世界平準化後の世界ランキング2

2012年10月4日に書き始めていた 「世界平準化後の世界ランキング1」に話題を戻します。
国民の最低ランクの能力レベルが後進国や新興国の最低レベルと同じだとすれば、これまで書いて来たような上乗せ手当が必要になるのであって、最低レベルの人材を減らして中くらいに底上げ出来ればその分だけ差額補填が不要になります。
例えば器用さに10段階のランキンキングがあって、それぞれのランクごとに世界中同一レベルとした場合、新興国の低賃金攻勢にかかわらず新興国と同一賃金に引き下げられないとすれば、新興国では下から順に近代工業化して行きます(先進国と同じ生産性になる)ので、先進国では下から順に1階層づつ切り離されて失業して行くことになります。
(純粋論理的に賃金を国際相場に会わせることは実際には不可能です・・昨日まで書いて来た意見は論理的には国債相場に賃金が収斂して行くのを政治が妨害すべきではないというだけであって、即、対応出来るという意味で書いているのではありません。)
これを防ぐために低賃金外国人労働者を導入しても、国内労働者と同じ待遇しか先進国では出来ないので(人権概念上差別待遇を出来ないでしょう)、最低賃金制で高止まりさせれば結果は同じです。
最低技能ランクに頼る産業から順次衰退しその分野の労働者から失業して行くしかないとしたら、どの段階(下から2〜3段階?)でこれを止められるかに国際平準化完成時の国力・世界ランキングがかかっています。
日本の最低ランクが新興国の下から3番目のランクと同じであれば、そこまで新興国が到達するまでは失業が生まれない理屈です。
一流高校の成績ビリと3流高校のトップが同じ水準とした場合を想定すれば良いでしょう。
実際には、どこの国でも最下位層のレベルは同じですから、(どんな先進国でも読み書きの出来ない魯鈍級の人材を皆無には出来ません)上記のような都合のい結果になり得ません。
違いがあるとすれば最下位層から順に人口の何割がいるかの人口比率こそが重要です。
各種業界別に見れば、国力維持のためには製造業を死守すべきという論調は、正しいと思いますが製造業に最下位技能レベル人材が多いことが問題です。
製造業(農業も含める概念としては生産業かな)が如何に高度化(器用さと一定の応用力のミックスした人材だけ)しても、国際競争に勝ち残っている限り雇用吸収力・・大量人員を要する点が、研究者・学者・芸術・知財や金融等の比ではないからです。
韓国や中国の追い上げに対して日本の製造業がどの段階で踏みとどまれるかは、中国・韓国に比較した日本人の器用さ・勤勉さ・現場工夫能力レベル・・・これらの人口構成比率にかかっています。
日本と他国で器用さのレベルとして、上から順に下に向かって10のレベルで区分けしたときに上から順に仮に1割ずつ人口が増えて行く(どの国も同じ比率)とした場合を考えて見ましょう。
ピラミッド型比率が1割ずつ下へ向かって多いのが世界平均のときに、我が国だけは3〜5%ずつしか増えて行かない・・上の層が比較的に厚いと下から3段階まで浸食されても1階層下に行くと1割ずつ人口が多い社会よりは失業する人口が少なくて済みます。
下の階層が少ない方が昨日まで書いて来た政府が差額補填するとした場合、差額補填する対象人口が少なくて済みます。
国際平準化後の国力差は、結局は国民の資質・能力差(レベルの低い人の比率の差)に比例することになるでしょう。
世界中同じような機械で生産する時代が来れば、人材の下層比率を引き下げる・・生まれて来る子供を出来るだけ有能にして行くことが必須です。
有能な人材を増やすには少子化がもっとも有効であって、レベルの低い子供を多く生んだ後にいくら(整形美容的)後付け教育しても結果が知れています。
外国人下層労働者を大量に受入れてその次世代教育に日本人の何倍もお金を掛けても、それほどの効果が期待出来ない実態を考えても、直ぐに分るでしょう。
能力適性のない人を教育するのは効率が悪く、教育費に多くの資金が必要になるばかりです。

国際平準化後のランキング1

グローバル化進行による落ち着きどころに関してJune 24, 2012「貿易収支赤字転落(原発事故)1」で書き始めていましたが、国際収支改善努力の意欲能力が石油危機時とは違って来ていること・・個々人の努力にかかる時代に移行していることを書いている内に民主主義制度の行く末に話題がそれてしまいました。
話題を国際平準化による落ち着きどころに戻します。
国民がどの政党に頼るにしても、頼らないにしても国際競争下で生き残りを図るには、政党の責任・・企業の責任にして安住せずに、国民個々人が高賃金に見合う能力を一人一人が自分で磨いて行くしかありません。
国民個々人でみれば、構造転換・・高度化について行ける人と行けない人がいるのはどのような教育・職業訓練制度を用意しても(個体による能力差があるので)どの社会・民族でも同じです。
国がジリ貧になるかどうかは、国際収支黒字を維持して行くための構造転換について行ける人材がどのくらいの比率で存在するかに掛かるでしょう。
大量生産向け・・底辺労働者向け産業から順に新興国に追い上げを受けるので、その階層のレベルアップが政治的に要請されます。
実際には彼らのレベルアップは無理がある・・少しくらい職業訓練をし直しても・・比喩的に言えば30点までが能力の限界の生徒に対して「もう少し頑張れ」と尻を叩いても大したことにはなりません。
何とか訓練して35点レベルに引き上げた頃には新興国もそのレベルの分野で競争力を持って迫ってきますから、お金がかかるばかりで何にもなりません。
とは言え、この階層の人口がどこの国でも最大ですので政府としてはこの階層の多くを失業させたまま「あなたは駄目よと・・・」放置しておけないので「政治的に」職業訓練努力を要請されているに過ぎません。
私は自分が不器用なので分るのですが、「お前程度の仕事だと韓国や中国の職人に負ける・高い給与は払えない」と言われて失業した場合、職業訓練校に通い直しても殆ど結果は変わらない・・それ以上に器用にはならないことは自分で分っています。
知能・美的センス・運動能力その他どの分野でも生まれつきの素質が重要で、同じことが言えます。
以前に「努力さえすれば何とかなる」ような教育論・・人みな平等的意識による教育論は政治的アッピールとしては必要かも知れませんが教育論としては誤りであるという意見を何回か書いたことがあります。
(しかし政治の世界では本当のことを言えません・・嘘を言っても良いということ自体おかしな風潮です・・政治は建前だけ言ってれば良いと言う風潮ですが・・本当のことを前提に議論しないと本当に国を良くすることは出来ません。)
能力別人口構成はどの分野でもピラミッド型・・即ち下に行くほど多くの人口を抱えています。
身障者まで加えれば別ですが、健常人だけの階層で見れば、ビヤ樽型人口構成はあり得ないと言っても良い公理のようなものでしょう。
とすれば下位レベル層から順に新興国の挑戦を受けて失業して行くと、人口構成上では大変な比率になって行きます。
これが健康な若年層の生活保護受給者増の流れになっているのです。
現在行っている職業訓練によって少し能力が引き上がるときには、新興国の技術水準がそれ以上に上昇して追い越される・・いたちごっこでキリがないので、競争力維持のためには、彼らの賃金を新興国並みの能力しかないならば能力に会わせて下げてしまい、生活水準維持のためには補助金(生活費補填)を交付するしかありません。
現在はこの差額を企業負担にして、労働者の生産性以上の給与負担を企業に強制しているのが最低賃金の引き揚げや非正規雇用の正規雇用化(これはこれで技術の伝承などの意義がありますが、ここでは賃金の面だけで書いています)などであり、このための政治介入が盛んです。
政治介入が盛んであると言うことは、経済の原理=労働の対価に見合っていない給付を強制していることに外なりません。
経済原理に反する行為・・水が低いところに流れるのを阻止するような政治は、短期的には可能でも長期的にはその水が溜まって決壊すると大変なことになるのと同様に却って傷・・社会的損失を大きくします。

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