18日のコラムで決死隊がいないのかと言う嘆き節の意見を書きましたが、3月20日20時32分配信の読売オンラインニュースでは、
東京電力の社員と協力会社社員合計160人の決死隊が高圧線のケーブル敷設作業に取り組み・・地震や津波あるいはその後の爆発等による障害物を取り除きながら進んで行きついに2号機のケーブルに繋がったとの報道がありました。
この作業は、6号機にたどり着いた現場作業員が暗闇の中(停電中なので、建家の中は真っ暗です)手探りで機器を探りながら手回しで発電機をまわした後で発電機に電線を繋いだところ発電機がうなりを上げて動き出したとのことです。
この電力を使って6号機に隣接している5号機の残留熱除去系ポンプが動き出し、同日午前5時に起動し、使用済み核燃料貯蔵プールの水温が低下し始めたそうです。
この報道と脈絡がはっきりしないのですが、結論として2号機にもケーブルが繋がり、通電に向け、作業員の奮闘が続いているとのことです。
電源さえ入れば万歳と簡単に言えることではありませんが、停電したことがすべての始まりだったのですから、ともかく一縷の望みが繋がったことは確かです。
ただ、16時の官房長官記者会見ではこれが全く出ていませんので、(消防車による放水効果・・ある程度の成功によって水温が下がっていると言う趣旨の説明でした)読売ニュースが後で誤報として訂正されるものかどうかは今のところ分りせん。
20時32分の読売報道の方が官房長官の記者会見より時間的に後・・新しいとは言え、記事内容が20日午前5時のことですから、16時の記者会見前に朗報として官邸には即時・直後に入っていた筈ですが、政府としては隠さなければならない不都合な真実ではないのに、これが何故記者会見で発表されなかったかの疑問です。
また23時16分の同ニュースでは、東京消防庁が当初の機械に頼る方針を変更して人力でホースを延長する戦略に変更し、3号機両側からそれぞれ3台ずつに200人体制で臨み、(当然計測班もあります)で放水した結果プールに水を命中させて直後に放射線を計ったところ現場の放射線濃度がほぼゼロに下がっていたとの報告でした。
以上のように現場が奮起して身の危険を顧みずに頑張ってくれている・・決死隊志願者ががいることが嬉しいのですが、決死の覚悟で働いている現場作業員には国家最高の栄誉をあたえ末永く顕彰する外、名誉だけではなく現実の褒賞(一生食えるだけ以上の)を与えるべきです。
消防庁の活躍は別としてこれが民間・・しかも東電の下請け中心の部隊(でないかと推測しているだけで今は根拠がありません)とは情けない次第ですが、日本の歴史はいつも現場、現場へ下りて行く繰り返しでしたので驚くにはあたりません。
東電や原子力保安院のトップクラスの記者会見を見ていても、私たち素人から見ていてもおそらく天下り役人ばかりで実態・・現場のことは何も分らないで記者会見をしているのではないかとの疑いを持って歯がゆく見ていた人が多いのではないでしょうか?
しかし、現場力の強さ・・そのエネルギーが貴族社会から武士の政権となり、更に戦国時代の下克上を経て明治維新は下級武士によって担われたものであり、我が国特異の連続性・・絶えざる社会構造の前進の基礎になっていることについては、11/12/03「世襲と競争社会1」その他のコラムで書いたことがあります。
維新以降は企業や役人の世界も現場がやはり強い・・官僚であれば主任から課長クラスまで、トヨタであってもその他の企業であっても中枢部門は何も出来ない・・現場こそが会社を鍛えているのが現状です。
消防庁は日々現場で頑張っているからこそ、いざと言う時に底力を発揮出来たのでしょう。
私は、現場力の強さこそ日本の世界に誇れる強みだと思っていますし、私自身その考えで最後まで弁護士業務も現役主義を貫くつもりです・・偉そうに決裁するだけみたいなことは嫌い・・そんな方向には不向きな能力でもありますが・・自分が担当する事件はどんな小さな事件も始めから最後まで自分でやっています。
ですから、民主党政権になってからの事業仕分けの公開作業で、局長クラスの幹部の無能力さが話題になりましたし、東電や原子力保安院の幹部が無能そうでも別に驚きません。
その内下請け現場が力を持って、(下克上同様に)大手企業と入れ替わって行けば、良いことです。
歴史上正規軍が無能力化して行き、傭兵や下請けに頼るようになると国がおしまいですが、(幕末も、徳川旗本がまるで役に立たず、会津と新撰組に頼っていたのがその象徴です)自衛隊の場合、みんな公務員で臆病者ばかりになって役立たずになるとどうすれば良いのでしょうか?
そうなれば、役に立たない正規自衛隊員を縮小して行き、傭兵・・下請けを増やすしかないでしょうか。