米金融政策の影響1と中韓

米金融政策の影響1と中韓

米国金融政策の影響力に戻ります。
2日ほど前には、米連邦準備理事会議長の記者会見で、12月の記者会見で発表した19年中2回の利上げ既定路線が否定されバランスシート縮小の年内停止示唆したことを世界の市場は好感し、ひいては日本円高予想になっています。
https://www.smamjp.com/documents/www/market/ichikawa/irepo190131.pdf

2019年1月31日三井住友アセットマネジメントシニアストラテジスト
市川雅浩

米連邦準備制度理事会(FRB)は、1月29日、30日に米連邦公開市場委員会(FOMC)を開催し、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を年2.25%~2.50%で据え置くことを決定しました。利上げの見送りは織り込み済みでしたが、今回のFOMCは全体として市場の予想以上にハト派的な内容となりました。まず、FOMC声明について、重要な変更点が3つありました。

 
 
この結果から政策金利は年内据え置きの予想に変更、バランスシート縮小も年内停止の可能性1月30日の米国株は上昇、米国債の利回りは低下(価格は上昇)で、それぞれ反応しました(図表1)。
米ドルは、米国債の利回り低下や、FF金利先物市場の利上げ回数の織り込み低下(図表2)により、対主要通貨で下落し、ドル円は1月30日に一時108円81銭近くまでドル安・円高が進行しました。
今回はFOMC声明とは別に、バランスシートの正常化に関する声明も公表されました。この声明で、FF金利が金融政策の主要手段としながらも、バランスシートの正常化の完了に向けて詳細を調整する用意があることや、状況によってバランスシートの規模と構成内容を変更する用意があることが確認されました。
ただし、声明に具体的な手段は示されておらず、現時点では基本方針の表明のみなっています」

トランプ氏恫喝に動じたか市場反応によって動じたか不明ですが、議事録公開による説明トーンの変化について書いてきたように、すでに今年2回の利上げは遠のいていると年初から見られていたことの正式確認で扱いです。
これまで、米国金利上げに戦々恐々状態であった世界経済はこれで一先ず息をついて、年初から新興国や先進国低格つけ社債発行などが増えているようです。
中国ではGDP比の負債拡大が大問題になっていても企業救済をやめられないように、世界(日本の財政赤字も同根)は紙幣増刷→債務拡大問題をどうするかのテーマに取り組むべき時期が来ているようです。
産物・供給量同一で紙幣発行量が2倍になれば物価も二倍になる単純論理で結果的に債権債務が均衡(債務帳消し・借金していた人や企業が得する)する仕組みでしたが、閉鎖社会から解放経済になると物価が二倍になれば半値以下の近隣国からの輸入が増えるので、一国で紙幣増発しても物価が上がらないので(日本の場合、平成に入った頃から20〜10分の1以下の中国製品が流入しました)上記のような単純論理での解決できなくなりました。
結果的に債務の帳消し(物価を2〜3倍にすれば債務負担2〜3分の1になりますが)ができないので、債務が積み上がる一方になってきたのです。
財政赤字解消の即効薬として日本では物価上昇を目ざすリフレ政策を採ってきましたが、上記の通り物価をあげれば国内企業の国際競争力が落ちて、輸入が増えてしまうので無理がありました。
この辺の論理構造をだいぶ前からこのコラムで書いてきました。
日本の場合には、国民債務膨張でなく政府債務だけ膨張していく関係・国民は国債を買って債権者になっている関係、中韓では政府債務よりは、国民や地方政府や国有企業債務が膨張していく仕組みでした。
国家が強く国民が弱い国かの違いであって、トータル破綻すれば国民が困るのは同じですが、愛国心の強い民族の場合、いざとなれば(戦時中は鉄不足のために鍋釜お寺の鐘まで供出したし)私財どころか前線の兵士は生命を擲っても国(構成する民族)を守る・敗戦で祖国が食うや食わずになっても皆外国から引きあげて復興に尽くす国民ですので、政府がお金を持っていなくとも国民に資産を持たせておいても心配がないし、愛国心のない民族の場合、個人資金を海外に隠しておいてイザとなれば国外脱出するので、政府は国民を信用していないし、国民も政府を信用していない相互関係です。
中国の場合裸官で知られていますし、韓国の場合国外脱出熱の高さが知られています。
国内的には愛国心を訴え国民を煽る政治家が多く、大袈裟に叫ぶ国ほど(相互信頼がないから)こういう傾向があります。
日本の場合政府・学者が「国際人材が育たない」と心配するほど、多くの若者が海外に行きたがりません。

ロシアとトルコの関係2(トルコ危機?1)

トルコのエルドアンは強権政治(権力維持)の代償として、国是であった欧米依存から、宿敵ロシアにすり寄ってしまった事になります。
トルコとしては、十字軍遠征以来の敵役であった西洋が産業革命以降圧倒的力を持つようになるとその力を借りないとロシアの攻勢から国を守れなくなった象徴がクリミヤ戦争でしょう。
この因縁の地をロシアがウクライナから奪ったのが、この2014年のことです。
この侵略行為に対して欧米は対露経済制裁しているのですが、エルドアンは狂犬支持批判を受け入れたくないために制裁で困っているロシアと手を組んで欧米に背を向けようとしていることになります。
オスマントルコ時代末期から現在に至るまで欧米寄りの姿勢を国是にしてきたのは、国力衰退の現実に合わせて、国家(民族)の存立を図るには格下と思っていた西洋列強に頼るしかないと判断した結果でした。
その行き着くところ、第二次世界対戦以降は対露大規模相互防衛条約であるナトーへの正式参加を許されるなど、対露防衛を盤石化してきたのがトルコでした。
NATO・北大西洋条約機構に関する本日現在のウイキペデイアです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%A9%9F%E6%A7%8B

2017年時点で29カ国[1]
加盟した年 国 1949年 アイスランド、 アメリカ合衆国、 イギリス、 イタリア、 オランダ、 カナダ、 デンマーク、 ノルウェー、 フランス、 ベルギー、 ポルトガル、 ルクセンブルク 1952年 ギリシャ、 トルコ 1955年 ドイツ

その後西欧ではEUが結成されたので、単なる軍事同盟だけではなく共同体の一員となることを求めていくら擦り寄っても擦り寄っても西欧(キリスト教社会)の仲間に入れてもらえない差別意識・屈辱感に苛まれることになります。
対露防衛を目的とするNATOという軍事同盟に早くから入れてもらっているが、運命共同体と認めるべきEU参加申請にあれこれと注文をつけられて一向に加盟が認められない現実・・運命共同体になるのは嫌だが、お互いの利を持って軍事面だけで協力関係を築くという露骨な西欧の態度・・これがエルドアンがさじを投げるようになった下地でしょう。
エルドアン個人の意見ではなく(屈辱的関係はゴメンだという)トルコ民族全般に流れる不満が背景と見るべきでしょう。
しかし、運命共同体にまではなれないとしても、どうせ支配下・あるいは他人づきあいするにしても、ロシアの支配下あるいは服従関係に入るよりは、西欧の方が優しいというのが、歴代トルコ指導者や民族の判断だったのではないでしょうか?
実際ロシア支配下に入ったクリミヤ半島などではトルコ系というか、中央アジア系原住民の多くはシベリヤ等へ集団強制移住させられて現地にいなくなっていると言われます。
バルト3国その他でもロシア支配下に入った地域では、ロシア系人口の急増・原住民の激減が見られます→人為的強制移住政策・・シベリア送りが言われてきた・・うろ覚えの記憶ですが、詳細根拠までチェックしていませんので正確性は?と思ってください。
欧米に従うのとソ連・ロシア民族に従うのとどちらが良いか・・第二次世界大戦後の結果・・東独と西独の発展の差・・ソ連軍支配地となった東独では鉄道線路まで剥がして持って行ったと言われています。
日本の場合、北海道がもしも戦後ソ連支配下に入っていれば北海道住民の日本人の大方がシベリア送りになっていて(その多くは反共思想嫌疑対象にされて粛清され極寒の地で死亡してしまい、人種的には消滅?)北海道住民の大方はロシア人に入れ替わっていた可能性が高いでしょう。
60年安保騒動の頃に、メデイアでは公式報道はありませんでしたが、・我々世代は「アメリカがひどいからといって、ソ連支配・服従関係に入るのとどちらがひどいかの選択の問題」だという意見を聞いて育ちました。
満州駐在の関東軍将兵がシベリヤに連行され抑留された過酷な経験もあって(不可侵条約を破って満州侵攻してきた連軍の残虐さ、腕時計など見つかると身ぐるみ剥がれされるような経験、婦女子の暴行など)メデイアが報道しなくとも日本をソ連侵略から守らないと大変なことになるという選択のテーマ・・口コミの恐怖感の方が強かったのです。
実際その時の国民の選択・欧米よりいわゆる西側・・日米安保体制選択が正しかったことは、今や歴史的事実でしょう。
戦後思想界・メデイアを席巻していた左翼・・ソ連系思想界の失敗・・が白日の下にさらされ始めましたが、この批判論台頭に恐れをなしたのか?最近左翼系思想界からの巻返し運動・・60年台から70年初頭にかけての思想あるいは芸術界の過激な動き・吹き荒れた学生運動等の回顧展が宣伝されていますが・・これは批判のうねりに対する最後の反撃のつもりでしょうか。
日経新聞1週間前の文化書評?に高坂正嶤に関して誰かが書いた書物の書評が出ていました。
論壇では左翼系信奉者の多い丸山真男論ばかりで高坂正堯氏に関する評伝が少ない・・安保騒動が歴史になった今になると、高坂正堯氏の思想意見の通りの歴史展開になっているので彼の功績が見直されるべきで時宜を得た書物だというというような書評が出ていました。
文献では60年安保でも表向きの議論ばかりですので後世の人は誤解しますが、現実に生きている当時の人は占領政治に気持ちの良い人はいない・・米軍人による強姦事件多発や日米戦争開始に関する日本側の言い分が100%封じられてしまう不満などいくらでもありますが、(GHQ司令部跡を22日に見てきた感想をクリスマスのコラムで書きますが、せっかくの文化遺産をペンキで塗りたくるのがアメリカの文化度です)「じゃソ連だったらどうなのかの比較が庶民間では行われていた・・メデイアで論じられない重要な価値判断があったのです。
現実生活者の目はしたたかですが、メデイア界の寵児・思想家評論家は(共産社会は貧富の差がない理想の社会という)青臭い議論ばかりで社会体験のない青年を煽っていたのです。
学生運動家上がりの文政権の「最低賃金さえあげれば皆幸せ」という書生論が韓国経済を苦しめているようですが「韓国のアメリカ離れ」中国寄りの動きもトルコの動きと似ていますが、要は選択の問題でしょう。
擦り寄るといえば、ロシアの西欧崇拝も相当なものです。
フランス宮廷風文化取り入れに歴代皇帝は熱心でしたし、今もできれば西欧の仲間に入りたいのに西欧から見ればどう猛な野人扱いで本当の仲間に入れてもらえない悔しさで、今やプイッと横を向いて嫌な中国のご機嫌伺いするしかない状態です。
地理的に見ればトルコもロシアも西欧世界から見れば辺境の地という点で共通的・ひいては粗暴なイメージですから、社会意識・文化的に遠くなるのは仕方がないことでしょう。

フラストレーション度3(ロシアとトルコの関係)

さしあたりできることは、(専守防衛の呪縛を煽るための運動家を養っていますのでその活用によって、)何の反撃もしてこない安全パイの日本攻撃・反日暴動に戻る可能性が高まります。
国内反日キャンペイン再開・国民を煽るだけ煽って〜尖閣諸島海域で漁船や公船という名の軍船?大量投入や南シナ海での通行妨害程度のことから始める可能性がないわけではない・・・皆無ではないと見ておくべきです。
現状は、国際孤立化プラス米国の総攻撃?の結果やむなく日本ににじり寄っていますが、いつでも日本攻撃できるように同時に南京事件の教育強化や南京事件否定意見を禁止するなど着々と布石を打っています。https://www.asahi.com/articles/ASLDD7S52LDDUHBI04R.html

南京事件の追悼式典、習氏ら参加せず 日本へ配慮にじむ
2018年12月13日18時23分
昨年は習近平(シーチンピン)国家主席が出席したが、今年は習氏をはじめ最高指導部の党政治局常務委員の7人は参加しなかった。日中関係が改善するなか、日本への配慮がにじむ式典となった。
南京市では式典に合わせ、市民に1分間の黙禱(もくとう)をこの日に義務づける条例を施行。条例では、南京事件を否定したり、記念館周辺で旧日本軍を連想させるような軍服を着て写真を撮ったりする行為の禁止も盛り込んだ。

習近平が今年だけ?「出席しない」というだけのことで、南京事件否定意見をいうことすら禁止→違反すれば刑務所行き?条例を制定するなど逆に着々と制度強化しているのが実態です。
天安門事件の時に日本にすがりついてきたのと同様で「今困っているから応援をしてほしいだけで、アメリカの攻勢が終われば嫌がらせ復活します」という意思表示ではないでしょうか?
こんな国に誠意があるでしょうか?
朝日新聞は何でも中国をよりよく見せたがるようですが、「配慮がにじむ」どころか「面従腹背」という中国古来の相手を欺く常套手段の一種(現在では養光韜晦)ではないでしょうか?
この後で中国の伝統的味方である独仏を中心としたEUの動きを紹介しますが、少しの間、国威発揚の1形態である制裁合戦の帰趨・・ロシアによる対トルコ野菜輸入禁止に戻ります。
Sep 19, 2016「フラストレーション度2と中華の栄光復活」の続きです。
トルコも野菜輸出出来なくて困りますが、本来我慢競べでは世界から制裁を受けているロシアの方が困る筈ですが、比喩的に10対8の差があっても国民の不満度では、トルコの方が民主化が進んでいる関係・あるいはフラストレーション度がロシア国民より低い関係で対外強行策による支持率アップ効果が低い弱みがあって、エルドアンが遂に謝って関係修復しました。
野菜等を買う方は個々人であって、エンドユーザーは企業人ではありません。
個々人の方は、経済学者が前提にするような合理的行動する人ばかりではありません。フラストレーション度が上がると民族意識鼓舞によって、窮乏我慢力が高くなっているのが普通です。
他方海外輸出する方は,作物を庭先で近所の人に売るような仕組みではなく、企業化されているので、輸出関連業界が成立している外に、半年前に作付けした野菜の処分に困る・・資金繰りが最優先課題で動く面が大きい・・良く言えば合理性が高いのです。
民族意識の鼓舞だけではどうにもなりませんので、その突き上げの方が大きい面があります・持久戦では、輸出禁輸する方が負けるのが普通です。
買う方は制裁に関与していない国から割高でも輸入その他いろんな買い方があるのですが、輸出禁止している国・・輸出国・商売人の方がよその国に商圏を奪われるのと従業員を養い切れない資金繰りがつかなくなるので焦ります。
エルドアンは以下紹介するように6月下旬頃から謝罪の書簡を送っていましたが、謝るだけでは格好つかない状態に陥っていました。
そこで16年7月15日〜16日に起きたクーデター未遂事件に対する徹底弾圧をする一方で欧米価値観に対する挑戦的態度を表明し同時にクルド族との和解を破棄して積極攻勢に転じて国民支持を上げています。
ちなみにこのクーデター未遂事件自体、普通のクーデターでは、最優先対象である筈のエルドアン大統領に対する攻撃ないし捕捉を意図的に避けている印象・・彼がホテルを出て行った後を空爆するなど不自然・・おかしな流れでしたから、もしかしたら手の込んだヤラセっぽい演出を疑う人が多いでしょう。
クーデター直後に1万5000人近前後の裁判官や軍〜政府機関の人物をクーデター関与を理由に解任や拘束していること・・あまりにも早過ぎる点も不自然な印象です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2016によると以下のとおりです。

「関与したとされる軍関係者が次々に身柄を拘束され、7月18日までに軍関係者、検察当局や判事など司法関係者の約7,500人以上を拘束したほか、警察官約7900人、地方の知事や首長30人を含む公務員8700人を解任した[24]。」

(普通は幹部の検挙から順に芋づる式に割れて行くものですが・・クーデター鎮圧とほぼ同時ですから驚きです。)
この疑問・・人権侵害・・政敵弾圧政策ではないかの疑問を言う欧米に対する「シャラップ」が、ロシアに対する急接近とシリア反政府連合の一員であってアメリカが支援するシリア国内のクルド族攻撃強化です。
http://mainichi.jp/articles/20160810/k00/00m/030/146000c毎日新聞2016年8月9日 23時46分

「ロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領は9日、露北西部サンクトペテルブルクで会談した。昨年11月にトルコ空軍機が露空軍機を撃墜して以降 では初めてとなる会談で、両首脳は関係を正常化させていくことで一致した。先月のクーデター失敗後、欧米との関係がぎくしゃくするトルコとロシアの「再接近」にはイランも関心を示す。この3カ国が欧米やアラブ諸国との対抗軸を形成すれば、シリア内戦など中東情勢にも影響を与えそうだ。 」
「エルドアン氏が6月下旬、撃墜事件についてロシア側に謝罪の書簡を送り、半年ぶりに関係改善の糸口が開かれた。 」
「北大西洋条約機構(NATO)と軍事的対立を強めるロシアにとって、その加盟国であるトルコを引きつけることは安全保障戦略上の意義が大きい。
一方でトルコにとっては、クーデター失敗後に強権支配を進めるエルドアン政権と米欧との関係にあつれきが生じる中、ロシアとの良好な関係は有効な外交カードとして使える。エルドアン氏がクーデター失敗後の初の外遊先としてロシアを選んだのは象徴的だ。」

世界の警察官不在と世界秩序維持2(ロシアとトルコ1)

トルコ政府の隣国シリアの混迷に対するスタンスは反政府軍支持・現政権打倒が基本ですし、ロシアはソ連時代からの遺産・・シリアに食い込んだ既得権維持方針ですから、基本構造として相容れません。
トルコ政府のシリア現政権否定路線が転換されるまで、ロシアの対トルコ嫌がらせが続くと見るしかないでしょう。
歴史的に16世紀以降ロシアの南下政策の正面に位置するオスマントルコとは戦い抜いてきた仇敵同士であり(トルコはクリミヤ戦争以来英仏等西欧列強の支援でロシア南下を食い止めてきた歴史です。
ちょっと世界史のおさらいをしておきましょう。
http://www.y-history.net/appendix/wh1001-153.html
世界史の窓からの引用です。

ロシア=トルコ戦争(17~18世紀)
露土戦争とも表記。高校教科書では1877~78年の戦争に限定してロシアトルコ戦争と言っているが、ロシアとトルコ(オスマン帝国)間の戦争は17世紀末から20世紀まで、数度にわたって行われており、それらを総称してロシア=トルコ戦争と言う場合もある。また、ロシアのエカチェリーナ2世の時にも2次にわたってロシア=トルコ戦争が行われている。
ピョートル1世は、1696年、黒海につながるアゾフを占領した。
・・エカチェリーナ2世のときに再び南下政策が活発化し、オスマン帝国への侵攻が再開された。
第1次ロシア=トルコ戦争 1768~1774年 ロシア軍、クリミア半島、バルカンに陸軍を進め、黒海では海軍がオスマン海軍を破る。キュチュク=カイナルジャ条約でダーダネルス=ボスフォラス海峡(両海峡)の商船の航行権などを獲得・・・
第2次ロシア=トルコ戦争 1787~1792年 ・・・オスマン帝国がロシアのクリミア半島領有を認めた。このクリミア半島併合は、ポーランド分割とともにエカチェリーナ2世の領土拡張の成功となった。
19世紀前半のロシアとオスマン帝国
ナポレオンのエジプト遠征をきっかけにオスマン帝国領内のアラブ人が民族的自覚を高め、エジプトとアラビア半島で分離運動が表面化した。また民族主義の高揚はバルカン半島でもわき上がり、ギリシア人やセルビア人の自立を求める運動が活発になり始めた。これらはオスマン帝国にとって新しい質の脅威となり始めた。
このウィーン体制期のオスマン帝国の衰退に乗じて、西欧諸国が争って進出するようになり、東方問題と言われる国際問題化していく。 → オスマン帝国領の縮小
1828~29年にはロシア単独でオスマン帝国と戦い(これも露土戦争という)、ロシア軍は南下を続け、オスマン帝国の第2の都アドリアノープル(エディルネ)を占領した。29年に両国で締結されたアドリアノープル条約ではロシアは占領地の大部分を返還したが、黒海岸のドナウ川河口三角州と両海峡の航行権を獲得した。
エジプト=トルコ戦争が起こった。エジプト軍はシリアを占領、イギリス・フランスがそれを容認するようオスマン帝国に迫ると、オスマン帝国のマフムト2世は一転してロシアと結び、1833年、ウンキャル=スケレッシ条約を締結し、ロシア軍艦の両海峡の航行を認めさせ、他国の軍艦の航行は禁止させた。
エジプトの強大化とそのロシアの提携を警戒したイギリスは、ロンドン会議を召集して巧みな外交を展開し、翌年のロンドン4ヵ国条約でムハンマド=アリーのシリア進出を断念させ、5国海峡協定でロシア・トルコ間のウンキャル=スケレッシ条約も破棄させて、海峡航行を全面禁止とした。
・1853~56年 クリミア戦争 ニコライ1世はイェルサレムの聖地管理権を主張してオスマン帝国と開戦し、まずルーマニアに侵攻した。フランス、イギリスなどがオスマン帝国を支援したため、ロシアは大敗を喫し、しばらく黒海方面での南下政策を棚上げした。
・1877~78年 狭い意味のロシア=トルコ戦争(露土戦争) 上からの改革を行って国力を回復したアレクサンドル2世のロシアが、オスマン帝国に対して圧倒的な勝利を占めた。しかし、ヨーロッパ各国の介入を招き、ベルリン会議で後退を余儀なくされた。一般にロシア=トルコ戦争(露土戦争)と言ったときにはこの狭義の場合が多い。

上記の通り、第一次世界大戦でドイツと組んだために大打撃を受けてオスマントルコが崩壊して、現在のトルコ共和国になりましたが、ロシアが数百年に亘る宿敵であることは変わらずこの国難に対応するには欧米に頼るしないのが19世紀以来の国是でした。
第二次世界大戦後欧米で対ソ防衛網として結成されたNATOに参加して国防の基礎にして来ました。
多くのトルコ人をドイツ等先進国へ就労→移民させている他、熱烈なEU加盟希望・このためにも政治と宗教の分離を進めてきたり民主化を進めてきたことでも知られています。
国際政治的には、欧米のシリア政府の人権侵害批判に呼応してロシアと親しいシリア政権(トルコにとってもロシアとシリアに挟撃されるのは地勢上不利で落ち着かない)打倒の反政府軍支持をして来た経緯があります。
ところが、エルドアン氏の独裁傾向強化(クーデター騒ぎに始まり憲法改正に至る一連の)動きが西欧から批判を浴びたことに対する反発から、西欧離れに舵を切ったことによりロシアに付け入る隙を与えたことになります。
上記の通り歴史を見ると、ここ数年のエルドアン氏の方向転換は、長期にわたって民族一丸として西欧の仲間となるために約100年近く続けて来た方向性とは大きくかけ離れていてエルドアン個人権力欲維持のために、長期的国益・ロシアによる威嚇〜圧迫を防ぐ手立てを放棄・売り渡してロシア詣でを繰り返しているように見えます。
日清戦争時に李氏朝鮮王朝が日本が進める開化・民主化を嫌い自己権力保持のために清朝の属国化を進んで強化しましたが、頼りの身長が日清戦争で敗退すると今度は、ロシアにすり寄ったことが、日露戦争の端緒となりました。
日露戦争時に開化派が支援を期待する日本が勝ってしまったので、民主化するよりはロシアの属國化の方が良いとしてロシア勝利を期待していたことがポーツマス講和条約のコラムで紹介した記事で以下のように出ています。
4月1のコラムでポーツマス条約に関するウイキペデイアの以下の記事を引用しましたがもう一度引用しておきます。

「1905年9月5日(露暦8月23日)、ポーツマス海軍工廠内で日露講和条約の調印がなされた。ロシア軍部には強い不満が残り、ロシアの勝利を期待していた大韓帝国の皇帝高宗は絶望した」

明治維新までの 朝鮮と清朝の関係は朝貢と王位継承の承認という形式関係に過ぎませんでしたが、日本の開化要求をはねつける名目として宗主国の同意が必要といって、何かと日本から共同歩調要請を拒否していましたし、これを利用した清朝が直接支配を強めて・・・進駐した袁世凱が高宗の父で実力者の大院君を中国連行する事件さえも起きました。
このように朝鮮政府は難局を打開するのに安易に外国勢力を引き込む傾向があることが、却って国の独立を失ってきたように見えます。
オスマントルコの末期を見るとスルタンが宿敵ロシアといきなり結託するなど仁義に反する「向背常なき」政治に堕したことが帝国崩壊を早めたこともわかります。
日本では似たような政治が横行したのが南北朝期の足利直義の行動でしたし、現在では自民党を割って以来の小沢一郎氏の行動でしょうか?

世界の警察官不在と世界秩序維持1(ロシア🆚トルコ)

ロシアは2018-4-19「資源下落とロシア経済1」で紹介した世界ネタ帳のデータにあるように、農産物・・野菜果物等は西欧やトルコ等からの輸入に頼るようになっています。
4月21日のグラフで見たように14年ごろから始まった原油相場下落・・輸出減で苦しいのに外貨準備が増えているのは収入が減った分貯金を取り崩さないで、食うものも食わずに以前よりも必死に貯蓄に励んでいるパターンです。
欧米の対ロ経済制裁に対してプーチンはすかさず西欧からの食品輸入制限を発表したりトルコによる空軍機撃墜事件でトルコに対する制裁として直ちに輸入制限しましたが、そもそも食料品等を買う資金がないのが本音でしょうが、国民には経済制裁のやり合いだから(うまい果物等を食えなくとも)協力してくれということでしょう。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM0602G_W4A800C1FF1000/

ロシア、農産物輸入を制限 制裁に対抗
2014/8/7付
【キエフ=小滝麻理子】ロシアのプーチン大統領は6日、ウクライナ問題を巡りロシアに対して制裁を科した国からの農産物などの輸入を禁止・制限する大統領令に署名した。欧米による本格的な対ロシア制裁が先週に実施されてから初めての対抗措置となる。ウクライナを巡る国際的な危機が一段と混迷を深め、ロシア経済にも打撃を与える可能性がある。
輸出禁止は輸入相手から言えば輸入禁止したのと同じですから、どちらが主導権を持ってやったかの違いでしかなく、内容が高度部品ではなく食料品の場合、我慢比べになれば(例えば果物野菜を買えなくとも買う方は困らないが売る方は売れなくなると困ります)買う方が耐久力があるのが原則です。
22〜23日から書いているように部品が買えないで性能の劣る国産に切り替えると輸出製品の性能が下がるので困りますが、野菜果物等は国民が我慢すれば済むことです。
この辺の意見はトルコがロシア空軍機を間違って?撃墜した事件での経済制裁合戦になれば食料輸入側のロシアの方が強いと書いていたとおりで、私の予想通りにトルコはすぐに屈服しました。
しかし、度重なるエルドアン大統領の訪ロにかかわらず、ロシアは農産物輸入規制を一部緩和しただけでいまだに嫌がらせが・これが続く限りトルコは度重なる表敬訪問(よく来たと厚遇だけしてくれるものの)・・ロシアの言いなりになるしかない属国的状況?に陥っている様子です。

http://jisl.org/2017/03/post-2889.html

ロシアいまだにトルコ農産品輸入禁止』
2017年3月13日
ロシアとトルコとの外交関係は、現段階では全く問題がないようだ。近くトルコのエルドアン大統領がロシアを訪問するが、ヨーロッパ諸国とは異なり、何の問題も無いばかりか、ロシア側はエルドアン大統領訪問時には、ヨーロッパとは異なり、最高のもてなしをすると事前に発表している。
しかし、ロシアのトルコとの貿易には、いまだに制約があるようだ。2016年初以来続いている、ロシア側のトルコ農産品輸入に対する制裁がいまだに効力を発揮しているのだ。
その理由は、植物衛生上の問題という事のようだが、トルコ側からそれまで輸入が認められていた、多くの農産品がいまでは輸出出来なくなっているのだ。例えば、イエロー・オニオン、一部フルーツ、七面鳥、鶏、塩、ベル・ペッパー、ターキッシュ・ピンク、ザクロ、オバジンといったものが輸入禁止品目だ。
ブロッコリーやカリフラワー、カーネーションもそうであったが、これらの品物は輸入が解禁になったようだ。
トルコにとっては、農産品は主要輸出品目であり、それが輸出不可能となることは、関係業者にとっては死活問題であり、政府にとっては外貨獲得が出来なくなる、という大問題なのだ。
ロシアのトルコ農産物に対する輸入規制は、単純に農産品の衛生上の、問題なのであろうか。そこにはいまだに、ロシアがトルコを恨んでいることによる、政治的な意味合いがあると思えてならない。(ロシアの戦闘機がトルコの戦闘機に、撃墜されるという事が起こっている)
トルコはいま、外貨の獲得が大問題になっており、エルドアン大統領は国民に対して、手持ちの外貨をトルコ・リラに交換するよう、呼びかけもした。しかし、そのことは、トルコ・リラの暴落を生んでいる。一時期は戻りかけたと思われたトルコ・リラは、最近では3・75レベルにまで、再度交換レートを下げているのだ。
もとは1ドルに対して3リラ程度だったものが、いまでは3・7リラ程度だという事は、大幅な落ち込みと言わざるを得まい。一時期戻ったのは、あくまでも投機家による、トルコ・リラ安買い狙いであったものと思われる。
ロシアが今後も、トルコからの農産品の輸入に、規制をかければ、ますますトルコ経済は悪化する、という事であろう。加えて、ロシアからの観光客が減ることも、相当厳しい状況を、トルコ経済に生み出そう。

http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/341341/
http://www.murc.jp/thinktank/economy/analysis/research/report_180423.pdf

トルコ大統領選前倒しの背景にある経済の悪化~意識される通貨危機のリスク
(2)マクロ経済に目立つ軋み
エルドアン大統領が想定以上に大統領選挙と議会選挙の実施を早めた背景には、
景気が鈍化する前に選挙を行いたいとする意向があったものと推察される。
図表1にあるように、トルコの17年の実質GDP成長率は+7.4%と前年(+3.2%)から急伸した。
個人消費と総固定資本形成の好調が景気を押し上げたが、これは政府による経済対策によって実現したものである。
具体的には、白物家電や家具販売への減税措置が消費を刺激し、また政府保証の拡大を受けた銀行融資の増加が投資を拡大させた。
こうした財政頼みの景気加速を受けて、経済には様々な軋みも生じている。例えば17年の消費物価上昇率は11.9%と、中銀の掲げる物価目標(5%)を大幅に超えている。
エルドアン大統領が景気重視の姿勢をとる中で、中銀は物価が目標水準を超えても金融引き締めを行えない状況となっている。
また財政頼みの景気加速に伴い、足元にかけて財政収支と経常収支が悪化している。図表2で示したように、トルコの17年の財政収支の赤字幅はGDPの1.6%に、また経常収支の赤字幅は5.6 %にそれぞれ膨らんだ。こうした「双子の赤字」は2年連続で拡大しており、トルコ経済の不安定要因になっている。

こうした中で意識されるのが通貨危機のリスクである。
既に下落が続くリラであるが、再選後に政治経済運営の不透明感が増すことを嫌気した投資家がリラに売りを浴びせる可能性には注意を要する。

日経新聞でもトルコ選挙前倒しに絡んで同旨(経済が行き詰まっている)記事が出ていたので、日本での基本的理解になっているようです。

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