労使紛争に関して従来型労働組合関与による大型手続が社会の需要に対応出来なくなって来た・・機能しなくなっていたので、平成18年4月から新たな解決方法である労働審判制度が始まりました。
労働事件の判決まで何年もかかるので、本案前の仮処分制度利用がはやりましたが、迅速処理を前提とする仮処分も事実上丁寧な審理が原則になって来て、仮処分の本案化の問題が言われるようになりました。
仮処分と言いながら、強制力があって、(断行型・・仮の地位を定める仮処分・・仮に給与を払えと命令すると)後で結論が変わって労働者敗訴になっても、生活費に使ってしまっているので事実上取り返しのつかない損害が起きてしまいます。
そこで相手側の言い分を聞かないで一方的な命令を出すのは危険過ぎるとなって、本案同様に相手の反論を求め、反証を出させるようになって来た結果、本案訴訟と時間軸・訴訟の仕方がほぼ同様になってしまったのです。
労働審判法
(平成十六年五月十二日法律第四十五号)
(目的)
第一条 この法律は、労働契約の存否その他の労働関係に関する事項について個々の労働者と事業主との間に生じた民事に関する紛争(以下「個別労働関係民事紛争」という。)に関し、裁判所において、裁判官及び労働関係に関する専門的な知識経験を有する者で組織する委員会が、当事者の申立てにより、事件を審理し、調停の成立による解決の見込みがある場合にはこれを試み、その解決に至らない場合には、労働審判(個別労働関係民事紛争について当事者間の権利関係を踏まえつつ事案の実情に即した解決をするために必要な審判をいう。以下同じ。)を行う手続(以下「労働審判手続」という。)を設けることにより、紛争の実情に即した迅速、適正かつ実効的な解決を図ることを目的とする。
(迅速な手続)
第十五条 労働審判委員会は、速やかに、当事者の陳述を聴いて争点及び証拠の整理をしなければならない。
2 労働審判手続においては、特別の事情がある場合を除き、三回以内の期日において、審理を終結しなければならない。
この制度では、申し立て後数ヶ月での解決が基本ですから、非常に簡易化されました。
4〜5年ほど前に経験した事件では、(労働組合のバックアップどころか)弁護士さえ代理に立てないで個人名での申し立てでした。
労組系の弁護活動の経験のない私自身も、依頼を受けて企業側や労働側での受任・交渉等が多くなり始めています。
私が今担当しているアルバイト?運転手の解雇無効事件も、労働審判制度を前提にした弁護士同士の交渉ですが、この種事件に労働組合の出る幕がありません。
非正規労働をなくせと言うスローガンよりは、その解雇が許されるかなど、イジメやサービス残業など具体的労働条件を巡る争いのバックアップの具体的行動が必要です。
労働組合を通さなくとも直接弁護士にアクセス出来るし、(組織的長期支援がなくとも)一般弁護士も簡単に事件を始められるので、労働組合の後ろ盾が不要になって来たのです。
この制度開始の結果、労働組合の地盤低下が始まったのではなく、型通りの闘争や政治活動中心の運動では、多種多様化してきつつある労働者の個別利益擁護が出来なくなって来たことが先にあったのです。
見かねて新たな制度を創設してみたところ、これが需要にあっていたので、大ヒットしたと言うべきでしょう。
以下は、2015年3月28日現在ネット検索した記事の引用です。
これを見ても労組の応援をバックにした従来型大型訴訟は、個々の労働者の権利擁護に役立っていなかったことが分ります。
「労働審判制度の創設と施行に向けた課題
季刊・労働者の権利256号(2004年10月発行)から転載
執筆担当 弁護士鵜飼良昭
「② 労働審判制度誕生の要因
「この労働審判制度は、労働側、経営側、裁判所間の越えがたいと見られた利害や意見の対立を止揚したものといえる。我が国では、西欧における労働参審制の歴史に比較して、世論の関心はまだまだ低く議論の蓄積も少ない。それは我が国社会の労働や法に対する価値基準の低さの反映でもある。このような状況下で、何故今回のコンセンサスが可能となったのであろうか。少なくともその背景として、この10数年来個別労働紛争が増大する一方で、企業内の労使による解決能力が低下し、多くの紛争が解決の手段を与えられず潜在化しているという認識や危機感の共通化があげられるであろう。経済のグローバル化や労働力の流動化等によって、雇用社会は多様な労働者で構成されるようになり、利害の対立や紛争が深刻なものとなっている。旧来型のシステムや企業内でしか通用しない慣行やルールによる対応は既に限界に達している。
この間、個別労働紛争の増大に対応して、地方労働局の相談・あっせん等の紛争解決システムも設けられてはきた。しかしこれらはいずれも、任意的調整的な解決機能しか持たない。どんなに法違反が明白で悪質なケースでも、一方当事者がノーと言えば強制はできないのである。従って、法の適正かつ実効的な実現を図るためには、紛争解決の要である裁判による解決の途が開かれなければならない。しかし我が国の労働裁判は3000件程度で、この10年間で3倍に増えたとはいっても、英独仏等の数十万に比して桁外れに少ない。この間、多くの労働者は泣き寝入りを強いられており、それは長い物には巻かれろという退嬰的な意識を社会に沈潜化させる源となっている。国民の大半によって構成されている雇用社会に、普遍的な法を行き渡らせることこそが、人々の自立を促し、我が国社会の活力やモラルを回復させる途であろう。この様な認識が、「自由と公正を核とする法が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくように」という司法制度改革の理念を受けて、労働審判制度を誕生させた大きな要因だということができる。」