米国占領政策2→乱闘国会

イラク侵攻の際にありもしない大量殺戮兵器を主張して正当性強調したのと同じレトリックで米国政府は対日戦争正当性を訴えるため奴隷状態にある朝鮮民族の解放戦争という宣伝を行ってきたのです。
西欧の植民地との比較では格段の厚遇でしたし、朝鮮神自身が自発的に対米戦に参加していたのです。
例えば以下の通りです。
https://cocolo-journal.com/archives/14333#toc4

朝鮮半島では、大日本帝国陸軍が清国軍を打ち破ったときの「軍旗」が旭日旗だったため、
中国から朝鮮独立を認めさせた“象徴旗”として称えられていました。
『アサヒグラフ』1938年10月19日号の朝鮮人特別志願兵の特集ページでは、
旭日旗を掲げて行進する4300名の「朝鮮聯合青年団」の写真が掲載されています。
当時、朝鮮人にとって50倍前後の倍率の志願兵に選抜されることは、大変な名誉でした。
志願兵に採用されなかった全朝鮮の若者15万人は「朝鮮聯合青年団」を組織しました。

こんな欧米植民地があったでしょうか?
このような偏った刷り込みを前提に朝鮮半島に上陸し、占領政策を遂行するにあたっては必然的に日本統治実績をけなし、良い面を米軍支配の実績にすり替えるしかなかったでしょう。
これが戦後朝鮮人の反日意識形成→反日運動の源流です。
慰安婦問題の具体的証言では、ジープに乗せられ、ドラム缶がどうのなど米軍支配下の出来事だったことが明白になっていますが、それでもこれが日本軍の悪事として世界に流布されてきました。
米軍に対する不満であれ、自国政府に対する不満であれ、韓国国民は反日を唱えれば全て許されるように思い込んで70年以上経過したことになります。
ところで26日にヤルタ会談の一部を紹介したように米国や連合軍軍自体、日本軍・日本政府要員撤退後、朝鮮民族による自主政府樹立までの手助け・・いわゆる自立にまだ無理のある民族としての国際評価を前提に米国が太平洋諸島の信託統治領同様に保護者になる・・国連概念の信託統治としての関与予定でした。
一人前になるまでの短期占領政治の予定が、朝鮮戦争勃発→休戦状態で固定されてしまったので国連軍としての米軍駐留が今に至るまで続いている結果、長期的に米国宣伝(日本統治配が如何にひどかったかの刷り込み教育)の直接的影響下におかれました。
74年といえば2世代以上に渡って日本人がいかに人道上ひどいことを朝鮮人に対して行ってきたか、道徳のない民族であるかの虚偽教育を生まれたときから受け続けてきたのですから、おそるべき隣国が誕生していることになります。
昭和60年大頃まであっ本当のことを知っている世代がいたので、学校教育や目でアイデアが煽っても親世代は冷めたところがありましたが、平成に入ると、日本統治を経験した世代がいなくなり、学校教育やメデイアの流し続ける反日宣伝を盲目的に受け入れる・・日本を憎む世代ばかりになってきたようです。
これが慰安婦その他何でもでっち上げては「そのくらいの仕返しをしないと気がすまない」という気分になってきた素地ではないでしょうか?
朝鮮半島の南半分・大韓民国は建国以来米国の唱える大戦の大義?に縛られて日本支配の道義否定を国是のようにして始まった結果、占領政治では日本支配時代との違いを鮮明にするためにもっと目に見える改革・成果が必要となりました。
日本の統治方法はいきなりの制度変更ではなく、教育制度の一般化によってヤンパンの特別権力維持の源泉・・ヤンパンの文化独占を打破してヤンパンの文化的優位性を崩していったのですが、米国はもともとこういうじっくりした政治は苦手である上に、対日戦争の名分として日本の朝鮮統治を批判して来た手前、早期に目に見える成果が必要でした。
そこで(今の投資ファンド同様に短期成果を求める傾向がもともとある上に)日本を戦争に引きずり込んだ戦争の正しさを証明するためにもドラスチックな改革の必要性があり、地道な時間のかかる自発的発展を待ってられなくなり、結果的に強権的改革が多くなった・韓国国会では何か法案を通すためには、日常的に乱闘→強行採決になっていった原因の一つと思われます。
https://www.sankei.com/politics/news/150629/plt1506290039-n1.html

世界を震撼させてきた韓国・武闘派国会。ただここ数年は、暴力沙汰はほとんど沈静化している。
実は「国会先進化法」と呼ばれる法律が2012年5月に成立している。時期的には、先に紹介した「催涙弾事件」の後ということになる。
法律では「与野党間で意見の食い違いがある法案を本会議に上程する場合、在籍議員の5分の3以上が賛成しなければならない」と規定されている。乱闘につながりがちな対決法案の緊急上程、強行採決を防ぐ措置なのだろう。
ただ、暴力こそは影を潜めたものの、あまりに高いハードルであるため、今度は肝心の法案処理がままならなくなった。2014年の7月国会で法案処理にいたった案件はゼロ。続く9月国会で90本余りの法案を一気に成立させるという荒業を繰り出さざるを得なかった。

上記のように乱闘国会が常態化していたので今度5分の3の特別多数制度にするしかなかったので、そうしてみるとどんな法案も通らなくなったというのですから、ほぼ漫画状態です。
工場のように先進設備を導入すれば、ちょっと機械操作を練習すればすぐに製品になって出てくるのとは違って、社会制度というのは制度・器だけは真似できても運営は人民の能力次第です。
国会も労組も同じ人民の能力にかかるものですから、乱闘国会同様に韓国では労働運動の激しさも有名ですが、韓国社会は何事も妥協して決めていく経験がないまま現在に至っている状態です。
民主社会では労組のあり方も重要な要素です。
韓国労働運動については報道を通じたイメージしか知らなかったのですが、ネットでは以下の論説が出ていますのでこれを明日以降一部引用して行きます。
以下紹介する韓国の激しすぎる労働争議関連の論考には米占領軍は占領当初政策方針として「1945年10月30日に軍政法令第19号の国家緊急事態宣言の中で『過去40年間存続してきた絶対的奴隷状態から労働者を救出しなければならない』と強調し」

たと紹介されています。

カイロ宣言と米国朝鮮政策1(日本道義否定)

朝鮮半島の北半分がソ連圏に入ったので北の朝鮮人は、古代価値観を基本にして生きているソ連・ロシア民族支配をすんなり受け入れて安心したでしょうが、日々食うのに忙しい・・人口の90%以上を占める庶民にとって政治意見を言えないことや表現の自由の制限など日常何の不自由も感じないことを24〜25日に書いてきました。
表現の自由にこだわる芸術家でも普通の芸術活動である限り・同時代の緊迫した時代精神気分を表しているなどの評価を後世に受けるとしても、その程度のことで表現が規制されるとは考えにくく、99、99%の芸術家は政治などに関係なく、創作活動を自由にできてきたと思われます。
明治以降の漱石、島崎藤村の詩集などの文壇、日本画に表現の自由による制約を見る人は少ないでしょう。
江戸時代に世界に冠たる文化発達繚乱したのは、西洋近代の権力分立・人権思想の有無と関係なかったのです。
そもそも芸術家自体人口の1%もいないでしょう。
アメリカ占領下に入った南半分(現韓国)は、微温的な日本統治という緩衝装置がなくなり欧米価値観ストレートな政治文化の浸透に見舞われたことになります。
米国の中南米、南ベトナムその他各地支配・指導は、現地民族ごとの微妙な気持ちの汲み取り能力に欠けた・いわゆる投票箱民主主義・あんちょこな民主主義の押し付けが国情に合わない結果、多くの国で失敗の連続でした。
米国の対日戦争の大義として朝鮮民族の日本隷属からの解放を宣伝してきた米国としては、朝鮮占領政策では日本が進めていた以上の急速な近代化を目ざす必要に迫られていたことは、推測に難くありません。
朝鮮族の対日不満の源泉は旧特権階層の権益剥奪と教育の機会均等・四民平等・を徹底すれば国民大多数のストレス社会化が進みます。
自由競争社会化すればするほど、底辺層の方が富士の裾野のように最大多数になるのが原理です。
日本の場合文明開化によって新たな職域が量産され、失業した武士の多くを吸収しましたし、産業構造変化までひと世代程度の期間余裕があったので、紡績〜繊維から家電組み立てなどの構造変化も1世代以上の時間軸があり次世代がうまく適応できてきました。
新興国の場合工場設備丸ごと導入パターンですから、最新技術導入があんちょこな分に比例して産業構造・主役が変わって行く構造変化が5〜6年サイクルでくるので、日本に追いつくスピードは自慢でしょうが、それに比例してどんどん振り落とされ置いていかれる人が増えてストレス過多社会になって行きます。
ルーズベルト政権は対日開戦の大義名分として日本の朝鮮人民に対する過酷な植民地支配〜中国での南京虐殺などを国内外で大宣伝してきました。
対日開戦を奴隷状態にある悲惨な朝鮮人民解放戦と位置付けてきたのです。
フセインが大量破壊兵器を隠していると称してイラク侵攻を正当化したのと同じ手口です。
競争社会に対する不満を吸収する方向で米軍支配による「日本支配がひどかった」という反日宣伝が不満に火をつける形で、ガス抜きしていく効果を発揮していたと思われます。
アメリカの対日プロパガンダの公式記録がカイロ宣言に出ています。
1943年に出された連合国のカイロ宣言の一部・対朝鮮関連部分のみ紹介します。
カイロ宣言に関するウイキペデイアの記事からです。

対日方針を協議するため1943年(昭和18年)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。
以下はカイロ宣言の日本語訳[1]。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ。
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

価値観外交に頼る危険性4(カイロ宣言からヤルタ協定1)

ロシアが、北方領土占領継続の名分としてヤルタ会談〜ポツダム宣言でソ連が貰うことになっているという主張を最近していますが、この主張は合理的基準ではなく、強い方が集まって山分けを決めたんだから正統性があると言うのでは、山賊の山分け合意と変わりません。
25日にポツダム宣言を紹介したので、ロシアの言い分を見るために一連の流れを紹介しておきます。
カイロ宣言(on Wednesday, December 1, 1943.)
STEPHEN EARLY
Secretary to the President

President Roosevelt, Generalissimo Chiang Kai-shek and Prime Minister Churchill, together with their respective military and diplomatic advisers, have completed a conference in North Africa.

「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」

ヤルタ協定
[年月日] 1945年2月11日
[出典] 日本外交主要文書・年表(1),56‐57頁.条約集第24集第4巻.
[備考] 外務省仮訳
[全文]
三大国即チ「ソヴィエト」聯邦,「アメリカ」合衆国及英国ノ指導者ハ「ドイツ」国ガ降伏シ且「ヨーロッパ」ニ於ケル戦争ガ終結シタル後二月又ハ三月ヲ経テ「ソヴィエト」聯邦ガ左ノ条件ニ依リ聯合国ニ与シテ日本国ニ対スル戦争ニ参加スベキコトヲ協定セリ
一 外蒙古(蒙古人民共和国)ノ現状ハ維持セラルベシ
二 千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルベシ
(甲)樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」聯邦ニ返還セラルベシ
(乙)大連商港ニ於ケル「ソヴィエト」聯邦ノ優先的利益ハ之ヲ擁護シ該港ハ国際化セラルベク又「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦ノ海軍基地トシテノ旅順口ノ租借権ハ回復セラルベシ
(丙)東清鉄道及大連ニ出口ヲ供与スル南満州鉄道ハ中「ソ」合弁会社ノ設立ニ依リ共同ニ運営セラルベシ但シ「ソヴィエト」聯邦ノ優先的利益ハ保障セラレ又中華民国ハ満洲ニ於ケル完全ナル主権ヲ保有スルモノトス
三 千島列島ハ「ソヴィエト」聯邦ニ引渡サルベシ
前記ノ外蒙古竝ニ港湾及鉄道ニ関スル協定ハ蒋介石総帥ノ同意ヲ要スルモノトス大統領ハ「スターリン」元帥ヨリノ通知ニ依リ右同意ヲ得ル為措置ヲ執ルモノトス
三大国ノ首班ハ「ソヴィエト」聯邦ノ右要求ガ日本国ノ敗北シタル後ニ於テ確実ニ満足セシメラルベキコトヲ協定セリ
「ソヴィエト」聯邦ハ中華民国ヲ日本国ノ覊絆ヨリ解放スル目的ヲ以テ自己ノ軍隊ニ依リ之ニ援助ヲ与フル為「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦中華民国間友好同盟条約ヲ中華民国国民政府ト締結スル用意アルコトヲ表明ス

「1904年の日本による背信的攻撃」と規定していますが、どんな背信行為をしたというのでしょうか?
日露戦争は日本は米英のいわゆる代理戦争で米英が日本に協力していたというのに、今度はその米英がソ連と一緒になって日露戦争は日本の背信攻撃によると虚偽宣言しています。
強い立場になれば、どんな嘘でもまかり通らせることが出来ることを表した文章です。
この勢いででっちあげの極東軍事裁判を実行して行ったことが分ります。
背信行為による場合返すべきだというヤルタ協定論理からすれば、日ソ不可侵条約に違反して突如満州になだれ込んだソ連・ロシアの方こそ背信そのものです。
背信行為によって占領した満州や樺太千島列島およびそこにあった日本の資産を(強盗同様に何十万人という人間とともに持ち去ったのです)逆に日本に帰すべきではないでしょうか?
上記を見れば分るように、カイロ宣言・・43年には1919年後の日本支配地を取り上げるとなっていたのが、ソ連が協議に参加すると日露戦争後の支配地に変わるなど、論理や正義の基準ではなく、強盗集団の米英中ソによる山分け合意でしかありません。
アメリカには正義の基準など何もない・・腕力が強いかどうかだけと言う価値観を現しています。

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