ホームレス排出の基礎1

アメリカの現状を見ると、低廉労働力供給源として自国民として移民を受け入れながら、一方で英語を話せない=まともな就業先がないのは個人責任として放置してきたとがめ・国内能力格差が半端でなくなっている現状が出て来たようです。
今朝の日経新聞6pオピニオン欄の「米共和党の盲点」に、60年代から9倍の人口6000万人に膨れ上がったヒスパニック系移民、(ガストニアのヒスパニック系?スーパーに買い物にくるほとんどがが英語を話せない現状を交え)いわゆる3k職場で米経済を下支えしている現状が紹介されています。
・・2012年の報告で少し古いですが・・・.
https://www.musashi.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00003794.pdf&n=houkokusho2012_no1.pdfに貴重な実態報告されています。

アメリカのホームレス問題と支援策
研修先国名:アメリカ合衆国(ニューヨーク州)
研修期間:8月6日~9月7日 33日間人文学部 英米比較文化学科 4年 内野 真紀奈

https://screenshotscdn.firefoxusercontent.com/images/b9228cab-25c7-4c00-8213-2d14e5b9d0e5.png

上記には11年までのニューヨークの統計が出ています。

引用を続けます

「教育支援> 調査の一環として数学と英語の授業を観察した。これらのカリキュラムの目的は、働く上で必要になる最低限の知識を身に付けることや基礎的な学力の向上だった。講師1人に対して、生徒は15人程度と比較的小人数で授業は構成されていて、30代や40代の生徒の姿が目立った。これらの支援を利用する人々の教育歴では、高校を卒業した者や高校卒業資格(GED)を取得している人は半数以下であった。」
「数学の授業では分数の計算や割合の問題を扱っていて、日本だと中学生の履修範囲だと思われる内容であった。」
「英語の授業では、接客や仕事において必要とされる言葉を身に付けることが目的とされていた。驚いたことに英語が第一言語でないため、英語を話せない人の姿も少なくなかった。また日常の会話の中では、流暢に英語が話せていても、文章を読むことや書くことを苦手とする人も多かった。
これらの人にとって英語を学ぶことは、日常生活をする上でも非常に大切なことであると感じた。」
<就労支援>就労支援ではコンピューターの授業を行うクラスと、面接の練習や準備を行うクラスがあった。
支援スタッフの話によると、ACEを訪れるホームレスは、45歳以上の人が最も多いこともあり、1度もパソコンに触れたことがない場合が多いそうだ。その為コンピューターが利用出来るようになることを目指し、授業内容では情報の検索の仕方や文書や履歴書の作成など個人のレベルに合わせて指導が行われていた。
<Project Comeback 卒業式>調査期間に行われたACEのProject Comebackの夏の卒業式にも参加した。これは4ヶ月から6ヶ月間のProject Comebackの活動を終えて職に就くことが出来た37人の卒業式であり、卒業生の自信に満ちた姿を見ることが出来た。
印象に残った台詞の中でこのような言葉があった。「私は今までの人生の中で最後まで何かをやり遂げたことがなかった。だけどここに来て努力をすることや責任を果たすことを学び、自分が変わることが出来た。だから無事にACEを卒業することが出来て自分を誇りに思う。」「私はNYに来たとき、家族も友達も頼る人もいなくて本当に何も持っていなかった。そんな私にチャンスをくれていつも支えてくれた。それが今は仕事もあり、人生を変えることが出来て心から感謝をしています。」「私は今の自分が誇りに思える。家族や子供に対しても、親としての責任を果たすことが出来て、安心することが出来て嬉しく思う。」 この卒業式の中で、卒業生の声から「責任」という言葉が何度も出てきた。このプロジェクトによって、社会の一員として働いていくことの意義を学び、自信や自尊心を持ち前向きに自立へと踏み出す人々の姿があった。
ホームレスの人々が職を得て、自立をすることはなかなか容易なことではないかもしれない。しかしスタッフの献身的なサポートによって、前向きに将来に向かう人々の姿を見て支援の意義を感じることが出来た。

報告書を見るとなかなか優秀な学生です。
この報告書を見るといきなり20年ほど前のことを思い出しました。
司法修習委員長をしていた頃に、(千葉だけでなく全国の制度です)カリキュラムの一環で社会修習を義務化したことがあります。
その研修結果を委員会に報告するので全員の報告書に目を通していましたが、社会福祉事業所を社会修習先に選んだある女性修習生の研修結果報告書は簡潔で要を得た観察眼の鋭いもので感心した記憶があります。
その修習生の名も忘れましたが、今では立派な法曹になっていることと思います。

シェルター収容と公営住宅主義1

どんどん公営住宅が新設され日々ホームレスが吸収されて行けば、全米でこんなに大量にシェルターが設置され、ホームレス人口が増え続けないでしょう。
アメリカのホームレに関する記事は多いのですが、年度別人口推移の表が出てきませんが、最新日付では以下の意見が出ました。
いつの調査データか不明ですが、アップした日付けが一番新しいという程度の最新性です。
http://news.livedoor.com/article/detail/15781067/
2018年12月23日 8時0分 Forbes JAPAN

・・・2016年から増加に転じ2年連続で増えている。
米住宅都市開発省のデータでは米国のホームレス人口は、約55万3000名に達しており、そのうち65%はシェルターに居住している
非シェルターのホームレスの割合が最も低いのはニューヨークで、5%だ。一方でロサンゼルスのホームレスの非シェルター率は75%に及んでいる。

アメリカでは路上生活者の調査をしていないと言われていますが、非シェルター人口をどうやって割り出したか不明ですが・・。
米国では日本の国民皆保険制度がないように、公営住宅で保護する仕組みがうまく回っていないのではない・運用能力がないのでしょうか?
日本の場合大災害があっても、体育館で寝泊まりするのはほんの短期間で、避難が長引くようだと急ピッチで仮設住宅建設が始まり短期間で供給されるのが普通です。
アメリカも変化に合わせて公営住宅が急ピッチで作られているが、急激な需要増に供給部門が間に合わないとすれば、そのうちシェルター利用者が減っていくのでその間は仕方のないことです。
アメリカは日本やドイツのように戦災による究極的住宅不足に見舞われた経験がないので、政府が介入しなくとも必要に応じて住宅が供給されるはず・・市場原理の妥当する領域の意識でこれまでやってきたしそれで不都合がなかったのかもしれません。
その結果、政府率先して低廉住宅供給の必要がなかったし(ゼロという意味ではなく日本やドイツに比べて住宅政策に占める公営住宅の占める比率がごく小さいという比率の問題です)経験がないのでしょうか。
日本も豊かになって久しく、公営住宅や公団住宅供給政策が早くから曲がり角になっているし、新たな市営県営住宅新設がほぼなくなっていますが、(既存のものは空き家だらけ)たまたま東北大震災の時に首都圏の公営空き家に移住してもらうことにして、埼玉や千葉の公営住宅に福島県等の避難者を受け入れています。
たまたま首都圏に多くの空き家があって良かったのですが、現在では中国人や外国人の住居として団地が利用されています。
川口市の古い団地で中国人が集まっている?というところが出始めたようです。
首都圏で時代遅れになった団地が大震災の避難民の受け皿として対応できました。
民間アパートでは外国人への賃貸に忌避感が強く外国人が住む場所に困る・・これを放置すると移民一世の住居不安・治安悪化に連動するリスクが生じます。
住居の安定は移民2世・子供の教育環境や貧困の連鎖を防ぐなど共同体意識のゆりかご・治安安定の基礎です。
都市部では外国人を空き家の多い公団住宅等で受け入れるようになって社会不安回避になっている・・など日本の住宅政策は偶然うまく回っている印象です。
千葉市でも京葉線沿線沿いに大規模な公団住宅分譲地があり、これが老朽化してきたのでいつの間にか外国人を多く見かけるようになりました。
日本人所有者が賃貸に出して外国人が住み着いている場合がほとんどでしょうが、売買価格が数百万円程度に下がるとちょっと収入のある外国人なら買えそうですし公団ですから一定水準が保証され家族持ちには住みやすいでしょう。
アメリカの場合、政治が一生懸命対応しているが、いきなりの情勢変化に供給体制が追いつけないだけならば、一定期間経過で供給が追いついてシェルター利用者が急減するのでしょうか?
準備不足とはいえ、シェルター利用急増が国際ニュースになってから10年近く経ってもシェルター利用者が減るどころか増える一方のような印象を受けるのは、政府・政策部門には本気で公営住宅を供給して彼らを吸収する意欲がないからではないか?とも見えます。
日本のように定住を前提とした歴史がないので、家賃が高すぎて住みにくければ市場原理に合わせてどこか家賃の安い街に流れて行くべきで、政府が下支えする必要がないという思想が根底にあるかもしれません。
次の移住先を見つけるまでのほんの一時的「シェルターで十分」という思想です。
ところが、どこへ行っても高家賃で低賃金層にとっては移住先もないとすれば、低賃金層でも借りられる住居の供給が必要なはずです。
シリア難民やロヒンギャ難民等の流入に対して受け入れ各国が避難民を収容所を設置して対応していますが、これらは全てその場所で難民を仲間として受け入れる姿勢ではなくどこかへ移動してくれるまで一時的に雨ツユを凌ぐ施設としての位置付けです。
アメリカの場合同一市内のアパートを追い出された「難民」なのに、これをもともと彼らのいた共同体で受け入れる予定がなくどこかへ出て行くまでの1時保護的思想・・居住空間とはいえない「シェルター」「収容所」で保護する発想が日本人には異常に見えるのです。
日本では遠くの福島からの臨時難民でも、「千葉に住み着いてくれるならどうぞ!」という歓迎姿勢で「早く故郷の福島へ帰りたいでしょう」という心配りをするけれども千葉に定住するなという拒絶的姿勢ではありません。
外国人も日本に必要というならば、仲間として受け入れる国民合意が先に必要です。
この合意がないまま受け入れると、日々接する一般庶民が外国人に白い目を向けている状況下での受け入れとなり良い結果になりません。
多くの国民意識の現状・・・・アパートの「外国人お断り」がその端的な現れですが・・日本に期待して日本を就職や移住先に選んだ外国人・この多くは親日性の強い人と思われますが、共同体から日頃仲間外れされたままであれば、共同体意識を持てなくなる・逆に反感を持つのが普通でしょう。
私は労働人口減少対策としての外国人受け入れ反対を長年主張してきましたが、受け入れる以上は仲間として仲良くすべきです。

継続契約保障と社会変化4(離婚法制の変化・破綻主義へ)

継続的契約関係ではDecember 9, 2017の「継続契約保障と社会変化3(借地借家法立法3)」で書いた続きになります。継続関係解消で似たような事例では、偕老同穴の誓い・共白髪の末まで・・と契ったはずの夫婦関係も何かの事情変化でわかれる(離婚)しかない事態が起きます。
この場合も戦前の旧法では、法律上は相手に契約不履行・・不貞行為等の違反・落ち度がないと離婚を求める権利がありませんでしたが、戦後は破綻主義といって、破綻している以上無理にこれを維持させるのは意味がないし逆に害悪があるということで離婚できるようになりました。

民法旧規定
第二款 裁判上ノ離婚
第八百十三条 夫婦ノ一方ハ左ノ場合ニ限リ離婚ノ訴ヲ提起スルコトヲ得
一 配偶者カ重婚ヲ為シタルトキ
二 妻カ姦通ヲ為シタルトキ
三 夫カ姦通罪ニ因リテ刑ニ処セラレタルトキ
四 配偶者カ偽造、賄賂、猥褻、窃盗、強盗、詐欺取財、受寄財物費消、贓物ニ関スル罪若クハ刑法第百七十五条第二百六十条ニ掲ケタル罪ニ因リテ軽罪以上ノ刑ニ処セラレ又ハ其他ノ罪ニ因リテ重禁錮三年以上ノ刑ニ処セラレタルトキ
五 配偶者ヨリ同居ニ堪ヘサル虐待又ハ重大ナル侮辱ヲ受ケタルトキ
六 配偶者ヨリ悪意ヲ以テ遺棄セラレタルトキ
七 配偶者ノ直系尊属ヨリ虐待又ハ重大ナル侮辱ヲ受ケタルトキ
八 配偶者カ自己ノ直系尊属ニ対シテ虐待ヲ為シ又ハ之ニ重大ナル侮辱ヲ加ヘタルトキ
九 配偶者ノ生死カ三年以上分明ナラサルトキ
十 壻養子縁組ノ場合ニ於テ離縁アリタルトキ又ハ養子カ家女ト婚姻ヲ為シタル場合ニ於テ離縁若クハ縁組ノ取消アリタルトキ
第八百十四条 前条第一号乃至第四号ノ場合ニ於テ夫婦ノ一方カ他ノ一方ノ行為ニ同意シタルトキハ離婚ノ訴ヲ提起スルコトヲ得ス
2 前条第一号乃至第七号ノ場合ニ於テ夫婦ノ一方カ他ノ一方又ハ其直系尊属ノ行為ヲ宥恕シタルトキ亦同シ

上記の通り相手方になんらかの原因がないと離婚の訴えが認めれない仕組みでした。
民法現行規定

(裁判上の離婚)
第770条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
《改正》平16法147
2 裁判所は、前項第1号から第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

上記「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」がこれ(破綻主義採用)にあたるという解釈が定着しています。
第二項の「一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。」場合とは、離婚に至った事情を総合し、離婚請求される方の生活保障等のバランスを考慮することになっています。
破綻主義と言っても当初は有責配偶者(例えば浮気している方)から、自分の浮気や暴力が原因で「夫婦関係が破綻した」という理由の離婚請求を認めない・・いくら高額慰謝料・終身の生活保障をすると言っても)妻が「懲らしめや復讐のために?」拒否すると離婚が認められない解釈でした。
この間の研究については以下の論文がネットに出ています。
ただし、論文発表時期明示がないのですが、かなり古い時期の分しか引用されていないので、現在の参考にならないかも知れませんが、問題点が十分に掘り下げられていますので深く知りたい方は、以下を参照してください。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181112095822.pdf?id=ART0001408704

いわゆる制限づき破綻主義の判例法理について(その1)梅木茂
1聞題の所在
2 有 責配偶者の離 婚請求拒否法理 の背景
3.判例の動向 な らびに考察
「法 は かくの如き不徳義勝 手気儘 を許すもので は ない.道徳 を守 り,不 徳義 を許 さない ことが法の最重要 な職分である.総て法はこ の趣旨にお いて解 釈されな け れ ば な らない、・・・前記 民法の規定は相手方に有責行為のあることを要件とするもの でないことは認 め る け れ ど も,さりと て前記の様な不徳義 得手勝手の請求を許すものではない.(最高裁 昭和27.2.19判決最高民集6.2.110)

借地借家法成立前には、相場の数倍の立ち退き料支払いを申し出ても借地人が拒否すればどうしょうもなかったし・・労働契約解約のために契約上の退職金の数倍の上乗せ支払いを申し出ても労働者が応じなければそれまでだったのと「軌を一」にしていました。
その後(昭和62年)破綻後一定期間経過と子の養育や相手方の生活保障等のセットで有責配偶者からの請求でも離婚が認められる最高裁判例(いわゆる破綻主義)が出て、これが定着しています。
離婚を認めるかどうかは離婚後の相手方や子供の生活がどうなるかの問題であるという実態を直視してその面の判断が重視されるようになってきたのです。
こういう判例が出る前から庶民の世界・・現場労働系低所得階層・特に職を転々とする傾向のある男相手の場合には、相手が浮気でいなくなったのであろうと理由が何であろうと、慰謝料を1円も払わないからと離婚しないと頑張っていてもどうなるものでもありません。
こういう場合には早く離婚して母子手当て・母子優先のいろんな制度(公営住宅の優先入居その他)利用をして生活の安定を図り、場合によっては次の男と再婚した方が有利なので、どんどん別れていくのが私が弁護士を始めた昭和40年代でも普通でした。
仮に相手の居所がわかってもあちこちフラフラ職の定まらない(こういう場合生活費も入れない男が普通)男相手に「慰謝料を払わない」から「払え」と裁判しているよりは早く別れて社会保障手続きする方が簡明ですし、次の相手と再婚する方が手っ取り早いからです。
たまたま夫が行方不明で離婚届けを出せない場合に、(再婚前に次の子供ができると大変なことになるので)はやく離婚するために弁護士費用を払ってでも法的手続きするのが普通でした。
長々とした裁判になる事件の多くは、相手が高額収入・・安定職業に就いている場合で話の通じない・ほどほどのところで手を打つ能力のない・・同士の争いが普通でした。
最近家事事件が多くなっているのは、男も子育て参加の掛け声によって男性も子供に対する愛着が 強くなってきた結果、親権者や子供との面会にこだわる人が増えたことによります。

近代立憲主義7と政治活動

政治運動論と学問のすり替えについては、以下の通りです。
https://ameblo.jp/fall1970/entry-12277529472.html
2017-05-24 21:14:37

首相改憲発言は「憲法を軽んじる言辞」 学者らが批判
5月3日の安倍首相の憲法改正に関するメッセージをめぐり、法学等の専門家らから成る「立憲デモクラシーの会」が記者会見を開き、安倍発言を批判する見解を発表したそうである。
会見の場で青井未帆氏が「自衛隊を憲法に書き込むと、武力行使の限界がなくなり、9条2項が無効化する」と指摘し、石川健治氏が「(憲法に自衛隊が書かれていないことで)軍隊を持てるのかということが常に問われ続け、予算などの面でブレーキになってきた。その機能が一気に消えてしまう」と述べたとのことである。
これらは「九条歯止論」といわれるものであるが、昨年2月9日の記事で述べたようにそもそも法律論の体をなしておらず(青井氏も石川氏も憲法学者)、会見に同席した長谷部恭男氏でさえ「[法の]解釈論」とは「峻別」されるべき「運動論」(長谷部「表立っていえない憲法解釈論」『法学教室』301号所収)と切って捨てているシロモノなのである
・・「立憲デモクラシーの会」の見解なるものを見ると、まず、「自衛隊はすでに国民に広く受け入れられた存在で、それを憲法に明記すること自体に意味はない。不必要な改正である」とのことであるが、・・・安倍首相を難詰していて、安倍首相の主導による「改憲」を何としても阻止したいようであるが、そのためには自衛隊違憲論の旗をも下ろすというのであれば、ご都合主義との謗りを免れないであろう。
前記見解は「自衛隊[が]すでに国民に広く受け入れられた」という事実の規範力を承認して憲法変遷を肯定するものとしか考えられないが、「安倍改憲」を阻止するためにはもはや手段を択ばないということか。この点、長谷部氏は「主権者たる国民の行動をあらかじめ拘束することに憲法9条の存在意義がある以上、国民の意思を根拠として同条の意味の『変遷』を語る議論も背理だということになる」(長谷部『憲法の理性』東京大学出版会)と述べているのだが。
・・「立憲デモクラシーの会」の見解に戻ると、「安倍首相は北朝鮮情勢の『緊迫』を奇貨として9条の『改正』を提案したのであろうが」との前提のもとに、「たとえ日本が9条を廃止して平和主義をかなぐり捨てようとも、体制の維持そのものを目的とする北朝鮮が核兵器やミサイルの開発を放棄することは期待できない」と主張しているが、安倍首相はビデオメッセージにおいて北朝鮮情勢には一切言及していない(そもそもそんなことは百も承知であろう)。
この主張はその前提が臆断にすぎない以上、コメントする価値もないが、北朝鮮が核兵器とミサイルの開発を止めないばかりか、中国が軍拡路線をひた走っている現在、日本を取り巻く安全保障の環境は厳しさを増すばかりであるから、政治家としてはこれに対する備えを講ずべきことは当然で、そのためには憲法9条の改正が必要であればそれを国民に訴えることはむしろ義務ですらあるというべきであろう。
それを「奇禍」などと見当違いの議論を持ち出して矮小化するのはいかがなものか。
さらに、「憲法による拘束を緩めれば、軍拡競争を推し進め、情勢をさらに悪化させるおそれさえある」とのことであるが、わが国が憲法9条によって自らの手足を縛っているにもかかわらず、中国も北朝鮮もそんなことにはお構いなしに着々と軍備を増強していることをどのようにお考えなのであろうか(そんなことには関心がなく、とにかく9条によって自衛隊を抑え込むことができればそれでよいのであろう)。いかにも責任のない立場からのお気楽な発言としか評しようがない。
憲法学者はなぜこれほどまでに9条「護持」に固執するのか理解に苦しむところであるが、この点について、井上氏は、「要するに、立憲主義と平和主義が予定調和の関係にあって、それを守るのがおれたちの使命だ、みたいな。べつに学問としての憲法学とは関係ない、ある種のカルト的な使命感をもっちゃったんでしょうね、日本の憲法学は。[改行削除]自分たちは九条を守ることで日本の平和に貢献してきた、という自己欺瞞。いや、今はもう、はっきり言って自分たちでもそれが嘘だ、日本の平和は九条違反の自衛隊と安保のおかげだと気づいていると思うから、ただの欺瞞だな。ただ、立場上、旗を下ろせない、というね」と診断しておられる(井上前掲書)
・・・・愚かな国民が道を踏み外すことのないように自分たちが教導しなければならないという度し難い思い上がりが根本にあることを指摘しておく。

私の従来書いてきた(共産主義者による「国民を指導するべき前衛→エリート意識」論の思い上がりその他)意見を簡潔に書いているので大方を引用させていただきました。
公明党は今秋の総選挙での公約(だったかその頃に)で(この原稿は昨年総選挙前後に書いていたものです)
「自衛隊はすでに多くの国民から憲法違反の存在でないとの信認を得ているので、憲法に明記する必要がない」
という意見を発表して自衛隊明記反対の立場を明白にしていたような報道を見た記憶です。

近代立憲主義6と憲法改正5(内心の自由と規制の必要性)

慰安婦報道でも報道機関は要所要所に「〇〇が事実とすれば・・」などの逃げ道を要所要所に用意していたのでしょうが、それを視聴者や読者は「書きっぷり」で判断しているのです。
「実務法曹にとっての近代立憲主義」その他の主張は、本気でそのように思いこんで欲しいかのようなトーン・ぼやーっと読むとそういう方向へ引きずり込まれそうであり、実際にそのように思い込んでいる人がいること・成功していることが上記引用文でわかります。
人権は崇高である→生命侵害は人権侵害の最たるものであり許されない=死刑廃止論・・このような単純論理が成立すれば、一般的刑罰ならば何故許されるかの説明がつきません。
生命を奪うのも自由を奪うのも人権侵害に相違ないのですから、何故生命侵害だけゆるされないか意味不明の論旨です。
彼らは生命だけは特別扱いすべきというのでしょうが、憲法のどこにも書いていません。
都合の良いところは憲法に書いていなくとも重視するし、都合の悪いところは書いていても無視するという非合理な価値基準です。
もしも刑罰一般が人権侵害で許されないならば、ホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」の原始・自然状態になり、近代社会・刑法や刑事訴訟法が成り立ちません。
(実は、人間の原始社会どころか、動物界でも(狼でも魚類でも猿でも馬や鹿のグループでも同種同士ではそんな闘争世界はありませんから「リヴァイアサン」の前提は、実際にそういう社会があるというのではなく、観念的に「そういう段階があり得る」というだけでしょうか?)
思想信条の自由があっても、国家転覆罪はまだ内乱行為をしていない陰謀段階でも処罰されるのが世界標準です。

刑法
第七十八条 内乱の予備又は陰謀をした者は、一年以上十年以下の禁錮に処する。

共謀罪法案の時に近代法の原理に反するという意見が流布されましたが、世界標準がどうなっているかという説明が一切ありません。
政府の説明は以下の通りです。
http://www.moj.go.jp/content/000003507.pdf

共謀罪等の創設を求めている国際組織犯罪防止条約は,既に120か国によって締結されており,欧米先進国でも既に共謀罪等が設けられています。
我が国も,法案の「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることによって,これらの国々と足並みを揃え,国際社会と協調して重大な組織犯罪から国民をより良く守ることができることになります。
国民の方々が不安に思うようなことは全くありません。

   アメリカ  ○ 共謀罪  (連邦法第18 編第371 条)

二人以上の者が犯罪を犯すこと等を共謀し,何らかの ある者が,他の者と犯罪行
そのうちの一人以上の者が共謀の目的を果たすために何らかの行為を行ったとき

  イギリス  ○共謀罪 1977年刑事法第1 条第3条

ある者が,他の者と犯罪行為を遂行することにつき合意したとき

  ドイツ  ○犯罪団体の結成の罪  (刑法第129 条)

犯罪行為の遂行を目的・活動とする団体を設立した者,このような団体に構成員とし して関与した者,支援者を募り又はこれを支援 した者,

  フランス  ○凶徒の結社罪 刑法第450ー 1条

重罪等の準備のために結成された集団又はなされた謀議参加したとき (準備のため、客観的行為がなされることをする 。)
日本の共謀罪

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H4D_U7A610C1M11000/
2017/6/15 18:56

15日に成立した改正組織犯罪処罰法のうち「共謀罪」を規定する条文は次の通り。
(テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

上記を比較しても先進諸外国と比べて日本の法律だけが、近代法理に反するとは到底思えませんが・・。
近代法の法理違反の運動をする勢力がどの部分が違反になるかの主張責任があるのではないでしょうか?
諸外国の法制度の要点は、内心の自由も絶対ではない・・テロ目的などの内容によって幅する方向性であり、処罰の要件・なんらかの外形に現れた時に処罰する・・無辜を誤って罰しないように足並みを揃えていることが分かります。
「内心の自由が絶対ではない」というのが現代的法理であり、左翼系の主張は文字どおり現代以前の過ぎ去った近代法の法理から進化しない超保守論理です。
マスメデイアが諸外国事例を一切報道しないで反対論ばかり大きく報道しているように見える(私が見落としているだけかもしれませんが・・)ことじたい中立性違反の疑い濃厚です。
思想表現の自由があっても他人の名誉毀損や詐欺行為は許されませんし、わいせつ表現の場合、・・違法の評価を受けます。
基本的人権といっても公共の利益に反しない限度で許されているにすぎませんし、これに反する場合には、刑罰を受けたり損害賠償を命じられることで社会秩序が保たれているのです。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

最近の立憲主義の強調は、学問というよりも人権は、(運動体の本命ターゲットは死刑廃止よりは平和主義→人命尊重でしょうが・・)憲法以前の(天賦不可譲の)権利だから憲法改正でも許されない・・社会にそのような誤ったイメージを定着させるための政治運動論としていきなり声が大きくなってきた印象です。
人命=人権の最たるもので最尊重されるべき→戦争状態は人権侵害の最大 被害行為→平和主義は憲法以前の人権原理である。
「憲法改正対象にすること自体が許されない」という飛躍論法のようですが、流石にプロたるものそこまではっきりと言えないものの、思わせぶり表現で素人・大衆がそのように飛躍して思い込むように期待し、仕向けているように見えます。
憲法以前の権利ならば、憲法がどうなろうと守るべき規範である・改正の影響を受けないはず・・関係ないのになぜ反対するのか不思議ですが、こういう論理矛盾など一切気にしません。
・・学者としては「そこまで私は言っていないよ、『平和主義は日本を守るための方便でなく、人権を守ることと同じ』と言っているだけなのに素人が誤解しているだけだ」という世論誤導が目的の政治運動でしょうか?

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