財産「分与」から分割へ

October 27, 2010「破綻主義2」のブログで、昭和62年最高裁大法廷判決を紹介しましたが、現在の判例が破綻主義になっていると言っても有責配偶者の離婚請求を認めるか否かの基準は、離婚後の相手方の生活状況が過酷なものにならないかどうかの判定が中心となっていますが、こうした判例基準が出来てくる前提には元々有責か否かの問題以前に離婚に際しては離婚後の妻子の生活保障を重視して来た歴史に由来するものと言えます。
財産分与が文字通り夫婦形成財産の分割として、経済的意味を持つようになったのは私の実務経験では昭和50年代に入ってからのことのように思われます。
30年代末頃から40年代頃に結婚した夫婦が政府の持ち家政策と住宅ローン制度の発展に乗って(相続によらずに)郊外のマイホームを取得し,列島改造論・狂乱物価等不動産価格の連続上昇によってマイホームの価値が取得時の数倍に上がったので,これを離婚時にどちらが取得するかは重大な意義を持って来たからです。
この段階になると、夫婦形成財産の清算が原則になったのですから、逆に「分与」と言う一方から他方への恩恵的な用語の方が違和感を持って来ます。
分け与えられるものではなく、妻は自分の稼いだ収入の潜在持ち分を取り戻すだけの機能になって来たのです。
実際、ここ20年以上離婚に際しては夫が親から相続した資産は分与請求の対象にはなっていません。
夫婦で形成した資産だけが対象になっている時代が来たのですから、分与ではなく分割とすべきだろうと言うことです。
このような観点から配偶者の相続分の観念はおかしいのであって、配偶者が2分の1まで取得するのは本来は相続ではない筈だと言う意見を11/01/03「相続分6(民法108)(配偶者相続分の重要性1)(遺産は共有か合有か)」以下で繰り返し書いて来ました。
そのコラムでも書きましたが、始めっから夫名義にする必要がなく共有名義にしておくべきだったのですが、明治民法下では、不動産その他重要資産の名義は戸主・男の名義にする習慣になっていたので、何かを買うと男の名義にする習慣がなかなか抜けなかったのです。
この10年余りでは若夫婦がマンションを購入する場合、夫婦共働きが多いこともあって、夫単独名義にせずに夫婦共有登記することが多くなったのは、こうした私の意見に世の中が近づいて来た結果でしょう。
ところが、ここ20年ばかり物価下落によってマイホームの方は値上がりしていないことと、(結婚後10年前後の場合ローン残との清算価値ではマイナスの家庭が増えて来ました)長寿化した最近ではこれに代わって退職金や老後の年金受給権が大きな意味を持つ財産となったので、年金に関しては数年前から分割請求権が法で明記されるようになっています。
年金分割については、06/23/07「年金分割と受給資格1」以下で紹介しました。
ただし,これは熟年離婚には大きな威力を発揮しますが、結婚後数年での若年離婚の場合、大した金額にはなりません。
出産しないうちの離婚の場合、特に問題がないのですが、乳幼児を抱えての離婚の場合、財産分与や慰藉料ではどうにもならない(財産分与に将来の扶養要素を含ませても、男の方も若くて一時金を払える能力がないことが多い)ので分割払いの養育料が重要になって来たのです。

婚姻費用分担と財産分与2

  

財産分与と言う漢字の意味からすれば、(正確には分与=分け与える・一方的な恩恵ですが・・長い間夫婦形成財産の分割の意味で使われて来ました)離婚時の共有財産の清算が本質で、離婚後の扶養を加味するのは奇異な感じですが、私が勉強していた当時は(基本書は主として昭和30年代までの判例学説を解説するものでした・・・)夫婦で形成した財産など微々たるものにすぎなかった社会経済状況を前提にしていたのです。
当時の都会流入者・・金の卵等と言われて集団就職等で都会に出て来た若者は結婚すればアパートないし借家住まいをするのが普通で今のように多くの人が自宅一戸建てやマンション等を所有している状態ではありませんでした。
・・そのために私の住んでいた池袋など多くの場所では、民間のアパートが急増されたのですが、これでは追いつかないので、社宅や県営、都営住宅や住宅団地が大規模に造られました。
住宅公団や住宅金融公庫法などは昭和25年頃から順次整備され始め30年代に完成していることを、10/29/03「相続分3(民法105)(配偶者相続分の変遷1)(ホワイトカラー層・団地族の誕生)」のコラムで紹介しましたが、土地買収から土木工事を経て実際に大規模な団地への入居が始まったたのは昭和30年代末から40年代にかけてのことです。
借地や借家生活は戦後に限らず明治大正時でも基本は同じで都会流入者・よそ者は、借地して家を建てたり借家住まいになるのが普通でした。
(あえて言えば江戸時代でもよそ者は大きく成功しない限り同じく長屋住まいが原則・・土地の売買仕組みがあまり機能していなかったことによるのでしょう)
大名屋敷や武家地なども将軍家かどこか分りませんが政府から借用と言うか指定されて使用しているに過ぎず、(忠臣蔵で有名な吉良上野が屋敷替えを命じられたのはこの原理の応用です)明治になって国民に払い下げたことによって初めて個人所有になったことを、09/01/09「地租改正4(東京府達別紙)」前後で紹介したことがあります。
この政策が大きく転換したのは,昭和30年代後半〜40年代に入って借地法の解約制限が厳しくなり,厳しくすれば貸す人が減りますので、他方で政府による持ち家政策が始まったことによるのです。
例えば昭和35〜6年頃に離婚事件を起こす人は、昭和20年代から30年代初めに結婚した人であるとすれば、(婚姻後2年や3年で離婚になった場合、これと言った財産を形成出来る訳がないのは今でも同じです)その頃・・・敗戦後焼け野が原にバラックから復興を始めた日本の疲弊した経済状態を前提にすれば、結婚後5年〜10年経過していても多くの人がこれと言った資産を持っていなかったことが分る筈です。
これと言った財産のない状態で離婚するのが普通であった当時としては、(30年代半ば以降は)所得倍増計画が始まった頃で,現役労働者・男には離婚後もフローとしての確かな収入が予定されていたのに対し、離婚後の(無職)妻子の生活保障がなかったので財産分与の解釈に扶養要素を取り込む必要であったことによるのでしょう。
これまで書いているように、結婚制度は子育ての間の母子の生活保障のために形成されて来たとする私の仮説からすれば、婚姻解消に際しても母子の生活がどうなるかについて関心を持つのは当然のことになります。

婚姻費用分担と財産分与 1

11月26日に書いたように何十世代にもわたって同一地域内・・隣接集落を巻き込んだ一定規模の範囲で婚姻を繰り返していれば、遠くをさかのぼれば近隣の人はみんな親族ですから、近隣=先祖をさかのぼれは親族ですから、満蒙開拓団であれ北海道の屯田兵であれ,郷里を同じくし,あるいはもとの家臣団で団を編成して向かえば助け合いに便利だったのです。
都市への移動が盛んになり近隣住民相互扶助や親族共同体崩壊に比例して、核家族構成員だけでは賄いきれない出産や冠婚葬祭・病人の看護に関しては家庭(主として女性の助け合い)に委ねられなくなったので、産院・病院の施設充実(完全看護化)が早くから進み、ついで託児所や保育所が充実し、最近では精神面の援助をする子育て支援センター等も充実して来ました。
子育て支援の経済的側面に限っては、社会化が容易に進まない(国にそこまでの経済力がなかった)ことから、婚姻中の経済的負担を夫に対して法的に強制することにしたのが、婚姻費用分担制度であり離婚後もその延長で責任を求めるのが養育料支払義務制度であると私は理解しています。
養育料となれば赤ちゃんの生活費だけ払えば良いかと誤解する人がいるでしょうが,赤ちゃんを育てるために掛かりっきりになっている母親が働けないので,その生活費も面倒を見ることになるのは当然です。
企業が解雇後の失業者の生活費について一定期間責任を持つために雇用期間中から失業保険料の負担をしているのも同じ精神構造でしょう。
このコラムでは養育料支払の関心から議論が入ってきたので、書く順序が逆になっていますが、貨幣経済化の進展によって婚姻費用分担・・要は家族構成員の生活費を誰が責任を持って見るべきかの問題意識が生じて来て、その思考の延長として離婚後も養育料を負担すべきだとなって来たものです。
離婚後の配偶者に対する生活保障は離婚した当事者には本来関係がない筈ですが、元々社会保障不足分を補うために婚姻費用分担義務を創設したとすれば、その延長で離婚後の後始末として母子の生活費を別れた夫にも分担させるようになったのは勢いの赴くところと言うものでしょう。
離婚時の財産分与の内容は、今でこそ夫婦形成財産の分割・清算と理解されていますが,当時は慰藉料や離婚後の母子の生活保障万般を含んだものであると言うのが、司法試験を勉強した頃の学説判例でした。
事務所に行けば勿論本がありますが、面倒(何回も書きますがこれは正式論文ではなく思いつきを自宅でヒマな時に書いているコラム)なので,ネットで調べてみたところ、以下の住所の「法律用語の豆知識」では以下の通り解説されていましたので、今(この検索した11月30日時点)でも公式にはこのように言われているのでしょう。
(次回に書くように私の実務経験では大分前から経済実態が変わってしまい、・・我々実務運用でも意味が変わっていると思っていたのでこのような解説がネット上で現存しているのには驚きました)

http://www.kkin-en.net/houritu/x84-5.html
財産分与請求権

「離婚した一方の者は、相手方に財産分与を請求できます。財産分与請求権の性質としては、夫婦共同生活中の共有財産の清算が中心的で、離婚後の扶養の要素も含まれていると解されています」

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