共謀罪と犯意1

共謀相手への連絡・意思表示も、その人の過去の意思表示に関する記録媒体(ツイッターやブログ、メール等)が発達していますので、客観証拠のある限度で検挙出来るようにするのが合理的です。
(冗談めかしていても冗談らしい意見を繰り返す中での表現の微妙な変化や相手の反応変化など、単なる冗談から、徐々に犯意が形成されて行き、どの時点で犯意にまで高まったかの区別もつき易くなります)
「犯意」と言えば、学生時代に刑法講義で読んだことがありますが、実行の着手に関して「犯意の飛躍的表動が必要」と言う箇所を思い出します。
(今では重要性があまりなくなっていると思いますが、当時の刑法学では主観説系と客観説系の(新旧両派の)対立が大きなテーマで、主観説系の意見だったと思います)
共謀罪がない場合は、構成要件該当行為の実行に着手したか否かが犯罪成立の必須要件でしたから、実行行為がいつ始まったかの定義が、一定の行為をしたことを前提としながらも未遂処罰との関係で重要でした。
そこでどの段階で実行に着手したことになるのかについていろんな定義があって、私の学んだ先生は主観派刑法でしたので、「犯意の飛躍的表動があったとき」と言う定義を学生に説いていたのです。
その後、戦後の風潮もあって、客観派刑法学が支配的になっていて、未遂に終わるまでの間に行なった実行行為の行為態様そのもので、判断すると言う風潮になって行ったように思われます。
実際に「犯意の飛躍的表動があったとき」と言っても、客観証拠との関係でいえば、何らかの客観行為態様と比較しないと認定出来ないと思われます。
(判決書きには往々にして「ココにおいて・・殺害するのもやむなしと決意し・・・・」定型的書き方が多いのは、・・犯意形成時認定の必要性がある前提です・・。
共謀罪法成立後は、従来の実行行為定義の一部・内包されている(行為には意味が必要とする意味での)「犯意」ではなく、その前段階の「犯意」概念が独立して重要性を持って来るでしょう。
一定の行為があってからの判定では、実際に行なわれた行為態様が認定されるので、そこから後追い的に判断出来ること・・客観説や実質的行為説が可能でしたし、合理的でした。
共謀罪が独立の犯罪となって共謀罪だけで独立して立件するには、共謀と言う実行行為が予定されますが、従来型の殺人や傷害のように分りよい実行行為がないところで、犯意認定するしかないことになります。
例えば放火や殺人あるいは窃盗であれば、ココまでやれば◯◯罪の実行に着手したことになるという類型化が積み重ねられています。
ある行為が構成要件該当行為か否かの基準については、定型説(私はその学説が良いと思ってこれによって刑法を理解して受験しました)などがありますが、共謀罪になると事件類型ごとの共謀形態と言う概念構成をして出来ないことはないかも知れませんが、かなり無理があるように思えます。
しかし、共謀罪の実行行為とは共謀行為をすることですが、放火の共謀と殺人や強盗の共謀とを外形的に類型化出来るような違いがあるかをココで問題にしています。
あるとすれば、犯罪類型ごとの共謀類型と言うよりは、全てあるいは一定のグループ的犯罪ごとに共通する共謀類型が研究されているかも知れません。
いつも書くように私はこのブログは暇つぶしに書いているだけですので、専門学者の間では、共謀罪を作った場合、構成要件該当行為をどう決めて行くかの議論や研究が進んでいるかを知らずに想像で書いているだけです。
定型説に限らず、客観派刑法学では何となく構成要件該当行為をどのように判断するべきかを予め机上の議論で客観的に決めて行くのは無理が出て来そうです。
(永久に客観化出来ないと言う意味ではなく、判例・事例集積による事後的な基準造りしかないのではないかと言う意味です)
戦争が国家間で決まった定型行為から始まっていたのが、今では漁船の大挙領海侵犯に始まり、サイバーテロや各種テロを見ても分るように非定型化こそが、現在の特徴です。

共謀罪とテクノロジーの発達1

共謀共同正犯の共謀と共謀罪の共謀認定は後追いか否かで違いがあると11月2日「共謀概念の蓄積1」で書きましたが、殺人や強盗等の事件が起きて、犯人グループが検挙されてから、自白等で後追い的にいつから共謀があったと言う認定は共謀罪の存在しない今でも行なわれています。
ですから、10把一からげ的統計処理でみれば、共謀罪法成立直後から結構な数の共謀認定された判決があることになります。
こう言う種類の共謀罪事件がいくら統計上増えても、統計の書き方の問題に過ぎませんから、共謀罪法が出来たからと言って実際に新しい法律効果で検挙が増えたことにはなりません。
共謀罪制定による刑事政策的効果を見るには、殺人や強盗行為の準備や殺人等の実行行為をしない段階・・・共謀のみで検挙されている事件数と実際に殺人事件等が行なわれて検挙された事件との比率が重要です。
殺人予備罪検挙が滅多にあり得ないように共謀罪法が出来ても、共謀のみで検挙出来る事例・・運良く証拠を集められてしかも実行前に検挙が間に合う事例は1万に1個もないかも知れません。
このように法さえ出来ればドシドシ簡単に検挙される・・あるいは市民がドシドシ検挙されるような危険が起きそうもないのですが、折角万に1でも証拠で共謀の事実を証明出来てしかも検挙が間に合う事件があった場合、それでも殺人や爆破行為をするまで待っていなければならないのでは困りませんか?
万に1個しかないような証拠のそろった事件があったならば、その段階で検挙または行動抑制する制度にすることが何故悪い・・人権侵害になるのでしょうか?
殺人予備罪などもその種の犯罪類型ですが、もしも証拠があった場合に検挙出来るように法を念のために作ってあるだけでこれまで実際に検挙された事例は滅多にありませんス人権侵害になったことがありません。
だからと言ってもしものために法を用意しておく必要がないのではなく、用意しておいた方が良いと言うことでしょう・・。
(津波や停電用に予備機をおいたりする機械設備等と違い、法を作っておくこと自体で毎年維持経費がかかる訳ではありません。)
共謀段階でも処罰すべきか否か・・どこまで行けば犯罪として許さないかは、政治が決めることであって、専門家の出番は、どの程度の証拠があれば客観証拠があると認定出来るかの議論・・ココにこそ日弁連が主張する場があるのではないでしょうか?
近代刑法成立の頃には、前時代の絶対君主制下の(秘密警察等による)不当逮捕・・人権侵害に懲りていたことから客観証拠のない検挙禁止ルールが生まれて、これが外見に出る本来の実行行為(殺人行為等)がない限り、内心の思想で処罰しないと言う原理に発展したに過ぎません。
最新テクノロジーによって、防犯カメラや出入記録やGPSその他客観データによって人の動きが克明に分る時代が来ています。
特に機密情報アクセスにはパスワード使用や静脈認証等のアクセス記録が精密に行なわれ、秒単位でどんなアクセスをしたか残されている時代です。
冬に外套を着ていたのが正しいとしても、春夏が来れば薄着になれば良いのと同じで、時代の変化・・テクノロジー発達による証拠資料の変化に合わせて思想も変わるべきです。
10月13日の日経新聞夕刊1面には、一定の雨が降れば土砂災害の30分前ころに土砂災害の予測可能と大きく書いていました。
介護ロボットでは足を持ち上げたいと思えばその神経作用が伝わって、ロボットが足を動かす補助作業をすることが出来る時代が来ています。
数十年もすれば、人間の行動予測もある程度客観化出来る時代が来るかも知れません。
まして外部に意思表示する共謀は、今後10数年もすれば、すぐにキャッチ出来る時代が来る可能性があります。
(ただし、犯行計画者も最新技術に適応してくぐり抜ける智恵を使うでしょうから、そこはイタチごっこで、15日に書いたように共謀罪のみでの事前検挙は大多数の場合無理があると思われます。)

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