12月14日総選挙と民意1

12月13日以来「社会変化反対運動と功罪1」のテーマで、日本の変化に何でも反対して来た結果の功罪を書いているついでに、その国外編として12月17日以来国際的日本批判活動をする理由などについて書いてきました。
国内的には、成田空港や高速道路・・新技術が出るたびに全て反対しっぱなしで(公害問題では成果が出ましたがその他分野では・・)その結果についての総括・反省がないまま頰っ被りしているのでは、無責任極まりないことになります。
無責任主張ばかりで、結果について何ら反省しないかことが主な原因で旧社会党がほぼ消滅状態になってしまったとおもわれます。
慰安婦問題についても、社民党党首の福島氏が主導して来たことが知られていますが、これだけの大事件を引き起こした主導者でありながら、何らかの訂正その他の発表をしたとも(私が知らないだけかも知れませんが・・)聞いていません。
今回の総選挙で言えば、消費税増税の必要性をマスコミ各社やマスコミに登場する経済学者の多くがこぞって主張していましたが、その結果、折角立ち直りかけていた日本経済は、この夏以降腰折れ状態になってきました。
それでもなおマスコミ界とその意を受けた財界人や学者が夏に雨が多かったからだとか言ってはこぞって連続増税の実行を主張していた状態でしたが、安倍政権が解散を決めると雪崩を打って政界は増税延期賛成に一致してしまいました。
この結果を見れば、増税は日本のためにならないと言うことが、国民大多数の意見であることを政界もマスコミもみんな知っていたことになります。
増税実行要求を繰り返していたマスコミとマスコミ系経済学者は、解散が決まると手のひらを返すように増税延期に賛成しているのですが、これに対しても何らの弁明・釈明ありません。
だんまりで頰っ被りしていれば、その内国民は忘れるだろうと言う読みでしょうが、旧社会党が頰っ被りの繰り返しで責任をきちんと取らなかったからジリ貧になっていったことを忘れているのでしょう。
組織も個人も失敗した場合に責任を取ることによって軌道修正出来ますが、独裁制・・批判を許さない無責任体制の場合、軌道修正のチャンスを失うことが組織にとって長期的には致命的欠陥になります。
「失敗は成功のもと」と言いますが、失敗しても誤摩化して反省しなければ意味がないのと同様・・反省することが次から失敗しない教訓になります。
マスコミ系学者・政治家こぞって増税実行を要求していたのに、選挙になると黙ってしまい、「争点のない選挙だ」とマスコミが一斉に大報道を始めました。
これは、増税の可否が争点になると自分たちの間違った主張(国民を誤導しようとしていた悪事?)が白日の下に曝されることが分っていたからではないでしょうか?
マスコミその他の御用学者は、国民は無知蒙昧だから、国民の判断は間違っているから、選挙では黙っていてその後に増税するやり方が正しい・・国民を騙すべきだとでも言うのでしょうか?
民主党政権時代には、増税しないと明言・公約して選挙していたのに、野田政権は公約に反して増税決定してしまいました。
国民の意見など聞いていると増税など出来る訳がない・・「国民は馬鹿だから無視すべきだ」と言う非民主的基礎意識の強い政党が「民主」党と名乗っているのでは、ギャグを地で行った政党です。
国民はバカだから騙して良いと言うのでは、選挙制度=民主主義否定論と同じです。
選挙こそ民意反映の最強手段ですから、このときこそ、増税が必要ならば大きな声で主張すべきです。
特定秘密保護法が国民の理解を得られていないと言う批判が(内容に関する批判よりもこの主張が大きいように見えます)、反対論やマスコミに強かったし、今も続いています。
集団自衛権に関する解釈変更も、国民意思を問わないで内閣が勝手に変更して良いのかと言う批判がマスコミや人権運動家で普通に行われています。
反対運動はいつも市民活動家とか市民集会の名称ですが、(自分が市民の代表であるかのような僭称が普通ですし、「国民意思に反している」と言うときに誰が国民意思を判定しているのか不明で疑問したが・・)本当に国民の意思に反して政府が強行したと言うならば、今年夏に解釈変更したばかりですから、直後に解散・選挙になった以上はこのチャンスを活かして、国民意思無視に対する非を鳴らして民意を問えば良いことですし、また自ら争点化して訴えるべきだったでしょう。

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