植村記者問題に戻ります。
挺身隊問題は1月17日に書いたので、今回はキーセン経歴の不記載問題です。
キーセン学校生であった事実を伏せた点について、
この点「さほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく」書かなかったと植村記者は言い「見解」も肯定するかのような記載です。
(正当化まではしていませんが・・)
以下のとおり、キーセンと言えば日本でも(依頼者がしょっ中キーセン旅行の話をしていたので全く遊ばない私でも知っていましたから・・)キーセン旅行はかなり流行していて韓国で(慰安婦取材→風俗系・売春関連の)取材活動していた彼が、キーセン学校と売春婦との重大な関連を知らなかったことはあり得ないと思われます。
(知り尽くしているからこそ記事にしなかったのではないか→でっち上げの疑いが問題にされているのです)
以下ウイキペデイアからの引用です。
キーセン制度は古くからありますが、植村記者の書いた1991年ころの状況は以下のとおりです。
大韓民国の妓生・キーセン[編集]
韓国軍慰安婦[編集]
「韓国軍慰安婦」および「在韓米軍慰安婦問題」を参照
大韓民国の成立後に朝鮮戦争が勃発し、戦火で焼き尽くされた国土の復興には莫大な費用が必要になった。朴正煕大統領は、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約で獲得した資金を元に復興を進め、在韓米軍を新たな復興への資金源として見出した。当時、駐留米軍に対する風俗店は、朝鮮語でヤクザと呼ばれる非合法の犯罪組織が関与しており、莫大な金額が地下に流出していた。これを一斉に摘発し、新たな国営の娼館制度を代わりに据え、外貨獲得を行った。これが便宜的に国営妓生と呼ばれる制度であり、更なる外貨獲得を目指して、一時はベトナム戦争時など海外にも派遣された。
「キーセン観光」[編集]
日本が復興し、海外旅行が再開されると、日本からの観光客に対しても、国営妓生が使われた。1990年代まで、キーセン旅行と呼ばれるほど韓国旅行が風俗旅行と同等の意味を持っていたのはこのためである。 交通公社や近畿日本ツーリストの旅行では、羽田発二泊三日で35,000円位、「妓生」と見合いの後、夕食が終わるとホテルに「妓生」が来た。夜の街に出たり、部屋で駄弁ったりして、翌朝まで一緒にいて、30,000円を要求された。
夜の町に一人で出ると、屈強な男性(人は警察官という)が尾行してきた。おかげで、安心して横町の屋台などで、ソウルの夜が楽しめた。生きたまま刻んだタコを食べたり、直ぐにできるオーダーメイドのシャツを買ったりして、ホテルに戻ってベッドに入るとボーイがドアをノックして来た。「お一人ですか?お寂しくないですか?」ドアーの上の回転窓には、当時日本ではやったジーンズのジャンパーなど羽織った2人位の女性がボーイの後ろで、壁に体を寄せて控えている。
深夜2時過ぎまで、何度もボーイのノックがあった。ボーイにも歩合が入るようであった。業者は、「妓生」とは言わず、「姫様」と呼んでいた。」
強制連行があったかどうかが厳しく争われている最中の日本で、名乗り出た女性が、キーセン(日本で言えば売春婦?)であったか否かは、決定的重要性を持っていたことは明らかです。
素人でもキーセン旅行を知らない人がいないほどキーセンの存在が有名だった当時の日本で、慰安婦専門取材記者として?わざわざ呼び寄せられた(韓国に何回も行っているはずの)植村記者が、韓国売春業界の実態を知らない・・関連性を知らない筈がないと理解するのが普通です。
気にしなかったと言う単純な説明のままでは、信用する人は少ないのではないでしょうか?
そこから不自然過ぎる・・キーセンの経歴を記事にすると強制連行された慰安婦ではなくなってしまうので、記事から故意に割愛したと推測されているのでしょう。
慰安婦強制の有無が大問題になっている最中に、強制を連想させる方向では書かなくても良い「挺身隊」と書いたり、「連行」と書き過ぎているのに慰安婦強制の有無に不利な事情になるとうっかり書かなかったことになるのでは、1方向に偏り過ぎているので、故意的方向付け=でっち上げと評価・批判されている原因ではないでしょうか。