日本と信教の自由2(津地鎮祭訴訟)

日本では信教の自由がなくて庶民が苦しんだ歴史がありません。
古代に天皇家自身が佛教を取り入れても神社を尊崇するなど自由自在でした。
「神も仏もないものか!」と言う嘆き節がありますが,日本人はどちらにすがっても良い関係でした。
まして佛教内宗派などは,どうでもいい状態でした。
一向一揆・あるいは信長が石山本願寺と戦ったのは,本願寺が足利義昭をバックに武田や毛利と信長包囲網を形成していたから戦っていたに過ぎず,本願寺勢が講和(天正8年閏3月7日(1580年4月20日誓紙提出)によって石山本願寺を退去した後は争っていません。
庶民が宗教の縛りに苦しめられた経験がありません。
閉鎖的な教会の建物に比べて日本のお寺は八方吹き抜けのお堂が中心で開放的です。
神社も同様です。
庶民にとってお寺や神社はいろいろなお祭りなど楽しむための場となり、京都の東寺の例で分るように市をたてる場ともなり、あるいは子供の遊び場になりひいては寺子屋と言う教育の場になり・集落の寄り合い場所にもなっていました。
私の子供の頃の経験では,朝のラジオ体操の場になり,夏休みには多様な年齢の子供がみんな集まって宿題をやったりもしました。
真夏の夜の楽しみ・・祇園祭などは神社でやっていました。
地域みんなのために奉仕する精神の発露が,戦後アチコチのお寺で始めた保育所・幼稚園でしょう。
女性が働きに出るようになると幼児の面倒を見る必要が出て来て預かり始めたのが始まりです。
庶民の多様な救済や楽しみを奪う排他的宗教が禁止されていた・信教の自由を積極的に守って来たのが歴代権力者の仕事でした。
新憲法によって欧米の経験による信教の自由が明記されるとオーム真理教のように無茶をしていても簡単に取り締まれなくなって聖域化しているマイナス効果の方こそ問題です。
宗教法人は簡単に出来るし何かと言うと憲法違反と言われるので,司直の手が入り難くなったので,ヤクザその他(節税にもなります)がこれを隠れ蓑にして宗教法人化するのがこの数十年來の大流行です。
オーム真理教事件は氷山の一角に過ぎません。
憲法
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
明治憲法には,以下の通り信教の自由に関する独立の条文がありません。
第2章 臣民権利義務
第19条 公務への志願の自由
第20条 兵役の義務
第22条 居住・移転の自由
第29条 言論・出版・集会・結社の自由
第31条 非常大権
日本では、排他的宗教が大嫌い・言論自由が原則社会でしたから、西洋で信教の自由が必要とする社会とはマ逆の社会でした。
食後の人にはお茶が良いのですが,空きっ腹の人にはお茶よりも栄養のあるものの方が良いのとの違いです。
日本では信教の自由=言論の自由がある代わりに言論のルール・・嘘つきや他人の悪口を言うのは御法度の道徳律が古代から確立している社会です。
言論の自由の歴史がない結果,表現の自由とセットになっている言論のルール・・嘘つき・告げ口等が許されないルールが分らない・・でっち上げで何でも言いたい放題の中韓政府とでは議論が噛み合ない原因です。 
民主主義社会では決めたことは(相手が誰であろうと)守る前提になりますが、専制支配下では恣意的命令が基本ですから約束を守るよりも,強そうな人の様子をうかがって,その意向に従う方が重要です。
昨年ドイツのメルケル首相来日時日韓慰安婦紛争や南京虐殺騒動などに関して「日本が周辺国と戦後和解出来ていない・・」(のは日本の責任だ)「ドイツに見習え」と言うキャンペインをしていたマスコミ質問に対して「良い周辺国に恵まれているので・・・」とメルケル首相がうまく交わしたように・(良いクニでない)こういう国が周辺にいることが日本の苦労です。
日本は先進国基準で言えば,周辺国と十分な和解が出来ています・・中国を代表する国民政府と和解し,本来必要のないその後を継いだ中共政権とも念のため改めてに和解しています・・韓国とも父親の朴大統領時代に日韓交渉で充分過ぎる保障をして和解しています。
和解に基づく日本の巨額経済援助の結果高成長出来たことに味を占めて,彼らはまた金になると思って蒸し返して来たと多くの日本人が思っているでしょう。
アメリカの要請もあって,仕方なし2回目の日韓合意をしましたが,日本からの金の振込が終わると再び韓国では昨年の日韓合意は大統領罷免と連動して,また無効だと言う動きが始まっています。
こういう国とは,(民意水準が簡単に上がらないでしょうから)朴クネ大統領の言うとおり「千年付き合わない」方が良いでしょう。
欧米にとって死活的重要性のある信教の自由が(日本では元々普通である)我が国で改めて明記されたことによって,何か意味を持たせるために歴史本質を離れてケチ付け訴訟のタネになっている例として・・津地鎮祭訴訟に関するウイキペデイアからの引用でみておきましょう。
「津市体育館建設起工式が1965年1月14日に同市船頭町の建設現場において行われた際に、市の職員が式典の進行係となり、大市神社の宮司ら4名の神職主宰のもとに神式に則って地鎮祭を行った[1]。市長は大市神社に対して公金から挙式費用金7,663円(神職に対する報償費金4,000円、供物料金3,663円)の支出を行った。
これに対し、津市議会議員が地方自治法第242条の2(住民訴訟)に基づき、損害補填を求めて出訴した。」
「最高裁判所は(1977年7月13日大法廷判決)
「わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。 (中略) (憲法二〇条三項の禁止する宗教的行為とは)およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。
本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。」
判決ではフランス革命の歴史まで説き起こす必要がありませんが,妥当な結果です。
信教の自由は魔女狩りや自由な言論弾圧,悲惨な宗教戦争を阻止するべく生まれたものであって,百円〜数千円の寄付を禁止するためにワザワザ憲法で規定したものではありません。
憲法学者は「蟻の一穴」と言うのでしょうが、物事は程度問題ですからこれを越えると揚げ足取りの評価になります。
野党の国会対応を見ていると揚げ足取りに終始していて自分の主張が見えない傾向があるのはこのような戦術に長年堕している結果です
人の表情やモノ腰態度も全て人格表現の一部と言えば言えますので,これを理由に四六時中部下や子供を叱ってバカリではイジメの一種で部下はイヤになるし子供はぐれてしまいます。

Civilian1とCitizen3(信教の自由1)

昨日紹介した記事にあるように教会財産を国有化して経済基盤を奪い,「聖職者に対する統制を強めた」とありますが,聖職者が第1部会で市民が第三部会だったのですから上下逆転して統制される側に回ったことになります。
地位の逆転はナポレオンの戴冠式によっても、ヴィジュアルに見ることが出来ます。
従来国王就任の正式儀式・・法皇(代理の聖職者)から戴冠されて叙任される千年単位続いた形式から見れば天地がひっくり返るような大逆転です。
ウイキペデイアによれば以下のとおりです。
「戴冠式(たいかんしき、coronation)は、君主制の国家で、国王・皇帝が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位・帝位への就任を宣明する儀式。」
朝廷から叙位されていた徳川家が,逆に禁中並公家諸度(慶長20年7月17日[2](1615年9月9日)を定めたのに似ています。
ただ日本ではその後も,将軍宣下があり,上下の格式は変わりませんでした。
西欧では実力差がそのママ出て来る点では、習近平氏が,国力が上がるとそのままイギリス訪問時に威張ったのと似ています。
ナポレオンの有名な戴冠式では,ナポレオンが王冠を自分で自分のアタマに乗せるデッサンが残されているようです。
屈辱的な戴冠式に招かれた法皇が政治妥協の結果(苦渋の決断で)出席したものの何の役割もなく,椅子に座っているだけの有名なナポレオンの戴冠式の絵が残っているのはそのせいです。
ナポレオンが自分で自分のアタマに王冠を乗せたのですが,そのままの絵では法皇に対して露骨過ぎるのでナポレンがジョセフィーヌに戴冠する形式の絵に修正したらしいです・・いずれにせよ法皇のメンツ丸潰れです。
ナポレオンの戴冠式に関する以下の記事からの引用です。
https://ja.wikipedia.
ナポレオン1世(1769–1821)は、ローマ皇帝の即位式に似たローブを身に着けて立っている。他の人物は、受け身的な見物人に過ぎない。絵をよく見ると、絵が修正されていることが分かる。最初の構図は、ナポレオンが頭上に冠を掲げて、自身に戴冠しようとするものであった。
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763–1814)は、フランス民法に則りひざまずいて恭順を示している。彼女は、教皇の手からではなくナポレオンの手から戴冠されるところである。」
関心のある方は上記記事を見て下さい・・ナポレオンが自分の手で図上に持ち上げて戴冠するデッサン(これもルーブル美術館所蔵らしいです)が紹介されています。
信長の肖像画の改ざんがここ何年か騒がれていますが,政治意図による修正はよくあることがわかります。
油絵の場合デッサンが残っていることもあって、早くから知られていたことです。
一方で1789年8月26日に憲法制定国民議会によって採択された「人間と市民の権利の宣言」(Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen)において,「言論と出版の自由、「[宗教上の意見の]表明は法によって設立された公的秩序を乱さないことを規定された」コトによって(異端審問による刑事処罰が禁止されて)間接的に信教の自由が宣言されています。
以上見て来たとおり,people対置概念としてのCitizenが上位権力に対する抵抗勢力として自己表現するときにはシビリアンと称し,市民革命で漸く制度的に,キリスト教支配・・異端審問・魔女狩りを怖がらなくて良い社会になりました。
我々学校で習った知識では,ルネッサンスで人間解放が出来たと誤解し勝ちですが,1300年(ダンテの神曲)から始まった筈のルネッサンスでも1650年代になってもガリレオが「それでも地球は動いている」と言わざるを得なかった例で分るようにまだ言論の自由に及んでいなかったのです。
せいぜい絵画や彫刻表現の自由化が進んでいたに過ぎないことが分ります。
ルネッサンスとは,まだまだ解放して欲しいと言う気分が出始めただけで、うっかり自由に発言すると破門されて処刑される恐怖下で市民が生きて来たコトが分ります。
フランス革命で「信教の自由」と「思想心情の自由」がセットで宣言されたことは、日本人には気が付かない重要な制度変更・・社会のあり方の根本変更を意味しています。
革命による人権宣言以降,「何を言っても良い」ことの制度的裏付け・・それまでは破門されると地獄に堕ちるだけではなく現世で・・火あぶりにされても仕方がない制度でしたが,信教の自由=破門されても処刑されないしキリスト教徒でなくとも良くなったのです。
ローマ消滅〜西洋始まって以来の一神教社会を廃止して異教徒の生存を認めて,多神教社会に遅ればせながら参加することになったことを意味しています。
何回も書いていますが,フランス革命は日本に比較して進んだ誇れる社会ではなく,遅れていた社会を日本のようにさしあたり制度だけも自由化したと言う程度のことです。
信教の自由化の結果、何か変わったことを言って破門されても・社会から抹殺されなくなった制度変更ですから,フランス革命での信教の自由宣言は制度的に大きな意味を持っています。
(制度が逆転しても民心が変わって行くのは千年単位の時間がかかります・・ナポレンの戴冠式を紹介しましたが,法皇にとって王冠を授ける役割のない出席は屈辱だったかも知れませんが、逆に言えば政治的にはなおキリスト教式の戴冠式を必要としていた現実・・法皇の影響力を無視出来なかったのが実態・・今でも欧米では法皇の政治発言には大きな影響力があります。)
思想表現の自由と信教の自由は表裏一体の関係があり,フランス革命での信教の自由宣言は一神教世界の否定ですから文字どおりキリスト教支配を覆す革命的大転換を意味していたのです。
日本では元々八百万の神・多神教社会ですからこの辺の意味に気が付き難い・・政治に市民が参加出来るようになった身分差別がなくなったと言う外形歴史を習う傾向があります。
戦後アメリカ占領下で制定された日本国憲法では,(欧米系にとっては信教の自由は人権保障の基本ですから入れる必要を感じたのでしょうが・・)信教の自由が憲法に明記されたのでこれを有り難がっている人が文化人や法律家に多いのが現状です。
ところが、我が国では自分と宗派が違うからと言って,実際に弾圧や喧嘩など昔からありません・・葬式に行って初めて宗派を知る程度です。
(他宗派排斥論の強い日蓮系が嫌がられて来た歴史・・これがキリスト教が普及に失敗した原因でもあります・・信教の自由を侵害する危険のある排他的宗教を禁止して来たのですから真逆社会です。)
憲法学者や左翼文化人が占領軍の遺産(今で言うレガシイ?)である憲法の有り難みを宣伝したいのに,新憲法による変化を強調する材料に困ってしまい?「神社に自治体が数百円〜数千円の◯◯料を払ったのが違憲でないか」などとあちこちで争うようになりました。
西洋で信教の自由が宣言されたのと歴史経緯・・本質的意味が違うのですから、国民の多くは「専門的なことは分らないがケチな言いがかりが幅を利かす?変な社会になったな」と思う訳です。
ちょうど現在・前衛?絵画展覧会などに行くと素人には分らなくていいと言うような雰囲気と同じ印象です。
絵画には「日本画」と言うジャンルがあるので助かりますが,憲法学者も欧米価値観の受け売りではなく日本人の気持ちにあった・・欧米と日本双方の歴史を理解した国民のために役立つ憲法論を修得してほしいものです。

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