中国の国際ルール破り1(プラスチック米の衝撃)

 中国の世界市場参入方法は、テロのような参入法です。
テロリストはテロを敢行するために、その国の交通機関・通信網等全てのシステムが正常に動いていることを前提に(目的地への移動や逃走その他)利用しながら、自分だけそのルールを破る・・経済分野で言えば、正常な紙幣を使える前提で自分の出す方は偽造紙幣で儲けるようなやり方です。
日本マスコミ等中国贔屓スジによれば、昔から、中国のやっていることは全て良し・毛沢東の大躍進政策も文化大革命も全て熱狂的賞讃報道でした。
今は、AIIB設立その他全て中国のやることは、欧米型秩序への挑戦・マスコミが曾て賞讃していた紅衛兵のスローガンによれば「造反有理」となるので喝采、応援すべきとなるのでしょう。
ルール・オブ・ロ−を標榜するアメリカの御都合主義に付いては、このコラムで何回も批判してきましたが、だからと言って日本がルール違反すれば良いと言う意見を私は書いたことはありません。
イスラム国も西洋が勝手に引いた国境線を認めないと言う点では一理あると言えばあるし、「盗人にも五分の理」と言いますが、それは飽くまで「五分の理」でしかありません。
全てのルールは万全ではなく、何%か不都合があっても大方の正義のために(多様な利害調整を経て)「とりあえず」環境基準・輸入自由化その他決めて行くものですから、「法」が出来たそのトキから、当然一定程度の不都合が内包されています。
マスコミは国内的には、これを当然のこととしていながら、何故か中国のルール破りに関してだけ「五分の理」を全て・100%の理であるかのように強調し過ぎていませんか?
中国が根底から覆そうとする秩序とは、人のものを盗んでは行けない・強奪しては行けない・・・勝負に勝ったからと言って残虐過ぎては行けないとする人類元始からの人間として守るべき根源的なルールを無視するものが殆どです。
以下は「勝又壽良の経済時評」からの引用です。

2015-06-12 04:57:21
中国、「パクリ・ニセ物大国」復旦大学広報DVDから偽装米まで
プラスチック米が出回る
『大紀元』(5月26日付け)は、次のように伝えた。

③ 「インドネシア警察当局は5月20日、首都ジャカルタの東部郊外にある店を捜索し、中国から密輸された偽装米を見つけた。それは、ジャガイモやサツマイモに有毒なプラスチックを混ぜて作られた偽のお米だった。米海外向け放送『ボイス・オブ・アメリカ(VOA)』が25日報じた。偽装米の実態調査の結果、ポリ塩化ビニル(PVC)などの有害化学物質の含有を確認した。一般的にPVCはパイプやケーブル、床のタイルを作るために使用されている」。
人間の心があるならば、このような「反人道的」なニセ物づくりはできないはずである。中国社会は、利益のためなら何でもする。ここまで病んでいるのだ。
このニセ物づくりは、中国社会も混乱させている。訪日中国人旅行者が、日本で「爆買い」して話題になっている。中国で蔓延する「ニセ物」から逃れる「自衛策」でもあるのだ。彼らは、日本語で書かれたパッケージに絶対的な信頼を寄せている。日本製品は、消費者に「安心・安全」を保証している。同じ日本製品でも、中国語の印刷されたパッケージでは、「安心・安全」の証明にならない。中身もパッケージもすべて、日本人が買うものと同じ物でなければ買わない。ここまで、中国製品は忌避されているのだ。中国政府は、この事実を謙虚に受け止めるべきである。

例えば、日本の「カルビー」製品が、日本国内では270円見当で買える。それが中国では、なんと10倍の価格に跳ね上がっているという。日中ビジネスに45年間も携わってきた方の貴重な証言だ。これほど、中国国内の「ニセ物」は生活自体を混乱させている。中国の東北三省(遼寧・吉林・黒竜江)では、戦前の旧満州のつながりから「親日」的である。日本企業への誘致には積極的である。「反日色」の強い中国でも、東北三省は別格とされる。日本製品への憧れは、旧満州時代からの思いとも重なって、「絶対的」という話しまで聞こえるのだ。

④ 「中国国内のある飲食業者によると、このような『プラスチック米』を食べるのはビニール袋を飲み込むに等しい。一部の報道では『プラスチック米』を長く食べ続けると腹痛や胃がんにつながる可能性があると指摘されている。偽装米が市場に出回り、東南アジア地域の住民らの間ではパニックが広まっている。」

資金枯渇8(出血輸出とその原資2)

出血輸出・原価割れ販売は、倒産・廃業直前に「店じまいセール」として手元資金獲得に利用するのが原則であって、これを国家が利用する場合は、短期間の過剰産業の整理集約するまで臨時対策に過ぎず、その産業をその間に適正規模に縮小しない限り終わりがありません。
中国の場合、国威発揚企業の過剰生産ですから、生産規模の縮小が容易ではない・・期間限定ではなく無限に輸血を続けるしかない貧困の輸出で、ボートピープルが押し寄せて周辺国が迷惑を受けているような状況になっています。
中国は、出血輸出の資金として国内的にはリスクを対外借入増と国民負担に分散した分、国民不満と借入金の蓄積・・限界期間到来が2倍に延び(先送りでき)ましたが、その代わり不満等の限界が来たときには、苦しみがダブルで襲いかかってきます。
このリスクの内、国民負担を財政支出から庶民に対する株式投機参加推奨策など3〜4分散すればさらに先送り出来ますが、その代わり直接国民の懐を直撃するので、限界が来ると3〜4倍の不満暴発となります。
現在では借入金の重圧と経済不振による国民不満双方で限界近くなっているのではないでしょうか?
上記のとおり基本的解決には、過大な製鉄業(あるいは各種産業構造)を適正規模に縮小するしかないのですが、軍事費同様に国家のメンツでやっているので、思うように縮小も出来ずにあり地獄にはまったような状況です。
中国の軍事費の増額ばかり注意が払われていますが、実は軍事費とほぼ同額以上の公安予算が組まれていることも大分前から指摘されています。
不満抑圧のために公安予算を更に増やす・・言わば権力に対峙する国民敵視政策ですから、不満が飽和点に達したときには、国民が一丸となって国難に対処しようとする意欲もわかず、納得出来ないでしょう。
借入金の重圧に付いては、5月31日からドイツ財務相の発言を書いてきましたが、勝又氏による引用数字(単位の取り方)が仮に誤りであるとしても、財務相が公式の場でよその国のことをこのように発言する以上は、中国の債務返済リスクは国際的関心の的になっていることは間違いないでしょう。
他方国民不満の充満については、この後で韓国や中国の労働分配率の低下・・国民の両極化の進展・庶民へのしわ寄せの弊害を紹介して行きますが、両国民(の負け組?)は悲惨な状況に追いやられています。
無理な黒字稼ぎのために共産圏で行なわれて来た出血輸出とは、形を変えた政府援助によるダンピング・・国際ルール破りであると2015-5-28「中国のバブル処理5(過大投資の調整4)」で書いて来ましたが、タマタマ日経新聞5月31日朝刊には、「社説」(公式意見)として中国の(政府補助による)鉄鋼製品ダンピング輸出の弊害について大きく出ました。(この原稿はこの頃に書いてあったものです)
中国の国際ルール破りは、サイバーテロ・知財剽窃、統計の改ざん、環境・領土問題・・金利規制・・レアアースの禁輸措置もその一種です・・その他多方面で噴出中です。
民主国家か否かとは関係なく、国家に限らず(ヤクザでも)組織はルールがないと維持出来ません。(法家の思想として紹介してきました)
中国の国際ルール違反・・国内的にはルールより派閥・・コネ次第でいくらでも歪められる違反行為が政府自身によって日常的に率先しているのですから、国民の道徳意識は推して知るべきです。
政府がルール違反を推奨していて国民にルールを守れと言うのは背理ですから無理があり・・法理を抜きにして(コネによって?)上が決めたから四の五の言わずに結果を認めろと言う・・強権的支配しか出来ません。
法理よりは実力次第・・国内的には公安警察・武装警察が睨みを利かし、国際的にも武力・漁船などの実力行使を前面に押し出して来る基礎でしょう。
一言で言えば、自由主義経済に参入してその恩恵を受けながら、自分の義務に関しては弱い国には武力を正面に出して抑圧し、強い国にはサイバーテロや、漁船を装って領海侵犯を繰り返す・・国内的には国家が背後で組織して反日暴動を展開する・・すべて国家組織として行ない、最先端技術・データの不正取得をしたり、自国データ改ざんや世界標準に反した規制をしてあらゆる分野でルール破りをしている状態です。
スポーツで言えば自分だけルール違反していても審判にコネがあるので、退場を命じられない前提で違反ばかりしているようなものです。

事前規制と事後審査4(ルール整備と訴訟の減少2)

高度成長期以降に生じた公害等の発生・・あるいはいろんな分野で生活スタイルが急激に変化したので、旧来暗黙裡に成立していた社会合意形成によるのでは時間がかかり過ぎて間に合わなくなってきました。
新たな社会合意形成が自然に出来上がるの待っていると時間がかかりますので、この間に日進月歩の科学技術の革新・社会生活様式の絶えざる変化にいつも追いつかないどころか格差が広がるばかりで、・・被害拡大・・社会紛争が多発してしまいます。
自然発生的社会ルール合意の形成を待てないところから、一方で法制定に馴染まない(原子力発電所の細かい規制を考えても分るように技術基準を法で決めるのは無理があります・・化学プラント・建築基準その他全ての分野で)個別の運用基準(法以下の規則やガイドライン)等の整備をする一方で、既に発生してしまった被害発生の救済のために訴訟が必要になりました。
昭和40年代以降労災その他の被害回復訴訟(交通事故を含めて)が大量に発生したのは、規制の追いつかない場面で起きた現象と言えます。
公害や労災訴訟等と平行して,社会の自然発生的合意形成を待っていられない(いろんな分野で専門知識が必要になって来たので自然発生的合意形成に馴染まなくなったことも大きな違いです)ので、公害関連その他規則が充実した結果、世界一公害防止技術の発展した国になり、この種の紛争はなくなりました。
(クルマの普及比で中国その他後進国に比べて交通事故死も激減していることは周知のとおりです)
いつも例として書きますが、日照権紛争も、木造二階建てしかない住宅街にビルが建ち始めた当時はこれに関連した事前の社会合意があり得なかったので、一時続々と日照権紛争が起きましたが、この結果日照に関する条例(日影規制や近隣同意条項)が各自治体で制定されてからは、ほぼ皆無になりました。
ところでモクモクと煙が出るような被害は直ぐに問題点が分りますが、水俣病や石綿(アスベスト)や薬害訴訟等・・当時一般人には危険性さえ分らなかったことが後で分ることがあります。
規制当局や関連業界で早くから分っていたのにイキナリの規制では設備投資した業界が参ってしまうので、一般人に分らないことを良いことにして隠していたり規制を先送りしていた結果、被害拡大したのではないかと言う争いがこれら訴訟の核心です。
ここ数日の話題では福島原発の汚染水が海に流れ込んでいることの発表がありましたが、これが1〜2ヶ月前から井戸の水位計の関係で疑うべきだったのに軽視していた疑い・・社長が知ってから数日置いて公表したことに対する批判で、昔のように数十年単位で隠していたか否かどころか期間が大幅に短縮されて批判を浴びる時代になりました。
カネボウの美白化粧品の問題発表遅れや、三菱のリコール隠し問題も同じです。
高度成長期以降建築その他各種分野で専門技術化が進んでいるので、建築基準や交通ルールその他専門分野での暗黙の社会合意の成立は無理・・不可能になりっています。
(原子力に限らず普通の医療、介護、食品・最も原始的で従来暗黙の合意が可能と思われていた農業でさえ残留農薬基準・遺伝子組み換え等専門知識が必要です・・その他従来常識と思えていた日常的分野でも専門知識化が大幅に進んできました)
こうなると従来のように常識の生成発展に委ねていると(日照被害紛争の頻発で言えば、従来の一戸建て新築に際してご近所へのご挨拶程度・・精々騒音被害に対する意味くらいしかなかったでしょう)無理が出て来たのです。
社会の発展に連れていろんな分野で規制(細かなルールあるいはマニュアル化が)がドンドン必要になって行きこれが信用出来れば、多くの国民はこれに従って行動すれば足りるので便利ですし、事前規制が増えれば訴訟が減ることはあっても増えることはありません。
この結果何かする都度、規制をクリアーしているかの準備に多くのエネルギーがとられる・・迅速性が犠牲になりますが、準備しないで猪突猛進してから損害賠償訴訟に巻き込まれたり設備投資が無駄になるよりは、手堅くやる方がトータルとして経済性が高いと考えるのが先進諸国や簡単に倒産して夜逃げすることの出来ない大手企業の一致した思想です。
訴訟社会と言われるアメリカでも、金融その他先進分野では規制がもの凄く細かく複雑ですから、事前規制が多いのは日本特有のことではなく社会の進展度の差によることが明らかです。
この先端分野では、アメリカでも規制を守るか罰金等をとられるばかりで訴訟社会にはなっていないでしょう。
社会が高度化すれば約束事(上流社会ではTPOに応じて着るもの食事ルールその他礼儀作法がきめ細かくなるものです)が多くなるのはどこでも同じです。
今までアメリカは、遅れている粗野な分野が多過ぎて事前規制が少なかったので訴訟社会になっていたのです。
礼儀正しくしていれば滅多に喧嘩も起きません。

事前規制と事後審査3(ルール整備と訴訟の減少1)

現行法では、行政への国民の関与については以下条文を紹介しますが、いずれも既に行政が(不作為を含めて)決定した行為を後日争うものばかりです。
(裁判・訴訟制度はすべからくそう言うものです。)
前向き参画の制度がない・・法制度が遅れていることがこれでも分ります。
行政事件訴訟法(昭和三十七年五月十六日法律第百三十九号)
(抗告訴訟)
第三条  この法律において「抗告訴訟」とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。
(当事者訴訟)
第四条  この法律において「当事者訴訟」とは、当事者間の法律関係を確認し又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの及び公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟をいう。
(民衆訴訟)
第五条  この法律において「民衆訴訟」とは、国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するものをいう。
(機関訴訟)
第六条  この法律において「機関訴訟」とは、国又は公共団体の機関相互間における権限の存否又はその行使に関する紛争についての訴訟をいう。

近年の規制緩和政策に関連して、今後は事前規制ではなく事後に不都合があれば裁判で争う方式にするというのが、新しい思潮であるかの如く宣伝されています。
しかし、何もかも規制をなくして事件が起きてから損害賠償を請求すれば良いというのでは、あまりにも粗雑な社会になって、現実的ではありません。
全て規制をなくすという主張ではないのは当然ですが、規制・・予めのルールが少なければ少ないほど良いという主張を煎じ詰めればの話です。
一定の合理的な細かな規制が前もって存在すればそれを基準にみんな行動すれば済むし、(建築基準や保健衛生基準等々)それに反しているかどうか・・あるいは規制自体の有効性等を争う方が裁判も省エネです。
逆に規制出来るものは出来るだけ微に入り細にわたって出来ている方が合理的です。
交通事故で言えば予めスピードや信号機、一時停止義務,追い越し禁止区間などを細かく規制していれば、どちらが規制に反していた否かの事実の当てはめで過失割合が簡単に決まってきますが、速度規制や一時停止等の規制が決まっていない状態で事故が起きたときに、どちらの過失が大きいか、一々手探りで審査して行く必要が起きて効率が悪くなります。
(信号機がなくて一時停止の標識がない交差点の事故の場合、どちらが優先道路かを決めるために双方の道路幅を測るなどその都度無駄な作業が必要ですが、信号機や一時停止標識があれば簡単に決着がつきます。)
建築紛争でも、素人が鉄筋の量や柱が少なくて危険だと争うには(どの程度なら危険なのかの基準が不明瞭で、その都度いろんな学者の意見・・鑑定等が必要になりますが、鉄骨の使用基準が基準法で決まっていれば、基準法に違反しているか否かだけで簡単に勝負がつきます
その他全ての紛争は予め細かく基準が決まっている方が訴訟社会になっても争点が簡単になります。
事前規制を出来るだけやめて事後規制社会にして行くというスローガンで始まった小泉改革は、本来は時代の進運に反した思想です。
粗雑なアメリカ由来の訴訟社会にするのが正しいというだけで、恰も進んだ考えであるかのように誤ってマスコミが宣伝して来たことになります。
訴訟社会とは、ルールがはっきりない・・作れない低レベル社会に必要になる社会システムであって、進んだ社会ではむしろ例外減少と言うべきです。
高レベル・・日本のように高度な合意のある社会では、基準がきめ細かく分っていればどちらがその基準どおりにやったか否かだけが争点になって専門家がそれほど多く要りません。
事前に細かく基準が決まっていれば、訴訟が少ない社会となります。
基準自体が大雑把でアヤフヤですとリーガルセンスに長けた達人が必要になって、事前の法律相談が必要ですし、裁判をやってみないと分らないので紛争が多くなります。
基準が整備されていても社会の変化によって規則や制度自体の合理性が失われているのに、基準の改定が遅れているときにその狭間で起きた事件だけが、基準の合理性を争って是正を求める裁判になります。
もしも、その訴訟の結果既存のルールが違法と決まれば、直ぐにルールを改めて行くので、それが一種の代表訴訟となって新たなルールになって行く社会になります。
一人一人がバラバラと裁判しなくとも基準自体を誰かが代表して争えば良いので、訴訟がホンの少しで済みます。
我が国では訴訟が少ないのは権利意識が遅れているからだと文化人が言いますが、実際には、むしろ微に要り細にわたって社会的に細かくルールが(明文がないとしても価値観が安定しているので暗黙の合意が成立する社会でした)決まっている社会だったから、これ(常識)に従っていれば良いし、これに反すればムラ社会から相手にされない社会だったからです。
企業内の人間関係あるいは企業間でも暗黙のルールがあって、それに従って交渉等をしているのが普通です。

アングロ・アメリカンルール2(和魂洋才)

アメリカや中国・韓国その他世界中が、大きな声で叫び続ければ勝ちみたいな価値観で生きているので、我が国だけが黙って我慢して「諸外国の公正と信義」を信じて生きて行くのは大変辛いものですが、日本人は普遍の正義(神のさばき)を信じて生きて行くしかありません。
レベルの低い人と一緒になって言い合いするのって日本の価値観から言えば自分のレベルを下げるだけです。
とは言え罵りあい程度なら黙って耐えていれば良いのですが、侵略されるとなれば別ですから、明治以降必死に軍備増強に努めていたのですが、敗戦を機会に本来の日本の価値観に戻るから(侵略戦争であったと非難するならば・・)諸国民も道義に基づいた行動をして欲しいという(皮肉)です。
憲法に「公正と信義」を書いたのは、敗戦時の特異な精神状況化で一時の興奮で書いたものではなく、明治まで持っていた我が国固有の価値観をこのときこそ闡明した(獰猛な欧米諸国も道議に従って欲しいと皮肉った)ものと言うべきでしょう。
幸い戦後現在までアメリカの庇護下にあったので日本は欧米の獰猛な侵略から逃れるための軍備が不要になりました。
「窮鳥懐に入らば猟師もこれを射たず」の実践でアメリカの懐に入ってしまったのです。
その代わりアメリカの許容する範囲であれば韓国も中国もやりたい放題やれますから、李承晩ラインを勝手に引いて竹島を占領したり、近年始まった尖閣諸島問題は中国の発展に応じてアメリカ離れを始めた日本に対する威嚇として裏でアメリカが糸を引いて日中韓の離間策を講じていると見るべきでしょう。
湾岸戦争もフセイン大統領がクエート進行をアメリカに内々打診したらアメリカは問題にしないような信号を出したのでフセインが侵攻を始めたものでしたが、やってみるとイキナリこれを口実にアメリカの攻撃を受けてしまったものでした。
今の世界ではどこの国でも何かするときにはアメリカ政界に根回ししてどの程度まで許容されるか打診してから始めるのが普通です。
例えば我が国のドル売り介入程度の行為でさえ秘密・その国の専権とは言え、アメリカから積極的な協力・賛意は得られないまでもどの程度まで許容されるかなど何の打診もなしでやれるものではありません。
いろんな国際行為にはいわゆる根回しが必要ですが、軍事行動となればアメリカを中心とする世界主要国の対応を内々打診してから行動するのが必須です。
まして、アメリカの事実上の統治下にあった朝鮮戦争中・直後の韓国が李承晩ラインを設定し竹島占領の実力行使をするのに、アメリカの意向を無視してやれる訳がありません。
日韓間の恒久的反感醸成に効力があると見たアメリカが内々ゴーサイン(どころか教唆)を出していたのは間違いがないでしょう。
尖閣諸島問題、南沙諸島問題もアメリカの反応に対する打診抜きで中国が実力行使に踏み切っているとは到底思えません。
この種の世界政治でははっきり意見を言わないのが普通ですが、「それは中国の問題で我が国は関係ありません・・」程度の「お勧めメニュー」を提示していたので中国は強気に出たら、国際的な総スカンを食って困っているところでしょう。
湾岸戦争のフセイン大統領同様に中国を陥れるアメリカの策略に中国が簡単にのってしまったのです。
明治維新以降、植民地にされないように、英米・〜米英の獰猛な価値観に仕方なしに参加して来たが、憲法前文は「諸国民の公正と信義」を信頼して本来の日本固有の価値観に戻ると宣言したものです。
以下、憲法前文からの引用です。

憲法前文(昭和21・11・3・公布 昭和22・5・3・施行)

「・・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

・・・われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

上記のように「誓」ったものの、国際政治は黙って耐えていればとおるような甘いものではありません。
韓国や中国に言いたい放題言われて辛いことは辛い(李承晩ラインや竹島占領なども黙ってきました)ですが、日本が何も主張せずに黙々と国際貢献して来た戦後60年以上の実績、個々の国民の誠実な人柄が、今や世界中でじわじわと信用されるようになっているのも事実です。
(アフガンでもイラクでもイランでも日本の信用は絶大ですよ・・)アフガンゲリラ事件が起きて日本人が被害にあったときにわざわざゲリラ側が日本人を巻き込んだことを詫びる声明を出していましたがそうした信用があります。
まさに憲法の理念が現実化・・大きな声で主張したり暴力に訴える方が恥ずかしいという我が国の作法が世界の紳士淑女の間では浸透しつつあるように見えます。
話がそれましたが、世界制覇している米英流経済活動に参加するしかないとしても、ひどことはひどいことですから、韓国のように、骨の髄までその気になる必要はありません。
我が国は付き合いで参加するとしてもそれは飽くまで方便であるべきで、和魂精神・同胞意識に裏打ちされた緩和策が必要です。
中途半端な市場経済化であっても妥協策である以上、国民にとっては当然不満でしょうし、企業から見ても国際水準にズバリ合わせれない点が不満でしょうが、妥協策とはそう言うものです。
妥協がイヤだとして労働側の主張が強まり生産性以上の高賃金で高止まりしていると、3月3日「デフレと不人気政治」に書いたように、企業には海外移転の逃げ道があるので産業空洞化=大量失業で日本経済は大変なことになります。
3月3日の日経新聞朝刊では、(この辺りの基本文章はこの頃に書いてあったことになります)パナソニックが太陽光発電の変換率を世界最高の24%にするメドを付けたと大きく報じられていましたが、その生産工場はマレーシアに設置するとのさりげない記事になっていました。
パナソニックの巨額赤字転落には日本中でショックを受けたばかりですが、仮に新製品で巻き返して利益面で復活しても国内工場が縮小・廃止して海外生産中心・・逆輸入になれば、国内空洞化・・労働需要の減少は止まりません。
1ヶ月ほど前の記事では本田も九州工場で作っている2輪車を全量海外に移管し国内に逆輸入する計画が発表されていました。

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