ツイッター炎上とマスコミの一方性

スラップ論を離れてネット炎上に戻ります。
宮崎弘氏、高橋洋一氏その他いろんな論客のツイッターでも自由な書き込みが出来ますが、炎上し難いのは客観的情報紹介や論理的意見が多いからではないでしょうか?
炎上するツイッターの特徴は、客観性のない飛躍のある感情表現するから感情的反論を呼び込み易いのではないかと思われます。
炎上=感情的反論を批判するよりは自分が根拠のない感情表現をしていないか・・感情表現を自粛することが先決です。
24日に紹介したミノモンタ氏の20日付きのツイッターの引用文を再引用します。
「今回の震災もね、熊本だけじゃなくて九州全体だから。支援のやり方も甘い。自衛隊きちんとして欲しいね。あと、過去の震災、阪神淡路、もっと遡れば関東大震災の教訓活かせてないでしょ?…」
と何の根拠もなく、一方的断定になっています。
1昨日のmsnには
「人生初SNSに、「僕は言葉で言うのは得意だけど、文字で言うのは…ね」と懲りた様子で、「ツイッター、僕やめた方がいいのかな」とポロリ。進行役のテレビ朝日・下平さやかアナウンサーから「ツイッターやめたくなっちゃいました?」と聞かれると、「やめたくなりましたよ」とため息をついていた。」
とありますが、正に「マスコミの威を借りて」根拠なき断定口調でやって来たことがマスコミの後ろ盾がない外の世界で通用しない現実を自覚したように見えます。
マスコミは長年一方的な洪水報道方式でしたから、根拠ない一方的結論を正しいかのように垂れ流していれば多くの国民は何となくそれを事実のように受け取る傾向(コマーシャルに大金をかけるのはこれを前提にしています)があります。
脈絡がなくとも結論さえ繰り返せばいつの間にかそれが常識のように受け止めるので、政治意見操作は宣伝次第だとナチスヒットラーの信任の厚かったゲッペルス宣伝相の意見だったと記憶しています。
以来,ナチス敗北後もアメリカもソ連(いわゆる洗脳政策)も世界中がマスコミ次第で国民・・世界の意見はどうにでもなると言うマスコミ支配の時代→マスコミの発言力肯定思想が続きました。
アメリカは、でっち上げた歴史でも宣伝を繰り返せば(同じく韓国は噓でも長年主張していれば、強制された慰安婦が実在したことになると言う思い込みで)何とでもなると思っていたのでしょうが、戦後70年経過でさすがにメッキがはがれ始めています。
長い歴史を持つ日本では、噓や不正はいつかバレるので正直に生きるのが結果的に損がないと庶民に至るまでみんな知っています。
マスコミの一方的垂れ流しが、ウエブサイト発達で双方向性になって来ると一方的断定口調では国民の多くが納得しません。
モノゴトにはある結果に利害関係者が必ずいるのですから、マスコミが根拠なく一方の立場だけ(ミノモンタ氏で言えば「自衛隊非難さえすれば良い」と言う立場?)で決めつけて断定すること自体に不満が起きるのは当然です。
従来のマスコミは自分の意見立場だけが正義であるかのように、何かあると断定的に非難報道を垂れ流す・・特定政治家攻撃しては失脚させる威力を誇って来たのですが、最近メッキがはげ落ち始めています。
世界1強のアメリカが世界のメディア支配によってアメリカの正義を一方的に宣伝していたのが通用しなくなったのと軌を1にしています。
マスコミは「社会の木鐸たれ」と言う標語の元に本当に頑張っていた時期もあったのでしょう?が、上記ゲッペルスの主張によって世界中で権力者によるマスコミ利用が一般化して来て、(日本の場合、戦後はメリカの威を借りて)マスコミが世論を誘導誘導して来ましたが、その行き過ぎが批判されるようになってきました。
自己主張にあった事実だけ取り上げて反対事実を公平に報道しない偏頗性を通り越して、「ないこと」までやらせ報道するようになったのは、末期症状と言うべきでしょう。
何回も紹介している珊瑚礁のでっち上げ報道が典型ですが、マスコミが事実報道の職務を通り過ぎて自己の意見を広めたい・・政治的主張を実現するために虚構報道するようになって久しくなりました。
その線上にいわゆる角度付けが過ぎる・・NHKの台湾統治報道事件や朝日新聞を代表例とする全新聞社・マスコミによる洪水的慰安婦報道事件が起きている(朝日に関しては、朝日新聞検証委員会?だったかの報告書の引用で紹介しました)のです。

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