弁護士会強制加入と地域独占打破

弁護士会が受け入れ拒否した場合、実慾で修習生を受入れないことが何らかの法令違反になるかどうか・・・実際にそこまで行くと収拾のつかない亀裂になってしまいますので、疑問を持っても法的決着をつける動きにならない・円満解決の道を探る動きになるのでしょう。
法曹三者の場合、信頼関係がないと実務運用に支障が出るので沖縄知事のようなことは出来ません。
(本当はトランプであれ、韓国であれ積み重ねて来た合意を目先の利益のために一方的に破棄するとそのときには不利な契約破棄は有利でしょうが長期的にはその後遺症に苦しむことになるのが普通です・・翁長知事は日本国全全体と沖縄との関係にしこりが残る・・長期的信頼関係重視のニッポン民族気質から考えれない行動ですので敢えて外国勢力のためにそれを狙っているかの疑いを抱く人が増える原因です)
政府としては750人に増やすとき以来(250人増やすのに3年ほどの時間を掛けています)全て手順を踏んで日弁連と真摯に協議し同意を得てやって来た・・執行部の同意だけではなく、弁護士会臨時総会決議を待って進めて来た経緯があります。
責任は当時これを受入れた日弁連執行部にある・・そのとき弁護士大増員の旗ふりをして来た中坊元会長が厳しい批判対象になっています・・。
大増員の間違いが明らかになって来たとは言え、日弁連の意向を尊重して協議を経て来た重みを守るべき・・方向性修正するには2015年5月に1500人と決めた場合と同じような有識者会議の議を経る・・会議進行を早める努力をする必要があるとしても・・と言うのが政府の基本姿勢でしょう。
当面の解決は別としても昨日紹介したように5年も前から法学部希望者段階から縮小している現実・・法律家全体の地盤低下が進んでいる現状を見れば、結果的に1500人規模のままでは国家体制が持たない・・さらなる削減方向へ進めるしかないと思われます。
この意味では、千葉県会長の投げかけたインパクトは(そのまま直ぐに実現が出来ないとしても)政治的に時宜を得たものとなる可能性があります。
(内部的には執行部経験者を中心に対外意見表明ルール・慣行違反と言う批判の声が大きく内部で意見が割れていますが・それと対外インパクトの大きさは別でしょう。)
日弁連も過去の経緯を踏まえると、更なる削減方向へ修正するしかないにしても段階を踏むべしと言う原則論になり、・・千葉県の要求の方向性で努力すると回答すれば千葉県も矛を収められます。
その場合、今年9月発表の合格者数が実際にどの程度減ったかが重要ですが、前年とほぼ変わらず→ほぼ同数の配属が来た段階で千葉県の主柱によれば、日弁連全体で1000人以上の受入れ拒否すべきだと言う主張になりそうですが、その主張に日弁連が乗れないときにどうするかです。
千葉だけでも拒否シテこれに合わせて(合格者がほぼ変わらないのに千葉県への配属だけへらす?)他所に回すとした場合、千葉の「我がまま?」で済むのか?他所の県からも同様の主張が出たらどうするかと言う問題もあるので、日弁連対千葉県だけの協議での落としどころが微妙です。
この話し合いがつかず、千葉県に従来通り多くの修習生を配置して来たときに、千葉県弁護士会がその内1定数だけ拒否する・・(あいうえお順に何名までなど機械的?)しかないのでしょうか?
ここまで行くと拒否された修習生は行くところがなくなり混乱する・・政府としては、何らかの法的措置を検討することになり兼ねません。
強制加入と自治の関係に戻りますと、千葉県弁護士会で言えば、私たち同期入会員でちょうど百人を突破したところでした。
法務省の統計によれば弁護士法施行時の1950年にはその約半分でしたから、権力に対抗するための弁護士活動をするには、地域で団結していないと弁護士の権力に対抗する弁護活動が制約・・守れなかったでしょう。
ところが、今ではどんなに小さな県でも会員が百人前後に達していますし、千葉県でさえも今や800人近い大人数を擁しています。
東京では1つの事務所で数百人を擁する事務所まである時代ですから、都道府県で1つの単位会(東京だけ現在3単位会ですが)しか認めない合理性がありません。
権力と戦うためにはある程度の応援・団結が必要なことは確かですが、交通通信の発達した現在都府県単位でなければならない必然性はありません。
ちょっとした事件で全国的な大弁護団が結成されることが珍しくない時代・・単位会で個別事件の応援団を結成する応援する必要がない時代です。
そもそも団結の必要性ならば、一定人数以上の会員があればどこにでも設立出来るようにすべきですし、交通・通信の発達している現在では地域で縛る必要もないでしょう。
同一地域内・隣接都府県で数百人規模の単位界が入り乱れていたならば、思想や意見が合わないときには単位会を変えても事務所を移転する必要がありません・・現に東京3会はそうなっています。
顧客・消費者にとっても同一地域内に思想行動様式の違う単位会がいくつもあれば、サービスの違いを比べれば良いので却って独占の弊害を防げます。
品質競争は懲戒で脅すよりは、利用者・国民の選択に任せるのが妥当です。
こう言う時代になると戦後弁護士数が少ないときに無理矢理に一致団結の必要から始まった地域独占制度や弱者保護のためのクォーター制のような優遇策が今でも必要かの疑問となります。
一定地域内事務所設置義務の根拠は、日常的移動範囲を超えた地域に複数事務所を持つと名義貸し・非弁活動の恩賞になる弊害がありましたが、今は弁護士数が多いのでそう言う弊害もほぼなくなって来ました。
核弁護士会で非弁チェック体制整備が進んでいる結果、戦後直ぐとは格段に違っています。
規制も社会の変化に合わせて行くべきです。
強制加入制度を直ぐにやめられないとしても道府県に単位会が1つと言う地域独占をやめるだけでも、多くの問題が解決するように思われます。
地域にいくつも単位会があって、例えば隣接都道府県のどこにでも加入出来る・・スキな会を選べれば、政治活動が許されるかどうかの議論の必要性が殆どなくなります。
弁護士会の政治活動が問題になっているのは、会員の政治信条反する行動が許されるかの問題ですから、11日紹介した高裁判決の結果、日弁連が何をしても良いかのような解釈をして、それぞれの単位会がどのような意見発表し運動しようとも、その主義主張に共鳴した人の集まり・自由に脱退出来るならば勝手です。
人口百万以下の小規模県では従来どおり1県に1つしか出来ないとしても隣接県に登録出来るようなれば大分緩和されます。
(隣接だけではなく関東や近畿で言えば地域内のどこに本拠のある単位会に入ってもいいなど・・)
顧客も通勤等の関係で自宅近くよりは隣接都府県の勤務先近くの弁護士に頼むことが多いのが実態です。
千葉県の住民の約半分以上は通勤の都合で都内の弁護士を依頼しているとおもわれます。
強制加入・施設に入った客が外に出て食べるには不便・・逃げられない・公的施設内等にある飲食施設が最初は独占の利益を受けますが、その内総じてサービスが低下し閑古鳥が鳴いていることが多いのと同じで・県単位で縛ることはないでしょう。
世の中で共産主義や社会党支持者が数%〜5%前後しかないのに、弁護士会構成員だけ百%の支持者であると言うのは会の政治意思の表現としては無理があります。
野党好きの人が多い傾向があるとしても6対4とか7対3ならばまだしも全員の名で野党系主張の政策に支持表明をしているのでは、却って内部実態に合っていないことが推測されます。
無理をしていると囚われの客・会員が逃げようともがき出すと、弁護士自治が内部から崩壊します。
ところで、日弁連や単位会が近年政治色を何故露骨に強化し始めたのでしょうか?
私が若手で公害対策委員だったときの経験では、はっきり共産党員を名乗る委員長であっても「そこまで書くのは弁護士会としては無理・個人的に運動するならば別だが・・」と言うような抑制する意見が普通でした。
ところが今では「弁護士会がそこまで言って良いの?」と言うような政治的露骨な意見表明が普通になって来ました。
憶測ですが背後で応援していたときには、自分から政治色を出す必要がなかったので鷹揚に構えていられたのですが、支持政党が衰退している・・国民が支持していないときに応援団が前面に出ることが多いのですが、却って政治色が目立ってきます。
応援団は応援に留まるべきで、選手に代わってグラウンドに出てプレーすべきではありません。
日教組その他政治色の強い労組から順に組織率が下がる一方になって久しい状態で、生き残っているのは強制加入の弁護士会だけ?なので余計ワル目立ちます。

弁護士会の自治と強制加入制2

入り口・・・戦後弁護士自治を考えるときには、自治などうるさく言わない企業でも採用は自前でやっています・・弁護士になる資格試験も自前で行うべきであったでしょうが、これを怠り強制加入制度だけ?に関心があったように見えます。
採用試験を自前でやるには体制不備・能力がなかったからと思われますが、必要性の意識・心意気さえあれば大学等とタイアップすれば何とかなる点は政府と同じです。
裁判官・検事と同じ試験と言う格上げに魅力を感じたからでしょうか?
資格試験・司法試験→司法修習終了試験・・法曹資格付与までを政府が行う制度ですが、大卒が応募しても企業が雇用する義務がないように弁護士会加入を拒否出来る権利があれば問題がありません。
千葉県弁護士会では登録申請があると常議員会の議決を経て日弁連に進達する仕組みですが、常議員会が有資格者であっても会員数が多くなり過ぎるからと言う理由で拒否出来ないようです。
企業の新人採用のようになんら根拠なく今年は何人までと言う制限が出来れば常議員会で議論の余地がありますが・・何らの裁量権もなく資格の事実確認だけ・資格があれば拒否出来ないならば、何のための審議議事項になっているのか?実際事務局の事前チェックでクリアーしていると言う説明だけで、それ以上踏み込んだ議論は殆どありません。
資格の有無は重要事項だから慎重審議するために形式上常議員会審議事項にしたと言うことでしょうか?
4〜5年前に千葉県では登録するに推薦人が必要と言う会内ルールに反して推薦人不足だったか、なしの申請に対して受理するかどうか事務局で迷った事案がありました。
法律上の要件がある限り拒否出来ない・・応じなければ最後は裁判まで出来る仕組みが出来ています・・最後は裁判所が決めるのですから、自治と言っても実は尻抜けです。
一般のそば屋八百屋・・どこの企業でも、大学でも研究会でも旅行仲間でもどう言う基準で仲間に入れるか・・採用や仲間に加えるかどうかの基準造りはその組織の自由ですが、弁護士会だけは仲間に入って来るのを拒めない一般組織よりも自由がないのに自治があると自慢しているのですから奇妙です。
懲戒権があると言っても弁護士会に限らずどこの企業でも組織である限り、内部規律のための懲戒制度があります。
民間企業内の懲戒との違いは不満があれば裁判して無効確認や損害賠償を求められ点が一見違うようですが、弁護士会の懲戒制度も最終決定権がなく不満があれば最後は高裁に訴えることが出来るので、地裁から始まるか高裁から始まるか程度の違いでしかありません。
政府から直截懲戒されないと言う点が画期的?かも知れませんが、普通の民間企業でも政府がある企業の部長や課長を降格させろと直截命令する権利がない点は変わりません。
民間団体か行政部内の下位組織扱いかの違いです。
弁護士は、戦前まで民間との区別がはっきりしなかったかも知れませんが、今の時代で考えれば民間団体に違いないのですから行政が直截指揮命令出来ないのは当たり前です。
弁護士会が入会を自由に拒否出来ない根拠法を見ておきましょう。
弁護士法
(昭和二十四年六月十日法律第二百五号)
(登録又は登録換えの請求の進達の拒絶)
第十二条  弁護士会は、弁護士会の秩序若しくは信用を害するおそれがある者又は次に掲げる場合に該当し弁護士の職務を行わせることがその適正を欠くおそれがある者について、資格審査会の議決に基づき、登録又は登録換えの請求の進達を拒絶することができる。
一  心身に故障があるとき。
二  第七条第三号に当たる者が、除名、業務禁止、登録の抹消又は免職の処分を受けた日から三年を経過して請求したとき。
2  登録又は登録換えの請求前一年以内に当該弁護士会の地域内において常時勤務を要する公務員であつた者で、その地域内において弁護士の職務を行わせることが特にその適正を欠くおそれがあるものについてもまた前項と同様とする。
3  弁護士会は、前二項の規定により請求の進達を拒絶する場合には、登録又は登録換えを請求した者に、速やかに、その旨及びその理由を書面により通知しなければならない。
4  弁護士会が登録又は登録換えの請求の進達を求められた後三箇月を経てもなお日本弁護士連合会にその進達をしないときは、その登録又は登録換えの請求をした者は、その登録又は登録換えの請求の進達を拒絶されたものとみなし、審査請求をすることができる。
上記のとおり登録拒絶された者は審査請求出来る上に最後は高裁に訴え提起出来る仕組み=上記法定理由がない限り高裁で負ける仕組みですから、企業のように「今年はいらない」と断れません。
資格試験が一杯ありますが、大卒、運転免許、医師、鑑定士などなど・・・資格者全員を企業が雇用する義務はありませんが、強制加入制度になった以上は、有資格者の登録拒否は認められない・・全員加入を認めるべきと言う制度設計になってしまったように思われます。
強制加入制にこだわった結果、却って変な制度を引き込んでしまったのではないでしょうか?
給与を払うわけじゃない・会員にするだけだから良いでしょうと言うことですが、政府がスキなように弁護士を増やして行くとどうなるでしょうか?
政府が合格者数を決めてしまえる・一方的に粗製濫造・合格者を増加されても弁護士会はこれを防ぐスベがありません。
需要無視で無茶苦茶合格者を増やして試験レベルを下げれば、たちまちレベルが下がる上に過当競争になるので、イキオイ不祥事が増え・・弁護士に対する社会の信用が損なわれます。
そこまで行かなくとも、食えない噂が広まれば職業としての人気が下がる・・優秀な人材が応募しなくリスクがあります。
層なると弁護士が反権力の姿勢を維持出来るのでしょうか?
不祥事が起きれば懲戒処分すれば良いと言っても、不祥事が増え過ぎると全体の信用が落ちますし、(犯罪がいくら増えてもドシドシ処罰すれば良いと言うのでは、国民が不安なのと同じです)もっと言えば、違法行為すれすれを規制すれば足りる時代からよりよいサービス競争になって来ると懲戒制度だけでは、国民の期待する品質・・信頼を弁護士会は維持出来ません。
昨日紹介したように、弁護士自治のために弁護士の品質保持のための懲戒制度が必須と頑張ってそのためには全員加入していないと、懲戒の実が上がらないと言うことから、強制加入制度を要求したようですが、国民の信頼・需要は時代によって変わる・・悪いことさえしなければ良いのではなく、今では品質が重要です。
飲食業で言えば食うや食わずのときには、食中毒にさえならなければ良い・保健所の衛生検査・規制で良いのでしょうが、豊かになると食中毒を出さないのは最低レベルの基準であって、よりおいしいか・見た目や店内雰囲気やサービス満足度など多様な基準がより重要になりますが、この差は保健所規制・・強制に馴染みません。
飢えに苦しみ品質よりも量が重要なときに共産主義・規制主義が合理的だったかも知れませんが、よりおいしいものが欲しくなると自由主義社会の方が可能性があります。

弁護士会・強制加入の必要性があるか?1

公式弁護士会に対抗する集団結成のコスト負担が新集団結成の妨害・抑制にはなるでしょうが、不満者が増えればいつかは反対組織が生まれて来るでしょう。
そうなると自分たちの集団も公式の単位会として認めろ=「会費の二重払いは御免」と言う運動に発展して行きます。
結果的に「一定数以上の会員が集まれば別の単位会を作る自由を認めろ」となり、将来的には強制加入制度が空洞化して行くリスクを孕んでいます。
一旦この動きが始まってしまうと外部勢力を巻き込む結果、会内だけでは収拾がつかなくなりますから、主流派がそこまで追い込まない自制心が必須です。
ここで弁護士自治の制度的担保とされている強制加入制度について、思いつき的ですが検討してみたいと思います。
弁護士は人権擁護が主目的ですが、多くは社会の少数派・ひいては社会多数から指弾されている人・権力から迫害される人をそれでも弁護するのが本質的立ち位置です。
その極端な場合・犯罪者とされている場合でもその人の立場になって耳を傾けてみる・・被告人は気がつかついていないが弁護士の立場で調査してみると色な証拠が出て来て無罪のこともあるし、有罪には違いないが、相手にかなりの落ち度がある場合の外社会制度に問題がある場合など、いろんな隠れた事情があります。
社会から圧迫されている人の極端な場合である刑事被告人まで行かなくとも、その前段階で村八分のような人権侵害を受けている人もいます。
こう言う人の立場になって弁護するのは、その弁護士まで一緒に非難される危険があってとても勇気がいるものです。
「勇気があるからこそ弁護士になっているのでしょう」と言えば簡単ですが、やはり人間の強さには限界があるので支えあい励ましあう仲間が必要です。
難病その他困った人たちの支えあう会が有効なのと根が同じです。 
弁護士数が増えて行くに連れて同業者内意見交換的グループが発生してその内地域別・・全国組織に発展して行ったと推測することが一般的に可能です。
ただ、一般的歴史を見ると前近代・・ギルド制度の延長で、権力支配貫徹のために許可を受けた者しか業界参入を認めない・・許認可・強制加入制度は弁護士会に留まらず、全ての業界を通じて元々政府による統制支配の道具でした。
弁護士会も例外ではなく、多分司法省の監督権があって監督便宜のために強制加入になっていたのです。
職権処分も出来る睨みを利かしながら各種業界内で自主的処分をさせて(異議申立権を与えて監督官庁の最終処分にする)間接統治するのが近世以降統治の普通形態でした。
例えば今でもヤクザと警察のなれ合いがトキに問題になりますが、暴力団組織を完全に粉砕して全員一匹オオカミ状態になると情報収集が極めて困難になります。
「・・そこまでやると黙ってない・・兎も角これだけの事件をやった以上は、シラを切っていると組織壊滅までやりますよ・・」と言う脅しが利かなくなる・・これが良いか悪いかの議論は別とてこうして取締側も何とか格好がついている場面があります。
組織の方は「あいつははぐれ者で大分前から組織を抜けているので・・」と逃げを打っても・・それなりの人脈がある筈だからかそこを組織の力で探し出してくれと言う「脅し」が入ります。
これが捜査能力の低い天領中心に幕末各地で顔役・・侠客が成長して博徒など違法集団の二足のわらじがはびこった背景です。
想像は別として、権力統制・・各種業界に張り巡らされた強制加入制度を戦後民主化のためにGHQがドンドン破壊して行く中で、弁護士会(だけ?)に何故強制加入制度が残ったのか?逆張りの関心になって来ます。
弁護士会の論理によれば、自治が貫徹されれば、政府統制の害がなくなるから強制加入を制を残しても非民主的にならない・・という存続要請論理は戦前の強制加入制度存続のための論理です。
政府による統制のためにあった強制加入制度を「自治に必要だから」と存続運動して成功し、今も強制加入制度こそ自治の本丸・死守すべき制度と言うのですが、元々政府による統制のためにあった制度の存続によって、残っている制度だと知っておく必要があるでしょう。
戦後弁護士自治が始まったばかりの弱いときに、任意加入になると組織に人が集まらない・・自治が維持出来ないと言う弱みがあったのかも知れません。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/statistics/data/white_paper/2015/1-1-1_danjo_nenrei_suii_2015.pdfのデータによると1950年で全国5827人です。
私の登録した1974年では、9830人ですから、1950年から約二倍に増えています。
私が1974年に千葉県弁護士会に入会したときに私たち新規会員をプラスして漸く100人を超えた記念すべき年でしたが、その前・・約1年半実務修習していた栃木県弁護士会では、会員数が全県下で40人前後の印象(お客様・・お世話になっていただけでしたので詳しい数字までは知りません)でした。
50年比で約二倍になっていると言うことは、50年ころには、栃木県・・多くの地方県では20人前後〜終戦直後ではもっと少なかったでしょうから、自由参加では組織体にならない・・全県一区の単位会強制が必要であったことが想像出来ます。
以下はhttp://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-988.htmlの引用です。
GHQの・・「リーガルセクションは、当初、強制加入を「好ましくない」とし、さらに日弁連会員が、弁護士会と個人弁護士であるという二重構造の必要性も疑問視したとされています。これに対し、水野東太郎や柴田武は、次のような論法で説得したといいます。
 ① 強制加入を認めないと、少なくとも刑罰に至らない程度の非行の責任や弁護士一般の信用を害する行為の責任追及を断念するか、他の機関に委ねなければならない。このことは、せっかく確立した弁護士会の自由独立を捨てるか、弁護士一般の信用の危殆を傍観するしかないことになる。
 ② 弁護士会が官庁の指揮監督を離れ、独立自由を獲得するために強制加入があり、これによって団体自治が確立され、真の法的自治ができる。
 ③ 日弁連への二重加入は、弁護士に対する懲戒手続きを各地の弁護士会が追行しない場合、日弁連が直接懲戒する必要が生じるためである。(第二東京弁護士会「弁護士自治の研究」) 
上記は書いた人の要約ですから正しいかどうか分りませんが、主張の中核が弁護士一般の信用を害する者に対して懲戒処分・統制が利かない→品質保持出来ないと弁護士に対する信用が崩れ、ひいては自治が維持出来ないと言う点にあるようです。
弁護士会の自治の必要性を自明の前提として根拠を書いていませんが、自治を維持するには(選挙等による確認によらないとしても)国民の弁護士全体に対する信頼・支持が必要と言う趣旨でしょう。
この論理から言うと入って来た後の弁護士の品質チェックには自治・自主的懲戒処分権があるだけで、加入を認める入口での資格チェック権がないと一貫しません。
権力に楯突く弁護士などは少ない方が良い・・試験を余程の秀才でないと合格出来ない・・厳しくして弁護士を出来るだけ少なくする政策の場合、弁護士会側からすれば入り口の品質保証は問題になっていなかったように思われます。
強制加入制存続要望の本音は、任意加入だと人数が少な過ぎて「発言力のある団体」にならない心配が中心だったからではないでしょうか?
反権力になり易い弁護士は少ない法が良い・・立派な資格だから厳重なテストが必須として合格者を絞って来ましたが、その結果却って弁護士に対する信用が上がります。
そこで、これを逆張り的発想で政府が弁護士の品質劣化を招くために資格試験を易しくして大量供給すればどうなるかの実験をしたのが平成の大量供給政策でした。

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