報道自由度ランキング2(「公権力とは距離を保つ」1)

ここで、2018/06/13「報道の自由度ランキング1」〜2018/06/29「(フェイク?)報道と信用失墜3(国連特別報告2)」の続き・・日本の言論自由度ランキングが政府批判的意見を言う書店主が政府によって拉致されてしまう香港などよりも低いという国連報告に戻ります。
言論に関しては本当の自由市場があれば、国民の意向に合わない言論は売れないし、メデイアの場合視聴率も下がり自然に出番が減ります。
流行作家や流行商品が売れなくなるのと同じですが、それを言論の自由がなくなったと転嫁批判していないかの疑問があります。
実験らしい実験もしない研究発表が自由に出来なくなった場合に、研究発表の自由度が下がったと嘆くようなものです。
日本をより良くしたいと思うならば、国内の言論市場で先ずは勝負すべきです。
外国に向かって日本の批判ばかりする習癖(自虐史観)は、「自分だけは別」という優越思想発露の一環でしょうか?
数年〜4〜5年前に「そこまで言って委員会?」の議論を見ていたら、慰安婦事件に関連して日本兵の蛮行批判をしていたある有名女性の(父職業軍人であった?か忘れました)「ではあなたのお父様もその一人ですか?」という趣旨の質問をされて「私の父はそんな人ではありません」と「憤然」と言い切って会場の失笑を買っていましたが・・・。
日本人の多くが「自分の父さまはそんな人ではなかった」と思いたい人ばかり・・国民心情と切り離して日本批判する人は「自分または自分の父だけは違う」と問題の圏外・高みにいる思想の人が多い印象です。
社会派と称する映画を見ると、日本の最底辺層をアップして「日本はいかに貧しく汚い街か!」というイメージを海外に宣伝するものが多いのですが、そういう画像ばかり見て日本へ来てみると実態とは大違いなのに驚く人が多いようです。
社会が発展し景気が良くても、苦しい人や犯罪を少しでも減らせると言うだけであってゼロにはできません・・高成長や発展から取り残される人がいるのは当然です。
そういう人々・・日本の0、00何%!の人に焦点を当てる・・自分の収入が増えて成功者になっても、いつもそういう人へ想いを馳せることは重要ですし、他人に対しては、謙遜する姿勢が必要です。
しかし、それは個々人の内省や国内政治のあり方を国内で発信する問題であって、日本の暗部を対外宣伝する必要性とは関係のないことです。
日本の欠点とも言えない・強い絆で結ばれ一体感が強く過疎地の隅々まで貧窮に苦しむ人の少ない・世界一格差の少ない社会から暗部を探し出して国際社会に訴えたい人が多い・・そのような逆境でも健気に?頑張っている人を描くのが表向きのメッセージですが・・視覚的に圧倒的影響力がある(ことこそ映画の最大の強みです)のは汚い空間表現です。
・・映画界ではそんな最底辺に焦点を当てる監督ばかりが「社会派」と称して幅を利かしてきたのが不思議です。
どんなに頑張っても貧困率や犯罪率をゼロにできないが、その比率を下げることに政治は努力すべきですし、しているのです。
あばら家やゴミも不良も犯罪もゼロにはできないが、比率を下げる努力が重要です。
犯罪等をゼロにはできないが、日本をよくしようと頑張っている人や政府を嘲笑うために特別汚い場所を選んで報道する・・自分だけが偉くなったよう気になる人がいるようです。
最近カンヌ映画際で「万引き家族」という日本で現実にありえないような題名の映画ですが・・受賞した是枝監督が、政府のお祝いの招きを断った記事が新聞に出ていました。
私は例によって「見出し」しか見ていませんので読んだ時に「不思議なことをいう人がいるものだ」と印象だけ残っていたのですが、今回のテーマに関係ありそうなので以下検索して見ました。
https://www.asahi.com/articles/ASL68677QL68UCVL025.html

是枝監督、文科相の祝意を辞退 「公権力とは距離保つ」
2018年6月8日20時39
是枝監督は同日付で「『祝意』に関して」とする文章をサイトに掲載。
受賞を顕彰したいとする団体や自治体からの申し出を全て断っていると明記し、「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」

「公権力とは潔く距離を保つ」とはどういう意味でしょうか?
公権力の主体は政府であり、民主国家においては政府は国民代表ですから、言い換えれば日本人代表と距離を保ちたいということでしょうか?
是枝監督は、「政府は国民を代表していない」というのでしょうか?
こう言う根拠のない言い切りを喝采して売れっ子?の虚像を作り上げてきたのが、情報独占にあぐらをかいてきたメデイア界でした。
もしかして、フランス政府主催の映画祭で受賞すれば、(フランス政府に公認されれば)日本国民代表になったつもりでしょうか?
上記論法によれば日本人代表が日本人の選挙によらずに、フランス政府によって選ばれるイメージです。
革新系運動家の政府批判はほぼ毎回、「国民大多数の声を無視して・・」という合唱ですが、根拠なく「国民大多数」を僭称しているのと共通です。
メデイア界にいると日本批判「自分は日本人一般とは違う人間・・高みにいる」と思い込んでしまうのでしょうか?
彼は戦前権力に抵抗した実績があるのでしょうか?
一見したところ戦後だいぶ経ってからの生まれで戦前政治と関係がなさそうな世代のようですから、いわば自分を安全地帯において格好つけているだけのようにみえます。
では現在の権力と戦ったことがあるのでしょうか?
メデイアという第4権力に身を置いて、その中の多数派の意見を代弁しているだけではないでしょうか?
是枝監督の公権力・・主張は、june 6, 2018,「慰安婦=性奴隷論の説明責任1(言葉のすり替え1)」以降書いてきた戸塚弁護士が「私」の主観を媒介に「売春婦を性奴隷」とすり替えたように「公権力」概念の巧妙なすり換えが行われています。
今彼が指す公権力は現在の公権力なのに、なぜか戦前の公権力のイメージに切り替えて距離を保つ必要があるのでしょうか?
いかにも現政府も国民を代表していない・・国民抑圧者のようなイメージすり替えが行われています。
その上で、「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つ・・」というのですが、彼の脳裏では戦前の国民抑圧者的公権力が今も続いているような論理です。
いわば戦後の民主化と70年の結果を見ないことにしている・・現実無視の態度です。
そもそも戦前政治が権力による抑圧社会であったか?メデイアの誘導に抵抗できなかったか否か自体検証されていません。
メデイア界こそ敗戦時にきっちりした自己批判・総括してこなかったことが、未だに尾を引き我が国を変な方向へ引っ張っているのです。

思わせぶり報道と信用失墜1(自由度ランキングの怪)

見出しに大きく軍関与の資料発見(正確な表現は忘れました)と書いていて、内容をよく読むとどうでもいいような資料・連行と何の関係もなさそうな資料しか書いていない・・よく読めばメデイアは中立ですというつもりでしょう。
軍による強制連行があったかどうかが国民の大関心事になっている最中にこういう誘導的見出しの記事が1面に出ると多くの国民が強制連行の証拠書類が出たのかと第一印象を抱きます。
昨日最後に書いたように多くの人は内容をじっくり読む暇がないのが普通です。
互いに他報道機関の憶測に過ぎない記事を検証することなく「他社が書いているから」という理由で?既成事実としてその上に自社でさらに少しずつ憶測を螺旋状に積み上げていく繰り返しで、戸塚弁護士やメデイア界は役割分担しながら憶測を世界に広めていたように見えます。
今回の森かけ関連報道でも顕著ですが、見出しと内容記事が違う報道をすると、誤解を与えるリスクが高いのですが、なぜか裁判所は「内容をよく読めばわかるはず」というトリックで名誉毀損訴訟の多くを退けてきました。
名誉毀損事件の被告・・加害者の多くは報道可能な媒体を持つメデイアですから、裁判所のこのような姿勢は、メデイア界による思わせぶりな事実上の虚偽(フェイク)報道を助長してきたことになります。
こうした報道態度はフェイク報道に近いので、思想表現の自由の保護を受けない・・公正取引分野での規制対象にすべきかもしれません。
商品の見出し広告と内容説明が違うのは消費者の誤認を招くので(大きな効能の見出しを買いておいて隅っこに小さな文字100人にひとりしか効きませんとか、大特売と書きながら特売品一個だけですとかいておく)公正取引法で許されないのが常識的運用です。
メデイアに限って古典的基準・常識人が内容まできっちり読めば反対意見も書いていて自分で判断できるはずということで、上記の通り名誉毀損に当たらないとして多くのどぎつい見出し広告が許容されてきました。
裁判所の基準は「通常人」が誤読するかという基準ですが、憲法学者の言う「言論の自由市場」という市場論は、その道のプロ論壇参加者や週刊誌で言えば、お金を出して買う購入層の読解力を基準に判断しているのですが、政治判断は電車内の吊り広告や新聞等にある週刊誌の表紙広告や新聞やテレビの見出しテーマによって影響を受ける比率の方が大きい実態があります。
見出しで多くの人が影響を受けているのですが、その場合その道の専門家も部外者(エコノミストその他の専門家も専門外の見出しに関しては)やレストラン店員も労働者も洗脳的に受ける影響力は似たようなものでしょう。
要はその内容吟味する時間も暇もない点では情報「消費者」なのです。
消費者保護が必要なのは、消費者の知的レベルが低いからではなく、消費のたびに内容チェックする時間も暇もないということです。
食品専門家でも表示品質通りの食品かどうかは、購入現場で判断できない・検査機関に持ち込まない限り店頭で品質チェック能力がないので、表示を信用して買うしかありません。
野菜果物では、見ただけでうまそうかどうかの判断がある程度つきますが、それでも食べて見てマズ過ぎれば「おかしい」となりますが、見ただけでは産地偽装をその場で見抜けません。
板倉社長の時だったか、三越事件があって信用がガタガタになってしまいましたが、顧客は鑑識能力がないから三越は偽物をつかまさないだろうという信用で高額品を買っていたのです。
日本では報道機関等の報道では「言論の自由」「報道の自由」と称してこれが許されていたのは、報道機関は実態調査裏づけを取ってからの発表だろうという信用が高かったのですが、裏付け調査どころか信用を悪用して、自分自身がヤラセ報道(サンゴ礁事件/捏造報道)するようなことが頻発するようになったこと自体、三越事件(三越も偽物を知らずに仕入れたのではなく三越が意図的にガラクタを高級宝石と売って事件でした)同様で、この頃から「情報も商品」として「消費者保護対象」にする必要が出てきていたことになります。
ところが言論に限っていまだにこのような「羊頭狗肉」報道がまかり通っているのが不思議です。
ただ彼らのいう報道の自由市場論は、彼ら大手メデイアが牛耳っている限りの自由市場論のように見えます。
裁判所とメデイア界合作のこのような変なルールが、ネット批判が可能になったことで「見出しと内容が違う、あるいは「言葉の(一方的)すり変え」にはすぐさま厳しい反論が出るようになりました。
ネットの発達によって、報道界が独占支配する「言論の自由市場」が終わったことがわかります。
メデイアの偏ったイメージ報道がすぐ批判に曝されるようになったので、彼らにとって「日本には言論の自由がない」ということになったらしく、国連特別報告者が訪日調査して(多分そういう不満分子が招請したのでしょうから、そういう人たちから聞き回った)特別報告が採択されたとかで、1昨年頃に大さわぎなりましたが、要は国内言論市場の独占支配が崩れて困っている実態が丸見えです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7031.php
日本が低迷する「報道の自由度ランキング」への違和感
2017年2月22日(水)12時09分

佐藤卓己(京都大学大学院教育学研究科教授)
<61位(2015年度)、72位(2016年度)と、日本は世界報道自由ランキングの順位を年々下げている。果たして安倍政権のメディアに対する姿勢に原因があるのか、それとも内閣支持率で空気を読むメディアの自己規制に問題があるのか――。「この順位に驚かない」という佐藤卓己・京都大学大学院教育学研究科教授による論考

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パリに本部を置くNGO「国境なき記者団」Reporters Without Bordersが二〇〇二年以降、二〇一一年をのぞいて毎年発行している。すでに述べたように、二〇一六年度版で日本の「報道の自由度」は一八〇国中、七二位に下落した
二〇一六年五月四日付『朝日新聞』の「天声人語」も、このランキングで中国政府が言論弾圧を行っている香港(六九位)よりも日本の方が低いことに「驚いた」といい、「西欧中心の見方ではないかと思う」と疑念を呈している。だが、このコラムは次のように結ばれている。
それにしても、昨今の自民党議員らによる居丈高な物言いは、やはり常軌を逸している。担当相が放送局に電波停止をちらつかせ、議員が報道機関を懲らしめる策を勉強会で披露する。あの種のふるまいがなければ、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう。

(稲垣注・朝日は「自分らが告げ口したのではない」という表向き弁解ですが、本音はこの部分でしょう)

世界平準化後の世界ランキング6(民度2)

仮に国民を10段階のレベルに分類すれば、世界中どこの国でも最下位層の人材がいる・しかも最下位者のレベルも同じです。
(脳挫傷等で意識が戻らず寝たきりの場合や手術中の昏睡者の能力は世界中同じでしょう・・最下位のレベルは世界共通です。)
中〜上位者レベルもそのレベルの置き方によって世界共通基準で妥当するレベルの人が存在するでしょうが、最上位者レベルになると、誰一人もそこまで到達できない国が出てきます。
10段階にそれぞれの人材がいるとしてもそれぞれの段階ごとの構成比率も国によって違います。
これが民度差を表す指標です。
10段階の階層があるとすれば、最終国力・民度を測るには各階層にどのような比率で分布しているかあるいは分布させるか、そして上位者のレベルが重要です。
同じ学校一番の成績でも、ノーベル賞クラスの輩出する学校とその他の違いみたいなものです。
(ある学校あるいはスポーツその他の団体の最上位者がある学校またはその他の団体の3〜4番手どころか最下位と同じ程度という格差はいくらもあります)
上記のとおり、最上位者に関しては国や組織によってレベル差があることは明らかですから、最上位者のレベルその層の厚さは国のレベル・品位の指標となるので重要です。
数学その他のレベルアップは努力さえすれば良いので簡単ですが、品位のアップはその更に番外・格上の基準になるので、国力を傾けて特定分野に集中してもレベルアップ出来るものではありません。
品位こそ人間格付けの最上位に来るべき指標です。
2チャンネル的誹謗合戦はそれぞれどこの国にも存在する低レベル者同士の言い合いですから問題になりませんが、国の代表者や一定の立場にある良識のあるべき大人がする行動が、品性卑しい表現になって来るとどうでしょう?
国家元首あるいは政府公式発表や大手マスコミの表現となると、その国の最上位の文化度・品位を一応表していると見るべきでしょう。
中国に至っては国連での公式の場でさえ、「盗んだ」という品性の卑しい演説・主張を繰り返しているのですから、中国自身の品性の低さ・卑しさが世界中に発信されてしまいました。
日本政府が同じように品性の低い言葉で韓国や中国に応酬するのは同じ野蛮人と言うか非文化人の仲間に堕してしまいますから、それをしないのは賢明です。
中国は日本を目一杯非難しているつもりでしょうが、言い過ぎることによって自分の品性の低さを世界に発信している不利に気づかないほどレベルが低い・・まだ「善人」レベルに留まっていることになります。
竹島上陸時の韓国大統領の低レベルな発言(発言の真意について(日本は昨年の大地震で)国力低下しているから(叩くのは今だ)・・という発言をしています)や政府対応と言い、驚くべき低品性ではないでしょうか?
災害発生直後には同情するよりも世界市場で日本を押しのけるチャンス、日本への輸出のチャンスとする韓国マスコミの報道が目立ちましたが、この文明時代に他国の大災害を同情するよりも「やっつけるべきチャンス」だから今やったとして大統領が堂々と発言しているのです。
サッカーの試合で韓国選手だったかサポーターだったかが「福島」という文字を掲げて日本チームを侮辱したことがニュースになりましたが、(スポーツ大会でのこの種の不祥事が続いています)韓国民は上から下までこの程度のレベルです。
中国政府自身も低レベルな暴動・破壊行動を奨励して満足している状態を見ると、中韓両国は(日本が震災で困っているのにつけ込んで)上から下まで礼儀をわきまえない文化レベルの低い国である・・文明国同士としての大人の交際が出来ない国であることを世界に証明してしまいました。
同じ東洋文化圏であると言われて来たのに、我が国と両国とではこんなに大きな文化度・品性の違いが何故生じたのでしょうか?

世界平準化後の世界ランキング5(民度1)

中国ではまやかしの統計を毎年積み上げて来た結果、計画どおり(実際の数字ではないので計画どおりになるのはあたり前です)に日本を昨年あたりにGDPが追い越したことにして大満足の状態です。
経済的に豊かになったと思い込んでしまった国民は(本当は国民も実態を知っている筈ですが、都合良く自己満足するために意識を使い分けているのです)自信を持ち過ぎて、直ぐに周辺諸国に対して威張り散らし始めました。
気に入らなければ相手の建物を壊したり反日と叫んで満足しているレベルでは、まだ50年や100年で日本の一般国民レベルに追いつくことは不可能な印象です。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや!」という有名な言葉がありますが、善悪の区別がつくことがすべての基本です。
善人すなわち善悪の区別のつかない人でも往生出来るし、まして悪を悪と知った上で悪行を働く人はその一段上の人であるから悟りに近いので当然往生出来ると言う親鸞の教えです。
ソクラテスの言う「無知の知の自覚」と同じです。
中国人は、政府が煽動して暴徒に日本商店や工場を壊させることが恥ずかしいことだとすら思い至らず、(善悪の区別さえ付かない)暴虐を尽くすことが自分の優位性を示すことになるとする自信を深めているのですから、何周回かの文化の遅れを露呈しました。
これが庶民レベルではなく、(庶民なら日本でも「やり返せ」という人がいくらでもいます・・)指導者レベル・・政府の煽動による暴動ですし、中国の大手マスコミですら反省することなくこれは「日本が悪いから当然の報い」だとする主張を公式に繰り返しているのですから、大変なものです。
日本の文化レベルから見れば呆れるしかない状態ですから、今後50年〜100年で日本の文化水準に追いつくどころか、1000年単位の時間がかかる可能性がありそうなレベルが分ったので、日本としてはまあひと安心出来たというところでしょうか?
どんな貧しい国でも首都の表通りくらいは綺麗に出来るので、(食うや食わずの北朝鮮でも映像に映る首都は立派なものです)本当の国力水準はどの程度の裏通りまで綺麗になっているかどうかによるのが普通です。
人材で言えば一般の国民レベルが如何に低くても政府首脳は国の顔ですし、マスコミは良識に反したことには(恥ずかしいことだと言う)眉をひそめるくらいは出来るものですが、国を挙げて上から下までそうした視点すらなく大満足している状態を満天下に曝しています。
中国ではトップからマスコミ・文化人に至るまで、みんなそろって世界観が野蛮人/非文明社会の価値観そのままで生きていることを自ら世界に発信してしまいました。
韓国の場合、今になると日本ともめていることが経済的なマイナスが大きくなって来たことから静かになってきました。
両国は目先の打算だけ(・・これを戦略的と表現するのがマスコミの常で、日本には戦略性がないといつも非文明的行動を賞賛していますが・・)で動いている国ですから、行動原理を読み易い単純な国柄です。
韓国マスコミは、竹島上陸直後頃にはマスコミを含めて口を極めて日本批判をしていたことからも分るように、イザとなれば(上層部が率先して)国を挙げて直ぐに野蛮・非文明的価値観そのままになる国民性は中国と良い勝負です。
ネットで言えば2チャンネル的誹謗がいくらあっても、個々人レベルではいろんな人がいても、その国のレベルの問題ではありません。
階層別レベルでのシリーズで書いて来たように、どの国でも精薄から魯鈍級の最下位層までが存在するのが当然です(最下位層をゼロには出来ない)から、民度差は各階層別に占める比率の問題ですし、トップの差によることになります。
トップがどの辺のレベルかは国や組織によって差がありますので、トップ層の品性は国家や組織にとって重要です。

世界平準化後の世界ランキング4(大学進学率の陥穽2)

日本と韓国、中国の人間的資質が全く同じだと仮定したうえで、以下比喩的に分類して考えて行きます。
日本では階層別に上から2番までが大学に行き、3番目から現場で働いているのに対し、韓国(中国はまだそこまで言ってませんが、その内一定の資金が出来ればそうなるでしょう)では上から5番目まで大学に行き、6番目から現場に出ている社会であるとした場合、国際平準化の結果同能力→同賃金となっても日本は韓国に比べて、なお上から3〜5ランクの人たちがより多く現場で働いている分だけ多くの人が能力に応じた高賃金で製造業その他の高レベル現場で働けることになります。
日本を追い越すという偏狭な観点が中心で社会の必要性を考えないばかりか、勤労を尊ぶ歴史土壌が元々ないことから、国民もお金が少しでも出来れば大学へ殺到する土壌があって、しゃにむに大学を作り過ぎた咎めが出ているのです。
上位から1〜2割しか指導者やホワイトカラーが不要なのに、それ以上の数が進学してしまうと、現場系労働者不足で人件費アップの傍らで大卒の就職難・・中国ではネズミ族がウヨウヨの社会になっている原因です。
韓国でも大卒や院卒が増え過ぎていて(大学進学率は世界屈指になっていますが、李氏朝鮮以来の両班制・・両班でなければ人間扱いされなかった歴史が反映していると思われます)その就職難は(約半分の就職率に過ぎないとも言われていますし、就職してもそのまた何割かは中途退職を余儀なくされて)半端ではありません。
元々勤労を卑しむ価値観の社会ですから、失業しているのが性に合っているのかも知れません・・。
ちなみに韓流のストーリーは現場で働く人が出て来る頻度が極めて少なく、みんなありもしない大金持ちの子息・令嬢という物語が殆どです。
現在欧州危機下でも一人気を吐いているドイツの場合では、今でも職人気質が守られていて?大学進学率はそれほど急激に伸びていないらしいです。
進学率の低さが優秀な現場力維持・補給に役立っているから、生産活動堅調の原因ではないでしょうか?
民族の総体的レベルを引き上げるのは必要ですが、その見せかけのために一点集中で力を入れることがソ連その他共産圏諸国では流行っていました。
民生から順に科学力がつく方法ではなく、ロケットだけ(これも実はソ連がアメリカから情報を盗んで作っていたことが今になると分ってきましたが・・)あるいはノーベル賞だけあるいはスポーツで言えばオリンピック選手養成だけに集中する・・国民スポーツとしては全く裾野が発展していない状態が今でも新興国では見かけます。
学校の試験は膨大な学習内容から、これとこれが分っているならばその他も身に付いている筈だという論理からいくつかの点を取り出して試すものですが、(米などの抜き取り検査と同じ原理です)アトランダムに取り出す箇所・・試験問題が予め分っていると、全体の理解がなくともその点だけ勉強しておけば良いので本当の学力が分りません。
韓国や中国はこうした偏頗なやり方で一点豪華主義で日本を追い越したつもりで強がっているのですが、特定分野に集中していくら「何とか賞」を取っても、国民平均レベルを引き上げることは簡単には出来ません。
中国のGDPも同様で、直ぐに壊れる鉄道やマンションや橋梁、がら空きのマンションでも何でも作れば、数字上GDPがアップするので日本を数字上追い越すことばかりに目がくらんで数字の嵩上げに必死の状態です。
GDPは各地方政府の中央への報告数字の合計によっているのですが、地方責任者としては、計画未達の報告が出来ないので、水増し報告が一般的になっていることは世界的常識になっています。
民意による反日デモと称しながら、実際は政府・官制デモであるのと同様に、政府も水増し発表したいので地方の水増し報告をそのまま統計に利用しているのです。
「電力消費量が減少していて、あるいはその伸び率以上に何故経済成長していることになるのだ?」という指摘を受けた4〜5年前から、中央政府は電力消費量の統計発表をしなくなっていると言われています。
(ただし、こうした批判が効いたのか、最近では電力消費量が出るようになっていますが、これも本当の数字かどうかはまるで分りません)
昨年からの欧州危機による経済失調では、現場では仕入れ商品・・原料・部品輸入・が前年比何%減になっているのが世界中に知られています(これは誤摩化せません)ので、実際にはマイナス成長になっていることは明らかです。
原材料の仕入れ量が減っていて生産だけが何故前年比8%近い増加になるの?と言う当然の疑問をマスコミは書きません。
8%成長から少し切ることになりそうだという政府発表に世界は大騒ぎしてるのですが、(真実は)実質マイナス成長になっていることを世界中が知っているからです。
諸外国政府や大手マスコミとしては(個人のネット意見とは違い)政府発表を無視(まさか嘘でしょうとは言えない)出来ないので、政府発表による虚偽数字を元に経済見通しや経済評論を書いていますが虚構の議論になっていて世界中に迷惑なことです。
世界中が「裸の王様」の寓話を実践させられているのが現在です。
裸の王様の話は言論の自由がない・・それほど権力が強いことを表していますから、中国人は統計の嘘を知りながら今から世界中の言論を牛耳っていることを証明しているとして一人悦に入ってるのかも知れません。
「バカ」の語源の故事として有名なことですが、秦の趙高が自分の権勢を明らかにするために狩りに出たときに目の前の鹿を馬と言ったので皇帝が「何を言ってるあれは鹿だろうが・・」と言ったところ、居並ぶ臣下の多くが趙高の権勢を虞れて趙高に会わせて皇帝に恥をかかせた(馬と鹿の区別もつかない暗愚の皇帝だ)故事によるものです。
(若い頃に読んだ漢文の知識でうろ覚えですので、鹿を馬と言ったのか馬を鹿と言ったのかどちらか今ははっきりしません)
ちなみに硬骨漢が一人いて、敢えて趙高の意見に反して皇帝と同じように言い張った高官はその後処刑されました。
子供っぽいことで権勢を誇示したいのが中国人の古代からのレベルですが、古代から意識があまり進歩していない・・王朝が変わる都度ゼロからやり直しになって来た歴史については、この後のコラムで書いて行きます。

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