国際経済秩序3(裁判制度の信頼性2)

大津事件以降英国が金子堅太郎を公法学会会員にしたりして、法律家の間に条約改正に必要な資料配布等のアドバイスを繰り返して前向きになって行ったことが、地道な原動力になっていたことが分ります。
法律家を通じた信頼関係がこの後の日英同盟の基礎になって行き、日本は欧米の治外法権を強制されている反独立国から独立国へ、更には日清/日露戦争を経て強国へと脱皮できた基礎でした。
治外法権等を撤廃した日英通商航海条約が1894年7月16日で、そのわずか半月後には自信を持った日本は日清戦争開戦→強国への道を歩むことになったのです。
ローマは一日にしてならずと言いますが、明治の条約改正実現も地道な人材育成努力と政治交渉の総合力で獲得したものでした。
政治家の努力もさることながら裁判実績で先進国の信頼を受けるようになって行った・・今で言えば中小部品企業や個々の企業人の一人一人の誠実さが、日本経済や日本人の信用を支えているのと似ています・・。
今では後進国の裁判制度が信用できなくとも、露骨な差別・不平等条約の強制が許されないので、先進国は賄賂や政府の意向でどうにでもなる後進国政府相手に法治主義ではなく人治主義だと揶揄しながら対応に苦労しているのが現状です。
韓国や中国が政治の思惑次第で国際条約無視の裁判・・条約で権利放棄したのに裁判の蒸し返しを堂々と行うようになると「どこの裁判所でも良いでしょう」とは言えないことが分ります。
TPPの裁判管轄の取り決め条項がTPP批判論根拠の1つになっていますが、TPPで裁判ルールまで決めようとしているのは、不透明な後進国での裁判排除・・裁判ルールの共通化を狙っているのかも知れません。
将来国際的に裁判官の公平・均一能力が保障されるようになったとしても、国際間の場合距離コストも大きなハードルですが、言語能力差による有利不利が大きいので、管轄の決まりは実際に大きな意味があります。
契約時の合意が優先されるようになると、大企業・・先進国優位の裁判管轄になり易いのが難点です。
日本国内で言えば、消費者は大企業の決めた長文の印刷された約款に反抗できずに(殆ど読まずに)署名して(読んでもそこだけ反対だから携帯や電子レンジを買わないとは言えないで)購入しているのが現状です。
TPP参加してもしなくとも現在既にどんな契約でも、国際間でもめ事があればどこかの国で裁判をする体制になっています。
TPPの裁判条項だけ取り立ててアメリカで裁判されてしまうのは大変だと大騒ぎしているのは、ちょっと乱暴・・反対のための反対論と言うべきかも知れません。
国際裁判システムの合理化・・国益を守るには、外国での裁判では不利だという感情論では解決で来ません。
何でもアメリカの陰謀というアメリカ支配に反する勢力は、アメリカで裁判されたら大変だと煽ってTPP反対論を展開します。
明治の条約改正運動の下地になった裁判制度・公平な裁判官や法律実務家の養成に努力した結果、奏功したのを参考にすべきです。
日本企業の海外進出は当たり前の時代ですし、個人でもネットで気楽に海外に注文する時代ですから、国際的な法律問題を抱える時代は目の前に来ています。
子供の養育連れ去りに関すンルハーグ条約が批准されたことを紹介しましたが、誰もが関係者になる時代です。
今後は国際的裁判紛争が増える一方であることは明らかですから、これを忌避しているのでは国際化の進運に乗り遅れること必定です。
国際的訴訟専門家の養成(外国語である程度渡り合える法律家を一定程度養成すべきです)や制度努力を待つ・・すりあわせて行くべきで、我が国にとってTPP交渉参加の功罪とは別の喫緊の研究・政治課題であるべきです。
国際的な会計基準や金融ルール等の策定を見れば分るように、ソフトやルールの統一は冷静な議論の結果ですので、中国の武力による威嚇は意味を持たずに、経験豊富な先進国有利な体勢になり勝ちです。
訴訟に関する国際ルールが策定されることは、日本は先進国の一員として合理化によって得する場合の方が多いと考えられます。
世界の活動をピラミッド型に喩えれば、日本はピラミッドの頂点グループに入っている筈です。

国際経済秩序2(裁判制度の信頼性1)

国際間紛争になると相手の国での裁判では不公平な裁判を受けるのではないかと心配するのが普通です。
まだ国際間の信頼が低いからでしょう。
個人・人間の智恵では進化している筈ですが、民族・集団とか国家の利害が絡むと信頼できなくなるのです。
国際間の管轄になると後進国の場合、裁判所の独立・・合理化が保障されない恐れが高いので、歴史的には一種の治外法権が要求されてきました。
島津久光による生麦事件があって、「切り捨て御免の法制度だ」と開き直られるのでは納得できない欧米の論理や裁判制度が確立されていないので公平な裁判が期待できないことが幕末の不平等条約の基礎となりました。
内外の制度上の格差が治外法権に繋がったので、明治政府は当初から司法制度の整備に努力し、その成果をアッピールして条約改正に苦労しました。
明治初期からの法制度の整備についてはボワソナード教授の招聘等で、精力的に法典編纂を進めた経緯については、07/29/05「明治以降の刑事関係法の歴史3(清律3)」以前後から08/31/06「刑事関係法(実体法)の歴史16(旧刑法2)」あたりまで連載しています。
明治政府が先ず刑事方面の整備や裁判官の養成を始めたのは、こうした流れの一環でした。
欧米の要求があって、裁判は政府から独立していなければならないと叩き込まれて教育されて来た結果がそのとおりに出たのが、児島大審院長によるいわゆるロシア皇太子襲撃事件の裁判でした。
当時日本とロシアとの緊迫した状況下にあって、(緊迫下では当然国内右翼が・跳ねっ返りが発生します)折角親善のために日本を訪問した皇太子が1891年5月襲撃されたので、この処理を誤ると日露関係が決定的破局になるという恐れから、政府は皇族に対する罪と同様の厳重処刑・死刑を求めていました。
大審院は、政府の圧力をはねのけてロシア皇太子は天皇一族ではないと言う法理論どおりに一般の傷害事件として処理したのです。
後にオーストリア皇太子に向けられたサラエボの一発が第一次世界大戦の切っ掛けになったのですが、同様の先駆例が日露間であったのですが、日本では即時戦争に結びつかないようにうまく処理しました。
南下策として朝鮮を狙っていたロシアと朝鮮がロシアの支配下になると日本の国防上危険とする日本は、当時お互い強い警戒・牽制関係にありましたが、まだ日露間は決定的に悪化していなかったことも幸いしたでしょう。
これが有名な司法権の独立を守った大津事件ですが、中国や韓国の場合、戦争前のことは全て今まで国際条約で解決済みとして来たのに、日中、日韓が険悪になるとイキナリ日本企業に対する裁判を始めて韓国の場合その主張を認めました。
政府の意向を受けて裁判しているのは見え見えなのに、司法と政府は別だとうまく?使い分けているのですから困ったものです。
日本の大津事件の場合、目先の国益に反するかどうかはなく、本当に司法の論理のみで裁いた事件でした。
その場の短期的国益・ロシアとの険悪化を避けたい当時の国益を見れば、司法が政治におもねるべきだったでしょうが、ココで政治や国民世論をはねつけて凛とした裁判をしたことが、日本司法に対する国際評価を定めてこれが日本の遺産になっています。
現在アメリカの人種間紛争の裁判では、日系人判事が一番信頼されていると言われていることにも繋がります。
この後で書いて行きますが、先人の遺産(スターリンの北方領土占領と李承晩の竹島占領・北朝鮮の拉致事件、鄧小平以来続けた反日教育)が中ロ韓では現在政治にマイナスになっているのとの違いです。
この毅然とした判決が先進国で高評価されて、(シベリア鉄道着工によるロシアのアジア浸透に対抗する英国の政治的意味が背後にあったのは当然ですが・・)直ぐに最強硬派だった英国自身が欧米の条約改正機運を主導して行きます。

欧米の植民地政策と留学制度1

インドネシアその他同様にビルマ独立軍も日本軍進出に触発されて結成されたものですが、ビルマ独立運動の結果イギリス軍を追い出した以上は当初は軍事政権であるのはどこでも同じです。
日本でも豊臣や徳川政権は軍事統一した以上は政権樹立当初は軍事政権ですが、時間の経過によって文治政治に変わって行くべきものです。
独立軍=軍事政権を理由にして欧米は世界中からビルマ→ミャンマーを孤立させる政策を何十年もしてきました。
どこの国でも独立戦争をして成立したばかりは、軍事政権しかないのが当然ですし、(韓国もどこでもそうでした)実際に世界中に軍事政権が一杯あったのに、ビルマに限って軍事政権・非民主国という理由だけで今の北朝鮮やイランのように経済封鎖して来たのは、ひとえに報復を狙うイギリスの意趣返しにかかっていたと見るのが普通です。
そのクサビ・尖兵・トロイの馬となって来たのが、欧米マスコミで賞讃される民主運動家と称するアウンサンスーチー女史の役割だったと解釈出来ます。
彼女は民主化の旗手として欧米マスコミがはやし立てヒーローであるかのように振る舞って来た結果、彼女を軟禁しているミャンマー政府を世界の孤児に陥れて・・制裁を続けてきました。
中国が民主活動家を拘束してもアメリカは非難するだけで経済制裁はしません。
米英から世界の除け者にされると、北朝鮮もイランもパキスタンも除け者同士の相互関係・除け者の大親分である中国を頼るしかない状態が続いていましたが、中国がココ10年ばかり次第に力をつけて来ると中国側に追いやっていると危険になって来ました。
最近になって、アメリカがミャンマー経済封鎖を緩め始めたのは、アメリカ国力の低下によって、イギリスの意地にアメリカがつき合い切れなくなってきたからです。
そこで、何らかの口実を設けてミャンマーへの経済封鎖を緩め始めるしかなくなった結果と理解出来ます。
勿論、留学→婚姻関係成立による籠絡がいつもうまく行くとは限りません。
家康を人質に取って縁戚をめとらせた今川が没落しましたし、現在のシリアの混乱は旧宗主国フランス人妻と婚姻させて取り込んだつもりが、フランスの思うとおりに行かなかった例でしょうか?
我が国の占領政治・・一種のアメリカによる植民地支配に戻ります。
戦後数十年間は、(日本には部族長や貴族がいないので)フルブライト等で選抜されてアメリカに留学出来た人は一様にアメリカの豊かな生活を紹介し(自分が知っているという自慢を兼ねて)こんな巨大な国相手に戦った日本がバカだったというステレオタイプの意見ばかり紹介している時代が最近まで続きました。
勿論彼らは留学したことによる自分のアメリカにおける人脈の豊富さをひけらかすのは・・上記植民地部族長の子弟が留学したことによって宗主国貴族と交わって知り合いがいると自慢してるのと同じです。
まさにリークアンユーの書いていたとおりに、アメリカが英仏欄等の植民地支配の永続化政策の現在版をそのまま実施していたし、・・招聘された彼らはアメリカには叶わないという諦め・・日本に帰ってからアメリカの宣伝活動にいそしむ道具に利用されていたことになります。
我が国の場合、そんなに日本よりも優れているならばこれを学んで日本の技術にしてしまおうとする意欲が古代から旺盛ですから、最新技術や経営思想を積極的に取り入れてしまい、戦後の高度成長の原動力になって半永久支配を目論んだアメリカは裏をかかれてしまいます。
今になるとアメリカは、善意で日本の優秀な若者を招聘してやったと言うよりほかないでしょう・・日本もそれで良いのですが、植民地支配の歴史・・一般的傾向で言えば留学とはこういう目的があったということを書いています。
明治維新のときの日本の留学生は、政府から資金が出たとは言え、植民地の豪族子弟の留学とは違い、貴族と交流してパーテイばかりしているような贅沢な(そこまでのお金は出ません)ものではなく、現在の留学生同様に寝る間も惜しんで勉学にいそしみ日本へ新知識・技術を持ち帰るのが目的でしたから、貴族との交流を自慢するばかりの人ではいなく、みんな日本の近代化に役立った点が東南アジアや中国等々とは違っています。

最低賃金制度と社会保障2

次世代が苦しいとは言っても、親の家に居候していたり親から家賃・ローン援助してもらったり車を買って貰ったりしているなど、孫の学費等を親世代が出すなど生活費がそれほどかかっていない次世代が多いので、(次世代が損をしているどころの話ではありません)統計で見るほど生活が苦しい人が多い訳ではありません。
都市住民2〜3世と1世(地方出身者)との格差問題については、これまで何回か書いてきましたが、最近では、November 7, 2011「利子・配当収入(鉱物資源)で生活する社会1」で都市住民2世3世の格差問題をテーマに書いたことがあります。
ジニ係数・相対的貧困率のコラムで書いたことがありますが、彼らはアルバイト収入等で10万円あまりしかなくとも親の家に居候していて生活費もマトモに入れないでほぼ全額小遣いになっている場合、貧困どころではありません。
あるいは別居していてもアパート代金を親に払ってもらったり、渋谷近くのマンションを買い与えてもらっている若者も結構います。
大分前から2所帯住宅の建設が盛んですし、投資用兼息子や娘用の都内マンションの売り込み(勧誘)がしょっ中あるのは、こうした実態を表しています。
5〜6年前に渋谷近辺のマンションを購入したところ、事前説明に反して殆ど日が当たらないということで裁判したことがありますが、その事件は千葉に住む経営者が都内勤務の娘用に購入したものでした。
都市住民2世〜3世だけに限定せずに社会保障として(親の援助の少ない)1世も含めた政策としては、住居、教育、衣料・医療その他の基礎生活コストを(国費で負担して)下げてやり、その代わり賃金を新興国と競争出来るように下げるかどうかは市場に委ねた方が合理的です。
日本人が日本人であると言うだけで労働能力如何によらずに新興国の人たちの10倍の生活水準を維持するためには、給与を新興国と同額になるまで市場原理に任せて差額の9倍分は国民全員の過去の蓄積(利子配当等)による収入で賄うかどうかは民意(政治)で決めれば良いことです。
日本の利子配当収入(国際収支で言えば所得収支・個人で言えば家賃収入等)から上記差額を賄う資金として10倍分以上あるならば差額9倍まで面倒見れば良いし、仮に8倍分しかないのとすれば、その範囲で生活保障・支給するしかありません。
利子配当収入以上補助すると国際収支・・個人で言えば利子配当や家賃収入以上の生活をすれば家計が赤字になりますので、収支トントンを限度に支給基準を決めて行くのが健全です。
中国と比較して約10倍の給与水準をそのままに(現状を前提に)国家が賃金決定を強制していると企業の海外転出が進む一方ですが、これを放置して失業者を増やして生活保障している現在の政策は愚策そのものです。
給与が新興国並みに下がるかどうかについては市場原理に委ねて、その代わり市場原理の結果生活費不足分については体力(国際収支の黒字あるいは対外純債権)のあるうちに社会保障給付して行けば日本経済の持続性が期待できます。
給与を例えば中国の10倍のママで放置し、あるいは国際競争による市場原理で給与が下がるのを最低賃金等政治の力で縛って高止まりさせていると、国内産業がジリ貧の結果、貿易赤字国になってしまい(既に始まっています)、対外純債権の取り崩しが始まる結果、海外展開加速による雇用減→失業給付や生活保障金さえ出す体力がなくなって行きます。
国際相場より高い賃金=その差額を国民に保障してやるべきだと政治が決めるならば、その資金は企業負担にさせないで、企業の問題は企業の競争力に任せる・・政府が差額資金を負担べきです。
差額資金の出所を国債に頼ると財政赤字が膨らんでしまうのをどうするかの議論になります。
財政赤字はそれ自体に意味がなく、上記のとおり国際収支の範囲内であればコップの中の嵐でしかなく、何の問題もないことを2012/08/05「マインドコントロール4(財政赤字→増税論)」その他で書きました。
社会保障負担の充実によって企業が新興国との賃金格差に悩むことがなくなれば、企業の国際競争力がついて、輸出産業が海外転出しないで済むでしょうから、国内雇用の維持・技術力の維持が図れます。
国際賃金水準との差額を生活保障によって賃金面での国際競争力が回復すれば、海外進出が止まり貿易赤字体質から脱却出来るし、税収も上がるのでその内財政赤字も解消に向かうでしょうし、万々歳というところです。
何らかの不合理な政治圧力がない限り市場原理に委ねれば国際相場に下がる筈ですから、賃金を下げても国際競争力がつかないことは論理的にはあり得ない事態ですが、そこに至るまでの間ジリジリと国際収支が赤字になって行きますので、対等な人件費になるまでの注入資金が必要です。
注入すべき資金蓄積のある間に賃金面での競争力回復をしないと大変なことになりますが、蓄積が足りなくなれば生活保護基準を中国の10倍から8〜6倍と下げて行くしかないでしょう。
その視点から言えば、国際収支の黒字(貿易収支は昨年から赤字基調に転じていますが、過去の蓄積による利子配当所得等で経常収支は黒字です)のある間に賃金の国際平準化への努力を一日も早く始める必要があります。
繰り返しになりますが、生活保障の基準は国際収支トントンの範囲内で行う・・マスコミ推奨の増税の可否に関係ない・・財政赤字かどうかの問題ではありません。

最低賃金制度と社会保障1

近年の最低賃金等の引き揚げ政策は、生活保護費より低いのはおかしいという変な理屈によるものです。
元々生活保護受給者=無収入に限定したものではなく働いても文化的最低生活を営むに足りる収入を得られない人のためにあるものであって、生活保護受給=無収入とは限りません。
中には、少しでも働いたらその分差し引かれるのは損だから働かないというモラルハザードが起きつつありますが、モラルハザードを起こしている人たちを基準にその人たちの受給額より給与が低いと言う基準で政策決定の議論するのは間違いです。
最低賃金を引き上げると今度は生活保護基準が低すぎるから引き上げろとなってお互いを基準にしていると同義反復的・循環論法に陥ってしまいます。
生活保護基準は国力のレベルで判断するべきであって、この基準で支給して行って10〜20年は国際収支黒字を維持出来るかのマクロ基準で考えるべき事柄です。
マトモに働いても上記基準である生活保護費に届かない人は、その差額分の生活保護を受ければいいのであって、働いた稼ぎが生活保護の満額支給より低いのはおかしいから最低賃金を生活保護水準支給額よりも上げろという一見尤もらしい議論自体おかしい論理建てであることが分ります。
こうした倒錯した議論の結果企業にその差額を強制的に賃金として払わせるのは、論理的ではありません。
企業は飽くまで労働の対価としての賃金を払えば良いのが原則です。
正当な労働対価とは何かですが、それは国の場合・生活保護基準では、国際収支が指標になるべきですし、企業の場合各企業収益を基準に企業ごとに違いがあってしかるべきです。
他社よりも収益の低い企業は低い労賃しか払えないし、労働者はより待遇の良い企業を選別するので生産性の低い企業は淘汰されて行きます。
最低賃金制度は世界中に存在する制度ですが、世界中にあるからその存在自体が正しいとは限りません。
世界中が社会保障制度の不備・・政府資金不足を企業に負担させる時代が長かったに過ぎません。
我が国の場合世界最大の順債権国になっていて、資金不足国ではなくなっているのですから、国債で賄えるようになっているのですから各種社会保障資金を企業負担をやめて行くべきです。
労働能力以上の賃金支払強制=一定水準以上の生活保障を要求するのは社会保障費を、賃金という名目で企業負担にしているものですから、企業の方で嫌になってしまいます。
不合理な負担をさせていると(少子化による労働力不足によるのではなく)企業は不合理な負担から逃げたくなるのは当然ですから、海外展開を加速して行きギリシャ・スペイン等のように大変なことになってしまうでしょう。
10月3日の日経新聞朝刊第1面にトヨタはカローラの全量を海外生産に移行すると大きく出ていました。
最低賃金はそのままにして、(本来は最低賃金制度自体を廃止・・企業負担にしないで)生活費不足分は社会保障にして行く・・例えば保育料・授業料無償化など生活費の多くを公的負担にして行く・・バラマキと言われる施策が意外に有効です。
大衆迎合のためのバラマキは論外ですが、経済対策(短期的内需拡大という視点ではなく、国際競争力維持のためとしては)バラマキは有効です。
年金赤字の批判でも書きましたが、本来社会保障で賄うべきところを国民の掛け金である年金支給に食い込ませるなど社会保障施策がいろんな分野に浸食し過ぎています。
賃金は賃金のルールに任せて、それで生活が苦しくなる人に対しては一定の社会保障をすれば良い筈です。
多種多様な生活費の半分ないし3分の2(今でも医療費は3割負担ですがこうした分野を増やして行く)が公的負担になれば、企業の負担する人件費負担は軽くて済みます。
公的経費増分をどのようにして賄うかですが、これを増税したのでは結局は企業負担が増えて同じことです。
わが国は国際収支黒字国ですから、当面は社会保障政策分は国債発行で賄えば良いでしょう。
韓国が税で電気代を政策的に低く抑えている(日本の3分の1とも報道されています)のと同様に、法人税も上げないで社会保障負担的分は国債で賄って行くのが、合理的です。
一家で言えば、過去の貯蓄による配当収入(家賃収入その他)があれば、給与が普通の人の半分でも普通の生活が出来ますので、半分の賃金で働いてもやって行けます。
高齢者がこの原理で収入が殆どなくとも自宅あり、年金あり、一定の貯蓄ありで悠々と生きているのと同じです。
(高齢者は表向き収入が低くとも豊かですから、高齢社会では現役収入を基準にするジニ係数など噴飯ものであることを以前書きました)
我が国は国家全体としては貯蓄過剰(世界最大の純債権国です)ですから、この原理を若者にも応用したら良いのです。
そんなことをしたら若者が怠けてしまうと心配する方がいるでしょうが、(実際には親に自宅ローンの一部を助けてもらったり子供の学費の援助を受けている次世代がまじめに働く気持ちがなくなる訳ではありません)そんな空想みたいな心配よりも高額賃金を強制することによって企業が海外に逃げて行き、失業者ばかり増やす方が若者の精神その他に対する危険が大きくなります。
安い給与でも全員が働けるようにした方が健全です。

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