日系企業米国生産と格差緩和1

日本の場合赤字になるまで維持するどころか、赤字でも後何年頑張れるか・・「がんばれるだけ頑張ります」というのが決まり文句ですが・・地域経済への悪影響への心配がこういう精神論表明になるのでしょうか?
11月6日日経新聞朝刊1面トップに富士フィルムが合弁相手の米国ゼロックスから富士ゼロックスの持ち株(25%)全部を2500億円で買取り資本関係解消したと出ていましたが、米国ゼロックス本部はIT化進行により衰退事業分野となっている事務機部門を売り抜けて、富士フィルムから得た2500億円を新規有望部門の投資に回せる思惑が解説されていました。
11月7日夕刊には、米国のゼロックスはこの資金を含めて3兆円規模でコンピュータ企業のHPの買収提案をしたと報じられています。
富士フィルムの立場は合弁契約で富士ゼロックスには販路制約があったのですが、販路制限契約の縛りがなくなるので販路を世界に広げて行くための買い物と位置付けているようです。
この思惑の違いこそが、米国企業の真骨頂であり、落穂拾い的に衰退分野を修復しながらコツコツと維持して行く(法隆寺や、日本画、民俗行事など修復し続けて未来に繋ぐのが日本民族の基本姿勢です)日本企業との違いの象徴的取引というべきでしょう。
収益重視経営を一直線に突き進めると低賃金新興国の追い上げによる国内大量生産部門急速縮小→大量人員整理が急激に起きます。
不採算事業切り離しを一直線に進めると、収益的・株式相場的には高収益企業が増えて万々歳ですが、新興産業の金融やハイテク〜IT産業は雇用吸収力が弱いので製造業から押し出された大量労働者の行き先がない・大量失業→急激なサービス雇用への転換が必要になります。
この辺、明治維新によって武士が失業しても受け皿になる製造業界が多く立ち上がって労働者(士族の転職先でる管理部門事務系需要も急増)を吸収したのとの違いです。
戦後直ぐに日本の挑戦で繊維や家電等の軽工業縮小・米国での雇用喪失の場合には、女性労働者が多かったのでサービス業への転換(今では介護士など)が容易でしたが、重工業や自動車等機械製造系は男性労働者中心ですのでサービス業への転職は1世代程度の時間差がないと気質的に困難です。
我が国でも草食系男子という流行語が20年ほど前に流行った・今やそんな言葉すらないほど男性多数がソフトになってきて男性看護師・介護士等も普通になってきましたが、その間30年ほどの経過があって適応できるのです。
ソフト社会になるのは良いことと思いますが、サービス雇用化は製造業雇用に比べて不規則労働が多いことから非正規化→中間層が痩せて行く一方となります。
事務系でも資本自由化による資本金融取引拡大・IT・知財発展による中間管理職・ホワイトカラー層不要化進展による中間層縮小が加速する一方です。
国際金融取引のプロとして巨額を動かせるエリートはホンの一握りであって、中間管理職不要化の動きはとどまるところがありません。
大学院まで進み研究者の道はというとこれまた多くが同じ思いですから、オーバードクター状態になり、大多数が非正規の臨時講師の仕事しかない状態です。
製造業中心社会からサービス社会化の進行は、一方でグローバル化の波に乗って巨万の富を得る人がごく少数出る一方で中間層から脱落する低賃金層の拡大する社会でもあります。
米国の歴史的行動価値観・・収益率低下見込み〜不採算事業を早めに切り離し売り抜けて収益率の良さそうな企業買収するのが原則的価値観の社会です。
米国独立後北部工業地帯が成長を始めると奴隷による低賃金労働に頼る南部綿花事業切り捨て→南北戦争の主原因でした・・これをドライに割り切って行うのを視覚的に表現したのが、スクラップアンドビルドという表現だったのでしょう。
これの経営への応用が収益重視・・・ROE重視経営です。
戦後復興した日独等の米国追い上げが始まる追い上げられる分野ごとに収益率が下がって行くのがはっきりしているので、米国内生産を早期に切り上げて欧州等需要地での現地生産に切り替えて行ったのは上記経験による選択でした。
資源等ある国や地域にしかない物品は貿易による交換が合理的ですが、工業製品は本来どこでも作れるものですから労働者の能力差とコストしだいで生産適地が決まるものです。
圧倒的コスト差があれば輸送費や関税、人件費の差を負担しても長距離輸出が合理的ですが、技術などの競争力が拮抗してくるとちょっとした輸送費や関税手続きコスト負担も重荷です。
現地相場のコスト・・欧州の場合戦争で疲弊して生産設備が壊滅したのでその隙をついて米国が大量輸出できただだけのことで、労働者の能力としては米国と同様(以上?)でしたので現地生産に切り替える方が合理的でした。
戦争で破壊された欧州製造設備の復興が進むと米国から輸出するよりは、人件費の安い欧州に進出して生産すれば土地代、輸送費、時間、関税等すべて競争条件が同じになるので欧州などでの競争力を保てる→国内製造縮小して行くのが経営学的には正しい選択となります。
米欧の関係はもともと人種的に同根で基本的能力差がないに等しいのですから、相互に現地生産=競争条件が同一化すればどうなるか?
長距離輸送や関税負担するコスト差以上の競争力がないだけでなく、米企業の欧州拠点の場合、米国本社の遠隔指示と現地判断の差が出るので現地生産もうまくいかなるし、米欧相互に輸出コスト負担してまで輸出努力するメリットもなくなります。
これが欧州進出したGMや、フォード、クライスラーなど早くから欧州進出していた企業が軒並みうまくいかなくなっている理由でしょう。
イタリア、ドイツ等の特殊手作り的高級車や食品や衣装系・・仏伊のファッション系その他伝統に根ざしたもの各種製品に限って、米国へ食い込み成功しているのは、文化力格差によるものです。
同じ欧米系人種同士でもいわゆるアメリカの文化レベルはいわゆるヤンキーと表現される・・文化力の総合的表現である女性の理想像で言えば、最盛期のアメリカが初めて獲得した自前の民族理想像がマリリンモンローでした・彼女が米国文化の代表になったことが米国の文化レベルの国際意思表示・自白?と評価すべきでしょう。

GM破産2(遅れた不採算事業切り離し)

会社側の再建案は新会社設立案を基本にしたものでしたが労組優遇で、一般投資家(米国は個人投資家が多い・子供の入学資金用の株式投資など)に対して大きな負担を求めるものでしたので債権者の同意が得られず破産に突入しました。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1176

切り捨てられた「普通の人々」
GM倒産劇の裏側 2009.6.9(火) 小浜 希

GMが発行した無担保社債など約270億ドル分の債券保有者には、新生GMの10%の株式と引き換えに100%の債権放棄を要求。その一方で、GMに約200億ドルの医療費関係債権を抱える労働組合の債権放棄比率は50%とし、新生GMの株式39%を与える内容だった。
米国では労働者個々人も銀行預金より小口投資する投資社会なので、投資家と言っても一般の労働者が多い社会ですから、GM労組優遇の提案で合意できるはずもない・・世論も応援しないので合意不成立で破産に突入します。
日本や韓国では、労組=弱者→優遇という図式化した運動・市民代表を僭称する運動が多いのですが・・アメリカの場合、労働者切り捨て投資家保護反対!という図式的スローガンが成り立たなかったようです。
ウイキペデイアのGM破産解説に戻ります。

2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章(日本の民事再生手続きに相当する制度)の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては史上最大である[9]。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の国有企業として再建を目指す事になった。
・・・しかし、子どもの教育資金や、老後の生活の備えとして、なけ無しの金を注ぎ込んだ個人投資家が、労組偏重の再建計画を甘受できるはずもなかった。

従業員の新時代適応拒否症?が、部分的とは言え企業活性化を妨げる効果を上げ、現在米国の国際的地位低下が目立ってきた基礎構造でしょう。
アメリカの活力は、スクラップアンドビルド・あるいは用済みの都市を捨て去り(ゴーストタウン化して)別の街を作る・効率性重視社会と言われていましたが、一定の歴史を経ると古い産業構造を残しながら前に進めるしかなくなった分、非効率社会になったのでしょう。
破産により不採算部門を切り離し、新会社移行(国有化後国保有株の市場売却で民営に戻っています)により新生を目指すGMですが、破産後10年経過で先祖帰りしたらしく今年に入って以下通りのストらしいです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49865800X10C19A9000000/

GM工場のスト続く、労使合意なお時間 株価は急落
2019/9/17 5:20
ただ、米国内に業界平均より3割多い77日分の完成車在庫があるため「すぐに販売面に影響が出る可能性は低い」という。

業績不振のおかげで在庫が77日分も溜まっているので企業はストが続いても余裕らしいですが、こう言うのってめでたいのかな?
アメリカの製造業は低賃金国への脱出盛んですが、今でも製造業大国らしいです。
製造業草創期から蓄積した技術があって世界に進出した各種工場のマザー工場機能を果たせる仕事があるからのようです。
ただしマザー工場的役割は従来の内需を満たし輸出までしていた工場群の数%(雇用も同率)で足りるものですから、国外脱出の穴埋めには力不足でしょう。
別の側面から見ると、日本の自動車産業が輸出の限界を悟り現地生産を増やして成功していることを見ると、この限度で日系企業が米国内製造業生き残りに貢献していることが分かります。
米国の外資による国内生産受け入れ政策は、後進国が輸入規制によって、自国産業育成のために高関税などの権利を留保できている役割の逆張りです。
米国の日系企業の米国内誘致政策は、先進国製造業が新興国の追い上げを受けて雇用が急速縮小する激痛緩和の役割を果たして来たようです。
後進国のこれから育つ産業育成を待つのは、少年期に成長期待して見守ってやるのに似ていて成長確率が高いですが、新興国に追い上げられる先進国社会保護のために時間猶予を与えるのは高齢者を大事にするようなものでいわゆる延命策です。
ここでいきなり話題がそれますが、いわゆるM&Aに関する関心を書いていきます。
日本企業の株価収益率の低さが長年問題視されて来ましたが、その裏側の米国企業の目線で考えると企業のあり方に関する基礎的考え方の違いがわかります。
時代遅れになる分野→ローエンド〜セコンドエンド生産にこだわり、同業他社との競り合いを続けてさらに20〜30年生き残れるとしても、これをやっているとその間収益率が徐々に低下していきます。
米国的価値観では、自国産業は利益率の高い高度化転身を目指して不採算見込み事業をどんどん切り離し(M&Aでこれを処分し)て行くべきというもののようです。
比喩的事例で言えば、現在15%の高収益事業が5年サイクルで13%〜11〜8〜7〜3%〜0〜マイナスと変化していくパターンの場合、その事業を今売れば1千億円で売れるが11%に下がってからだと5百億円で、3%に下がってからだと30億円でしか売れない見込みの時に、どの時点で処分するのが合理的かの判断が重視される社会です。
処分金で再投資すべき事業の存在との兼ね合いで合理性が決まるのですが、処分金を年利数%で預金する予定の場合と現在5%の収益率があり、3年後に8%、5年後に1%8年後には15%に成長可能な企業があった場合どの段階で自社事業を切り離して売却するかの複合判断です。
ちなみに雇用を守るために簡単にリストラクチャリングできないとも言われますが、倒産と違って企業を買う方は事業に慣れた従業員が継続してくれることこそ購入価値ですので、原則全従業員が引き続き雇用継続される前提・雇用確保の社会的責任への考慮はこの場合不要です。
マイナスになるまでリストラを先送りし、大混乱の倒産を引き起こす方が無責任経営の評価を受けるのではないでしょうか?

仮処分の必要性2(即時効の威力)

小規模裁判所で停止の仮処分決定が出ると、細かい証拠を見るまでもなく(決定書を見られないので詳細については外野には分りませんが・・)、認定が「一見して無茶だ」という意見が圧倒的多数であっても、異議審も同じ裁判長が担当しますので、異議を出してもほぼ100%是正されません。
アメリカ大統領令の司法審査報道では異議申し立てではなく、日本で言えば異議ではなく抗告審の印象です。
この辺の原稿は高浜原発停止の仮処分が出た直後頃の16年3月に書いていたのですが、昨年初冬ころに異議審決定が出たことを紹介しましたが同じ裁判官が出す(大津地裁の裁判官構成もこのシリーズで紹介しています)ので結果は同じでした。
(その間に著名な科学の進歩がある訳がない・・同じデータを元に同じ判断基準で判断する限り同じ結果になるのは当たり前です)
結果的に停止の効力は地裁に事件が係属している限り(本件決定内容不明ですが,仮に大多数の法律家から見て論理建てに無理がありそうな場合でも)是正されないことが事実上決まってしまいます。
いつ地震があるか分らない・・または100%安全を証明出来ない理由で停止を命じられる・・例えば年間これだけの交通事故死があると言う統計が出されるとその段階で安全性の立証(疎明)責任が転換されるとした場合・・電車もクルマも医療の安全性も損害の程度も全ての分野で操業停止仮処分の対象になる理屈になります。
一定のリスクがあっても社会の発展や社会全体の利益のためには許容範囲と認めるかどうか・・これは民意・政治の場で決めるべきことです。
原発被害は一定のリスクと言える程度を超えている巨大なものであるからエリートが決めてやると言うのでしょうが、ソモソモ司法官僚が何故このリスク判断について専門家であると言えるのでしょうか?
その道のエリ−トが一定の手続で選任され、規制基準を作って基準に合致しているかどうかを判定しているコトについて素人の裁判官がその決定を覆す意味が分かりません。
あるいは、規制基準と現状を審査したところ、その基準に合致していないと言う判断もあり得ます。
しかしこの場合もその基準に合致していないことと甚大な損害発生可能性とイコールではありません。
細かな基準には念のためと言うものが一杯あります。
今築地市場移転問題で規制以上のフッ素だったかが出たと騒いでいますが、フッ素規制値は水源地の基準で毎日(何十年も)その含有量の水を飲用し続けても絶対大丈夫ですと言う基準です。
環境省データの一部抜粋です。
(下記のうちPFO、PFOAはフッ素の中でも毒性が強いとされているものらしいです)
https://www.env.go.jp/council/09water/y095-13/mat07_2.pdf
1.4
水道水質基準
平成21 年4 月1 日より、水道水に係る要検討項目は従来の40 項目に加え、過塩素酸と「パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)」、「パーフルオロオクタン酸(PFOA)」及び「N-ニトロソジメチル
アミン(MDMA)」の 4 項目が新たに指定された。このうち、PFOS と PFOA の 2 項目については、以下のような考え方が示され、目標値の設定も見送られた。
注:「要検討項目」とは、平成15 年4 月28 日厚生科学審議会答申「水質基準の見直し等について」において、「毒性評価が定まらない物質や水道水中での存在量が明らかでない物質を対象とした項目」として位置づけられており、必要な情報・知見の収集に努めていくべきものとされている。
豊洲市場の地下の土からしみ出して来る水を毎日何リットルも飲む人は皆無ですから、(まして出荷される魚がその水を飲むわけがないのでどう言う関係があるか意味不明)元々市場立地の危険性と・・何でも反対流にしている?無意味な基準であることが明らかです。
このシリ−ズでは行き過ぎたPC(慰安婦問題で国際的に政治的に?完成させた上で・いわゆるPCが出来上がっている以上反論すること自体がおかしいと言うののがアメリカの支配的風潮で・・日本攻撃をされましたが・・政治的正しさをマスコミが作り上げてはその強調する弊害)批判も書いていますがこれもこの一種です。
最近、マスコミ内の特定勢力による反対運動があるとこれに迎合して無茶な基準・・いわゆるpcを決めてしまうことが多過ぎるからこう言う馬鹿げたことになります。
原発設置基準でも原発アレルギーに便乗したいろんな不合理な基準が一杯ある筈です。
こんな無茶な仮処分をする裁判官はいないので、裁判官の裁量に任せておいてもこれまで社会問題にならずに来たのですが、昨年春の高浜原発稼働停止の仮処分は正にこのような基準による裁判でなかったかの疑問です。
本案判決の場合、負けた方が控訴しないと決まるまで判決の効力が出ない・・・地裁の判決が仮に間違っていても実害がありませんが、仮処分決定の場合決定告知と同時に即時に効力が出てしまうことが先ず大きな違いです。
民事訴訟法
(決定及び命令の告知)
第百十九条  決定及び命令は、相当と認める方法で告知することによって、その効力を生ずる。
その上に判決の場合直ぐ控訴して上級審の再判断を求められますが、決定の場合同じ地裁への異議申し立てが出来るだけで、すぐに高裁に抗告出来ない仕組みです。
民事保全法
(保全異議の申立て)
第二十六条  保全命令に対しては、債務者は、その命令を発した裁判所に保全異議を申し立てることができる。
保全抗告)
第四十一条  保全異議又は保全取消しの申立てについての裁判(第三十三条(前条第一項において準用する場合を含む。)の規定による裁判を含む。)に対しては、その送 達を受けた日から二週間の不変期間内に、保全抗告をすることができる。
ただし、抗告裁判所が発した保全命令に対する保全異議の申立てについての裁判に対しては、この限りでない。
仮処分決定に対してすぐに上訴(以下のとおり41条の抗告は、保全異議に関する裁判が出てからのことになります)出来ないで、先ずは異議申し立てしか出せません。
地域経済や電力業界に重大な影響のある停止命令を、即時効があってしかもすぐには高裁へ手続が行かない仮処分を選んだこと自体も疑問です。
大津地裁としては、第1にそんな悠長な裁判をしている間に事故発生危険の切迫感があったと言う認定をしたのでしょう・・その後約1年経過してもまだ原発被害が起きるような大地震が起きていない・・(本案訴訟の結果を待てないほどの切迫性がなかった)結果から見ても大津地裁裁判官の認定が間違っていたことが事実で証明されています。
本案判決を待てない程スグに地震があると言う心証形成自体疑問がありますが、その点さえ別にすれば仮処分の場合、仮処分の当否の争いをしている間、原発が長期にわたって停止してしまう重大性から考えて、仮に担当判事が自己判断に自信があるならば、なおさら上級審のお墨付き判断を早く得るために本案判決手続を進めるべきだったように思われます。
申し立てがあっても、緊急性の疎明が足りないとして却下して本案訴訟の結果を待てば良い(大津地裁に場合本案訴訟も同じ裁判長ですから同じ結果を(進行を急ぐならば、証人尋問をしたとしても数ヶ月つ遅れ程度で出せた筈です)ことを何故すぐに上訴出来ない仮処分手続でやったかの疑問です。
尤も仮処分申請を選ぶのは申請人ですが、仮処分でやる緊急性を認めなければ自然に本案訴訟が始まりますから実際の終局的な方針決定権を裁判所が握っていたことを書いています。
もしもマトモな疎明資料が出ていないのに裁判官の主観(いわゆる心象風景で)で危険だと認定していたとすれば、私的意見を実現するために裁判権を利用したことになります。
テロ被害について16年3月31日に少し書きましたが、テロ等は社会秩序を出来るだけ長く麻痺させるのが目的です。
裁判官の主観で判断したとすれば、上級審で破棄されるのを予想出来た上で決定したことになりますが、何のために破棄されるのを承知で決定したのでしょうか?
その期間だけでも時間稼ぎ・・経済活動を麻痺させようとしたとは思えませんが・・。
ちなみに裁判官が「良心」に従い判断すべき「正義」とは16年3月31日に書いたように、個人的主観による正義ではなく,集積された判例・学説の蓄積によって導き出される予定(・・自分の考えが上級審で支持される自信に裏打ちされた)価値判断あるいは従来判例では矛盾があって変更すべき合理性のある場合です。
無茶をしない・・内部基準に従う前提で飛行機パイロットやクルマの免許があり,警察や軍人に武器携行が許されていますが、いずれも業務上決まった基準に従い個人的利用基準で使用しない信頼で成り立っています。
裁判官良心と言うと崇高なイメージですが、いろんな専門職が増えて来ると各業務ごとに要請される業務上スピリッツ+注意義務の一態様と言えるでしょう。
仮処分制度は、即効性がある分裁判官の良心を濫用する人が出るリスクもありますが、安易に仮処分を認めない・・事案の性質を見極めて慎重に運用する・・裁判官一人の判断で国政の根幹を揺るがすような決定を出来る権限があるのは、裁判官が「良心」に従う=権限を乱用しないだろう」と言う高度な信用で成り立っていました。
大津地裁の決定が日経新聞で「心象風景」で書いたのではないかと紹介されていますが、(私は決定文を知らないので)これをテロ的決定であると書いているのではありません・・ここでは一般論です。

仮処分の必要性1(立証・疎明責任2)

民意を経ていない司法権がどこまで政治に口出しすべきかのテーマを16年3月から書いている内に大分話がズレました。
トランプ大統領令の司法審査が政治的過ぎるかが話題になったので、この機会に仮処分の法的整理に戻ります。
最近?では、16年11月8日「政策決定と司法の拒否権・・仮処分4」〜16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)の続きになります。
立証責任としては、March 14, 2016,「仮処分制度と領域設定3(主張立証責任1)」で書き始めていたのですが、いろいろ間に挟まった結果この部分が残っていましたのでこここで取り出したものです。
お手数ですが、3月に戻ってお読み戴ければ話が繋がります。
高浜原発停止仮処分の正当性は政治的立場による感情論ではなく、主張・立証責任がどちらにあるか・どの程度で疎明出来たと言えるかになります。
危険性の程度・・損害がどのくらいになるかの判断や緊急性の認定は操業停止命令の仮処分をするか否かの重要要件であることを16年3月26日に保全法の条文を引いて紹介しました。
トランプ氏の入国禁止命令についても連邦高裁で同様の基準で審査されている様子であることを17年2月12日に紹介しました。
稼働停止仮処分の必要性は申し立て人が疎明しなけばならないことになっています。
民事保全法
(平成元年十二月二十二日法律第九十一号)第十三条  保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。
2  保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。
疎明とは、立証に至らない程度・・心証形成の程度を言う専門用語ですが、ここではいずれが疎明責任があるかの議論ですから、ここでは厳密な意味ではなく一般用語としての立証責任として書いて行きますのでご理解して下さい。
福井地裁で否定された高浜原発の仮処分が、同じ原発でもっと遠い(被害の少ない)隣の県の大津の裁判で認められたのを意外に思った方が多いでしょう。
危険性が福井県よりも大津の方高い?というのではなく、裁判官によって危険性の捉え方が違うと言うことでしょう。
放射能濃度許容基準を厳しく設定し風向きや風力がいろいろあるとすれば、大阪、京都でも危険性が高いと言えますので、どこの裁判所でも裁判出来る理屈です・・そこでこれを多め・・過大に主張する政治勢力が出て来ます。
原発事故発生可能性の蓋然率や危険性の程度(放射能被害をどう認定するか)いつ発生するかの認定次第で仮処分の必要性があるかの法的判断が決まります。
たとえば、福島原発被害を起こす程度の大地震+津波発生が、1000〜800年に1回の確率とした場合、この確率論だけでは地震発生時期がいつかさっぱり分りません。
仮に1000年に1回の年が10年後であれば本裁判を待てない緊急性・仮処分をする必要がありませんので、仮処分を命じることは出来ません。
1000〜800年に1回の地震が仮に来年起きると認定出来る場合には、数年かかる本案訴訟の結果を待てない緊急性があるので、(取り返しのつかない被害発生があるとすれば、その認定も必要ですが)仮処分が必要です。
アメリカの入国禁止大統領令の妥当性に関するテロ発生確率と入国禁止されることによる損害の比較・・思考過程とほぼ同じです。
大津地裁の仮処分決定は、決定内容が今のところ不明ですが、(この原稿は決定が出た直後に書いたので・・今はどこかに出ているかも知れません)停止の仮処分をしたと言うことは、数年以上かかる本案訴訟を待てないほどの緊急性と取り返しのつかない甚大な被害があると言う認定判断をしていることになります。
これまでのシリーズ連載で書いたと思いますが本案訴訟の場合には、高浜原発が規制基準不適合の認定だけで許可取り消しその他の判断に入りますが、仮処分の場合には違法だけでは足りずに、本案判決の許可取り消しを待てないほどの緊急性の認定が必要です。
ところで現在科学ではいつ地震が来るとは分らない・・予知不能を前提に1000年〜800年に1回の地震に堪えられるように新しい規制基準を作ったと報道されていたように思いますが、ソモソモ、高浜原発用地に限って、数年待てないほどの切迫性があると認定するにはどう言う証拠で認定出来たのか疑問です。
あるいは新規制基準が生温くて危険だと言う判断の場合、危険か否かの立証(疎明)責任がどちらにあるかの問題がある点では、地震発生時期に関する場合と同様です。
ここで専門的ですが立証責任の観念が出て来ます。
「数年内に発生しない」証明(正確には疎明)責任が業者にあるのか「数年内に起きる証明(疎明)責任が停止を求める方にあるのか」のテーマです。
あるいは規制が基準緩くて危険だ・・危険ではないと言う証明(疎明)責任がどちらにあるのか?
被害甚大の証明(疎明)はどちらがするのか?
一般に訴訟について「ない」証明は不可能・・悪魔の証明と言われているように、「ない」証明を求めるのでは、裁判前から結論が決まっていることになり裁判ではありません。
刑事事件で無罪の推定があるのは、(何でも人権に結びつける傾向がありますが・・)人権保障と言うよりは、「自分はやっていない」と言う「ない」証明が不可能だからです。
「ない」立証責任が業者にあるとした場合、原発に限らず全ての産業分野で(クルマでも飛行機でも工場でも)100%の安全を保障出来る産業はありませんので、事前禁止・差し止め仮処分が全ての分野で可能になって日本社会が死滅します。
16年3月14日に「立証責任1」で書いたようにクルマ運転の危険性皆無の立証は不能ですし、公害も、労災事故発生可能性も,宇宙ロケット事業も失敗可能性・・大津市に失敗したロケットが「落ちることはない」と証明出来ません・・新規薬品の副作用も100%ないことの立証は不可能です。
ある程度の事故率があっても全て走りながら修正して行く・・運用の中で不具合を修正して行くのが自由主義社会のルールです。
その過程で実害が起きた場合の事後補償・・この場合どちらかと言えば実際に被っている被害者救済の視点から、大は小を兼ねる運用が合理的ですが、事故前の業務停止命令になると反対側の損害が巨大過ぎてこの発想に無理が出ることを書いてきました。
表現の自由に関しては、事前検閲の有害性が普通に知られています。
そこで民事保全法では、冒頭に紹介したとおり原則として疎明責任が申立人にあることを前提とした上で、緊急性があるので、疎明で足りるとしたものです。
そこで、大津地裁は一定の段階で危険性・・あるいは数年内に地震が起きる可能性の疎明があったと認定して反証責任を業者に転嫁したと(判決書きを見ていないので推測)思われます。
しかし、現在科学では数年内に東北大震災級の大地震があるか、10年以上先か推定出来るほどの科学根拠があり得ないのが一般常識ですから、申立人が数年内に大地震が来ると言うコトをどんな証拠で疎明出来たのか理解不能です。
ある程度の危険発生確率を明らかにしないでも事業者が危険性がないと証明しない限り中止を命じられるとすれば、飛行機もクルマも、事故の危険性が絶対にないと証明(疎明)出来ない限り、使用禁止に出来る理屈です。
いつ大地震があるか分らないと言う理屈だけで、上記クルマや飛行とと違って原発だけ操業停止を命じられるのでしょうか?
原発の場合、万一事故が起きると損害が巨大であるからと言うのでしょうが、それは政治の場で決めるべきことであって、保全法を紹介したように損害だけで命令出来ると法には書いていない・・「疎明」がない限り司法が損害の大きさだけで決める権利はありません。
これは、一定リスクを前提にロケットが(失敗して大津市に落ちないと言う証明・疎明は出来ませんが・・)や航空機の飛行を認めるか医薬品開発などするかどうかは政治・・民意で決めるべきことだからです。
原発の新規制基準では危険過ぎるかどうかを司法権が認定出来るのかもテーマですが、ここでは、立証(疎明)責任で先ず考えています。
仮に立証責任の転換理論を持って来たとしても立証(疎明)責任を転換出来るほどの証拠が現在科学ではある筈がないので、(大地震が発生がいつか分らないと言う程度では疎明したことにならないでしょう)そこに無理な(経験則に反する)認定があった可能性があります。
16年3月27日のコラムで日経新聞の「春秋」欄を紹介したように、証拠の足りない分を「心象風景」で補った可能性を疑っている人が多いでしょう。
ここで言う「心証風景とは洪水的マスコミに洗脳にされたか政治的過ぎる判断をしたかの疑義の婉曲的表現です。

司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)

司法権のあり方に戻りますと、日経新聞に出ていた訴訟手続外の「心象風景」を重視する裁判官が増えて来ると結局はマスコミさえ味方に付ければ、民意を知るために行なわれた選挙の結果を覆すことが出来る・・政治の負けを挽回できる図式になります。
こう言う繰り返しの結果、政治論争をドンドン司法に広げて行くと政治と司法の限界がなくなってきます。
この結果・・司法権が肥大して行き政治論争のうち重要なテーマであればあるほど憲法違反の言いがかりをつけ易いことですから、重要事項については全て司法権が最終決定する場になってしまいます。
16年3月27日紹介したように右翼から批判されている日経新聞でさえも「裁判所が国民心象を認定する・・」危惧を示しているように民意吸収の場になってしまって良いか・・裁判所周辺デモやマスコミ報道だけを民意のように誤解させてしまう訴訟戦術は民意を覆す=国民主権の憲法理念を空洞化させてしまう・・民主主義を破壊する悪い戦術ではないかの疑問が生じます。
こう言う実質的憲法破壊勢力を見ると、何かと憲法違反と言い立てる集団構成員に多いように見える・・冗談みたいな集団です。
買収に応じる役人が悪いのは当然としても、これを誘惑する贈賄提供する方も汚職罪として処罰されるになっているように、民意は選挙で決めるべきが憲法の原理なのに選挙結果無視の裁判を求めるのが日常化すると民主主義が死滅します。
憲法は下位目的の運動に誘惑される裁判官個人の責任だけと言い切れるのでしょうか?
人権団体?がアメリカの大統領選挙の結果を認めないと言う主張で、連日激しい反トランプデモを繰り広げていますが、人権団体の主張は憲法をより所にすることが多いのでですが、出たばかりの選挙結果を認めないと言うデモをする人たちが憲法を拠り所に運動する集団って、どこかおかしい印象です。
選挙後の政策が憲法に反すると言うならば分りますが、選挙後まだ何もしていない選挙の翌日から、反トランプ運動するのでは、何のための選挙だったのか・選挙制度否定論と同じです。
自分の意見に合わない集団には表現の自由や人権を認める必要がないと言う(気に入らないデモは暴力的妨害しても良いし、中ソの核実験や公害・人権侵害等々不都合な事柄には一切触れないなど)偏頗な我が国の人権団体と同じ偏頗集団に見えます。
大統領選挙後のアメリカの騒動を見ていると、サッカーの試合に負けた方のフーリガンが暴れているようで、我が国のような落ち着いた民主主義社会(・・合議を尽くす社会)になるには、数千年単位で遅れているから無理が出て来たと見えます。
過去何世紀もアメリカが何とかなっていたのは、産業革命後必要になった豊富な資源+労働力の(移民をドンドン入れることによって補給する)供給力、右肩上がりの成長経済によって、不満が隠されていたに過ぎません。
アメリカの成長ドンか・・ニクソンショック後で言えば約30年以上経過で遂に国民亀裂を隠し切れなくなって来た印象です。
中国でもサウジでも、どこでも成長しておこぼれをある程度分配出来ている限り不満は起きません・・。
配分が減り大災害や敗戦などで、国民が困り切った極限状態で国民がどのような行動をとるかで民度・・元々の信頼関係が試されます。
イザとなれば、団結するのか分裂するのか、略奪に走るのか助け合うのか、国外脱出に走るのかが民度・信頼関係の簡単なバロメーターです。
中国でも韓国でも少しでもお金を造り、子供を如何にして国外脱出させるかが大きな目標になっている社会です。
民主主義とは本来「信なくんば立たず」信頼関係があってこそ定着するものです。
信頼していないがお金をくれる(補助金などで分配してくれる)限度で支持すると言うのでは、実質的賄賂を合法化しただけの社会です。
実利優先社会では、相手が落ち目になると(あるいは韓国やアメリカの大統領のように任期満了近くなるとレームダック状態になります)潮が引くように去って行きます。
論語
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。
書き下し文
子貢(しこう)、政(せい)を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者(さんしゃ)に於(おい)て何(いず)れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者(にしゃ)に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。
イザとなると何から順に棄てますかと聞かれて孔子様が、先ずは「兵力」次に「食糧」→「信頼は最後まで死守すべし」と言うことです。
孔子様は兵や食糧よりも、最上の政治は「信」であると喝破しています。
我が国では、このフレーズが好きな人が多い・・そうあるべきと考えている政治家が多いので人口に膾炙していますが、肝腎の中国では個人・人民としては最優先選択肢は食糧=財貨でしょう。
諸子百家時代には中国でも立派な考えが出たコトを何回も書いていますが、肝腎の中国現地では良いものを誰も顧みない・下劣な考えが尊重される民族になり下がったのは構成する民度によります。
今でも中国に立派な人が皆無とは思えません・・要は民族総合評価時代になっているので、少しくらい立派な人がいても埋没して守銭奴的中国人ばかり目立つのです。
立派な古典を読んでも、その中のどこに感動するかは読む人の能力によるのと同じです。
シックな洋服と成金趣味の洋服がある場合どちらを選ぶかは客の品性が決めます。
現在中国の為政者としては、不満を抑えるためとあちこちに武張るコトによって国益・国富を損じても平気・・兵力を棄てるよりは兵力拡大が優先課題のようですが・・上記孔子様の意見によれば、上中下のランクで言えば最下策です。
他方国民の関心は食糧・実利・守銭奴的関心が際立った民族ですが、為政者は外国に威張るために国富を損じる=国民の腹に入るものが減っても兵力強大化に邁進しているのは矛盾関係ですから、経済破綻が現実化して来ると無理が来ます。
欧米の自慢する民主主義と言っても「相互信頼」によるものではなく実利で民心を釣る政治ですから、中国人民同様の中〜下等度の民度向けです。
アメリカの「スクラップ&ビルド」と言うとなんか格好いい印象で教えられましたが、状況が悪くなるとその町をゴーストタウンにして棄てて行く安易な実利社会を表現するものです。

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