養育料4と再婚9

 

別れた夫にしてみれば、血の繋がった子供のためとは言いながら、(これを子供のためにだけ使うのではなく、受け取った元妻は自分で自由に使えます)実質的には縁の切れた元妻に対していつまでも仕送りするのは動物的本能に合致しない上に、別れた妻が再婚している場合にまで「何故払うの?」と言う疑問があります。
血の繋がった親である限り雄も責任を持つべきだと言う現在の法思想は、政府の育児に対する社会的支援制度が間に合わない間の雌雄心理の実情に反した便宜的思想である本質を忘れて、これを金科玉条にして、養育料負担を離婚相手に強制する方向へ進み過ぎると大変です。
変に利口な人・秀才は、便宜上生まれたに過ぎない思想であることを忘れて(実情を無視して)飽くまでこれを貫徹するのが普遍的に正しいと誤解して突き進む傾向があるのが問題です。
民主党政権は高学歴者中心の政党なので、こうした観念論が肥大する危険が大きくなるリスクがあります。
離婚後の養育義務を強化し過ぎる社会になった場合、一旦離婚となると男は一生債務奴隷みたいになってしまいますので、離婚率の高まっている現在、まじめな男は離婚リスクの大きさに怖れをなしてその入口の結婚自体・・子供をもうけることに尻込みしかねません。
この種の意見は、04/26/05「単身社会と社会の安定8(いろんな制度を緩やかに15・・・離婚条件緩和1)」前後で書きました。
子供の養育に限らず、いろんな弱者の救済は国家・社会全体で見るべき・・基礎生活費支給制度創設論を後に書きますが、今のところ第一次的には家庭が負担するしかない状態ですが、それはそこまでに(過渡的な制度・必要悪としての理解に)とどめるべきであって、離婚になった場合・・元の家庭に関係のなくなった離婚後の男に全面的に責任を負わす方向へこれ以上強化すべきではありません。
2005年に上記コラムを書いた頃には当面の間、原則的に実家の責任にすべきではないかとも書きました。
(事案によっては別れた夫がある程度負担するのも有りでしょうが、今のように何が何でも強制出来るシステムが正しいと決めつけるのはおかしいのです)
今年3月ころにまたまたま韓国法に関係する事件があって、何気なしに読んでいると、別れた妻が再婚すればその時点で養育費の支払義務が消滅するような条文がありました。
「同姓娶らず」で紹介したように、血統を重んじる筈の韓国でも、いつの間にかこのように再婚した相手の男に養育義務があるか否かのドグマにかかわらない現実的な法律になっているのを見て驚きました。
ちらっと拾い読みしただけの記憶ですのでその実施要件の詳細までは分りませんが、最近韓国企業の躍進が目覚ましく、海外の競争で我が国企業の受注敗退が目立ちますが、「競争力は一日にしてならず」こうした意識面でも静かに我が国の先を進んでいる様子です。
ただし、これは我が国よりも現実直視が進んでいるのか、核家族社会を経由しないもっと古い家族意識の残滓によるのかまでは今のところ分りません。

再婚6と子供の運命5

ところで再婚の場合では、粗暴系の男と間違って結婚した場合、先ずその発露は女性に対してと言うよりは抵抗力のない連れ子・幼児に向かい勝ちです。
2010-4-10−1「再婚5と子供の運命4(ライオンの場合3)」前後から、書いてきた再婚問題の続きです。
肉体関係に入るまではどんな男(ヤクザに限らず粗暴な男)でも女性に優しいでしょうが、関係した後も女性を大事にする・・ひいてはその子を可愛がってくれるか否かは、別問題です。
女性の立場が弱いと連れ子が虐待されるどころか、母親まで相手の男のご機嫌に合わせて一緒に虐待することすらあって、最悪の場合虐待死が発生することがありますが、露見するのは死亡に繋がる極端な事例に過ぎませんから氷山の一角に過ぎず、そこに至らない虐待・いじめはその何十倍もあるでしょう。 (小さな子供は自分から逃げたり訴えたり出来ませんので・・)
何も知らないで別れた元夫がせっせとお金を送っていても、粗暴系遊び人の男と元妻・母親が一緒になれば、自分の子供は虐待されるは送った仕送りも使われてしまうはのまるでバカみたいな結果になる可能性が高いのです。
子供にとって、離婚前よりもいい生活が出来るか塗炭の苦しみを味わうかは母親の再婚相手の選択眼・魅力・・性関係に入った後の魅力を維持できる能力次第と言うところです。
現在の法思想では再婚した男には相方の連れ子を養育する法的義務がないとは言え、事実上子供の学費その他の養育費は次の夫が面倒見ているし,躾(と称するいじめも)もしているのが普通ですから、元妻が再婚すれば別れた夫がギリギリの生活から仕送りする実質的必要性が減少する感じです。
一つ屋根の下・・生計を同じくしている限度で、血の繋がった父親であろうとなかろうと、同居者に対する扶養義務・・法的義務に高めるのは実態にあっていて何の問題もない筈です。
明治の民法では戸主の扶養義務は同居の親族に限定されていましたが、今では家に使用人が同居する時代ではないので、同居している限り食事のときは一緒にすべきでしょう。
子供連れの女性と結婚する以上は、その連れ子の食費等の負担をするのは当然ですし、この負担能力がないと言うなら、そんな男は初めっから一緒になる資格がないと言い切っていいのではないでしょうか?
(途中で病気して負担出来なくなる場合があるのは別問題です)

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