原発事故と中韓の反日攻勢

5月21日の最後に書いた原発事故に対する韓国の対日態度の続きです。
日本の農産物を原発事故と関係ない茨城や栃木、群馬(千葉も入っていた?)まで禁止していたのですが・・放射能汚染を理由に輸入禁止しながら、自分の方はやりたい放題です。
地震で弱った日本をチャンスとばかり、目一杯叩きたい気持ちの溢れる行為でした。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180305/mca1803050500003-n1.htm
2018.3.5 05:00

東京電力福島第1原発事故を理由に、韓国が福島県など8県の日本産水産物を輸入禁止していることに対し、世界貿易機関(WTO)の紛争処理小委員会(パネル)が2月22日、是正勧告の報告書を公表した。
報告書は「基準値以上の放射性物質は検出されていない」とする日本の主張を全面的に認め、禁輸はWTOルールに照らして「不当な差別」だとする判断を示した。

スポーツ大会には必ず「ふくしま」とか原発被害をあざ笑うジェスチェアを示してきましたが、上記記事は18年3月ですが、よくぞこんなに長く不当なことをやって来られたものです。
こんなことをしながら、日本に就職を頼みに来る厚かましい神経が不思議です。
ついでに書いておきますとこの機会に韓国と呼応して?日本復興妨害に精出すメデイアが多く、日本の農家は苦労しています。
昨年夏ころに事務所に来た千葉県農家(東金市農家です)では、ほうれん草だったかを出荷しようとすると、郡単位?一カ所ある放射能測定場所に行って、いちいち放射能の測定を受けてマークをつけないと出荷できないとのことで、その人の家から千葉市から逆方向へ10キロ程度もあるので、(行けばトラック一台分を1分で検査できるものではないし)ものすごい無駄な作業になっていると言っていました。
なんでそんな無駄なことになっているのかを聞いたら、放射能など出たことがないがそういう風評をテレビ等で流すので毎回「ない」というお墨付きを貰うしかない・困ったものだということでした。
勘ぐればメデイアがしきりに福島周辺の野菜や魚介類の放射能は大丈夫?怖い怖いとタレ流すこと自体が韓国の日本叩きの応援になっている印象です。
水俣やイタイイタイ病の場合、地元で何十年も食べ続けるから重金属が蓄積するのであって、一生に1回くらいしか福島へ行かない旅行者が、その時地元の魚や貝、地元産野菜を1回食べた程度でどうなるものではありません。
千葉市のデパ地下でその日の気分でたまたま福島の野菜を買ってその夜の夕飯に食べたからといって(ほうれん草に少しくらいの放射能が残っていても)どうなるものでもないでしょう。
危険性を誰のためにか?疑問ですが過大に煽り過ぎています。
日本では、原発事故時に、原油や石炭の輸入数量急拡大による高度成長期以降40年ほど続いていた貿易黒字がなくなり初めて経験する貿易赤字化が始まり、日本人は青くなりました。
中韓で一斉に流れた「最早日本はダメだ」という風潮のもとで、韓国人の狂喜乱舞するネット報道が流れましたし、これを受けて中韓による遠慮のない反日暴動・レアアース禁輸・尖閣諸島侵攻などの攻勢が起きました。
韓国は軍事力で威嚇できないので大統領自ら竹島にあえて上陸をしたり、慰安婦騒動を世界的に展開し、日本の屈服(嫌がらせをやめて欲しいならば天皇謝罪要求に始まり技術移転に応じろ」という)を迫り、中国は腕力に任せた反日暴動〜軍事力・力づくの攻勢・・に出たことは記憶に新しいところです。
日中韓の首脳会談も一方的に中止しました。
うがった見方をすれば、日本が原子力発電再開できない限り、巨額の貿易赤字に沈むしかない→ひいては日本産業界は韓国等に比べて高額エネルギーを利用することによって全般的に国際競争力低下が見込まれる状態でした。
中韓政府によれば、日本をこの状態に追い込んだままにしておき優位を保ちたいのは分かりますが・・。
日本で原発再開させない・ずっと巨額原油輸入の重荷に苦しめられること・/代替燃料で見てきたように「再生エネルギー」と聞こえよくしていますが、要は中国製モジュール等の輸入奨励策・・一挙両得の関係・・中韓にとって対日政策上死活的重要テーマであったことがわかります。
もちろん証拠がありませんが、日本国内で日本国政の実行を1日でも停滞させたい勢力にとって原発再稼働の妨害ほどはっきりした反日テーマがないので、この好テーマを見逃すはずがありません。
原発停止運動ほど反日効果がはっきりしませんが、TPPの構築は対中韓貿易上日本優位を決定づける国際機構になるというのが一般的ですが、場合によってはどうなるかは運用してみないとわからない点があります。
それでも当面中韓にとって不利な国際環境になるTPP発効を1日でも先延ばししたい意図が見え見えです。
革新系野党はこぞって(中国からの勤務評定でもあるのかな?)なりふり構わず、1日でも先送りするための妨害に必死です。
19日日経朝刊に審議拒否で動かなかったTPPの「承認案」が衆議院本会議可決」と出ていましたが、関連法案については内閣委員会で共産、社民、立憲民主、国民民主、自由各党による担当大臣不信任案動議採決で法案採決できず、持ち越しと書いています。
5月26日日経朝刊には働き方改革法案が衆議院委員会採決と出ていましたが、これも先行して厚労相不信任決議案が出されてその否決手続きの後になったと出ています。
いくら質疑応答を繰り返しても審議が終わると不信任案を連発して1日〜2日でも先延ばしするのが彼らの常套手段です。
こんな決まり切った野党の対応ではまともな議論をする気があるのか?引き延ばすことだけが目的か?の疑問を抱くのが普通ではないでしょうか?

原発被害想定基準9(過大想定=人災の背景)

規制→特定産業従事者だけの損害ではなく、生活禁止の制限を受ける地域住民も被害を受ける→巨額原油輸入のコスト負担する国民一般・・ひいては原子力産業消滅(東芝苦境の遠因にもなっていると思われます)→将来の国防不安を兼ねます。
過大規制による被害・・原発に頼る地域経済の壊滅や広域避難命令による生活破壊が、一般(地域)住民〜周辺県→国民一般に直接目に見えるように拡大されたことによって、被害推定が大きければ大っkきい程よいと言う安易な基準ではなく、公平・合理的に決める必要があると分ってきたと思われます。
それまではフッ素規制で書いたように各種規制は、特定業者の損害だけだったので、一般国民は自分に関係のない他人事ごと・・厳しければ厳しい程自分にはよいことだと他者への配慮を欠いた安易・無責任に考えて来たに過ぎません。
一種のいじめられっ子探し同様で、国民の方はいじめっ子の権力を握った「自分がマスコミの標的にさえされなければ良い」と言う自己中心思想にならされてしまい、一方的洪水報道がのさばってしまったと思われます。
マスコミによる国民教育効果の恐ろしさです。
マスコミ・・週刊誌は次々と苛める対象を見つけると集中砲火を浴びせる・・原発事故と慰安婦騒動が世界規模になったところで・・国民全部がいじめられっ子になったところで、限界を露呈したように思われます。
ただし、被害想定基準設定はマスコミの影響を受けたとは言え,当時の国民の信任を受けた政治が決めたもの→「自己中心・・・社会全般への影響を無視することが良いことだ」と無責任思想を煽る政権を選んだ結果ですから、国民の自己責任でもあります。
マスコミと思想的一体化している民主党政権の場合、沖縄普天間基地問題迷走の原因を作った「少なくとも県外へ」と言う一方の立場だけの主張・・あるいはヤンバダムの中止決定と継続への方針転換など見れば分るように、全ての分野で多様な利害を有する当事者の存在を視野に一切入れていなかったことが分ります。
被害があれば「可哀相」と言う視点ばかりで加害者に対する過大請求・・必要以上の苦痛を与える運動になっていた基礎です。
事業仕分け時に公開された議論の粗雑さを見れば分かりますが、多様な意見を吸収する気持ちがない・一種のつるし上げ政治で、党が決めた一方の立場だけ推進し、矛盾調整努力を始めから問題にしないのが民主党政権でした。
利害調整の必要性を無視した一方的主張・・全体的政策整合性を無視する・・その場限りの政策が基本で収拾がつかなくなったことが直ぐに判明しましたが・・利害調整を一切しない政治家って、そもそも政治と言えるのかの疑問があります。
元々専制権力とはそう言うもので、専制権力の意向による不利益を受ける方は完全無視し、天安門事件を見れば分るように抵抗すれば戦車で踏みつぶして平然としているような政体です。
天安門事件は国際的評判が悪かったので、最近では戦車出動をやめて・・秘密警察の活用・香港まで出向いて本土へ連れ去るなど思想統制に精出しています。
民主党政権は、政権党になった以上は全国の統治をする必要がある・ある県で都合の良いことを言っておいて、他方の県で矛盾主張するような使い分けは許されません。
民主党は利害調整の重要性に重きを置いていない政党・・一方の主張だけで政治をすることが政権担当してすぐに国民に分りました。
その象徴的事件として諫早の水門開閉に関する無責任な対応を紹介しておきます。
諫早の水門を巡る2つの矛盾する裁判所の判断が両立するようになったのも、民主党政権が従来の政府意見を変えるならば、(政権が変わっても組織として連続性があります)従来の支援者に対する十分な説明をして和解に持ち込むべきであったし、裁判所判断に従うならば、上告して最高裁の判断を求めるしかなかった筈です。
控訴しない→形式的には裁判所の判断を尊重する振りをしながら,結果的に最高裁の判断を避けた姑息なやり方が収拾のつかない矛盾状態にしてしまったのです。
政治と言うものは、利害対立・・矛盾関係を止揚してより良い解決を目指す努力をするべきものですが、民主党は「これを一切しない・・する能力がないと言うのでは失礼かも知れません。
実は能力はある・・バカなのではなく、意図的に日本民族が国際進歩に伍して行くの妨害し、内部的には一方的主張することによって、民族内対立を煽る・・一体感破壊目的で運動している高等戦術だと解した方が合理的な感じです。
水門を「開けろ」と言う判決と「開けるな」と言う両立出来ない現実がどうなるかですが、この矛盾の結果、国は開けることも閉めることもできません・・他方で「◯◯するまで一日いくらの賠償金を払え」と言う付随命令(間接強制)がついているので、地元対立と国の賠償金支払だけが続く変な解決?を目指していたことが分ります。
これでは地元対立を半永久的に放置する・・煽りっぱなしになって、諫早の干拓事業をどのように解決するべきかの国民的展望がたちません。
対立を止揚した解決ならば地元の対立も収まり「雨降って地固まる」平和な社会になりますが、対立を煽りっぱなし・・日々賠償金をとられっぱなしでは・却ってしこりが長引きます。
乱暴な改革は良くない・・漸進的改革が日本民族の世界に誇る智恵ですが、それと矛盾した意見を煽るだけ煽って、相手の傷口に延々と塩を刷り込むような状態を固定するのとはちがいます。

原発被害想定基準8(人災と事故被害3)

今になると民主党政権が世界の科学基準を無視して、何のために(立ち退き強制する範囲を広げ過ぎる)無茶に厳しい基準を決めたのか謎です。
この非常識に厳しい基準設定によって多くの原発被害者?が生じていることが明らかです。
仮に政府の決めた許容放射能許容基準が子供の場合には合理的であるとした場合でも、1ミリシーベルト基準超でどの程度の身体被害を想定したかの検証も必要です。
例えば1ミリシーベルト越えで20年後に足の先がかゆくなる程度か、虫歯になり易いのか、内蔵がどうなるのか、生命の危険があるかなどによって避難程度が変わってきます。
足がかゆくなったり虫歯になり易い程度ならば、自宅を棄てて遠くへ避難したい人はいないでしょう。
数十年後にもしかして命に別状があるとしても、60〜70歳を越えた人にとってはどうせその頃には何らかの病気で死ぬので、その間住み慣れた自宅で好きな仕事していた方が良いと言う人の方が多いでしょう。
「1ミリの場合と2ミリシーベルトの被曝の場合の違い、「2ミリシーベルト超では何年後にこの程度の病気や障害になります」「1ミリシーベルト超では何年後にこの程度の症状」とその違いを開示すれば、「じゃあ1ミリシーベルトの地域まで逃げるか」と人それぞれに避難すべき距離の判断も出来ます。
これまで書いて来たように(私の理解によれば)元々放射能被害があるかどうかすら分っていないのに被害を過大に強調するために過大な規制をしたから、5年経過後の今でも合理的基準がどうであるか発表出来ないないままになっていると想定されます。
まして放射能被曝蓄積・・数十年後の放射能蓄積は中高年齢者には、関係がない・・ある程度生活にマイナスがあるにしても避難するマイナスの方が大き過ぎなかったかの検証が必須です。
昨日書いたように、(原爆そのものの直截被害は明らかですが・・)広島,長崎のデータを見る限り、その後の放射能被曝の実害が未だにはっきりしていません。
福島の場合、現地に残して来た牛は現地の草を食べて水をのみ・・マスコミ宣伝どおりとすれば、内部被曝も激しい筈ですが、今になって生き証人?として検査しても内部被曝がどうやら解消している・・蓄積する一方ではないらしいことが分ってきました。
https://motion-gallery.net/projects/hibaku-ushi
2015年9月現在、旧警戒区域の中には700頭あまりの被ばく牛が生きています。伝染する口蹄疫とは違い、近寄っても何の影響もありません。現在は国 は、殺処分に応じない農家に対し、圏外には持ち出さない、出荷させない、繁殖はさせないという条件で生かすことをやっと容認しました。研究者の手によっ て、被ばくした牛であっても3か月間から半年間、きれいな水と汚染されていない餌を食べ続けることで、体内の放射性物質(セシウム)は95%以上排出さ れ、その肉は国の安全基準である100ベクレル/kgを大きく下回ることがデータとして検証されました。・・」

この点はマスコミにとっては面白くない事実なので、無視のようです。
100歩譲って、かりに放射能汚染の実害があるとした場合を考えてみましょう。
たとえば、80歳の人が、このまま放置するともしかすると20年後には半身不随になるかもしれないと医学的に分って場合でも・・今手術すると死亡確率が6〜7割と言う場合に、今から命がけの手術する人がいるでしょうか?
まして放射能被曝の実害がまるで分っていないのに7〜8〜90台の高齢者や重病人等いつ死ぬか不明の病人まで、強制避難させたのは「暴挙」としか良いようのない失政です。
茨城と福島県境界付近居住の私の学生時代の趣味のクラブの後輩からの通信によると、透析をしていたらしいですが、こう言う患者にとって透析すべき病院が避難してしまうなど、避難生活によるマイナスの方が大きい印象です。
民主党政権が事前予測するには時間がなかったとかいろんな事情があるしょうが、5年経過した今では客観的調査が可能ですから、本当は避難の必要がなかった人が何人でその内何人が避難したために死亡したのかなどデータ化・・検証作業するべきです。
「被害想定は過大であればあるほど良い」と言う(規制される方の権利を無視する)偏った人権派の主張が、今回被害想定を過大にすると規制による被害を受ける立場が一般国民に広がったことによって冷静に見る必要が意識されるようになった筈です。
原発被害を強調したい現地住民が、その結果自分自身が規制を受ける方に回る皮肉・・に目覚めたでしょう。
自分さえ良ければ良いと言う戦後はびこった「自己中心の」矛盾が明らかになったのが原発被害想定です。

原発被害基準7(人災と事故被害2)

事故後5年も経過しているので、この辺でムード報道ばかりではなく、人災と事故被害との区別・・検証が必要です。
交通事故によって担ぎ込まれた被害者が1週間程度の怪我だったのに、被害者の大事故被害にしてくれと言う要望に応じて、医師が本来の事故と関係のない箇所の手術をした結果死亡した場合、これが判明すれば加害者が死亡の責任を負いません・・同様に人災分は原発事故とは関係がありません。
例えば数k~5km範囲の避難ならばその外側に商店や医療機関などが残れるので、避難解除後もスムースに生活出来ますが、民主党政権の決めた立ち入り禁止区域が広大過ぎたので、地元物流・医療系統・生活インフラ全てが壊滅してしまったので、避難解除されてもインフラがなくなってしまい戻るに戻れない状態が起きています。
しかも許容シーベルト基準が高過ぎるために避難解除がそれに比例して遅くなってしまい、(例えば年間1ミリシーベルトを2ミリシーベルトに基準を緩めていれば避難区域が何分の一に減り、2倍の早さで復帰可能地域が出る関係)取り返しのつかない地域疲弊進行があったのではないかと思われます。
そうなるとシーベルト基準が合理的だったのかも議論する必要があるでしょう。

以下はhttp://www.nikkei.com/article/DGXZZO50651160W3A110C1000000からの引用です。
forbes
(2013年1月11日 Forbes.com)
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が提出した。低線量の被曝の影響は非常に不確かなものであるため、UNSCEARとしては「低線量の被曝と大人数を掛け合わせて、自然放射線量と同等以下のレベルで漸増的な被曝によって健康被害を受ける人数を推定することは勧めない」と述べている。
 この手法はチェルノブイリ以来広く行われてきたことであり、福島では今も採用されている。
■福島事故で「健康への影響無し」
 報告書により、世界はようやく正気に戻り、人体に害を与えないことに無駄な時間を費やすのをやめ、実際に悪影響を及ぼす問題、そして本当に注意を必要とする人々に目を向けるようになるかもしれない。例えば津波によって引き起こされたインフラや経済への打撃、あるいは福島周辺の真のホットスポットの除染。さらには、人体に影響を与えない程度の放射線量しか浴びていないのに、被曝の恐怖に怯えて暮らし、まさにそうした不安に心身をさいなまれている何万人という日本人をケアするといったことだ。また、日本政府においては真剣に原発再稼働の準備を始めたり、国際原子力機関(IAEA)や米国政府からの改善案に耳を傾けることだ。
この報告書によって、低線量の被曝が個人と大規模な集団の健康に及ぼす影響について言えること、言えないことがはっきりするだろう。
 自然放射線量が2.5ミリSv(250 ミリrem)から3.5ミリSv(350 ミリrem)に上昇しても、発がん率は上昇せず、認識できるような公衆衛生上の影響は何も起きない。同じように、自然放射線量が2.5ミリSv(250 ミリrem)から1ミリSv( 100 ミリrem)に低下しても発がん率は低下せず、公衆衛生上の問題に一切影響を与えない。
 重要なのは、通常の議論は短期間(一度)に強烈な放射線に被曝することを想定しており、同じ量を1年といった長い期間をかけて被曝した場合、影響はさらに小さくなることだ。つまり毎月0.1Sv(10 rem)を被曝すれば影響はあるかもしれないが、年間で同じ0.1Svを受けた場合は、慢性にせよ、急性にせよ認識できるような影響は一切ない。
 さらにUNSCEARは、一昨年の福島の原発事故による識別可能な人体への影響はなかったとしている。「影響無し」としているのだ。」

上記意見は今この意見を書くために、どこかに国際基準を紹介していないかと思って検索して初めて見たものですが、私が事故直後のMarch 28, 2011「放射能の危険性2(管理区域)」でレントゲン技師が一度に被曝する基準を1年間に均した基準にするのがおかしいと書いた素人意見と同じことが早くから「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)で、言われていたことが分ります。
あまり馬鹿げた基準造りなのでその妥当性について世界の科学者のまじめな議論の対象にさえなれないレベルですが、日本ではあまりにも荒唐無稽な基準が幅を利かしているので、念のために国際機関で意見を発表したのではないでしょうか?
マスコミ界が恐怖を煽ってでっち上げた安全基準が間違っていると言う意見が出ているのに、これをマスコミが全く紹介していない・・黙殺しているどころか科学基準ではないと発言した環境大臣の吊るし上げに熱を上げているのが不思議・・報道の中立性に反していないでしょうか?

原発被害基準6(人災と事故被害1)

2011年の福島原発事故を過酷事故と強調するマスコミやネット報道では団体声明が溢れていますが、その割に事故や放射漏れ自体で直接どう言う具体的被害が出たのかとなると,たった一人の死者が出たか否かすら分りません。
グーグルで「原発事故直截被害者数」で検索すると被害救済等被害を騒ぐ団体声明などが溢れるように出て来ますが、どこにも具体的数字が出ていない(探す能力不足もありますが)のが不思議です・・知られると困るのでしょうか?
これまでのニュースを見た記憶だけ今になるとアイマイですが、作業員が基準以上の被曝をして「軽い火傷」と言う程度でしかなく、(マスコミが鵜の目鷹の目で被害者を探しているのに)何百人ではなく1〜2人の発表です・・その程度の労災事故は普通の工事現場で無限とも言えるほど発生している軽微事故でしかありません。
ちょっとした崖崩れや交通事故死に比べて少な過ぎませんか?
マスコミや人権派は如何にも被害者に寄り添い、手厚い救済を主張するようでいて、活躍の場を作るために被害の定義拡大が必要・・(マッチポンプ)実質被害拡大に励んでいる感じです。
韓国では未だに放射能汚染を理由にネガキャンペインを続けていて、日本食品の輸入禁止を続けていると3月19日の勝又氏の経済時評http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/page-3.htmlに書いています。
上記によると日本政府がWTOに提訴しているそうですが、日本マスコミがいくらネガキャンしても表現の自由を理由にやり放題です。
マスコミや日弁連は、無言の前提として「被害者救済は幅広い方が良い」と言うこれまで書いて来た基準によっていると思われます。
繰り返しになりますが、被害救済のためには被害認定は緩いほど良い→被害があるかどうか不明のことまで規制対象にする→必ずその対に規制対象業の発展阻害の損害・・ここで生活している関係者の利害を無視する偏った考えが、原発事故で白日の下に拡大されて曝されてしまったと言えます。
原発の場合対象企業だけではなく被害を過大に宣伝されると風評被害が起きるなど地元経済に甚大な影響がありますので、きれいごとで済まなくなったのです。
人権派は、被害者救済のために被害を多めに言う必要がある→原発事故の被害を実際以上に宣伝する方向に努力している・・ちょうど韓国の対日ネガキャンペインと連動しているように見えますが、どこがちがうのかよく分りません。
日本マスコミや日弁連は外国の手先ではない・・運動目的の善意と悪意の違いが大きいと言うのでしょうか?
被害救済の人道目的ならば、実害より膨らませて(環境保護目的ならば珊瑚礁のヤラセ被害報道しても良いと言うのと同じ発想です)過大報道する・・虚偽主張が許されると言う論理が許されるとしても、不安を煽って膨らませた被害想定基準を原発反対運動の資料として流用するようになると対象地域や産業被害が無視出来なくなります。
これまでマスコミの言うとおり大変な惨事だと思い込んでいた人が多いと思いますが、今回の仮処分の結果被害想定が妥当であったかの疑問をいだく人が増えたのではないでしょうか?
(韓国の自然放射能濃度の方が福島地方よりも大きいと言われていますが、こういうことはマスコミは絶対に報道しません)
報道を見ると直截被害が出ないのでマスコミや日弁連は、被害基準をむやみに広げて行く方向への努力中のイメージです・・最近は「自主避難者も被害弁償対象にしろ」と運動展開中です。
いわゆる風評被害も原発被害に含めるのがマスコミでは普通になっていますが、「こんなに大変だ」と風評を広める運動をしながら、「こんな風評被害を受けている」からこれも被害だと宣伝しています。
ここで原発の過大規制の具体論に入ります。
例えば、2ミリシーベルト以上の避難で十分なのに1ミリシ−ベルト基準にすると避難面積や被害者数は単純に10数倍前後以上に増えます。
元々原発直近には人家が少ない上に大気の拡散ですから濃度が2倍薄くても危険とすれば、半径が単純2倍以上になる上に、面積は半径の倍率に対して更に3、19倍に広がりしかも人口密集地も含まれるようになります。
福井県の原発に滋賀県の人が裁判出来るようにもなります。
放射能被害防止のシーベルト許容基準も当時のレントゲン技師などの限界値などを年間基準にしているようですが、そのときに書いたように一度に被曝する許容量を年間合計にしてしまうのは子供が考えておかしな基準です。
醤油でも食塩でも一度に大量摂取するときの危険量を年間少しずつ摂取する合計と同じにするのは非合理過ぎることは誰でも分るでしょう。
過大過ぎる許容基準設定のために避難しなくて良い筈の高齢者(高齢者は放射能蓄積死亡リスクより移動による環境悪化による死亡率の方が高い)や重病者等が避難によって従来どおりの治療を受けられなかったり、環境激変による死亡拡大が発生したことが明らかです。
勿論牛や豚鶏などの家畜がそのまま放置されるなど物理的損失も莫大です。
津波や原発事故による放射能汚染による死亡よりも、その後の環境激変による苦痛や死亡の方が多くなっていませんか?
ウイキペデイアによると13年時点でも既に環境悪化による死亡の方が上回っていると報じられています。
震災関連死[編集]
東日本大震災では避難所の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する(震災関連死)例が高齢者を中心に相次いでいる
毎日新聞は2013年12月17日、福島県内の震災関連死による死者数が地震や津波による直接死者数を上回った、と報じた

それらを全て何らの検証なく、東電が事故の弱みで何も言えない・・言わせないことを良いことにして、マスコミが率先してバラまいている結果増えた被害拡大まで含めて原発事故の所為にしてこんなに被害が出ている・・何もかも賠償しろと言う運動が盛んです。

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