対支21か条2(中国の反日運動激化)「コラム再開」

※8月29日から昨日までは約1ヶ月間コラムアップできなかったので、今日からアップできるようになりましたが、書く気力がなかなか復活しない・・8月30日以降昨日までの分は、時節の話題に関係なく半年〜数年前からの原稿先送り分そのままの掲載になっていますが、今日からのコラム同じく過去原稿のアップですが、掲載時現在で少し見直して手入れした内容復活です。
こうしてみると「高齢者が入院すると退院後歩いて良い」と言われても歩けなくなる状態がよくわかります。
時事問題をすぐに書く気力が復活しないのでまだ過去の先送り原稿の手直し程度ですが、今後おいおい、書く気力が復活していくと思います。

昨日引用の続きです。

日本の要求書を受けとった袁世凱は、即答を避け、ポール・ラインシュ米公使やヒンツェ独公使らと緊密な連絡をとり、相計って国内世論を沸騰させ、外国に対しては、日本の要求を誇大に吹聴して列国の対日反感を挑発した。
在中ドイツ系機関紙である北京ガゼットや独華日報は山東問題に関する袁世凱との直接交渉を攻撃しはじめ、20余紙はドイツの新任公使ヒンツェに買収されたなどと言われた[13]。排日派や宣教師らは日本軍の暴行を喧伝し日本軍の撤兵を要求した[14]とされる。
アメリカは第1号第2号第3号については抗議する意図なく、あるいは敢て反対しない態度を日本政府に提示したが[15]、第4号第5号に関しては明確に反対であり、とりわけウィルソンの関心は第5号に集中していた[16]。
大隈内閣は3月15日に日本側に提示されたこの対日覚書の意図を正しく理解することができず、第5号に関して米国は「左シテ重キを措カサルモノ」と判断し安易に対華強硬策に転じたことは、4月中旬以降のアメリカの極東政策に影響をあたえることになった

列強支持のもと21ケ条要求貫徹・成功・・これを不服とする中国人民の抵抗・条約の無効化による不服従抗争→宣戦布告なき戦争の泥沼に入って行った原因です。
野党系政治家の弱点・民意把握より観念論で押し通す習癖→唯我独尊傾向を繰り返し書いてきましたが、大隈内閣に対する戦後メデイアの偏った高評価が多いのですが、日本の命運を間違った方向へ導いた元凶であったことが上記引用でわかります。
(明治憲法制定前からの大隈重信の行動は今の革新系野党同様の現実無視の主張が多かったように・記憶だけですが・・)
大隈重信のアメリカ訪問時に大統領との会談記録に「こんな激しい主張をする人は見たことがない」(要は「話しにならない人物」という評価)と記録されている記事を引用紹介したことがありますが、なんのコラムで引用したか忘れましたので、以下の通り再引用します。もともと自由民権運動政治家で、今で言えば鳩山〜菅内閣で知られる民主党政権の先祖のような性格です。
要は政治能力がないのです。
第一次大隈内閣に関する本日現在のウイキペデイアの記事からです。

またアメリカのハワイ併合に対して、「これほど激烈で宣戦布告か最後通牒に等しいような外交文書は見たことがない」とマッキンリー大統領に言わしめるような強硬姿勢を示して外交危機を招いた。そして組閣後4ヶ月余りで総辞職を余儀なくされた。

対し21か条要求は、日本の協力を必要として指定た連合国の承諾で国際政治力学上で日本の主張が通ったとはいえ、要は日本が中国で火事場泥棒的に「やりすぎた」点について、政治家としての反省が足りなかったのです。
強い国や強いものからの不当な要求を跳ね返すために、訴訟や国際政治力学を利用するのは良いことですが、不当な要求を通すために国内であろうと国際であろうと政治力学.権力を利用して弱者をいじめると、時間の経過でその無理が跳ね返ってくるのは政治の常識です。
さらに話題が変わりますが、先の大戦ではたまたまドイツと同盟しましたが、日本を世界孤立に追い込んだ元凶は実はドイツの反日宣伝に始まるものでした。
日本が世界の思想変化(植民地支配に対する批判精神浸透)について行けなかったのが原因ですから、今更ドイツを恨むのは大人気ないですが・・事実は事実です。
7年ほど前の中国の反日暴動後日本に代わって着々と進出しているのがワーゲンを代表とするドイツ企業であったことからわかるように(慰安婦騒動でドイツを見習え論が韓国等で強いですが、)、もしかして?今も中国や韓国の反日運動にはその背後にドイツの陰・・「日本排撃しても高度部品の供給は引き受けるから」と言う後ろ盾示唆がある可能性があります。
21か条要求と現実支配が始まると中国人民を巻きこんだ不服従運動が高まるに連れて、現実に合わせて英米は日本離れを加速していきます。
日本はあくまで戦後講和会議を乗り切った以上譲る必要がないという立場で、強制→不服従行動の激化→弾圧強化→治安維持のための満州の切り離し(要は野党系の好きな観念論強行です)→欧米人権思想家の反発・運動→国内世論に影響を受ける米英政府の上申の徐々に変更・反日方向への転換へとなって行きます。
日清戦争後の三国干渉を範にとると法理上横車であれ、それを受け入れるしかないのが国際政治の現実でしたし、第一次世界大戦時の対支21か条要求は、国際的に日本は多くの支持を受けて決まったこととしても、敗戦国ドイツは中国在住メデイアを通じて(日本に奪われた権益回復のため?)反日感情を煽っていて、現地反日運動が激化してきた以上は妥協をするしかないのも政治の現実です。
日本はこの辺で世界情勢を読んだ上での謙抑的行動が必要だったのですが、これができなかったのは右翼メデイアや学者が世界情勢を読むことが(素人・半可通のメデイアが政治を左右する悪弊)できなかったことが第一の原因でしょう。
日露戦争時に半可通の知識人が、妥協を拒み国民を煽って日比谷焼き討ち騒動になったように、今朝の日経新聞を見ると安倍総理がプーチンの無条件平和条約締結先行提案にその場で明白に拒否すべきだった」という立憲民主の主張を引用し、数日前の日米首脳会談の日米円満合意を批判して日本が多国間協調主義に反して2国間協議に応じたのは許せないという観念論を宣伝?しています。
旧社会党の国会戦術・通りそうもない強硬意見を言い張りで妥協しない結果、最後は何の主張も通らない強行採決誘引しては、国民大多数の批判無視と声高に主張する・・「執行部は筋を通した」と虚勢を張ることの繰り返しでした。
彼らは国民や労組のためではなく、(自分はやるだけやったという)保身のためにのみ行動している勢力ではないでしょうか?
大隈内閣は、隈板内閣と言われたようにいまの立憲民主党のようないわゆる野党系の観念論の集団でしたがこれに似ています。
今回の日米会談で多国間協議以外受け入れないと頑張って決裂して帰る選択肢はあったでしょうか?
何かを受け入れない限り交渉は成立しないのですから、自動車の輸出数量制限を受け入れない代わりに何かの輸入を受け入れるしかないのが現実です。
何しろアメリカが、一方的に関税をかけた場合、日本は打つ手がないのが現実です。
国際ルール違反だと騒いでも、どうなる訳ではありません。
日本が報復関税をかけて相互貿易が滞れば日本にとってもっと大きな被害になります。
だから中国だって焦っているのです。
カナダもメキシコも「約束違反」といっても仕方ないので、結局なNAFTAの再協定に合意しているのです。
日本のメデイアや野党は、なんらの対案もなしに批判だけする・・安倍総理が円満解決したのが減点かのように騒ぐのは、日露講和条約時以来の無責任な煽り体質に終始している印象です。
元に戻しますと、日本の大陸進出政策への邁進に対する米国の警戒は日比谷焼き打ち事件の頃から、すなわち満州事変の約25年も前から始まっていたのであり、これが21カ条要求事件後、日本がアメリカの修正要求に応じないところから顕在化し、日本は逆に強硬論の拡大一方・・満州事変〜北支事変〜上海事変へと広がっていき、その都度欧米の反日姿勢が強まっていきます。
日米開戦はその延長上の結果でした。
野党系観念論者が政権を取るとこういう結果になる歴史です。

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