我が国は古代から季節の微妙な移ろいに感じては歌を詠み、(たとえば「秋来ぬと目にはサヤカに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」中高校生時代のうろ覚えの記憶ですので間違いがあるも知れません)日々の温度差によって衣類(色柄までも)や食事内容を変えて行く、日々調整している社会ですからコマメな変化に対応する文化が根付いています。
フランス革命を自慢すること自体民意無視政治が長過ぎた・恥ずかしいことだと言う意見をこのコラムで書いてきましたが、日本では気配り社会ですから革命が起きるほど民意の不満が蓄積するまで放置することはありません。
赤ちゃんが泣く前におむつを取り替えたりミルクをやったりするのが日本の母親です。
ボトムアップ社会ですから、指導者が引っ張る必要もないし、無理に引っ張れば不満が出ます・・ヒーローも必要がありません。
松平定信の改革が国民の不満が強く短期間でお役御免になったり、天保の改革の水野忠邦も同様でした。
民主主義と言う大げさな観念のない徳川時代でも、実際の政権担当者・老中(若年寄りも合議に参加すること以前紹介しました)構成員・今の内閣に似た合議体ですが、概ね数年前後で順次変わって行く社会でした。
歴史上有名な、新井白石(正徳の治・・1710年の正徳元年〜1716年吉宗就任まで)や田沼(明和4年(1767年)から天明6年(1786年)まで20年間・寛政改革の松平定信(1787年から1793年)や天保改革の水野忠邦(1841年(天保12年〜14年)政権時代と言っても、そんなに長くありません。
田沼政権は家柄出身(紀州徳川家足軽出身)でもないのに、20年も長期政権を維持出来たのは、出自の故に?気配りが利いて民心の機微を察知してその都度軌道修正する柔軟性があったからかも知れません。
田沼の失脚は(将軍死亡で失脚ですが実態は)天明の大飢饉等気象状態悪化によるものでしたが、凶作対策は一朝一夕の政策変更でどうなるものでもないので、(たとえば寒冷化に強い稲の品種改良等には長期間を要します)彼の失脚を狙う勢力に負けてしまったと言えます。
次の改革者松平定信は、自分の領内で飢饉用に食糧備蓄していた功績を買われたもので、現在の財務官僚好みなので、歴史教育ではこれを大きく取り上げて、積極政策をして来た田沼の悪口ばかりですが、定信のやったことは結局、倹約・・財務官僚やIMF官僚の好きな緊縮政策だけです。
質素倹約を訴えるだけなら誰でも出来ます。
庶民生活が発達している我が国では、彼の緊縮一点張り政策は庶民生活窮屈さ(派手な衣類からお歌舞伎や書籍出版まであらゆる分野で禁止して・戯作者を手鎖の刑にした)や経済不振に直結しますので、民意の支持を失ってすぐに失脚しました・田沼のような軽輩出身ではない将軍家の血筋そのものであっても無理が出来ない社会・・民意重視社会であったことが分ります。
※「白河の清きに魚は住みかねてむかし濁れる田沼恋しき」とか「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、文武文武(ブンブブンブ)と夜も寝られず」などの政権批判が多く出たのは彼のときです。
以前から秀才にはロクなものがいないと言うのが私の持論(私自身秀才でないのでやっかみもあります)であちこちに書いてきましたが、定信は超エリートの田安家出身で若いころから秀才の誉れ高いホープでしたが、秀才は書籍で得た知識中心ですから、財務官僚好みの「贅沢は敵」程度の簡単ロジックを深く学んだ程度の能力はあるでしょうが、自己創造性の必要な政治家向きではないことが分ります。
政治家の任期に戻りますと、田沼時代を除けば、戦後の最長不倒政権と言われる佐藤栄作で8年、中曽根、小泉政権でもせいぜい5〜6年前後しかないのと似ています。
マスコミや文化人から(暗黒の)非民主時代と非難されている明治憲法下・・戦前の内閣ではもっと政権は短命でした。
以下歴代内各年表を見ておきましょう。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/naikaku.htmからのコピーですが、ふりがなその他の主な出来事に付いては一部省略しています。
第1代 伊藤 博文 1885-1888 内閣制度発足
第2代 黒田 清隆 1888-1889 大日本帝国憲法発布
第3代 山県 有朋 1899-1891
第4代 松方 正義 1891-1892
第5代 伊藤 博文 1892-1896 第2次
第6代 松方 正義 1896-1898 第2次
第7代 伊藤 博文 1898-1898 第3次
第8代 大隈 重信 1898-1898 第1次
第9代 山県 有朋 1898-1900 第2次
第10代 伊藤 博文 1900-1901 第4次
第11代 桂 太郎 1901-1906 第1次
第12代 西園寺公望 1906-1908 第1次
第13代 桂 太郎 1908-1911 第2次
第14代 西園寺公望 1911-1912 第2次
第15代 桂 太郎 1912-1913 第3次
第16代 山本権兵衛 1913-1914
第17代 大隈 重信 1914-1916 第2次
第18代 寺内 正毅 1916-1918
第19代 原 敬 1918-1921
第20代 高橋 是清 1921-1922
第21代 加藤 友三郎 1922-1923
第22代 山本 権兵衛 1923-1924 第2次
第23代 清浦 奎吾 1924-1924
第24代 加藤 高明 1924-1926
第25代 若槻 礼次郎 1926-1927 第1次
第26代 田中 義一 1927-1929
第27代 浜口 雄幸 1929-1931
第28代 若槻 礼次郎 1931-1931 第2次
第29代 犬養 毅 1931-1932
第30代 斎藤 実 1932-1934
第31代 岡田 啓介 1934-1936
第32代 広田 弘毅 1936-1937
第33代 林 銑十郎 1937-1937
第34代 近衞 文麿 1937-1939 第1次
第35代 平沼 騏一郎 1939-1939
第36代 阿部 信行 1939-1940
第37代 米内 光政 1940-1940
第38代 近衞 文麿 1940-1941 第2次
第39代 近衞 文麿 1940-1941 第3次
第40代 東條 英機 1941-1944
第41代 小磯 国昭 1944-1945
第42代 鈴木 貫太郎 1945-1945
第43代 東久邇宮 稔彦王 1945-1945 降伏調印
第44代 幣原 喜重郎 1945-1946
第45代 吉田 茂 1946-1947 第1次 日本国憲法の公布
第46代 片山 哲 1947-1948
第47代 芦田 均 1948-1948
第48代 吉田 茂 1948-1949
第49代 吉田 茂 1949-1952 第3次
第50代 吉田 茂 1952-1953 第4次
第51代 吉田 茂 1953-1954 第5次
第52代 鳩山 一郎 1954-1955 第1次
第53代 鳩山 一郎 1955-1955 第2次
第54代 鳩山 一郎 1955-1956 第3次
第55代 石橋 湛山 1956-1957
第56代 岸 信介 1957-1958 第1次
第57代 岸 信介 1958-1960 第2次
第58代 池田 勇人 1960-1960 第1次
第59代 池田 勇人 1960-1963 第2次
第60代 池田 勇人 1963-1964 第3次
第61代 佐藤 栄作 1964-1967 第1次
第62代 佐藤 栄作 1967-1970 第2次
第63代 佐藤 栄作 1970-1972 第3次
第64代 田中 角栄 1972-1972 第1次
第65代 田中 角栄 1972-1974 第2次
第66代 三木 武夫 1974-1976
第67代 福田 赳夫 1976-1978
第68代 大平 正芳 1978-1979 第1次
第69代 大平 正芳 1979-1980 第2次
第70代 鈴木 善幸 1980-1982
第71代 中曽根 康弘 1982-1983 第1次
第72代 中曽根 康弘 1983-1986 第2次
第73代 中曽根 康弘 1986-1987 第3次
第74代 竹下 登 1987-1989
第75代 宇野 宗佑 1989-1989
第76代 海部 俊樹 1989-1990 第1次
第77代 海部 俊樹 1990-1991 第2次
第78代 宮澤 喜一 1991-1993
第79代 細川 護煕 1993-1994
第80代 羽田 孜 1994-1994
第81代 村山 富市 1994-1996
第82代 橋本 龍太郎 1996-1996 第1次
第83代 橋本 龍太郎 1996-1998 第2次
第84代 小渕 恵三 1998-2000
第85代 森 喜朗 2000-2000 第1次
第86代 森 喜朗 2000-2001 第2次
第87代 小泉 純一郎 2001-2003 第1次
第88代 小泉 純一郎 2003-2005 第2次
第89代 小泉 純一郎 2005-2006 第3次
第90代 安倍 晋三 2006-2007 第1次
第91代 福田 康夫 2007-2008
第92代 麻生 太郎 2008-2009
第93代 鳩山由紀夫 2009-2010
第94代 菅 直人 2010-2011
第95代 野田 佳彦 2011-2012
第96代 安倍 晋三 2012-2014 第2次
第97代 安倍 晋三 2014~ 第3次
歴史上有名な道長のような長期政権を除いては、古代から2〜3年で入れ替わって行くのが我が国での原則的形態です。
江戸時代老中の在職期間表もありますが、これを引用すると膨大過ぎるので省略しますが、関心のある方は以下のデータをクリックしてご覧下さい。
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/rekidai/rouju.htm
老中は今の国務大臣みたいなものですから、在職年数が仮に10年あってもその間ずっと首座(指導権)にあったことにはなりません。
老中は概ね4〜5人で構成していて、首座は先任者がなるので、結局は2〜3年交代であったと思われます。