国を選べる時代(企業→個々人へ)1

近代憲法では居住移転、国籍選択の自由が保障されるようになりましたが、実際には異文化地域への移住は大変なハードルがあります。
ところが韓国から日本へ往復1万円前後で格安航空券が売り出され、一時間前後で来日できる時代が来ると、徒歩〜馬等での移動時代と違い、コストと体力的障害がほとんどなくなります。
あとは、収入源の確保が中心です。
https://www.kayak.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88/によると11月3日プサン→福岡間は5552円で1時間05分と出ています。
国際移動〜移住が容易になれば、企業が顧客に見放されるのと同じで、国家も魅力がなくなれば次第に相手にされなくなります。
逃げ足の早い資本・企業活動の流れが第一の指標です。
中国から外資に限らず中国資本自体が東南アジア等へ進出するようになった点は重要です。
この流れは中国の反日運動によって、日本がチャイナプラスワン政策に転じたのをきっかけとするものですが、その後韓国企業どころか中国企業自体も国外進出を始めました。
中国国内企業の余力が出たので進出しているのか?国内比重下げの逃亡かは見方によるでしょうが、結果として中国市場の魅力が相対化されてきた事実は動かないでしょう。
中国企業自体が国外に逃げる方向になってくると反日運動の隙をついて、中国進出を果たした西欧諸国も中国へ熱が急激に冷めてきました。
国民の逃亡かエネルギーが余っての進出かは別として、日本の地方過疎化が若者の流出に始まるように、移動には一定のエネルギーがいるので元気のある順に移住が進む・あるいは過酷な移動中に命を落とさずに生き残るのが原則です。
超古代からの人類移動の流れで見ても、仮にアフリカ起源が正しく何十万年前にアフリカから移動が始まったとすれば、移動に挑戦し成功したグループは未知の世界への挑戦に耐えられる元気印だったでしょうから、残されたグループは抜け殻状態になって行き、際限ない脱出循環に陥り結果的に輸出できるのは奴隷だけという19〜20世紀に一般イメージ化されていた極貧状態になってしまったのではないでしょうか?
欧州は新大陸への人口移動が始まり、移住者数増加に比例して活力ある人材比率が低下してきたように見えます。
よく知られているのがナチス時代にドイツを中心にした有能な人材の多くが米国へ亡命したことにより、それまでの開拓や労働者中心だった米国移民の質が変わりこれが科学分野発展の中核になり戦中戦後の米国の躍進を支えたと言われています。
迫害によろうと自然災害であろうとも磁力のあるところに人材が集まるということでしょう。
これに味を占めた米国では世界の頭脳を取り込む狙いで留学ビジネスが盛んになりました。
優秀な留学生が米国にそのまま居着くのを狙ったものです。
日本のノーベル賞受賞者で米国在住者が時々いるのはその事例にはまります。
ただし東西ドイツ統一後ドイツ移民はかなりドイツや西欧に帰ったと言われ、これがこの10数年来の米国一強陰りが表面化してきた原因かも?と私は想像しています。
11月2日現在、米国ドイツ系人口で出たウイキペデイアの記事です。

1990年のアメリカの国勢調査による人口統計学では、当時の総人口は5800万人にのぼるデーターの結果があった。ただし、「ベルリンの壁崩壊」以降は、統一を果たしたドイツ政府はアメリカが生み出した「IT」を新分野として採り入れるため、ドイツ系アメリカ人のIT専門家など優れた人材を中心とする受け入れの募集を開始した(1972年設立のSAPなど)。
そのため、90年代から2000年あたりにかけて、ゲルマン系(ソルブ系・カシューブ系も含む)のグループを中心に祖国ドイツ(オーストリア・スイス・リヒテンシュタイン・ルクセンブルクも含む)をはじめ、同じくIT分野を奨励した北欧諸国・オランダ・ベルギー・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカに移住する傾向にあった。21世紀以降のアメリカにおけるドイツ系の人口は徐々に減少した(2007年および2008年のアメリカの国勢調査による人口統計学で、4527万人にのぼるヒスパニック(現在は5400万人に増加)および3984万人にのぼるアフリカ系アメリカ人がドイツ系アメリカ人に代わって増加傾向にある)。
現在のドイツ系アメリカ人の人口はおよそ5000万人ほどである。
いわゆるラストベルト地帯→中西部に関するウイキペデイアです。

住民構成はゲルマン系やドイツ化したソルブ系とカシューブ系(西スラヴ系)などのドイツ系アメリカ人の人口が最多数で(ウィスコンシン州・ノースダコタ州・サウスダコタ州などは40%以上)、宗教も唯一アメリカ国内でカトリック(ウィスコンシン州・オハイオ州・インディアナ州・イリノイ州・ミシガン州など)が多い地域でもある。言語はペンシルベニアドイツ語(アメリカドイツ語)やアメリカ英語などを使用する。

IT人材等の若手有望株がドイツや西欧に逃げてしまってからの貿易戦争では、新時代適応に遅れをとるのは無理がないでしょう。
ドイツ人が何故逃げたかですが、米国移民2〜3世でも同じ待遇なら祖国が良いという意識が働いたのでしょうか?
もともと国外移住者の多くは、相応の功利的判断祖国への郷愁を上回った結果でしょうから、行った先の将来性に疑問符がつくと、自分が居住地のために捨石になって頑張るより有利な場所に再移住判断になり易いし、母国の景気が良いならなおさらです。
米国に新規才能を引き止める磁力がなかったのでしょうか?
せっかく米国定住している人らが祖国に帰ると言うことは、欧州から新たな優秀人材供給が途絶え始めたと言うことでもあるでしょう。
国際競争で戦える人材が去ったのちになって、関税引き上げ等による一時的政治力・腕力で輸入制限するのは無理・悪循環になります。
これこそが米国が世界に主張してきた米国の価値観・・自由競争・・グローバル主義ではなかったのでしょうか?
都市間・国家間競争で生き残るには、時代適応力のある市民が必要・→人材育成・磁力こそが政治に求められています。
ところで、人材育成してもその地域に魅力がないと近隣の磁力のある都市・地域に人材が吸い上げられるばかりで結果的に吸い上げられる地域は痩せていきます。
この辺の仕組みは地方と中央のテーマで10数年前に書きました。
美味しいミカンや柿その他果物を都会に輸送販売するばかりでは、果樹園が痩せてしまうので吸い取られた養分(肥料)の補給が必要です。
優秀な子が出ると東京の有名大学へ進学させて、都会で就職し、その子らも都会の2〜3世となっていく・・故郷に帰らないのでは送り出す地方が痩せる一方です。
中央で活躍する人材が多いと自慢しても、有能人材を輩出するばかりでその子孫も東京に住みつづけ、誰も子孫が帰ってこないのでは地方は痩せる一方です。
こういう状態で大都会に本社にある産物・ブランド品やスマホなど地元県で生産しないと買わないと脅しても地方がなんとかなる訳ではありません。
米国のラストベルト地帯は日本や中国との競争に負けたのではなく、シリコンバレー等米国他都市がIT化〜高付加価値産業化に転換して成功しているのについていけなかった・・国内競争に負けたのが原因です。
ラストベルトに関するウイキペデイアの解説です。

この地域は、その場所故に製造業と重工業の中心となってきた。お誂えの資源である石炭はウエストバージニア州南部、テネシー州およびケンタッキー州やペンシルベニア州西部と北東部で産出された。
・・アメリカの製造業の雇用数減退は北西部や中西部での工場の廃棄につながり、これを強調する「銹地帯」(ラストベルト)という別名が付いた。
製造業の雇用は減少したが、アメリカの生産量は確実に増加している。
2000年以降は貿易用品の生産量は減少しているためにある意味で貿易問題とはなっているものの、アメリカは世界でも優れた生産地域の地位は確保している。
アメリカの製造業は労働集約型の生産工程では低賃金の国に負けるのでこの領域から離れ、高付加価値製品の生産と先進的無人化生産方式に移行している。その困難さにも関わらずラストベルトの領域はアメリカでも輸出量で一番の地域である

アメリカは近代産業革命の進展と資源大国の地位の両輪で経済大国となり世界の覇者になれたが、資源大量消費型産業の重要性が減退してきたので(重工業からIT産業化へ)米国の圧倒的優位性が終わったとこれまで書いてきました。
今も原油生産ではサウジを抜いたと言われていますが、資源の重要性が下がったのです。
また世界最大の生産国になった米国が販路を求めて、推し進めた貿易自由化のおかげで資源のない日本でも自由に買えるし、物流コストも安くなる一方なので自国産であるかどうかより、機能性や製品の信頼性の方が重要になってきたのです。
ソニーやトヨタが世界企業になれたのは、資源の有無と関係がありません。
こうなると資源直結・立地の優位性で発展した中西部工業地帯は、成功体験を捨てない限り将来はありません。

個々人の政治能力と政党政治2

代表と代理の違いを09/01/03「代表と代理(大理石)理事の違い」のコラムで書きました。
代理は個別の権限範囲を決めて委任された人の法律行為ですが、(車を買う・・特定の土地を売るなど権限が特定されているのが原則です)代表の場合は、その人格を信頼してテーマ無限定である分野に関してはそっくり一任する関係です。
会社の社長を代表取締役と言い、会社運営に関しては株主総会決議事項を除いて広範に業務執行を一任するのがその例です。
とは言え、時代の進化によって生殺与奪の権を握る信長や専制君主への一任の時代とは違い、一定の範囲内限定で信任する傾向が出てきます。
西洋市民革命前夜の王党派と議会派、革命後はジャコバンとジロンド党などから始まり、社会主義運動が盛んになると社会・共産主義諸派(ロシア革命中にはボルシェビイキメンシェビイキなど)と自由主義系の党派に大きく分かれて行きました。
20世紀前半は共産主義対資本主義と枢軸国とに入り乱れていましたが、後半は米ソ対立を軸に、おおむねこの2大政党(我が国で言えば自社・55年体制)の時代だったので分りよい時代でした。
この枠内で国民はどちらに一任するかを判断すれば良いので簡単でしたし、政治家の施策についても自由主義の範囲であれば個々の政策に不満でもあまり国民は不満を言わない・・不満だからと言って自民党支持者が共産党に投票鞍替えする心配がありませんでした。
ソ連崩壊後資本主義の枠内でどのグループに委ねるかとなると、争点がもっと具体化せざるを得ませんし、国民も不満なら別の政党に乗り換え可能になってきました。
同じ方向に向かっているバスや電車が数本ずつあるような時代です。
こうなると政党名・・基本綱領だけで政党を選ぶのではあまりにも抽象的過ぎて選択基準にならなくなります。
(憲法改正を求めるとしてもどの方向で求める政党か政党ごとにはっきりしてくれないと「改正」というだけでは政党選択出来ません)
そこで選挙民に訴えるために選挙ごとに掲げる公約・・マニフェストを掲げる方が選挙民にとって選択の基準がはっきりして訴求力が強いことから、ソ連崩壊後世界的にマニフェスト選挙が主流になって来ました。
我が国でも政党が選挙ごとに掲げる公約は当初は抽象的でしたが、回を重ねるごとに選挙民に対する訴求力確保のために具体化して来るとともに、「公約」よりももう少し具体的政治課題明示向きのマニフェスト提示が前回・前々回選挙のころから定着・主流化しています。
他方国民の方も、このシリーズで書いているように労組や企業に任せられなくなり自己決定をする必要に迫られるようになったことと、自由主義か共産主義かという抽象的枠組み選択の時代が終わったことから、具体的政治課題に関心を持つようになったこともあって、各政党にマニフェスト提示を求めてこれによって投票行動を決めようとする人が増えて来ています。
郵政民営化選挙以来この方式の選挙が続いていて、現在の民主党政権もこれによって自民党との違いを際立たせて政権を獲得したものです。
実務能力がない政党は困りものですが、能力さえあれば選挙民の意向に反したことを実行して良いか・裏切っても良いか・・・選挙公約・マニフェストの重みについては明日以降に書いて行きます。

個々人の政治能力と政党政治1

僅かな放射能汚染さえ嫌がって、東京圏から関西・中国地方へ移住している人もかなりいます。
そう言う人はその代わり文明の利器を手放すなら行動が一貫していますが、人並みに電気器具を利用して、あるいは電気の利用による企業製品を購入して普通に生活しているとしたら、良いとこ取りをしようとしていた大阪市民と考えが同じです。
大阪・京都市民も「反対さえ言ってれば後は政府や企業が何とかすべきだ」という無責任な態度で自分はその分電気を使わない・電気を利用した製品(工業製品の殆ど)を使わないと言わないのですから、無責任な主張だったことになります。
原発廃止・家から柱の取り外し等に比べて一般の政治決定は、その何百倍も複雑で一波万波を呼ぶような複雑な経路を経ていろんな方面へ波及効果を及ぼして行くのが普通です。
複雑な政治問題では市民の短絡的な反対に従って政策決定した場合、どのような危機・効果を招来するか(柱の撤去のように)目に見えないことから、市民運動家系・タレント系の政治家ではただ反対するだけで、その効果に対応した前向き提言がないまま(言い換えれば無責任発言)になり勝ちです。
政治決定に関しては、上記のとおりその及ぼす効果が複雑過ぎるので信頼出来る人や集団に一任すれば気楽ですし、その道に長けた人に一任するのが合理的であることから代議的民主主義制度が生まれて来ました。
私が受験したころの司法試験勉強科目であった政治学原論では、昔から政治はプロによるしかなくこれを世襲君主あるいはその側近によるか民主的手順で代議員を選出するかの違いで民主主義と言っているだけで、結果的に少数者による多数支配しかあり得ないと学んだような記憶です。
中国では古代から皇帝の政治権力の正当性・授権は天命によるとして、近世の西洋では王権神授説が流行しました。
市民革命以降世襲君主の代わりに民意によって選ばれる代議士とその代表者が権力の担い手になり、その代議士を選ぶのに所属企業や労組などの推薦に頼って来たのです。
ところが、誰かにお任せしていたらどうなるか分らない時代が来たので、自分で一々の政治課題を考え行動するしかなくなりました。
国民個々人にとっては目前のテーマとその後の複雑な経路を経て効果が出る結果の関係が分らない・・(部屋を広くしたいということとそのために間仕切りの壁や柱を取り払ったら安全性がどうなるか・・その先のことは素人には分りません)古代以来個々人がそんな能力のあったことはないので、大変なことです。
有価証券投資・運用のような値上がり値下がり程度の単線的見通しでさえも難しいことから、個々人が直接手がけるのは至難の業で投資信託みたいにどこかに委ねるしかないのが普通です。
投資顧問のAIJ事件が発覚したばかりですが、プロでない個々人どころか年金基金などセミプロでさえ、直接運用するのは至難のことですから、投資顧問会社に一任しているのが普通です。
そこで複雑な政治決断をどこかに任せるしかないということで間接民主・代議制になっているのですが、実務能力を信頼して任せていた自民党は世襲制がはびこり2世3世議員の時代になって絆創膏を貼った大臣が出て来たりして信用を落としてしまいました。

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