協力要請の日本文化と強制力前提の米国方式1

「日本人は要請に応じる率が高いが外国人は応じない率が高いから」という理由で外国人だけ特別不利な法律を作って強制するようなことは許されません。
公式意見として外国人の協力度が低いからとは言えないのでこの種の合意は暗黙の了解・前提ということだったでしょう。
日本はもともと納得さえすれば協力する社会なので、欧米のような戒厳令その他の強制装置を必要とせず、緊急事態を理由にする強制装置をあらかじめ用意すること自体に国民が簡単に応じない社会です。
これに対して入国前の防疫上の検疫は国際法上の権利ですので、入国前に検査すること自体どこの國も文句言えません。
入国検査の結果法定の指定伝染病であれば国内法に従って隔離、治療強制できます。
以上を比較すれば、船内での検査ならば隔離が難しい上に検査前の隔離期間中は感染者と未感染者の隔離は(検査前なので)論理的に不可能な上に、設備の整った病院とも違う問題があり検査完了までに感染が一定数広がる可能性がある点はほぼ同じです。
日本が潜伏期間の2週間観察するために同一船内に留置したことが感染拡大したと批判されていましたが、どこかホテルを借り切った場合でも、検査完了プラス2週間の待機期間中は誰が感染者か不明のまま同じホテルに同宿(夫婦の場合同室が原則・・しかも豪華客船の客の場合高齢夫婦が主流です)しているリスクは50歩100歩です。
クルーズ船の部屋別隔離ではホテルより隔離成功率が低いという批判でしょうが、こういう批判に対して、米国派遣チャーター機での帰国便利用者は豪華客に比べて何十分の1もないほどの狭い空間で座席一つ間隔くらいでどうやって隔離していたんだ?という批判が日本のネットに出ていました。
仮に陰性になっても(検査の正確性が低いこともあって、2週間経過しないと潜伏期間中か検査の正確性が低い結果か?不明というのが当時(今も)の常識で、日本でのクルーズ船下船許可後米国帰還者は帰国後そのまま2週間隔離されたということでした。
米国その他どこの国だって、検査前に発症者か否かの区分けしかできない点は同じで未発症者同士を隔離する基準がないので、日本社会での外出自粛要請程度・船内パーテイをやめてもらいできるだけ室内にいてもらう程度しかないのは同じです。
船内隔離不合理を指摘し非難していた米国が自国民を帰国させるのに、個室のない狭いチャーター機で10数時間も大勢同じ空気を吸わせたのか?というツッコミです。
米国で一ヶ月後に発生したグランドプリンセス号事件でも、バスに詰め込んで軍事基地、ホテルへの移送をしていましたが、狭いバスにどんどん乗せて行くなどその間の隔離など問題にしない姿勢でした。
パーテイといえば、今回船内感染が拡大したのは、何日もかけて船内検査していたことよるというより、横浜入港前夜船会社主催のサヨナラパーテイみたいなものが、催されていたことが大規模クラスター発生につながった・・検査初日分は10名前後しか陽性がなかったのに1週間ほどで尻上がりに増えたのはその可能性が指摘されています。
緊急事態になっているにも関わらず船会社側の危機意識が低かった・自粛要請では効果のない(英国主権下にある船なので日本政府の要請に応じる必要がないという法律論でしょう)気質がここにも現れています。
政府間交渉で入港を認める代わりに入港後は日本政府の船内管理を認める合意ができたのでしょうか?
明日から日本政府管理になるので、最後の息抜きパーテイを盛大にしましょうということだったのかな?
日本場合、船内検査する代わりに全員検査できる→検査結果陽性反応がでればすぐ入国を認めて指定病院へ直送することが法律上可能です。
横浜市内指定病院への直送用バスをクルーズ船に横付けしていて、そういう運用を実際にしていました。
船内検査の場合、陽性反応の人に対してすぐ入国を認めても即強制隔離が法律上可能で陽性反応者が一人も国内で野放しにならない(拡散防止可能)のに対し、無検査下船=入国後検査を求める方式では外国人から承諾書を得ていてもそれを守ってくれるか・結果は外国人の気持ち次第になるリスクがありました。
外国人観光客がそもそもせっかく観光地に上陸してどこも行かずに観光地の安ホテルで2週間も時間を潰すのに協力するのでは何のために日本にきたのか不明ですし、武漢から帰国者以上の拒否者が出るリスクがあると想定するのが合理的判断でしょう。
国費で救出された人たちでさえ検査拒否者が出たのですから、外国人主体の外航船の場合、一旦入国を認めてしまえば、任意協力する比率が大幅低下することは容易に想像できます。
入港を認めるにあたっての事前交渉で英国政府が非協力で困ったという噂が流れていますが、入国後の任意協力に対する英国政府の協力を求めても相手にされなかったということかもしれません。
3000人を超える人員収容可能なホテルを数日間で手当てするのは物理的に不可能な時間ですので、これも船内検査に決定した大きな理由でしょう。
豪華客船の贅沢な客をビジネスホテルに長期間閉じ込められるか、食事レベル言語その他大きな問題ですが、同じ船内場合、相応の厨房その他外人対応人員も揃っているので過ごしやすいことは確かです・・・。
やはりここは入国前の検疫検査権に頼るしかなかったと見るのが常識的です。
入国前であれば、入国手続きのために2列に並ばせようと3列に並ばせようと1時間かかろうとその国の裁量権の範囲内(英国の出方が国際法を縦に協力しない・・横柄だったのでこういう方向に進むエネルギーになったかな?)です。
検疫検査拒否者(物品輸入を含め)には入国(輸入手続き)拒否する権利があるのも国際公法上の常識です。
日本人として考えれば、船内検査=環境劣悪→検査中の同室者感染が仮に5〜10〜50人増えても陽性と決まれば全員入院させることの可能な仕組みの方が良いと考えるべきか、(5〜10人が検査や自粛に応じないリスク)どうかや英国の出方に業を煮やして入港拒否するかの判断は感染症専門家の専門外の分野です。
感染症専門家・どういう場所ごとに手洗い設備がいるか、防護服体制の準備・一般病棟との出入りの基準、防護製品供給体制を含め・防護品着脱ルールなど手順に詳しい人が、国際法の判断や一定数国内野放しにしても良いか、入国前の検疫をした方が良いかを判断する専門家ではなくこれは高度な政治判断の分野です。

新型インフルエンザ等対策特措法と休校協力要請

コロナ騒動開始以来色めき立ったメデイアの安倍政権批判に踊らされた人が多かった?(メデイアでそういう人を大きく取り上げていただけで、多くの国民は外出自粛が正しいと思っていたらしく)約1ヶ月半経過・・結果から見ればこの種批判論は完敗でした。
休業すれば失業や倒産の危機に直面する個人事業の多い飲食サービス業でさえ、ほぼ自粛要請に従って休業しているのが現下の社会情勢・国民意識です。
要請に従う義務がないと営業継続する事業を英雄扱いする論調が皆無どころか、埼玉アリーナだったかでイベント強行した事業体が凄まじいパッシングを受け、最近では休業しない一部パチンコ屋が批判されている実態から見れば、周囲の反対を押し切って早めに公立学校だけでも休業要請したのは安倍総理の英断であり、(メデイア批判は空ぶりになり)迅速でよかったという評価に変わっているでしょう。
休校要請の結果感染数が下がり気味になり、3月20日ころの3連連休で花見客が増えるほどの「気の緩み」になったと報道されていましたが、その結果3連休後の感染急拡大で4月に入ってからの緊急事態宣言になった流れを見れば、2月末からの休校要請の効果が大きかったことがわかります。
メデイア界は2月29日の総理独断の?休業要請をあれだけ批判していたのに、その総括をしません。
4月に入って政府から公式緊急事態宣言が出た後でも新潟県では以下のような報道です。
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20200415537754.html

小中学校、28市町村休校せず 2020/04/15 11:02
新潟県内 村上市は16日から休校
自主性があっても良い・だからこそ特措法では都道府県知事が率先して動く仕組みになっているのですから、要は、具体的にその地域の実情にあっているか?でしょう。
そもそも今度の武漢発のウイルスは子供がかかりにくいと言われている(今はそうでもないですが、この原稿を書いていた3月10日前後にはそういう意見が流布していました)のに、なぜ学校にだけいきなり休校要請したのか・保育園や学童保護施設が休まなくて良いのか?不思議に思っていましたが、条文をみると学校が書いてあるがその他の保育施設等は条文に書いていないから要請するのはハードルが高いことわかりました。

新型インフルエンザ等対策特別措置法

(平成二十四年法律第三十一号)
施行日: 令和二年三月十四日
(感染を防止するための協力要請等)
第四十五条
1 略
2 特定都道府県知事は、新型インフルエンザ等緊急事態において、新型インフルエンザ等のまん延を防止し、国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため必要があると認めるときは、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間を考慮して当該特定都道府県知事が定める期間において、学校、社会福祉施設(通所又は短期間の入所により利用されるものに限る。)、興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条第一項に規定する興行場をいう。)その他の政令で定める多数の者が利用する施設を管理する者又は当該施設を使用して催物を開催する者(次項において「施設管理者等」という。)に対し、当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる。

条文に明記されるには国会審議・・どの業界が休業した場合の国民経済への波及効果とクラスターになる業界との兼ね合い・利害調整が国会の機能です。
法になるということは各種業界ごとの休業による影響度合いや波及効果を見極めて慎重な審議・・国民合意形成があったことが前提です。
・・産業界の場合業務停止の場合経済影響が大きくその補償・関係者の倒産・失業その他経済効果も直接的でしかも甚大ですので、公立学校(先生の失業や倒産はありません)からから始めて様子を見るのが妥当となったのでしょう。
何れにせよ事実上の要請をするにしても、国会審議で決まった職種順に従ってお願いするのが筋という判断だったのでしょう。

教育の中立と休校協力2(米山意見3)

日弁連・単位会も外部からみると自治にこだわる特殊集団の位置付けになっているのでしょうか?
若手弁護士の実力低下論は本当かどうか不明ですが、鋭い論理で丁々発止と戦う能力にかけては老人の方が弱くなっていますが、若手には利害調整型事件を経験するチャンスが減ってきているのかもしれません。
今回のコロナ禍で裁判所機能が停滞したことによって、裁判所関連の公的職務激減による影響が若手に大きく出てきたのを見ると、中堅若手の多くが後見人や国選あるいは管財事件、相続財産管理隣島裁判所発の発注?に頼っている経済傾向が窺えます。
激しく争っているように見える刑事弁護であれ、後見保佐その他特別代理人あるいは各種管財業務であれ、共通項的特徴は裁判所ができない管理・調査能力補完職務であり、下級官吏職務の外注化適応のように見えます。
行政庁で言えば、部課長の補佐として実務を担う主任や課長補佐級の実務官僚の仕事を外注化したように見えます。
若手中堅弁護士業務の大部分が官僚的業務の外注になれば、求められる能力が職務精通能力化してきます。
古くから裁判所の外局的職務として存在する制度で言えば、執行官や公証人職務と似ています。
誤りなく法の執行をする職務ですが、執行官のように判決に書いてる通り形式判断で現場で働く形式職務でなく、後見や管財人等は執行法に限定されない・・分野を問わない幅広い法的知識を駆使して判断する必要がある程度の違いで、法解釈の範囲内に限定される点で執行官と性質が似ています。
しかもある程度の幅にある行為は裁判所の許可がいる点で事実上担当書記官にお伺いをたてる必要がある点など、(相手が先生と形式上立ててくれますが・・)実態は下請けに似ています。
質問の仕方が要点を得ていると書記官に評判が良く、あまりズレた質問をしてくる弁護士は馬鹿にされる・何も聞かないでどんどんやると「勝手にやるからこういう問題が起きるんだ」となるなど・・覚えが悪いと次から管財や後見の打診が来なくなるのかな?
収入の大部分が裁判所の評価・評判に頼っていく傾向になると、事実上従属関係化するイメージです。
以上は外野から見る危機感ですが・・。
こんな感想を書くと、弁護士会の多数を占める中堅以下の若手の総スカんを食うかもしれませんが・・。
有能な弁護士の基準が有能能吏化してくると学業優秀系秀才の独壇場になるように思われます。
米山氏の経歴を見ると医学経験利用の医療訴訟を書いていますが、11年に弁護士登録で12年には立候補しているので、政治運動をしながらどの程度の弁護実務をやる時間があったのか不明ですが、(もしかしたら名前を連ねただけ?)治療担当医師のミスをあげつらう専門家ということでしょうか?
社会変化に応じた各分野のパラダイム変更をさせないで時代遅れにするためにGHQが残していった反日装置をガンコに守り日本社会を時代適合させるための改革を全て妨害をしたい勢力の解釈によっても今回の教育の中立性を守ることと、新型コロナの感染拡大から守るための休校要請に対する反対に使うようになるとあまりにも中立性の乱用例の一つと言うべきです。
こんな反対のために教育の中立論を使われると本家の日教組も困るのではないでしょうか。
信教の自由があるからと言う理由でバチカンやイスラム等・世界の宗教界が、コロナ禍による外出禁止令や自粛要請無視で旧来の宗教行事を強行しているでしょうか?
教育の中立論に戻りますと米山氏の意見は、日本社会を守るための新型コロナ防疫政策に協力することと教育政策の中立がどういう対立関係があるのか?理解困難です。
表題を見直してみますと「安倍首相の支離滅裂」というもので、もう一度読み返してみると教育の中立性があるので「要請するしかない」のが支離滅裂というかのようですが、私には能力不足で理解不能でどちらか支離滅裂かな?と思うのですが?

教育の中立と休校協力2(米山意見2)

中立論が出てくる多くの場面では、国連機関(WHO・中国?)であれ、放送(中韓勢力浸透論?)であれ、教育論(日教組)であれ、当然立場によっては言いがかり論というでしょうが・・)政治的に食い込むのに長けた勢力・特定勢力が(非合法とは限りません)食い込み組織を牛耳るようになる・・これに対して外部批判を寄せ付けないために主張しているイメージを受けます・・。
学問の自由、大学の自治、思想信条の自由といっても、社会内存在である点を無視するのは観念の一人歩きです。
自主とか自治という概念は、ある組織集団が社会から完全な独立をしていないが、その集団内部意見を尊重しましょうという程度の意味であって、集団を取り巻く外部社会なくては存在し得ない場合のことでしょう。
信教の自由や思想信条の自由の場合、個人の問題ですので独りよがりの考えに固執するのは自由勝手ですが、その代わり周囲から相手にされない孤立する「自由」を満喫?することになります。
社会の支持獲得を必要とする組織の場合、偏狭な主張に凝り固まり信教の自由だとか思想の自由と頑張っていると支持者が広がらないどころか先細りなので自然に社会との共存を目指す修正作用が働きます。
もともと被害意識に凝り固まったニッチ集団にとっては社会の支持や評判など問題にしないこともあります。
浅間山荘に立てこもった連合赤軍事件やオーム真理教事件のグループなど・ガイこのテロ組織などは、世間の支持など問題にしないと嘯きながら世間が気になるから反社会行動に走るのではないでしょうか?
本当に世間を気にしない・・没交渉で行きたいならば、山奥でわらびやゼンマイを食べる伯夷叔斉のような暮らしをすれば良いのです。
どんな組織も直接的・間接的かは別として社会の支持なくては長期的には先細りですが、社会との関係が間接的になる度合いに応じて社会に対する感度が鈍くなる関係です。
民間企業や大規模な宗教団体の場合、社会反応が直接的影響力を持つので感度が高くなりますが、例えば労働組合の場合、その業界さえ拡大基調にあれば、組織内労組は社会と直接関係しないので社会意識と乖離していても気になりません。
労組でも消費者と直結する企業労組と官公労労組の違いです。
官公労でも教職員組合の場合、どんなに社会意識と乖離していても公教育機関自体の淘汰縮小心配がない関係ですし、運輸業界でも民間と国鉄労組との違いでした。
公務員も政治家の選出を通じて間接的に国民意識に関係しますので、国民意思が反映するはずですが、本来政権担当者の政治意志に従うはずの官僚でさえ政治家が官僚を動かそうとすると野党がこれをどういう根拠か不明ですが、官僚の中立性?を背景に忖度が許されないと問題視します。
憲法に規定する公僕とは政治家から官僚の独立を目指すものではなく民意=時の政権に従うべきです。
野党は自分が政権を持っていないから政権の機能不全を目指して政権から距離を置くべきとか独立性が必要という独特の主張・その意向を代弁するメデイアが同様の主張をしているように見えます。
まして政治家は公教育には「教育の中立性?」という呪文に縛られて口出しできない結果、ダイナミックな環境変化に対応できない・・公教育制度が長年迷走状態になっている原因です。
国鉄は社会変化に対応しない硬直した労組に縛られて日本社会の大規模なお荷物・・惨憺たる結果になっていましたが、民営化によって見事に元気を取り戻しました。
公教育界は、国鉄労組同様の唯我独尊の日教組に長年支配されて、社会変化に対応できないまま、数十年の貴重な期間を空費してきたように見えます。
教育行政も国家枢要の政治の一環である以上ときの政権・民意による改革を受け入れるべきです。
戦後国政に重要な地位を占める分野(国防という中央政府の専権事項に関する国防分野・新兵器配備すら自治体の同意がないと導入できない変な仕組みです)は全て?中立化?独立化され国政改革が滞る仕組みがGHQによって確立され、GHQの遺産が約七十年間日本の変化を阻害する大きな役割を果たしてきました。

教育の中立と休校協力1(米山意見)

昨日紹介した意見・批判一色のメデイア論調に便乗して根拠ない要請など応じる必要もないだろうと言う意見を格好良く思う自治体がある程度出て来たのしょう。
国民の多く・大企業がクラスターになった場合の企業信用への悪影響を恐れてプロ野球であれ相撲であれ、デイズニーランドであれ、かなりの事業体が自粛協力していますが、中には公立学校(経営責任がない公立だからやれることか?)でさえ協力しないところが出ていました。
3月11日「インフルエンザ特措法2と私権制限1」では政府の休校要請に応じない自治体意見を引用しました。
(自治体首長の場合、地元利益さえ守れば日本全体に患者を広げるクラスターになっても気にしない?のかなという感想を上記に書いています)
もともとこのテーマは2月から私権制限と精神病の強制処置に関するテーマを書いていた続きで、たまたま社会の重大関心になっている新型インフルエンザ特措法と私権制限のテーマに移ってきたものです。
(もうすぐ精神障害と人権のテーマに戻ります。)
インフルエンザ特別措置法では諸外国のように強制権がない・・強制措置に至らない休校要請の場合、応じる自治体と応じない自治体がある紹介で・・3月11日のテーマに入り、こういう意見は昨日引用した米山氏意見が基礎になっているかな?という意味で連載のつもりで書いていたのですが、その後いろんなテーマが割り込んでしまって分断されて約1ヶ月経過していますので、できれば3月11日引用の休校に応じない教育委員会意見も読み直してください。
自治体には自治権がある・政党や企業にはそれぞれ自主権があることと、社会共同体利益のためにどのように対応すべきかは別問題です。
国家主権があることと国際協調しなくて良いかは別問題ですし、個々人に人権があることと、世間付き合い(自主性をある程度犠牲にする選択)が不要かは別問題です。
帰り道で「飲んで行こうか?」と誘われて「俺の勝手でしょう」と言い切る人がどれだけいるかですし、企業が既存法令に反しない限り企業活動の自由があるのですが、社会生活上法令に反しなければ商売がなり立つものでないのも自明です。
社会の一員としてみんなギリギリの接点を求めて遊びに行くかどうかの自粛行動を決めているのであり、教育の中立性違反だ御託を述べれば通じるものではありません。
3月17日時点の世論調査です。
https://resemom.jp/article/2020/03/17/55366.html

一斉休校は「賛成」42%、時期は「春休みまで」最多
新型コロナウイルス感染症対策として、安倍晋三首相が進めた「学校一斉休校」は、「賛成」42%、「反対」29%と、一定の支持と理解を得ていることが2020年3月16日、日本マーケティングリサーチ機構が実施したインターネット緊急世論調査の結果から明らかになった。

上記の通り、見出しは42%賛成→一見反対の方が多いように見えますが、記事内容を見ると逆に反対派意見はわずか29%でした。
当時のメデイア論調は安倍政権は迷走している・・無能ぶりを発揮・いかに迷惑な要請か!という意見の洪水でした。
昨日紹介した米山氏意見に戻ります。
弁護士は実務家ですので、具体的事実関係のもとにおいて利益衡量でどちらに分があるかで勝負すべき職業であり政治理念で勝負すべき職業ではありません。
特定系弁護士は憲法違反とか近代法の理念違反などの観念論を大上段に振り回す傾向が強いと言われるのを聞いたことありますが、昨日紹介した前新潟県知事・弁護士米山氏の主張はまさにこれを彷彿させるものです。
観念論で生きている人が、地元利害調整の求められる知事になっているのか?という驚きで3月11日のコラムに続いて原稿を書いておいたものですが、コロナ対応の巧拙のテーマから話題が横にそれていました。
政治というのものは、「あちら立てればこちら立たず」の利害調整が本質ですが、(それも現実政治は二択ではなく無数の利害関係者が入り乱れる複雑なものです)二択基準どころか理念だけで県の政治ができる現実があったとすれば驚きです。

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