英国船籍クルーズ船→英国主権下

米国の場合、自国船籍だったらしく航行中のクルーズ船に対してCDCが直接隔離命令などの指示を出せたのに対し、日本寄港の船は英国籍だったので・英国を通さないと何もできなかった点が大違いでした。
しかもクルーズ船現場は英国政府の感染対策方針・・ジョンソン首相の当初方針は・・一定程度感染させ集団免疫を作った方が良いという主張の影響も受けていたでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200408-00172192/

集団免疫論に惑わされた英国の悲劇 EU離脱の影響配慮が裏目か 米研究所が死者6万6000人の予測
木村正人 | 在英国際ジャーナリスト 4/8(水) 17:36
・・・イギリスが当初、感染して抗体を持つようになった人が壁になって感染を防ぐ「集団免疫」論にとらわれ、ロックダウン(都市封鎖)するのが遅れたのが原因だとIHMEは指摘しています。
・・イギリスは不要不急のサービスを閉じ、休校措置を講じたのが3月20日、その時の死者は177人。外出禁止措置をとったのは3月23日の時点で死者は335人。イギリスの人口はポルトガルの6倍以上ですが、公衆衛生的介入の遅れが犠牲を拡大させたのは明らかです。

外国籍の船は入港していても、船内秩序はその船の国籍国の主権下にあり、乗組員も下船して上陸(入国)しない限りニッポン法の適用を受けません。
上陸とは陸地に足がつくことではなく、入国手続きのために並んでいる段階ではまだ入國していません。
これは空港の場合・飛行機から降りて空港ターミナルビル内を歩いていても入国手続きに並んでパスするまでは、まだ法律上上陸したことになっていないのと同じです。
例えば海外旅行で目的地へ行く直行便がない場合、途中のシンガポール等の空港でニュージーランド等へ飛ぶ飛行機に乗り換えますが、乗り換えのためにターミナルビル内を歩いてもその国に入国手続きと出国手続きをしないでそのまま乗り継ぎ便に乗ってそのまま出国できる・・それらの手続きの必要がないことを考えても良いでしょう。
このように外国籍の船の中は、その国籍のある国の主権が及ぶまま=船の着岸した国の支配に属さないのが原則です。
もちろん飛行機や船内の実況見分等の調査もできないので英國にやってもらうしかないのですが、こういう場合、英国も自国警察や衛生当局を呼び寄せて自分でやるのは無駄な費用なので主権にこだわらず着陸地の現地警察や保健当局に協力するのが常識的です。
今回は英国としては船内感染対策が杜撰であったことなど知られたくないし当時ジョンソン首相が社会的免疫獲得論にこだわっていた結果本国でも大失敗したことを掘り起こされたくないでしょうから、調査協力したくない立場だったのでしょうか。
香港出航後横浜寄港前に日本政府からの隔離要請があったとしても、日本政府の指導に従う義務がないし従ってはいけないので、今回のクルーズ船の船長としては本国の英政府にお伺いをたてるのが普通です。
というより英政府の頭越しに現場船長に要請するのは国際儀礼違反ですので、日本政府は英本国政府に要請するのが普通です。
基本枠組みは、政府を通した話し合いでもいいのですが日々刻々に変わる状況把握を英本国政府を通じて聞いてそれに対してこう言う対処してほしいと具体的段階に入ると毎回英政府を通して伝言ゲームやっていると時間がかかりすぎてラチがあかないのが普通です。

(我々弁護業務で、離婚であれ企業紛争であれ、弁護士を通じて行い直接交渉禁止原則ですが、だからと言って大枠を決めたのちの現場作業(例えば建物工事の不具合問題も、修復するかどうかを決めるのみでペンキの塗り方までいちいち弁護士間で決めたりしませんし、子供との面会交流も大枠を決めるのみでその場で子供とどう接するか、声かけするか等は親の常識対応に委ねるもので、こう言ったらこう答えるまでは決められません)当事者間で従来慣行に応じた業務を行う意味で24時間弁護士が現場作業に立ち会うわけではありません。)

親密国の場合、直接やりとりしてくれていいですよ!と直接実情を聞いて良いし日本政府のやり良いように指示してくれませんか?と承諾してくれるのが普通でしょう。
昨日引用した記事に、政府関係者の恨み節が紹介されているように今回のやりとりがスムースでなかったように見えるのは、英国自身集団免疫論実行中=隔離政策反対の本国基本政策に反する協力要請なので、簡単に日本のやり方に応じることはできない立場だったのでしょうか?
全員下船・船内作業収束後、日本検査官乗船前の船内での感染防止対策の実態がどのような状態だったかの日本政府の調査要請に応じているのか否か、表向き応じるものの非協力的かの問題です。
文春記事の引用続きです。

サンフランシスコ港ではなくオークランド港が選ばれた“裏事情”
サンフランシスコ沖まで近づいた「グランド・プリンセス号」だったが、サンフランシスコ港から寄港を拒否されてしまう。CDCはまず、症状のある人々のウイルス検査をするというのだ。
それは、船を着岸させて検査するのではなく、検査キットを沿岸警備隊がヘリで空輸し、乗船している医療チームに検査させるという大胆な手法だった。この検査では、検査を受けた46人中、19人の乗員と2人の乗客が陽性、24人が陰性で、1人は判定不能という結果となった。
しかし、このやり方では時間がかかるという理由から、他の乗客は下船後、隔離場所で検査されることになった。「グランド・プリンセス号」を非商業用の港に寄港させることになったが、すぐには寄港先が見つからず、4日間も洋上を漂流した後、3月9日、サンフランシスコ郊外のオークランド港に寄港したのである。

上記の通り、日本の船内検査がCDCのルールに合っていないと批判されていたのですが、御本家米国CDC自身が船内検査に踏み切っていたのです。

非武装論と受益者1

自衛権がない・・憲法に書いてあるから内容の是非を問わない・・護憲派の集団自衛権論争も内容の是非よりは憲法違反かどうかだけをテーマにしています。
非武装しかないと主張しながら、そのとおりすると民族自立はどうするのかと言う議論には応じない・・。
兎も角(内容の議論など応じる必要がない・・)立憲国家である以上は憲法に従うべきだと言うだけです。
「憲法に書いているとおりだと良くない結果になる」と言うならば、「憲法改正を提案したら良いでしょう」そこで「国民判定を待ち、勝負しましょう」と言うならば普通の議論ですが、彼らは憲法改正を論じること自体に反対しています。
この意味で護憲派と言うのでしょうが、改正論を議論すること自体が憲法違反のような勢いです。
護憲勢力が、「憲法9条を守れ」と主張し運動していますが、例えば日弁連などが憲法を守る義務あることと改正自体に反対することは別・・どう言う憲法が良いかの意見や運動は、純粋な政治運動になるのではないでしょうか?
政治活動ならば、非武装のママでしかも相互防衛条約がなくて一国だけで防衛出来るのかなどの当否を正面から議論すべきです。
相互防衛条約を結べば相互に応援しあうのは当然のことになります。
非武装論者と護憲勢力が概ね一致しているので、内容の議論に入ると「憲法に書いている以上は守るべき」で議論する必要がないという循環論ですから,普通の人が聞いていると頭がおかしくなりそうで「偉い人の言うことはよく分らない」と言う形で(日本人は相手をバカにしません)議論から遠ざかります。
非武装論者はこれが狙いで論破したつもりでしょうが、国民の多くは納得していないので、選挙になるとおかしな議論をしている方の支持が少ない結果になります。
憲法改正の当否に関する運動は、革命騒動を見れば分るように国家の基本を変えるかどうかの尖鋭な政治そのものですから、これに反対するのは憲法遵守義務と関係のない政治主張です。
日弁連が直截9条を守る会を運営していないのは、「弁護士会が政治活動すべきではない」と言う縛りに関する配慮でしょうが、地方単位会では9条を守る会に堂々と便宜を図って会館を利用した集会などが行なわれている印象→何気なく見ている印象しかなく、正確に見れば、単位会これらの文書配布に関係しないよう・・関係者が勝手に会員のメーボックスに投函しているので、事務員が持ち帰っているだけでかもしれず、会としては慎重に区別しているのかも知れないと言う意味です。
非武装論者は「憲法改正絶対阻止」と言う立場で改正論を議論すること自体に反対ですから、要は外国支配を受けても非武装論の貫徹をすべしと言う立場を護憲運動と言い換えているに過ぎないことが分ります。
護憲=国民は憲法を守りましょうと言う運動は、正に立憲主義の元にある弁護士会の正当な運動ですが、護憲に名をカリテ憲法改正反対運動をするのは純粋な政治活動です。
米ソ対立時の非武装論は、一方に加担しない・紛争に巻き込まれない消極的効果がありましたが、(全て本来の中立などあり得ない・・苛めているときに黙って見ている・・意見を言わないこと自体が強い方の味方であると言う意見を大分前に書いてきました・・)アメリカ支配下にありながらアメリカの応援をしないこと自体が、アメリカの敵方の消極的支援になります。
それでも他人間の戦争・紛争に巻き込まれるのはイヤと言うのは、(個人で考えれば分らないが友人が殴られているときに傍観しているようなこと(・・そんな自分勝手で世間に通用するかの問題意識が必要ですが、)一応の説得力があり戦争に懲り懲りした民意にもあっていました。
米ソ対立がなくなった後・・他人間・・アメリカとどこかの争いではなく、日本が当事者である日中、日韓の対立になっても「巻き込まれるのはイヤ!・非武装論貫徹論」は?どう言う意味があるのでしょうか?
日本国益を守ることに加担しない=日本人がにっぽんと外国との争いに中立であることなど論理的にあり得ません。
自分と友人との争いに自分が中立だと言っているようなもので、・・右手で戦っているときに左手は、中立と言うような意見で、言わば狂人の論理です。
日本人でありながら,相手に何をされても抵抗するな!と言うのは、外敵を利する行為ですから、あいつは簡単だと言う気持ちにさせる・・外敵誘致するための政治運動になります。
2者・隣国と一触即発状態で争っているときに一方だけ非武装のママが良い・・「軍備増強して戦争に備えることを許さない」・・と言う国是ってあり得るでしょうか?
戦略的にここは引いた方が良いから、外交交渉で・・と言うこともありますが、選択肢ではなく、頭から「どんな条件でも言うことを聞きます:」と決めている国がどこにあるかと言うことです。
戦前で言えば一方の国は無制限に海軍力を増強出来て日本だけ軍備生産を増強禁止されているような片手落ちの競争条件が正しいと主張している関係です。
民事事件で言えば一方だけ弁護士相談を禁じるべきだと言う意見は、どちらの利益のために主張しているのかと言う明白な事実です。
戦略的に・・弁護士相談したがその上で「ここは弁護士を表に出さない方が良い」言う選択は勿論ありますが・・相談自体をしてはいけないという意見を批判しています。
あるいは武士が喧嘩相手から呼び出されて村はずれの場所に行けば、斬りあいになることが予想されるときに一方にだけ刀を持って行くのを禁じる・・丸腰で行かざるを得ない不公平な条件です。
これは法律論ではなく、特定勢力に有利にするための単なる政治運動であり、極めて尖鋭な政治運動そのものです。
政治運動でしかないのに、法律論のように見せかけて憲法学者が如何にも国民よりも優越的識見があるかのように声明を出す事自体がおこがましい・・ここでも政治論を法律論にすり替える誤摩化し・・僭称する図式が見られます。

憲法の本籍(国民主権)3と護憲運動1

国内政治論争は、日本国内問題解決にどうしたら良いかの議論であるべきなのに、護憲勢力は憲法内容の合理性如何に関わらず,内容の議論から逃げて護憲、護憲と言う形式論に固執し、しかも正当性の裏付けを海外・・国連での意見採択などに求める傾向があるのは、元々の成り立ちが背後のアメリカの意向を「イヤらしく」利用しようとする勢力だからです。
最近の例では集団自衛権必要性の議論を一切せずに「憲法違反を許さない」と言う合唱ばかりです。
彼らのよって立つ戦略は、「日本がアメリカの残した憲法を骨抜きにしょうとしていますよ!」とアメリカを中心とする外国勢力にアッピールすれば、アメリカを中心とする国際社会の支援を受けられる・日本人がヘコムしかないだろうという高度なイヤらしい意図が見え見えです。
この延長線上で、アメリカの支援に関係なく純粋国内問題でも、国内政治テーマにすべきことまで国内議論をしないまま先に国際問題に広げて国連でこういっていると言う動きが慰安婦騒動以来発達してきました。
慰安婦騒動のぱあい、朝日新聞の大誤報に端を発して国民的議論がないまま国連報告書が出されてしまい、こう言う報告があるから仕方が無いじゃないかと言う決め付けから始まっています。
NGOヒューマンライツナウに関して 年末に書きかけて先送りになっていますが、最近では、NGOと言うものを作って、児童保護など純粋の国内政治論を、国連へ出掛けて行ってロビー活動する・・その挙げ句に国連調査官と言う人物の招聘に成功して,実態調査もしないでNGO関係者からの聞き取りだけを元に、日本の性道徳の退廃は酷いものだと言う印象の記者会見をやらせるまで発展したのはこの一例です。
最近左翼が運動している憲法9条に対するノーベル平和賞運動もその一例でしょうか?
海外で日本の悪評・・ほめ殺しを広げてこれを利用する政治運動のあり方に関しては、後で上記NGO問題のシリーズの続きでもう一度書きます。
話がそれましたが、憲法論に戻ります。
新商品の例で言えば、事前にどんなに綿密なテストをしても・・実際に顧客が使い込む過程で想定外のトラブルが生じるのが普通で、使ってもらいながら商品の改良をして行くのが一般的です。
いろんな法律も・・日本国憲法も、運用して行くと、不都合が起きて来る点では、あらゆる商品と本質は同じです。
最近では、運用実績を見てから修正することを織り込んで施行後3〜5年経過後に見直す規定をおく法律が増えています。
李承晩ライン・竹島問題や朝鮮戦争が起きてみると理想論ではうまく行かない・・周囲には強盗国家がいるのにどう対処すべきか、非武装のままでは民族を守れないと言う問題意識が定着してきました。
これまで書いて来たようにソモソモ「国民主権に基づく憲法」としては自民族の生命を守るための自主防衛すら出来ない建て付けには無理があったことが、明白になったのです。
しかし、アメリカのメンツを潰さずに済ますための智恵として、特定条文が国民のためになる内容かどうか・・文字どおり読むと自民族のためにならないときには現憲法を生かしておくための智恵として「国民のためになるように」解釈して行く智恵が生まれました。
実はアメリカ自身、朝鮮戦争勃発以来日本を対共産圏向け軍事同盟国・・補完勢力として利用する必要が生じたのですが、憲法9条が矛盾するので重荷になっているのですが、自分の作った憲法が民族自立を妨害する・人道に反するもので無効だとは言えません。
ですから,護憲勢力・9条論者とは、実はアメリカによる日本に対する脅しを利用しているのではなく、アメリカが正面から反対出来ないことを悪用してアメリカの対日政策の変更を妨害している「イヤらしい」勢力になります。
集団自衛権論争も同じで、「日本がアメリカの作った憲法に違反しようとしている・アメリカの主導する戦後秩序を破壊しようとしている」とアメリカに訴えるのは一見アメリカに忠実なように見えて,実質はアジア安保維持のために日本のよりいっそうの協力を求めるアメリカの足を引っ張るためのイヤらしい行動になっています。
幕末に幕府に忠誠心を持たない薩長が、神君(家康)以来の「祖法」を守れ・・攘夷決行を主張→・・やれば欧米列強に対して勝ち目がないのが明らかで、結果的に欧米の植民地になってしまうリスクがあって幕府が実行出来ないことを知りながら、攘夷決行を幕府に迫ったのと同様の手法です。
これが狡い便法に過ぎなかったことは、自分たちが政権を取ったら,欧米に迎合して直ぐに開放政策に転じたことを見ても分ります。

憲法の本籍(国民主権)2

占領下で制定され、何をされても交戦権・・戦う権利がない・・無抵抗でしか対応出来ない憲法など、世界のどこの民族にもありませんから、内容から見て近隣国の奴隷民族になれと言うに等しい内容です。
時には無抵抗主義も選択肢の1つですが、飽くまで選択肢であって何をされても一切抵抗してはいけないというのでは、選択肢ではありませんから相手にバカにされるだけです。
非武装・・何をされても抵抗出来ないと決めた場合の効果を考えてみましょう。
牛が屠殺場に引かれて行くような結果が待っています。
子孫にとてつもない不利益を強制している憲法となれば、民族のための憲法としての効力を持っていないことは間違いがないでしょう。
現在社会では異民族支配を受けている場合でも、その国の法律は平等に適用されます。
例えばアメリカで言えば、今では黒人も公民権が認められ、同じように違法行為があれば正当防衛する権利があるし、裁判を受ける権利があります。
運用上の差別があるかどうかは別として法律上は平等です。
日本国憲法の場合、「交戦権を認めない」と言うのですから文字どおりに読めば、異民族が個人で強盗や殺人をすれば犯罪処罰出来ますが、戦争と言う名目で多くの日本人を殺したり略奪すれば、「国際紛争」ですから、日本政府は「解決する手段」としての「交戦権」・・正当防衛が許されない・・抵抗権がない→犯罪にもならないことになります。
憲法
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

犯罪でない以上は、殺されそうな日本人は個々人としても、正当防衛する権利もない・・黙って無抵抗で殺されたり略奪されたりするのを見ているしかないと言う制度設計です。
実際に敗戦直後に行なわれた李承晩ライン設定による漁民に対する大量殺害は、(竹島占領を伴っていますし・・)日本侵略の戦争行為だったとすれば、自衛権がないと言うことで、犯罪として処罰することも出来ず、日本はナスがママにされていました。
最近の尖閣諸島での領海侵犯行為も戦争・・国際紛争そのものですから、憲法を字義どおりに読むと領海侵犯して来た船を「紛争解決手段として」「武力では」どうすることも出来ないことになります。
日本政府は中国人の不法侵入者や漁船体当たり行為=器物損壊や公務執行妨害行為を武力行使としての検挙が出来ません・・民主党政権はこう言う解釈で釈放したのでしょうか?
ソ連の千島占領も、韓国の李承晩ラインも勘ぐればアメリカは将来の日韓や日ソに火種を残すために裏で唆し,黙認した可能性があります。
(・・ダレス長官だったかが蒋介石に沖縄をやっても良いと言い、蒋介石は将来日本との紛争のタネになるので、いらないと断ったと言うやりとりが知られています。)
そこで、憲法全体が無効かどうか以前に自主憲法制定論が、占領終了と同時に当然起きてきました。
異民族支配を脱した場合歴史上多分100%の国(世界中を調べていないので分りませんが)では真っ先に占領・支配道具として作られたルール・憲法を廃止して新憲法を作るものです。
米軍内で日本国憲法草案造りに参画した人に後にインタビュー・・強制があったかどうかと言う愚にもつかない質問をするために?行くと、まだそのまま残っていると聞いて絶句したと言われています。
条文を考えて作っている人達自体,どこの国でも占領軍が帰れば自分の憲法を作るので、占領期間だけの法制度と思って作っていたと言うのです。
占領軍に忠誠を誓った学者・官僚が占領が終わった後も律儀にそのまま守っていること自体が驚きだったようです。
千年、万年単位で欧米より進んでいる日本人の智恵としては相手がいなくなると直ぐに敝履のごとく廃棄するのはカドが立つと言う智恵だったのでしょう。
日本人の古来からの智恵・・波風を立てないと言う意識を利用して、いなくなった占領軍に代わる監視役のように憲法・・アメリカの作った戦後秩序を守れと言う勢力が幅を利かす状態が戦後70年も続いて来たことになります。
根気の良いことですが、護憲勢力は日本人が何故後生大事に憲法をそのまま使っているかの真意を知らないで、(あるいは知っていても)何かあると「憲法違反と息巻けば良い」騒げばアメリカが黙っていないだろう・・アメリカの鼻息を窺わざるを得ない日本政府・・ひいては日本人が黙ってしまうと言う読みで、良い気になっていたように見えます。

憲法の本籍(国民主権 )1

年末・・クリスマス以降の特別コラムを書いている内に高齢化による能力低下→能力格差→保険制度→マスコミの中立性などへ逸れていましたが、平成27年12月22日まで書いて来た憲法のあり方論シリーズに戻ります。
民主国家とは、国民の民意によって運営する国家ですから、国家の基本精神を宣言する憲法は当然国民・民意によるべきことになります。
国民・民意を無視して君主の制定した憲法が強制されるのでは民主国家とは言えませんし、主権国家である以上は、支配している他民族が制定して良い筈がありません。
憲法の解釈運用も国民総意・・日本民族のためになるかどうかの基準によるべきで、外国政府や国連がこういっていると言う基準によるべきではありません。
国際動向は、世界の進運を取りこぼさないように参考にする程度の意味しかありません。

憲法前文
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

実際の憲法制定過程をみれば米軍の強制による事実を疑う人は滅多にいないでしょうが、建前上は国民が自主的に制定したことになっています。
さすがに横暴な占領軍・マッカーサーも「米軍(私)の強制によって制定した」「米軍が制定する」とは書けなかったのでしょう。
米軍の意向を後生大事にする立場でも、占領軍・・現在のアメリカ政府も表向き「憲法と言うものは国民の意思によるべき」ことを否定出来なかったのです。
民意より世襲・・血統が重視されていた中国では、武力で退位を迫っても形式上は禅譲されたとせざるを得なかったのと同じです。
(反米でありながら日本国内で親中ソ派勢力拡大に利用出来る点で便利なので)便宜上アメリカの意向に従ってきた憲法学者も「憲法は国民のためにある」と言う基本原理を否定出来ていません。
占領軍の事実上の強制・同意によって出来たことは、当時の記録上明らかですが、日本国を愛する勢力にとってこれを直ちに強制によるから無効と言い張るのが良いかは、智恵の出しどころです。
自主憲法かどうかの基準は手続だけ国会決議によったかどうかではなく、内容が自国民のための規定になっているか否かが重要です。
10万円しか借りていない人が1000万円返しますと言う念書を書いている場合、あるいは5万円しか受け取らないのに100万円の借用書を書いている場合、本人の署名であることが証明されても、合理的意思による合意ではない・・何らかの強迫等の強制力があったこと・・無効であることが民事裁判では推定されます。
年末に書き始めていた憲法9条の解釈に戻りますと、自分の命すら守る権利もない・・「他民族に何をされても黙って殺されろ」と言う内容の憲法を国民が自主的に制定するなどはあり得ないことです。
奴隷支配している支配者が、奴隷に対して「お前は何をされてもモンク言えないんだぞ!」と言うルールを作って奴隷にサインさせてその子孫に対して「お前の親が自分で決めたのだから守れ」と強制しているような構図です。
これを自主憲法と言うかどうかは別として憲法の実質を持っていない(5万円しか借りていないのに500万円の借用書を書いていても書いたとおりの効力がない事は法律家では常識です。)ことが明らかです。
家憲・家訓は子孫が繁栄するために制定するものですから、子孫に不利な内容を決めている場合、「お前の家の家憲だから子孫は守るべし」と言えるでしょうか?
もしも子孫のためにならないならば、家憲を修正する必要があります。
時代に合わなくなって改正するならば分りますが、制定当初から民族や子孫に害のあるような憲法を自分の意思で作る国民はいませんから、民族・子孫を困らせるような憲法であれば、誰かに強制されたかな?と言う疑いを持つのが普通で、まして占領下で作ったとなれば、自主憲法と言う人は皆無ではないでしょうか?

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