高齢者の財産管理・保護制度の創設

現在では後見人選任は、親族等からの申請がないと裁判所で選任しませんが、(April 8, 2011「失踪宣告4」に書いたように役所は受け身の体制です)受け身のママでは老人ホームや介護者が好きなように横領して財産処分してしまっても(身寄りがないので)誰も文句を言って行く人がいないことになります。
そもそも身寄りのない人には申し立て権のある人がいません。
例えば有料老人ホームに入居している場合(一定の資産があるのが普通です)で、子供など相続人がいない場合には、ボケているか否かに関係なく自動的に(従って現行後見人ほど強力な権限は強力過ぎるでしょう)定時に財産状況の管理検査をする権限のある人を(民間からの申し立てがなくとも)職権で選任して、高齢者資産の管理状況をチェックし裁判所に報告するような制度にすべきです。
何事も被害者からの申し立てがあってから動く今の制度では、家族関係が稀薄になってくると悪い者がはびこり易くなります。
悪いものがはびこるのは、道徳心の欠如によるだけではなく、これが直ぐに発覚するシステムがないときにはびこり易くなるのですから、制度改正が必要です。
現在では40〜50歳代以降では結婚していない人や子供のいない人が多くなっていて、しかも兄弟も少ないので、老後に備えて老後資金を蓄えている人が多いのですが、悪徳老人ホームの餌食になるリスクが大きくなるのでこの方面のチェック体制整備の方が喫緊の課題ではないでしょうか?
これについては戸籍制度があれば防げるものではなく、また元気な時に友達をいくら増やしておいてもお互い高齢化するのが普通ですので無駄です。
兄弟がいてもお互い80〜90代ではどうにもならないでしょう。
意思能力の有無にかかわらず施設に入居したり介護保険を利用するようになれば、申し立てがなくともこの時点で自動的に裁判所が仮称管理人・・保護者を選任するシステムを創設すべきです。
外部の目が行き届くと施設や介護業者が被介護者の資産を好きにいじれないようになるだけではなく、仮称管理人の定期的面会が要件になって行くと、お金の問題だけではなく外部の目が入ることによる牽制効果があって各種待遇が良くなり、介護水準も上がるし、ひいては虐待が発覚し易くなり・死亡の隠蔽が困難になるでしょう。
現在では自分が将来駄目になった時に備えて元々親しい人に頼める任意後見制度がありますが、これでは完全に意思能力を失った時だけで、能力があるが拒否力の弱った人の助けにはなりません。
保佐制度(元の準禁治産)も同様の問題があります。
後見と保佐の前段階としてに補助制度が創設されていますが、本人や身内のイニシアチブ・申し立てをしないと動き出さない点と飽くまで精神の障害を前提にしている点が同じですから同様の難点があります。
介護の利用や施設入居が始まれば精神障害がなくとも弱い立場になるのは同じですから、自動的に補助する制度創設が望まれます。
当面はこの制度しかないのですから、この補助制度で要求される精神障害の認定・運用を緩やかにして、障害があるどころかむしろしっかりした人が中心になって自分を守るために積極的にこの制度を利用することから広げて行くしかないでしょう。
私は一定の資産のある高齢者夫婦だけの暮らしの人には、まだ元気なうちに別居している息子や娘を補助人にしておくと良いですよ・・と、この制度利用を勧めています。
高齢化するとどんな立派な人でも最後は弱いものだと言う説明に納得して予め手続きしておこうかと言う人は、精神に障害があるどころか、今現在では平均人よりしっかりした人の方が多いです。
この制度を利用して押し売りや無用な自宅リフォームなどのまとまった金額の出る契約行為を補助人の同意が必要な項目(17条)にしておくのです。
偶然尋ねて来た娘などが気づけば、契約してしまった後でも契約の取り消しが出来ます。(17条4項)
これは、クーリングオフとは違いまさに権利ですから、業者が契約の履行を始めていても、どの段階でも取り消しが出来る強力なものです。
効力が強力である分精神障害の程度について緩やかな認定で良いのかの議論がありそうですが、私の意見は、精神の障害を基準にするのではなく、施設入居や介護を受けているかを基準にするものですから、外見では分りにくい精神障害を基準にするよりは却って第三者に明白な基準となって、善意の第三者が被害を受けることが少ないない筈です。
民法
(補助開始の審判)
第15条 精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分である者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人又は検察官の請求により、補助開始の審判をすることができる。ただし、第7条又は第11条本文に規定する原因がある者については、この限りでない。
2 本人以外の者の請求により補助開始の審判をするには、本人の同意がなければならない
(補助人の同意を要する旨の審判等)
第17条 家庭裁判所は、第15条第1項本文に規定する者又は補助人若しくは補助監督人の請求により、被補助人が特定の法律行為をするにはその補助人の同意を得なければならない旨の審判をすることができる。ただし、その審判によりその同意を得なければならないものとすることができる行為は、第13条第1項に規定する行為の一部に限る。
2 本人以外の者の請求により前項の審判をするには、本人の同意がなければならない。
3 補助人の同意を得なければならない行為について、補助人が被補助人の利益を害するおそれがないにもかかわらず同意をしないときは、家庭裁判所は、被補助人の請求により、補助人の同意に代わる許可を与えることができる。
4 補助人の同意を得なければならない行為であって、その同意又はこれに代わる許可を得ないでしたものは、取り消すことができる。

遺言制度改正3(高齢者の拒否力)

死亡後にその前に作った遺言書作成時に意思能力があったかなかったかの証明は難しいのですが、(立証責任は無効を主張する方にあります)年に一回も訪問したことのない甥姪等遠い親戚の場合、数年前にどうだったかの証明は至難の業でしょう。
かりに意思能力があった場合でも、自分で身の回りのことを殆ど出来ないで、老人ホームで毎日暮らしている人や訪問介護等に頼っている人にとっては、言いなりになってしまい易いのは目に見えています。
本当にそのホームの人たちや介護者に心から感謝していて寄付(贈与)したいと日頃から思っていた人もいるかも知れませんが、毎日のようにホームへ寄付する遺言書を作れと言われて困っている人が出て来てもこれを相談出来る外部の人がいない場合・・身寄りや友人のいない場合の問題です。
現行法では遺言書作成時の意思能力があったかどうかだけが有効無効の判定基準ですが、有効性を争う人がいても裁判で無効が確定しない限り、形式さえ整っていれば先ずは遺言は有効として扱って行く不動産登記も出来るし預金も払い戻せます。
・・実務としては、何を原則とし、何を例外とするかの基準・・ここ数回のコラムで戸籍抹消基準で書いているように、裁判で言えば主張立証責任がとても重要です。
遺言が原則有効制度のままでも良いとしても、前回書いたように死亡前一定期間内の遺言を絶対的無効とし、あるいは介護関係者(その範囲は別に決めるとして)が遺言でびた一文でも貰うことを無効として、これに反した場合刑事罰の対象とするなどの法改正が必要です。
現在では誰が貰っても有効ですが、今後は受けるべき対象者(介護関係者の受遺禁止)の除外を規定すべきです。
矛盾した遺言書があれば後から作った方が有効ですが、現行制度では最後に預かった老人ホームや介護者が有利です。
また、実際に死亡後になって遺言書作成時の意思能力の有無を争うのは困難ですし、ここで問題なのは、仮に意思能力があったとしても、自分で身の回りのことを充分に出来なくなって、あるいは寝たきりになって誰かの世話になる場合や老人ホームに死ぬまで居続ける場合に、気力・体力の弱った高齢者が密室状態で連日介護者やホーム側から遺言を作ってくれと迫られた場合、これを拒否しきれない現実です。
この危険を避けるためには、連日の勧誘を禁止したり、第三者の立ち会いを要件にしても・・弁護士が立ち会った時に意思確認してもその前段階の密室状態でどれだけ言い含められているか不明・・誰も見ている人がいないのですから無理です。
刑事事件の可視化のために改革で録画録音を一部だけすると言うふざけた検察の意見と同じです。
連日否認していることに対して脅したり正座させたり、お前の娘も共犯の疑いで逮捕するとか連日事情聴取に呼び出すぞなどとして無理に自白を迫っていた部分は録画しないで、被疑者がもうどんな抵抗も出来ないと観念してから「良いか、これから録画するから自分から進んで話すんだぞ!」と言われて録画録音を開始することを想像して下さい。
遺言書は、裁判所の選んだ弁護士立ち会いでないと出来ない制度にしても、立ち会い時間を5分から10分あるいは1時間に延ばしても、その前の何百時間の執拗な遺言依頼の実態が明るみになる(ホンの一部・・・転院出来る体制を作れた場合の氷山の一角でしょう)訳ではないので検察の一部録画と同じ結果になります。
毎日何を言われていても、いじめられていても見舞いに行く身内がいないと明るみに出ませんから、いじめ問題同様に外部からの絶えざるチェックが必要ですが、外部巡回員に苦情を言うとそこにいられなくなることからなかなか苦情を言えない・無理があります。
むしろチェック体制強化(コストがかかります)よりは遺言法制を大幅に改めて、例えば死亡の5〜10年以上前までは遅い方が有効(現行通り・・もちろん意思能力が要りますが・・)として、死亡前5〜10年以内の遺言は(勧誘方法や遺言者の意思能力の有無強弱を問わず)無効とするような制度設計が必要です。
これだと死ぬ直前に遺言が出来ないのかと言う意見がありそうですが、誰も自分が何時死ぬかを分らないので毎年一定時期(その人の誕生日など自分で決めておいて)に書いておけば、その内に死亡しても最後の5〜10年前の遺言書が有効になると言うことです。
今のように最も新しい遺言書が有効のままで、身寄りのいない人が増えて赤の他人が遺言で遺産を貰うのが普通の時代になると、最後にちょっと世話した人が意識もうろうの人や体力、気力の弱った人に遺言を書かせる不都合が起きやすいので一定の禁止期間の設定が必要です。
高齢者目当ての不正商法が後を絶たない現実から誰でも分ることですが、高齢化すると判断力がしっかりしていても断固拒否する能力が落ちて来て押し売りの餌食なり易いので、意思能力さえあれば有効とする現行法制は危険です。
しかも血族・相続人のいない人はこの遺言は「脅迫によるものだから・あるいは偽造文書で無効」として争う資格がないのですからなお問題です。
最早家に帰ることがないとして最後に老人ホームに入居する人がこれから増えて来る筈ですが、これから独身その他子のいない高齢者が増えてくると一旦入居してしまうと・・入居後数年間自分の足で元気に出入りしているうちはホームも遺言書を作ってくれとは言わないでしょうが、その内自分で外出も出来なくなって友人も同様に高齢化して誰も訪ねて来ない状態になると囚人同様の弱者になってしまいます。
拒否力の衰えと言う基準からすれば、今後の超高齢社会では5〜10年でも短すぎるかもしれません。
これから老人ホームに入ってから10年も20年も生存する人が増えてきますので、一般の場合には5〜10年以上前までは有効としても少なくとも施設に入るようになった以降の遺言あるいは介護度2以上の人は、年齢に拘らずすべて無効にするような仕組みが必要な時代が来るかも知れません。
施設や介護関係者は遺言で貰うのを禁止する、もしあってもその場合は国庫帰属し、介護施設やその関係者は受けられないとする法制が必要です。
仮に5〜10年以上前の遺言だけが有効(プラス介護関係者は禁止)とすれば、施設外の場合個人的に親しくしていても少なくとも5〜10年は親切にしなければ世話した人が遺産を貰えなくなります。
遺言制度は、遺言者の判断力だけを問題とするよりは、拒否力の弱った高齢者をどのように保護するかの問題です。
数年前に受任した事件では、長男の嫁さんが姑の世話をしていたが、タマタマ長男(嫁にとっては夫)がガンになってしまったことから、妻が両方の介護を仕切れなくなって夫の次男に世話を頼んで預けたところ夫も姑も相次いで死亡したのですが、その間に姑は公正証書遺言をしていて、お嫁さんの住んでいる自宅敷地を次男らが相続するようになってしまい(自宅建物は長男名義)もめ事になってしまいました。
現行法では、姑の意思能力(最後までボケていないで遺言が出来たか)の有無ではなく、短期間預かった最後の人が高齢者の拒否力の減退を利用してズルを出来るリスクがあります。
これが身寄りのない人の場合、現行法のまま放置しておくともっと極端な結果になりがちです。

遺言制度改正2(期間限定)

遺言の自由度が高まるとこれを悪用する人が出てきますので、従来(現行法)のように形式だけの規制では無理が出てきます。
そもそも今の遺言形式の法定主義は、現在のように学歴の上昇した時代にはあまり意味のない規定の羅列です。
形式さえ整っていたら有効と言うのでは、(遺言者に意思能力があることが前提ですが、以下に書いて行くようにこれでは十分ではないので)これを悪用する人が増えるリスクがあります。
死亡前一定期間以内の遺言や老人ホーム及び介護関係者など寄付したり遺贈したりするのを禁止・無効にしたりすることも必要でしょう。
そうでないとこれからは殆どの人にとっては人生の最後が老人ホームあるいは被介護者ですから、密室で好きなような遺言書を作成させられてしまう可能性があります。
法定相続人がいる場合、老人ホームが全部貰うような遺言があると驚いて社会問題に発展する・・悪い噂になるので老人ホーム側も現在は自制していますが、法定相続人制度がない場合、あるいは法定相続制度が残っていても身寄りのない高齢者が増えてくると痴呆状態で書いた遺言は無効ではないかと争う人や、あそこのホームはひどいとマスコミで騒ぐ人がいないので、どんな遺言でも誰も知らないうちに処理されてしまいます。
前回まで書いたように遺言書は形式さえ整っていれば先ずは有効なものとして取扱う仕組みです。
後で書くような遺言書作成を強要しなくとも、職員が適当に偽造文書を作ってそれを法務局に出せば、先ずは登記をして貰えます。
名義変更登記して不動産を売りに出して換金しても子供でもいない限り誰も争わないので、そのままになってしまいます。
子供がいれば、故郷の親の家が売りに出されていれば誰かの通報で気がつくこともありますが、相続人がいない場合仮に近所の人がおかしいと思ってもどこへ通報して良いか不明ですし、事情を知っている友人がいて、弁護士相談にきても、弁護士はその人から受任して証拠集めなどすることが出来ません。
近所の人とか友人と言うだけではその遺言に何の利害関係もなく、何の法的手続きも出来ないからです。
当事者資格(適格)として、11/03/02「裁判を申し立てる資格3」以下で紹介したことがありますが、裁判するにはその結果に法律上の利害がないと裁判する・・訴える資格がないのです。
ですから、近所の人や友人は銀行などに行って亡くなった人の預金の流れの調べる権利もありませんし、払い戻しに使った書類や遺言書を見せてくれとも言えません。
犯罪抑止には道徳心だけではなく直ぐにバレルリスクがあることが一番の抑止力ですが、身寄りのない人の場合老人ホームや介護者は何をしても後でバレることがないとなれば偽造でも何でも何の抑止力もない・・フリーパスと言うことです。
法務局は届け出があれば偽造かどうか調べないのか?と疑問を持つ人がいるでしょうが、調べろと言っても何の資料もない(本人の筆跡など事前登録していませんし)ので調べようがないのが現実です。
法務局ではこのため生前の移転登記には印鑑証明書添付を要求しているのですが、遺言の場合、死亡者には印鑑証明を添付する余地がないので、三文判でも良いことになっています。
自筆証書遺言は自筆であることだけが要件で印は三文判か否かを問わないし、これを仮に改正して実印を要求したとしてもあまり意味がありません。
身動き出来なくなって老人ホームに長期滞在している人や自宅で身動き出来ず介護を受けている人は、実印や預金通帳等も(身寄りのない人は預ける人もいないので、)みんな老人ホームが預かることになっていますのでホームの職員が自由に取りに行けます。
自宅介護の場合も同じで、自分で銀行に行けないので預貯金の出し入れは介護に来ている人に頼んでいるのが実情です。
本人が元気なうちは預金通帳のチェックも出来ますがそんな元気がなくなったらどうなるかの話です。
あるいはチェック能力があっても下の世話を受け食べさせてもらっていると気が弱くなってしまい、不正を見つけても口に出して詰問することが出来なくなります。
それでもひどくなれば身内が来た時にそれとなく言うことがありますが、身内がいないと誰にも言えません。
自宅介護の場合、実印や権利証を貸金庫に預けていても、何か必要があるときには、介護に着ている人に代わって貸金庫から取って来てもらうしかありません。
そのついでに中にある金の延べ棒や宝石など持ち出されても自分でチェックしに行けないのです。
勿論印鑑証明はカード利用で発行されますので、介護の人が自由に取って来られます。
今でも子供ではない遠い親戚しかいない場合、本人の意向?によって年金などはいると職員がおろしに行ってホームへの経費支払いに充てているのが普通ですが、これが悪用されるようになった場合の心配を書いています。
今は年金と収支がトントンの場合、身内がいても毎回預金をおろして支払う手間が大変なのでホームに委ねている関係ですから、ホーム側でも死亡後預金の流れが怪しいと問題になるので不正がしにくいのですが、年金以上のまとまった預金等があったり身寄りが全くない場合の話です。
今(5年ほど前に改正された登記法)では、本人確認を司法書士が義務づけられていますが、そこで言う本人とは登記申請している受遺者(遺言で財産を貰うことになった人)が本人かどうかだけであって、遺言が真正なものか否かに関しては何のチェックもなくスルリと登記してしまえるシステムになっています。
銀行の場合、一応預金作成時の本人筆跡と照合が可能ですが、何十年前に預金を始めた時の筆跡との死ぬ間際のグニャグニャの筆跡との照合では分りにくいのが現実です。
老人ホームに入った時にその近くの銀行で新たに預金を始めたときに、もう字が書けないからと職員が代筆することがあります。
さらに書けば、身寄りがいなくて自分で預貯金を管理出来なくなれば職員が好きなようにカードで払い戻していても誰もチェックが出来ないのが現状ですから、遺言を無理に偽造する必要がありません。
文書偽造や無理な遺言書作成強要が起きるのは、不動産を持っている高齢者だけかもしれません。
一定の資産がある高齢者が身を守るには、予め弁護士などに管理を委託しておいて、ホームにどのような資産があるのか知られないようにすることでしょう。
そうでもしないと高額の入居金を払って入居したらその後にみんな使い込まれてしまい、(それでも死ぬまでいられればどうせあの世にお金を持って行けないのでホームに食い物にされても結果はどうでもいいことでしょうが・・)あげくにホームが倒産でもしたら悲劇です。
こう考えて行くと老人ホーム入居時には、年金とホームの毎月の支払が収支トントン程度の資産しかないように、元気なうちにうまく使い切ってから入居するのが合理的です。
結局、「人は必要以上のお金(・・一生かかっても使い切れない資産)を稼いでも仕方がないし、これに執着して仕方ない」と達観するのが良いようです。
財産のある人は泥棒に取られないかと無駄な心配するのと同じで、自分で使える限度を超えた資産を保有するのは不幸の元です。

相続制度改正3(遺留分廃止)

家督相続人・法定相続人である限り廃除されなければ相続出来る・・戦後民法改正(現行法)では、従来の家の制度がなくなったとはいえ、身分・血縁関係で相続分が自動的に決まる点は同じで家督相続から均分相続に変った(廃除制度も旧規定と全く同じ)ことくらいです。
戦後家の制度が廃止されたと大きく宣伝されているものの、実際には先祖伝来の家産・・戸主ないし現在の所有者は半永久的な時間が経過・通過して行く一時点での預かり主に過ぎず、次世代に引き継いで行くべき・・管理者的意識を前提にしたものでした。
自然保護・環境問題には、子々孫々にまで受け継いで行く意識は重要ですが、ここでは相続・戸籍制度維持の必要性の観点から書いています。
現在でも生活に困っていない限り、相続して自分で耕さない遠い故郷の農地でも、あるいは無人になってしまった親の住んでいた家でも無駄だから直ぐに売ってしまおうとしない・・抵抗があるのは、先祖から受け継ぎ子孫に繋いで行く意識があるからです。
戦後民法でも遺言(特段の意思表示)がない限り法定相続どおりになってしまうことと、本来遺言で自由に処分出来るべきところ、家の制度・・先祖伝来の世襲財産価値を重く見る立場から、遺留分制度を設けることによって結果的に遺言の自由は原則として半分しかないことは戦前の民法と全く同じ規定です。
ただし、原則と例外の関係に関する規定の仕方から、先ずは遺言があればその通りに100%効力が生じるようにして、一定期間内に遺留分権利者が遺留分権を行使しない限り、遺言で決めた効力のままになってしまうとする規定の仕方によって遺言の効力が守られやすくなっていますので少し(結果は半分になるのですが)自由処分権に比重が置かれていたことになります。
この規定の仕方は、戦前の民法でも同じでした。
(原文の写真については法令全書で見られますので気になる方はご自分でご覧下さい)
いろんな制度があっても積極的に動いた人だけが実現出来るとすると実際に動く人は少ない・・裁判までしようとするとかなりのエネルギーが必要なことから、その権利・受益実現は限定されます。
次男らは全部遺言で貰った兄弟相手に裁判までしにくいので、遺言がそのまま100%効力を維持出来ることが多くなっていました。
争いが起きるのは、主に腹違いの兄弟がいる場合でした。
このように一定の権利が認められても、その実効性は法の規定の仕方によるところが大きいのです。
April 8, 2011「失踪宣告4」までのコラムで失踪宣告の申し立てまでする人は少ないと書いたのと同じことで、何を有効性の原則にするかで法の実際的効果はまるで違ってきます。
この後に書いて行く遺言の有効性に関しても、現行法のように原則的に全部有効としておくのか、一定の場合・・一定年齢以降や施設入居後は一律に無効としておくのかによって、実際上の効果がまるで違ってきます。
ですから、親族相続に関する戦後の大改正と言っても、観念だけで元々何の効果も持っていなかった家の制度をなくしたくらいで、経済的社会的変化を反映させると言う視点での変化は微温的だったことになります。
敗戦当時はまだ個人の能力次第の社会に殆ど変化してなくて、静的な世襲財産の価値・比重が大きい社会であったからでしょうか。
あるいはアメリカの外圧による仕方なしの改革であって、(何とか旧習を温存しようとする勢力の方が強く)明治維新のときのようにこれからの日本社会を積極的に合理化・変えて行こうとする意気込みが全くなかったからかもしれません。
この点では明治31年の民法は当時の社会実態よりはかなり進んでいたことが分ります。
民法典論争時の誰かの意見を読んだ記憶では、「今は進んでいるように見えても今後10年もすれば時代遅れになるのだから・・」と言う意見を読んだことがあります。
現状よりも大分進んだ法律であった分だけ相続意識の実態(子々孫々に承継して行く中継ぎ意識))に合わなかったので、前向き・自由処分の方法としての利用は少なく、(戦後になってもまだ)逆に戦後は世襲制維持のため・・・均分相続制に対する抵抗として長男に全部相続させる方向へ利用されていた程度だったのです。
意識が遅れていたからと言うよりは、その後の経済発展にも拘らず、なお社会全体に占める世襲財産の価値比重が大きかったことによります。
明治創業の世に知られる一代の成功者(財界に限らず政界でも同様でした)は今同様に能力だけで駆け上がった人が多かったので、直ぐに能力社会になると思っていた人が多かった・・これが明治民法の革新的制度の創設理由であった筈です。
ところが皮肉なもので、明治の大成功者自身が「児孫に美田を残さず」と伝えられる西郷隆盛を例外としてほとんどが成功すると自分の子孫に(財閥を筆頭に大中小の成功者・軍人官僚その他みんな親の築いた地位を残して行く方向へ進みました。
今でもそうですが自分の築いた(大小を問わず)資産や地位を出来るだけ自分の子供に残したい本能があるのは否定出来ないでしょう。
残すほどの資産がない人は、進学競争に明け暮れているのも、その本質は同じです。
明治中期以降社会秩序が固定すると世襲制が却って強化されて行ったので明治末頃から、人材の行き詰まりが出て来て第二次世界大戦へ突入すべく、我が国は窮屈な社会になって行った経過を以前書いたことがあります。
西郷隆盛は、西南の役で途中死亡したから「美田を残さず」の伝説が残っているのですが、彼が最後まで中央でいた場合どうなっていたかは分りません。
明治村にある西郷従道邸を見れば、西郷一族自身世襲の恩恵を受けていたことは明らかです。
明治後期以降は明治初めに創業し大成功した人達が財閥化し、その子孫が世襲の地位財産で良い思いをする時代に入って行ったので、遺言の自由化が進まなかったのは当然です。
米軍の空襲によって壊滅的被害を受けた戦後でも、元々の一文無しが創業出来るものではないので、親世代からの世襲の地位財産(仮に100分のⅠに減っていても資本と言えるもの)を利用して飛躍した人が多かったのです。
戦前の財閥企業がそのまま今でも大きな存在であることを見れば分りますが、財閥に限らず大中小の資本を持っていた人が戦後元の事業を再興拡大して行った点は同じです。
ただ、戦後は明治維新当時同様に旧秩序が解体されたので自由競争がし易くなり業者間の競争淘汰が進んだ点が明治末〜昭和前期までとは違って自由闊達な感じになりました。
更に戦後の大きな変革は、ホワイトカラー層の拡大充実があって、中間層の大量出現を見たことです。
中間層とは、能力だけが自分の主たる主たる資産で(だから進学熱が上がるのですが、これも形を変えた世襲化の思想です)世襲出来るほどの資産や地位を持たないけれどもある程度遺産があると言う意味ですから、これらの階層の相続が始まった昭和末頃からは世襲財産から解放されて個人財産化して来たのです。
ここにおいて初めて、遺言制度の改正が必要な時期になった・・制限的制度から積極的に利用し易い制度への変化が求められているようになったと私は考えています。
遺留分に関しては、07/18/03「遺留分13(民法75)(減殺請求権1)」前後のコラムで紹介していますが、もう一度条文だけ紹介しておきましょう。

第八章 遺留分
(遺留分の帰属及びその割合)
第千二十八条  兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。
一  直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
二  前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一
(遺留分の算定)
第千二十九条  遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。
第千四十二条  減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。
相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

上記の通り明治以降現行法まで法定相続を原則にしていて遺言があった時だけ法定相続を修正出来る仕組みですが、世襲制に親和性の高い農業や家業の比重が下がってきた昭和の終わり頃から中間層の相続が始まると相続した人も気楽に遺産を売却して換金化したいと思う人が増えますし、被相続人も自分で稼いで貯めたお金だから、好きな人にやりたいと思う人が増えてきます。
今では数百年前から受け継いで来た資産に頼って生活している人の比重が激減しています。
今の都会人の9割以上の人にとっては、自分の稼いだ分が自己の資産・あるいは自分の築いた能力が生活手段のほとんどを占めている筈です。
こういう時代になれば、自分で築いた地位や資産はその人が自由に処分するのを原則にする・・先祖から引き継いだ資産ではないので、子孫に残して行く義務もない・・遺言で決めて行くのを原則にし、(勿論子供に残したければ遺言で書けば良いのです)遺留分など認めず遺言しない人は遺産の受け手を決める権利を放棄した・・棄権したものとして国庫帰属にして行く方が合理的です。
遺言ですべて決めて行き法定相続人を認めない時代が来れば、血縁関係調査のための記録整備・戸籍簿は不要となります。
その代わり、遺言に関する規制も従来とは違った規制が必要になりますので、これを次回以降に書いて行きます。

相続制度改正2(法定相続制の廃止)

世襲を基本とする経済社会状況下で成立した明治31年民法では戸主による家産の自由処分権が今よりも厳しく制限されていたかと思いたい・・・遺言制度がなかったかと思う人が多いでしょうが、意外に条文を見ると現行法とほぼ同内容の遺言方法と遺留分制度が記載順も同じで規定されています。
明治31年民法でも旧1060条以下で現行法とほぼ同内容の遺言制度が規定されていて、1130条以下には現行法同様の遺留分制度が規定されていました。
直系卑属の家督相続人の遺留分が2分のⅠ(現行の子供の遺留分と同じ)直系卑属以外の家督相続人が3分のⅠ(現行の直系尊属と同じ)で考え方は同じです。
遺留分減殺請求権も行使しない限り考慮されないし、行使出来る期間も現行法と同じです。
廃除(現行法も同じ)しない限り法定相続人を変更・資格喪失出来ない制度もそっくり同じです。
旧975条以下が廃除の規定で、これも現行法とほぼ同じ内容です。
次の旧976条では遺言で廃除を書いておけば遺言執行者が裁判所に廃除請求出来ることなっていて、この場合には法定の事由が不要・・遺言者の意思次第で効果が生じるかのような書き方ですが、これは裁判所への請求を遺言で表明しておけると言うだけで遺言執行者は裁判で前条の廃除事由を証明しないと効力が生じないことになっています。
私の事務所では廃除の遺言を作られていて、(例えば次男に全部やると書いた遺言のついでに長男その他の相続人を廃除すると書いてある遺言が増えてきました)廃除の効力を争ってことなきを得た事件を、ここ数年〜5年ほどの間に2件担当しました。
現行民法を紹介しておきましょう。
内容及び条文の記載の順序も明治31年公布の旧規定とほとんど同じです。
法令全書で旧条文の写真が見られるのですが、コピーペースト出来ないのでそのまま掲載出来ませんが、(推定家督相続人が推定相続人に代わっている程度の文字の変更が中心ですので、遺言・遺留分制度は次のコラムで再紹介します)今回は廃除に関する現行法の条文を紹介しておきましょう。
(旧規定の原文をご覧になりたい方は法令全書をサーチしてみて下さい)

民法(現行)
第八百九十条  被相続人の配偶者は、常に相続人となる。この場合において、第八百八十七条又は前条の規定により相続人となるべき者があるときは、その者と同順位とする。
(相続人の欠格事由)
第八百九十一条  次に掲げる者は、相続人となることができない。
一  故意に被相続人又は相続について先順位若しくは同順位にある者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者
二  被相続人の殺害されたことを知って、これを告発せず、又は告訴しなかった者。ただし、その者に是非の弁別がないとき、又は殺害者が自己の配偶者若しくは直系血族であったときは、この限りでない。
三  詐欺又は強迫によって、被相続人が相続に関する遺言をし、撤回し、取り消し、又は変更することを妨げた者
四  詐欺又は強迫によって、被相続人に相続に関する遺言をさせ、撤回させ、取り消させ、又は変更させた者
五  相続に関する被相続人の遺言書を偽造し、変造し、破棄し、又は隠匿した者
(推定相続人の廃除)
第八百九十二条  遺留分を有する推定相続人(相続が開始した場合に相続人となるべき者をいう。以下同じ。)が、被相続人に対して虐待をし、若しくはこれに重大な侮辱を加えたとき、又は推定相続人にその他の著しい非行があったときは、被相続人は、その推定相続人の廃除を家庭裁判所に請求することができる。
(遺言による推定相続人の廃除)
第八百九十三条  被相続人が遺言で推定相続人を廃除する意思を表示したときは、遺言執行者は、その遺言が効力を生じた後、遅滞なく、その推定相続人の廃除を家庭裁判所に請求しなければならない。この場合において、その推定相続人の廃除は、被相続人の死亡の時にさかのぼってその効力を生ずる。

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