チュチェ(主体思想)とは?1

英国からの香港返還時における外国籍取得熱のフィーバーが知られていますが、ここ数日香港では中国本土から要求に応じる「犯罪人の引き渡し条例」制定を巡って大騒ぎです。
本土への非合法拉致に対する国際社会の非難に対して「民主化手続き・・合法化さえすれば何をしても良い」という開き直りの常套手段・・合法化する試みでしょうか?
知財を盗めば犯罪だが、知財提供を法で強制すれば犯罪ではないと言う開き直りに先進国が一致して対中国戦線を構築し始めた意味が分かってないのでしょう。
https://www.sankei.com/world/news/190610/wor1906100014-n1.html

香港デモ「100万人」 容疑者引き渡し条例案へ反発拡大
2019.6.10 22:00
北京=西見由章】香港政府は10日未明、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対するデモ隊の一部を強制的に排除した。9日のデモには主催者発表で103万人(警察発表は24万人)が参加し、1997年の中国への返還以降で最大規模のデモとなった。香港では高度な自治を認める「一国二制度」の形骸化につながるとして幅広い社会層に反発が広がっており、条例改正を進めたい中国の習近平指導部も難しい対応を迫られそうだ。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56700
ついに天安門事件の縮小版・・武力行使が始まったようです。
香港の危機、警察が武力でデモ隊強制排除に
中国が踏みつぶす司法の独立、香港はどれだけ深刻な状況なのか
2019.6.13(木)福島 香織

米中紛争は単なる貿易赤字問題ではなく、西側諸国と価値観の争いになってきたこの時にあえて天安門事件再来のような世界中の耳目を集める紛争を起こし、人権侵害強化のための法制度強制制定に動く国際政治感覚のお粗末さに驚くばかりです。
中国大陸ではその地域で覇権を確立すれば、対等者間の合意で決めていく歴史経験がない・・国際政治をしたことがない弱さがあるとも言いますが・・。
米国、大手メデイアの誤ったシグナル・・・・トランプ氏は国民支持を受けていないという報道を信じ込んで強気政治に邁進しているピエロみたいになっているのでしょうか?
中韓は自国有利なプロパガンダのために日米メデイア浸透作戦を成功させたとした場合、自国指導層に都合のよい報道しかみなくなった・・日米の本当の世論が分からなくなっているのではないでしょうか。
韓国における従北派の浸透が事実とした場合の影響に戻ります。
文政権下では、本当に北朝鮮支配が良いと信じている人以外の一般人が、日々従北派を気にしながら生活しなくてはならない状態になりつつあるのでしょうか?
今後韓国内が北朝鮮みたいになっていく・いつ自分が牢獄に放りこまれ思想改造収容所にはいるか分からない不安に怯えているのでしょうか?
まともな人から順に半島から逃げ出せば、残るのは偏狭なチュチェ思想に凝り固まった人か、やばいと思っても逃げられない老人や弱い人だけの国になっていきます。
チュチェ(主体思想)思想に関するウイキペデイアの記事です。

知られている北朝鮮での「主体(チュチェ)」への最初の言及は、1955年12月28日の金日成による演説『思想的研究における教条主義および形式主義の除去と「主体(チュチェ)」の構築」』である。金日成はこの演説で、党の宣伝担当者はソビエト連邦から思想や慣習を輸入するのではなく、朝鮮自身の「ウリ(我々)シク(式)」の方法によって朝鮮革命を前進させるべきであると論じた。これは、スターリン批判が国内に波及することを恐れた金日成が防波堤を作ったものであるとの見方もある
・・・
主体思想の確立期
主体思想自身は1956年から表面化した中ソ対立による政治的緊張下で、全体的で思想的なドクトリンとして段階的に形成されていった。すなわち北朝鮮国内における親ソ派(ソ連派)・親中派(延安派)の粛清(8月宗派事件)とソ連、中国の影響の排除を通じ、金日成はマルクス・レーニン主義の独自解釈を進めることとなった。特に、フルシチョフ政権下のソ連共産党第20回大会で「西側諸国との平和共存路線」が打ち出されると、朝鮮半島の解放(すなわち南朝鮮からのアメリカ帝国主義の排除)を国是とする北朝鮮と、ソ連との対立は深まってゆく(これに対し、ソ連の平和共存路線を「修正主義」として批判した中国は、北朝鮮と接近することになった)
主体思想の変容期
1982年の金正日の『チュチェ思想について』によると、国家政策における主体思想の適用の概要は以下である[18]。
人民は、思想や政治的には独立し、経済的には自己供給し、国防では自己依存していなければならない。
政策は大衆の意思と願望を反映し、革命と建設の中で彼らを完全に雇用しなければならない。
革命と建設の手法は、国家の状況に適応されなければならない。
革命と建設の最重要作業は、人民を思想的に共産主義者に形成し、彼らを建設作業に動員する事である。
「主体」の視点では、革命的な党と指導者への絶対的な忠誠心を要求した。北朝鮮では、それらは朝鮮労働党と、最高指揮官たる金日成であった。スターリンが押し進めた個人崇拝を北朝鮮の実情に合わせて進化させたもので、「領袖は党、党は国家」というスローガンとともに朝鮮社会への浸透を推し進めた。そして金日成の死後、金正日指導の下では先軍思想が主体思想と同列に推されたことにより、事実上「領袖は軍、軍は党、党は国家」という軍国主義的な要素を含んだものへと変質する。

チュチェ(日本語では主体思想)?思想の始まりは、自分の国は中国やソ連とは違う「主体的に生きている」から、ソ連や中国が対米追随外交になっても「北朝鮮には関係ない」という時流無視の唯我独尊を決め込んでいるだけのことで、どこが違うのか内容不明・・思想と言えるのかすら不明です。
これが次第に金一族世襲による専断政治の正当化主張?になっていったようです。
一時毛沢東語録が流行ったように日本左翼は、権力者の語録をバイブルのように崇め、個人崇拝を正当化する傾向があります。
超能力者・スター渇望・・個人崇拝がなぜ興るのでしょうか?

米中の親和性と日本文化の隔絶1

23日の続きです。
日本民族は西欧近代で民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・列島人一丸として戦う前提で、国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度も創設しました。
卑弥呼の頃には、それぞれがバラバラに交易していて今のような民族意識はなかった筈ように習いますが、(交易用に代表団を結成しているうちに一体感が出来たのか?)長い交易期間を通じて列島人と半島人と気質の違いを実感して来て「自分たちとあいつら」の区別がしみ込んでいたからでしょうか?
文字を残した中国の史書だけを基準に考えて来た従来の歴史学から見れば、日本列島は卑弥呼のこの頃にはまだ未開の地域ですが、考古学が発達して来ていろんなことが分って来ると・・1万年前後遡ると、列島の縄文文化の方が進んでいた可能性すら分ってきました。
何もかも大陸から伝来したのではなく、逆に日本の工芸品?が大陸にわたっていた様子・・遠慮して言えば可能性が出て来たのです。
このように歴史は魅力一杯ですから興味が尽きませんが、縄文時代から植林するなど循環型社会が根付いていたことが既に知られているように・・これが佛教の輪廻思想が根付いた所以です・・循環型になると環境重視→同じ環境を利用する共同体意識が強力になります。
日本の場合、外敵と戦うための民族意識強調と言う政治目的による根の浅い概念ではなく、環境重視=共同体意識が縄文時代から自然発生していた・・その後水田・・灌漑社会になって、より共同体意識が強固になって行ったことが今の西洋流の民族意識の母体になっているものですから、西欧で言い出した民族意識よりも歴史が古く基礎がしっかりしています。
ゴーストタウンにして街を棄てて行く・・居住地域を結果的に砂漠化させて移動して来た世界中の有名文明の跡地とは心構えが違っています。
・・アメリカや中国(公害を除去しないで、北京を棄てようとしています・・)の生活意識では、先祖代々繋がるような共同体意識が育ちません・・そこで、権力維持のためにアメリカでは国旗を振りかざして国歌を歌う程度の皮相な愛国心の強調の場合、いつも外敵が必要です。
平和のためと称して、アメリカは戦争ばかりして来たことを見れば分ります。
西欧の民族意識強調は、ナポレオン戦争遂行の必要のために生まれたもので、日本のように共同体・・環境や動物愛護意識から、自然発生的に生まれたものではありません。
運命共同体意識の強さに比例して、よそ者の参加にはハードルが高くなるの当然です・・インフラ整備に参加していない人がイキナリやって来て無償利用出来るのでは、代々の積み重ねで築き上げた環境を他所から来た人にただで利用されることになります。
何かの行事をみんなで苦労して盛り上げて来たときに、全く手伝わなかった人がハイライトのときだけ参加して大きな顔をされたらしらけるのと同じです。
環境に関心の低い・・格差社会の国が、「よそ者を低賃金労働に使えれば良い」と言う計算で受入れるのとは訳が違います・・日本人は一緒に住む限り平等前提で、格差や奴隷制度を前提に低賃金労働者を受入れることが出来ません。
防人は・・東国人中心に編成されていた・遠くの九州の防衛に協力させていて破綻しないで、機能していたことが驚きです。
一般に東北地方の服属は、征夷大将軍坂上田村麻呂の遠征によると言われていますが、大化の改新のころには既に東国(と言っても岐阜県以東?)からの防人派遣がさしたる抵抗なく?(万葉集等に出て来るだけで歴史書に出て来ないだけかも?)行なわれていたことになります。
危機が治まれば民族意識は鎮静して平和主義に徹して柔弱そうに見えますが、中世での蒙古襲来時の団結力・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まりなどなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
民族を守るために命を投げ出す覚悟のある日本民族の強固な意識は、民族の一体感より一族の利益を守る意識中心の中韓等民族意識がまだ1つハッキリしない国では、理解を超えた状態ですから、マスコミ中心に流布している非武装論を日本人の脆弱性と誤解してしまったように見えます。
日本人は腰抜けばかりになってしまったから、一撃を加えればすぐに折れてしまうと甘く見て攻撃強化を始めたのが中韓両国の失敗です。
(ロシアは日本が怒り出すとすぐに引いてしまい対日友好外交に切り替えたのは日露戦争の教訓があったからでしょうか?)
変わり身が早いと言うべきですが、・・日本人からみれば、日本の弱みに付け込んだ先の不可侵条約違反→シベリヤ抑留と二重写し・・ロシアは日本が弱ったと見れば何をして来るか分らない国と言う記憶を呼び起こしてしまうマイナスに気が付かないから、露骨なことをするのでしょう・・。
(ロシアは国の歴史が浅くて目先の損得しかない・・最近のプーチン氏のやることは一見うまく行っているようですが、(ウクライナ侵攻・クリミヤ併合、やシリア介入・トルコ威嚇等々・・)相手の弱みに付け込むだけで、あまりにも見え透いていて子供みたいです)

非武装平和論の利益帰属主体は?1

社会党が方針転換するには党内に異論があったでしょうが、この時点で社会党内ですら自主防衛権否定論は少数説になっていたことになり、社会党内でさえ異端の少数説が憲法学者の世界では多数説として生き残っていることが分ります。
このように憲法学者は社会党でさえ支持しない国内で浮き上がった主張を維持する存在になっていたにも拘らず、集団自衛権に憲法学者の多数が反対していることを以て、「国民多数の反対を無視して強行した」とすり替えてマスコミが宣伝しているのですから不思議な論理です。
元々彼ら憲法学者の多くは、(憲法を字義どおり・・制定者の真意をそのまま守るために?・・解釈合憲の便法を認めず)社会党が認めた自主防衛権さえ反対しているのですから、集団自衛権にも反対するに決まっていますので、彼らが反対声明を出しても本来何ら新しいことではありません。
こう言う勢力が国内でマスコミの応援を受けて実態以上に声が大きかったことが、日本に対しては何をしても構わないと言う周辺国の侮りを受け、竹島に対して毅然とした態度を取らないことが尖閣諸島に対する領土要求を誘発し、反撃の心配がないことから気楽な反日批判を誘発して来たのです。
中ソをバックにして日米安保条約を根底から否定して来た反米左翼・文化人が、アメリカの非人道的占領政治を一切糾弾しないばかりか、アメリカ軍による制定憲法に対する護憲勢力化しているのは一見矛盾です。
彼らはアメリカ支配を拒否しているだけであって、中ソによる日本支配を期待していたとすれば、日本が異民族支配に不満を持たず無防備無抵抗主義・・弱体なままのが方が便利です。
このためにインド独立に関しては、ガンジーの無抵抗運動の結果独立出来たかのようなマスコミ宣伝や教育されて来ましたが、実態は違います。
独立の戦いが続いていてその終盤に無抵抗の運動も参加したに過ぎません・・欧米系マスコミは独立運動に負けたと言いたくないのでガンジーを大げさに報道しているだけでインドではそんな意識はありません。
黙っているだけでどん欲な欧米諸国が植民地を手放す訳がないことは、(ベトナム戦争で有名ですが・・ビルマ、インドネシア、アルジェリアその他全て独立戦争または内乱的動乱状態を経て独立出来たのが)歴史事実です。
ソ連が東欧諸国を人道的配慮だけで独立させたとでも言うのでしょうか?
ハンガリー動乱やチェコやポーランドの事件など戦車で蹂躙して来たことを歴史から抹殺してしまい、なかったことにするのでしょうか?
話を戻しますと、「無抵抗主義・弱い者は何をされても仕方がない」と言う教育が戦後70年もやられて来たので、世代が入れ替わって民族の誇りを失ってしまった筈と周辺国は安心したのでしょうか?
まだ無理があると思っても、彼らに協力的な民主党政権時の内にやるしかないと言う判断もあったでしょう。
骨抜き教育の必要性は、ソ連が崩壊してロシアになり主役が中国に変わっても、根本方針は変わりません。
民主党政権には社会党政治家であったときの反米・非武装論者が、民主党員に衣替えして多く流れ込んでいることから、イキナリ対米冷却化路線に進んだことから、周辺国が(日本内部の呼応勢力?の有力化に)俄然勢いついたのです。
ロシアが北方海域での軍事活動を活発化させると同時に列島を周回する軍用機の威嚇行為が繰り返されるようになり、韓国では大統領自ら竹島上陸・・天皇に対する国家元首の発言としてはあるまじき暴言を吐いた上で、ひいては壱岐対馬侵攻作戦すら取りざたされるようになりましたし、これに呼応して中国は、尖閣諸島への侵犯行為を激化させて行きました。
領海侵犯して来た不法中国人を検挙した海保の果敢な行為に対して民主党政権は、侵犯行為のビデオを公開しないで、根拠なく釈放を命じてしまいました。
さすがにノーテンキな日本国民も日本列島を取り巻く三方からの一斉侵略・威嚇行為が露骨になったことで、日本世論が騒然として来ました。
旧社会党の非武装平和論・・何をされても抵抗しない?政策を踏襲するかのような民主党政権・・何をされても検挙すらしないと言う基本的政策にノーを突きつけた国民意識が、当時自民党総裁選挙でマスコミから、泡沫候補扱いされていた安倍政権誕生の原動力になったと言うべきでしょう。
日本国民は無抵抗主義を放棄して断固違法行為に対抗する意思表示をしたことになります。
日本民族は西欧の民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・戦う前提として国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度・・東国人中心に編成されていた・その地域まで協力していて破綻しないで、機能していたこと・中世での蒙古襲来時の団結力・秀吉の切支丹禁令もカソリックの侵略体質に危険を感じたことが原因があった・・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まり・などなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
平和なときが続けば、幕府ご家人が朝湯を楽しんだりして骨抜き状態に見えましたが、幕末に「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船のシャレ)たった四はいで夜も寝られず」(上喜撰・・当時の高級茶の名称・・カフェインの作用で眠れないのに引っ掛けた傑作です)と歌われたことから知られるように、イザとなれば、すぐに民族防衛DNAが覚醒し復活する体質です。
戦後70年にわたって占領軍によって強制されて来た民族の骨抜き政策・教育効果が、表面のメッキ程度に留まっていた・・日本民族のDNAは損なわれていなかったのです。

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