社会変化=価値観・ルール変化1

社会の仕組みが変われば文化も変わります。
旧文化=価値観に染まったあるいは旧支配層から籠絡された清盛の息子重盛が清盛の新機軸に反発したものの夭逝した結果、旧支配層は内部浸透を諦めてカウンター勢力の源氏を盛り立てて再興させ平家打倒に成功しました。
源氏が勝って見ると旧勢力の期待した旧体制への復帰にならず却って武士の時代への流れが強まり、鎌倉幕府というはっきりした別組織まで出来上がってしまいました。
当時朝廷直属国軍皆無の時代でしたから、平家打倒には武士や僧兵の力が必須であったのですから、武士団や僧兵を朝廷の味方につける必要がありました。
後からかんがえると各地武士団の平家に対する不満は、武士代表であるべき平家一族が、貴族化・公達化してしまった・地下人の期待にそう行動をしなくなったことが反平家勢力盛り返しの基本であったと言われ、旧支配層から見れば平家一族の振る舞いが旧支配層のしきたり・文化を破り新秩序への移行をはらんでいることに対する危機感を基礎にして反平家機運を盛りたてていたのですから反平家の理由が相反していたことになります。
実力組織の一翼を担う僧兵は寺社権益代表ですから旧体制・公卿権益もさらに古層に位置する・・叡山の僧兵撃退に清盛の父忠盛が活躍して後白河院の覚えめでたくなっていく経緯があるように・・ものです。
宗教組織は、世俗の争いから一歩引いている・・直接当事者にならない関係で・・南都焼討や信長の叡山焼き討ちなどもあり、戦国末期には実力組織は完全消滅しましたが・・源平の争乱〜明治維新〜対米敗戦を経た今でも一定の教団を維持しています。
旧政治打倒に成功した場合の政権運営の特徴ですが、一般的には急進的改革を進めるの無理があるので一般的に新旧妥協政策が政権樹立後の運営方法になりますがせっかく革命的動乱に参加したものにとっては、これでは裏切り行為と思い不満です。
平家も「薩摩守忠度都落ち」で知られるように、旧支配層の文化秩序にも参加して和歌を詠み、旧文化に迎合しながらも、一歩一歩武士の地位向上に努力していたと見るべきでしょう。
政治というものは「言い分が100%通るものでないのが原則です」から、武士と貴族層は荘園支配の実利でずっと対立していたのですが、(この対立は実力でとったもの勝ち・中央の裁定ができなくなった戦国時代に入るまで続きます)対貴族の紛争裁定に不満な人はいつもいます。
不満な方・負けた方は貴族寄りだと不満を持つし、貴族の方も負けた時には武士に有利な裁定が多くなったという不満を持ちます。
これが武士層から見れば貴族におもねて貴族化した生活態度は鼻持ちならないとなるし、貴族からすれば「地下人の分際でけしからん」となるのでしょう。
特に八条院領が急速に広がった平安末期では、清盛でさえも後白河法皇の権勢には正面から歯向いにくかったので八条院関連では、武士層の主張が通り難くなっていた不満が蓄積していた可能性があります。
八条院に関するウイキペデイアの本日現在の記述です。

暲子内親王(しょうし/あきこないしんのう、保延3年4月8日(1137年4月29日) – 建暦元年6月26日(1211年8月6日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族。初めて后位を経ずに女院となり、八条院(はちじょういん)と号した[1]
・・・彼女自身には特別な政治力は無かったとする説もある[4]。その後も異母兄である後白河法皇の院政を影から支えており、平清盛でさえも彼女の動向を無視することは出来なかった。
八条院の政治閨閥?関係は以下の通りです。

後白河院の異腹の妹・八条院翮子(あきこ)内親王は、美福門院を母として鳥羽天皇の第五皇女として生まれた。彼女は夭折した近衛天皇の後継女帝にとも考えられたほど鳥羽法皇から寵愛され、両親亡き後は二人が残した広大な荘園と近臣の大半を相続し、時の政権から一定の距離を置きながらも、摂関家・源氏・平氏の何れもが無視できない独自の存在感を発揮した。

八条院の経済力は「八条院」に関するウイキペデイアによると以下の通りで、平安時代どころか、後醍醐天皇〜南北朝時代までの政治活動の屋台骨となっていたことがわかります。
政治といっても経済基盤がないと何も出来ません。
上記引用の続きです

・・所領は八条院→春華門院昇子内親王→順徳天皇→後高倉院→安嘉門院→亀山院→後宇多院→昭慶門院憙子内親王→後醍醐天皇に伝わり大覚寺統の主要な経済基盤となった。

源平合戦は革命直後で言えば、革命精神そのままの実現を求めて不満を持つ勢力と反革命・王党派の合体した革命政権打倒運動であり、今で言えば、左右両極支持による現政権打倒運動であったことになります。
新政権打倒に成功して具体的政治に踏み出すと元々の方向性が違うので、文字通り血を血で洗う抗争となる(クロムウエル独裁やジャコバン恐怖政治〜ロシア革命後の抗争など)のが普通です。
日本では新政権発足後の血なまぐさい抗争は起きませんが、それでも民主党政権は方向性の違う集団であったことが(野合と言われ)政権の寿命を縮めました。
朝廷は平家打倒を画策したものの鎌倉府成立により、朝廷権威は逆に低下しましたが、文化による影響力行使・・内部籠絡・・貴族社会価値観浸透を試みたのが、(平家を公達化して骨抜きにしたように)三代実朝の文化的籠絡・取り込みであり、これを拒絶したのが尼将軍政子の(我が子を殺してでもせっかく獲得した武家政権を守ろうとした)英断でしょう。
実朝暗殺は1219年ですから、鎌倉幕府成立後わずか20年あまりのことです。
内部浸透戦略に失敗した朝廷側は、そのわずか2年後の1221年外部から反鎌倉不平武士団を組織して「承久の変」を起こしますが、これは清盛政権を内部から切り崩す重盛籠絡作戦失敗後のカウンター勢力を煽る焼き直しだったことになります。
承久の変(1221年)では、カウンター勢力の棟梁(スター)がいないので二度目の反革命が失敗し、蒙古襲来後の三度目の正直では、(蒙古襲来で活躍した武士の広範な不満を背景にしていた結果騒乱が大きくなり)再び源氏の貴種足利氏担ぎ出しに成功したので、建武の新政となりましたが、政権が始まってみると不満武士に応えることができず、時代錯誤性・貴族有利裁定(広大な八条院領はなお存続していて後醍醐天皇の財政基盤になっていたなど)が命とりで、結局短期間で崩壊しました。
ちなみに「観応の擾乱」の主役・直義の政治も、どちらかというと武士に不利な裁定が多かった(教養が邪魔して?思想が古かったようです)ので短命に終わりました。
応仁の乱以降足利将軍家自体衰微すると、公卿経営荘園の管理料納付争いなど裁く機関すらなくなり、足腰になる公卿の収入源が途絶えると天皇家の収入もなくなります。

総辞職と政権交代・西園寺ルールと政治家の劣化

選挙で負けての内閣退陣ならば、勝った方に政権を交代するのは健全ですが、選挙(国民の意思)によらずに「メデイアの煽る群衆がうるさい」から・・という事なかれ式・・「宸襟をお騒がせするのは恐れ多い」・・騒いだ方が悪いのではなく、人民が「騒ぐような政治をした方が悪い」という「両成敗」ならぬ一方成敗の片手落ち裁定が政治を病理現象に追い込んだ原因です。
騒ぐだけ騒げば、政敵を辞職させられるものの騒いだ方も喧嘩両成敗ばならば(佐倉惣五郎伝のように願いは聞き届けれても処罰は免れない)話が別ですが、騒いだ方にお咎めなしの代わり騒動を起こした要求内容は何一つききとどけられない・例えば日露講和条約の効果は1ミリも変わらないが、騒動になった結果責任だけを政権にとらせる・・騒動が正しかったか否か(選挙審判)にかかわらず、騒ぎを大きくしただけの功で政権が自分に転がり込むのであれば、野党は理不尽な要求でもなんでも騒げる材料があれば騒いで審議妨害に持ち込めば損がない関係になります。
審議が止まれば、騒動の原因にどちらが責任があったかについて議会解散して信を国民に問うならば合理的ですが、これがなく騒ぎが大きいか否かを基準に一方的に現内閣が辞めさせれるのはおかしなルールでした。
騒ぎのテーマの是非ではなく「騒ぎが大きいか否か」が基準という刷り込みが簡単に消えないので、戦後も左右を問わずこの種の「騒ぎさえ起こせば勝ち」みたいな風潮が残って現在に至っています。
日露講和条約反対論の頃から、騒動を盛り上げるには、メデイアとの連携が必須でしたが、敗戦後占領政策の結果右翼系は弾かれたので、メデイアは左翼系しか利用できなくなり、右翼はいわゆる街宣活動に活路を求めていましたが、むしろ国民の迷惑・・町の害悪イメージが広がり、竹下内閣に対する「褒め殺し」を最後に表舞台から姿を消したように記憶しています。
左翼系はメデイア界独占の結果、今なお元気です。
騒ぎの原因の是非にかかわらず騒ぎが大きければ政権が倒れて政権が野党に転がり込むシステム場合、政党は政策を国民に訴えるよりは、メデイアが騒いでくれるテーマに絞って騒ぎまくれば良い・・・結果的にメデイアの誘導する方向のお先棒担ぎに堕して、国会で騒ぎまくれば・・・連携しているメデイアは大々的に報道してくれます・・逆にメデイアが支持してくれないテーマでは生中継をしてくれないしニュースでも取り上げられません。
ニュースにならなければ、世論の盛り上がりはありえないのですから、世論といってもメデイア次第です。
ニュースで煽っても世論がメデイア意見に同調しているかどうかは内容次第ですが、その判定は選挙してみない限り真相は誰にもわかりません。
メデイア側としては自分が煽っている以上は、このテーマで政府批判が強い・他の主要政策の国会審議を止めても真相解明すべきと言うイメージを強調したい立場・中立ではないので実は民意がこれを支持しているか否かが、政権批判側の報道では不明です。
だからこそ戦前は、騒動の是非を問わずにともかく政権交代方式を採用して騒ぎの沈静化優先してきたのでしょう。
国会審議を停滞させれば審議再開のために総辞職させられる→それまで審議妨害していた野党に政権が転がり込む仕組みでは、倒閣理由は・・政党政治を否定する主張(天皇機関説=政党政治の理論的基礎→これの否定=政党政治否定論)でも何でも良いから手段を選ばず倒閣を主目的に熱意を燃やすようになって行きます。
選挙で勝たない限り政権交代がない現在でもこの習慣が抜けず、政党間の政策論争を忘れて、法案審議を妨害していれば政府が困って戦前同様に総辞職するのを待つ戦術「とも角安倍政権を倒せ」ばかりです。
憲法改正の是非に対しても、「安倍政権による改正だけは反対」と言う意味不明の主張が出回っています。
メデイアもしきりに内閣支持率の報道をしたがります。
4月5日に紹介したように最大野党の立憲民主でさえ5%あまりの支持率に過ぎないので、・・・ただしNHKで見ると自民党30%台、立件が8%台で軒並み上がっている←支持政党なしが減っています・・いずれにせよ安部政権を倒しても野党に政権が来る訳がないので、彼らは何のために倒閣に血道をあげているのか不明です。
自分の政党支持率を上げる努力よりは、倒閣に熱をあげる不思議さは戦前の政権交代ルールを潜在意識に持っているからです。
揚げ足取りの国会戦術で政策遂行妨害すれば、事態収集のために総辞職するしかなくなるのを待つ戦術ですが、(戦後も安保国会ではこれが成功しました)戦後は、何回内閣総辞職しても選挙で負けない限り、政党間権力移動がなくなっている点・政権移動は選挙結果しかなくなっている点を理解できていないようです。
理解できないからか、数十年前頃には「政権のたらい回し」はおかしい・「憲政の常道」に反するという意味不明の宣伝がメデイアで取り上げられていました。
責任を取って総辞職した以上は、野党に政権を交代すべきというものですが、そのやり方は民意を軽視する矛盾に基礎がある点に気がついていないのです。
その頃、しきりに「憲政の常道論」が宣伝されて「憲政の神様」尾崎学堂の名が報道されていましたが、最近あまり聞かなくなりました。
戦前の事実上の西園寺ルール・・選挙制度は作ったが天皇親政と矛盾するので政権担当者は大御心によって決まるヌエ的民主主義制度であった以上は、政権交代の基準がないので、西園寺の形式的交代論になってしまったのは、当然の帰結でした。
憲政の常道でもなんでもありません。
今の左翼系野党は選挙で勝たなくとも政権交代できた戦前の記憶にしがみついている・・・民意によって政権交代するのではなく、大御心によって決まる・・戦前のヌエ的民主主義制度を理想としている「政権たらい回し批判」が野党の潜在意識とすれば、日頃から私が書いている革新系政党の本質が超保守体質であることの一つの現れです。
戦後は総理は国会の選出による→多数党の党首が総理になるのが民意・・戦前のように元老の推薦→天皇の大命降下で決まるものではなくなっている・本当の民主主義制度ですから、野党は目先の審議妨害で内閣を倒しても野党が少数党である限り自分たちに政権は回ってきません。
戦後の内閣総辞職は与党内のナンバー2にお鉢が回るだけでは、何のために頑張っているか不明・・そんなことよりは次の選挙または次の次の選挙・・将来に備えて政策を磨くのが、戦後政党の本来の姿です。
それをやる能力がないので戦後も戦前同様の際限ない揚げ足取りや失言追及などで国会審議を停滞させるのが目的の国会戦術が続いています。
「なんでも反対の社会党」と揶揄されているうちに長期低落で4月5日に紹介したところでは0、5%前後の支持率ですが、あまり政策妨害に徹しているので、もしかして中ソ、中韓の手先か?と疑う人が増えてきました。
外国の手先というよりは頭が固くて独自性を出すには、反対するしかない・・何を提案して良いか分からないからでしょうが、これに外国勢力が利用価値を見出だしているという逆の結果ではないでしょうか?
国政が停滞すると国民の批判が起きてくるので、(予算が通らないと新年度の政策が停滞します。)与党も放置できない・・かといって強行採決がメデイアによって「暴挙」と批判されて簡単にできないので、一応野党の顔を立てるために総辞職して一件落着にして野党から総理を立てるという「ことなかれ」主義が日露戦争以降の習慣となりました。
ワシントン軍縮条約反対といえば総辞職、天皇機関説反対と騒げば総辞職・・その都度下野した先の与党=野党が今度は攻める側ですから、この繰り返し・・・戦後の社会党だけの専売特許と違い・・与野党共に交替してはその都度政権の揚げ足取りに終始して本来の政治そっちのけでした。
与野党共(戦後の社会党の役割を双方で繰り返していたので)に政治家が国民の信頼を失い、「何やってんだか・・」と最後は翼賛政治になっていった原因です。

民主主義のルール3と違法収集証拠排除論2

昨日紹介したGPS捜査違法判例は令状なし捜査を違法としたものですが、内容を見ると具体的に「侵害された私的領域」とは何か不明です。
昨日最後の行で引用したように最判は麗々しく憲法の住居不可侵を引用していますが、刑法の住居侵入罪は正当な理由があるときを除いているように憲法に住居不可侵が書いてあるからといって一切の例外を許さないようなトーンに疑問があります。
刑法

(住居侵入等)
第一三〇条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

住居侵入でも玄関先に押し売りが入って帰らないのと寝室にまでズカズカ入ったのとでは大違いですし、個人的庭先でも私的な行為をしている・例えば他人の目につかない前提で下着姿で庭にで出ている女性が目撃されたのとネットフェンス程度の仕切りしかない道路から丸見えの貸し駐車場に無断で入ったのとでは重みが違います。
GPS事件では、ラブホテル?だったかの敷地内駐車があって、そこへ行ったことの特定可能性の理由で私的領域・プライバシー侵害になったように記憶しています。
人間が直接入れば入ったところが庭先であってもそこから居室内の無防備にくつろいだ様子が見られる可能性がありますが、同じ場所にGPS装着車がが入っても、その場に入ったことがわかるのみであって、そこから見える居室内のプライバシーが侵害される可能性すらありません。
しかも「判決文では「個人のプライバシーを侵害し得るものであり」という可能性を認定しているにすぎません。
しかも「私的領域」という観念的被害とは(追跡事例として昨日書いた例でいえば居室等に勝手に入ったのでなく、無人の庭を横切った程度)すぎません。
判例は「同意を得ていない=強制」という単純論理ではないでしょうが、生身の人間が尾行していて犯人がホテルに入って駐車するのを見ただけなら違法性がないが、GPSなら違法ということとの違いは、強制処分になるか否かによっているような印象を受けます。
強制処分→令状を得ていない→違法と言うのは形式的で具体的妥当性の結論から見て如何にも無理なこじづけのように思えますが・・・.この辺は自分の事件でなくいい加減に読んでいるのでもっと緻密な理論があっての結論と思いますが・・部外者の気楽な意見としてお読みください。
最判では、GPSの特定は数十メートルの誤差があるものの、道路移動だけなく私的空間に停車したときもGPSで想定できるのがプライバシー侵害リスクがあるということだったように記憶していますが、上記例で言えば家に入らず宅地でもダメということになるイメージです。
ところで広域高速移動という犯罪集団の出現自体がここ数十年で多発するようになった現象である上に、GPSで位置確認する技術は親が子供の見守りや老人徘徊対策に使えるなど、これまた最近の新技術です。
車社会になって、信号制度が行き渡ると追跡パトカーの例外が認められるようになるなど例外はいつもあとからで出来るものです。
GPSの有用性は一般に知られているのですが、その使い方についてのルールがまだ決まっていない状態でこの判例が出ました。
GPS捜査は、その捜査が違法とされていたものをあえておこなったものではなく、合法捜査か否かの境界事例であってこの判決で初めて「許されない」と決まった事件ですから、その点でも違法性自体が極めて弱いものです。
また最判自体で書いているように、令状が必要と言いながら一方でをGPS捜査をあらかじめ許容する令状の応用には無理があるとまで書いているのですから、最判自体が不可能なことを捜査機関に要求していることになります。
犯罪調査対象絞り込みなどにGPS利用捜査の必要性があるのに、現在の令状方式では事前発布する方法は無理がある・・憲法で要請している令状なし捜査だから、違法というのでは、結果的にGPS利用禁止と同じです。
最判には国家の治安維持と人権擁護の折り合いをどうすべきかの国家運営について責任ある価値判断が抜けている(一介の市井弁護士がいうのもおこがましいですが)ような印象です。
電子化や移動方法の高度化対応に必要な捜査手法に現行法・憲法の令状主義が対応できていないのであれば、どのように折り合いをつけて行くべきかを考えるのが実務判断の最高機関としての勤めではないでしょうか?
司法機関は学問研究の場ではなく、実務解決の最終機関としての責任があるでしょう。
憲法の「令状主義の原則」は近代以降当時の科学技術に応じて「これが良い」となったに過ぎません。
今どき怪しそうな人間相手にずっと長期尾行をつづけるなどやってられない・(自分の愛する子供でさえつきっきりにできないので、GPS利用する時代です)データ上の追跡で一定時間まとまって停止した場所周辺にアジトがあるかなど的を絞って調査したりその周辺で見張っていてどの辺の路地から出てくるかを見張っている方が合理的ですから今は浮気調査など興信所に頼むと皆この方法でやっています。
単に効率性の問題だけでなく犯人が短時間に広域高速移動するようになると、事件後その周辺で不審者の聞き込みをするのでは、有益な情報収拾が不可能になっています。
民間素人・個人利益実現のためでさえ自由にやっている・処罰する法令もない状態ですが・・逆に公益上必要のある政府の方はプライバシー侵害の「リスク」があるから、やってはいけない・・というのが不思議です。
何かあると民間が情報収集するのと政府の収集は違う・公益のために収拾するのは権力行使になるから厳しくする必要があるという意見が圧倒的です。
ところで、個人がより大きな公益確保のために臨時に細かなルールを破っても、その方が正しいとして賞賛されるのが普通です。
警察だと臨機応変の処置が許されない・・警察や公務員が「自己裁量でいろんなことをしてはいけない」という正解(PC)はその通りですが、それも職権乱用にならない限りのことでないのかの疑問です。
一般意識では警察や公務員は公益のためにやっているのだからという意識で、管理事務所あるいは個人でも何か問い合わせがあると積極的に協力する・令状がなくとも防犯カメラの映像を見せてくれと頼まれると見せたりするのが普通です。
私人にいきなり聞かれても、怪しんで答えないことが多いですが・・・。
日本の国民意識では「お上」に対する信頼がものすごく厚い社会ですが、進歩的文化人にとっては、逆です。
民間なら何を見せても良いとは言わないまでも、自治会名簿などを聞き込みにきた警察に見せたりすると大騒ぎします。
政府や公的機関は「人民の敵」だから「どんな情報も開示したくないとか些細なミスも許さない」という意識が強いグループのようです。
中国は長年「日本政府は悪いが「日本人は敵ではない」という言い方が普通でしたが、このような分類・2項対立意識社会と日本古来からの君民一体重視社会の違いをだいぶ前からこのコラムで書いています。
アメリカも同様で、国家神道や超国家主義者を背景にする軍人だけを悪者に仕立てて極東軍事裁判や神道指令で民族一体感破壊を図るとともに、他方で共産主義思想の浸透を奨励して労使対立→国民分断をはかったのですが、欧米や中国の考える「支配と被支配者の対立社会」と違い、日本国民はもともと上から下まで助け合いの社会でしたから、よほどの外れ者以外にはその扇動に乗りませんでした。
(助け合いどころか大震災の混乱に乗じて盗みに入る不心得者が一定率います・いつも書きますが、日本人/日本社会というときには大方の心を書いています)

民主主義のルール・手続き重視論2と違法収集証拠排除論1

例えば警官がスピード違反して追いかけたり、追跡中に犯人が逃げ込んだ他人の(塀で囲まれて門が開いている)敷地を通過してその裏の路地に逃走するような場合に、警官が(他人の敷地に入るのが違法だからと遠回りしていると逃げられてしまう)一緒に踏み入って庭を横切ってその先の路地で逮捕したからといって逮捕が無効違法になるべきではないでしょう。
それぞれに緊急事態に対応する法令(パトカーでサイレンを鳴らしていれば信号無視できるなど・住居侵入は「正当理由」)があれば済むことですが、新規分野でまだそう言う手当の法令ができていない不備の場合に臨機応変の法令違反行為があれば、そのような検挙が許されないかということです。
福島原発事故では、現地所長が東電首脳部による現状無視の指示を無視して臨機応変の果敢な処置をして過酷事故発生を防いだことが知られていますが、国民は首脳部指示無視の法令違反と日本国滅亡の瀬戸際に瀕するリスクから、救った所長判断のどちらの方に正義があったかを知っています。
まだ例外を認める法令がないのに、現場判断でやったことが仮に違法であるとしても、違法の程度が重大でなければ、その法令違反(パトカーが信号無視できる法令がまだない場合を考えると、逃げる犯人が信号無視で突っ走った場合にパトカーも(横から来る車がないときに)信号無視で追いかけた場合)ですが、そのために事故が起きたか実害が起きていないかだけで処理すればいいのであって、違法な逮捕が許されない・・その後の手続き(逮捕によって得た指紋や自白その他の証拠を裁判に使えないか?)一切を無効にする必要はないでしょう。
(上記で言えば住居侵入で処罰するべきか否か・・この例の場合には、「正当な理由」が認められるでしょうが、庭だけでなく家の中まで無断で入れば行きすぎでしょうがそれでも)その犯罪の成否に関係がない以上その犯人を無罪にする必要までないでしょう。
最近の最高裁判例で言えば、GPS捜査はプライバシー侵害の危険性が高いから捜索差押え令状手続きが必要である→違法捜査と認定され、その捜査によって得た窃盗犯罪実行の証拠が否定されたように記憶しています。(時間がたったので正確な記憶がありません)
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20170316-00068741/からの引用です。

警察が捜査対象者の車両に密かにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握するGPS捜査。最高裁は、その法的論争に決着をつけた。しかも、今後の犯罪捜査に深刻な影響を与える厳しい内容だった。公開されている判決文(詳細はこちら)を踏まえ、その理由を示したい。
捜査対象者に気づかれないように注意しつつ、密かにその生活圏内に近づき、行動を内密に把握する、といった観点からすれば、尾行や張り込みと全く同様だ。
現に警察は、GPS捜査をそれらの延長線上のものと見ており、捜査人員や予算が限られる中、そうした古典的な捜査手法に代わる有効な手段だととらえてきた。
その上で、基本的に路上を走行する車両の位置情報を把握するだけであり、個人のプライバシーの領域に深く踏み込むわけではないとして、尾行や張り込みと同様、裁判官の令状は不要である、という立場を堅持してきた。
検察も同様のスタンスだった。
今回の事件でも、警察は被告人や共犯者らの承諾はもちろん、裁判官の令状も得ない状態で、約6か月半にわたり、被告人らの19台の車やバイクにGPS端末を取り付け、その位置情報を把握していた。
今回の一審、控訴審も、被告人を窃盗罪などで有罪とする結論自体は変わらなかったが、大阪地裁は令状なしのGPS捜査を違法とし、高裁は今回のケースだと重大な違法性なしと判断するなど、全く異なっていた。
これに対し、最高裁は、まず次のとおり、GPS捜査と尾行や張り込みとの関係について、警察・検察の見解を全否定した
「GPS捜査は…その性質上、公道上のもののみならず、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるものも含めて、対象車両及びその使用者の所在と移動状況を逐一把握することを可能にする」
「このような捜査手法は、個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るものであり、また、そのような侵害を可能とする機器を個人の所持品に秘かに装着することによって行う点において、公道上の所在を肉眼で把握したりカメラで撮影したりするような手法とは異なり、公権力による私的領域への侵入を伴う」
「憲法35条は、『住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利』を規定しているところ、この規定の保障対象には、『住居、書類及び所持品』に限らずこれらに準ずる私的領域に『侵入』されることのない権利が含まれる」

民主主義のルール(手続き重視論と議事妨害)1

大臣や担当官僚の発言を撤回しないと審議に応じないという審議トップが多いですが、大臣の説明を求めるのは法案趣旨明瞭化のためですから、「その発言であれば法案の趣旨はこういうことになるのでそういう趣旨の法案であればこういう問題点があるので反対」と争点が明確化した点を捉えてその争点化に対する国民支持に自信があるならば国民に提示して国民判断を仰ぐのが民主的です。
大臣が発言を撤回したら法案から大臣発言のような、危険な解釈運用余地がなくなるということでしょうが、その程度の効果ならば、「こういう解釈運用される危険があるが、どうか?」と質問して大臣から「こういう解釈運用を考えているので心配いりません」と答弁を引き出せば足りることで、失言騒動→撤回に追い込んで得意になる必要がありません。
もともと国会で議論をしていってより良い法律に仕上げていく前向きな気持ちがないことを表しています。
失言を引き出したのが成功であれば、「〇〇発言でこういう危険な法律であることがわかった」と国民に宣伝し国民判断を仰げ良いことですが、それをしないで大臣が発言撤回しない限り審議ストップとは意味不明です。
革新系野党は、審議ストップ・議事妨害が自己目的化していて、「こういう乱暴な発言に対する審議ストップならば、国民批判が野党にこないだろう」という視点優先の国会戦術と見られます。
連携しているマスメデイアがこれに呼応して囃し立てる風潮が安保騒動以来続いています。
我々証人尋問で敵失発言があったときに、得意になってそれ以上深追いしないですぐに尋問を切り上げて敵失証言を早く確定させて裁判所の判断に持ち込むみたいのが原則です。
敵失の補正がないうちに結論に持ち込んだ方が有利に決まっているのに、敵失の「発言撤回」や資料補正しない限り審議に応じないというのでは、野党が問題視している大臣発言あるいは資料ミスがあってもその程度絵は国民の支持がひっくり返らない・・逆転するほどの敵失ではないことを自己証明していることになります。
失言と騒いでいるものの多くは「〇〇がそんなことを言って良いのか」と言う問詰型で、実態は揚げ足取りに終始している印象です。
それを理由にしての法案反対では国民支持が得られないが審議ストップ程度は大目に見てもらえるだろうとの読みを前提にしているとすれば、「法案反対だから審議に応じない」ということを言い換えているにすぎません。
ところで意見が合わないから審議に応じないというのは、自分の意見は「自分の国をより良くしたい」意見ではないからではないでしょうか?
目的を共通にする限り、議論を尽くせばより良い結果(正反合の止揚効果)が出てくるし、相手の方が自分よりよく考えているとわかった場合、合理的議論では引きさがるのが普通の結果です。
目的を共通にしない場合、例えば「旅行に行きたくない人」と旅行先についてどこがいいかの議論を尽くしても方向性が違うのですから、良い結果が出るわけがありません。
意見相違を前提にした議論を尽くしてより良い結果を目指す民主政治とは、「自分の住む社会をよくしたい」という共通目的があってこそ成立するものであって、「自分の住む社会よりよくしたくない」人といくら議論しても・・旅行に着たくない人相手に相談しても行きたくないと言わずにケチをつけている相手の本音が分かれば分かるほど対立が深まるばかりです。
話せば分かるどころか、かえって相手の底意が見えてきてしまいます。
審議拒否や議事引き伸ばしを目的にしてできるだけ審議に応じないのは、ちゃんと言えるような独自意見が元々ない・・どうせならば、「日本のためになる政策遂行の意欲がない」という後ろ向き運動でないのかの疑問が生じます。
一般的な各種会議では、会議中に資料ミスが分かっても次回までに整備した「資料を提出してください」ということでその日はその資料なしでも進められる内容について先に議論を進めるのが普通です。
ところが、60年安保以降の国会では、政府提案に対して野党は反対の為の反対・・あら探しをしている印象で国をどうするかの野党の展望を示されたことがありません。
今国会の働き方改革では、厚労省の資料不備があったというだけであって、では「野党がとしてどういう労働政策が良い」の意見が見えてきません。
国会での審議拒否運動と並行して憲法論→刑事訴訟法分野でもデュープロセス論が重視され、内容無視で手続き重視論が主流になっています。
以下の通り昭和35年の安保騒動の翌年・昭和36年(15人中15名)頃から我が国で有力になってきた法理論です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%95%E6%B3%95%E5%8F%8E%E9%9B%86%E8%A8%BC%E6%8B%A0%E6%8E%92%E9%99%A4%E6%B3%95%E5%89%87

違法収集証拠排除法則
排除法則が、日本の最高裁判例 で採用されたのは、昭和53年(1978年)からのことである。
それまでの判例は、押収物は押収手続が違法であったとしても物自体の性質、形状に変異を来すはずがないからその形状等に関する証拠たる価値に変わりはないというものであった (最判昭和24・12・13[1])。
しかし、学説上は、アメリカ法の影響を受け、少なくとも収集手続に重大な違法がある証拠の証拠能力は否定すべきとする見解が有力になっていた。また最高裁昭和36年6月7日大法廷判決では、15人中6名の裁判官が反対意見として、理論的に違法収集証拠排除法則を認めた。下級審においても、違法収集証拠排除法則を肯定する裁判例が増えてきていた。このような状況の下、最高裁は昭和53年9月7日第一小法廷判決において、排除法則を理論的に認めた。

違法収集証拠排除原理も手続き重視論の一つですが、人権擁護・違法捜査根絶の目的のために必要な戦略かもしれませんが、拷問その他悪質な場合はその通りでなるほどと共感したものですが、違法かどうかの判例も決まっていないような境界事例でもで何でもたまたま非合法と後日判定されると違法捜査のレベルに関わらず、一旦違法であると認定すれば証拠能力ゼロにしてしまうとすれば行き過ぎではないでしょうか?

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