沖縄の辺野古基地移転反対騒動のテーマになっている公有水面埋め立て・使用の許認可一般論で言えば、個人や民間企業が埋め立てるには、港湾全体計画や地元には漁業者その他多くの利害関係者がある・・調整が必要ですから、企業や民間の一存に委ねず幅広い調整が必要なことによります。
この調整を利害に通じた地元で行なうのが合理的であるから地元自治体の許可があるのですから、地元自治体だけでなく隣近所の自治体に関係があるときには、関係自治体の協議で決めるか、より上位(広域)の機関が主宰して決めるのが合理的です。
このようにテーマの広がりに応じて、順次より広域・上位機関で決めて行くのかどこの業界でも分野でも世界中の共通原理でしょうが、この逆に広域・上位機関で決めたことを下位機関が覆せるのでは、どんな世界でも秩序が保てません。
司法機関で言えば最高裁や高裁判断を地裁が覆せるでのは、システムとして成り立ちません。
大阪湾全体で言えば、政府の港湾整備計画に対して堺市が反対していると大阪湾全体の統一開発・統一管理が出来ないのでは広域組織の体をなしていないことになります。
大阪湾広域計画に抵触する1自治体の埋め立てを上位機関が許可しないのは合理的ですが、大阪湾全体の広域計画を1自治体が拒否出来る制度を作るのでは、制度設計が逆立ちでしょう。
自治体と住民や企業の関係同様に、国と自治体の関係は、多くの自治体に関係することは広域を管轄する国が上位機関として最終決定権があるべきですが、今の制度は、自治体の方が国より上位機関化?していて国を自治体構成員・個々の住民のような立場・・国の行為・開発行為までを自治体が許認可する権限者にしているのですが、これを正すには、国の行為は自治体の許認可を要しないと言う例外措置が必要です。
こういう法制度にすることが憲法の定める地方自治の本旨に反するとは思えません。
ソモソモ下位機関の自治体が上位機関の国の行為を許可・認可する発想自体が逆立ちした発想でおかしいでしょう。
憲法学者や行政法学者によれば「今は自治体と中央政府は対等である(もしかして地方の方が上と思っているのかな?)」と言うのでしょうが、それでは日本国が対等な何百と言う自治体連合体みたいになってしまい統一国家とは言えません。
対等な連合でしかも拒否権があるのでは、「船頭多くして船山にのぼる」状態・・何も決められない政治・・統一組織体とは言えなくなってしまいます。
対等国の連合体であるEUでも、構成国に対して条約で決めた範囲内の決定には拘束力があります。
それがイヤで、イギリスが脱退を決めたのです。
私のように「国が元々持っている権限を下位組織に委ねているに過ぎない」と言う意見を封じるために?15年ほど前目に機関委任事務をなくしてしまったことを1週間ほど前に紹介しました。
法的には決着がついているとした上で私は、この法制度が組織のあり方として間違いであるから元に戻すべきと言う意見を書いていることになります。
自治体の従来業務の多くが機関委任から、法定受託義務に変わったとは言え、内容を見ると「是正の指示、代執行等、国の強い関与が認められている。」と言うのですから一応政府の意思がある程度貫徹する道が一応残されています。
ただ、自治体に許認可権減がある以上は、最後は全て訴訟で決着付けるしかない・・せっかく選挙などを経て長期間政治の世界で揉んで決着が着いた事柄でも、イザ実行過程でその後さらに5年も10年も裁判しないと決められない仕組みでは、成田空港の例(1週間ほど前に漸く判決が出たことを紹介しました)を見ても分るようにスピード感のある国際変化の時代について行けません。
実際に今では、沖縄の基地移転訴訟や原発の例で分るように日本の現在の法制度では、おかしなことに上下の関係を決めていない・・組織の原理から言えば自治体が遠慮べきですが,野党系首長が遠慮しない場合・・結果的に最後は裁判所が決めるしかない仕組みになってしまいました。
自治権強化の結末→中央対地方の対立→司法の出番を見越していたのか?左翼系は、司法機関への浸透に早くから熱心でした。
これに危機感を持った政権側の巻き返しが昭和40年代に大政治問題になった青法協騒動・・裁判官の中立性問題でした。
http://www.seihokyo.jp/html/about-seihoukyou.html
「青年法律家協会は、1954年、憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に、若手の法律研究者や弁護士、裁判官などによって設立された団体です。」
http://d.hatena.ne.jp/sankeiaidokusya/20120418/p1による青法協の政治性の記述です。
「警備研究会著『日本共産党101問[補訂]』によると、青法協は「日本共産党の大衆団体」として定義され・・・昭和45年5月7日、札幌地裁民事2部は「青法協は、自衛隊反対運動と基調を同じくすると思われる安保廃棄等の政治的な活動方針を有する広い意味での政治団体である」と判示しています。46年4月13日の衆議院法務委員会で最高裁の矢口洪一人事局長は「少なくとも政治的色彩の非常に濃い団体であるというふうに考えております」と答弁。植木庚子郎法相も「ただいまの政府委員の答弁と同様であります」と言っています。」
自治体が独立性を高めて国家政策と対立するようになった場合に、国家施策に反対の政党が政府策に必須の自治体を押さえると、国家施策を実行するための開発行為などの許認可が得られなくなります。
・・自治権強化の結果国と自治体の上下関係の否定・・対等化が進むと、対等者間の訴訟を利用して決着を付けるしかなくなります。
最終決定権が裁判所に移りつつあるときに、何者にも命令されない独立の権限のある裁判官が、特定政治色に基づいて裁判するようになると結局裁判所独裁になってしまいます。
裁判所が積極的に特定政策を命じることは出来ませんが、自治体の言い分を認めて許認可拒否が正しいと言う判決や取り消しを認めたり稼働している原発その他の停止を命じることが出来ます。
裁判結果を待たないと国家としての迅速な決断→実行が出来ない国家制度では,ハブ空港化に遅れを取った成田空港の例で紹介しましたが、国際政治・国際産業競争に負けてしまいますから、政府決定を何でも拒否出来るようにする自治強化論、重視論は(彼らの主観的意図とは関係なく結果的に)亡国論・どこかのための利敵論になります。
このように国家施策の最終決定権を・・個人対国家権力の関係ではなく自治体と国家の関係で司法権に移行している国があるのでしょうか?
アメリカは連邦制ですから、連邦成立時の規約関する条約の解釈は司法権の分野でしょうが、訴訟社会と言われているのは個人保護の分野であって、国論の割れるような重要国家施策が地裁レベルの訴訟や仮処分で停止するような運用になっていないのではないでしょうか?
ただし、以上は門外漢の私が直感的意見を書いているだけです。