保険制度と乱診乱療(モラルハザード)

介護認定される本人も家族に家計負担かけない方が気楽なので、「そんなことくらいできるよ!と反論しないで周りの説明にうなづいて済ます傾向があります。
施設入所者あるいはデイサービス利用者の介護度ランク上げも同様で介護事業者にとっては、保険適用外サービスで顧客に対する自費負担・費用請求額アップよりは介護保険適用サービスになって自費負担が1〜2割になった方が顧客が気楽にサービスを頼んでくれるので営業的に楽です。
医師や、医薬品業界が、新薬等について保険適用を求める利害団体になるのと同じでしょう。
認定を受ける高齢者もこれが将来自分に対する人権侵害に使われる「万1」の可能性など気にしませんので、問診あるいは調査担当者に対して親族に経済負担をかけない方向へ協力する傾向が高まります。
ただし後見や保佐関係はどちらかとえいえば財産行為に関する法律行為能力の制限から始まった制度ですので、(平成の改正までは、財産を守るための「禁治産、準禁治産制度」の結果禁治産宣告された人の保護のために後見人、準禁治産宣告された人のために保佐人が選任される制度でした)精神障害による強制入院のように直接的拘束に進むような甚大な影響が少ないので同一には見られませんが、最近では子世代による父母の財産権侵害(使い込み)も「虐待」と表現される時代です。
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO09035610R10C10A6WZ8000/?page=2

家族による「経済的虐待」が増加 高齢者の年金・預金搾取
2010/6/14

現在では、資産保護のための禁治産制度でなく、認知症などのために日常生活を自己完結できない人の保護・身上監護が中心の制度になって逆に看護する人による財産使い込みが増えてきたようです。
保険財政負担→国民皆保険制度=国民負担ですので、安易な認定は国民負担を増やすことになりますが、介護認定等の現場に費用負担する国民代表が参加しない仕組みになっていることが、保険財政赤字化(自体は高齢化による面が大きいでしょうが、それだけでなく)の原因の一つにモラルハザードがありそうです。
医療に関しては支払基金や国保連などの事後チェック機関がありますが、中立機関の限界というか実務的に言えば、診療報酬請求書記載自体の矛盾チェックが基本で、診断や手技のミスを争う医療過誤訴訟のようにカルテや検体そのものチェックを原則としていません。
結果的に医師の総合判断を尊重して、その判断を前提にした治療として不要の薬が出ていないか・過剰治療かのチェック程度になっているよう(外野の印象)です。
医師としてまともな能力があれば、一定の治療するにはそれに適合する診断名や治療方法を記載するでしょうから、いわばミスのチェック役程度になります。
これが支払い側の機関・・例えば交通事故の加害者側の保険会社に請求が行く場合には保険会社はコスト削減と利害対立関係があるので、診療報酬明細書まで要求するばかりでなく、その前提のデータも要求することがあるので病名診断の妥当性自体もチェックされる覚悟で診断や治療費が決まって行くので緊張感がありそうです。
これが極端になったのが車の事故修理費関係で、保険会社のアジャスターの査定が先行して、アジャスターがこの凹みや傷は当該事故によるものかどうかの判断をして同意した箇所以上の修理をしても保険会社が払わないので、(もちろん裁判で争えますが、大変な手間コストですので)事実上トラブル防止のために修理業者は保険会社が事前同意した部分しか修理に応じないことになる・水増し修理に対する抑制になっています。
交通事故でも、医療の場合専門性尊重が先行しますが、それでも一定の治療行為が続き症状に変化ない場合、例えば、鞭打ち等で症状安定してから6ヶ月経過する頃には、保険会社側から、症状固定の診断を求める動きが出るのが普通です。
個人が肩や腰が痛いと整形外科に行って、高周波治療とか温湿布してもらうことを2〜3年続けても保険適用が無くなりませんが、利害対立関係になればそうは行かない一例です。
痛みのない健康ライフを送るのためには治る見込みがなくとも、高周波治療や温湿布等で半日程度でも肩や腰の痺れが楽になれば意味のあることですが、(治療でなくとも医療にあたるのかな?)損害賠償責任という限定した場面で考えると、そこから先は治療ではなく後遺症の損害賠償の問題と切り分けることになりそうです。
保険会社の対応が正しいかどうかは別として、中立でなく支払い側に特化した機関とのせめぎあいのある方が、医療の必要性に関する判断がシビアーになる傾向があることは確かでしょう。
また企業健保組合が独自に審査する場合も、チェックが厳しいイメージですので水増し的過剰治療が不正請求が抑制される傾向がありそうです。
精神障碍に戻りますとその原因と治療法がよくわかっていないので、古来から隔離・社会防衛が基本でした。
個々人で言えば、ちょっとあの人おかしいよ!と思えば距離を置くと言うか、(電車内で咳をしている人やブツブツ独り言を言っている人がいると、そっとその場から席を立って移動する)交際を次第に減らしていく方向が今でも同じです。
それを社会全体で強制するのが、隔離病棟であり、島流し・・牢獄の思想でしょう。
障害者の人権・という発想がなくどこ国でも歴史的に隔離最優先で、隔離した上で次第に教育(懲罰や応報刑から教育系の思想)や、治療(矯正教育)可能性を探る発展をしてきたものです。
猛獣はいつ噛み付くか不明という前提で、まず狭い檻に入れて見世物の対象にしてきたのと同じです。
今では動物の快適さを求めてサファリその他一定範囲で自由行動できるような環境設定していますが、基本は人間との隔離から始まりました。
今春中国武漢から始まったコロナ型ウイルス騒動に関連しますが、原因不明→治療法不明の強力伝染性疾患の場合、近づかないこと→患者あるいはその疑いのあるもの周辺地域一帯隔離・避難がベストの抜本的対策です。
ガンの手術でも転移がどこまで広がっているか不明の場合、周辺を大きめに切除する
のも同じでしょう。
武漢経済圏住民約1100万〜湖北省全体・・4千万人前後に及ぶ広範な厳重隔離・・域外入出禁止・・兵士が機関銃を持って閉鎖している思い切った措置の映像は世界を驚かせました。
武漢域内での感染拡大を防ぐために原則として住民を自宅にとどめ、お互いの感染を広げない対策で域内での感染拡大の最小化を図ったもので大規模な思い切った政策断行が結果的に成功しました。

モラルハザード6(権利の2元性2)

2月16日に最高裁判所の判例を紹介しましたが、憲法25条の規定があるからと言って、国民が直接一定の給付を請求する権利があるのではなく、国会で具体的な法を制定して初めて具体的な権利になるに過ぎません。

憲法
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生活保護その他福祉関連の権利は、国会の法制定・・すなわちみんなの意思でどの程度まで援助すべきかのコンセンサスがあってこそ、具体化する権利です。
仮に働けない人でも、何らかの原因・事情でお金が入って巨額のお金を持っている場合に、(例えば子供の死亡で生命保険金が1000万円・損害金が数千万円以上入っても)働けないという理由だけで、別途生活保護費を請求出来るとすれば、そんなことは許されないと思うのが普通の考えでしょう・・・・・。
これが給与や物品を販売した代金などであれば、その権利者が数千万円以上お金・預金を持っていても働いた以上は給与を貰い、あるいは商品を売った以上は売り主がお金持ちでも販売代金を受領する権利があるし、貸したものは返してもらう権利があることに誰も違和感を持たないでしょう。
このように同じく権利とは言っても、持っている意味内容が違います。
しかし各種福祉受給者にとっては一旦支給されるようになったお金は、既得権のように思ってしまう人が多いようです。
その後に働けるようになったり、誰からか貰ったお金はその分上乗せ生活する権利がある・・減らされるなら働いたら損・・と誤解しそうな勢いです。
大震災・津波等の被害に対する寄付金を生活保護費から控除したら大きな批判になったのですが、「働いたら損」「臨時収入は別計算にすべき・」と言う意識が今では普通・・・常識になっているのでしょうか。
失業保険受給期間中や生活保護受給者では「働いたら損」という意識がかなり広まっているのは分りますが、それでも大っぴらに主張出来る性質のものではありませんでした。
今回のマスコミによる騒動は、大っぴらな主張を許す・・権利に昇格させる契機になるのでしょうか?
一旦生活保護に転落すると這い上がる意欲がなくなってしまうと言われていますが、誤った観念・・権利意識を過剰に植え付けるマスコミ報道・人権派のアッピールが盛んだからではないでしょうか?
(誤解のないように再度書きますと、前回・2月16日に書いたように一旦制定されたら違法な不支給に対しては裁判上主張出来る「権利」であることを、ここで否定しているのではなく、権利の性質が違うということです。)

モラルハザード5(権利の2元性1)

こんな風潮がまかり通っていると、その内せっかく働いたお金を差し引かれるのは納得出来ない・ひどい役人だなどと言い出したらきりがない・・ことになりそうです。
今でも「せっかく働いても引かれてしまうのでは損だから・・」と考えている人が多いのですが、(失業保険受給期間中に働いたら損だと言う発想の人も根が同じ発想です)どこか狂っていないかと思うのは私だけでしょうか?
こうした風潮の結果、失業保険受給期間中に就職すれば奨励金のような一時金が支給されるようになっていますし、生活保護からの脱出を応援するために働いたお金全部を差し引かない運用になっているようにも思いますが、妥協策と言うべきでしょうか?
生活保護費支給は、現在では憲法25条によって認められた生存権という権利の具体化ですが、元はと言えば「可哀想そうだから人並みの生活が出来るよう・・」にと言うことから始まっているものです。
いろんな善意による恩恵・・事柄が権利に昇格する傾向の社会ですが、元々の権利・・不可譲の権利と言うと大げさですが、「貸したら返して貰う権利」、「売れば代金を貰う権利」、「働けば賃金をもらう権利」など、古代から当然存在する権利と、社会が豊かになって障害者保護や生活保護、教育を受ける権利など、元は恩恵だったものが今では権利と称されています。
検査の結果障害者が生まれて来ると分っていても、「私には子供産む権利がある・・」「子供は育つ権利がある」という意見であえて出産を強行する人が出て来ています。
特定の難病と分っていながら出産し、その子のために月何百万という治療費がかかっても母親は当然の権利だという顔で、障害者のために頑張って行きたいとテレビに出て如何にも正義実現のために戦っている闘士のような意気込みです。
権利にも太古からの権利と社会の了解・思いやりで成り立っている擬制的権利の2種類があると思いますが如何でしょうか?
擬制的権利は障害を持って生まれてしまえば仕方がない・みんなで見るしかないという思いやりから始まって、肩身の狭い思いや遠慮することのないように権利にしているだけであって、障害をもって生まれるのを知りながら権利だから・・と出産をあえて強行されると「誰が税の負担をするんだよ・・・」という気になるのではないでしょうか?
生活保護も同じで、勝敗は時の運・・長い人生一敗地にまみれることもあるし、運悪く病気して働けないこともある・・こういうときには助け合うしかないというのが、事の起こりであって、元祖・権利ではありません。
権利とは言っても、給付を受ける基準は窓口の役人のさじ加減やその役人の御陰で給付される訳ではなく、社会みんなの温情で給付を受けるようになっている・・国会で定めた法の基準で決まるのだから、役人の基準の解釈誤り・意地悪の結果、法で定めた基準以下の給付しか受けられなかったら法(あるいは憲法の精神に反しているかどうかを)に違反しているかどうかを裁判所に訴えることが出来るという意味で「権利」になっているのです。
リーデイングケースとなった有名な朝日訴訟の最高裁の判決を紹介しておきましょう。
(最大判昭和42.5.24 民集21.5.1043)
「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」とし、国民の権利は法律(生活保護法)によって守られれば良く「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的的な裁量に委されて」いる。

モラルハザード4(生活保護と収入源1)

全国から集まった寄付金の一律的配分の場合も、低所得層ほど損害補填率が高くなり有利になります。
このように考えて行くと、全国からの寄付金は損害度合いに応じて傾斜配分していれば公平だったことになりますが、データ化は容易ではないので一律配分しか出来ません。
そうなると生活保護所帯は失ったものが最も少ない割に良い思いをしていることになるので、現金給付分だけでも生活保護費を差し引く・・一般の論理で運用するのが公平ではないでしょうか。
マスコミが「生活保護費を差し引くのはひどい・・」と騒ぐものだから、事務所に別の件で相談に来る人まで、(その人はどのような根拠で言っているのか不明ですが・・・)「生活保護からまで引くようなとんでもない役人だから・・」という発言をして、脈絡なく役人批判をして行く人がいますが、マスコミの責任は重大です。
マスコミが煽ると一般の人は、そのまま無批判に便乗するのが普通でしょう。
マスコミはどう言う根拠で、(生活保護はどうあるべきか・どう言う社会ステムが良いという前提で)非難しているのか不明です。
もし批判するならば、今後被保護者がもっている現金の出所によっては、いくらお金があっても別途生活費を支給すべきだという基本政策論でも展開しないと論理的ではありません。
現在までの生活保護システムは、どんな理由・原因で手に入れたものであれ、現在お金がある人に対してその限度で保護する必要がないシステムです。
(生活費月15万円必要なときに5万円持っていれば、その不足分10万円だけ保護する原理です)
子供が死んだのと引き換えに入手した最も悲しい慰藉料や生命保険の入金あるいは、親の死亡による生命保険であろうと、お金の入手原因が何であれ、あるいは自分が交通事故で痛い目にあった慰藉料としてもらったお金でさえ、「一定額以上お金があるなら、保護する必要がないでしょう」というのが生活保護システムのコンセンサスです。
子供死亡の慰藉料等として1000万円単位のお金があって、充分な生活をしている人が、「このお金は別だから生活保護してくれ・・」という光景を考えれば明らかですが、一所懸命働いて月二〇数万円しか収入のない人から集めた税金で、こういう人を援助するのはおかしいでしょう。
何らかの違法な所得・・ヤクザが覚せい剤・ミカジメ料・恐喝その他の所得で豪邸に住んでいる場合、違法な金だからカウントしないないと言って、生活保護受けられるのではお笑いです。
所得原因を問わない・・裏返せば貧しくなった原因も問わない・・暴飲暴食やシンナーに溺れていた結果でも、病気や障害で収入が現実にないならば、ともかく保護してくれるシステムが生活保護の精神です。
原因を問わない生活保護原理を、震災の見まい金に限って何故変える必要があるかの根拠も示さないまま、政府批判を煽っているのは無責任です。
ただし、これの訴えを認めた判決・支給額減額措置の取り消し?・・が出ているようですが、まだその判決文を読んでいないので論理構成が分っていません。
私の考えが誤っていると分れば、勿論「改むるに憚ることなし」です。
誤った風潮(私だけの意見かな?)に負けたのか今回の震災では、寄付金からの収入をカウントしない扱いになっているように思いますが、今のところ正確に知りません。

モラルハザード3(寄付金控除)

海外移住が難しい現状を前提にすれば、不適合者に対する社会保障システムが必要ですが、「窮すれば通ずる」能力のある人まで遊んでしまわないようにする切り分けが難しいところです。
「いくら窮しても発明発見をするような能力などないよ・・」という人が多いでしょうが、それほどの大げさな能力がなくともいいのです。
未経験の他業種でも一から出直して働ける年齢・体力のある人なのに「新しい仕事は慣れていないからイヤだ」と言って就職しようとしない人や、従来よりも賃金を安くなるから・・と嫌がって働かない人など「生活保障があるから・・」というモラルハザードが起きないような工夫が必要です。
社会保障制度が充実して来るとその悪用・濫用をする人が増えますので、未経験の仕事や単価の安い仕事・・以前よりきつい仕事をしたくないと言って、遊んでしまわない程度の運用が求められます。
これが数年前から問題になっている生活保護受給申請に対す水際作戦と言われるものではないでしょうか。
水際作戦に対するマスコミの批判が展開されていますが、申請があれば基本的に認めるというのでは財政がもたないばかりか、国民のモラルハザードを助長してしまい健全な勤労意欲が損なわれてしまいます。
ところで、福祉重視の民主党政権になって勢いを得たのか、震災関連でいろんな義援金を入手した人からその分生活保護費を控除する運用に対して、どう言う根拠か知りませんがマスコミの批判が大きく出ていました。
生活保護は生活に窮している人の最低生活の面倒をみんなで見ようと言うことであって、子供が死んでその補償金を入手したものであろうと宝くじが当たって大金を入手した人であろうと、原因を問わず、とも角現預金が一定額以上あれば「お金がある限度で」保護費を払わない仕組みです。
震災関連での寄付金かどうかによって何故区別する必要があるのでしょうか?
一般の人は一生懸命に働いて漸く買い求めた家財が流されて生活が苦しくなっているのですが、生活保護の人は、元々自分の働きで買ったのではなく、生活保護費から支給された資金で買ったりした人が多い上に、壊れたり流されてなくなったとなれば生活に必要な限度でまた購入資金は別途保護費として支給されるのですから、一般人よりも震災による損害が少ない(ほぼゼロ)筈です。
交通事故補償金が入れば、その分生活保護費が減額になるので、銀行振込は困ると言う主張があったりしますが、元々こういう人は損害がないことになります。
根こそぎ流された被害の大きさをマクロで見れば、資産の多かった人ほど被害が大きかったことが明らかです。
新築住宅を引き渡されたその日に流された人もいますが、引き渡し前のアパート住まいのままで流された場合よりも、資産を取得した後の被害の大きさ・・・ショックの大きさは桁違いであったことは明らかです。
このように震災被害(精神面も含めて)の大きさは、保有資産の大小にほぼ比例すると言えるでしょう。
精神的辛さ・・体育館での生活や仮住まいの身体的辛さに関しても、もともと最低生活をしていた人に比べて、一戸建てで安定した生活をしていた普通以上の生活をしていた人の方が馴れない分(・・生活水準の急落度合いが大きい分)きつく感じるのが当然ですから、この方面の被害程度も従来の生活水準にほぼ比例します。
生活保護世帯の場合、経済に限れば損害はほぼゼロで・・「大変な思いをした」精神面でも、もともと豊かな生活をしていた人に比べて、生活水準の落ち込方が少なくて済んでいます。
大震災・津波で役場が流れても生活保護費の支給がなくなる訳でもないので、勤務先の被災によって失業して収入の途絶えた人よりも有利な関係です。

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