大臣の各省公務員任命権(忖度)

事務次官党幹部人事は、法的根拠があるか不明ですが、内閣の政治姿勢統一のために?次官〜局長までの幹部については事前閣議了解が必要の慣例?もあるらしく、次官と意見や?ソリが合わなくとも防衛大臣が一存で更迭できないことが、守屋次官と小池大臣との抗争?確執・政治問題に発展したものでした。
ウイキペデイアの記事からです。

新任の小池百合子(防衛大臣)が、守屋の退官と後任に官房長(警察庁出身)を内定した旨の記事が新聞各紙に報道された。これが相談無しに行われたとして、守屋は反発。騒動の際、小池は守屋の対応に対し「夜に二度、携帯電話に電話したが出ず、折り返し電話があったのが翌日朝であり、危機管理上どうなのか」と批判した[8]。守屋は塩崎恭久(内閣官房長官)に根回しをし、塩崎長官が「小池大臣が手順を誤ったやり方をした」と批判した結果、防衛官僚人事が膠着状態となった。最終的に、事態の早期終結を図りたい安倍晋三(総理)が守屋の退官を発表し、小池・守屋双方の推す事務次官候補をそれぞれ退けて、防衛省生え抜きの増田好平(防衛省人事教育局長)を後任に内定した。

数年前の森・加計学園騒動に際してメデイアは事務官僚の忖度を批判していましたが、民間企業であれ公的組織であれ・トップの示す一定の方向性・・トップが基本方針にとどまらず細目まで全部自分で示すのは不可能ですから・・末端はトップの意を体して・・忖度して基本方針に沿うように現場ごとに具体化していくべきものです。
トップの方針が微に入り細に亘って明瞭化していないと意味不明という社員や部下ばかりでは組織が円滑に回りません。
あるいは意見が違うからといちいち反対方向の行動をする・・上司に楯突くような部下が蔓延るようでは、どんな組織でもうまくいくわけがないので、忖度による行動が嫌ならやめるしかないというのが本来でしょう。
トップが職場の整理整頓、お客様に丁寧対応するようにと言っても各店舗でこれをバカにしてまともに掃除をしないとか、ぞんざいな対応であれば直ちに業績に響きます。
このように見ていくと、なぜ官僚だけ上司の意向を忖度することが許されないという批判をするのか合理的説明が必要でしょう。
末端不祥事も末端にとどまらず、トップの政治責任に響き、民間の場合企業業績に響き、トップの経営責任が生じるようになっているのは、忖度を前提としてこそ整合性があります。
忖度があり末端にトップの意向が浸透しているはずだからこそ、直接指示していなくとも結果責任を引き受けるのがトップのありようです。
トップの決意表明と末端社員や官僚が違う行動をした場合、トップの発表は口先だけで本気でないのではないかと国民に批判され、トップの指導力不足が批判されるのもこのせいでしょう。
このように考えると忖度社会が悪いのではなく、忖度によって行われた事務官僚の行為の違法〜不当そのものを論じ、それについて大臣の監督〜忖度的政治責任があるかを論じるべきだった事になります。
メデイアもそれを言いたかったのでしょうが・・。
裁判官のように、組織意思に関係なく裁判官単独で「法と良心」のみに従う仕組みの「官」と違い、行政組織職員の場合、省大臣や長官の最終決断=外部に表明すれば直ちに効力が発生し政治責任が生じるので、発言前に各方面の調査を尽くして補助すべき役割であって自己意見を押し通すべき権能がない黒子の役割です。
末端不祥事があれば担当大臣の政治責任に響き、民間の場合企業業績に響き、トップの経営責任が生じるようになっているのは、忖度を前提としてこそ整合性があります。
忖度があり末端に大臣の意向が浸透しているはず・べきだからこそ、直接指示していなくとも結果責任を引き受けるのがトップのありようです。
トップの決意表明と末端社員や官僚が違う行動をした場合、トップの発表は口先だけで本気でないのではないかと国民に批判され、トップの指導力不足が批判されるのもこのせいでしょう。
各省職員はトップの最終決断に従いその実行役を担う役割の結果、現に実行した場合の進捗具合や実行して初めてわかる制度設計の不具合や大臣決断に対する現場や施策対象となる関連国民の反応等々の情報を整理して(大臣意向関心にとって有利不利双方を)報告するべきですから、そのためには大臣の政策実現に対する本音・意向を知ることが重要です。
とはいえ、直に下位のものが上位者に対して国民の抵抗がどの程度あってもやる気があるのか質問するのは不躾で無礼ですので、高度な政治判断が奈辺にあるかは忖度するのが合理的で望ましいものです。
ちなみに質問とは、上位者が下位者に「問い質す」ことであって、下位者が上位者に質問するものではありません。
上位者の意向を知りたい時には質問ではなく、お伺いをたてるのですが、「伺い」は「窺う」に通じる意味で気配を感じとる意味を含み下位者の職分でしょう。
ご機嫌伺いとも言い、年賀状などで「お元気ですか?」という問いかけが今でもよく使われますが、日本社会では対等者間でも直接的問いかけをしないのが礼儀で、会話の最初は「今日は良い天気で・・」など婉曲的表現から始まるのが普通です。
さらに言うと「臣」とは、目下の者が目を見開いて上を窺うさまの象形文字らしいですが、特に日本の場合椅子形式でなかったので貴人に御目通りするとき臣下は平服して上段の間にいる主君の表情・発言のニュアンス、前後の雰囲気などを必死に「窺う」能力が欠かせません。
部下は上司一人の気配を感じとれば良いのですが、指導者の方は、一度に多くの部下や聴衆を相手にするので大勢の空気を読む能力が庶民の何倍も必要です。
武家社会で言えば主君としては平服している家臣の表情が見えないし、陪席する他の家臣らもむやみに発言しないのでそれらの意向もわかりにくいので、その場の空気を瞬時に読み取る能力が求められます。
忖度、様子を窺うなどによる気配値?感得能力は、組織あるところ情報交換に必須ではないでしょうか?
国家間で首脳会談や企業トップ間の直接対話の重要性・・言語・文字化できる表現に現れない奥深い意味・信頼関係などを構築するために必須とされているのです。
組織内意思疎通も言語化されたものだけでは足りないことは当然です。

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