奥田愛基氏意見4(議員である前に個人?2)

革新系野党の候補者はどちらかといえば党中央の決めた落下傘候補らしく見え、地元でシコシコと票を稼ぐ人材に頼らない傾向が強いのは、党中央のイデオロギーの強化戦略性が強いからでしょうか?
党中央指名による?と結果的に弁の立つ医師弁護士学者等高学歴者を表に立てる傾向になる素地でしょうか?
民主主義社会における説得力とは、自分の主張に拘る人よりも選挙民の気持ちもよく聞いてくれるしこの人の言うことなら任せて見ようかとなる信頼される人格です。
革新系野党の候補者はどちらかといえば党中央の決めた落下傘候補で、地元でシコシコと票を稼ぐ人材に頼らない傾向が強いのは、党中央のイデオロギーの強化戦略性が強いからでしょうか?
民主国家においては誰が信頼に足る人かを決めるのは、選挙区内で身近に知る人が民意を吸収するその道のプロとして、国政を委ねるに足る人として投票し、代議士の集積した国会でさらにプロ同士の目で見た信頼に足る人を選出するのが議院内閣制の醍醐味です。
直接選出の大統領制の場合、国民99、99%がその人を直接知らないで投票を迫られるので、マスメデイアの露出度・メデイア人気・報道(フェイクニュース)次第で決まる傾向があり、メデイアの作り出した虚像・人気度が地元選出代議士の代わりになりかねません。
この結果メデイアを第四の権力という呼称が生まれてきたことになります。
革新系野党はメデイア受けする人材発掘に熱心ですし、メデイアと親和性が高いのは、一つには党中央支配が強く地元支持基盤構築に関心が低い面と繋がっているのかもしれません。
選挙区選挙を通り抜けてきた政治家は、民意を体で感じ取る能力と付託された民意を実現するに足る説得力に長けた人であるとの地元お墨付きを得ているその道のプロというべきです。
名門高校や大学に入学できて有頂天になってダメになる学生がいないとは限りませんが、多くは合格認定に恥じないようになお一層励みます。
学生は遊んでいてもすぐに除籍されませんし、被雇用者の場合も仕事が上手くいかなくともすぐ解雇になりませんが、政治家は次の選挙で(小選挙区の場合2番では落ちます)落選失職ですが、営業マンに例えれば、地区営業成績ナンバー2であれば、直ちに失職する厳しい採点を受ける職業です。
保守系政治家の場合、一種の自営業的選挙ですので小選挙区の衆議院議員は制度的に民意吸収に敏感であり、それに沿うように一生懸命に働かない限り次がない厳しい職務です。
党中央指名で、しかも支持基盤が党員だけの岩盤の選挙をしている場合、地元民意吸収より党員集会や支持労組ご機嫌伺い回りが重要業務になりますので大きな違いです。
どちらが民主主義国家の代議士の選出方法のあるべき姿として正道か、邪道かは明らかです。
こういう厳しい制度バックのある保守系政治家と違い、民意支持の裏付けもない彼が、国民過半数の反対といい、それを認めない政治家を政治家になる前の個人の方がマシと言う意味?で「個人に戻れ」というのは、(当選してレベルが下がったと言うのか?)無礼というか、小さな子供が「お前の母さんデベソ」といっている程度の意味しかないでしょう。
職業人としての国会議員に戻りますと、民意吸収のプロとして地元の人望を受けて国会審議に参加している以上、その信頼に応える義務があります。
職人に限らず金融商品販売員、不動産屋従業員もデパート店員も寿司屋もラーメン屋もそれぞれの道のプロとして商品提供する以上は、相応の職務能力を発揮すべきで「素人でした」では済みません。
車の運転でさえ免許を持って運転する以上は、免許取得前の運動能力レベルとは違った交通ルールに従った運転が要求されます。
一定の職務につく以上は、天然自然の能力をそのまま出すのではなく、職業的規格によって修正された職務能力を発揮すべき義務があります。
その職務を離れた家庭や旅先での言動との違いです。
国会審議行為は、代議士として国民の負託を実現する職務行為ですので代議士としての国民負託を離れ個人感情で勝手に言動する自由がある筈がありません。
あるラーメンチェーン店の店主に組織と関係ない好きなラーメンを作れと言ってるようなのものです。
民主党連立政権に参加していた福島瑞穂氏が辺野古移設閣議決定に応じなかったのは、社民党の代表としての言動である以上与党連立政権関係に直結する効果を含め党内熟議を経た上の言動であったはずです。
奥田氏の主張を見ると共産党の基本体質を前提すれば、(中央の指導より民意を重視すべきという)成り立つ意見を自民党政治家に講釈を垂れている印象です。
若いので民主主義政治の仕組みや社会常識.実態を知らないのは当然だ・・内容が未熟すぎるとの批判はおかしいと言う意見もあるでしょうが、社会の基本的あり方すら知らない未熟者を推薦した野党の責任はどうなるかとなります。
閣僚が無能すぎるという批判に対して、A大臣はまだ10歳だ、その割によくやっているという弁護が成り立つのでしょうか?
一定の役割を担当するのに適任として選任すれば、年齢性別、家族関係や身体能力いかんにかかわらず、その職務を果たす能力があるべきで、大臣の不祥事がある都度総理の任命責任を野党やメデイアがしょっちゅう追及してきたのはこの論理によります。
野党推薦である以上、野党の主張レベルと見られるのは覚悟の上の推薦というべきでしょう。

奥田愛基氏意見4(議員である前に個人?1)

世の中を知らないものに、自分の思い込みを国民大多数の声かのように僭称されると、勝手に俺たちを代表するな!と却って不満を持つ人が増えるので、旧民主党系野党の支持率低下につながっているように見えます。
奥田氏の国会発言続きです。

・・・どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください

安保法反対の合理的理由を言えずに、国会議員に対して議員である前に個として勇気をもって行動せよという主張ですが、これを読むといかにも与党議員は党決定は正義に反すると思っているが、世俗の義理で党決定にそむけないで内心苦しんでいるかのようなレトリックです。
安保法案反対の合理的理由を述べずにいきなり、このような前提を置くこと自体、唐突ですが、そもそも議員は個人として国会に出席しているのではありません。
議員は選挙による付託に応じて行動すべき公人として国会審議に参加しているので、国政職務を行うについて付託を無視した「私」の発露で職務遂行して良いはずがありません。
与党議員は与党の政策主張や与党実績を信用した国民の負託によって当選したもので、個人の実績だけで当選したものではありません。
大手メデイアは競って、政党や内閣支持率を調査発表しているのは有権者が、議員個人の人格要素プラス党の政策やそれを実行し体現する内閣の実務能力を重要指標とする人が多いことを前堤にしています。
個人の自己実現行為として私的空間で何をしようと勝手ですが(私的会合の発言でも失言として厳しく追及するのが大手メデイアです)、組織に属し、組織の一員として行動するときにはそに立場での言動が求められます。
表現の自由があるからといつでも何を言っても良いのではありません・・例えばいじめ事件があったときに担任の教師が日頃教育に関する個人信念があったとしても、その場で言って良いことと悪いことがあるといえば分かり良い良いでしょう。
一歩世間に出れば、各種商店店員は個人の立場/私を離れて勤務先の職務に応じて(個人として言いたいことがあってもぐっとこらえて)顧客に接しています。
コンビニアルバイトでさえその程度のことはわきまえています。
各種企業営業マンあるいは幹部社員も社長も公務員も皆属する職務に応じて言葉を選らんで発言しています。
民主党内閣で沖縄の辺野古移設の閣議決定に参加した閣僚・政治家が、「政治家である前に個人であれ!」という標語で覆すと人間としての信用に関わります。
そもそも組織に対する個人の個とは何かですが、政治家になる前の個ならば良くて政治家になるとその前に形成してきた「個」より劣化するかのような区別の仕方です。
特定個人標的ならばそういう人もありかな?と考える余地がありますが、目の前に出席している政治家全員に対する主張とすれば異常です。
人も動物も草木も生を享けた瞬間から生きる知恵を徐々につけて成長して個性が育つものです。
親子だけの環境〜幼稚園・保育園〜小中〜高校大学で集団内で生きる知恵を習い、道路を歩き人と出会い買い物したりする生活経験を経て身につける知恵も、社会人として企業や組織に入って組織の知恵をつけて行くのもそれぞれ知恵をつけるステージの一つです。
組織人(一匹オオカミ的イメージの学者も弁護士もアスリートもその業界に身を置くことによって業界ルールを身につけます)として訓練によって得た知恵をもとに同業者や顧客と接することによる(消費者の立場では見えない)新たな地平の知恵が生じます。
人も動植物も日々の経験に基づき生きる術を身につけて行く・・今日の個性は昨日の個性と同じとは限らないその間にどのような体験をするかによって人の個性は変わって行きます。
怠惰な生活ヤクザな生活をしていても、怠惰な生活習慣によって出来上がる個性があります。
人生で遭遇するプラスマイナスの経験が混ぜ合わされて個性を作って行くのでしょう。
国会で目の前にいる政治家とは国会議員をいうものでしょうが、奥田氏の考えの基礎には、政治家になる前には人の意見をよく聞く善良な個性が、選挙で当選して国会議員=政治家となるとその資質が落ちてしまうという画一的ランクづけがあるようです。
しかし、国会議員は国民の支持を受けて当選したものですから、国民総意=民意に沿うように行動すべきですから、むしろそうした能力があると国民によって認定された資格者というべきです。
弁護士や医師あるいはプロスポーツマン料理人、営業マンその他全ての分野で、その資格を得てから更に精進して腕を上げていくのが大多数・・・ルート配送、ごみ収集、清掃業務でも、見習い時により独り立ちしてからの方が仕事がよくできるのが原則です。
これが年功による給与や処遇アップ等の制度前提でしょう。
公職選挙法による選挙を経て政治家になれる資質は、自己主張にすぐれた(とんがった)学者や芸術家とは求められる資質が違っています。
共産主義社会・・これを理想とする?革新系政治家の説得力とは一方的にまくし立て有無を言わさず押し付けるイメージです。
(それでも応じない人はソ連のように粛清・強制収容所に入れて学習させる・いわゆる洗脳教育・中国の場合、文化大革命時の下放が知られ、現在では、ウイグル族を強制収容所に入れているのは教育中?と主張していますが・・)

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