レッテル貼りと教条主義1

格差反対とかLGPT・・等の欧米のスローガンをそのまま輸入・主張する政治ではなく、実態に応じてきめ細かく処遇していくのが政治の要諦です。
メデイアでは、政治分野で極右・レイシスト、歴史修正主義者、あるいはオモチュニストなどなどレッテル貼りが横行しています。
レッテル貼りに限らず格差反対その他のキーワードで内容空疎な報道に走るのは日本のメデイア界だけの特徴かもしれませんが、国際メデイア界はキリスト教系が牛耳ってるので、日本のメデイア界でも知らずのうちにキリスト教系思考の影響を受けているのではないでしょうか?
レッテル貼りというか、キーワードで席巻していくやり方はその先の思考停止させ、ある問題を画一処理しようとする傾向があるように思えます。
もともと原理主義的教条論的思想工作の限界がきたので、これを今風にソフト化しただけのようにも見えます。
原理主義というか教条的主張はどうやって始まったものでしょうか?
教条主義や画一主義あるいはレッテル貼りの横行は、ソ連型共産主義が現世権力を握ったことにより思想=学問世界の独占物だったのを一般化したものと言えます。
ファミレスが高級レストランに行けないホワイトカラー層の受け皿になったようなものです。
その後工場生産化・食品や衣料の工場生産・・画一的大量に拡販する仕組みが一般化してきたように、思想を画一化する過程で異論を許さなくなった先進的システムだったというべきでしょうか?
思想は異論を戦わせる過程で相互の主張を止揚することでレベルアップが期待されるのですが、ソ連が始めた思想工作は、論争によって、思考論理を磨くプロの土俵を離れて、党中央の指令貫徹手段・・支配道具として思想を利用するようになって始まったように思われます。
ファミレスやコンビニ店員、あるいは工場労働者同様にソ連党中央の提供する思想・・ファミレスで言えば、食材の温め方?工場では機械操作程度の学習さえきちんとすればいいというのが特徴です。
共産系では学習会が重視され、学習を済ませた人を前衛とか細胞というのは言い得て妙です。
学習といっても党中央の指令伝達手段としての思想教育ですから、例えば中国では毛沢東語録や習近平講和内容の「学習会が基本であり、「こうすればいいのではないか?」などの改良意見を表明する場ではありません。
中国でウイグル族を100万人単位で収容所に入れて中国政府統治の正当性の学習を強制したり北朝鮮で失脚した政治犯が学習強要される仕組みも皆同じです。
共産圏では思想がいろんな工夫を生み出す有意義な道具としての位置付けよりは、支配道具ですから、教条主義や画一思考になるのは当然の結果でしょう。
ソ連が思想教育を世界に共産主義(と言う名のソ連による世界支配・・コミンテルン)を拡散する道具として以降、教条主義・原理主義論が一般化してきたように見えます。
フランス革命以降重視される思想信条の自由論は、表現の自由を核にしたもので、このため憲法学では表現の自由こそが基本的人権の中核という位置付けになっています。
ところがソ連で創始し現在の中国や北朝鮮で行われている思想強制は、表現を規制する線を超えてその前に、そのような思想を持たないように働きかけ強制する・・積極的に人の脳内支配を企図している点がおそるべきところです。
どうしてこう言うことに結びついたのかを考えると、もともとキリスト教徒というか一神教の場合、余計なことを言わねば処罰されないというだけでなく、一神教=唯一者の存在が前提です。
唯一者の意思に反しないかどうか生活の隅々まで、戒律あるいは教義の網がかぶる傾向があります。
このために監視者?古くは律法者・中世には神学者が教義の解釈を行なっていたが必要だったのでしょう。
神学者というジャンルが学問の先駆けという不思議な社会のようですし、ジャンヌダルクの処刑やガリレオの地動説に対する圧迫・異端審判制度の教具支配が有名です。
このように背教者をあぶり出す仕組みは長い歴史を持っていてスターリンの粛清政治は、世俗権力と宗教権力が一致した結果これを恣意的に乱用したものです。異端審問とスターリンの粛清政治の関連についてはDecember 22, 2016「シビリアンと信教の自由3(共産主義とシビリアン)」で書いたことがあります。
こうした思想統一の歴史の土台の歴史の上にキリスト教に変わって、共産主義という新興宗教と国家が国教として結びついたと見るべきでしょう。
イランで聖職者が世俗権力の上にある点は、共産党が国家の上にある中国の現体制と同じ構図です。
共産主義は唯物論だから宗教禁止と習いますが、旧ソ連や中国にとっては共産主義自体が新宗教だから対立宗教を排除しているにすぎません。
ソ連や中国の支配下にある以上は国教である宗教教育を強制する・まだ理解していないものには強制的に教えてやる→学習会とは国民の思想を強制改造するのが目的の学習強制システムです。
ソ連はこれを自国国民に対して行うのみならず他国にまで浸透工作(カトリック布教活動と同じです)を行うための世界戦略として、コミンフォルムだったかコミンテルンだったか?結成して世界中にその工作をかけていました。
結果的にソ連は制度として崩壊しましたが、今なお(内容から見て共産党と言えるかどうか不明ですが)独裁を信奉している中国ではソ連の自由主義諸国に対する浸透工作をそのまま引き継いでいる様子です。
言論の自由を隠れ蓑にしたソ連工作員の浸透を許したメデイア界ではその後中韓や北朝鮮が「思想の自由・民主主義を守れ」と表向きいいながら、実は原理主義的(枝葉末節の)批判を繰り返して自由主義諸国の政権転覆を狙うのが普通です。
日本メデイアではこの種の枝葉末節的批判の垂れ流し報道や、チャンスをみては爆発的に政府批判を煽る報道が逆効果になる例が増えてきましたが、森かけ報道や日本死ね!の洪水的報道とこれに便乗していた野党のジリ貧を招いている結果を見れば、日本では賢明な国民が多いので根拠のない煽り系報道をすればするほどメデイアの信用が落ちていく傾向が明らかです。
自由主義国でもようやく盛んになったいきすぎたPC批判が起きてきたように見えるのが、その表れです。
日本死ね!というようなスローガンで国民が踊る民度ではないのにメデイア界だけが有頂天になっていた印象です。
メデイア界が国民意識となぜ遊離するようになったのか?
メデイア界という抽象的なものはなくそこで働く人々の意識の問題ですが、日本の国民意識と遊離しているようになっているのが、ネット発達前には見えないようになっていたということでしょう。
国民意識の縮図的構成ではではなく意図的な人材偏向が仕組まれていたのでしょう。
例えば韓国や中国に都合の良いことしか報道しないメデイアの場合、韓国や中国自身が日本世論を読み違えるリスクがあり、かえって韓国や中国のためになりません。

悪いことはできないものです。

融通むげと(田中耕太郎補足意見)ご都合的原理主義2 

以上見てきた通り、韓国が国家として賠償請求権放棄した以上は、国家権力の一部である裁判所が対日請求を受理すること自体が論理矛盾であり条約違反です。
以上見てきた通り、韓国が無償援助等と引き換えに国家として賠償請求権放棄した以上は、国民の損害に対する国内法整備すべきであり、それを怠っている韓国政府に対する不作為の違法という損害賠償で処理するのが筋でしょう。
らい病でも血液製剤でも石綿被害でも、最初から違法ではないが、一定時期以降は政府や企業の不作為の違法が追及されます。
憲法違反→条約無効論に関する日本の経験で言えば、日米安保条約が憲法に違反するかどうかの判断回避した砂川判決が妥当な扱いでしょう。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

昭和34(あ)710
事件名
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反
裁判年月日  昭和34年12月16日 法廷名 最高裁判所大法廷
裁判要旨
・・・・
八 安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。
九 安保条約(またはこれに基く政府の行為)が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか)前提問題となつている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。

原理主義的思考の誤りについては、田中長官が以下のように同判決の補足意見で述べています。
なんでも憲法問題にする原理主義的法律家に対する警鐘でもあったでしょうが、進歩的文化人?には知られたくないことだったからか、この論旨をテーマとして論じた文献を見たことがありません。
学生時代以前の判例については教科書での紹介しか知らない・・私は(高齢化で仕事が暇になったこととネットの発達のおかげで原文に簡易に当たれるようになって)今回初めて目にしたものです。

裁判官田中耕太郎の補足意見は次のとおりである。
私は本判決の主文および理由をともに支持するものであるが、理由を次の二点について補足したい。
一、本判決理由が問題としていない点について述べる。元来本件の法律問題はきわめて単純かつ明瞭である。事案は刑事特別法によつて立入を禁止されている施設内に、被告人等が正当の理由なく立ち入つたということだけである。原審裁判所は本件事実に対して単に同法二条を適用するだけで十分であつた。しかるに原判決は同法二条を日米安全保障条約によるアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性の問題と関連せしめ、駐留を憲法九条二項に違反するものとし、刑事特別法二条を違憲と判断した。かくして原判決は本件の解決に不必要な問題にまで遡り、論議を無用に紛糾せしめるにいたつた。 私は、かりに駐留が違憲であつたにしても、刑事特別法二条自体がそれにかかわりなく存在の意義を有し、有効であると考える。つまり駐留が合憲か違憲かについて争いがあるにしても、そしてかりにそれが違憲であるとしても、とにかく駐留と- 6 -いう事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できるところである。 およそある事実が存在する場合に、その事実が違法なものであつても、一応その事実を承認する前提に立つて法関係を局部的に処理する法技術的な原則が存在することは、法学上十分肯定し得るところである。違法な事実を将来に向つて排除することは別問題として、既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である。それによつて、ある事実の違法性の影響が無限に波及することから生ずる不当な結果や法秩序の混乱を回避することができるのである。かような場合は多々存するが、その最も簡単な事例として、たとえ不法に入国した外国人であつても、国内に在留するかぎり、その者の生命、自由、財産等は保障されなければならないことを挙げることができる。

以下長文すぎるので引用しませんが、関心のある方は原文に当たってください。
このように韓国の主張する現在の法論理というより人権屋特有の原理主義は、鯨が哺乳動物であるから殺戮を許さないという反捕鯨団体同様に一部論理を拡張している・幼児的主張であることが明らかです。
論理には例外が必要ですが、それにはしっかりした価値観による一定の融通無碍性が必要です。
融通無碍と御都合主義的原理主義との違いは、実態に即した結果的に正義であるかどうかの価値判断を経た意見なのか、相手を批判をするための揚げ足取りかが分かれ目ではないでしょうか?
生活基礎基盤が違う人が違った生き方をするのは「お互い好きにしたら・・と寛容の精神で生きていけるかの違いではないでしょうか?
ゆるい価値観というと基準がないように見えますが自己の主観的基準を相手に押し付けない懐の深さの違いではないでしょうか?
相手批判するのが目的(一種のクレーマー的性格)の人は、硬直的原理主義の批判を受ける行動になりやすいのでしょう。
いわゆるPC・・一見して正義を標榜する行きすぎた批判が最近問題になって来たのは、半可通による「箸の上げ下ろしに類する」ことまで批判の声を挙げ、(ま、言えばクレーマーです)これをメデイア(に限らネット上の炎上騒動もこれの仲間です)が応援して吊るし上げ騒動を引き起こすようになったことによるでしょう。
話題を身分の融通制に戻します。
もともと日本では当事者の合意で婚姻し離婚する仕組み(三行半で知られています)で公権力(どころか集落リーダーの署名不要)というかっちりした権威の介在不要の制度設計(社会規範)でした。
生殖に由来する親子関係でさえ「子」であることによる法効果の相違に合わせて血縁関係重視分野でも嫡出子と非嫡出子の違いを決め、(平成25年最高裁判例でこの差別を違憲としたので法改正されましたが)格式に関する場合には「猶子」家督相続には養子制度という融通の効く体制を構築してきました。
ちなみに非嫡出子差別違憲判例の妥当性は、憲法の平等原則が貫徹されたという原理論によるのではなく、社会実態の変化に合わせた結果と見るべきでしょう。
嫡出子非嫡出子の相続分の違いは、明治30年頃の法制定当時農業人口90何%(うろ覚えの直感的数字です)の時代・家にある子と家の外にある子とでは家産の維持発展に関する貢献度合いがが99%(うろ覚えの直感的数字です)の違いがある時代を前提にしていました。
これが敗戦直後に家の制度解体による見直し時にも修正されなかったのは、家制度という観念体系によるのではなく、世帯単位の分離が進んでいなかった生活実態によるでしょう。

融通むげとご都合的原理主義1

我が国・・・中絶で言えば水子供養するなど、個人のこころの領域で処理することであり、これをしないことを理由に公的不利益どころか、宗教的社会的不利益も受けません。
あちこちのお地蔵さんを大事にするかどうかもそれぞれの気持ち次第です。
これを画一的国家強制が好きな民族の場合、胎児はすでに生命体である→殺人の一種という論理構成して犯罪という方向性に持っていく流儀です。
クジラは魚類ではない→捕獲を許さないという変な論理になると欧米の考え方のご都合主義がわかると思いますが、妊娠等は神の領域であるのにこれを人為的に変更するのは許さないというのは時代遅れなので(異宗教に強制できないので)生命侵害という法論理化に成功している例です。
日本の場合、子供は「天からの授かりもの」大事にすべきという感謝の念があり、古代から子供や小さな生き物すべてをとても大事にする社会でしたが、一方で動物を食用にすることを許さないという価値観がありません。
仏教導入で不殺生の戒律が入っても、鳥類や魚類は除外でしたし、イノシシを山クジラと称して肉を食わせる店があったり、般若湯と称して僧侶が飲酒したり、自由奔放というかルールに対して柔軟でした。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9316に広重の有名な名所江戸百景 びくにはし雪中(せっちゅう)」絵の説明が出ています。

この絵でまず目に飛び込んでくるのは、左に掲げられた「山くじら」(②)の大きな看板です。山くじらは、猪(いのしし)の肉、別の名は牡丹(ぼたん)肉。この店は牡丹鍋で人気の「尾張屋」さんといわれています。当時、表向きは食べられていなかった獣肉ですが、実は「薬喰(くすりぐ)い」と称し、滋養をつけるという名目で肉を食べる人々もいました。他に鹿肉(紅葉肉)、馬肉(桜肉)も食べられていたとか。

草花も生き物ですし、毎日庭で生き物として手入れすると草花もこちらの気持ちに応じて生き生きとするものですが、季節がくればまとめて引き抜いて、次の季節の草花に植え替えるのを厭いません。
生命があるからと日々大事にしている気持ちと引き抜く気持ちが矛盾しない(とはいえ、一日延ばししたい、心情に苦しみますが・・)のが不思議です。(私だけかな?)
日々の食卓を賑わすものは肉類に限らず全て元は生命体です。
このように、一定の矛盾を融通無碍(生命尊重は例外を許さない絶対論理ではない)に受け入れていくのが日本人の特殊性と言うべきではなく、全ての摂理ではないのでしょうか?
キリスト教の神学(ドグマ・原理主義)→その流れをくむ西洋流の法論理は硬直的すぎて生き物のあるべき原理としてどこか無理があるよう思われます。
韓国では徴用工や慰安婦問題を人権侵害だから消滅時効がないといい、個人の人権侵害被害を国家間で決めるの許されないという論理を進歩系?日本学者もメデイアも全く批判しません。
しかし強制労働や慰安婦強制は重大な人権侵害であるから時効がないという論理は、もっと重大な生命侵害・殺人罪強姦罪等に時効を認める韓国を含めた世界中の法体系と矛盾しています。
要するにご都合主義的人権屋の原理主義です。
国家間約束は国家が守るべきであり、韓国裁判所も韓国国家機関の一部である以上国家間約束を守る義務があるはずです。
国家内でお互いに独立性を尊重するのは国家内部の権力分配の論理であって国外に対して国家権力として不統一権力行使をする論理ではありません。
条約精神に抵触する国内法令があれば、それを改正する義務があります。
憲法に違反するかどうかは国内統治の原理であり、これに違反すれば、国内法だけで処理できる場合は純粋な違憲無効かどうかの判断で良いでしょうが、対外効果の生じる条約の場合、関係者の政治責任の問題であって国際協定の有効性を国内最高規範である憲法違反かどうかで論じることは許されません。
対等な主権国家間の協定・条約の解釈は、国際司法裁判所その他中立国の仲裁等によるべきでしょう。
比喩的な例をあげれば、外国人に危害を食えないようにするという条約を結んでおきながら、「外国人を殺せ」という国内法を温存したままにしておいて、この法律があるので外国人殺害犯を処罰できないというのでは条約違反です。
慰安婦合意をしながら、公共空間に慰安婦像設置を許可するのは矛盾ですから、自治体の勝手ではなく自治体が条約を守るように公園等の利用関連法令改正(自治体は法令の範囲での自治があるにすぎません)するのは国家義務です。
日本自治体の権限は以下の通りです。

憲法
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

個人で言えば契約しておきながら「家内が承知しないので」と契約履行しないことが許されるか!といえば分かり良いでしょうか。
家庭内で奥さんの発言権が強い・・女性尊重で立派かどうかの問題ではなく(軍部がいうことを聞かないとか、野党が承知しないとか)発言力が強いならその承諾を得てから契約署名すべきことであって、署名した後に契約不履行の口実に使うのはルール違反です。
TPPで言えば農民等貿易協定によって不利益を受ける分野との地道な対話の上で対外交渉すべきで条約を締結してから「国内で納得を得られないから条約を守らない」というのではまともな交渉相手・一人前とみなされなくなるというべきでしょう。
政権が変われば前政権の約束不履行が許されるかの問題では、ロシア革命後新政府ソ連がこの口実を使ったままほっかむりをしてきましたが、ソ連崩壊後、後継の現ロシア共和国が旧ソ連時代の債務履行をしない限り国際社会復帰できないことから、ついにその約束を履行しました。
このように政権が革命的に変わろうと国際社会の信用を重視する限り、過去の国家間約束を守るべきが国際法理です。
https://www.afpbb.com/articles/-/3122795

ロシア、旧ソ連時代の対外債務を完済へ
2017年3月26日 18:03 発信地:モスクワ/ロシア [ ロシア・CIS ロシア ]
1991年のソ連崩壊後、ロシアは対外債務700億ドル(約7兆8000億円)の履行責任を負ってきた。債務の大半は「ペレストロイカ(改革)」で民主化が推進された85~91年に生じ、その履行は90年代に財政の圧迫要因となった。ロシアは壊滅的な経済問題に直面し、98年にはデフォルト(債務不履行)に陥った。ただ、2000年代初めから石油収入が安定したおかげで、06年にはパリクラブ(Paris Club、主要債権国会議)の主要17か国への債務を返済した。

切り捨て社会の持続性(米国)1

米国から逃げ出す企業は以下の通りです。
https://japanese.engadget.com/2018/11/27/ev-gm-5-15/

EVと自動運転車に資源集中。GMが米国内5工場閉鎖、人員15%削減へ
トランプ政策空振り
米ゼネラルモーターズ(GM)が、契約社員の15%をレイオフするとともに、北米5か所の工場を閉鎖、さらに6車種を生産終了すると発表しました。
GMでは今回の再編によって正社員、契約社員あわせておよそ1万4000人のGM従業員が失業する可能性があります。
電気自動車と自動運転車の開発に資源を集中する方針です。

要は、EV系人材に入れ替えたいということでしょう。
車がEV系になると関連部材が大幅減になるので、生産台数が同じでも必要雇用が減るだけではなく、人材の系列が違いますので旧来型人材はそっくり適応障害・失業またはサービス業等への転換が求められる状態です。
本体で1万4000人減といえば、部品納入その他関連企業・周辺飲食業などの雇用減は膨大ですが彼らの多くが行き場を失なっていきます。
https://jp.reuters.com/article/gm-restructuring-trump-tweet-idJPKCN1NW29P

トランプ氏はツイッターで、GMがメキシコや中国の工場を閉鎖しなかったと批判。「米国はGMを救ったのに、その返礼がこれとは!われわれは今、電気自動車を含めGMへの補助金全額カットを検討している」と述べた。

旧来型製造技術者のレベルアップで国内雇用を守るには、時間もコストもかかるので民間企業としてはそんなことにエネルギーを使うよりも、新興国であるがままの低レベル人材を安く使って生産を続ける方が有利というのが米国企業の価値判断です。
アメリカの場合、労働者を機械設備同様の視点で見ているのでペイしないとなれば、(効率の良い機械が出てくれば新しい機械に取り替えるように)簡単に切り捨てるし、労働者も自分の能力(その企業で教えられた恩義など考えずに)に見合った待遇がない=他社からより良い条件を提示されれば転職(勤務先を切り捨てる?)する相互関係です。
中国への日本進出企業では中国人に技術やノウハウを教え込むとすぐに高い給料をくれる現地企業に転職してしまうのが普通ですが、諸外国では組織に対する帰属意識の歴史経験がないのです。
日本の場合には大昔からの村落共同体の発展した武士集団=お家大事・企業一家の思想できましたので、構成員全員生き残り策が最大関心です。
上杉、毛利の例を書いてきましたが、苦しくともリストラなど一切しない(・支配層の儲けを図るよりも構成員の維持が最優先です)のが基本です。
新興国に汎用品製造で追い上げられるようになると海外進出しますが、本国製造業をマザー工場として維持するための海外進出であって、本国の人員削減を目的にしていません。
アメリカ・ユダヤ資本主義は従業員のための企業ではなく「儲け」の基準で切り捨てる仕組みのようです。
新興国の低賃金に対抗するために能力が細分化した弊害をなくし多能工化を進めるなどの工夫努力を多くの企業で進めて、単純作業しかできない新興国との差別化に日々努力してきたのがその一例です。
その努力の結果現場から新技術発見工夫も生み出しやすくなっています。
日夜の努力の結果、国内製造業の急激な縮小を免れてきたし、車その他の各種部品産業が輸出産業・国際競争力を保っています。
人材育成・地味な努力ができるのは、大昔からの組織構成員相互の信頼関係が基礎にありますが・・時間とお金をかけて訓練しても一人前になると転職してしまう社会では企業が自己資金で訓練する意欲を失うでしょうから仕方のない面もあります。
アメリカや中国の現状・転職が先か企業がドライに切り捨ててきたから会社に忠誠を尽くす気持ちがなくなったのが先かの問題ですが、これを日本型の相互信頼社会に変えるのには数世紀どころか千年単位の時間が必要な印象です。
ホームレスに話題を戻します。
放逐された時代不適合・低賃金労働者をどうするかの政治がないことが可視化されたのが近年のホームレス激増になっていることがわかります。
彼ら全員の再教育には無理がある・・・教育機会がなかっただけで教育さえすれば、戦闘機やロケット製造技術者として参加できるようになれる人がいるか?よいえば1万人に一人?あれば良い方で、9割方は今なくなりつつある標準的技術を習得することさえできないでしょう。
国外移転企業を非難したり、ボランテイアによるピンポイントに頼って残酷な切り捨てに対する罪悪感解消に努めている様子ですが、ボランテイアが5人〜10人の再教育に成功しても、全体の底上げにはつながりません。
20年ほど前に職業転換教育・「学校」という映画を見た時の印象ですが、営業マンがリストラにあって職業訓練校に通う設定でしたが、なんとボイラーマンになって再起するストーリーでした。
当時既に新築ビルでは地下でボイラーを炊くスチーム暖房など時代遅れでしたので、再就職後すぐにその職業自体なくなる・・衰えゆく職種なので非常に違和感を覚えながら鑑賞したものでしたが、26日に紹介したボランテイアによる再教育も似たような滅びゆく職種に就職させるための訓練でした。
これから伸びゆく最先端・・ITや金融取引・製造業でも戦闘機製造技術等の能力付与は(文字も読めないものに教えるのは無理があるので、最底辺の接客訓練などでなんとか最低賃金でも雇ってもらえるようにするものに過ぎないようです。
職業柄リストラに遭った人たちを見ていると、先端系産業に勤めていて熾烈な競争に敗れた人が結構います。
時代遅れ産業よりは最先端系の方が日々の競争が熾烈で、そこでの優勝劣敗が日常的です。
学問でも絵描きでも体操でもスケートでも将棋でも皆そうでしょう。
その道のプロコーチその他が工夫しても、無理・プロをやめるしかないということで脱落していくのです。
そこで脱落した人がもう一度挑戦できるように再訓練出来る公共の?職業訓練校など有るはずがありません。
先端系で脱落した人は時代遅れと言われる旧式産業界でやりなおすしかないのが現実です。

ホームレス排出の基礎2

話題をアメリカのホームレスに戻します。
ホームレスの現状報告・上記の通り立派なボランテイアの活動紹介がありますが、4〜50代で英語を話せない、話しても文字が読めないなどの労働者がどの比率でいるのか不明ですが、昨日冒頭に日経新聞記事を紹介したように最低賃金の現場労働している限りヒスパニック社会その他がゴロゴロあるので英語を身につけなくとも間に合うから英語が身につかないままであった面もあるでしょう。
彼らに対するボランテイア活動の尊さもわかりますが・・・中学生レベルの教育も受けていない労働者がひしめいている社会では・「格差拡大反対」などという以前の印象を受けました。
草刈りなど・・その日食べる程度しか稼げない超単純労働しかできない階層が雲霞のごとくひしめいている社会を作り上げたが、その種労働の必要性が縮小するばかり・・彼らの労働の場をどう確保するかの時代が来ているようです。
米国ホームレス現状報告の続きです。
以下は別の報告です。
http://bigissue-online.jp/archives/1073661229.html

米国の人気の街・ポートランドで深刻化しているホームレス問題の実態
2019/01/16
米オレゴン州ポートランドは、環境に優しい街づくりが行われ(公園、橋、自転車専用道路などの整備)、リベラルな街として知られる。ファーマーズ・マーケットなど健康的な食生活が送りやすく、都会でありながら自然に近い暮らしができることから、暮らすにも旅するにも人気の街として注目されて久しい。
米国北西部ではシアトルに次ぐ人気の街。人口も2010年以降は毎年1万人のペースで増え(2012年に約60万人 → 2017年には約65万人)、この勢いは2040年頃まで続くと見込まれている(*2)。しかし一方では、このすさまじい人口増に伴って家賃が高騰、失業率も高まり、ホームレス問題が深刻化。2015年10月には非常事態宣言まで出された(*3)。観光都市としての洗練されたイメージとは結びつきにくいホームレス問題の実態。
2018年9月に現地を訪れた

・・・カフェ運営は多くのボランティアによって支えられている。その一人、リンダに話を聞いた。
「ボランティアワークはとても楽しいし、多くの学びがあるわ。」
「最低賃金レベルの仕事をしていてはアパートを借りることもままならないのがこの街の現状なの。」
「最低賃金レベルの仕事をしていてはアパートを借りることもままならないのがこの街の現状なの。」
ポートランドの最低賃金は時給12ドル。これは米国の中でも6番目に高い数字だ(例:マサチューセッツやカリフォルニアは11ドル)*5。「オレゴン州雇用部門」によると、全雇用のうち7.4%が最低賃金レベルの仕事に相当する。
ポートランドは大企業で働く人などお金がある人には人気の街だが、低賃金の人には文字通り「生活できない街」になっているのだ。家賃を払えなくなって家を追い出され、仕事も解雇され、何もかもを失う悪のスパイラルに陥る。
1年間のインターンプログラムでカフェ運営を手伝っているドイツ人女性エスケにも話を聞くことができた。
ここで働いてみて、ドイツとアメリカの違いに気づいたという。「病気になると同時に仕事も失い、すぐに家を失う。この国の現実にショックを受けました。低賃金の仕事についてる人、貯蓄のない人、子どもがいる人は、いとも簡単にホームレスになってしまう。」
リンダが「彼の話を聞くといいわよ」と言って、偶然カフェの前にいたアントニオという男性を紹介してくれた。突然のことにも関わらず、快く身の上話をしてくれた。
僕は生まれも育ちもポートランド。父はメキシコ出身、母はポートランド出身。子どもの頃からずっと路上生活、いわゆるストリートキッズだった。学校も行けなかったし、精神を病んでた時期もある。33才になる今年、人生で初めて安全な住まいを手に入れたんだ。生まれ故郷であるこの街でね。」
「アメリカの福祉、公的セーフティネットは落ち度だらけ。自由な国なんて言われるけど現実はほど遠い。これが長年、安全な住まいを手に入れたいともがいてきた僕の率直な思い。」
「仕事は20年以上、建設現場などでの肉体労働。最近は農業や木の伐採の仕事をメインにしてる。稼ぎは決して多くない。この国で農家が十分に稼げたことなんてないよ。水やり、草刈り、農場整備、かなりキツい肉体労働をやって月収は約800ドル。」
「人々に食を提供する農家が十分に稼げない、この国の悲しい現実です。その国の農家がどう扱われてるかを見れば、その国の倫理観を知れるよ。それに比べ、人々の生活を監視、統制してる警察は時給40ドルとやたら稼いでる。ホームレスの人たちを苦しめ、行き場もないのに一掃し、時には殺しもする。この国の警察は大嫌いだ。」
「ホームレスの人々に足りていないのは、コミュニティと仕事スキルと心の問題に対するサポート。これらもないのに、警察からは追い払われ、どうやって生きていけというんだ。」
彼の語り口は非常に簡潔で的を得たものだった。
取材・記事: 西川由紀子

この記者もレベルが高い!
古くは奴隷解放と言っても開放しっぱなしで低所得層を放置してきたために貧困の連鎖が何世代も続いてきた・これが中南米その他からの貧困層の難民的移民に引き継がれてきたように見えます。
まだ分析していませんが、直感的に見てアジア系のホームレスは少なそうです。
もしもそうとすればその原因分析も必要ですが、この点は忘れなければあとで書くことにします。
単純作業系労働力余剰問題がホームレス激増の基礎でないかの関心で以下書いていきます。
運搬の動力を牛馬に頼った時代から車時代が来ると、輸送用牛馬の需要がなくなり、競走馬程度が食肉用しか存在価値がなくなりました。
人間がご用済みになればどうなるかの歴史です。
日本の武士は徳川の平和時代がきたときに、(大久保彦左衛門や旗本愚連隊を除けば)おおむね順調に官僚や文化人(酒井抱一のように)に変身していった歴史を書いたことがあります。
明治維新で職を失った士族に対する秩禄処分も紹介しました。
彼らの多くは、明治維新以降の日本近代化の人的礎となって近代日本の発展を支えてきたのです。
日本は古代からおおむね産業構造の変化に民族一丸でうまく対応してきた歴史です。

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