相互扶助の崩壊と親族制度3

親族相続編は、人と人の財産関係の規律には直接関係なくどちらかと言えば、社会の基礎的構成単位とその構成員同士の関係を定める分野です。
財産法関係では、法の基準は原則にとどまり当事者間の特約が優先する(意思表示の内容で決める)関係です。
当事者の合意に委ねて行き過ぎが起きてくると別の法律で規制する(借地借家法や利息制限法や労働法・割賦販売法など)だけです。

民法
(任意規定と異なる意思表示)
第九十一条  法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。

ところが、親族相続法ではどこまでを親族とするとか、相続人の範囲をどこまでとかどこまで扶養義務があるなどを当事者の気持ち次第で勝手に決めることが出来ない・・ハードな仕組み(強行法規)です。
どの範囲まで扶養するかは親の勝手(親が気に入った子供しか食わせない)などとしてしまうと、食べて行けない人が出てくるので、法で誰(夫や親、子供などの関係になった以上はその身分に応じて)がどの範囲まで扶養する義務があるかを決めてしまうようになったものです。
どのような関係を夫婦とし、親子とするか、親族とするかも法で強制的に決めていて(養子縁組をしない限り)契約で自由に決めることは出来ません。
夫婦のあり方についても、婚姻届け出をした場合だけを夫婦として法で認める仕組みになったのも、故なしとしないでしょう。
明治の民法制定以降は、婚姻届をした場合だけ法で夫婦と扱うことになったことについては、05/31/03「婚姻制度 (身分法とは?1)4」前後のコラムで紹介しました。
近代法以前にはいろんな形の夫婦があり得たのですが、これを政府に届け出た唯一の方法に限定したのです。
それ以外は当事者やその周辺がいくら夫婦と認めていても、法的には認めない内縁関係にしてしまい、今でも相続権を一切認めていません。
(ただし、各種死亡弔慰金などは内妻がいれば内妻に支給する制度設計です)
全く相続を認めない制度が良いかどうかは別問題ですが、ここでは論じません。

近代社会と親族の制度化2

 

民法の親族相続編は、このシリーズで書いているように社会保障の代替物として制度化・強化されて来たと見れば、時代精神・・社会のあるべき姿をそのまま反映する傾向があるので、社会意識の変革期には大改正を受けざるを得ません。
財産法関係と親族相続関係は別々の法律が合体した歴史があってこそ、(元々別ですから)価値観の大転換した戦後すぐに第4編5編だけを切り離して全面入れ替えの改正が出来たゆえんです。
ちなみに1〜3編の財産法関係は敗戦にも関連せずちょっとした条文の手直しが時々あっただけで、明治以来のまま現在に至っていて、(2005年4月施行の改正で文語体のカタカナまじり文が口語化されただけです)ここ数年漸く現在社会の取引実態に合わせて大改正しようとする気運が盛り上がって来て(内田貴東大教授が大学を辞めてこれに専念している状況で)改正試案が公表されて、債権者代位権制度や危険負担制度・瑕疵担保など分野別の改正に対する意見を弁護士会その他各分野に求めている段階です。
現行民法制定後約10年以上も経過していても財産法に関してはこんな程度です。
例えば民法で,「借りたものは期限が来たら返さねばならない」「ものを買ったら代金を払う」と言う規定は500年や1000年で変わることはないでしょう。

民法
(売買)
第五百五十五条  売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。
(使用貸借)
第五百九十三条  使用貸借は、当事者の一方が無償で使用及び収益をした後に返還をすることを約して相手方からある物を受け取ることによって、その効力を生ずる。

「借りたら返す」「買えば代金を払う」原理自体をいじることなく,借りるにして(友人同士の貸し借りは民法の原理通りですが,高利貸しの場合などは貸金業法や利息制限法の規制があります)も買うにしても割賦販売その他多種多様な複雑な取引形態があるので,これを民法に取り込もうと言うだけで,言うならば民法を複雑化しようとする改正です。
ですから民法制定後110年もたっているのだからと言う理由で大きく変えようとはしているものの、身分法関係の戦後改革のような価値観の転換によるものではなく,技術的な要因によるものがほとんどです。

近代社会と親族の制度化1

近代社会化の進行は地域共同体が崩壊して行く過程でしたから、子育ての社会化が準備されるまでの受け皿として親族のあり方が重要視され、その親族は血縁の親疎によって構成される原理となっているのは、前回書いた社会インフラの不備を親族・家族の協力責任に求めたからです。
民法は本来市民の民事取引に関する法であるのに親族相続編がほぼ同時に施行され、結果的に一体化されているのは、今の価値観から言えば社会で責任を持つべき分野を(国家に経済力が伴わないために)私人に委ねざるを得なくなり、私人とその周辺・・親族の責任とした結果、民法の一部にするしかなくなったと思われます。
民法は大きく分けると財産編と親族相続編の二種類からなっていて、しかも国会でも別の法律として成立しているのですが、結果的に一つの法律として合体して運用されているのは、こうした歴史経過に由来するのではないでしょうか?
何回も民法の冒頭部分を紹介していますが、法典の成り立ちを見直していただくために現行民法の冒頭部分をもう一度紹介しておきましょう。

民法
  明治29・4・27・法律 89号(第1編 第2編 第3編)
民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス
  (別冊)
  
明治31・6・21・法律  9号(第4編 第5編)

上記のとおり財産法に関する第1〜3編は明治29年に成立しており、その際の上記文言からも明らかなようにこれに先立つ明治23年の民法(財産関係法・・ボワソナード民法)があって、これの改正版であったのです。
この辺のいきさつについては、これまで06/04/03「民法制定当時の事情(民法典論争1」や民法制定の歴史で詳しく紹介して来ました。
これに対して、親族相続に関する第4編5編は2年遅れの明治31年に別の独立の法律として成立しており、これを後から先行する財産法に合併させたもので、元々一体ではなかったのです。
ナポレオン法典もボワソナード民法も原典を見たことがないので自信がないのですが、明治23年の民法(すなわちナポレオン法典を基礎にしたボワソナードの起草になるものです)に、親族相続編がなかったとすれば、親族相続関係の強化は、まさに産業革命の進行によってナポレオン時代の後に必要になった制度であったことが分ります。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC