追いかけたり、追跡中に犯人が逃げ込んだ他人の(塀で囲まれて門が開いている)敷地を通過してその裏の路地に逃走するような場合に、警官が(他人の敷地に入るのが違法だからと遠回りしていると逃げられてしまう)一緒に踏み入って庭を横切ってその先の路地で逮捕したからといって逮捕が無効違法になるべきではないでしょう。
それぞれに緊急事態に対応する法令(パトカーでサイレンを鳴らしていれば信号無視できるなど・住居侵入は「正当理由」)があれば済むことですが、新規分野でまだそう言う手当の法令ができていない不備の場合に臨機応変の法令違反行為があれば、そのような検挙が許されないかということです。
福島原発事故では、現地所長が東電首脳部による現状無視の指示を無視して臨機応変の果敢な処置をして過酷事故発生を防いだことが知られていますが、国民は首脳部指示無視の法令違反と日本国滅亡の瀬戸際に瀕するリスクから、救った所長判断のどちらの方に正義があったかを知っています。
まだ例外を認める法令がないのに、現場判断でやったことが仮に違法であるとしても、違法の程度が重大でなければ、その法令違反(パトカーが信号無視できる法令がまだない場合を考えると、逃げる犯人が信号無視で突っ走った場合にパトカーも(横から来る車がないときに)信号無視で追いかけた場合)ですが、そのために事故が起きたか実害が起きていないかだけで処理すればいいのであって、違法な逮捕が許されない・・その後の手続き(逮捕によって得た指紋や自白その他の証拠を裁判に使えないか?)一切を無効にする必要はないでしょう。
(上記で言えば住居侵入で処罰するべきか否か・・この例の場合には、「正当な理由」が認められるでしょうが、庭だけでなく家の中まで無断で入れば行きすぎでしょうがそれでも)その犯罪の成否に関係がない以上その犯人を無罪にする必要までないでしょう。
最近の最高裁判例で言えば、GPS捜査はプライバシー侵害の危険性が高いから捜索差押え令状手続きが必要である→違法捜査と認定され、その捜査によって得た窃盗犯罪実行の証拠が否定されたように記憶しています。(時間がたったので正確な記憶がありません)
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20170316-00068741/からの引用です。

警察が捜査対象者の車両に密かにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握するGPS捜査。最高裁は、その法的論争に決着をつけた。しかも、今後の犯罪捜査に深刻な影響を与える厳しい内容だった。公開されている判決文(詳細はこちら)を踏まえ、その理由を示したい。
捜査対象者に気づかれないように注意しつつ、密かにその生活圏内に近づき、行動を内密に把握する、といった観点からすれば、尾行や張り込みと全く同様だ。
現に警察は、GPS捜査をそれらの延長線上のものと見ており、捜査人員や予算が限られる中、そうした古典的な捜査手法に代わる有効な手段だととらえてきた。
その上で、基本的に路上を走行する車両の位置情報を把握するだけであり、個人のプライバシーの領域に深く踏み込むわけではないとして、尾行や張り込みと同様、裁判官の令状は不要である、という立場を堅持してきた。
検察も同様のスタンスだった。
今回の事件でも、警察は被告人や共犯者らの承諾はもちろん、裁判官の令状も得ない状態で、約6か月半にわたり、被告人らの19台の車やバイクにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握していた。
今回の一審、控訴審も、被告人を窃盗罪などで有罪とする結論自体は変わらなかったが、大阪地裁は令状なしのGPS捜査を違法とし、高裁は今回のケースだと重大な違法性なしと判断するなど、全く異なっていた。
これに対し、最高裁は、まず次のとおり、GPS捜査と尾行や張り込みとの関係について、警察・検察の見解を全否定した
「GPS捜査は…その性質上、公道上のもののみならず、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるものも含めて、対象車両及びその使用者の所在と移動状況を逐一把握することを可能にする」
「このような捜査手法は、個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るものであり、また、そのような侵害を可能とする機器を個人の所持品に秘かに装着することによって行う点において、公道上の所在を肉眼で把握したりカメラで撮影したりするような手法とは異なり、公権力による私的領域への侵入を伴う」
「憲法35条は、『住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利』を規定しているところ、この規定の保障対象には、『住居、書類及び所持品』に限らずこれらに準ずる私的領域に『侵入』されることのない権利が含まれる」

近代法原理の見直し2

私のような素人にも分りよい例・・ゴルゴサーテン的事例で言えば、テロ集団側では銃器を分解して持ち込んだり、爆発物もちょっとした調合で完成するようにした分離剤を持ち込んで飛行機に乗ってからトイレなどで調合するなど巧妙化する一方ですが、・・一方で膨大な旅客通過のスムースな流れ作業が要請されている矛盾があります。
あらたなチェックシステムを作るとその抜け穴を探すことのイタチごっこですが、・抜け穴利用が一般化・定型化してからこのチェック目的で全国内空港や鉄道駅のチェックシステム改修するには膨大な資金や年数がかかるので、抜け穴探し・・テロリスト・犯罪集団の方が先んじるのが普通です。
(ターミナル駅の進入システムを整備しても地方の無人駅等から電車に乗って来た人をどうやってチェックするかなど)
何かあると捜査の近代化をマスメデイアは要求していますが、チェックシステム構築はいつも後追い的宿命持っています。
GPS利用の動静調査はシステムのように定点待ち受け型システムではないので機動的ですし、(最高裁の意見とは違いますが私の考えでは)プライバシー侵害性が低い・違法性が低いのに、何故最高裁が憲法を持ち出して力むのか不明です。
再論になりますが、私人が他人のプライバシーを性的好奇心等で遠くから望遠鏡覗いているのは大した違法性がないが、公益のために監視すると違法性が高いと言われます。
普通の素朴な価値観では、犯罪捜査や公益上必要なので資料を見せて欲しいと言われると気持ちよく応じるが、好奇心で資料を見せてと言われても応じたくないのが普通の価値観だったのではないでしょうか?
上記の例で言うと犯罪捜査のために望遠鏡で見たいので場所を貸して欲しいと頼まれた場合と、「入浴中の女性の姿を見たい」と頼まれた場合、捜査方法として違法かどうかを知らない「素朴な価値観」で言えば、どちらに協力するのが健全な価値観かです。
専門家の価値観がマスメデイア通じて浸透している結果、今では公のためならば協力したくないが、個人興味なら協力したいと言う倒錯した価値観が(朝日新聞的刷り込みに適応し教養のあると自負する階層では?)一般化しているように見えます。
世論調査も「政府がやるのは危険で民間ならば良い」と言う刷り込みが典型的ですが、最近何事でも民間なら良いが、政府(社会のためになることは)に協力しないのが格好良いと言う刷り込みが成功して来た印象です。
このシリーズで書いている(人民と政府は抑圧隷従・搾取・敵対構造であるとする)二項対立思想が浸透し、成功しているように見えます。
これが行き過ぎた結果、(「政府は悪」と言う思想教育に対する反感が出て来たように思われます。
そこで最近は「政府が集める情報が大量であるから漏れると大変だ」と言う意見が流布されようになって来ました。。
1昨年漏れたベネッセの私塾の情報ですら膨大なものでしたが、金融・通信(ネット販売)・コンビニその他産業の収集している情報量の巨大さは半端ではありません。
個人情報保護関係も、国家が強制的に情報を収集するのと民間がやるのとは違うと言うのが大方の論理です。
防犯カメラであれ、あるいは空港・銀行その他多くのネット利用でも個人情報を求めれられますが、民間はイヤなら拒否出来ると言うのですが、防犯カメラのない反赤貝やデパートスーパーは皆無でしょうし、いまでは普通の生活をするにはありとあらゆるところで個人情報を求められ、個人情報収集を事実上個人・顧客は拒否出来ない・・一々拒否していたら日常生活が出来ない点は同じです。
他人の家を覗き見るなどの、個人情報収集も権力に基づくのと民間が行なう事実上の強制?(こっそり行なうの(同意がないから)強制と言うのも強弁過ぎませんか?・・強制的に裸にするのとこっそり見るのとは大きな違いがあります))は違うと言いますが、今やありとあらゆる生活領域で求められる認証システムが進んでいてこれを拒否していると日常生活が出来なくなっている点は政府の情報収集以上です。
たとえば、指紋認証どころかもっと総合的認証システムまで実用化される・・ちょっとした預金払い戻しその他カード取引不要=個人情報蓄積が進みますが、拒否しているとコンビニでの買い物1つ出来なくなります。
西洋で発達した二項対立図式論は、元々日本社会に合っていなかったことを何回も書いて来ましたが、(日本的信頼関係構築に漸く成功してある程度追いついた)現在先進社会・西欧でも民主国家では概ね合わなくなっています。
日本以外の先進国ではまだ表向き程度なので格差反対なも意味がありますし黒人と見れば圏感が直ぐに射殺する実態もあり、なお対立を煽るのも分りますが、日本は心底から民のための国家運営でやって来たし、会社運営でも経営者の取り分を少なく従業員第一思想でやって来ました。
こう言う社会なのに、欧米思想を鵜呑みにして敵対思想に骨の髄まで使って何でも政府施策を妨害し政府を騙せば英雄視するのは間違いです。
個人情報であれ各種統計であれ、政府が悪用しないようなシステム化こそが重要であり、政府の調査には協力しない・・「統計情報など協力しないで政府を騙せば良い」と言うのは中国のような専制支配国家・時代遅れの社会向けの思想です・結果的に中国統計の信用性が全くありません。
この思考回路にどっぷり浸かっている文化人(学校教育に適応性の高いヒト)が、日本社会に適用しようとして来た・・しかもこれが戦後70年経過で成功して来たから却って疑問を保つ人が増えて来た・・今や文化人とか思想家の地位がおかしくなってきました。
大分前から書いている繰り返しですが、日本社会の基礎単位は一族郷党が基礎ですから信頼がなければ存続出来ませんので、二項対立関係はあり得ません。
そこで、古来から上下の隔てなく信頼で成り立っている・・最近ではApril 15, 2016, ガバナンス, コーポレート, 2で日本の信頼社会と敵視関係の近代法原理は合わないとちょっと書いたことがあります。
信頼関係の社会でどうして変な思想がはびこったかの始まりを見ると、米軍の占領政策に行き着きます。
強固な信頼関係で成り立っている日本社会に相互不信感のくさびを打ち込む目的・・頑強な日本軍の抵抗力の源泉に着目した占領政策の第一の眼目でした。
どこのクニでも戦争に負けると支配層に対する日頃の不満が出て政権が倒れるのが普通でしたが・・・硫黄島の戦いの教訓・最後の最後まで戦意喪失しない・・全国が焦土と化すほど完敗して外国に占領されてもなお、 現政権批判や天皇制反対の声が上がらない・・反乱を起こさないニッポン民族の一体感・強靭さの破壊こそが最初の占領政策目的でした。
これが成功しないと植民地支配・奴隷化支配が出来ないからです。
占領政策は周知のとおり、日本二度と西洋に対抗出来ないようにアジアの植民地同様の農業国化することでしたがもう一度紹介しておきましょう。
本日現在のウイキペデイアの記事からです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
「SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済復興を認めなかった。マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。大蔵省(現在の財務省と金融庁)によると、1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。」

違法収集証拠の証拠能力4(近代法原理の見直し)

立法政策の問題と言って、いつ出来るか不明の立法化されるまで捜査をさせない方に軸足を置きながら・・立法問題であるからとしてしまえば、後は政治家の分野であって実務界での活発な限界論の議論が出来なくなります。
法制定後絶え間なく社会が変わって行く・立法はいつも後追い的性格を持っているので日進月歩の実務の必要性に間に合わない分を法に違反しない限度で工夫して立法の先がけ・準備をして行くのが判例学説の重要な役割ではないでしょうか?
民法で言えば、根抵当権は判例法認められて来て事例集積が進んでから、昭和50年代頃に民法に明文で整備されましたし、仮登記担保法も同様です。
これは立法や憲法改正で解決すべきだと放り投げるのは余程の場合に限るべきでしょう。
(憲法改正が殆ど不可能な制度になっていることを昨日書きましたが、簡単に改正出来る仕組みになっていません・・)
法がない限り認めるべきでない・・法制定を待つと言う言い方は一見法治主義の原理に合っているような言い回しですが、新しいことに何でも反対するスタンスになり兼ねません。
今流行の民泊解禁議論も、法が出来る前に新しい業態挑戦が増えて、「公認してルール化する方が良い」と言う議論が始まっている・法はいつも後追いであり、法がないから何もしないと言うのでは、社会が停滞してしまいます。
最判のケ−スは刑事処罰事件なので一見法がなければ処罰出来ない・罪刑法定主義に則っているかのような印象ですがそれは違います。
どう言うものを証拠に出来るかは法律用語で「証拠能力」と言いますが、違法収集証拠排除の法理は、判例法で決まって来たことであって法(国会・民意)で決めたことではありませんし、ソモソモ手続法は罪刑法定主義の原理とは関係がありません。
罪刑法定主義は、文字どおり「罪と刑を事前に明示しておくべき」と言うだけであって、犯罪時前に決めた手続法に拘束される原理ではありません。
証拠能力は訴訟手続に関する法ルールであって、犯罪時以降に訴訟手続法が変わっても、変わった手続で裁判すること自体罪刑法定主義に違反するわけがない・・関係がありません。
まして、刑事訴訟法で決まっている証拠能力の規定は、自白法則と伝聞証拠排除原則だけであり、「違法に収集した証拠は証拠として採用出来ない」と言う違法収集証拠能力否定の法規定すらありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「違法収集証拠排除法則(いほうしゅうしゅうしょうこはいじょほうそく)とは、証拠の収集手続が違法であったとき、公判手続上の事実認定においてその証拠能力を否定する刑事訴訟上の法理である。排除法則とも呼ばれる(以下、排除法則と表す)。
供述証拠に関しては強制等による自白の証拠能力を否定する規定(日本国憲法第38条2項 、刑事訴訟法319条1項)がある。これに対して違法に収集された非供述証拠の証拠能力に関する明文規定はなく、排除法則は判例によって採用されたものである。なお、上記の憲法38条2項及び刑事訴訟法319条1項を排除法則の特別規定とする見解も主張されている。」
「学説上は排除法則の根拠としてはこれまで主として規範説・司法の廉潔性説・抑止効説の3つの説が唱えられてきた。」
法がGPS捜査を認めていないのではなく、法は拷問等の強制を除いて捜査手法によって証拠能力を認めないようなことを想定していないのです。
違法収集証拠排除原理は法に書いていないのですから、軽微な違法の場合には証拠能力を認めると言う例外も書いていないのは当然です。
最高裁が、憲法の精神?で憲法明文に規定のないプライバシーを「侵害しうる」と言う理由で令状の必要性を認定したのは、GPS操作方法は令状がない限り違法収集証拠であると言うところまでであって、違法であっても証拠排除の例外にあたるかどうかを更に検討する必要があったのに、これをしないで終わりにしました。
検討に値しないと言うこと・例外を認める場合ではないと言う意味でしょうが・・。
どんな軽微な違法でも例外なしに証拠価値を認めないと言うのは、考古学資料が出たときにトキの発掘関連法令・・届け出義務違反あるいは隣地所有者の同意書に瑕疵があったなど・・いろんな手続の一部に違反して発掘されたものであるから価値がないと言えるのか?と言うのと似ていませんか?
違法行為があれば、先ずはこれを理由に別に違法行為者を処罰すれば良いことであって処罰だけでは違法行為が禁遏出来ないときに、政策的に証拠能力も減殺すると言う関係ではないでしょうか?
証拠自体に証明力がないのではなく、他の目的達成のための政策的判断結果です。
本当は英語や数学と全ての分野で成績がいいのに、身分が低いから合格できないのと似ています。
4月3日終わりの方に書いたように女性や黒人あるいは障碍者の社会産科を促すために保護のためのクオーター性など、特別保護すべき場合は例外ですが、そう言う特殊な事情がない限り、試験する以上は試験結果で決める・・スポーツでも何でもそのもので勝負し、身内かどうかでなどその他の要素で点数を変えてしまうのは邪道です。
ソモソモ令状主義が出来た時代には、容疑者が令状を示されたときには取り囲まれていて逃げられない・・あるいは家宅捜索や身体検査の場合、証拠隠滅しきれないのが原則だったから成り立っていたのです。
(警察が踏み込んで来ると覚醒剤などをトイレなどに流したり急いでどこかに隠すなどが普通ですが、それでも微量の粉末が容器に残る・・このせめぎ合いでした。)
ここで(思いつきコラムの特徴でご容赦下さい)方向性が変わりますが、ここ何回も書いているように犯罪・テロが起きてからの後追い的証拠収集では間に合わない・・事前情報収集の必要性が高まっている現在どうあるべきかの基本的議論が必要です。
19世紀型法原理・システムは人権擁護のための行き過ぎ?・・犯罪が実行されてからしか捜査も処罰も出来ないシステムですが、刀を振り回すハイジャック事件程度ならば、警官・ガードマンを乗り込ませるなどで(コストさえ気にしなれば)事件発生後でも制圧出来ますが、サリン事件や、爆弾テロ銃乱射などの事件が起きると事件が起きてから証拠収集しての制圧方法では大量被害を防げません。
今や犯人がごく少数でも半端でない被害が起きる・・事件後しか捜査すら出来ないのではどうにもなりませんので、準備行為や事前行為も処罰対象になって来ましたが、これらも定型的方法によらない限り(犯罪方法も日進月歩です)何が準備行為か分り難くなっています。
事後処罰・・実行行為があった場合を前提する現行法体系では、例えば私が学んだ刑法学(団藤説)では実行行為と何かと言う論点では「定型説」でしたが、テロの予防が重要になって来ると定型行為・・数年に1回改訂する定型行為・チェックリストにない行為はいくら怪しいと思っても予めチェック出来ないのでは、新たな方法を考案したテロリストをチェック出来ません・・。
犯行方法は日進月歩・・被害分析して後追い的にチェック方法を改正→チェックシステム設置に要する期間も半端ではありません・・・全国展開には数年単位でも無理があります。
羽田空港の出入チェック機械を2〜3年かけて総入れ替えしても地方空港までは直ぐに行き渡らない・・地方から入って来る客をどうするかなど・・。

違法収集証拠の証拠能力(違法性の程度)3

憲法文言を見れば分るとおり、対象は「「住居,書類及び所持品について侵入,捜索及び押収を・・」であって、「住居」に対応する行為は「侵入と捜索」であり、「書類及び所持品に」に対する行為が「捜索及び押収」であることがか分ります。
対象が限定されているからこれらの侵入捜索には令状事前発布可能なのであり、プライバシいに関係すれば何でも令状がいるとは書いていませんし、そう言う読み方は乱暴過ぎます。
憲法は記載した対象に関してはその程度の規制をしても捜査に影響がないので令状手続を要求したのは合理的です。
ところが、その精神を拡大して「これらに準ずる私的領域に侵入されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である」というのは飛躍があります。
しかも最判が続けて令状発布を要するので実務上GPS捜査は用をなさなくなることを認めています・と言うことは不可能を憲法が命じているとわざわざ類推解釈すること自体が法解釈の常道に反していませんか?
実務上不可能なことを憲法であれ法であれ書くわけがないと言う合理的解釈から、憲法9条の「戦力は保持しない」と言う憲法明文でさえ、国家の存立のためにある憲法が国家存亡の危機時に「自衛行為を否定するわけがない」とうことを理由に「自衛戦力を除く」となり、「交戦権を認めない」と言う明文も「自衛戦争は認められる」と言う解釈が定着して来ました。
アメリカは占領軍に対して日本民族が抵抗出来ないように非武装を強制するだけでは飽き足らず、抵抗する権利さえ否定した憲法を強制(欧米植民地支配の常道です)したのですが、日本が独立した以上は論理的には直ぐにこれを廃棄すべきでした。
日本はアメリカの鼻息をうかがうために廃棄することが出来ず、その代わり民族を守る権利がないのは論理矛盾であると言う理由で自衛のため軍を保てるし、交戦権もあると解釈を変えて存続させて来たのです。
同様に社会維持のための憲法である限り、秩序治破壊する犯罪者を処罰出来るのは当然の前提であり、処罰準備のための逮捕拘留も認められていますし捜査も認められ必要に応じて人権が制限される仕組みです。
社会ある限り犯罪に対する処罰・捜査が必須ですから、捜査に不要な人権侵害を出来るだけ規制する不当捜査を牽制するために第三者の目・令状を要件にし、例外的に現行犯や緊急逮捕を認めているのですが、このように捜査の必要性と人権保護のギリギリの選択によって憲法条項は出来ていると見るべきです。
人権擁護のためには社会破壊を抑止検挙するための捜査が出来ないようにするのが憲法の目的ではありません。
まして国家機関の1つである裁判所が、明文の規定もないのに類推拡張までシテ捜査不能を要求するなどは漫画的です。
昨日紹介した憲法明文の令状対象・家宅捜索や身体検査等は、捜査官が取り囲んでから始めるので、その直前に事前提示しても捜査にそれほどの影響がない・・合理的だったし今もそうですが、憲法明文に入っていない・・GPS捜査を何故住宅への強制侵入に類推する必要があるかの疑問の続きです。
最判自体がGPSの事前提示は捜査不能にすると言う趣旨を書いていますので、ソモソモ令状対象に加えると捜査不能になる前提で敢えて類推する無理をシテまで対象に加えたことになります。
捜査不能にシテまで守るべき人権侵害かの吟味こそが必須です。
GPS捜査の有用性は否定出来ないと思われますし、そのために受ける人権侵害がどの程度であるかコソを最判は議論すべきだったのに「侵害しうる」と言う素人みたいな意見で終わりです。
違法収集証拠排除原理は原理であって例外があり得るのでその限界は事例集積に待つ必要から判例法として発達して来たと思われますが、最高裁はこの役割を自ら放棄して・「私的領域を侵害しうる」と言うことから憲法35条の令状が必要として令状なし捜査によった場合、証拠能力がないとして・・乱暴に出してしまった印象です。
憲法判断でもありGPS捜査は令状がいると言う事例判断と言えますが、高裁が具体的に踏み込んで検討しているのに比べて掘り下げが浅くお座なりな印象を受けます。
ここで必要だったのは令状なし捜査をどこまで許容するかの掘り下げた議論だったのに、これを「プライバシー侵害の可能性がある」と言う抽象論で終わらせてしまったように見えます。
プライバシー侵害の可能性だけで令状がいる・・しかも令状を事前に要求していると捜査にならない実態も認定されているのですから、飛躍が過ぎないかの疑問です。
話題が飛びますが、何でも憲法論や立法論にする意見についてここで書いておきます。
憲法を変えるにはもの凄いエネルギーがいる・・普通の法制定作業に比べて時間もかかる上に国会で3分の2以上の議決が必要です。
憲法問題は1点だけではなくいろんな争点があって、仮に10点の争点があればA点には賛成だがB点には反対C点には中立など票読みが複雑で、ギリギリ3分の2以上程度の多数では結果が見え難い・・失敗すると政権が保たない可能性もあるので事実上5分の4程度の多数にならないと前に進められない・・結果的に改憲は無理があります。
8~9割も支持率のある政党など民主国家では有り得ないので、なんでも憲法問題にしてしまえば、新しいことは殆ど何も出来ない・・変化反対勢力の思うままです。
これがわが国で憲法改正が敗戦のとき以外に実施できていない原因です。
立法でも同じで今回の天皇退位問題でも、退位問題に絞らず当初民進党が女系天皇制その他も一括議論すべきとして譲らない姿勢でした・・。
これを議論していたら事実上生前退位問題は時間切れになってしまうのを狙ったか?早くまとめるためには与党が無理難題を飲むしかない状態に追い込む算段だったのでしょう。
・・天皇退位問題は早期決着すべきと言うほぼ100%?の世論の前に、さすがの民進党も引き延ばし不能となって最後は折れましたが・・この抵抗姿勢を見ると多くの国民はまたか!と言う気持ちになったでしょう。
ほぼ100%の世論を前にしてもなお論点を複雑化して先延ばししようとするのが民進党や消滅?した旧社会党の体質を露呈しました。
このように立法化には時間がかかるので「法規制がないから出来る」とするか、「出来ない」とするかはそれ自体が重要な法的判断です。
刑事罰に関する問題だから罪刑法定主義の原理応用・・「立法で解決べき問題であるから、裁判所が先走りして何とも言えない」と言うのは、一見謙抑的に見えますが、実は最高裁が謙虚にチェックしない・・傲慢な態度を表しています。
立法に投げるならば、その前に法の明文なしに決めて来た「違法収集証拠排除判例」自体を無効化すべきことです。
立法を待たずに証拠能力を否定しておきその判例法を維持しながら、その例外・適用範囲を検討しません・・法で決めるべき・・「法に例外規定がないから証拠採用出来ない」と言うのは変な論理です。
法で違法種々証拠の証拠能力否定を書いていない・・判例で否定して来ただけですから、その例外的場合を法に書いていないのは当然です。
判例法理である以上その限界・例外も判例で決めるべき・・そのために最高裁に上がって来た事件だったのではないでしょうか?
最高裁は自分で判断しないで、立法の責任に投げ出しておきながら違法収集証拠排除原理だけ維持しているのですから、結果的に何の法的吟味もしないで「例外を一切認めない」と言う結論だけを出したことになります。
憲法や刑訴の専門家であれば、既に多様な学説論争があり、最判はその内の1つの意見を採用したのであり、くどく説明する必要がないことも当然あり得ます・・ここは、私のような素人・門外漢には論理説明が足りないと言うだけで・・念のため。

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